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去年の夏の京都祇園祭だよ。その35 神様が御旅所に出張してるよ。 【ファイルT44】2008.07.15 

【ファイルT44】2008.07.15 去年の夏の京都祇園祭だよ。その35 神様が御旅所に出張してるよ。

無言参りはつらいねえ。


 祇園祭について最初から読まれる方はこちら。

 
 御神輿(おみこし)に乗った神様は、神幸祭(しんこうさい)=[おいで]で、町を練り歩き鴨川の橋を渡って、京都市内に入り、四条寺町の御旅所(おたびしょ)までお出ましされます。

『御旅所ってなんだろう?』って思ってたけど、神様が鎮座されるところなんだね。

 17日から24日まで、3基の神輿(プラス子供神輿)は御旅所(おたびしょ)に鎮座されます。

 そして、17日から24日まで、3基の神輿が鎮座する御旅所(おたびしょ)に毎日お参りすると願い事が叶うと信じられているのです。ただし、参拝から帰宅まで誰とも話してはなりません。花街の舞妓や若い女性の参詣が多いそうです。これを無言参り(むごんまいり)【17~24日】と言います。

 前も書きましたが、この期間は、八坂神社(祇園社)には神様はいらっしゃいません。御旅所に出張されて厄を払って下さるので、留守です。お参りはこちらでしてくださいね。

 神様は、24日の還幸祭(かんこうさい)[おかえり]で、御神輿に乗って、御旅所から八坂神社に還幸されます。

 だったら、一年中和御魂(にぎみたま)と荒御魂(あらみたま)が合体したスーパー素戔嗚尊(スサノヲノミコト)さんが が御旅所にいればいいのにね!

 いっそのこと、八坂神社(祇園社)がここに移転すればいいのに。

 でも、そういうわけにはいかないんでしょうね。スーパー素戔嗚尊(スサノヲノミコト)さんの霊力を一年中統御する力は、人間には無いのでしょう。

 ということで、四条寺町の御旅所(おたびしょ)です。

 




 四条通の向かいは新京極です。修学旅行で来られた方もいらっしゃるのでは?

 




 御旅所の神輿3基プラス子供神輿
 




 中御座は、主祭神の素戔嗚尊(スサノヲノミコト)





 御旅所に飾られた弓、矢、盾、琴などのご神宝。宮本組が供奉してきたものです。

 




 金の細工も見事ですね。
 




 ろうそくの揺らめきも神秘的です。

 




『無言参りの帰りどすから、話しかけられても、お答えできましまへん。堪忍え』

 




 祇園の情緒もおすそ分け。

 




 




 宵山と、山鉾巡行、神幸祭(しんこうさい)=[おいで]、無言参り(むごんまいり)だけで、なんと35回連載。京都の実力だね!これだけ書いても、祇園祭の全貌はご紹介できていません。
 祇園祭は時空を超え、壮大なコスモロジーをもった、魔界パワーのお祭りです。
 本当に京都は凄い!世界に誇る古都です。皆さんもぜひお越しくださいね。
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去年の夏の京都祇園祭だよ。その34 神幸祭(しんこうさい)=[おいで]の御神輿(おみこし)が町を練り歩きます。 【ファイルT43】2008.07.14 

【ファイルT43】2008.07.14 去年の夏の京都祇園祭だよ。その34 神幸祭(しんこうさい)=[おいで]の御神輿(おみこし)が町を練り歩きます。

京都って凄いね


 祇園祭について最初から読まれる方はこちら。

 今年の祇園祭が着々と進行している中、去年の記事がまだ終わらないので、あせって、このシリーズを先に掲載します。
 
18:20頃、 これが御神輿が上って出て行った、石段の山門です。

 




 屋台を通り抜けて、帰って行きます。

 




 山門を出て、四条通に下りようとしたら、外は、神輿が『差し上げ』をして、雑踏でとんでもないことになっていて、とてもじゃないけど通れません。

 





 一旦引き返して、わき道から外に出ます。

 




 やっと四条通にでました。

 



 3基の神輿が揃い踏みで『差し上げ』をして、騒然としています。

 




 脇道を通って先回りをします。

 




 そしたらば、ちょうど久世稚児さんが前を通りました。

 




 神主さんもお馬に乗っています。

 




 中御座の御神輿で、 主祭神の素戔嗚尊(スサノヲノミコト) がお乗りになっています。

 




 小さい子も祭りに参加しています。

 




 良くこんな重いものを長時間担ぎますね。

 




 これはお供えかな ?神様は物持ちだねえ。

 




 辻辻で御神輿を差し上げたり揺らしたりして、大騒ぎです。

 




 ということで、日も翳ってきたので、本日の撮影はこの辺にしました。朝から山鉾巡行と、神幸祭(しんこうさい)=[おいで]を見て、くたくたです。予定では、神幸祭(しんこうさい)まで見るつもりはありませんでした。でも、見て本当によかった。

店が込まないうちに、夕食です。ちょうど、南座が近かったので、その隣にある、総本家にしんそば 松葉に入りました。

 




 にしんそば発祥の店として名高いお店で、創業は文久元年(1861)です。

 どういうわけか空いています。

 にしんそば定食を頼みました。

 




 埋もれていたにしんを発掘します。

 



 じっくり時間をかけて煮あげた大ぶりの身欠きにしんは、骨までやわらかくて、甘辛い味がしみていて、箸で簡単に切れます。

 お蕎麦は硬からず柔らからずの標準的なかみ応えで、薄口のだしが上品です。やっと落ち着くことができました。

 そうこうしていたら、南座の舞台が跳ねたのか、観劇客がぞろぞろと入ってきて、それに御神輿見物のお客さんもぞくぞくと入ってきて、あっという間に満席になりました。

 早く入ってよかったよ。

 ということで、次回はいよいよ祇園祭シリーズの最終回です。お楽しみに。


 次回はこちら。

去年の夏の京都祇園祭だよ。その33 神幸祭(しんこうさい)=[おいで]の御神輿(おみこし)が出発するよ。 【ファイルT42】2008.07.12 

【ファイルT42】2008.07.12 去年の夏の京都祇園祭だよ。その33 神幸祭(しんこうさい)=[おいで]の御神輿(おみこし)が出発するよ。

神様のお引越しだねえ


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 17:10頃、 最初の御神輿が拝殿から出てきます。
 これは、
①中御座の御神輿で、 主祭神の素戔嗚尊(スサノヲノミコト) がお乗りになっています。

 




 六角形の屋根です。

 三若(さんわか)神輿会の皆さんが担いでいます。

 鳳凰が引っかからないように慎重にね!

 これから、御神輿に乗った神様は、鴨川の橋を渡って、京都市内に入り、四条寺町の御旅所(おたびしょ)までお出ましされるのです。

 鴨川の外(東側)は異界で、橋を渡って、京都市内の魔を払うために出張されるのです。

 鴨川は京都市域の境界で、『しるしつき』の場所です。だから、東海道53次は三条大橋が終点で、三条河原で石川五右衛門は釜茹で(釜煎り)になったし、牛若さんと弁慶さんは五条の橋の上で戦ったのです。

 まず、御神輿は拝殿の周りをやはり3回まわります(『拝殿回し』といいます)。

 本殿の前で『差し上げ』(御神輿を天高く差し上げる)をします。神様のパワーが活性化するのかな ?





 石段を上がって、山門の外に出て行きます。





 東若御座(子供神輿)も頑張ってるねえ。櫛稲田姫命(クシ(イ)ナダヒメノミコト) の分霊がお乗りになっておられます。





 大人と大きい子供が担いで、小さい子は周りで歩いているのです。ただいま見習い中で、大人になったら、立派な担ぎ手になるんだねえ。


次は
②東御座 の御神輿で、櫛稲田姫命(クシ(イ)ナダヒメノミコト=素戔嗚尊(スサノヲノミコト)の妻) がお乗りになられています。

 八岐大蛇(やまたのおろち)の人身御供になるところを、素戔嗚尊(スサノヲノミコト)に助けられたんだね。

 四若(しわか)神輿会の皆さんが担がれています。

 長い担ぎ棒を取り付けます。





 四角形の屋根の上に宝珠を取り付けます。





 拝殿回し、が始まります。





 本殿の前で『差し上げ』をして、





 石段を前に、緊張が走ります。






③西御座 -- 八柱御子神(ヤハシラノミコガミ=素戔嗚尊(スサノヲノミコト)の子) がお乗りになられています。





 錦神輿会の皆さんが担がれています。

 八角形の屋根に鳳凰が乗っています。
 西日が当たって、とてもきれい!





 錦神輿会は錦市場(にしきいちば)の若い衆だよ





 傾くと結構怖い。





 本殿の前で『差し上げ』をして、





 頑張れ頑張れ!





 石段を最後の御神輿が上がっていきます。





 御神輿が出払って、空になった拝殿。





 神様がお出かけして、お留守になった本殿。





 一生懸命拝んでいる人がいるけど、神様はお留守だから、拝んでもご利益は無いんだけどねえ。今、神様が御神輿に乗って出て行ったんだけどねえ。

 神様がお乗りになられる乗り物(輿=こし)だから御神輿(おみこし)なのです。

 ということで次回にまだ続きます。



 次回に続きます

 次回はこちら。

久世駒型稚児(くぜこまがたちご)さんは、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒魂(あらみたま)の化身だよ! 【ファイルT41】2008.07.10 去年の夏の京都祇園祭だよ。その32 

【ファイルT41】2008.07.10 去年の夏の京都祇園祭だよ。その32 久世駒型稚児(くぜこまがたちご)さんは、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒魂(あらみたま)の化身だよ!

荒御魂(あらみたま)と和御魂(にぎみたま)が合体してパワーアップ!


 祇園祭について最初から読まれる方はこちら。

 16:00 町衆が手拍子を打ちながら、境内に入ってきます。

 




 続いて、白馬に乗ったお稚児さんが颯爽と現れました。

 




 眩しくて、そこだけ後光が差したように見えます。

 これが久世稚児(くぜちご)さんです。とにかくカッコいいのです!祇園祭の主役ですものね。

 祇園祭の稚児には既にご紹介した鉾に供奉(ぐぶ)する鉾稚児(ほこちご)と、南区久世の綾戸国中(あやとくなか)神社の神使いである久世稚児(くぜちご)があります。

 久世稚児は胸の前に御神体である木彫りの馬の頭をつけていることから、『駒形稚児(こまがたちご)』とも呼ばれ、神幸祭と還幸祭の2名選ばれます。

 綾戸国中(あやとくなか)神社は、綾戸神社と国中神社が合体した神社で、国中神社の祭神が素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。

 ところが、八坂神社の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が和御魂(にぎみたま)であるのに対して、綾戸国中神社のそれは、荒御魂(あらみたま)で、2つの御魂が合体してパワーアップして祭りが始まるのです。


 素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒御魂(あらみたま)のお稚児さん=久世稚児は胸の前に御神体である木彫りの馬の頭を掛けて騎乗した瞬間から神の化身とみなされ、五位十万石の大名格の格式を誇る長刀鉾稚児や皇族の方でさえ下馬を要求される八坂神社の境内に、騎馬のまま乗り入れる破格の扱いを受けています。

 ですから、久世稚児は御神輿のオマケじゃなくて、それ自体重大な役割を担う独立した神様の巡行なのです。

 久世稚児さんは、騎乗したまま拝殿を右回りに3回まわります。これをお千度というそうです。ここは、皇族の方々でも馬に乗っちゃいけない聖域なのです。特別扱いです。凄いねえ!

 




 鉾稚児さんと同じく、神の化身なので、地面を踏んではいけません。だから強力(ごうりき)さんに担がれて、昇殿します。

 





 古式ゆかしい装束の神官の方々が、昇殿します。

 




 なかで何が行われているか、わかりません。かなり待たされます。

 久世稚児さんが出てきました。

 




 屈強な町衆とのコントラストがおもしろいねえ。

 




 ということで、今回は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒御魂(あらみたま)と和御魂(にぎみたま)がめでたく合体してパワーアップしました。よかったねえ。日本では合体ロボットなんて発想は、大昔からあったんだねえ。

※)
和御魂(にぎみたま)=温和で愛情を持ち、柔和・慈悲の心などを備えた「静」的な霊魂。人間に平安をもたらします。併せて運・幸を司る幸御魂(さきみたま)、知恵と健康で奇跡を呼び起こす奇御魂(くしみたま)という霊魂も内包されています。

荒御魂(あらみたま)=文字通り荒々しく勇猛な面を持ち、積極的・活動的な御霊。「祟り」を引き起こしたり、人々を争いに駆り立てたりということもあるそうです。その霊威を祀ることによって、人間を守護する力になるとされています。

 よく考えたら、当たり前ですね。自然には生命を包み込むような優しさがある反面、嵐も地震も雷もあります。それを神様の一つのありかたとして捕らえ、エネルギーの源と考える宇宙観というのは実に合理的だと思います。

 そもそも生命はお日様の恵みを受けています。お日様のエネルギーというのは核融合反応により水素がヘリウムに変化することによってもたらされます。早い話が水爆ですから荒御魂(あらみたま)そのものです。でも、春の日の柔らかい日差しは和御魂(にぎみたま)ですね。

 それにしても、太陽=核融合反応=荒御魂(あらみたま)=エネルギーなんて、すごい想像力です。


 次回に続きます

 次回はこちら。

去年の夏の京都祇園祭だよ。その31 祇園社に行ってきました。 【ファイルT40】2008.07.08 

【ファイルT40】2008.07.08 去年の夏の京都祇園祭だよ。その31 祇園社に行ってきました。

御神輿が鎮座していたよ


 祇園祭について最初から読まれる方はこちら。

 山鉾巡行を観て、お昼が終わって、それじゃあということで、肝心の祇園社に行くことにしました。

 山門は改修中建築用のパネルで囲まれていました。





 さすがは、厄払いの祇園さんです。狛犬さんもとっても怖い顔をしています。
 




 入ってすぐのところに疫神社があります。ここは、蘇民将来をお祭りしていて、祇園祭の最終日の7月31日、フィナーレとして、鳥居の所に大きな茅の輪が設置され、『茅の輪くぐり=疫神社夏越祭』が行われます。神社というより、祠ですよね。
 小さいので気をつけないと見逃します。





 とにかく、祇園さんには、いろいろな神様がいます。
恵比寿さんもあります。





 悪王子社(祭神=素戔嗚尊の荒魂《あらみたま》)がありました。





 社殿はとっても美しいねえ。





 女性に人気の神社があったので、覗いてみると、
『美御前社うつくしごぜんしゃ』とありました。





 美御前社うつくしごぜんしゃ(祭神=多岐津比売《たぎつひめ》神、多岐理比売《たぎりひめ》神、市杵島比売《いちきひめ》神)
由緒書きにはこうありました。
美御前という名の通り、美を象徴する神として祭られています。本社の祭神、素戔嗚尊が天照大神(あまてらすおおみかみ)と誓約(うけい)をされたとき、素戔嗚尊のもっておられた十拳剣を振りすすいで生れた三柱の女神で、宗像三女神といい、清浄・潔白の証となった神々で、俗に弁天さんといわれるのも、市杵島比売《いちきひめ》神です。古くから芸妓さん舞妓さんをはじめ美しくなりたい女性はもとより、美容理容、化粧品業者の崇敬を集めています。

 美御前社の湧き水で撮った写真。





 本殿はこんな感じです。





 拝殿には3基の御神輿と、1基の子供神輿が鎮座ましましています。





15:40頃、なんか関係者の人がお神輿で作業を始めました。






15:55頃、ロープが張られ、後ろに下がるように言われたので、慌てて場所を取りました。





 こんなに早く神幸祭(おいで)が始まるなんて思ってもみなかったよお!

 祇園社の歴史はこういうことになっているそうです。

 八坂神社(祇園社)は、明治まで祇園社、または祇園感神院とよばれていて、現在の社名になったのは明治元年からだそうです。

 その起源は、平安時代の貞観18年(876)、八坂郷の地に牛頭天王(ごずてんのう=素戔嗚尊すさのおのみこと)の社壇を造営したのがはじまりだとされています。

 八坂神社の創祀を社伝では斉明天皇2年(656)と伝えています。この年には高句麗の使い伊利之(いりし)が来朝し、彼は八坂造(やさかのみやつこ)一族の祖先である意利佐(いりさ)と同一人物と考えられているので、社伝の説をあながち荒唐無稽なものとして退けるわけにはいかないということです。

※  ※  ※

 そこで、その頃の朝鮮半島と日本の関係を記しておきましょう。

 このころの日本は百済や高句麗とはとても密接な関係がありました。人の行き来も多かったのです。

 ところが、新羅が、唐と同盟して、百済を侵略しました。その時、日本からも百済に援軍(水軍)を出したのですが、白村江で破れ、663年に百済は滅亡しています。

 どうして援軍(水軍)を出したかというと、とても親密な外交をしていて、日本からも百済に多く人が行っていたからなのですね。

 ちなみに、百済が滅亡した3年後の666年に、高句麗人が大挙日本に来ます。これは、もちろん、日本に援軍を依頼するためです。

 その後、新羅・唐軍は高句麗も滅ぼします。

 その時、百済、高句麗の人たちはほとんどが虐殺されています。

 かろうじて難をのがれた高句麗、百済からの亡命者が日本に帰化し、日本はそれらの人々を篤くもてなしています。

 新羅の武烈(ぶれつ)大王は、自らの権力増強のために、唐軍の力を借り、文明の高い、百済・高句麗を滅ぼしたのです。

 韓国・朝鮮の人は何かあると『日本に文化を教えてやった。伝えてやった』と威張りますが、その高度な文明を日本に伝えた国は滅びて現存しません。自分たちはそういう高度な文明を持った人々を唐の力を借りて滅ぼした侵略者の子孫だということを少しは知ったほうが良いと思います。

 武烈(ぶれつ)大王は、自国の誇りを捨て、唐の文物を朝鮮に取り入れることに努めました。

 第一に姓名を支那風に二文字ないし三文字に統一しました。
 それまで、四~五文字前後が圧倒的に多かったのに、自国民に支那風の改名を強制したのです。だから、朝鮮の人は、李とか朴とかの似たり寄ったりの苗字しかないのです。

 例えば、666年10月に来日した高句麗の正使は乙相奄○(おっそうあむす/○はヨが縦二つに卩)、副使は玄武若光(げんむにゃっこう)と達相遁(だちそうどん)です。今、こんな名前の韓国・朝鮮の方なんかいないでしょう?

 また科挙の制度を採用。朝鮮では庶民には受験資格が無く、試験科目には『史記』つまり支那の正史が出ました。自国の歴史の否定です。
 そして、国王、貴族、官僚が使用する文字はすべて漢字になりました。
 1446年に世宗大王が、諺文(おんもん=ハングル)を作りますが、これは無学な人間の文字ということで、文化人からは疎まれ、諺文で書かれた書物は焼かれたりしました。

 そのおかげで、朝鮮半島は、支那の本格的な冊封を受ける国家になったのです。

 それはともかく、高句麗の亡命帰化人八坂造(やさかのみやつこ)一族と、八坂神社、祇園社の関係というのもなんとなく気になりますね。
 


 次回に続きます

 次回はこちら。

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