2007/02/27
梅観にいったよ 【ファイルC9】2007.02.27
近所といっても、電車にゴットンゴットン揺られていく近所だけどね☆
2007/02/27
2007/02/23
【ファイルC8】 2007.02.23『生について』
上は『生きていくピコリン』の絵だよ!
この前、風邪をひいて、自分が寝てる間に免疫系が戦ってるのに、意識だけが偉いと思っているのは、傲慢ではないかというような趣旨のことを書きました。
先日、お友達のうたかげさんから、バトンをいただきました。
http://blogs.yahoo.co.jp/ephemeral06/45128464.html
でも、それぞれのテーマが重いので、とりあえず、『生について』なら、この前の記事の続きを書いて、お茶を濁せるのかな?って思ったこともあり、それで、この前の続きで、少し書かせてください。
命というのは、当たり前のことですけど、人間だけが持っているのではありません。
ウイルスを生物と呼ぶかどうかという判断はここで下さないにしても、大腸菌なんかのバクテリアになると、もうこれは生物ですよね。彼等も生きています。
単細胞生物は分裂して増えるだけなので、全滅しない限りどれかは生きているわけですから、ある意味で不死といえます。
癌ウィルスなんかも不死なのかな?アメリカで1951年に31歳のヘレン・ヒーラという女性が子宮癌で亡くなりましたが、その癌細胞はそのまま培養されて研究用に今も生き続けています。
一方、人間のような複雑な構造をもった生物は、個体の死があります。
何故個体の死があるかというと、進化するためで、進化するには雌雄の別があって、遺伝子をシャッフルしないといけないので、シヤッフルし終えた個体は不要なので、死んでいくわけですね。人間や多くの哺乳動物はその後、育児という役目があるので、その後も寿命がありますけど。
いわば、我々は、ある意味で男女の性と進化の代償に、個体の死というものを甘受しているわけです。それで極端な話、生物というのは、所詮遺伝子のための乗り物に過ぎないという学者もいるわけです。
そうだとして、生きることに意味があるかということになるわけですよね。
ここで、意味とか無意味とかいうことを言い出すのは、言葉・文字といった象徴的なコミュニケーション手段を手に入れた人間だけなのであって、それで、バクテリアまで含めた生物のもつ広範な生命の意味を問うこと自体が矛盾を孕んでいるわけです。
そういうと話がそこでストップするので、それを不問に付すという留保をつけた上で、敢えて生命とは?っていうことを考えてみます。
バクテリアまで行かなくても、植物なんかも生きているわけです。植物には神経も脳もありません。
動物に脳があるのは、捕食したり、敵から逃れることによって、生命を維持するという戦略をとり、そのためのセンサーが末端に集まってできたアナラーザー(分析)やカリュキュレーター(演算)やコントローラー(統御)等の役目をするのが脳なわけです。
それで、一切の出力は筋肉を介して行うわけです。
昔、『ジョニーは戦場に行った』という映画があって、主人公は戦争で両手足、眼・鼻・口・耳を失って、チューブだらけになって生きているわけですけど、子供の頃ボーイスカウトで覚えたモールス信号を思い出して、しきりに首を揺すって、意思の伝達をしようとします。これで、首の筋肉も動かなければ、他人からみれば植物人間と区別がまったくつかないわけです。脳波を取れば多少は分かるでしょうけど。
それから、脳死問題云々という話がありますが、心臓停止の後も脳細胞が全滅するまで時間がかかりますし、体の全細胞が全部死に絶える前に大抵は火葬にふすわけです。
細胞の全滅という定義で死というものを考えると、ヒーラさんはまだ生きているわけです。
そこまで極端なことは、普通は考えないので、心停止により医師が死亡を宣告してから、一定の時間が経てば、埋火葬許可がおりるわけです。
逆に、私たちの体を構成する細胞は常に入れ替わっていて、子供の頃の自分と今の自分は細胞が入れ替わっているのに、脳、特に意識は同じ自分だと思っています。
考えてみれば不思議なことです。
免疫系なんか、私たちが意識しなくても、勝手に外から異物が入ると自己と他者を判別して、他者を攻撃します。
ですから、臓器移植なんかは、薬で拒絶反応を徹底的に抑えるわけです。
子供がおなかの中にいるお母さんにとってすら、胎児というのは異物なのであって、免疫系が攻撃しようとするのですが、胎児はその攻撃をかわす仕組みができているので、無事に育っていくわけです。そういった意味で胎児というのは、癌細胞みたいなものです。
普通、そんなことを考えているお母さんはいないわけで、体が勝手にやっているわけですね。第一、そんなこと考えると胎教に良くありませんから。
人間は大脳新皮質、即ち意識をつかさどる器官が他の動物とくらべると、異様なほど肥大しています。それでもって、人間は自分たちが偉いと思っているわけです。
私とすれば、それは大いなる勘違いだと思うのですが。
そして、文明というのは、その勘違いが極限まで進んでいる状態なのだと思うのですね。
宗教なんかは、無意識というものに着目して、瞑想とか、座禅とかやるわけですけど、ある意味で、これは無意識をコントロールしようとしているわけです。
ただ、無意識というのは、意識で知覚できないから無意識なわけですから、非常な困難を伴うわけです。近代でも、フロイトの精神分析以降、無意識という概念が出てきて、芸術でもシュールリアリズムというものが出てきたわけです。これらは、それなりに面白いわけです。
それから、怨霊・物の怪とかブームですけど、これらも、人間の幻想世界とか無意識のありようを探る意味でとても興味深いものがあるわけです。
ただ、やはり、それらを分析して、結局は無意識をコントロールするというのは少し無理があるのではないかという気がしてなりません。
私は思うのですけど、現代は意識によるこうしてこうなったらこうなるっていう因果律による制約っていうか、マニュアル化っていうのが、きつすぎやしないかと思うことが多いのです。
学問というのはある意味で、そういう方法論でなりたっているというのは百も承知なのですが。
そういうと、昔に回帰しろっていうふうになりがちなんですけど、例えば昔の呪術なんかで雨乞いの祈祷なんか、あれはあれで『こうやれば雨が降る』っていう結構単純な因果律なわけです。
最近はやりの心理テストや占いでも、これこれの人はこれこれで、こういう人生を送るっていうパターンが多いのですが、やっぱりあれはマニュアルなわけですね。ある意味で、大学入試のセンター試験より単純で、どうして今の人たちは受験制度を批判しながら、あんなのが面白いのかな?って首を傾げることが多いのです。
今の人の絶望というのは、こうしてこうすればこうなるはずなのに、こうならないっていうのが多いのではないかということを感じてならないのです。
例えば、生きがい論とか、恋愛論とか、世の中に氾濫していて、トーク番組で若手芸人ごとき(失礼!)が人生を語り、ブログで私もこういった文章を書いているわけですけど、なんか、そのへんをどうにかならないか思うことがよくあります。
自分の人生がこうなるって分かってしまったら、つまんないと思うのですけどね。
だって、こうなるって分かってしまったら、その後生きるというのは、分かったことの確認作業になってしまうので、意味がないのではないですか。
例えば仏教みたいに悟りを開けば、後は生きてる必要がないから、輪廻から解き放たれて、彼岸に行くんでしょうけどね。
捕食したり、敵から逃れるために、動物が出てきて、そのために脳が出来て、そこから意識が出てきたとして、生命にとって意識っていうのは、衣食住が足りて、外敵からの安全が確保されれば、さして必要ではないのですね。
人間がものを考えるっていうのは、肥大した脳の新皮質を維持していくために、普段から活動させないと退化するってことのためだけかも知れません。
だとしたら、生物としての人間にとって、ぼーっとしているのが、ベーシックな状態ではないのではないでしょうか。
例えば、瞑想じゃなくて、ただぼーっとしているのはダメなのかとか、夢判断なんかしないで、ただ眠るのが気持ち良いとかいうのはどうなのかと思ってしまうのです。
もちろんそんなことばかりしていたら、食べていけませんけど、人間以外の動物・植物は普段はただぼーっとしているわけです。そこに意味なんか全く無くて、それでも生きているわけです。
『へたな考え休むに似たり』っていいますが、『へたな考え』を一日中考えているのは、人間でも、ごく一部の先進国って呼ばれている国の人達だけでしょう。
生き物すべてのベーシックな状態はぼーっとしているということですから、ひょっとしてこれが『生きる』ってこういうことで、このために生きているような気がしてならないのです。
ここでは、『無為自然』というなんだかご利益のありそうな言葉も不要です。
私は、仕事も一生懸命やりますけど、本を読んだり、文章を書いたり、好きな事をしたりすると、ぼーっとしたり眠ったりするのが気持ち良くなるので、そのために生きているような気がしてなりません。
それを、経済成長とか効率とか、これは1960年代にさんざんやってきて、矛盾が出てきて反省したはずなのですけどね。
わけの分からないビルがにょきにょき建ってるのに、それで不景気だって言われて、貧しかった時代よりこき使われて、更に労働者を守り、国民の健康を維持することが仕事であるはずの厚生労働省が、『ワーキングプア問題』や『過労自殺問題』を放置して、『ホワイトカラー・エクゼンプション』っていう、実質的には『過労死促進法案』を財界に味方して立案するんですから、狂気の沙汰です。
眠る時間を削っても働けっていうわけです。これって、『生の否定』ですよ。
だから、自殺者が増えて当然です。鉄道なんか『人身事故』でしょっちゅう停まっています。
どうせ、財界からしこたま金なり、天下り先なり、政治家から議員のポストなりを斡旋してもらったんでしょうね。こんな税金泥棒は即刻全員クビですよ。
彼らは結局、エコロジーとか福祉とかって、結局エコ産業や福祉産業の利権を生むだけで、そういう利権がらみ金がらみのことには熱心なのですけど、ベーシックな生命の営みなんてどうでもいいのですね。
世の中の役に立つことって、往々にして、時代が変化すると役に立たなくなります。今の人は、役に立つことが好きですね。
生命っていうのは、役に立つために存在しているわけではありません。生命はただ存在しているのです。それ以上の理由が必要なのでしょうか?
私のブログは役に立たないことばかり書いています。
でも、そういうことの方が、余程生命の有りように近いと思うので、今後とも、どうぞお付き合いくださいね。
2007/02/21
2007/02/20
2007/02/17
【ファイルWo1】2007.02.17 『手持ちブタさ』ってなあに?
上は、『手持ち豚さん』のピコリンの図
することが無く、退屈で退屈で、豚さんを手に持って遊んでいます。
何時ものお店で、ランチパスタを食べ終わって優雅にコーヒーを飲んでいたら、前のテーブルに掛けていた3人連れのおばちゃんたちの一人が『手持ちブタさだから!』って言いました。
コーヒーが口の中に無くてよかったよお!
『手持ち無沙汰(てもちぶさた)』なら、
手持ち(てもち)=すること
無沙汰(ぶさた)=ほおっておくこと
だから、何もすることが無く暇を持て余して退屈なことですねえ。
『手持ちブタさ』ってどういう意味かなあ?
『ご無沙汰しています』は『ごブタさしています』っていうのかなあ?
でも、面白いから書いちゃいました。嬉しいなっ☆
外に出ると、こういう発見があるから楽しいなっ☆
『きらきらアフロ』で、笑福亭鶴瓶師匠と、松嶋尚美師匠が、『写真の焼き増し(やきまし)』のことを『焼き回し(やきまわし)』って思い込んでいたんだって。
番組で、鶴瓶師匠なんか『焼いて回すんやから、焼き回しやろ!』って逆切れしていました。
『市中引き回し』みたいだねえ。『市中焼き回し』って刑があったら、恐いねえ。
あと、『チャンピオン』のことを二人とも『チャンピョン』と言うと思っていたんだって。そういえば、『長崎チャンピョン』っていうラーメンがありましたねえ。
あれ?『長崎チャンポン』でしたっけ・・・。
えっ、何ですか?西出さん。
『関西では、プラスチックのことをプラッチック、カリフォルニアのことを、カルホルニアって言うねんで。ごっついやろ!』
2007/02/14
【ファイルS9】2007.02.14 ヴァンデンダーのプラリネショコラ[アトモス部屋のバレンタインデー]
写真
上段、右から左へ
1 パヴェ トゥ ドゥー=アーモンド、ヘーゼルナッツ入りのさくさくした食感
2 マヤ=カカオ分の多いチョコレートを使った香り高いガナッシュ
3 クール フランポワーズ=フランポワーズの香り豊かなガナッシュをホワイトチョコでコーティング
4 ヴィオレット=ヴァイオレット(すみれ)の香りのガナッシュをダークチョコでコーティング
下段、右から左へ
5 ラヴァンド=ラヴェンダーの香りのガナッシュをダークチョコでコーティング
6 フィーユ=アーモンドカラメルとプラリネ入りのさくさくした食感
7 バレオール=ノアール 酸味のあるガナッシュをダークチョコでコーティング
8 ロゼ=ほのかにバラの香りのするガナッシュをミルクチョコでコーティング
今日はバレンタインデーです。
スジャータちゃんやメリーさんから、男性陣にチョコレートがプレゼントされました。
ベルギー「ヴァンデンダー」のプラリネショコラだよ。
エルマン・ヴァンデンダーさんは、ベルギー王室御用達のパティシエです。2003年の皇太子ご成婚ではウエディングケーキを担当したことでも有名です。
チョコ好きのシルベさんは本当にうれしそうです。
よかったねえ。今日は自分でチョコを買いに行かなかったのかな?
「実はねえ。スジャータちゃんが、こっそり、『バレンタインにチョコをあげるから、自分で買いに行かなくっていいよお』って教えてくれたんですよ」
「あったりまえだよお!シルベさんはスジャータの先生だから、女の人に混じって、自分のためのチョコレートを買いに行かなくてすむようにしたんだよ。スジャータちゃんって本当に優しいねえ。えっへん!」
「でも、姉貴は普段から、シルベさんには本当に世話になっていて、迷惑もいっぱいかけているんだから、それぐらいしてもバチはあたらないよ」
「ノレン、あんた生意気よ。チョコレートお返しなさい!」
「やなこったい!」
「まあまあ、二人とも、私のせいで喧嘩しないで下さいよ。スジャータちゃん、メリーさん、本当に美味しいチョコ、ありがとうございます。やはりねえ、チョコは、食べる人を選ぶんですよ。私は真にチョコレートを愛するものなんです。だからチョコの気持ちが分かるんです。チョコさんも、一度チョコとして生を受けた以上、本当に自分のことを美味しいと思って食べてくれる人に食べてもらいたいって言っていますよ。それを、自分の気持ちを伝える手段として、別にチョコのことを好きでもない最低の男に食べられるなんて、こんな屈辱的なことは無い。チョコは、『気持ちを伝えるための機械』ではない。チョコの人格を否定するような真似は絶対に止めて欲しいって言っていますよ。私にはチョコレートさんの気持ちが痛いほど分かるのです」
「あれえ?シルベさんたら、演説を始めちゃったよお!それにしても、こんなに喜んでもらえるなんて、スジャータ、嬉しいよお。贈った甲斐があるよ。ノレンこそ、シルベさんのことを尊敬しているなら、少しはシルベさんの感謝の気持ちを見習いなさい!」
「やだよ。チョコに人格なんか認めたくないよ」
私もチョコのご相伴に預かりました。スジャータちゃん、メリーさんありがとうございます。ごちそうさまでした。メーター博士は甘いものがダメなので、ブランデーをもらって、さっそく酔っ払っています。
それにしても、シルベさんは本当によかったねえ。
2007/02/12
【ファイルS8】2007.02.12 チョコレートの歴史
シルベさんのバレンタイン記念講演から
チョコレートの原料のカカオは、マヤの遺跡調査などから紀元前から、中央アメリカ及びメキシコ南部で栽培されてたことが分かっているそうです。
15世紀まで、カカオは現地で貨幣として流通したほど重要な役割をになっていました。江戸時代の日本のお米みたいですね。カカオは粉にしてトウモロコシの粉や唐辛子などを入れ、水や湯に溶かして飲まれていました。
最初にチョコレート(カカオの実)を見たヨーロッパ人は、1502年最後の航海のときのコロンブスだそうです。ただ、彼が実際に飲んだという記録はありません。
当時、現地の人たちはココアのことをカカワトルと呼んでいました。
その後、彼らは同じものをショコラテと呼ぶようになり、これがチョコレートの語源とされていますが、何故カカワトルがショコラテになったのかという経緯は、定かではないようです。
16世紀、アステカ帝国を滅亡させたコルテスがチョコレートをスペインに持ち帰り、チョコレートはヨーロッパではスペインのみで普及しました。スペイン王朝がチョコレートを門外不出にしたからです。
しかし、フランスのルイ13世がスペインのアンヌ・ド・オートリッシュ王女(スペイン読みはアンナ)と結婚したとき、チョコレート(ショコラ)を好むアンナが嫁入りのときに持参したので、フランスにチョコレートがもたらされることになったのです。
次のルイ14世も1661年、チョコレート好きのスペイン王女マリア・テレサと結婚しました。マリアはまた、チョコレート道具一式と、チョコレート専門のコック(後にいうショコラティエ)を連れて嫁入りしました。
それで、当時のフランス上流階級にもチョコレートを飲むことが流行り、それがヨーロッパ中に広がったのです。
因みに、現在。スイスのアシュバッハチョコレートには、アステカ皇帝の名に因んだクリオロロという名前のチョコレートがあります。
苦い飲料だったチョコレートに砂糖を加える製法は、16世紀にメキシコに渡った宣教師によって考案されました。
イギリスでは1657年に、チョコレートショップと呼ばれるチョコレートを飲ませる店が開店しました。
ただ、当時飲まれていたチョコレートは、あまり美味しくなかったようです。
この問題を解決したのが、オランダのヴァン・ホーテン(『ヴァン・ホーテンココア』の創業者)です。1828年、ヴァン・ホーテンはチョコレートを粉末にする特許を取得したのです。
それまでのチョコレートは濃密で、水なしでは飲めないものだったのですが、これにより口当たりがよくなりずいぶんチョコレートの普及が進みました。
この製法は、ただ単に飲むチョコレートを美味しくしただけではありません。これはチョコレート史上画期的な事件ででもあったのです。彼はカカオペーストをプレスすることによって、油脂分を絞り出すのに成功ました。搾りかすの油脂のカカオバター(豆腐のオカラにあたる部分かな?)で、固形チョコレートを製造できることが分かったからです。
1847年、イギリスのフライ社が食べるチョコレートを発売。これが最初の固形チョコレートとされています。しかしこれはまだ苦くて、一般の人たちに親しまれる程には、技術がこなれていませんでした。
1876年、スイスのロウソク職人ダニエル・ピーターがミルクチョコレートを発明しました。
この後、ざらざらした食感をなめらかにする工夫がされ、現在の固形チョコレートの原型が作られていきました。
日本のチョコレートに関する記述は、18世紀の長崎の遊女がオランダ人から貰った物を記した記録に「しよくらあと」として登場するのを嚆矢とします。
日本のチョコレート製造は、1878年に「米津月堂」が製造したのが最初だそうです。
ただしこれは、輸入した原料チョコレートを加工したもので、カカオ豆からの一貫生産は、1918年、森永製菓によって開始されるまで待たなければなりません。
今、フランスのチョコレートが人気ですけれど、これはスペインとの政略結婚によってチョコレートがもたらされたという理由からだけではありません。
フランスはコートジボワール(現コートジボワール共和国=Republic of Cote d'Ivoire。フランス語cote=英語でcoast《海岸》、d'Ivoire=ivory《象牙》。とどのつまりは『象牙海岸』)を1960年まで植民地支配していたのです。コートジボワールでフランスは、中南米産のカカオを移植して現地の人たちに栽培・収穫させたのです。
現在もカカオ豆の生産高は、コートジボワールが世界第1位です。
一方、ロシア貴族はフランス文明にどっぷり染まり、フランス語で会話をしたり、小説を書いていたわけですから、後に白系ロシア人のモロゾフ、ゴンチャロフがチョコレートを神戸で作ることができたのです。
それから、チョコレートといえば、ベルギーチョコレートも有名ですね。ゴティバとかピエール・マルコリーニとか。
これも、ベルギーが現在のコンゴ民主共和国を支配し、カカオを栽培したことが最大の要因です。
この地は、もともと13~17世紀にかけてコンゴ王国が栄えたほか、南部にはクバ王国があったのですが、1885年にベルギーの国王、レオポルト2世に征服され、レオポルト2世の『私有地』の『コンゴ自由国』(Congo Free State)となり、1908年にはベルギー政府に所有権が移され植民地になったのです。
1950年代後半からジョセフ・カサブブのコンゴ人同盟、パトリス・ルムンバのコンゴ国民運動が独立闘争を開始。1960年6月30日にコンゴ共和国(のちコンゴ民主共和国に改称)としてベルギーから独立しました。カサブブは大統領、ルムンバは首相に就任。
1961年、ルムンバ首相殺害で『コンゴ動乱』が始まりました。その後も政情は安定せず、1960年 - 1967年 コンゴ共和国 1967年 - 1971年 コンゴ民主共和国 1971年 - 1997年 ザイール共和国 1997年~コンゴ民主共和国。と変遷を繰り返し、依然として内戦状態は続いています。
国内のダイヤモンドやコバルトなどの豊富な鉱産資源に関する利権も絡み、民族対立とも相まって東部は一種の無法地帯となっており、それに追い討ちをかけるように2003年、北部地方にエボラ出血熱が流行。死亡者は100名以上に及びました。また、同国を生息地とするゴリラへも感染が飛び火し、全個体数の2/3が死亡したと発表されています。
ところで、バレンタインデーにチョコレートを贈る悪しき風習は、19世紀のイギリスのチョコレート会社キャドバリー社によって始められました。ただし、これは別に女性から男性に贈るということに限定されてはいません。
そして、神戸のチョコレート会社モロゾフこそが商売のため憎っくき『バレンタインデーには女性から好きな男性にチョコを贈りましょう』などという下らない習慣を日本に広めたのです。
私は恥ずかしながらウルトラマン第6話『沿岸警備命令』で登場したゲスラのようにチョコレートが大好物です。本当に困ったものです。それでも、例えチョコレートを食べた報いでウルトラマンのスペシウム光線を浴びて悶絶死しても、それはそれで本望なのですから仕方ありません。
モロゾフのお陰でバレンタインデー前後にチョコレートを買うのが恥ずかしくてたまらないではないか!なにが『ご贈答用のラッピングをいたしましょうか?』だ。自分で食うんだよ。自分で。文句あっか!
「シルベさんが壊れたよお!まあくん、取り押さえてよお!スジャータ困ったよお!これでシルベさんのバレンタイン記念講演『チョコレートの歴史』は終了いたします。ご静聴ありがとうございました。うえーん」
2007/02/10
Author:眼とろん星人
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