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栄光の蒸気機関車C62型2号機に会いに行ったよ(その4) 【ファイルR7】2016.07.23 

【ファイルR7】2016.07.23 栄光の蒸気機関車C62型2号機に会いに行ったよ(その4)

◆ C62 2号機がターンテーブル上で回転するよ。

 前回からの続きです。

 前回は、『C62 2号機が牽引した『つばめ』は国鉄全盛期の特急。』についての記事を書きました。↓



その1から読まれる方はこちら。↓

http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/55279004.html

それで今回は、C62 2号機のカッコいい、ターンテーブル(転車台)での方向転換と、給水、給炭作業についての記事を書きます。

といっても、既に梅小路蒸気機関車館は、平成28年4月29日「京都鉄道博物館」の施設の一部としてリニューアルオープンしたのですが、今回の記事は、それ以前に訪問した記事なので、予めご了承ください。

まだ混んでいるだろうねえ。夏休みは特に!


京都の記事もどんどんたまる一方なので、記事もUP時にはタイムラグがどんどん広がっているのです。


それで、1日3回運行されるスチーム号の展示運転を終え、C62 2号機は給水、給炭とメインテナンスを行うことになります。

これも公開なので、勉強になるねえ。


まず、客車部分を切り離し、ターンテーブル(転車台)に向かいます。






徐行でターンテーブル内に進入します。






さて、待ちに待った、転車作業です。






ターンテーブル(転車台)は、回転することによって、機関車の方向転換を行うとともに、格納される機関庫や、給炭給水のための引き込み線、運転走行線等に機関車を誘導するための施設です。

本来なら、給炭給水のための引き込み線はすぐ近くにあるので、少し回転すれば、それで十分なのですが、ファンサービスのために、わざわざ一回転させてくれます。






わーい。『今日はいつもより多めに回しております!』って、海老一染之助・染太郎師匠みたいだねえ。おめでとうございます。


まるでサンダーバードの世界だねえ。


ということでで、引き込み線に接続したので、機関車は後退して入線します。

まず、運転士さんが安全のための後方確認。カッコいいねえ!






それで、ギアをバックに入れます。






↑上の写真の赤い部分を拡大します。↓






↑ 運転士さんが逆転機のハンドルを操作すると、“逆転軸腕”が矢印の方向にそっくり返ります。


逆転軸腕がこの状態になると、いよいよ後進です。


給炭・給水所のある引き込み線に到着。






まず、火室の下の蓋を開けて底にたまった燃えカス(石炭ガラ)を落とします。

水を撒きながらの作業ですが、熱そうだねえ。










給水塔から水を引いてきてホースで給水します。






少し離れた場所にある給水塔






石炭はフォークリフトで積載します。










本来は、C62のような幹線の大型機関車の場合、大規模な給炭ホッパーから石炭を落下させて炭水車(テンダー)に給炭するのですが、ここは博物館の展示運転用なので、簡易式にフォークリフトで済ませています。

「給炭ホッパー (トミーテック 情景コレクション 情景小物シリーズ No.103 ) プラモデル」より。↓
http://www.ms-plus.com/59015





給水給炭が完了したので、再び、ターンテーブルに向かいます。


前進は、さっきと逆に運転士さんが逆転機を操作し、逆転軸腕を矢印のように前に倒すことによって行います。






蒸気機関車館が、ラックにおいて無料配布していたチラシから、前進、後進の状態のイラストを引用します。逆転機の操作によって、シリンダーへ蒸気が入る方向が変わり、前進、後進の向きを変えることが出来るのです。










ついでに、蒸気圧をどういうふうに弁によってシリンダーの前後に流し、それと連動したピストンの前後運動に変換し、動輪を回転させるのか、イラストを引用します。






C62型蒸気機関車はワルシャート式弁装置動力逆転機を採用しています。

これについて、この動きが分かり易いワルシャート式弁装置動力のカットモデル動画があったので、ご紹介します。


Walschaerts Valve Gear Cut Model




 うまくみられないときはこちら。↓
https://www.youtube.com/watch?v=aPSKuzO9JpA

動画では最初“逆転軸腕”が前に倒れ、ゆっくりと前進している際、弁の位置によって、蒸気の流れが変わりピストンの前後運動が、クロスヘッドを支点にメインロッドを介して回転運動に変換されて動輪に伝達されている様子が分かります。

ピストンの動きが速くなり、動輪が高速回転しているシーンでは、“逆転軸腕”が後ろに倒れ、後進状態の回転になっています。


同館で静態保存してあったC62型1号機の足回りの写真(私が撮影して、レタッチで歪み補正したもの)に、各パーツの名称を落とし込むと、こうなります。






シリンダー内に流れた蒸気圧でもって、ピストンを前後に動かすと、ピストンロッドを介してクロスヘッドが滑り棒を前後に動きます。

ここから伸びたメインロッドが、第二軸の動輪に接続され、回転運動を与えます。

さらに、この回転運動をサイドロッドで第一軸、第三軸の動輪に伝え、この3軸6輪の動輪が機関車を動かすのですね。


ボイラーの石炭を燃やした火で水を温め、沸騰させ、その熱エネルギーで生じた高圧の蒸気をシリンダーでを運動エネルギーに転換するという、いたって簡単な分かり易い仕組みで蒸気機関車は動くのですが、こういった仕組みを改良していって、到達した成果の一つがこのC62型蒸気機関車なのですね。

これは、日本が世界に誇ることができる技術力です。この技術が新幹線に至るまで幾多の技術開発者、メカニックの人々によって継承・改良・開発されてきて、さらに今後も継承・改良・開発されていくのです。


再びターンテーブル上に移動して、






回転し、






機関庫外の駐機位置に入線します。






ということで、9600型33号機の隣で、明日の運転までしばしの休息をとるのでした。






夕日を背にしたC62 2号機もカッコいいねえ。

 次に続きます(いつになることやら・・・)。
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栄光の蒸気機関車C62型2号機に会いに行ったよ(その3) 【ファイルR6】2015.05.11 

【ファイルR6】2015.05.11 栄光の蒸気機関車C62型2号機に会いに行ったよ(その3)

C62 2号機が牽引した『つばめ』は国鉄全盛期の特急。

 前回からの続きです。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/55445555.html
↑ 前回は、C62 2号機の牽引するスチーム号に乗車した時の記事を書きました。

その1から読まれる方はこちら。↓

http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/55279004.html

それで、まだまだC62 2号機のお話は続くのでした。

ということで、私が乗ったのは、C62 2号機で、この機関車は、国鉄の花形特急『つばめ』を牽引したことがある、機関車で、日本一人気があるのは、デフレクター(除煙板)に『つばめ』のマークがついていることが大きな要因です。






この辺の事情は、第1回目でもご紹介しましたので、そちらも参考にしてください。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/55279004.html

特急つばめの最後尾展望車。【『梅小路運転区・梅小路機関車庫 100周年記念特別展 汽笛響かせ一世紀』リーフレットより】






公募で決定した愛称は「燕」でしたが、テールマークは「つばめ」で、時刻表などでは漢字・平仮名表記が混在していました。


それで、この頃が、多分国鉄の一つの全盛時代だったと思われます。

その証拠に、国鉄は、『国鉄スワローズ』というプロ野球球団を所有していましたが(1950年- 1965年)、この『スワローズ』というのは、国鉄の看板特急『つばめ』由来の名前なのですね。


それで、球団旗も当然の如く国鉄の当時の花形特急「つばめ号」のヘッドマークに使われていた「つばめマーク」を使用。






国鉄スワローズ時代の復刻ユニフォームの左胸にも「つばめマーク」が!。






夕日に美しく照り映えるC62 2号機のつばめマーク。






国鉄スワローズといえば、なんと言っても日本球界唯一の通算400勝という金字塔を打ち立てた金田 正一(かねだ まさいち)さんです。(昭和8(1933)年8月1日 - )

国鉄スワローズ時代の金田 正一投手






金田投手は、昭和25(1950)年から39(1964)年に至る全盛期の15シーズン国鉄スワローズに在籍し、昭和40(1965)年からV9時代の巨人軍に移籍。

そして、今後破られることがないであろう通算400勝という大記録を成し遂げ、昭和44(1969)年に引退しました。

298敗というのも最多敗戦記録なのですが、通算勝率を考えるとこれも偉大な記録です。

ただ、この時代は今と違って、先発をしながら、救援もするということが多く、金田投手の場合も、先発勝利 268勝に対して、救援勝利 132となっています。

その裏を返せば、そのような酷使に耐えて通算400勝だということが凄いと思います。

しかも、金田投手が全盛期を過ごした国鉄スワローズは、「打てば三振、守ればエラー」と言われるほどの弱小球団で、凡打で打ち取っても守備でエラーをされることもしばしばだったため、金田投手は強引に三振を取りにいき、通算4490奪三振という記録を打ち立てたのだそうです。

晩年は常勝巨人軍に移籍しましたが、多くの勝利が勝つのが難しい弱小チームで打ち立てた大記録というのは、全く驚嘆に値します。


その後、国鉄の経営状況が悪化し『国鉄スワローズ』は売却され、産経新聞社が買取り『サンケイスワローズ(1965年)』に、1966年 - 1969年:球団名が『サンケイアトムズ』に変更され、『スワローズ』の名前は消滅しました。


1969年からはヤクルト本社と業務提携してチーム名から『サンケイ』の冠が外され、ニックネームのみの『アトムズ』。翌1970年、ヤクルトが正式に親会社となり『ヤクルトアトムズ』となります。


ところが、1974年からファンにとって愛着のあった『スワローズ』の愛称が復活し、球団名が『ヤクルトスワローズ』となります。

やはり『つばめ』さんの帰巣本能は凄いのです。

2006年 から球団名が『東京ヤクルトスワローズ』になり現在に至っているのですが、皆さんは、この球団名が往年の日本国有鉄道の花形特急『つばめ』に由来することを忘れないでくださいね。


東京ヤクルト#6 宮本慎也選手 復刻版ユニフォーム






それで、国鉄の花形特急『つばめ』を牽引していたC62 2号機の話に戻ります。

昭和25(1950)年1月から『つばめ』は運行されていたのですが、その当時から、主な牽引機関車はC62型、C59型蒸気機関車ではあったのですが、電化区間ではEF58形電気機関車が使用されていたのです。

それが、国鉄の電化が進むにつれ、蒸気機関車は働く場所を失っていきます。


『C62 2』の現役最後の仕事は、函館本線急行『ニセコ』です。


昭和32(1957)年、C62 2号機が小樽築港機関区に転入した際には、宮原機関区の検査係の方が書いた「つばめのマークを大切に使って下さい。東海道本線を走っていた証しですから、この機関車がなくなるまで、つばめだけは磨いて下さい」と言う手紙が添えられていたそうです。

誇り高き鉄道マンの愛機に対する愛情の深さが良く伝わってくる、胸を打つエピソードですね。

函館本線は函館市から、小樽市、札幌市、岩見沢市などの主要都市を経由し、旭川市の旭川駅まで結ぶ北海道の大動脈です。

小樽駅から長万部((おしゃまんべ)駅の区間は険しい峠が続き、『山線』とも呼ばれています。日本最後の大型蒸気機関車『C62 2』 と『C62 3』という豪華な重連が、この区間の急こう配を喘ぎながら駆け上る姿は、当時の鉄道ファンにとても人気があったそうです。


『長万部(おしゃまんべ)』といえば、東八郎さんのギャグで有名だったのですが、当時の鉄道ファンにとっては、『長万部』は急行ニセコのC62 2と、C62 3の重連を観ることが出来る聖地だったのですね。


急行ニセコを牽引するC62形重連(1971年:Wikipediaより)






C62重連 急行ニセコの勇姿 函館本線のNHKによる動画はこちら。↓

http://cgi2.nhk.or.jp/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004270015_00000

この動画をみても分かるのですが、蒸気機関車の運転は大変なんですよね。煙は出るは、火の粉が出て危ないは、石炭をくべなければならないは、前方は見にくいは、ディーゼルと比べれば、パワーはないは、保守点検は大変だは・・・。

時代の趨勢から言って、蒸気機関車が廃れていったのは、当然といえば、当然なのですが、お湯を沸かして、その蒸気圧でシリンダーでピストンの前後運動に変換し、クロスヘッドを介したメインロッドで、動輪に回転運動を与えるという構造は実に単純でわかりやすくて、これはこれで、貴重な文化遺産として残す価値は十分にあると私は考えます。


実は『C62 2』は、東海道時代から不調気味で、乗務員から信頼の薄い2号機を前補機として限定運用することは、検修側、運用側の両者にとって望ましかったとされたといわれているそうです。


最後まで重連運転の残った「ニセコ」も、1971年の7月18日・8月22日・9月15日の3回に分けて実施された三重連運転を最後にDD51形ディーゼル機関車に置き換えられ、大幅にスピードアップされ、高速運転する海線で、わずか140kmあまりの区間ながらも、約30分ほど所要時分の短縮が実現することになりました。


スチーム号の座席から、C62型蒸気機関車の『ニセコ』号のバトンを受けたDD51型ディーゼル機関車の同型機が静かに佇んでいるのが見えたので、感慨ひとしおでした。






その後は小樽駅 - 長万部駅間の普通列車運用に充てられていたのですが、翌1972年秋に2号機は動態保存先の梅小路蒸気機関車館へ転属となります。

梅小路蒸気機関車館動態保存の方針として、本来は現存最若番車を保存する方針だったため、C62形では1号機が採用されるはずだったのですが、『つばめマーク』による人気から、2号機が選定されて現在この記事のように『スチーム号』として活躍しています。

実際は、走行状態が不調だったため、機関士からは敬遠されていたこの機体が、この『つばめマーク』の人気でVIP待遇の扱いを受けたというのは、歴史の皮肉を感じずにはいられません。

一方、記念すべきC62形の1号機は、『C62 2』と違って、梅小路での動態保存機からは漏れ、廃車後静態保存されていたのですが、それが酷い状態で、野ざらしで錆びるに任せ、メインロッドも外されたままという保存と言うに値しない、見るに堪えない酷い扱いを受けていました。

さすがにそれでは不味いということで、今では補修された上で、梅小路蒸気機関車館に静態保存されています。






よかったねえ。

ということで、次回は、ターンテーブルでC622号機が回転する姿を紹介しますね。


栄光の蒸気機関車C62型2号機に会いに行ったよ(その2) 【ファイルR5】2015.03.03 

【ファイルR5】2015.03.03 栄光の蒸気機関車C62型2号機に会いに行ったよ(その2)

C62型2号機スチーム号に乗り込みました。

 前回は、C62型2号機が東海道本線のエース特急『つばめ』の牽引で活躍したという記事を書きました。

 前回の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/55279004.html

体験乗車のスチーム号の客車は、イベント用の屋根の付いたトロッコ列車のような感じのものです。


 




 スチーム号は日に3回運行されます。
(時期によって牽引する機関車が違うので下記URLで確認してね↓)
http://www.mtm.or.jp/uslm/ride/

 1回目 11:00、2回目 13:30、3回目 15:30 

  それで、その日の2回目に乗車しました。チケット販売は、それぞれ出発時間の20分前ですから、その前に並びました。

 平日だったので、人数が知れています。

梅小路路蒸気機関車館の入場券。


 




スチーム号の乗車券。


 




出発の準備です。石炭がくべられ、煙突から煙がでて、シューというスチームが漏れる音がします。






いやがうえにも、期待が高まります。

ただ、先ほどから降り始めていた雨の雨脚が激しくなってきたのが気になります。

座席からは、C56型蒸気機関車が慣らし運転をしている姿を見ることができました。






C56型といえば、以前、靖国神社の遊就館に展示してあった機体をご紹介しましたね。 ↓

http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52233418.html

動態保存している機体は適度に動かさないとだめだからねえ。


EF66型電気機関車が駐機しています。






EF66型電気機関車は、最近めっきり姿を消していて、久しぶりに見たので、びっくりしました。

EF66型電気機関車(EF66がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1968年(昭和43年)から1974年(昭和49年)まで、そして間隔をおいて日本貨物鉄道(JR貨物)が1989年(平成元年)から1991年(平成3年)まで製作した直流電気機関車です。

この電気機関車は、東海道・山陽本線系統の高速貨物列車専用機として開発された形式で、とても貨物用と思えないカッコいいデザインとあいまって、人気があった機関車です。

名神・東名高速道路の整備により輸送シェアを拡大しつつあったトラック輸送に対抗するため、国鉄では特に所要時間の短縮が急務とされた生鮮品輸送を中心に貨物列車の高速化を計画しました。

そこで、最高速度 100 km/h での走行可能なコキ10000系コンテナ車・レサ10000系冷蔵車と並行して、専用の新型機関車の開発が開始されたのです。


当初は動軸数8軸の「H級」とする構想もあったのですが、大出力電動機の実用化に見込みがついたことから動軸数6軸の「F級」として開発が進められ、1966年(昭和41年)9月に試作機が川崎車輛(現・川崎重工業)で完成します。この試作機がEF90型です。定格出力 3,900kW という圧倒的なパワーは、狭軌鉄道では当時世界最大のものでした。


同年11月より、先に運用を開始していたレサ10000系の特急貨物列車「とびうお」「ぎんりん」の牽引で運用を開始し、この運用結果を基に1968年(昭和43年)から試作機だったEF90型をプロトタイプとして、量産機の製作が開始されることになります。これがEF66型です。

EF66型の量産開始に伴い、これまで暫定的にEF65型(500番台F形)の重連(1機では力不足の為、2機つなげて運用)牽引としてきた「とびうお」などの高速貨物列車は、強力なパワーを持つEF66形1機での牽引に切り替えられ、以後、東海道・山陽本線系統の高速貨物列車を主として使用されてきました。

また、1985年(昭和60年)3月からは、人気の寝台特急(ブルートレイン)「はやぶさ」「富士」など旅客列車の牽引にも使用されるようになったのです。

ところが、1987年の国鉄分割民営化では西日本旅客鉄道(JR西日本)とJR貨物に承継されることになります。

1989年(平成元年)には、JR貨物によってEF66形は一部設計変更の上で再び新規車体の製造が行われることになります。これはコンテナ貨物輸送の好調を受け、列車増発に対応するもので、当時並行して開発に着手していた新型機関車の投入までに、輸送状況の逼迫を賄う時間的猶予がなかったため、その急場をしのぐための措置だったようです。


以降、コンテナ車を主とする貨物列車に重用されています。

エネルギー効率といった見地からは、やはり鉄道輸送は重視すべきだと私は思っています。


JR西日本所属車は引き続き東海道・山陽本線区間の寝台特急で運用されたのですが、2009年3月、同区間の客車寝台特急全廃をもって定期運用を終了、2010年には全車が除籍となり、これをもってJR西日本所属車は消滅しました。


ちなみに、EF66型電気機関車は第12回(1969年)鉄道友の会ブルーリボン賞受賞を受賞した傑作機でもあります。

写真で撮ったEF66型35号機は京都府京都市下京区 梅小路蒸気機関車館の所有になっています。

この車体は、2016年春オープン予定の京都鉄道博物館で展示することになっているそうです。よかったねえ。一時代を画した名機だからねえ。

博物館展示用の車体だから、たまたま久し振りに見ることができたんだねえ。感無量だねえ。


かなたには、京都駅に入構するため減速をしている、上りのN700系新幹線が望めます。






あっちに乗っているお客さんは、こっちを見て、さぞかし、うらやましかろうねえ。

私はここの前を新幹線で通るたびに悔しい思いをしていたからねえ。なんか、優越感が湧いてくるねえ。えっへん!


それで、いよいよ出発進行!

まずバックをします。「館内展示運転線の往復1kmを約10分間にわたり、蒸気機関車の旅の気分を満喫できます」ということなので、片道わずか500mで前進に反転するので、時速は10km/hくらいしか出ていません。


また、『館内展示運転線』である上に、簡単なトロッコのような客車なので、揺れるし、煙はもくもく湧いているし、お世辞にもあまり乗り心地が良いとは言えません。

でも、蒸気機関車の汽笛と、一般に『しゅっしゅっ、ぽっぽ』と表現されるドラフト音を聴くととっても情緒があります。

後ろで子供が「遅いね」って言っていて、「昔の汽車だからね」とお父さんが答えていました。

うへえ!違うよお!C62型蒸気機関車の最高運転速度は100km/hです。


C62型2号機の諸元

製造年月日1948(昭和23)年5月29日
製造所名日立製作所
全長21.6m
運転整備重量機関車=87.07トン、炭水車=56.00トン
最大出力2,163ps
最高運転速度100㎞/h
総走行距離259万5012キロ(地球約65周分)
車籍1979(昭和54)年3月28日に車籍抹消、JR西日本の発足時に車籍復活

C62型といえば、同タイプのC62 17が1954年(昭和29年)に東海道本線木曽川鉄橋上で『狭軌(きょうき)における蒸気機関車最高速度』の129km/hを達成した傑作機なのです。


『狭軌(きょうき)における蒸気機関車最高速度』の129km/hを達成したC62型17号機(edoky3069さんののサイトより)

http://edoky3069.fc2web.com/00813400.html





現在、世界記録を出したC62 17は、名古屋にある東海旅客鉄道(JR東海)の『リニア・鉄道館〜夢と想い出のミュージアム』に保存されています。一度行ってみたいものだねえ。

狭軌というのは、レールの幅が1,435mm(4フィート8.5インチ)未満のものを指すのですが【日本の場合は線路幅が1,067mm。この規格はいまだにJR各社の在来線で採用されています】、

その後は蒸気機関車が鉄道における主役の座から降りたこともあって、狭軌鉄道において、この世界記録は未だ破られていません。


ちなみに蒸気機関車全体を見渡した場合の世界最速記録はイギリスの『マラード』が1938(昭和13)年に記録した203km/hです。

現在はヨークにあるイギリス国立鉄道博物館のコレクションの一部として保存されています『マラード号』(Wikipediaより)。






但し、こちらは『標準軌』で、かつ下り坂で記録されました。

『標準軌』というのはレールの幅が1435mm(4フィート8.5インチ)の鉄道を意味し、日本で標準軌を採用しているのは、新幹線、JR田沢湖線等在来線のミニ新幹線区間、関西圏を中心とする大手私鉄、および東京(近郊を含む)の一部の地下鉄等といったところです。

『狭軌』と比べて、レールの幅が広いため安定した走行が確保され、高速運転に有利で、だからこそ、東海道新幹線は在来線の『狭軌』ではなく、『標準軌』が採用されたのです。

また、『標準軌』であるイギリスの『マラード』は下り坂で203km/hですから、いってみれば追い風参考記録ならぬ下り坂参考記録なのであって、

そういうことを考えれば、勾配のない東海道本線木曽川鉄橋上で(ここが日本の技術者のプライドです)、狭軌の世界最高記録である129km/hを叩きだしたC62は、いかに優秀な旅客用高速蒸気機関車かということがわかります。


ちなみに、『デゴイチ』の愛称で知られるD51型蒸気機関車も狭軌鉄道貨物用機関車の傑作機です。


日本が生んだのは、零式戦闘機や戦艦大和や新幹線だけではないのです。

この技術力があっての技術立国日本なのです。


最後に、力動感あふれるC62 2号機の走行風景。






実は、これは最初にバックで発車するときのものです。

というのも、前進でホームに入るときは、惰性で制動をかけているので、加速するときのように、煙がもくもくと出ないんですね。

煙がもくもくと出るのは、加速するときとか、急こう配の坂を登るときなのです。

梅小路蒸気機関車館でもらったリーフレットの『蒸気機関車(SL)の秘密Ⅱ』より引用させていただきます。






正確にいえば、この白い煙は煙じゃなくて、水蒸気なのですね。


ということで、次に続きますね。次回はC62 2号機のつばめのマークのお話です。


栄光の蒸気機関車C62型2号機に会いに行ったよ(その1)。 【ファイルR4】2014.11.07 

【ファイルR4】2014.11.07 栄光の蒸気機関車C62型2号機に会いに行ったよ(その1)。

京都の梅小路蒸気機関車館(うめこうじじょうききかんしゃかん)に動態保存されているねえ。

 実は、今回私が京都に出かけたのは、『鳥獣戯画人物画展』を見に行くためではなかったのです。

 『鳥獣戯画人物画展』の記事はこちら。↓
  http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/55268686.html

 この人に会いに行くためだったのでした。『鳥獣戯画人物画展』が京都国立博物館で開催されていることを知ったのは、京都行を決めた後です。

日本一人気のある蒸気機関車、C62型2号機さんです。






C62型2号機さんの現在のお住まいは、京都の梅小路蒸気機関車館(うめこうじじょうききかんしゃかん)です。

ここは、京都の旧梅小路機関区(うめこうじじょうききかんく)の扇形庫(せんけいこ)及び転車台(てんしゃだい=ターンテーブル)を活用した『蒸気機関車展示館』と、旧二条駅舎を移築・復元した「資料展示館」からなる鉄道博物館です。


梅小路蒸気機関車館の扇形庫及び転車台(ターンテーブル)






 (↑今回の京都で、唯一魚眼レンズを使った写真です。このためだけに持って行ったのです)

 梅小路蒸気機関車館のHPをちょくちょく覗いていたのですが、最近動態保存されているはずのC62型2号機さんの試乗=『スチーム号』の運航がありませんでした。

 丁度いい具合にその機会があったので、京都まで出かけたのでした。

梅小路蒸気機関車館のサイト『蒸気機関車に乗ろう!』のページはこちら。↓

http://www.mtm.or.jp/uslm/ride/

↑ 【※ 注意!(追記)】梅小路蒸気機関車館は京都鉄道博物館にリニューアルオープンしたため、スチーム号のページはこちらに移動しています。↓

http://www.kyotorailwaymuseum.jp/enjoying/experiencing/#sl

梅小路蒸気機関車館には蒸気機関車が保存されていて、その一部は動態保存といって、ちゃんと動く状態で保守点検整備がなされています。


つまり、蒸気機関車の修理、保守点検、整備、運転、設備の保守管理等々、今の時代には一見不要と思えるような、技術・ノウハウの継承が行われているのです。


今回の梅小路蒸気機関車館の見学で、私は今は廃れた蒸気機関車の動態保存が、ただの懐古趣味としてではなく、こういったメカニックの基礎技術・ノウハウの継承のためにとても重要だということを思い知りました。


時計にしても現在における腕時計のムーブメントはクォーツ時計、電波時計、動力源はソーラーだ電池だということになっていますが、セイコー社は、その細密加工技術の基本を継承するために、実用的なメカニカルムーブメント機械式時計であるグランドセイコー・ブランドでもって、いまだに職人の手によって、パーツは一つひとつ丁寧に磨き上げられ、1/1000mm単位の調整を擁するゼンマイ時計を作り続けているのです。

http://www.seiko-watch.co.jp/gs/movement/mechanical.php

この、C62形2号機は、この除煙板【じょえんばん:デフレクター(smoke deflectors)=走行時に車両前方からの空気の流れを上向きに導くことで、煙突から排出される煤煙を上へ流し、運転室からの前方視界を改善するための板】に『つばめ』のマークがついているので、『スワローエンゼル』という、なんとなくこそばゆい愛称で呼ばれることがあります。






ちなみに松本零士さん作のSF漫画、およびそれを原作としたテレビアニメ番組、アニメ映画である『『銀河鉄道999(ぎんがてつどうスリーナイン、Galaxy Express 999)』はC62 型蒸気機関車の外形を模し、外宇宙の遺跡から発見された技術などを導入して作られた超近代化宇宙列車という設定になっています。

『松本零士画業60周年記念 銀河鉄道999 テレビシリーズ Blu-ray BOX-7』の画像 【Amazonより。(C)松本零士・東映アニメーション】






原作及び劇場版に登場する999号のC62のナンバーは『C6248』でC62型の48機のナンバープレートが付いています。

ところが、テレビ版のそれは『C6250』となっているようです。

C62蒸気機関車は49号機までの49機が製造されており、『C6250』は実在しません。それで、TV放映時に、未来のC62という意味を込めて、最終機『C62-49』の次のナンバー『C6250』のナンバリングが採用されたということです。


それで、梅小路蒸気機関車館における『C62形2号機』に関するHPの紹介記事を引用しましょう。

 ※    ※    ※

C62形2号機ってどんな機関車?

C62形蒸気機関車は、1948~1949(昭和23~24)年にかけて49両が製造された、超大型の旅客用機関車です。

日本最大・最速の蒸気機関車として、東海道本線や山陽本線などで活躍し、特急「つばめ」をけん引したことでも有名です。C62形2号機は、1948(昭和23)年6月19日に山陽本線の糸崎機関区(広島県)に配置され、1950(昭和25)年に特急をけん引するため宮原機関区(大阪府)に転属となりました。


除煙板(デフレクタ)の「つばめ」のシンボルマークは、この時に取り付けられたものです。また、1953(昭和28)年にはけん引の定数を増やすため、重油タンクが取り付けられ(現在は撤去されています)、重油併燃改造が施されました。


その後、東海道本線の全線電化にともなって、1957(昭和32)年に小樽築港機関区(北海道)に転属となり、函館本線の急行列車けん引などで1971(昭和46)年まで活躍しました。そして、1972(昭和47)年の当館開館に合わせて、動態保存機としての保存展示が開始され、現在に至っています。

 ※    ※    ※(以上引用終わり)

つまり、昔東海道本線のエース特急『つばめ』を牽引していたのがC62型蒸気機関車なのです。


『つばめ』のヘッドマークを付けて東海道本線を疾走するC62型2号機。






 なお、この写真は
 yakahashisan.setagawaC62%202さんから画像をお借りし、トリミング及びコントラスト補正を行ったものです。

 スハ44系客車をけん引しています。

『つばめ』のヘッドマーク。






 このマークは、国鉄車両設計事務所がデザインしたものです。

もともと、『つばめ号』の名称が使われだしたのは、戦前の昭和5(1930)年10月から東京駅 - 神戸駅間で運転を開始した漢字表記の『燕(つばめ)号』が最初です。

昭和4(1929)年から運転を開始していた特急『富士』が東京駅 - 大阪駅間に9時間かかっていたのに比べて、『燕号』は、それより長距離の東京駅 - 神戸駅間を8時間20分と東京駅 - 大阪駅間では2時間30分近くも所要時間を短縮したため、『超特急』と称されていました。

『燕』という列車名は、先行して運転されていた『富士』『櫻』と同様昭和4(1929)年に行われた特急列車の愛称一般公募結果をもとに命名されたものです。

敗戦後、昭和24(1949)年9月から東京駅 - 大阪駅間で特急『へいわ』の運転が始まり、それが愛称公募により翌昭和25(1950)年1月に『つばめ』に改称しました。


『つばめ』の愛称は,戦時中の昭和18(1943)年10月に廃止されて以来,6年ぶりの再登場です。

昭和25(1950)年4月10日、リクライニングシートを装備した特別2等車が登場、同年5月11日には、『つばめ』の姉妹列車として特急『はと』が誕生します。

同年6月1日からは,女性乗務員が乗務するようになり、それぞれ『つばめガール』、『はとガール』と呼ばれました。

当初『つばめ』と『はと』は東京駅 - 大阪駅間において戦前の約8時間より遅く、9時間を要していたのですが、同年10月のダイヤ改正では8時間に短縮しました。

昭和31(1956)年11月に東海道本線が全線電化されると7時間30分にまで短縮します。


『つばめ』と『はと』は、ともに一等展望車が連結(マイテ39形、マイテ49形、マイテ58形)され、当時の日本を代表する列車となりました。

特急『はと』の一等展望車から手を振る『はとガール』のお嬢さんの写真。(47NEWS⁻共同通信より)






 写真に写っている『はと』のヘッドマークは、特急『つばめ』のヘッドマーク同様、国鉄車両設計事務所がデザインしたものです。

つばめガール嬢(テレビドラマ『鉄道100年 大いなる旅路』の動画より)

https://www.youtube.com/watch?v=AouYHJkKQ3A





テレビドラマ『鉄道100年 大いなる旅路』は、昭和47(1972)年に日本鉄道開業百周年を記念して、昭和47(1972)年4月2日から同年10月15日まで、日本テレビ系列で放送されました。

これは、鉄道建設から鉄道百周年の昭和47(1972)年にいたるまで、鉄道に携わる人々の哀歓を描いた作品だということです。


梅小路蒸気機関車館も昭和47(1972)年10月10日に日本国有鉄道(国鉄)により日本の鉄道開業100周年を記念し開設されたので、この年はいろんな鉄道の行事があったのですね。


『10月14日』は、『鉄道の日』とされていて、今でも毎年各鉄道会社ではそれにちなんだ行事が開催されていますが、この日は昭和明治5年9月12日(新暦1872年10月14日)に、新橋駅-横浜駅間で日本初の鉄道(現在の東海道本線の一部)が営業運転を開始したこと

並びに、1921年(大正10年)10月14日に鉄道開業50周年を記念して東京駅の丸の内北口に鉄道博物館(初代)が開館したこと、を記念したもので翌1922年から鉄道記念日として鉄道省により制定されました。

昭和47(1972)年10月14日は、ちょうど鉄道開業100周年だったのです。


『鉄道100年 大いなる旅路』の動画では、こういうナレーションが入ります。

 ※    ※    ※

 彼女たち(つばめガール)の勤務としては、制服のマーク、常務列車の違いの他には『はとガール』と何ら変わるところがなかった。

しかし、その出身地となると、『はとガール』は関東地方、『つばめガール』は関西地方という決定的な違いがあった。それは『はとガール』は東京車掌区が採用したのに対し、『つばめガール』は大阪車掌区が採用したからである。

 ※    ※    ※(以上引用終わり)
 
 大原麗子さんや中山麻理さん、小林昭二さんが出演なさっています。 

 それで、動画のドラマでは旅行雑誌の企画で、覆面記者が『つばめ』と『はと』に乗り込んで審査員になり、お互いのサービスの良さの競争をすることになっています。

この当時は、『はとガール』の『線路の友情』という話が教科書に載っていたんだって。

『線路の友情』のお話はこうです。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311832503

※    ※    ※

 1951年頃、大阪12:30発上り客車特急「はと」が東海道線山崎駅付近(大阪府と京都府の府境付近)を走行中、食堂車会計係の女性乗務員がふと車外を見ると白衣の青年が線路脇から列車に向かって手を振っていた。

 次の乗務時も、またその次も青年は同じ場所で手を振っていた。

 やがて乗務員はその場所の通過を心待ちにするようになり、窓から身を乗り出して青年に手を振り返していた。

 青年の他にも同じ白衣の男女が加わるようになり、またその場所が結核療養所「青葉荘」だとわかると、列車の他の乗務員も手を振るようになった。

 病気療養中の患者にとって、毎日通過する特急列車は「早く元気になってあの列車で旅に出たい」という夢や希望の象徴であったらしい。

 このことを知った天皇陛下が、1953年秋の行幸の際にお召し列車から青葉荘をご覧になって歌を詠まれた。

 「山崎に病養ふ人みれば におえる花も美しからず」

 この歌は後に療養所に届けられている。

 またこの話は1955年、小学5年の国語教科書に「線路の友情」として取り上げられ、全国的に有名となった。

※    ※    ※(以上引用終わり)

 山崎といえば、明智光秀と『本能寺の変』を聞きつけ、中国の大返しで戻ってきた豊臣秀吉が戦った山崎の戦い(やまざきのたたかい)で、天下分け目の天王山のあるところですね。

 また、利休も愛でたという山崎の名水で仕込んだ『シングルモルトウイスキー山崎』で有名なサントリーの山崎蒸溜所でも有名です。

 関西弁の『つばめガール』と標準語の『はとガール』が、ライバル心をむき出しにして対抗しています。ドラマとはいえ、かなり無理な設定です。

 『つばめガール』の一団が『はとガールの一団』に京都弁か船場言葉(せんばことば)まがいのおかしな関西弁で慇懃無礼な果たし状のような心が底冷えするご挨拶。

 「ハトの皆さん、お帰りやす。今日はまた妙な具合でお付き合いすることになりましたけど、お手柔らかにおたの申します(お頼みいたします)。お休みやす(お休みなさい)。ほな(それでは)、うちら(私たち)ちょっとお茶飲んできますわ。ほな・・・・」

 グーグル検索をしたらば、実際に『つばめガール』として乗務されていた方のサイトがヒットしたので、参考までにリンクを貼らせていただきます。
 http://www.rikuryo.or.jp/home/people2001/ono4.html

普通、機関車が客車をけん引し、終着駅で折り返し方向転換する場合、先頭で客車を牽引する機関車を、ターンテーブルで反転させ、客車の編成の前から後ろに連結しなおすだけで済むのですが、この一等展望車を最後尾につけたため、その運用に際しては、上下列車ともわざわざ東京と大阪の双方で、三角線回しと呼ばれた特殊な大回り回送を行って、全編成を方向転換させるという手間をかけました。


『特急「つばめ」小史』という素晴らしいサイトを見つけたので、随所で参考にさせていただいています。本当に良く調べてあるので、感動しました。↓

http://www6.plala.or.jp/orchidplace/Tsubame.html

 これによると、東京地区では,下の図に示すように、東京駅から後進で品川→大崎,大崎から前進で貨物線経由で蛇窪信号所(現在,湘南新宿ラインで使用中)に入線,後進で品川客車区に入線して編成の前後を反転させたということです。





 大阪地区では、大阪駅から前進で尼崎→塚口、塚口から後進で宮原客車区、宮原客車区から前進で大阪駅に入線して編成の前後を反転させました。

 今の新幹線は、終着駅で先頭車両だった車両の前照灯(ヘッドランプ)を消して、赤い尾灯(びとう=テールランプ)を点けて、最後尾だった車両はその逆をして、世界的に神業だと絶賛されている清掃をして、座席の向きを変えるだけで上下列車が逆になりますよね。

主な牽引機関車はC62形、C59形蒸気機関車、電化区間ではEF58形電気機関車が使用されました。

 大垣駅 - 関ヶ原駅間には、1944年10月に新垂井駅(しんたるいえき)経由で緩勾配の下り迂回線が完成していて、戦後の下り『つばめ』『はと』はこちらを経由することで、補機を連結することなく運行されたということです。

 次回に続きます。次回で『SLスチーム号』に乗り込んだ時の記事をご紹介しますね。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/55445555.html

小樽市総合博物館(本館)のキハ82 1はカッコいいねえ。 【ファイルR3】2009.09.08 

【ファイルR3】2009.09.08 小樽市総合博物館(本館)のキハ82 1はカッコいいねえ。

日本の特急網を発展させた功労者だよ。

 キハ82系は、キハ81系の次に開発された80系気動車(ディーゼルカー)の貫通型先頭車です。

  




 パノラミックウインドウ(曲面ガラス)付き運転室です。

  




 クリーム色の車体に赤い帯がカッコいいねえ。

 1957年、西ドイツ・オランダ・スイス・フランス・イタリアによって、TEE(汎欧州特急)と名づけられた国際ディーゼル特急が開発されました。
 当時これらの国の幹線も、まだ非電化区間があったので、ディーゼルが採用されたのです。

 この特急の成功に刺激された日本でも、ディーゼル特急の導入が検討されました。

 東海道線では昭和33(1958)年に151系電車のビジネス特急『こだま』が投入され、高速化が促進されていたのに、地方、特に東京以北は電化も遅れ、上野~青森間の特急『はつかり』は、蒸気機関車が牽引していて、地域格差が問題になっていたのです。

 折りしも、昭和35(1960)年秋にアジア鉄道首脳者会議(ARC)が東京で開催されることになり、その機会にディーゼルカーを開発して、アジアの鉄道関係者にお披露目をして、日本の技術力をPRし鉄道車両の輸出促進に役立てようということになりました。

 TEEでは、ディーゼル機関車が客車を牽引する方式が主役だったのに対し、日本では、内燃気動車のお家芸だった床下動力装置のディーゼルカーが導入されました。

 その結果登場したのが日本初の特急形気動車キハ81系のディーゼルカーです。9両編成2本と予備8両の合計26両が製造されました。

 アジア鉄道首脳者会議での評判も良く、同年12月10日から上野 - 青森間特急、『はつかり』に投入されました。

 ところが、日本初の気動車による長大編成での長距離高速運転ということもあってアクシデントが続出しました。あまりのトラブル続きのため利用者からは不興を買い、マスコミからは散々に叩かれました。

 そこで、キハ81系の改良型として1961年(昭和36年)から製造されたのが、このキハ82系です。

 これにより、1961年10月の全国白紙ダイヤ大改正で、それまで日本全国に9往復しかなかった国鉄特急列車が、一気に26往復まで増発されました。

 当時キハ82系が運用されていた特急は、『おおぞら』『白鳥』『つばさ』『ひばり』『まつかぜ』『かもめ』『みどり』『へいわ』です。中でも『白鳥』の青森編成は、全区間で1,000kmを超え、国鉄の昼行特急としては日本の最長距離列車となりました。

 それ以降、キハ82系は日本のディーゼル特急の顔として大活躍し、高度成長期の大量増備によって日本全国に特急網が構築されたのです。

 最高時速は100km/hです。

 記念すべきキハ82の第1号機です。

  




『キハ』の『キ』は『気動車』という意味で『ハ』は『普通車(1960年まで三等、以後1969年まで二等)』を意味します。
ちなみに、『グリーン車(1960年まで二等、以後1969年まで一等)』は『ロ』と表示します。例えば、気動車のグリーン車は『キロ』という具合です。

『JNR』のロゴです。

  




 Japanese National Railways=日本国有鉄道(にっぽんこくゆうてつどう)の略称です。

 『北海』らしく、雪を乗っけています。

  




 ディーゼルカーなので、当然パンタグラフ(集電装置)はありません。

 ということで、今回はキハ82形ディーゼルカーでした。

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