2008/06/14
【ファイルT37】2008.06.14 去年の夏の京都祇園祭だよ。その28(鈴鹿山、役行者山、黒主山)
後祭りの続きだよ!
祇園祭について最初から読まれる方はこちら。
今回は、
28鈴鹿山(すずかやま:烏丸通三条上ル)
29役行者山(えんのぎょうしゃやま:室町通三条上ル)
30黒主山(くろぬしやま:室町通三条下ル)
です。
28鈴鹿山(すずかやま:烏丸通三条上ル)
鈴鹿明神(瀬織津姫神=せおりつひめのかみ)は鈴鹿峠で通行人に被害を及ぼす鬼を退治した女神様です。高さ174cmの木彫り像で、美しいお顔だそうですが、神面をつけているので拝見できません。
現在使われる神面は享保3年(1718)作の新しいものですが(!?)天和3年(1683)のものも保存されています。金の烏帽子を被り、大太刀を持っています。
雨よけのカバーが邪魔だねえ。
鈴鹿山の趣を表現する真松には、絵馬が吊るされています。表には鈴鹿の関を表す『山に木立ちに鳥居』、裏には宝珠(ほうじゅ)が描かれていて、巡行後盗難除けのお守りとして町内の人に授与されます。
前掛けは平成元年に作られた『黄砂の道』です。
駱駝さんが描かれているのは、鈴鹿山を出す馬ノ町(ばのちょう)が、室町時代、米の集積所としておかれた『三條米場之町』という交易の町として栄えていたことにちなんでいるそうです。
胴縣は、平成13年に新調された今井利充(いまいとしみつ)下絵の『紅葉図』、『桜図』です。
見送りは、昭和57年皆川月華(みながわげっか)作『ハワイの蘭花図』綴織です。
今回は辻回しの写真を掲載します。
30黒主山(くろぬしやま:室町通三条下ル)
謡曲『志賀(しが)』に取材された山とされ、歌人で六歌仙の一人大伴黒主を祀ったとされていますが、実は西行(さいぎょう)ではないかという説も根強い山です。
黒主さんが仰いでいる桜の造花は、ちまきと同様、戸口に挿すと魔除けになるとされ、巡行後に授与されます。
大伴黒主(おおともくろぬし)像は、寛政元年(1789)5月辻叉七郎作の銘があります。ヒノキ材で、高さは160cmです。
1789年といえば、7月14日、 パリ民衆のバスティーユ襲撃によりフランス革命が始まった年です。
現在の装束は寛政2年(1790)新調(!)の金襴小袖に宝尽くし文の大口袴、桜花散らし文の水衣(みずごろも)に白繻珍の帯を締め、白足袋をはいて中啓(ちゅうけい:親骨の上端を外へそらし、畳んでも半ば開いているように造った扇)を懐中しています。
宵山の町屋で展示されていた黒主さん。西行さんなら、もっと地味な格好をしてるような気がするねえ。
前懸は、明の第14代皇帝万暦帝(ばんれきてい)着用と伝えられる『五爪龍文錦(ごつめりゅうもんにしき)』を復元新調して使っています。
胴縣は、3枚掛けの『草花胡蝶文』綴錦で、霰天神山や山伏山の胴縣と同じく曙織(あけぼのおり)と呼ばれる技法で織られています。
見送りは、17世紀清時代の『唐子喜遊(からこきゆう)図』綴錦です。唐子が蹴鞠や凧揚げ、かくれんぼ、独楽遊びに興じている図柄です。この他に、もう一種類明時代の『牡丹鳳凰文』綴錦があり、毎年交代で使っています。
粽(ちまき)の授与って食べられる粽かと思っていたら、ただのお飾りで食べられません。そこで、黒主山は株式会社おたべとタイアップして『黒ごまの生八橋(黒おたべ) 』を売ってます。
次回に続きます
次回はこちら。