2014/03/29
【ファイルMU13】2014.03.29 これって一体何拍子?チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』第2楽章 ジャズミュージシャン、デイヴ・ブルーベックとの関連性。 その昔、チャイコフスキーの有名な交響曲第6番『悲愴』を聴き始めた頃、第2楽章の拍子が取れず(何拍子なのか分からず)、「なんだこりゃ?」と思ったことがあります。 ということで、皆さんも一度お聴きください。
チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』第2楽章 Tjajkovsky symphony no 6 2nd movement - Die Wienerphilharmoniker 動画にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と表示がありますが、指揮者の名前の記載がありません。 指揮者は、イタリアの名指揮者リッカルド・ムーティ(Riccardo Muti)氏で、小澤征爾氏より少し下の世代です。 チャイコフスキーは交響曲第5番の第3楽章をワルツにしています。ということは、当然これもワルツ=3拍子だと思って拍子を取ったら、どうしても拍が余るのです。4拍子はもっと合いません。 下から2段目のピンク色に着色したチェロの主旋律から第2楽章は始まります。
みなさんもいちど、5拍子をとってください。 メロディーが1.2.3.4.5.1.2.3.4.5.といった具合に5拍の2小節が1セットになっているからわかりにくいったらありゃしないのです。 それで、この第2楽章は複合三部形式のニ長調で”Allegro con grazia”の指定がされています。
Allegro(アレグロ=軽快に速く)、Con grazia(コン グラーツィア=やさしさをもって)
ということで4分の5拍子という混合拍子によるワルツ形式です。 4分の5拍子はスラブの音楽によく見られる拍子なのだそうで、チャイコフスキーのようなロシア人はスラブ系なのでこういう音楽は近しい存在なのでしょう。
典雅で華やかさがあるのですが、変則的な拍子とともにエキゾチックで憂愁をたたえたメロディーです。
中間部でロ短調に転調し、悲壮感が増し、終楽章のフィナーレと同様の主題が現れるという仕掛けになっています。
チャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調 作品74『悲愴』については、残されている資料によれば1893年2月17日(第3楽章)に作曲に着手したことになっているそうです。
それからわずか半年後の8月25日にはオーケレストレーションまで完成するという速筆で、同年10月16日(グレゴリオ暦では10月28日)に作曲者自身の指揮によりサンクトペテルブルクで初演されました。
しかしながら、この曲の初演のわずか9日後、チャイコフスキーはコレラ及び肺水腫が原因で急死し、この曲は彼の最後の大作となります。
『悲愴』は、第4楽章が悲劇的な曲調のため、以前はチャイコフスキーの自殺説というのも流布されていました。
このことを思い出したきっかけは、先日のテレビで、ダウンタウンの浜田雅功さんが司会をやっているバラエティ番組の中で有名人のリズム感覚のランキングを判定するという企画を見たときです。 出演者がリズムに合わせて踊るのを、著名な振付師の女性が判定して、そのポイントとなった課題曲がジャズミュージシャン、デイヴ・ブルーベック代表作の"Take Five"(テイク・ファイヴ)だったのです。 デイヴ・ブルーベック代表作の"Take Five"(テイク・ファイヴ) Dave Brubeck - Take Five
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この曲は、日本では、1980年代後半に「アリナミンV」(武田薬品工業)のCMで使用されたことがあったので、お聴きになったことがある方も多いのでは? この曲も悲愴の第2楽章同様、4分の5拍子です。 まあ、題名がテイク・ファイブなので、5拍子だって言われれば、成る程と思うのですが、初めて聴いてすぐにリズムが取れて、踊れるというのは、相当リズム感覚の優れた人だと言うことです。
ちなみに、このとき『リズム感覚の才能有り』の判定を受けた出演者は1位の杉本彩さん、2位のケンドーコバヤシさんの二人だけでした。
ドラムスとピアノがリズムを刻んでいるので、チャイコフスキーよりは、5拍子と分かりやすいと思います。 "テイク・ファイブ "はポール・デスモンド作曲、デイブ・ブルーベック・カルテット演奏の、1959年のアルバム『タイム・アウト(英語版)』に収録されたジャズ曲です。 ニューヨーク市にあるコロムビアの30丁目スタジオ(CBS 30th Street Studio)で、1959年6月25日、7月1日、8月18日に録音されたこの曲はグループの最も有名なレコードになりました。
洒落たサキソフォンのメロディと曲名の由来にもなった、珍しい4分の5拍子の使用で有名です。
Wikipediaの説明では、4分の5拍子の採用について、こう記載されています。 『このようなスタイルの音楽のヒントを得たのは、ブルーベックが、米国務省主催のユーラシア大陸ツアー中に、トルコでブルガリア音楽の影響を受けたストリートミュージシャングループが演奏するトルコの伝統的な民謡が、西洋の音楽には珍しい9/8拍子で演奏されるのを見たときである。地元のオーケストラの音楽家からこの形式を学んだ後、ブルーベックはジャズの4/4の通常のリズムから外れて、海外で経験した、よりエキゾチックなスタイルで実験的アルバムを作成することとなった。 』
上の説明では、どうしてブルーベックさんが9/8拍子の音楽を聴いて5/4拍子の曲想を思いついたのか分かりません。 調べてみて面白いことが分かりました。 1920年12月6日生まれでカリフォルニア州コンコード出身のジャズピアニストのデイヴ・ブルーベックさんは、母親から受けたクラシックのトレーニングの素養と即興のテクニックが特徴とされています。 それだけではなく、クラシックのフランス人作曲家、ダリウス・ミヨーに師事していた時期もあるのです。 ダリウス・ミヨー氏はフランス音楽を革新したフランス6人組の一人です。 1920年に『屋根の上の牛』を指揮するためにロンドンに渡ったミヨーさんは、ここでビリー・アーノルド楽団が演奏する、「ダンス音楽」にとどまらない本格的なジャズに触れ、その魅力に目覚めます。 1922年に自作の曲の公演の為にアメリカ合衆国を訪問した際には、ハーレムのジャズや黒人音楽を研究し、そのリズムや音色を活かした室内楽曲を作ろうと考えました。
その成果が、アルト・サクソフォンを含む17人の奏者による『世界の創造』(1923年、バレエ・スエドワによって初演)で、ジャズのイディオムを用いた作品としてはジョージ・ガーシュウィンの『ラプソディー・イン・ブルー』(1924年)の先駆をなすなものです。 ダリウス・ミヨー氏に師事したブルーベックさんがジャズピアニストになるというのは、きわめて自然だったことがわかります。 さらに、ダリウス・ミヨー氏はドビュッシーと、ロシア5人組の作曲家ムソルグスキーに傾倒していました。 ムソルグスキーは、ロシア5人組を統括していたバラキレフに師事していて、チャイコフスキーもいくつかの標題音楽や《マンフレッド交響曲》の作曲に、バラキレフの助言や批評を仰いでいるという関係でした。 つまり、チャイコフスキー、バラキレフ、ムソルグスキー、ダリウス・ミヨーという音楽的な系譜は、ジャズピアニストのデイヴ・ブルーベックさんに連綿と引き継がれているのです。 というより、クラシック音楽の専門教育を受けてその素養を身に着けているデイヴ・ブルーベックさんが、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』第2楽章の4分の5拍子の存在を知らないわけがないのです。 ということで、デイヴ・ブルーベックさんが、『トルコでブルガリア音楽の影響を受けたストリートミュージシャングループが演奏するトルコの伝統的な民謡が、西洋の音楽には珍しい9/8拍子で演奏されるのを見』て刺激を受けたたことはあったかもしれませんが、4分の5拍子の採用に当たっては、交響曲第6番ロ短調 作品74『悲愴』第2楽章の影響が大きかったであろうというのが眼とろん星人説なのでした。