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去年の夏の沖縄旅行だよ。その2 旧海軍司令部壕を見学しました。 【ファイルT46】2008.07.30 

【ファイルT46】2008.07.30 去年の夏の沖縄旅行だよ。その2 旧海軍司令部壕を見学しました。

平和教育って事実を隠蔽することなんだね。

 
 沖縄というと、レンタカーみたいですけど、私はペーパードライバーだし、ゆっくりしたいので、主に観光バスで回ります。

 沖縄には『ゆいレール』というモノレールができたので、随分と便利になったそうです。

 



 2輌編成のモノレールです。

 これが出来て那覇市内の足回りは随分良くなったみたい。那覇市では施設や観光名所が点在しているので、市内を蛇行するように走っています。スピードもゆっくりなので、時間はかかります。ゆりかもめみたいな新交通システムのスピードです。
 羽田のモノレールなんか、建物の脇すれすれの所を猛スピードでかすめるので怖いからねえ。

 でも見晴らしがよくって、とっても景色がいいねえ。景色をゆっくり見るのはたのしいねえ。那覇市は都会ですが、緑が映えてとっても綺麗です。

 観光バスに乗るのでバスセンターの最寄り駅まで乗ります。琉球バス、沖縄バス、那覇バスがあるってそれぞれターミナルの場所が違うので、間違えたらたいへんです。
 今日は本島南部の観光です。戦跡のツアーです。


 観光バスで回ります。沖縄はレンタカーで回る人が多いのですが、私はペーパードライバーだし、のんびりしたいしね。

 まず旧海軍司令部壕です。

 




 旧海軍司令部壕は、熾烈を極めた沖縄戦において、日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部のあった所で、司令官大田実少将ほか約4000名の将兵が、この壕で壮烈な最後を遂げました。
 昭和20年(1945)6月13日午前1時頃のことです。

 よく日教組は平和教育と称して、沖縄に生徒を連れてきますが、沖縄戦の実態がわかるとまずいので、ここは避けられるそうです。

 実際に、ひめゆりの塔なんか、修学旅行生でごったがえしてましたが、こちらはがらがらです。


 こうまでして日本軍が世界史上最も残虐非道な軍隊だったっていうことにしたいんだね。

 大田 実海軍少将がここの司令官でした。立派な軍人でした。

 




 大田 実(おおた みのる、1891年(明治24年)4月7日 - 1945年(昭和20年)6月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将(戦死されてから特進)。千葉県長生郡長柄町出身。

 この人が海軍次官に宛てた電文が沖縄戦の実態を伝えていて、有名です。日本の左翼は、これを隠蔽しようとしているので、ここでご紹介しましょう。


現代語訳

沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。

沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛のための召集に進んで応募した。残された老人・子供・女性は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。

しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。

どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女性は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。

看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。

さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。

つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要させられたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。

食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。

沖縄県民はこのように立派に戦い抜いた。

県民に対し、後世、陛下より特別のご配慮をしていただくことを願う。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 本当に、日本軍は、左翼やマスコミが言うように沖縄県民に対して残虐非道な一方的加害者だったのかな?

 これを読めば分かるんだけど、米軍は非戦闘員=民間人の家を焼いたんだよ。

 イラク戦争で、フセインが『ミルク工場に爆弾を落とした』って抗議していたけど、ジュネーブ条例をはじめとした戦時国際法では、非戦闘員は保護されないといけないんだよ。

 テレビ映像が流れていたイラクでも、米軍はあれだけ残虐非道なことをしたんだよ。

 米軍は沖縄で何したんだろうって、普通は思うはずなんだけどね。日本人はおめでたいね。

 それを民家を焼いて、民間人を散々殺しておいて、沖縄をサンフランシスコ平和条約以降も占領し続けて、沖縄の人たちに対して『全部日本軍が悪い』って洗脳しました。

 日本本土の左翼も、ソ連や支那共産党が日本を『解放(共産主義・社会主義国による侵略のことを、左翼はこういう)』しやすいように、日本から米軍や自衛隊を無くしたいから、沖縄の民間人が殺されたのや、広島長崎の原爆投下まで、日本軍の責任にしました。

 そういう情報をどういうわけか、日本のマスコミは報道しません。

 それを、非戦闘員を焼きだしておいて、あとで、ポーズだけの『保護する』ってビラまいて、『日本人は無知だから助けてやるって言うのに、日本軍に強要されて自決した』って宣伝したんだよ。

 それの尻馬に乗って、なんでも日本軍が悪くって、何の証拠も無いのに、『日本軍は沖縄の人に自決を強要した』って教科書に書けって左翼は言うんだよ。

 それでもって、集会をして2万人も集まらなかったのに、11万人集まったって嘘つくんだね。左翼っていうのは、日本を売るためにはどんな卑怯な嘘でも平気でつきます。
 つい最近まで、北朝鮮の拉致は無いって拉致被害者のご家族を嘘つき呼ばわりしていたんだね。

『県民は青年・壮年が全員残らず防衛のための召集に進んで応募した』ってありますね。

『しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる』って書いてあるね。

『どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女性は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある』ってあるよ。

 戦争が終わって何年になるの?いまだに沖縄の女性は米兵の毒牙にかけられてるじゃない!

 それなのに、左翼マスコミは、『日本軍は、女性が米軍の暴行を受けるって嘘ついた』って言います。どこが嘘なの?本当じゃないのさ!

 敗戦後、沖縄では、米兵による犯罪が続発しました。特に沖縄女性はひどい目にあいました。

 そのこともマスコミはろくに報道しません。

 壕の内部

 この壕はツルハシや鍬で掘って作られました。完成は昭和19年8月10日着工、12月。約450mの壕に、司令官室、作戦室、幕僚室、通信室、暗号室、発電室などが配置された地下要塞でした。

 




 意気揚々と沖縄に上陸する米軍。まるでハンターみたいですね。

 



米軍の侵攻図。
嘉手納から南北に島民を追い詰めます。

 




 司令官室の白壁には、『大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり』という大田少将の愛唱歌が当時のまま残されています。

 




 幕僚室。手榴弾で兵士が自決したときの痕が残っています。

 



 
 他のスナップ




 



 
 本当に沖縄の戦没者の責任を全て日本軍に負わせていいのでしょうか?

 それが、戦没者の本意であり、名誉につながることなのでしょうか?

 私には分かりません。

 ただ、世界広しといえども、自国の兵士をここまで侮辱・愚弄して平気なのは日本人だけです。


 最後に、電文の原文は以下のとおりです。(□部分は判読不明の箇所)

発 沖縄根拠地隊司令官

宛 海軍次官

左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ

然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ

而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ

所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ

看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ

更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ

是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン

糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
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去年の夏の沖縄旅行だよ。その1 沖縄に無事着きました 【ファイルT45】2008.07.26

【ファイルT45】2008.07.26 去年の夏の沖縄旅行だよ。その1 沖縄に無事着きました

沖縄は暑いねえ。

 
 ということで、祇園祭の記事が1年かかってしまったので、去年9月の沖縄旅行の記事をやっとUPできます。

 去年UPした炎上飛行機の写真。

 チャイナエアライン(中華航空機)の炎上した飛行機が放置してありました。

 




 沖縄の空は青いねえ。

 




 空には自衛隊ヘリが哨戒しています。自衛隊は急病人の搬送や救難活動で離島群の沖縄諸島で大活躍しています。ご苦労様です。

 




 巨大シーサーさんがお出迎え。
 




 空港ロビーは吹き抜けでおしゃれです。





 お花もとっても鮮やか。

 




 ということで、京都とはまた違った文化をみることができます。日本は広いねえ。

 それでは、次回お楽しみに。

東京都庁は大きいねえ。 【ファイルPho17】2008.07.23 

【ファイルPho17】2008.07.23 東京都庁は大きいねえ。


バブルの塔って呼ばれていたねえ。


 東京の高層ビルといえば、石原慎太郎東京都知事が執務している東京都庁です。

 丹下健三さんの設計です。建った当時は日本一高いビルでした(東京都庁第一本庁舎 243.4m 48階)。横浜ランドマークタワーに高さでは抜かれ、大阪の高いビルにも抜かれましたが、複合ビルなので、威圧感はこちらのほうが圧倒的です。

 丹下健三さんの弟子の黒川紀章さんはこの庁舎設計に批判的で、都知事に立候補した時、マニフェストで都庁舎を売却するって公約していました。
 
 都庁は新宿駅から離れているので、動く歩道で行きます。作るときに、このへんに住んでいたホームレスの人たちとひと悶着ありました。





 これが都議会議事堂です。とても立派です。





 近くの広場で、ぶんかちゃっかぶんかちゃっか♪吹奏楽のコンサートをやっていました。楽しいねえ。都民に愛される都庁だねえ。





 さて、これが都庁の建物です。石原知事は執務中かな?あんまり居ないみたいだけど。





 玄関前広場には彫刻が立っています。





 正面ロビーの階段のデザインです。





 立方体のオブジェもあるよ。





 45階の展望室までエレベーターに乗って上がります。どうやら最上階ではないみたい。でも、只で入れるから良かったねえ。観光客もたくさんいます。お土産も売っててよかったねえ。

 新宿副都心高層ビル群です。『太陽に吠えろ』の頃より増えてるんですけど、都庁展望室からは、ビル同士が重なって、少し寂しいねえ。





 東京タワー(332.6m)も見えるよ。

 東京タワーといえば、墨田区押上にある東武鉄道の貨物操車場跡地に新東京タワー『東京スカイツリー』を建設することとなったそうです。2008年(平成20年)7月14日に着工し、地上デジタル放送への全面移行後の2011年末の完成・2012年春の開業を予定しています。
高さは約610mで電波塔としては世界一の高さを誇るカナダの「CN Tower」の553mを上回ることになります。途中450m地点に特別展望ロビー、350m地点に展望ロビーを設置するそうです。事業費は約500億円。





 後楽園の東京ドームです。カブトムシの幼虫みたいだねえ。





 日本の政治の中心、赤坂・永田町方面です。国会議事堂はビルに囲まれて小さく見えます。





 手前の段々のビルが同じく丹下健三氏設計の新宿パークビル(235m 52階)で、向こうの高層ビル2棟が新宿オペラシティ(234.37m 54階)です。





六本木ヒルズの向こうにレインボーブリッジと同じく丹下健三氏設計のお台場フジテレビ本社ビルが見えます。





 それにしてもねえ。福祉なんて、経常予算のはずで、収入の範囲でやれば、いいわけです。赤字の債務は縛りがかかっているからです。

 今の累積債務は、たいてい、政治がらみの民間がらみです。

 税金をよってたかって、食いもんにした連中がいるわけです。

 それなのに、経常業務を削ってなにやってるんでしょう。

 第一ねえ、このビル選定のコンペ自体が鈴木知事と懇意の丹下健三さんがとったできレースだって、話もあるぐらいで・・・。

 『都市再生機構銀行』なんて、民間が都の税金にたかろうっていうのがミエミエだったのに、石原都知事は何を血迷ったか、だまされました。

 バブルの焦げ付きの不良債権は公的資金の投入って税金使ったけど、不良債権作ったのは民間の指導者の銀行でしょ?役人の天下りが問題になってるけど、銀行だって、融資先に役員を送り込んでるじゃない。大企業は子会社に人を押し付けてるじゃない。実質的に銀行だって企業だって天下ってるじゃない。

 大企業も役所も体質は一緒です。つけは労働者や子会社下請けに押し付けます。

 役人は決まったことしかしないし、それに関しては結構優秀なわけです。

 なんでもかんでも民間が効率的だという御伽噺はだれがでっちあげたのでしょう?
 第三セクターって問題になってるでしょ?
 石原さんは、どうしてそんな簡単なことに気がつかなかったんでしょう?
民間が公に介入するのが、一番入れ食いの美味しい話で非効率なのにね。

 夕張だって、変なレジャー開発したのは松下興産じゃなかったっけ?

 都庁に昇って、そんなことを考えました。
 
 公の効率の悪さは民主主義の手続きゆえです。民間のほうが効率的だというのは、選挙や議会や公聴会等の民主的手続きが省略できて、自分たちさえ儲ければ良いという利己心がモチベーションになるからです。

 そのへんを考慮せずに、一概に民間はなんでも優れているというのは全くの誤りです。

 行政の民間活力利用というのは、結局税金を、民間に丸投げすると言うことで、こんなおいしいことはありません。おいしいとこ取りして、カスは行政に突っ返せばいいのです。

 それを民間に大損させられたって、石原都知事は怒っていますが、そんなこと最初からわかりきったことです。なぜそんな簡単なことが分からなかったのでしょう?

 郵政民営化って、結局は郵便貯金を民間というよりアメリカに使わせろっていうことでしょ?それを小泉売国内閣は、日本の制度を徹底的に破壊してアメリカに売り飛ばしました。のこったのは年間3万人の自殺者とワーキングプアです。それを、高いビルばかりこんなに建って、日本人はおかしいんじゃないの?











西出さんの 幻想 【ファイルN2】2008.07.21 



【ファイルN2】2008.07.21 西出さんの 幻想


セミ

                  作  西出 満寿夫


 ある朝、私はセミの声で目がさめた。

 やけに大きい声だ。それもそのはず。セミは私の頭の中にいる。

 内耳の更に内側から、爆竹のような声で鼓膜をゆすっているのだ。

 セミは頭の中の木の枝にとまって、じゃばらの腹を震わせながら、声を限りに鳴き喚いている。

 今朝がた羽化したばかりなのだろう。白みがかったセミの下の枝には褐色の抜け殻が人間の胎児の形でしがみついている。

 私の脳から漿液を吸い取って成長したに違いない。道理で最近とみに記憶力が悪くなってきたはずだ。

 多分、私の一番貴重な時代の記憶を吸い取って、生き延びてきたに違いない。

 私の記憶の残骸が、セミの抜け殻なのだろう。

 私の小さな分身が私の頭の中の森深く分け入っていく。
 私は兼ねてからポケットに忍ばせていた折畳式の補注網を広げ、背後から忍び寄りセミを捕獲した。

 網の中に手を差し入れて掴むと、セミは破裂した水道管のようにけたたましい悲鳴を噴出させ、あたりに撒き散らした。

 私はその騒音に鼓膜を叩かれ、一瞬気が遠くなった。
 

 そして堪らず掌中のセミを握りつぶした。

 セミは一瞬の断末魔を爆発させて粉々に砕け散り、その跡にぽっかり開いた穴のような森林の静寂があたりを包み込んだ。

 破片の中から、黒い毛糸球が出てきた。

 私は毛糸の端をピンセットでつまむとゆっくりと慎重に引っ張った。

 ある程度ほどけると、糸は自然にほぐれていく。

 弾みをつけて地面に転がすと毛玉は少しずつ小さくなりながら、まるで親犬の元に駆けていく子犬のように森の小道をどんどん転がっていった。私は慌ててその後をついていく。

 突然森が途切れ、視界が広がった。

 そこには深い緑をたたえた湖があって、見ると、すっかり伸びきった糸の端が湖に浸かっていた。

 風にそよぐ見たことも無いような奇怪な枝ぶりの広葉樹の葉が私を差し招くように揺らめいていた。

 糸は水面に髪の毛のような薄い皺をかたどりながら、湖の中に曳き込まれていく。

 黒い糸は、湖の緑に染まり、空から降り注ぐ陽光を吸い込んで光りだした。

 一筋の光の糸は、深い森の大気を鋭利な刃物のように切り取った。

 私は立ちくらみがして、思わずしゃがみ込んだ。

 気を取り直して立ち上がろうとすると、帽子のようなものが、ばさりと音を立てて頭から落ちた。

 なんだか頭が軽くなって、とっても涼しくなった。

 帽子は良く見ると、眉毛の上からすっぱり切り取られた私の頭部だった。

 断面がてらてらと鮮やかな赤で光っていた。

 中には所々黒い種が入っていた。

 私の頭はスイカだった。

 私は喉が渇いていたので、それを貪り食った。

 豊かな果汁が私の喉から胸元に筋を引いて滴り落ちた。
 
 とても美味しいスイカだった。

 喉の渇きが癒え、私は何故かとても愉快な気持ちがして、スイカの皮の帽子を被り直し、大きな声で笑い出した。

上野動物園のゴリラさんは大きいね  【ファイルC49】2008.07.18 

【ファイルC49】2008.07.18 上野動物園のゴリラさんは大きいね

ナックルウォーキングで、のっしのっしと歩きます。


 上野動物園のゴリラ舎は大きくて立派です、近寄ってきたので写真をとったらば、暗かったのでスローシャッターになりました。





 上野のゴリラさんはニシローランドゴリラさんです。

 ゴリラには、ニシローランドゴリラとヒガシローランドゴリラとマウンテンゴリラがいますが、日本に住んでいるのは、ニシローランドゴリラさんだけです。

 野生のゴリラは、森に住んでいます。明るくなると起きて、暗くなる前に木の枝葉でベッドをつくって、眠ります。とても健康的な生活です。

 家族の基本単位は、一頭の大きなシルバーバック(背中に銀色の毛が生える)と、1~2頭のまだ背が黒い、若い大人のオス(ブラックバック)、6頭ほどの大人のメスと10頭ぐらいまでの子供や赤ん坊からという構成になっています。家父長制の一種のハレムといった具合です。

 この家族で一定の広さの行動範囲を持っていますが、その行動範囲が隣の家族のそれと大幅に重複していることがあるようです。お隣さんと仲が良い時は、一緒に食べたり寝たりすることもあるそうです。

 ですから、縄張り=行動圏という明確な定義ができません。

 ゴリラさんは体が大きすぎて移動のスピードが遅く、縄張りをもつほどの運動量がないので、確固とした排他的な縄張りを持つことができないようなのです。一日の移動距離が平均でせいぜい500メートルから、1.1キロメートルなのでパトロールなんかとてもできないのです。

 それで、ゴリラの行動範囲のことを、『縄張り』と呼ばず『遊戯域』と呼ぶそうです。
『遊戯域』は、だいたい5~30平方キロメートルの広さを持ちます。

 とはいえ、仲がよくない集団や、放浪する単独のオスゴリラが接近すると、シルバーバックはドラミング(胸たたき)で威嚇します。

 これで相手が引き返さなければ、シルバーバックは『フウフウフウ』と興奮した声を発し、『ウングーッ』と唸って、木の葉や小枝を拾い上げて唇に挟みます。これは『葉噛み行動』とも呼ばれる『象徴的威嚇』で怒りやイライラを表します。

 この線を突破すると戦闘開始です。あとは手がつけられません。

『葉噛み行動』やドラミングは動物園でも、観察されることがあり、それだけストレスが溜まっているシグナルです。

 ゴリラはとても神経の繊細な動物なのです。

 ゴリラは、子供の頃は笑うし、遊ぶけれど大人になると笑わないし遊ばないそうです。また、ゴリラは涙を流して泣かないそうです。人間とは似ていますが、喜怒哀楽の表現方法が違うようです。

 ゴリラは、基本的には四足歩行で、拳で地面を突くナックルウォーキングと呼ばれる歩き方をします。結構無理な歩き方です。





 その点、人間は結構な距離を歩けます。人間の直立2速歩行は前に倒れながら、進んでいるので、長距離を歩くのに適しているらしいのです。

 考えるゴリラさん。





 振り向くゴリラさん。





 よく、コンビニ前でこんな格好でタバコを吸っていたりします。威嚇になりますので、なるべく目を合わせないようにしてくださいね。
 
 やって来るゴリラさん。





 ひなちゃんゴリラさん。これは神戸市立王子動物園のペンギン水槽前記念撮影コーナーで撮影。右腕が破れていたので、レタッチで補正。



去年の夏の京都祇園祭だよ。その35 神様が御旅所に出張してるよ。 【ファイルT44】2008.07.15 

【ファイルT44】2008.07.15 去年の夏の京都祇園祭だよ。その35 神様が御旅所に出張してるよ。

無言参りはつらいねえ。


 祇園祭について最初から読まれる方はこちら。

 
 御神輿(おみこし)に乗った神様は、神幸祭(しんこうさい)=[おいで]で、町を練り歩き鴨川の橋を渡って、京都市内に入り、四条寺町の御旅所(おたびしょ)までお出ましされます。

『御旅所ってなんだろう?』って思ってたけど、神様が鎮座されるところなんだね。

 17日から24日まで、3基の神輿(プラス子供神輿)は御旅所(おたびしょ)に鎮座されます。

 そして、17日から24日まで、3基の神輿が鎮座する御旅所(おたびしょ)に毎日お参りすると願い事が叶うと信じられているのです。ただし、参拝から帰宅まで誰とも話してはなりません。花街の舞妓や若い女性の参詣が多いそうです。これを無言参り(むごんまいり)【17~24日】と言います。

 前も書きましたが、この期間は、八坂神社(祇園社)には神様はいらっしゃいません。御旅所に出張されて厄を払って下さるので、留守です。お参りはこちらでしてくださいね。

 神様は、24日の還幸祭(かんこうさい)[おかえり]で、御神輿に乗って、御旅所から八坂神社に還幸されます。

 だったら、一年中和御魂(にぎみたま)と荒御魂(あらみたま)が合体したスーパー素戔嗚尊(スサノヲノミコト)さんが が御旅所にいればいいのにね!

 いっそのこと、八坂神社(祇園社)がここに移転すればいいのに。

 でも、そういうわけにはいかないんでしょうね。スーパー素戔嗚尊(スサノヲノミコト)さんの霊力を一年中統御する力は、人間には無いのでしょう。

 ということで、四条寺町の御旅所(おたびしょ)です。

 




 四条通の向かいは新京極です。修学旅行で来られた方もいらっしゃるのでは?

 




 御旅所の神輿3基プラス子供神輿
 




 中御座は、主祭神の素戔嗚尊(スサノヲノミコト)





 御旅所に飾られた弓、矢、盾、琴などのご神宝。宮本組が供奉してきたものです。

 




 金の細工も見事ですね。
 




 ろうそくの揺らめきも神秘的です。

 




『無言参りの帰りどすから、話しかけられても、お答えできましまへん。堪忍え』

 




 祇園の情緒もおすそ分け。

 




 




 宵山と、山鉾巡行、神幸祭(しんこうさい)=[おいで]、無言参り(むごんまいり)だけで、なんと35回連載。京都の実力だね!これだけ書いても、祇園祭の全貌はご紹介できていません。
 祇園祭は時空を超え、壮大なコスモロジーをもった、魔界パワーのお祭りです。
 本当に京都は凄い!世界に誇る古都です。皆さんもぜひお越しくださいね。

去年の夏の京都祇園祭だよ。その34 神幸祭(しんこうさい)=[おいで]の御神輿(おみこし)が町を練り歩きます。 【ファイルT43】2008.07.14 

【ファイルT43】2008.07.14 去年の夏の京都祇園祭だよ。その34 神幸祭(しんこうさい)=[おいで]の御神輿(おみこし)が町を練り歩きます。

京都って凄いね


 祇園祭について最初から読まれる方はこちら。

 今年の祇園祭が着々と進行している中、去年の記事がまだ終わらないので、あせって、このシリーズを先に掲載します。
 
18:20頃、 これが御神輿が上って出て行った、石段の山門です。

 




 屋台を通り抜けて、帰って行きます。

 




 山門を出て、四条通に下りようとしたら、外は、神輿が『差し上げ』をして、雑踏でとんでもないことになっていて、とてもじゃないけど通れません。

 





 一旦引き返して、わき道から外に出ます。

 




 やっと四条通にでました。

 



 3基の神輿が揃い踏みで『差し上げ』をして、騒然としています。

 




 脇道を通って先回りをします。

 




 そしたらば、ちょうど久世稚児さんが前を通りました。

 




 神主さんもお馬に乗っています。

 




 中御座の御神輿で、 主祭神の素戔嗚尊(スサノヲノミコト) がお乗りになっています。

 




 小さい子も祭りに参加しています。

 




 良くこんな重いものを長時間担ぎますね。

 




 これはお供えかな ?神様は物持ちだねえ。

 




 辻辻で御神輿を差し上げたり揺らしたりして、大騒ぎです。

 




 ということで、日も翳ってきたので、本日の撮影はこの辺にしました。朝から山鉾巡行と、神幸祭(しんこうさい)=[おいで]を見て、くたくたです。予定では、神幸祭(しんこうさい)まで見るつもりはありませんでした。でも、見て本当によかった。

店が込まないうちに、夕食です。ちょうど、南座が近かったので、その隣にある、総本家にしんそば 松葉に入りました。

 




 にしんそば発祥の店として名高いお店で、創業は文久元年(1861)です。

 どういうわけか空いています。

 にしんそば定食を頼みました。

 




 埋もれていたにしんを発掘します。

 



 じっくり時間をかけて煮あげた大ぶりの身欠きにしんは、骨までやわらかくて、甘辛い味がしみていて、箸で簡単に切れます。

 お蕎麦は硬からず柔らからずの標準的なかみ応えで、薄口のだしが上品です。やっと落ち着くことができました。

 そうこうしていたら、南座の舞台が跳ねたのか、観劇客がぞろぞろと入ってきて、それに御神輿見物のお客さんもぞくぞくと入ってきて、あっという間に満席になりました。

 早く入ってよかったよ。

 ということで、次回はいよいよ祇園祭シリーズの最終回です。お楽しみに。


 次回はこちら。

去年の夏の京都祇園祭だよ。その33 神幸祭(しんこうさい)=[おいで]の御神輿(おみこし)が出発するよ。 【ファイルT42】2008.07.12 

【ファイルT42】2008.07.12 去年の夏の京都祇園祭だよ。その33 神幸祭(しんこうさい)=[おいで]の御神輿(おみこし)が出発するよ。

神様のお引越しだねえ


 祇園祭について最初から読まれる方はこちら。

 17:10頃、 最初の御神輿が拝殿から出てきます。
 これは、
①中御座の御神輿で、 主祭神の素戔嗚尊(スサノヲノミコト) がお乗りになっています。

 




 六角形の屋根です。

 三若(さんわか)神輿会の皆さんが担いでいます。

 鳳凰が引っかからないように慎重にね!

 これから、御神輿に乗った神様は、鴨川の橋を渡って、京都市内に入り、四条寺町の御旅所(おたびしょ)までお出ましされるのです。

 鴨川の外(東側)は異界で、橋を渡って、京都市内の魔を払うために出張されるのです。

 鴨川は京都市域の境界で、『しるしつき』の場所です。だから、東海道53次は三条大橋が終点で、三条河原で石川五右衛門は釜茹で(釜煎り)になったし、牛若さんと弁慶さんは五条の橋の上で戦ったのです。

 まず、御神輿は拝殿の周りをやはり3回まわります(『拝殿回し』といいます)。

 本殿の前で『差し上げ』(御神輿を天高く差し上げる)をします。神様のパワーが活性化するのかな ?





 石段を上がって、山門の外に出て行きます。





 東若御座(子供神輿)も頑張ってるねえ。櫛稲田姫命(クシ(イ)ナダヒメノミコト) の分霊がお乗りになっておられます。





 大人と大きい子供が担いで、小さい子は周りで歩いているのです。ただいま見習い中で、大人になったら、立派な担ぎ手になるんだねえ。


次は
②東御座 の御神輿で、櫛稲田姫命(クシ(イ)ナダヒメノミコト=素戔嗚尊(スサノヲノミコト)の妻) がお乗りになられています。

 八岐大蛇(やまたのおろち)の人身御供になるところを、素戔嗚尊(スサノヲノミコト)に助けられたんだね。

 四若(しわか)神輿会の皆さんが担がれています。

 長い担ぎ棒を取り付けます。





 四角形の屋根の上に宝珠を取り付けます。





 拝殿回し、が始まります。





 本殿の前で『差し上げ』をして、





 石段を前に、緊張が走ります。






③西御座 -- 八柱御子神(ヤハシラノミコガミ=素戔嗚尊(スサノヲノミコト)の子) がお乗りになられています。





 錦神輿会の皆さんが担がれています。

 八角形の屋根に鳳凰が乗っています。
 西日が当たって、とてもきれい!





 錦神輿会は錦市場(にしきいちば)の若い衆だよ





 傾くと結構怖い。





 本殿の前で『差し上げ』をして、





 頑張れ頑張れ!





 石段を最後の御神輿が上がっていきます。





 御神輿が出払って、空になった拝殿。





 神様がお出かけして、お留守になった本殿。





 一生懸命拝んでいる人がいるけど、神様はお留守だから、拝んでもご利益は無いんだけどねえ。今、神様が御神輿に乗って出て行ったんだけどねえ。

 神様がお乗りになられる乗り物(輿=こし)だから御神輿(おみこし)なのです。

 ということで次回にまだ続きます。



 次回に続きます

 次回はこちら。

久世駒型稚児(くぜこまがたちご)さんは、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒魂(あらみたま)の化身だよ! 【ファイルT41】2008.07.10 去年の夏の京都祇園祭だよ。その32 

【ファイルT41】2008.07.10 去年の夏の京都祇園祭だよ。その32 久世駒型稚児(くぜこまがたちご)さんは、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒魂(あらみたま)の化身だよ!

荒御魂(あらみたま)と和御魂(にぎみたま)が合体してパワーアップ!


 祇園祭について最初から読まれる方はこちら。

 16:00 町衆が手拍子を打ちながら、境内に入ってきます。

 




 続いて、白馬に乗ったお稚児さんが颯爽と現れました。

 




 眩しくて、そこだけ後光が差したように見えます。

 これが久世稚児(くぜちご)さんです。とにかくカッコいいのです!祇園祭の主役ですものね。

 祇園祭の稚児には既にご紹介した鉾に供奉(ぐぶ)する鉾稚児(ほこちご)と、南区久世の綾戸国中(あやとくなか)神社の神使いである久世稚児(くぜちご)があります。

 久世稚児は胸の前に御神体である木彫りの馬の頭をつけていることから、『駒形稚児(こまがたちご)』とも呼ばれ、神幸祭と還幸祭の2名選ばれます。

 綾戸国中(あやとくなか)神社は、綾戸神社と国中神社が合体した神社で、国中神社の祭神が素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。

 ところが、八坂神社の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が和御魂(にぎみたま)であるのに対して、綾戸国中神社のそれは、荒御魂(あらみたま)で、2つの御魂が合体してパワーアップして祭りが始まるのです。


 素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒御魂(あらみたま)のお稚児さん=久世稚児は胸の前に御神体である木彫りの馬の頭を掛けて騎乗した瞬間から神の化身とみなされ、五位十万石の大名格の格式を誇る長刀鉾稚児や皇族の方でさえ下馬を要求される八坂神社の境内に、騎馬のまま乗り入れる破格の扱いを受けています。

 ですから、久世稚児は御神輿のオマケじゃなくて、それ自体重大な役割を担う独立した神様の巡行なのです。

 久世稚児さんは、騎乗したまま拝殿を右回りに3回まわります。これをお千度というそうです。ここは、皇族の方々でも馬に乗っちゃいけない聖域なのです。特別扱いです。凄いねえ!

 




 鉾稚児さんと同じく、神の化身なので、地面を踏んではいけません。だから強力(ごうりき)さんに担がれて、昇殿します。

 





 古式ゆかしい装束の神官の方々が、昇殿します。

 




 なかで何が行われているか、わかりません。かなり待たされます。

 久世稚児さんが出てきました。

 




 屈強な町衆とのコントラストがおもしろいねえ。

 




 ということで、今回は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒御魂(あらみたま)と和御魂(にぎみたま)がめでたく合体してパワーアップしました。よかったねえ。日本では合体ロボットなんて発想は、大昔からあったんだねえ。

※)
和御魂(にぎみたま)=温和で愛情を持ち、柔和・慈悲の心などを備えた「静」的な霊魂。人間に平安をもたらします。併せて運・幸を司る幸御魂(さきみたま)、知恵と健康で奇跡を呼び起こす奇御魂(くしみたま)という霊魂も内包されています。

荒御魂(あらみたま)=文字通り荒々しく勇猛な面を持ち、積極的・活動的な御霊。「祟り」を引き起こしたり、人々を争いに駆り立てたりということもあるそうです。その霊威を祀ることによって、人間を守護する力になるとされています。

 よく考えたら、当たり前ですね。自然には生命を包み込むような優しさがある反面、嵐も地震も雷もあります。それを神様の一つのありかたとして捕らえ、エネルギーの源と考える宇宙観というのは実に合理的だと思います。

 そもそも生命はお日様の恵みを受けています。お日様のエネルギーというのは核融合反応により水素がヘリウムに変化することによってもたらされます。早い話が水爆ですから荒御魂(あらみたま)そのものです。でも、春の日の柔らかい日差しは和御魂(にぎみたま)ですね。

 それにしても、太陽=核融合反応=荒御魂(あらみたま)=エネルギーなんて、すごい想像力です。


 次回に続きます

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去年の夏の京都祇園祭だよ。その31 祇園社に行ってきました。 【ファイルT40】2008.07.08 

【ファイルT40】2008.07.08 去年の夏の京都祇園祭だよ。その31 祇園社に行ってきました。

御神輿が鎮座していたよ


 祇園祭について最初から読まれる方はこちら。

 山鉾巡行を観て、お昼が終わって、それじゃあということで、肝心の祇園社に行くことにしました。

 山門は改修中建築用のパネルで囲まれていました。





 さすがは、厄払いの祇園さんです。狛犬さんもとっても怖い顔をしています。
 




 入ってすぐのところに疫神社があります。ここは、蘇民将来をお祭りしていて、祇園祭の最終日の7月31日、フィナーレとして、鳥居の所に大きな茅の輪が設置され、『茅の輪くぐり=疫神社夏越祭』が行われます。神社というより、祠ですよね。
 小さいので気をつけないと見逃します。





 とにかく、祇園さんには、いろいろな神様がいます。
恵比寿さんもあります。





 悪王子社(祭神=素戔嗚尊の荒魂《あらみたま》)がありました。





 社殿はとっても美しいねえ。





 女性に人気の神社があったので、覗いてみると、
『美御前社うつくしごぜんしゃ』とありました。





 美御前社うつくしごぜんしゃ(祭神=多岐津比売《たぎつひめ》神、多岐理比売《たぎりひめ》神、市杵島比売《いちきひめ》神)
由緒書きにはこうありました。
美御前という名の通り、美を象徴する神として祭られています。本社の祭神、素戔嗚尊が天照大神(あまてらすおおみかみ)と誓約(うけい)をされたとき、素戔嗚尊のもっておられた十拳剣を振りすすいで生れた三柱の女神で、宗像三女神といい、清浄・潔白の証となった神々で、俗に弁天さんといわれるのも、市杵島比売《いちきひめ》神です。古くから芸妓さん舞妓さんをはじめ美しくなりたい女性はもとより、美容理容、化粧品業者の崇敬を集めています。

 美御前社の湧き水で撮った写真。





 本殿はこんな感じです。





 拝殿には3基の御神輿と、1基の子供神輿が鎮座ましましています。





15:40頃、なんか関係者の人がお神輿で作業を始めました。






15:55頃、ロープが張られ、後ろに下がるように言われたので、慌てて場所を取りました。





 こんなに早く神幸祭(おいで)が始まるなんて思ってもみなかったよお!

 祇園社の歴史はこういうことになっているそうです。

 八坂神社(祇園社)は、明治まで祇園社、または祇園感神院とよばれていて、現在の社名になったのは明治元年からだそうです。

 その起源は、平安時代の貞観18年(876)、八坂郷の地に牛頭天王(ごずてんのう=素戔嗚尊すさのおのみこと)の社壇を造営したのがはじまりだとされています。

 八坂神社の創祀を社伝では斉明天皇2年(656)と伝えています。この年には高句麗の使い伊利之(いりし)が来朝し、彼は八坂造(やさかのみやつこ)一族の祖先である意利佐(いりさ)と同一人物と考えられているので、社伝の説をあながち荒唐無稽なものとして退けるわけにはいかないということです。

※  ※  ※

 そこで、その頃の朝鮮半島と日本の関係を記しておきましょう。

 このころの日本は百済や高句麗とはとても密接な関係がありました。人の行き来も多かったのです。

 ところが、新羅が、唐と同盟して、百済を侵略しました。その時、日本からも百済に援軍(水軍)を出したのですが、白村江で破れ、663年に百済は滅亡しています。

 どうして援軍(水軍)を出したかというと、とても親密な外交をしていて、日本からも百済に多く人が行っていたからなのですね。

 ちなみに、百済が滅亡した3年後の666年に、高句麗人が大挙日本に来ます。これは、もちろん、日本に援軍を依頼するためです。

 その後、新羅・唐軍は高句麗も滅ぼします。

 その時、百済、高句麗の人たちはほとんどが虐殺されています。

 かろうじて難をのがれた高句麗、百済からの亡命者が日本に帰化し、日本はそれらの人々を篤くもてなしています。

 新羅の武烈(ぶれつ)大王は、自らの権力増強のために、唐軍の力を借り、文明の高い、百済・高句麗を滅ぼしたのです。

 韓国・朝鮮の人は何かあると『日本に文化を教えてやった。伝えてやった』と威張りますが、その高度な文明を日本に伝えた国は滅びて現存しません。自分たちはそういう高度な文明を持った人々を唐の力を借りて滅ぼした侵略者の子孫だということを少しは知ったほうが良いと思います。

 武烈(ぶれつ)大王は、自国の誇りを捨て、唐の文物を朝鮮に取り入れることに努めました。

 第一に姓名を支那風に二文字ないし三文字に統一しました。
 それまで、四~五文字前後が圧倒的に多かったのに、自国民に支那風の改名を強制したのです。だから、朝鮮の人は、李とか朴とかの似たり寄ったりの苗字しかないのです。

 例えば、666年10月に来日した高句麗の正使は乙相奄○(おっそうあむす/○はヨが縦二つに卩)、副使は玄武若光(げんむにゃっこう)と達相遁(だちそうどん)です。今、こんな名前の韓国・朝鮮の方なんかいないでしょう?

 また科挙の制度を採用。朝鮮では庶民には受験資格が無く、試験科目には『史記』つまり支那の正史が出ました。自国の歴史の否定です。
 そして、国王、貴族、官僚が使用する文字はすべて漢字になりました。
 1446年に世宗大王が、諺文(おんもん=ハングル)を作りますが、これは無学な人間の文字ということで、文化人からは疎まれ、諺文で書かれた書物は焼かれたりしました。

 そのおかげで、朝鮮半島は、支那の本格的な冊封を受ける国家になったのです。

 それはともかく、高句麗の亡命帰化人八坂造(やさかのみやつこ)一族と、八坂神社、祇園社の関係というのもなんとなく気になりますね。
 


 次回に続きます

 次回はこちら。

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