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アトモス部屋IN大阪(その13)大阪天保山、決死の登攀! 【ファイル51】2007.11.29 

【ファイル51】2007.11.29 アトモス部屋IN大阪(その13)大阪天保山(てんぽうざん)、決死の登攀(とうはん)!

大阪天保山は日本一低い山!?!


 海遊館は大阪天保山(てんぽうざん)にあります。

 そして天保山は、標高4.53メートルの二等三角点(三角測量に用いる際に経度、緯度、標高の基準になる点のこと)がある日本一低い山だそうです。

 この場合の「山」の定義は「国土地理院発行の地形図に山名と共に載っていること」で、天保山が築山(人工の山)だから、「日本一低い山」ではないという意見もあるそうです。

「うちこそが日本一だ」って名乗りを上げている山が他にもあるのです。

 日本一低い自然の山は弁天山(徳島県徳島市)の6.1mで、日本一低い火山は笠山(山口県萩市)の112m(世界一低い火山でもある)だそうです。

 ちなみに、日本一高い山は富士山の標高は3,776mです。

 前掲載した富士山(新幹線の車窓から撮影)


 
 

 ただし、日本が台湾を領有していた時期の日本最高峰は、台湾島のほぼ中央部に位置する旧称新高山(にいたかやま)=モリソン山 (Mount Morrison) で、現在の玉山(ぎょくさん)の3,952mでした。明治天皇により「新しい日本最高峰」の意味で新高山と名づけられたそうです。

 新高山といえば1941年12月2日に発令された日米開戦の日時を告げる海軍の暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が有名ですが、当時の海軍の通信符号表には“ニイタカヤマ”は登載されておらず真偽のほどは分からないようです。

 富士山の横っちょにある江戸宝永山(ほうえいざん)は宝永四年(1707年)の噴火で誕生し、昭和新山は昭和18年(1943年)12月から昭和20年(1945年)9月までの2年間に17回の活発な火山活動によって形成された溶岩ドームですが、大阪天保山は天保2年(1831年)の噴火で誕生しました…?

 というのは嘘で、洪水防止と大坂への大型船の入港をしやすくするために安治川(あじがわ)の河口を浚渫(しゅんせつ)した際、その土砂を河口に積み上げて作られた人工の山なのです。

 早い話が、川底をさらったときに積み上げられた土砂の集まりです。

 当時は20mほどの高さがあり、大坂の町へ遡るため安治川に入ろうとする船にとって目印となっていました。

 海岸べりに高灯籠(灯台)が設けられ、山には松や桜の木が植えられて茶店なども置かれ、その当時から既に現在同様の観光スポットであったといいます。当時の舟遊びをする人々の姿は歌川広重などによって浮世絵に描かれています。

 当時の様子の絵


 
 

 その後、幕末に河口を守る砲台が天保山に建設されたため山土が削り取られ、さらに工業地帯化された大正から昭和にかけて、地下水のくみ上げ過ぎで一帯の地盤沈下が起こって標高が下がり、一時は地形図からも山名が消されていました。まったくもって情けない話です。


 これに対し、地元からの復活要望によって1996年に再掲載され、以来、日本一低い山を誇っています。
 
 ということで、物好きな私は天保山に登ることにしました。

 地下鉄大阪港駅から降りて海遊館の右にある大観覧車の更に右に小公園があって、天保山はその中にあります。

 公園内に小高い丘があって、そこが天保山だと思って登りました。


 
 

 あれえ?様子がおかしいねえ。山頂を示すものがないねえ。


 
 

 実は、これは地下鉄のトンネルを掘ったときの土で作られた丘だそうです。もちろん天保山ではありません。

 それで、公園内をぐるぐる探し回ったのに、肝心のお山が見つかりません。

 あきらめて帰りかけたとき、公園入り口に地図があるのに気がつきました。


 
 

 山頂は、さっきテキヤのオジサンが店開きの準備していたので、避けて通ったところにありました。

 そんなところで商売しちゃだめだよお!

 やっと場所が分かったので、いざ登山です。

 登山といえば、登山隊を編成して重装備で地元のシェルパを雇って、ベースキャンプを張って、最終キャンプでアタック隊を選抜して、酸素ボンベを背負って、行わなければなりません。

 ところが、わが隊のスジャータちゃんなんかハイヒールを履いています。緊張感がまったくありません。


 いよいよ山頂へアタックします。ブリザードに遭遇したら、ビバーグということも考えられます。いざとなったら『勇気ある撤退』も覚悟せねばなりません。

 雲間に霞む天保山頂。右のスロープ階段のほうがずっと高そうなのは何故?


 
 


 これが艱難辛苦の末、登頂に成功した天保山の山頂です。


 
 

 左下の四角い石の十字マークが山頂だよ。なんか有難みがないねえ。

 山頂の横にあるのは、明治天皇が慶応4年3月26日(1868年4月18日)15歳7ヶ月に電流丸(咸臨丸型)、万里丸、千歳丸、三邦丸、華陽丸、万年丸の六隻(合計2452トン) フランス艦1隻で日本初の観艦式を行った行幸記念碑です。


 
 

 明治時代、天保山付近に海に面した港(現在の大阪港)を建設しようと苦闘した西村捨三翁の銅像です。


 
 

 天保山より、海越しにユニバーサルスタジオジャパン方面を望む景色。


 
 

 なんかうら悲しい風景です。

 それで、天保山には登頂証明書を発行してくれる天保山山岳会事務所があります。

 天保山山岳会事務所の行き方は、山頂の写真の右真ん中の白い紙に地図入りで書いてあります。山頂で確認してくださいね。

 大阪市営地下鉄中央線の大阪港駅の反対側にあって、結構な距離を歩かなければいけません。天保山登山より余程困難な道のりです。

 天保山山岳会事務所は喫茶店内にあるので一服しようと思ったら、お店は休みで、事務所だけ開いていました。


 


 天保山山岳会事務所の看板です。


 


 登山証明の発行は受け付けてくれるみたいです。


 


 中に入ると会長さんらしきおじさんが座っていたので、『登頂証明書を下さい』と言って手数料10円也を募金箱のようなものの中に入れると、『ごくろうさま』とその場で発行してくれました。

 別に証拠写真とかは求められませんでした。第一、登頂するよりも、この事務所を捜し当てるほうが重労働なのです。

 これが、証明書です。


 
 

 文面を読むと、登頂証明書というよりも、むしろ『いちびり(うれしがり・目立ちたがりの意の大阪弁?)精神の持ち主』であることの証明書になっています。

 ということで、大阪海遊館に行ったついでに、時間があれば話の種に登山してくださいね。
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大阪はワンダーランドの付録 【ファイル50】2007.11.17 アトモス部屋IN大阪(その12)

【ファイル50】2007.11.17 アトモス部屋IN大阪(その12)大阪はワンダーランドの付録

大阪で見つけた巨大ゴキブリさん


 今回は、ゴキブリ嫌いの人は見ないでね。

  ↓

  ↓

  ↓

  ↓

  ↓


 後悔するよ

  ↓

 ゴキブリさんが出てくるよ

  ↓


 本当にいいのかな?

  ↓

 とっても大きなゴキブリさんだよ。

  ↓


 やめるなら今のうちだよ

  ↓

  ↓

  ↓

  ↓

  ↓

 じゃあ見てね。

  ↓

  ↓

 西出さんちの台所に現れたゴキブリさん、


 


 大きいねえ。やっぱり大阪は凄いねえ。たこ焼きとかお好み焼きを食べたら大きくなるのかなあ?和田アキ子さんも大きいしねえ。


 実はこれ、大阪の自然史博物館で写したんだよ。


 でも展示の説明パネルや表示板が邪魔なので、レタッチで消しました。
 



 元の写真。


 


 この模型ゴキブリさんを作った人は、余程ゴキブリさんと人を驚かすのが好きなんだねえ。偉いひとだねえ。超精巧で一切の妥協がない良い仕事をしているものねえ。

 頭の照りや、羽のぬめり具合が本物そっくり!ゴキブリ嫌いの人にはたまらないだろうねえ。

「実物を10倍に拡大した」んだって…。

 大阪は日本が世界に誇る海洋堂の地元だしねえ(大阪府門真市)。
http://www.kaiyodo.co.jp/

 公立の科学博物館でこういう展示をするんだから、大阪はヘンな所だねえ。

 だって、ゴキブリさんの大きな模型を本物の台所セットに展示するなんて、いたずら心がないとできないものねえ。

 そうとう気合が入った展示だよ。

 ということで、大阪はまだまだ続くよ…。

大阪はワンダーランド 【ファイル49】2007.11.15アトモス部屋IN大阪(その11) 

【ファイル49】2007.11.15 アトモス部屋IN大阪(その11)大阪はワンダーランド

さすがに大阪は面白いねえ。


 先に大阪城を皆さんにご案内しましたが、
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/archive/2007/08/22

 極楽橋から北のOBP(大阪ビジネスパーク)の方を向くと、そこには恐ろしい光景が展開していました。

 わぁ~!飛行機がビルにぶつかるよお~!


 


 うへえ、ぶつかっちゃったよお!どっか~ん。



 


 私は、9.11テロの直後にこの光景をみて、腰が抜けるほど驚きました。

 大阪の伊丹空港へ着陸する飛行機が、この角度から見ると、ビルに激突するように見えるんだよ。怖いねえ。

 大阪城に行く機会があったら是非ご覧ください。大阪空港は着陸の頻度が高いから、少し待てば飛行機が降りてきます。

 ということで大阪の日本橋(にっぽんばし)という電化街で、東京の秋葉原(あきはばら)みたいなところに行きました。

 大阪の町には伊丹空港に着陸するはずだったのが航路をはずれビルに激突する飛行機が多いのです。ここの屋上にも飛行機がひっかかっています。


 


 
 ビルの上から餌を探しあたりを睥睨する巨大蜂。


 


 大阪は生物が巨大化する傾向があります。和田アキ子さんも大きいからねえ。体が大きくなる光線でも出ているのかなあ?


 日本橋(にっぽんばし)はこういう感じの街です。


 


 ここには「おたくの殿堂」という魔窟のショップがあります。


 


 中を覗くと、大怪獣ガメラが飼育されていました。399,000円です。
 
 値段も高いけど、こんな大きなものを置く場所があるお家って余程のお金持ちだねえ。



 


 そこから程近くに中古買取のリサイクルショップがありました。看板には
『けっこう安い』って書いてあります。


 



 これは横にある『高額買取』と書いてある手前、『激安』とか『大安売り』とは書けないのでしょう。正直なお店です。笑ってしまいました。


 本日のメイン・エベント。大怪獣ツクラ対正義の味方ヒナトラマンの対決です。


 


 ヒナトラマンは、怪獣ツクラが文化財だからと破壊をためらっていた大阪城を、無邪気に破壊しました。あきれたツクラは退散しましたが、ヒナトラマンは勝負に勝ったと思って、大はしゃぎです。

 ある意味凄いぞ!?!ヒナトラマン。

 
 シナモンちゃんは大きくなって可愛さアップだよお☆


 



 ということで、皆さんも大阪で面白いものを見たら教えてくださいね。

大阪『法善寺横丁』 【ファイル48】2007.11.05 アトモス部屋IN大阪(その10)

【ファイル48】2007.11.05 アトモス部屋IN大阪(その10)大阪『法善寺横丁』

水掛不動さんは苔(こけ)がびっしり


 庖丁一本(ほうちょういっぽん) 晒(さらし)にまいて 

 旅へでるのも 板場(いたば)の修業♪

『月の法善寺横丁(作詞:十二村哲、作曲:飯田景応、唄:藤島桓夫)』で有名な法善寺横丁(ほうぜんじよこちょう)です。

 織田作之助(おださくのすけ)の小説『夫婦善哉(めおとぜんざい)』の舞台にもなっています。私はテレビで森繁久彌の映画を観たことがあります。遊び人の商家の若旦那と芸者さんの話だっけ?

 それで、心斎橋筋側からの法善寺横丁東入り口には三代目桂春団治さん書の看板がかかっています。


 


 それで、これが法善寺です。

 現在はお不動さんと金毘羅堂だけが小じんまりと残っています。

 山号は天龍山。本尊は阿弥陀如来。江戸時代初期元上本町8丁目に開基され、寛永14年(1637)現在地に移されたそうです(このあたり曖昧です)。

 そのほか水掛不動(西向不動尊)や金毘羅堂などがあり、特に水掛不動(みずかけふどう)さんは有名です。この寺は千日回向(せんにちえこう)を行う寺で,その門前が千日前(せんにちまえ)と呼ばれるようになったのだそうです。

 金毘羅堂から、水掛不動をのぞむ。


 


 これが有名な水掛不動です。ずっと水をかけられて、苔がびっしり生え、お顔が見えません。その分、余計ありがたい気がします。


 


 不動明王(ふどうみょうおう)は大日如来の教令輪身(きょうれいりんしん=金剛界五仏が教えを実行するために憤怒の形相である五大明王に化身すること。五大明王は5方位に配されて、内外の諸魔を降伏するといわれる)で、火焔を背にして右手に剣を取り、左手に縄を持って憤怒の姿をしています。

 両側に矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)の脇侍が立っています。灯篭の前にいるんですけど、隠れていて見えにくいねえ。


 


 不動明王には大威力があって難を除き、魔を降伏し、すべての人にわけ隔てなく利益を与えてくださいます。

 また、人の死後は必ず最初に(初七日に)不動明王の導きをうけるんだって。

 うへえ。そりゃあ大変だあ!

 せいぜいゴマをすっておこうっと!すりすりすりすり…。

 不動明王が熱い中、火焔の中に鎮座されているのは『火生三昧(かしょうざんまい)』といって、衆生(しゅじょう)の煩悩(ぼんのう)を大智慧の火で焼きつくして、悟りに導くことを本誓(ほんぜい=仏・菩薩が過去世において立てた衆生救済の誓い)としておられるからだそうです。

 だったら、せっかくの『煩悩を焼きつくす』『大智慧の火』に水を掛けちゃあだめじゃないのさあ!火には油を注がなきゃあ!

 戦前までは、生きとし生けるものの命の元になる大切な水を供えていただけだったのですが、さる女性が、拝んで居られる時に、お不動様に縋る(すがる)思いで「水掛不動さん、願いを叶えて下さい」と水を掛けたので、それ以来「水を掛けるお不動さん」になったそうです。

 うーむ。

 どうして他の人もまねっこしたんだろう?お墓じゃないねえ。

 それじゃあ、お賽銭をあげてお参りするよ!

『あれ、冷たいなあ?スジャータちゃん、どうして私の頭に水を掛けるんです!』

『えへへ、「水掛けシルベさん」にお参りしたら、ご利益があると思ったんだよお☆
シルベさんは、名古屋でも水にご縁があったしね。』

『いい加減にしてください!顔に苔が生えてきたらどうするんです』

 金毘羅堂にぶら下がっている提灯。


 


 それで、これが有名な織田作之助の碑です。「行き暮れてここが思案の善哉かな」とあります。


 


 西の看板は、藤山寛美さんの書。濡れた狭い石畳の道…、じゃなくて『敷地内の通路(※追記参照)』が印象深い景色です。


 


 近所にある『竹林寺』


 


 ということで、今回は『法善寺横丁』でした。



※ 追 記

 法善寺横丁はとにかく狭い通りです。まるで京都の先斗町(ぽんとちょう)のようです。

 以前から火事になったらどうするんだろう?って思っていました。いわゆる既存不適格(昔建った建物で、今の法令基準に適合しない)の建物群だったのです。

 それで、案の定平成14年中座火災・15年の横丁火災がありました。

 再建された後、通りが広くなったかというと、狭いままです。

 大阪市は、建築基準法86条2項『連担建築物設計制度』すなわち、『複数敷地により構成される一団の土地の区域内において、既存建築物の存在を前提とした合理的な設計により、建築物を建築する場合において、各建築物の位置及び構造が安全上、防火上、衛生上支障ないと特定行政庁が認めるものについては、複数建築物が同一敷地内にあるものとみなして、建築規制を適用する制度』に基づいて再建を認めたらしいのです。

 私には、このへんの法律のからくりが良く分かりません。

 ここが『各建築物の位置及び構造が安全上、防火上、衛生上支障ない』『合理的な設計』には見えないからです。

 物理的に路地は狭いままで、オープンスペースに防火区画なんて設定しようがないし、煙突みたいに空気が通り抜けるし、建物が焼け落ちたら、道路が塞がると思うのですが、実際のところどうなんでしょう。

 こんなことができるんなら、そもそも、4m以上の幅員をもつ道路への接道義務なんか必要ないのでは?

 幅員2.7mの路地は、建築基準法上4m以上の幅員が義務付けられる『道路』ではなく、『複数建築物が』建っている『同一敷地内の通路』とみなして残されたそうです。

 雑居ビルの通路みたいな感じです。

 雑居ビルは最近その杜撰(ずさん)な防火体制が、とみに問題としてクローズアップされている構造物です。それから、多くの犠牲者を出した『千日前デパートビル火災』も実質的には雑居ビルだったはずです。

 結局『自己責任』でお店に入りなさいってことなのかな?

 そりゃあ、個人住宅だったら、まあ住んでる本人が納得すればいいんでしょうけど、ここは不特定多数の人が集まる集客施設で且つ火を扱う飲食店街ですよね。人命にかかわる問題です。

 そのへんの問題がクリアできた上で、例えば、時がたち、建物が老朽化した場合、やはり『合理的な設計により』一体的に建て直すのでしょうか?『複数建築物が同一敷地内にあるものとみなし』っていっても、地権者はバラバラでしょ?各権利者が一軒一軒勝手気ままに建て直すとしか思えないんですけど。

 問題を先送りにしただけのような気がするのですが…。

 将来的に火災や上記の問題が起きて、責任は誰がとるのでしょう?『認めた』特定行政庁=大阪市になるんでしょうけど、だとしたら、補償は大阪市民が行うことになりますね。

 結局、行政裁量=この場合大阪市のさじ加減っていうことですからねえ。

 そもそも、『既存建築物の存在を前提とした』っていうのが過去の経緯・沿革の追認に他ならないわけです。いってみれば既得権=利権です。

 ほんとうに『各建築物の位置及び構造が安全上、防火上、衛生上支障ない』のであれば、『既存建築物の存在を前提とし』なくても認めれば良いのです。

 京都先斗町のような歴史的景観の価値が大きい地区については、景観保存が防災に優先するというのであれば、それはそれで、一つの見識ですから、災害時のリスク負担のデメリットを明示した上で、まず『景観保存地区の指定を受ける』等の縛りをかけないことには、法的に不備だと思うのですけど…。

 もし何かあれば、提灯持った文化人芸能人をはじめ、『元の姿を残した形での復興』ということで署名された12万人といわれる方々、それを肯定的に報道したマスコミはどう責任を取るのでしょう。

 こういう人達が責任を取った例を私は寡聞にして知りません。どうせ『認可したのは行政だから』って、ばっくれるに決まっています。

『どうして「法善寺横丁」だけ特別なんだ?』って声も聞こえてきます。

 この地区が『各建築物の位置及び構造が安全上、防火上、衛生上支障ない』根拠について、詳細をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示願えれば幸いです。

 同種の問題を抱えている地区は全国的に多くて、そういう地区の再生の参考になりますからね。

 法善寺横丁の復興についてその後調べた記事を掲載しました。こちらへどうぞ
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/38010328.html

大阪『なんばグランド花月』 【ファイル47】ファイル47】2007.10.26 アトモス部屋IN大阪(その9)

【ファイル47】2007.10.26 アトモス部屋IN大阪(その9)大阪『なんばグランド花月』

大阪といえば吉本新喜劇!?


 ということで、今はユニバーサルスタジオジャパンと並ぶアミューズメントということになっているのが、吉本新喜劇です。

 特に『なんばグランド花月(NGK)』は連日観光客で賑わっています。


 


 以前ここで、カムバックした時のB&Bの漫才を観ました。

 そのときは一度引退したB&Bなんて、ほとんど忘れかけていたから、出てきたときは『あれ?』って思ったもの。

 最初から飛ばしていて、みんなも久しぶりの彼らの漫才が新鮮でウケるもんだから、二人(ほぼ洋七さん)は上機嫌で、もちネタをテンポよく並べていきます。

 洋七さんが選挙に落選したときの話や、お母さんと家族でハワイに行った話とか、例によって、洋八さんの故郷の岡山を馬鹿にしたネタとか・・・。

 受けるネタを総ざらえという感じで次から次へと繰り出して、洋八さんがお辞儀をしたので、終わりかと思ったら、『お前はすぐ、そうやって帰ろうとする!まだ終わってへんわい!』って、洋七さんが頭をはたいて、更に延々と漫才が続きました。

 客席は爆笑につぐ大爆笑で、こんな面白い漫才を見たのは初めてでした。

 本当に感動しました。

 次に出てきたハイヒールのリンゴさんが、『さっきの、B&Bさん。持ち時間15分なのに27分もやらはったから、わたしら3分しか漫才できへんやないの!』ってぼやいていました。それでも15分きっちり演じてくれましたけどね。

 時間調節は最後の新喜劇でやっているみたいです。

 やっぱり、演芸は生のほうがいいねえ。でもここは会場が広いから、小屋の規模としては浅草演芸ホールや新宿末広亭みたいな寄席のほうが好きだけどねえ。

 吉本はギャラの高いタレントさんが多いから、仕方がないのかなあ?
 
 
 それで、周りの風景です。


 寛平ちゃんがいるねえ。チンドンさんもやっています。


 


 吉本芸人さんのキャラクターの人形焼屋さん。島木譲二さんはやはりインパクトがあるねえ。実はこの人、元プロボクサーでミドル級西日本新人王だったんだよ。凄いねえ!


 


 看板もなかなかの力作。


 


 それにしても、人形焼屋って東京土産じゃないのさあ!大阪は儲かればなんでもありだねえ。かえってその潔さが清清しいかも…。


 ここのたこ焼き屋はけっこう流行っています。


 


 大阪一かどうかは分からないけど、結構美味しかったよ!

『なんばグランド花月(NGK)』、話のタネに一度覗いてみはいかが?見学時間が決まっていたら、予約して行ったほうがいいかも・・・。

 『なんばグランド花月(NGK)』オフィシャル-サイトはこちら
http://www.yoshimoto.co.jp/ngk/

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