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カタロニア民謡『聖母と御子』。【ファイルMU17】2017.12.24 

【ファイルMU17】2017.12.24 カタロニア民謡『聖母と御子』。


ということで、クリスマス・イヴがやってきました。


『音楽の部屋』も二年ぶりで、やはりクリスマスの記事でした。↓

【ファイルMU16】2015.12.24 聖夜のミサ曲。
https://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/55855152.html

例えば、西洋科学の発展を考える場合も、そのベースとなっている多神教で科学を包含するギリシャ哲学を発展させたイスラム教とキリスト教【あるいはユダヤ人科学者の活躍】といった一神教の存在を外すわけにはいきません。

人は神によって、神に似せて造りたもうた被造物である以上、創造主である神のように、森羅万象について、知ることができるという信念でもって『真理の追求』を行い、その執念の結実が、現代科学だという側面もあるわけです。


ニュートンにとっての物理学は、神の創った法則を解明することで、

アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言って、不確定性と“確率解釈”を統合する量子力学を反対したのは有名な話です。


神が世界を創造したとして、世界がその全貌を現してくれるかどうかは、保証の限りではありませんが、その偏執的ともいえる信念でもって、西洋科学が進歩していったこともまた事実なのです。


故笹井芳樹博士のお言葉も、世界的なライフサイエンスのトップリーダーだった博士が、当然のことながら真の科学者であったことを端的に示しています。


小保方晴子さんの『あの日』P135より。


 ※    ※    ※

「女神様は滅多に見せてくれないんだ」笹井先生の口癖だった。

「僕はね、科学者は神の使徒だと思ってるんだ。科学の神様はね、ときどきしか見せてくれないんだけど、チラッと扉の向こうを見せてくれる瞬間があってね、そこを捉えられる人間は神様に選ばれてるんだよ。だから真の科学者は神の使徒なんだ。その美しい神の世界を人間にわかる言葉に翻訳するのが科学者の仕事なんだよ。神に仕える身として日々を過ごすんだよ。

人間の考えつく範囲での発明は限界があってね。しょせんは人間の思いつくレベルでの議論になってしまうでしょ。だから僕は神の作った生命と向き合う発生学が好きなんだ」


「人類の歴史に積み重ねていくんだよ。積み重ねるものは泥では駄目なんだ。粗削りでもしっかり固い石を積み重ねていくんだ。それが人類の科学の世界なんだよ」

この話を聞くと私には見える世界があった。乾燥した台地の上に、無限の石の塔がある。空気は暑く乾燥して、空は青く高い。あるところには丸い石の土台に細長い石が載り不安定に空高くそびえたっている。小石がいびつな形で寄り集まって小山になっているものもある。しっかりした四角いレンガが低く積み重なったものもある。いびつながらも固い石が高く積み重なっているものもある。先端が風化して土台だけを残し、砂の残骸になってしまっているものもたくさん見える。崩れた石の塔もたくさん見える。この世界を思い浮かべるたび、科学の女神の神殿を永遠に造り続ける作業のように思えた。

「小さな石をちょんと載せるような仕事も、その小さな石は固くないといけないよ。上から新たな石が載った時に潰れるような石であってはいけないよ」


「STAP現象は新たな柱の土台になるよ」


こんなにも美しく崇高で永遠のもの。この世界で変わらな唯一のもの。変化のある不変のもの、科学。携われることは幸せだと思った。神戸の夜景が消えた後、言葉少なに走るタクシーの車窓から、私はいつも先生の言う女神の神殿を思った。疲れ切っていたが先生の言葉は心に響いた。私もいつかそんな世界を見てみたいと思った。


 ※   ※   ※【以上引用終わり】

今回はこれについてのコメントは差し控えます。


そのかわりに、独立運動が再燃したカタルーニャ【英語読みでカタロニア】の民謡から、クリスマスの曲をご紹介します。


荘村清志さんの演奏で、聖母と御子(カタロニア民謡)




 上手くみられないときはこちら。↓
https://www.youtube.com/watch?v=HbxWf4t3Mbw

科学の女神は、優しく真理を見守ってくれています。

そう遠くない日に、真理は、それを穢したものへの報いとともに、立ち現れてくると私は信じています。

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聖夜のミサ曲。 【ファイルMU16】2015.12.24 

【ファイルMU16】2015.12.24 聖夜のミサ曲。

ということで、クリスマス・イヴです。

諸事に紛れて、記事のアップが滞っています。申し訳ありません。

日本の子供にとっては、クリスマスプレゼントで玩具をサンタさんからもらえるわ、お正月にはお年玉をもらえるわで、一番楽しい時期です。親御さんにとっては、お財布に厳しい時期でもありますが、年末商戦と並んで、このお年玉需要というのが結構馬鹿にならず、福袋人気と相俟って、デパートでさえ正月2日から営業を始めたりします。

営業は正月4日からというのは、昔の話で、コンビニエンスストアは年中無休ですし、世の中どんどんせちがらくなります。

それで、そもそもクリスマスとは何ぞやということについて、今回は考えてみましょう。

クリスマス(英: Christmas)は、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝うミサを意味します。

つまり英語のChrist(クライスト=キリスト)の mass(ミサ)でクリスマス。

キリスト教に先立つユダヤ教の暦、ローマ帝国の暦、およびこれらを引き継いだ教会暦では日没を一日の境目としているので、クリスマス・イヴと呼ばれる12月24日夕刻から朝までも、教会暦上はクリスマスと同じ日に数えられるので、クリスマス・イヴにミサを行うわけですね。

クライストは、『ジーザスクライスト』つまり『イエス-キリスト』のことですが、ギリシア語で『キリストであるイエス』、または『イエスはキリストである』という意味になります。

“キリスト(ヘブライ語でメシア)”というのは、「膏(あぶら)をつけられた者」という意味の、救世主の称号のことで、膏をつけられるのは旧約聖書においては王・預言者・祭司を意味していたのですが、キリスト教においては「父(神)」と「子(キリスト)」と「聖霊(聖神)」が「一体(唯一の神)」であるとする教え、つまり三位一体説が主流になったこともあり、救世主という意味になっているようです。


すなわち、キリスト教においては、ナザレで大工さんをしていたヨセフ様の奥様である聖母マリア様から生まれたイエス様がキリスト=救世主になっていますから、イエス・キリストと呼ぶわけですね。

それで、クリスマス・イヴ(英: Christmas Eve)は、クリスマスの前夜、すなわち12月24日の夜を指す英語の音訳でなのですが、“イヴ(eve)”は「evening(イブニング=夜、晩)」と同義の古語「even」の語末音が消失したものなのだそうです。


ということで、クリスマス・イヴは、12月24日の夜を指すのですが、一般に、特に日本では12月24日全体を指すことが多いようですね。


“ミサ”では讃美歌が演奏されます。


例えば、クリスマスの音楽として、1734年に作曲されたヨハン・ゼバスティアン・バッハの『クリスマス・オラトリオ』より第2部 降誕節第2祝日用 (12月26日)第19曲『眠れよ、わが愛しきもの』をお聴きください。





 上手く聴けないときはこちら。↓
https://www.youtube.com/watch?v=tyUtONz6vb8

 演奏は、ミシェル・コルボ指揮 1984年 キャロライン・ワトキンソン(アルト)、ローザンヌ室内管弦楽団です。

それで、注意していただきたいのは、この曲の歌詞が“ドイツ語”で書かれていることです。

それは何故かというと、

バッハ家は16世紀後半から18世紀まで続いた音楽家の家系で、とりわけ音楽の父と呼ばれるJ.S(ヨハン・ゼバスティアン・).バッハ=“大バッハ”はその頂点に立っているわけなのですが、代々バッハ家の音楽家は、マルティン・ルターの宗教改革以降、ドイツ・プロテスタントのルター派(ルーテル教会)音楽の作曲家や演奏家としてその生涯を送ったからです。


もともと宗教改革以前のカトリック教会では、会衆が歌うことはありませんでした。しかし、ルターは、それまでラテン語で記されていた聖書をドイツ語に訳し、人々が自ら熟読し、キリストの御言葉(みことば)を心に宿すべきだと考えました。さらには、教会に集まる信徒が積極的に礼拝に参加できるように、信徒が歌う歌が必要と考え、ルターみずから讃美歌を30曲ほど作曲したと言われています。


先のヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲した『クリスマス・オラトリオ』ですが、

オラトリオ(聖譚曲=せいたんきょく)というのは、宗教的(キリスト教的)なものを題材として独唱・重唱・合唱・管弦楽のために劇的に構成した叙事的宗教音楽で、バロック音楽を代表する楽曲形式です。オペラとは異なり、演技、舞台セット,衣装等は用いられません。

ドイツ語の歌詞による全6部(計64曲)から成るコラール・カンタータ集という様式をとっています。


コラール(独:Choral)は、もともとルター派教会にて全会衆によってドイツ語で歌われるための賛美歌を意味します。

それで、コラール・カンタータ(chorale cantata)はドイツにおける教会カンタータの一種で、コラールの歌詞と旋律を用いて作られたものを指します。

『クリスマス・オラトリオ』の演奏に際しては、教会暦に沿って、クリスマス(12月25日)から顕現節(1月6日)の内、日曜と祝日の計6日間に、全6部を、1日1部ずつ行うように配慮され、構成されているのですが、現代においては、コンサートなどでは、全6部を、休憩をはさみ、一度に演奏することが一般的となっています。(総演奏時間は約2時間30分)


バッハは、ドイツのザクセン州に属する都市ライプツィヒの聖トーマス教会の聖歌隊を率いて、同地の聖ニコライ教会と聖トーマス教会の2つの教会を往復しつつ、このオラトリオを演奏したといいます。


ライプツィヒ・聖ニコライ教会(wikipediaより)






ライプツィヒ・聖トーマス教会(同上)






それで、バッハのようなプロテスタントのミサ曲は、ドイツ語で書かれているのですが、

では、カトリックのミサ曲はどうなっているのでしょうか。


例えば、カトリックの作曲家として有名なのは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトです。

モーツアルトは宗教曲にラテン語を用いています。


例えば、最近、テレビCMにも使われている、『アヴェ・ヴェルム・コルプス(Ave Verum Corpus)』をお聴きください。




 上手く聴けないときはこちら。↓
https://www.youtube.com/watch?v=HXjn6srhAlY

 歌はケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団(The Choir Of King's College Cambridge)です。

モーツアルトは、お父さんと一緒に何度もウィーン、パリ、ロンドン、およびイタリア各地に大旅行を行いました。これは、よりよい就職先を求めたりするためなのですが、どこの宮廷に行っても職を得ることができませんでした。

そのためもあって、モーツァルトは母国語であるドイツ語以外に、イタリア語・フランス語・英語ができたようです。

モーツァルトの作曲したオペラは、全部で17作品あるのですが、内訳は、『フィガロの結婚 K.492』、『ドン・ジョヴァンニ K.527』、『コジ・ファン・トゥッテ K.588』等イタリア語12作品、『魔笛 K.620』、『後宮からの誘拐 K.416a』等ドイツ語4作品、『アポロとヒアチントゥス K.38』のラテン語1作品、となっていて、やはりオペラは、イタリア語と相性が良いようです。


それで、モーツァルトは、1756年1月27日生まれで1791年12月5日に逝去。35歳10ヶ月という余りに短い生涯だったのですが、1784年の12月14日にフリーメイソンに加入します。

翌1785年11月15日頃(または10日頃)には、ウィーンにおいて、

フリーメイソンのための葬送音楽(Maurerische Trauermusik)ハ短調 K.477(479a)

を作曲しています。↓




 上手く聴けないときはこちら。↓
https://www.youtube.com/watch?v=j5FCGh9AKoc

 演奏は、イシュトヴァン・ケルテス指揮、ロンドン交響楽団です。

あと、有名なところでは、ベートーヴェンがカトリックです。もっとも、あまり熱心な信者ではなかったようですが、それでもミサ・ソレムニス(Missa solemnis 盛儀ミサ、一般には『荘厳ミサ曲(そうごんみさきょく)』の訳語で知られる)という大曲をものしています。


よく、学校の音楽室に飾ってあるベートーヴェンの肖像画ですが、これはミサ・ソレムニスを作曲中の姿です。楽譜の表紙に“Missa solemnis”と書いてあります。






ただし、この肖像画は、楽聖ベートーヴェンに相応しい風貌にかなり理想化したものだとされているようです。


ベートーヴェン作曲 ミサ・ソレムニス ニ長調 作品123【1823年作曲】よりキリエ(Kyrie)



 上手く聴けないときはこちら。↓
https://www.youtube.com/watch?v=MU50_2nVC0I

ラテン語の『Kyrie, eleison.:主よ、あわれみたまえ。』という歌詞から始まります。

 2015.3.23第785回定期演奏会 Bシリーズ サントリーホール
 演奏は、指揮:小泉和裕、ソプラノ:吉原圭子、アルト:山下牧子、テノール:小原啓楼、バス:河野克典、合唱:栗友会合唱団、武蔵野音楽大学室内合唱団、合唱指揮:栗山文昭、東京都交響楽団です。

指揮者の小泉和裕さんは、第3回カラヤン国際指揮者コンクールに第1位受賞し、カラヤンさんからその才能を大きく評価されていた逸材です。


ということで、聖書と言えば、ラテン語というイメージが強いのですが、世界最古の聖書の写本についてのAFPの記事がネットで見つかりました。


 ※    ※    ※(引用開始)

現存する最古の聖書写本、ネットで公開

 2009年07月07日 10:18 発信地:ロンドン/英国 AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/2618752

 現存する最古の聖書写本、ネットで公開





 ロンドン(London)のウェストミンスター大聖堂(Westminster Cathedral)に置かれた、「シナイ写本(Codex Sinaiticus)」を表示するラップトップパソコン(2009年7月6日撮影)。(c)AFP/Leon Neal

【7月7日 AFP】1600年以上前に書かれ、現存する最古の聖書写本の1つとされる「シナイ写本(Codex Sinaiticus)」が6日、インターネット上で初めて公開された。ロンドン(London)の大英図書館(British Library)が同日明らかにした。


 写本を分散して所蔵する英、独、エジプト、ロシア4か国の機関による共同事業で、4年がかりで、現存する約800ページ分のデジタル写真を1冊にまとめた。中心となった大英図書館は、ネットにより世界中の研究者による共同研究の機会が創出される、と期待を寄せる。

写本は全1460ページで、コンスタンティヌス大帝(Constantine the Great)時代の4世紀ごろ、複数の人物により羊皮紙に

ギリシャ語で手書きされたもの。

 その後に修正や訂正が加えられたことも判明している。同図書館は、「聖書の文言が世代から世代へどのように受け継がれたかを探る貴重な手掛かり」だとしている。
 写本は19世紀半ばにエジプト・シナイ半島(Sinai)の修道院で、ドイツ人研究者によって発見された。これらはロシア帝国の皇帝アレクサンダー2世(Alexander II)に献上されたが、1930年代に英国政府がその大半を当時のソ連から買い取った。一方、同修道院では1975年に新たなページが多数発見され、エジプト政府がこれを保管している。(c)AFP

写本の公式サイト(英語)

http://www.codexsinaiticus.org/en/

 ※    ※    ※(以上引用終わり)

写本の公式サイトの写本の画像(全体)。






写本の公式サイトの写本の画像(拡大)。






ということで、世界最古の聖書の写本は意外にもギリシャ語で書かれているのでした。

主イエス・キリスト様は、ユダヤの王ですから、ヘブライ語で書かれているとばかり思っていました。


それで、主イエス・キリスト様は、一体何語で喋っていたのかという疑問が湧いてきます。


調べてみると、イエス・キリストと弟子たちによって用いられていた言葉はアラム語だったという説と、ヘブライ語という説があるようです。

しかし上述のAFPの『新約聖書』写本のように、ほとんどの書は『コイネー』と呼ばれる1世紀のローマ帝国内で広く用いられた口語的なギリシャ語で書かれているのだそうです。しかも『アチケー(アッティカ擬古文体)』と呼ばれたエリートや学者たちが使った古典ギリシャ語は用いられていないとのことです。

その後、早い時期にラテン語、シリア語、コプト語などに翻訳されて多くの人々の間へと広まっていたといいます。


 少数説として、『マタイ福音書』のオリジナルはアラム語で、ヘブライ書もヘブライ語版がオリジナルであったとするというのがあるそうです。

イエス・キリスト様も、お釈迦様も、ソクラテス様も、自分で本を書いておらず、後年、弟子や、信徒・教団がその言葉をまとめているのですから、こういうことになるのですね。

それで、新約聖書の場合、ルカ以外の3書はいずれもユダヤ戦争中のエルサレム陥落への言及があり、これが西暦70年の出来事であることから、3書の完成はこれを遡らないことが分かるということです。またルカ書は更に年代が降(くだ)ってエルサレム陥落の後のエルサレム神殿の破壊後の完成であることが知られているそうです。

またイエスの奇蹟とされる事象には当時の新皇帝ウェスパシアヌスを称揚するために流布された奇蹟譚と類似するものが多いということです。

それで、これらの書が『新約聖書』としてまとめられたのは西暦150年から225年ごろの間であると推定されているそうです。


ところで、カトリックとプロテスタントだけではなく、現代のキリスト教に落ち着くまで、異説がかなりあって、そのたびに異端審問だ魔女裁判だと、多くの人の血が流され、命が失われているのです。


さらに、ユダヤ教、イスラム教になってくると、民族問題も絡んでくるので、はっきり言って私の手には負えません。


よく、日本の知識人に、『日本こそ第三者的な立場にあるのだから、イスラム国等の中東問題で、積極的に紛争の調停役を演じるべきだ』などと、偉そうに能天気なことをいう人がいます。

無知な人が、まあまあと、喧嘩の仲裁をすると、紛争が収まるどころか、余計に問題が複雑にこじれて、敵対する両者から、逆恨みをされるのが落ちです。


そんなことをするくらいなら、クリスマスパーティーと称して、どんちゃん騒ぎをやる方が、賢明なのではないかと、私はそう思う次第なのでした。

実力派ミュージシャンとしてのザ・ドリフターズ 【ファイルMU15】2015.09.15 

【ファイルMU15】2015.09.15 実力派ミュージシャンとしてのザ・ドリフターズ

1966年ビートルズ日本武道館来日公演より。

久しぶりの音楽の部屋です。STAP潰しを行った人たちの疑義については、次から次から出てきて本当に収拾がつかない程沢山ありすぎてまとめるのが大変なので、少し箸休めということで、違う記事もぼちぼちと挟みたいとは思っています。


 前回は『左利きは天才肌』だということについての記事をポール・マッカートニーさんの例も含めてアップしました。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/55103371.html

今回も、ビートルズがらみの記事として、不当に閑却されているミュージシャンとしてのザ・ドリフターズについて書きたいと思います。






ザ・ドリフターズは、もともとは、ビートルズの武道館公演の前座をもつとめた、人気と実力を兼ね備えたプロミュージシャンでした。

 

アメリカにはザ・ドリフターズ(The Drifters)という1950年代から1960年代にかけて隆盛を極めた有名な黒人コーラス・グループがあります。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第81位という世界的な人気グループです。


でも、我が国でザ・ドリフターズといえば、言わずと知れたこのコメディーグループのことを指します。


特に彼らの代表的なテレビ番組の『8時だョ!全員集合』の人気はすさまじく、番組全体の平均視聴率は27.3%で、最高視聴率は1973年4月7日放送の50.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区にての数値)という今では信じられない数字をたたき出しています。最盛期には40% - 50%の視聴率を稼ぎ、「お化け番組」「怪物番組」と呼ばれたのも当然でしょう。

しかも大掛かりなセットを組んだ、公開放送のこの番組が生放送だったというから驚きです。


もともとはプロミュージシャンだったから、本番の生ライブに強かったという事もあるのでしょう。

コメディアンとして一世を風靡したことがミュージシャンとしての彼らにとって、本当に幸せだったのか、私にはよくわかりません。


それで、そのテクニックのある人気コミックバンドとして、ザ・ドリフターズは、ビートルズの武道館公演の前座を勤めました。

この日本公演は1966年6月30日から3日間、昼・夜公演の計5回行われましたが、ドリフターズの出演は。6月30日と7月1日のみです。

 

当時の映像がありましたのでご紹介します。


【お宝映像】ドリフターズのBEATLES日本公演前座映像




 うまく観られないときはこちら。↓
https://www.youtube.com/watch?v=1PX5nMjEi_U

加藤茶さんは、さすがにリンゴ・スターさんのドラムセットは使えないので、別の場所でドラムを叩いています。


当時のザ・ドリフターズは荒井注さんのコメントにもあるように「音楽喫茶全盛期には『ライブハウス、ジャズ喫茶の帝王』の異名を持っていた」とされるほどの人気と実力を誇っていたので、前座に抜擢されていたわけですね。


いかりや長介さん(ベース)34歳 、加藤茶さん(ドラムス)23歳(字幕では22歳と誤表記)、 高木ブーさん(リードギター)33歳(字幕では27歳と誤表記)、 仲本工事さん(リズムギター、ボーカル)24歳(字幕では23歳と誤表記) 、荒井注 (ベース・キーボード)37歳(字幕では33歳と誤表記)。

それにしても、みなさん若いねえ。特に加藤茶さんなんて、ハンサムさんだし、ドラムが上手いし。

荒井注さんが抜けて、志村けんさんが加入したのは、ずっと後のことです。


あれだけ動き回ってこの演奏は凄いと思います。


いかりや長介さんが、晩年ウッドベースを弾いている場面をテレビで拝見したことがありますが、さすがに味わいの深い素敵な演奏でした。みなさん、根っからのミュージシャンなのですね。


ザ・ドリフターズが、演奏しているのは、「ロング・トール・サリー(Long Tall Sally)」、あるいは、「のっぽのサリー」。

この曲はもともとは、リトル・リチャードの曲なのですが、スタンダードナンバーとして多くのミュージシャンにも演奏され、ビートルズもカヴァーしていて、1964年にオリジナルEP「ロング・トール・サリー」のA面1曲目に収録されリリースされています。






現在は、CDの『パスト・マスターズ Vol.1』で聴くことができます。






同曲のビートルズの演奏の模様を記録した動画がありました。


1964年1月17日のビートルズの最初のワールドツアーの一環として行われたオーストラリアはメルボルンのフェスティバルホールライブの模様です。

The Beatles Long Tall Sally (Live In Melbourne)




 うまく観られないときはこちら。↓
https://www.youtube.com/watch?v=eiXtk296YmE

ポール・マッカートニーさんのシャウトと、リンゴ・スターさんのドラムワークが中心に映っています。


この動画でもそうですが、この頃のビートルズは、1965年まで、コンサートではこの曲がラストナンバーに使われることが多かったようです。

ドリフの皆さんは、ビートルズに敬意を表して、Long Tall Sallyを演奏されたのだと思いますが、本家がよくコンサートのラストナンバーとして使っていた曲を前座で演奏するというのも、ある意味度胸があるというか・・・。冷や汗ものだねえ。


ポールマッカートニーさんのMCで「ジョン!」とコールされたジョン・レノンさんが、英国国歌の「神よ女王陛下を守り給え(God Save the Queen)」の旋律をギターでポツポツと地味に弾いています。

オーストラリアはエリザベス2世女王陛下を元首とする英連邦王国の立憲君主国として、連邦議院内閣制をしいていますからね。

実は、オーストラリアの国歌は、1984年に現在の『Advance Australia Fair』が国歌として制定されるまで、イギリス国歌『God Save the Queen (King)』が用いられていたので、この当時はこの曲がオーストラリア国歌でもあったのです。


観客は熱狂して悲鳴を上げていますが、自分の声でビートルズの演奏は聞こえないはずです。何のためのコンサートかよくわからないねえ。


演奏中の最後の方で、まるで知り合いのように駆け寄ってきてジョン・レノンさんに握手を求めた男性は、そのあと警備員に身柄を確保されていますが、あれは一体何だったのでしょうか。今思えば、後年ジョン・レノンさんが射殺された1980年12月8日のマーク・チャップマン事件を連想してしまいます。


実は、マーク・チャップマンは、それ以前にも、1978年に、ホラー小説の名手、作家のスティーヴン・キングさんにしつこくサインをせがんでいて、それがマーク・チャップマンだと分かった時の恐怖が『ミザリー』(Misery)という作品を書くきっかけになったというのは有名な話で、まあ、チャップマンは、ジョン・レノンさんじゃなくても、相手が有名なら誰でも良かったようだったのです。


なお、ビートルズの最初のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』の収録曲に『ミズリー(Misery)』という曲があります。

スティーヴン・キングさんの『ミザリー』は、この曲に因んだ作品名だと思われます。


ドリフターズの演奏は、どうもビートルズ・バージョンではなくオリジナルのリトル・リチャードのほうに近いように感じます。

しかも、曲の前の方をかなりはしょった短縮版です。






こちらの動画がありましたので、ご紹介します。

Little Richard - Long Tall Sally



 上手く観られないときはこちら。↓
https://www.youtube.com/watch?v=V1FNveyqgRQ

ちなみに、『ロング・トール・サリー』(のっぽのサリー)にちなんだニックネームを持っていた人がいらっしゃいます。

それが、現在俳優でご活躍されている岸部 一徳(きしべ いっとく)さん。


若いころは、沢田研二さんで有名なスーパーGS(グループサウンズ)バンド、『ザ・タイガース』のリーダー兼ベーシストの名手=岸部修三(きしべ・おさみ)さんとしてご活躍されていたのですが、181cmと長身だったため、ロング・トール・サリー』(のっぽのサリー)に引っ掛けて『サリー』というニックネームだったのですね。

ちなみに、岸部 一徳さんは、同じく『ザ・タイガース』に所属していた岸部四郎さん(ニックネームはシロー)のお兄さんでもあります。


ザ・タイガース当時のアイドルだった岸部修三(きしべ・おさみ)さんことサリー。現岸部 一徳(きしべ いっとく)さん。(laughy.jpより)






最近の岸部一徳さん。






それで、ドリフターズ以外に前座のステージに立った人たちの演奏も映した動画もあります。


The Beatles 日本公演 前座(最長版)




 上手く観られないときはこちら。↓
https://www.youtube.com/watch?v=Xrt8Ego2kvQ

日本側メンバー。【動画スクリーンショットより】






E.H.エリックさんの司会に、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ブルージーンズ。ビートルズのメンバー名のコールとリードボーカルとして尾藤イサオさんと内田裕也さんが客席を煽っているんですが、

いまではすっかりロック界の大御所である若い頃の内田裕也さんが、歌詞を覚えていなくて大声で間違いまくっているのが“らしく”ていいねえ。


いかに内田裕也さんでも、さすがに『天下のビートルズって言っても、どうして俺が前座なんだ?』ってツッパっていたわけではないはずで、単に忙しくて覚える暇が無かったか、さぼって覚えなかっただけだと思うねえ。

横の尾藤イサオさんが、内田さんの方を向いて、露骨にイラついているねえ。


それにしても、内田裕也さんは、「皆さん一緒にやってください」って丁寧な言葉で手拍子をお客さんに求めるなんて、なんという礼儀正しいロックンローラーだったんだろう。

こういうのが当時は“不良の音楽”だったんだねえ。


ところで、この動画なのですが、先述のようにビートルズの来日公演は全部で5回のステージです。


1966年6月30日
PM6:30より第1回目の公演

【Set List】
Rock And Roll Music
She's A Woman
If I Needed Someone
Day Tripper
Baby's In Black
I Feel Fine
Yesterday
I Wanna Be Your Man
Nowhere Man
Paperback Writer
I'm Down
※以降、すべての公演の演奏リストは同じ。

7月1日
PM2:00より第2回目の公演
PM6:30より第3回目の公演
(この日のPM2:00からの公演の模様が日本テレビで放映される。視聴率60パーセントという高い数字を記録。)

7月2日
PM2:00より第4回目の公演
PM6:30より第5回目の公演

 以上です。

ところで、7月1日の第二回公演は日本テレビで放映されたわけですが、実はこの時の録画テープは、マネージャーのブライアン・エプスタインが本国に持ち帰ったので日本には残っていません。

動画の字幕には1966年7月と表記されていますが、これは間違いです。


本来は初日の30日の公演をビデオ録画してそれを翌日テレビで放映する予定だったのですが、ポールのマイク・セッティングが不備で、歌っているうちに首を振り出してしまうトラブルがあったのと、客席のファンの反応が十分に写っていないことでブライアンの意向でNGになったのでした。

ひょっとしたら、内田裕也さんのトチリも原因だったのかもしれません。さすがに2回目からはちゃんとやったでしょうから。

つまり、そちらの30日のNGビデオが、日本の放送局に残っていたため、70年代後半に日本で再放送された日本公演はこちらの方なのですね。

ということで、30日には前座で出ていたドリフターズの映像も残っているわけです。

さすがに、ビートルズの演奏が映った来日公演動画はネット上に見つけることができませんでした。


なお、日本での滞在中、警備の警察官の拳銃からヒントを得て、未定だった新作アルバムのタイトルを『リボルバー』と決めて本国に電報で知らせたそうです。


第一回目の公演を見た作家の北杜夫さんは、「ビートルズの姿が現れるや、悲鳴に似た絶叫が館内を満たした。それは鼓膜をつんざくばかりの鋭い騒音で、私はいかなる精神病院の中でもこのような声を聞いたことがない」という感想を持たれたようですが、

当のビートルズ側では、他国の公演に比べて、観客が静かで「お通夜のようだ」と感じていたそうです。


ということで、日本の音楽シーンに決定的な影響を与えた歴史的コンサートの前座に、ザ・ドリフターズが参加していたというのはすごいことなのでした。


今となっては、ミュージシャンとしての彼らの映像がたくさん残っていればと、残念でなりません。

左利きの音楽家、ポール・マッカートニーさんとチャールズ・チャップリンさん 【ファイルMU14】2014.07.15 

【ファイルMU14】2014.07.15 左利きの音楽家、ポール・マッカートニーさんとチャールズ・チャップリンさん

左利きは天才肌っていうけれど・・・。

 先日ソニーのウォークマンを買いました。
 なんか、凄く曲が沢山入るし、充電池は長持ちだし、音質が良いからびっくりしました。

 さすがは世界のソニー。なんだかんだ言われても、いまだに技術は健在です。

 それで調子に乗ってどんどん手持ちのCDを入れました。

その結果、気が付いたのですが、入れたアルバム名をアルファベット順に並べると、『B』の項目がやたらと多いのです。

Bach【バッハ=ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach )】、
Beatles【ビートルズ(The Beatles)】、
Beethoven【ベートーヴェン=ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven)】、
Brahms【ブラームス=ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms)】
Bruckner【ブルックナー=ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Josef Anton Bruckner)】

まあ、バッハ・ベートーヴェン・ブラームスは、、ドイツ音楽における『三大B』と呼ばれるなんていうことを、音楽の授業で習った覚えがあるので、当然として、それにしても沢山入るねえ。

例えば、バッハの『マタイ受難曲』、ベートーヴェン9つの交響曲、ブラームスの4つの交響曲、ブルックナーの交響曲第3番~第9番・・・。


ということで、その中でも私がお気に入りの曲を上げてみて、Beatles【ビートルズ(The Beatles)】関係だと、

アルバム『リボルバー』から、ポール・マッカートニーさんの代表作のひとつで、ポールさんとジョン・レノンさんとジョージ・ハリスンさんの3人で多重録音したコーラスが美しい

『ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア』。

The Beatles - Here, There and Everywhere (Mono)




 うまく聴けないときはこちら。↓
https://www.youtube.com/watch?v=Vd9HrO1b7pk

それで、ポール・マッカートニーさんは左利きなんですよね。

左利き用の特製ベースを弾くポール・マッカートニーさん。






右手でフレットを押さえて、左手のピックで弾いています。


右利きだと、こうなります。

普通に右利きでギターを弾くジョン・レノンさん。






左利きの天才音楽家といえば、私が思い浮かぶのが、チャールズ・チャップリンさんなんですよ。

喜劇役者や映画監督としてまず有名ですが、チャップリンさんは天才作曲家でもあるのです。

映画『モダンタイムス』から、最近もCMなんかで使われているチャップリンさん作曲の名曲『スマイル』が代表作です。

 映画『モダンタイムス』のクレジットはこうなっています。
 監督チャールズ・チャップリン
 脚本チャールズ・チャップリン
 製作チャールズ・チャップリン
 出演者チャールズ・チャップリン、ポーレット・ゴダード、ヘンリー・バーグマン、チェスター・コンクリン
 音楽チャールズ・チャップリン、アルフレッド・ニューマン
 撮影ローランド・トセロー、アイラ・モーガン

『スマイル』の曲は男子シングル織田信成選手が2009-2010シーズンEX(エキシビション)で使ったことが記憶に新しいところですね。(歌唱はマイケル・ジャクソンさん)


ここでは、ナット・キング・コールがさん歌った音源で、チャールズ・チャップリンさん作曲『スマイル』をご紹介しましょう。

Smile♪Nat King Cole




 うまく観られないときはこちら。↓
 https://www.youtube.com/watch?v=V3Sk1ybG_-M

映画『ライムライト』で左利き用特製のヴァイオリンを弾くチャップリンさん(写真向かって右。左は当時経済的に困窮していたのを聞き知ったチャップリンさんが、あえて出演を依頼した、かつてライバルだったバスター・キートンさん)






左利きなので、利き手の左手で、弓を持ってボウイングをして、右手で指板(しばん)を押さえています。

 ちなみに『ライムライト』でも、チャップリンさんは、監督、脚本、製作、出演者と、そして美しい音楽を担当しています。

右利きでヴァイオリンを奏でる天才ヴァイオリニスト、五島龍(ごとう りゅう)さん。






【Ryu Goto:: ユニバーサル ミュージック クラシック】

オーソドックスな右利きなので、利き手の右手で、弓を持ってボウイングをして、左手で指板(しばん)を押さえています。

 五島龍(ごとう りゅう)さんのお姉さんも、やはり天才ヴァイオリニストの五嶋みどりさんだねえ。

それで、左利きは天才が多いとか言われますが、その超有名どころがレオナル・ド・ダヴィンチさんなんですよね。

デッサンを観ればダヴィンチさんが左利きだということが分かります。


レオナルド・ダ・ヴィンチさんの『馬と騎手』です。






影の部分を見てください。






斜線が左上から右下に引かれています。

左利きの人は、こう描いた方が書きやすいからです。右利きの人はこの方向の斜線は引きにくいのです。


右利きの場合はこうなります。

ご存知、イタリアルネサンスの巨匠、ミケランジェロ・ブオナローティさんの『レダと白鳥』のためのデッサン(『レダの頭部習作』)。






普通に右利きだと、このように影の斜線は右上から左下に引かれています。






別に左利きだろうが、右利きだろうが天才さんは天才さんなのでしょうが、確かに左利きは目立ちますよね。


それにしても、左利きのことを『左ぎっちょ』と呼んでいたはずで、その語源に諸説あって、差別語ではないはずなのですが、なんか差別語扱いされているようです。

以前は左利きは矯正されていたのですが、最近は逆に天才の証拠だとか個性だとかいうことになって逆に褒めたりしているようです。

私は、直らない左利きを無理に直すことは無いとは思うのですが、不便なのは変わりがないので、直せるなら直した方が良いとは思います。

時代の風潮というのは、極端から極端へ飛んで、『良いころ合い』とか『良い塩梅(あんばい)』というものが無いのでしょうか?


私は以前、ラーメン屋さんのスタンドでラーメンを食べていて、やけに狭くて窮屈だと思ったら、右側に左利きの人が箸を持つ方の左の肘を思いっきり横に付きだして食べていて、左側に右利きの人が箸を持つ方の右の肘を思いっきり横に付きだして食べている状況に自分が置かれているということに気が付いて、びっくりしたことがあります。

よりによって、両脇に思いっきり横に肘を付き出してしか物を食べられないマナー知らずの人が座って、しかも右側に左利きの人がいるなんて不幸は、人生でそう滅多に味わえることではないのです。

そういう人たちですから、当然口を開けて、ぺちゃくちゃと音を立てて食べています。

本当に両側から肘でごんごん小突かれて、腹立たしくて窮屈で、うるさくて、せっかくのラーメンの味が全く分かりませんでした。


自分の右側の左利きのひなちゃんと、左側の右利きのつくねちゃんに肘で小突かれて、迷惑を被る真ん中のぴこりんさんの図






 (のれん君が描いた再現図です。3人とも、本当は、すごくマナーが良いのですが、当時の光景の再現のために、敢えて慣れないことをやってもらいました)

 ということで、音楽の部屋から外れてしまいました。いつものことだねえ。

これって一体何拍子?チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』第2楽章 【ファイルMU13】2014.03.29 

【ファイルMU13】2014.03.29 これって一体何拍子?チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』第2楽章

ジャズミュージシャン、デイヴ・ブルーベックとの関連性。

その昔、チャイコフスキーの有名な交響曲第6番『悲愴』を聴き始めた頃、第2楽章の拍子が取れず(何拍子なのか分からず)、「なんだこりゃ?」と思ったことがあります。

 ということで、皆さんも一度お聴きください。

チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』第2楽章

Tjajkovsky symphony no 6 2nd movement - Die Wienerphilharmoniker




 うまく観られないときはこちら。↓
 https://www.youtube.com/watch?v=SXWVCaovpZ8

動画にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と表示がありますが、指揮者の名前の記載がありません。

指揮者は、イタリアの名指揮者リッカルド・ムーティ(Riccardo Muti)氏で、小澤征爾氏より少し下の世代です。


チャイコフスキーは交響曲第5番の第3楽章をワルツにしています。ということは、当然これもワルツ=3拍子だと思って拍子を取ったら、どうしても拍が余るのです。4拍子はもっと合いません。


ポケットスコアを見てみましょう。






 下から2段目のピンク色に着色したチェロの主旋律から第2楽章は始まります。

チェロのパートを拡大すると、






正解は4分の5拍子でした。


みなさんもいちど、5拍子をとってください。

メロディーが1.2.3.4.5.1.2.3.4.5.といった具合に5拍の2小節が1セットになっているからわかりにくいったらありゃしないのです。


 それで、この第2楽章は複合三部形式のニ長調で”Allegro con grazia”の指定がされています。

 Allegro(アレグロ=軽快に速く)、Con grazia(コン グラーツィア=やさしさをもって)

ということで4分の5拍子という混合拍子によるワルツ形式です。


 4分の5拍子はスラブの音楽によく見られる拍子なのだそうで、チャイコフスキーのようなロシア人はスラブ系なのでこういう音楽は近しい存在なのでしょう。

 典雅で華やかさがあるのですが、変則的な拍子とともにエキゾチックで憂愁をたたえたメロディーです。

 中間部でロ短調に転調し、悲壮感が増し、終楽章のフィナーレと同様の主題が現れるという仕掛けになっています。

 チャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調 作品74『悲愴』については、残されている資料によれば1893年2月17日(第3楽章)に作曲に着手したことになっているそうです。

 それからわずか半年後の8月25日にはオーケレストレーションまで完成するという速筆で、同年10月16日(グレゴリオ暦では10月28日)に作曲者自身の指揮によりサンクトペテルブルクで初演されました。

 しかしながら、この曲の初演のわずか9日後、チャイコフスキーはコレラ及び肺水腫が原因で急死し、この曲は彼の最後の大作となります。

 『悲愴』は、第4楽章が悲劇的な曲調のため、以前はチャイコフスキーの自殺説というのも流布されていました。


このことを思い出したきっかけは、先日のテレビで、ダウンタウンの浜田雅功さんが司会をやっているバラエティ番組の中で有名人のリズム感覚のランキングを判定するという企画を見たときです。

出演者がリズムに合わせて踊るのを、著名な振付師の女性が判定して、そのポイントとなった課題曲がジャズミュージシャン、デイヴ・ブルーベック代表作の"Take Five"(テイク・ファイヴ)だったのです。


デイヴ・ブルーベック代表作の"Take Five"(テイク・ファイヴ)

 Dave Brubeck - Take Five



 うまく観られないときはこちら。↓
http://www.youtube.com/watch?v=vmDDOFXSgAs

この曲は、日本では、1980年代後半に「アリナミンV」(武田薬品工業)のCMで使用されたことがあったので、お聴きになったことがある方も多いのでは?


この曲も悲愴の第2楽章同様、4分の5拍子です。

 まあ、題名がテイク・ファイブなので、5拍子だって言われれば、成る程と思うのですが、初めて聴いてすぐにリズムが取れて、踊れるというのは、相当リズム感覚の優れた人だと言うことです。
 
 ちなみに、このとき『リズム感覚の才能有り』の判定を受けた出演者は1位の杉本彩さん、2位のケンドーコバヤシさんの二人だけでした。

ドラムスとピアノがリズムを刻んでいるので、チャイコフスキーよりは、5拍子と分かりやすいと思います。

"テイク・ファイブ "はポール・デスモンド作曲、デイブ・ブルーベック・カルテット演奏の、1959年のアルバム『タイム・アウト(英語版)』に収録されたジャズ曲です。

 ニューヨーク市にあるコロムビアの30丁目スタジオ(CBS 30th Street Studio)で、1959年6月25日、7月1日、8月18日に録音されたこの曲はグループの最も有名なレコードになりました。

 洒落たサキソフォンのメロディと曲名の由来にもなった、珍しい4分の5拍子の使用で有名です。

Wikipediaの説明では、4分の5拍子の採用について、こう記載されています。

 『このようなスタイルの音楽のヒントを得たのは、ブルーベックが、米国務省主催のユーラシア大陸ツアー中に、トルコでブルガリア音楽の影響を受けたストリートミュージシャングループが演奏するトルコの伝統的な民謡が、西洋の音楽には珍しい9/8拍子で演奏されるのを見たときである。地元のオーケストラの音楽家からこの形式を学んだ後、ブルーベックはジャズの4/4の通常のリズムから外れて、海外で経験した、よりエキゾチックなスタイルで実験的アルバムを作成することとなった。 』

上の説明では、どうしてブルーベックさんが9/8拍子の音楽を聴いて5/4拍子の曲想を思いついたのか分かりません。


調べてみて面白いことが分かりました。

1920年12月6日生まれでカリフォルニア州コンコード出身のジャズピアニストのデイヴ・ブルーベックさんは、母親から受けたクラシックのトレーニングの素養と即興のテクニックが特徴とされています。

それだけではなく、クラシックのフランス人作曲家、ダリウス・ミヨーに師事していた時期もあるのです。


ダリウス・ミヨー氏はフランス音楽を革新したフランス6人組の一人です。

1920年に『屋根の上の牛』を指揮するためにロンドンに渡ったミヨーさんは、ここでビリー・アーノルド楽団が演奏する、「ダンス音楽」にとどまらない本格的なジャズに触れ、その魅力に目覚めます。

 1922年に自作の曲の公演の為にアメリカ合衆国を訪問した際には、ハーレムのジャズや黒人音楽を研究し、そのリズムや音色を活かした室内楽曲を作ろうと考えました。

その成果が、アルト・サクソフォンを含む17人の奏者による『世界の創造』(1923年、バレエ・スエドワによって初演)で、ジャズのイディオムを用いた作品としてはジョージ・ガーシュウィンの『ラプソディー・イン・ブルー』(1924年)の先駆をなすなものです。

ダリウス・ミヨー氏に師事したブルーベックさんがジャズピアニストになるというのは、きわめて自然だったことがわかります。

さらに、ダリウス・ミヨー氏はドビュッシーと、ロシア5人組の作曲家ムソルグスキーに傾倒していました。

ムソルグスキーは、ロシア5人組を統括していたバラキレフに師事していて、チャイコフスキーもいくつかの標題音楽や《マンフレッド交響曲》の作曲に、バラキレフの助言や批評を仰いでいるという関係でした。



つまり、チャイコフスキー、バラキレフ、ムソルグスキー、ダリウス・ミヨーという音楽的な系譜は、ジャズピアニストのデイヴ・ブルーベックさんに連綿と引き継がれているのです。

というより、クラシック音楽の専門教育を受けてその素養を身に着けているデイヴ・ブルーベックさんが、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』第2楽章の4分の5拍子の存在を知らないわけがないのです。


ということで、デイヴ・ブルーベックさんが、『トルコでブルガリア音楽の影響を受けたストリートミュージシャングループが演奏するトルコの伝統的な民謡が、西洋の音楽には珍しい9/8拍子で演奏されるのを見』て刺激を受けたたことはあったかもしれませんが、4分の5拍子の採用に当たっては、交響曲第6番ロ短調 作品74『悲愴』第2楽章の影響が大きかったであろうというのが眼とろん星人説なのでした。

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