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去年の夏の沖縄旅行だよ。その14 万座毛(まんざもう)の奇岩だよ。 【ファイルT58】2008.11.30 

【ファイルT58】2008.11.30 去年の夏の沖縄旅行だよ。その14 万座毛(まんざもう)の奇岩だよ。

 

象の鼻と呼ばれています

海面からの高さ30mほどの断崖絶壁は、まるで象の鼻のような形をしています。



 

 この景色をみるなり、皆さん

 ちゃちゃちゃ~ん♪ちゃちゃちゃ~ん♪

 って火曜サスペンス劇場のオープニングテーマを口ずさんでいます。

 火曜サスペンス劇場初期オープニング・エンディングテーマ曲

 

 海遊館のマンボウの前で大阪の人がペレス・ブラードのマンボ№5のメロディーを口ずさんでいたのと一緒です。

 これって条件反射ですねえ。テレビって怖いですね。

 こういう場所で、犯人がヒロインの片平なぎささんの首を絞めて突き落とそうとするときに刑事の船越英一郎さんが現れて、パトカーがサイレン鳴らして飛んできて、追い詰められた犯人が海に飛び込むんですよね。

 だから、エンディングテーマである 岩崎宏美さんの『聖母(マドンナ)たちのララバイ』が相応しいと思うのですけど、これを歌っている人はいません。

『聖母たちのララバイ』が流行った頃は、『この街は戦場だから、男はみんな傷を負った戦士』っていう歌詞が軍国主義につながるっていう馬鹿みたいな抗議が殺到したんですよ。本当に狂気の時代でした。

 それはそうと、サスペンスドラマって、殺人現場がホテルや旅館ってことはまずありません。森や、このような断崖絶壁などの人里離れたところって相場がきまっています。
なぜかっていうと、番組は、旅館やホテルとタイアップして宣伝する代わりに宿泊料をまけてもらったりしてるからですね。

 だから、タイアップ先で殺しの映像なんか映してはまずいわけです。

 断崖の下には荒波が逆巻いています。



 

 万座毛は「まんざもう」と読みます。 海面からの高さ30mほどの断崖絶壁にまるで象の鼻のような形をした奇妙な岩があることが特徴です。

 沖縄本島中央部の恩納村の西海岸・東支那海に面する万座毛は、海に突き出した岩が波の侵食を受けて現在のような奇景になっていったそうです。

この名前は琉球王朝時代の第12代国王の尚敬王(しょうけいおう)が1726年10月に、北山巡視中にこの地を訪れ、一面の芝の原を見て、「万人を座するに足る毛」と称賛したことに由来するそうです。

 毛(モウ)は沖縄では「原っぱ・草原」を意味する言葉で、尚敬王は奇岩郡よりも、その上に広がる野原に着目したようです。

 断崖絶壁の海岸を構成する岩は隆起した珊瑚礁の琉球石灰岩です。



 

 もっとも沖縄本島自体が約10万年前頃に隆起した石灰岩化した珊瑚礁でできているそうですが・・・。

この万座毛に群生する植物は、万座毛石灰岩植物群落として有名で、万座毛の断崖固有の種もあり、沖縄県の指定天然記念物にもなっています。強烈な潮風や塩分、石灰岩台地の乾燥に耐えることが出来る植物が生い茂っています。



 

 岩の隙間から、海が見えます。



 

 入道雲がもくもく沸き立っています。



 

 海底が透けて見えています。



 

 日本人は、岩が海の上に2つ突き出していると注連縄で繋ぎたがるねえ。



 

 対岸の岬にリゾートホテルが建ってるねえ。



 

 ということで、万座毛は絶景でした。
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去年の夏の沖縄旅行だよ。その13 琉球村の風景 【ファイルT57】2008.11.29 

【ファイルT57】2008.11.29 去年の夏の沖縄旅行だよ。その13 琉球村の風景

 

水牛さんがお砂糖を作っているよ


 沖縄琉球村の続きです。寒くなってくると、暑さが懐かしいねえ。

 サトウキビから砂糖を作っています。



 

  




 水牛に砂糖車を引かせてサトウキビを搾って、黒砂糖を作る昔の製法を再現しているんだって。

 水牛さんは暑いので水をかけてもらっています。





 暑いからねえ。熱中症になったらこまるねえ。

 そういえば、沖縄も北海道もやたらタクシーが多いけど、夏の沖縄と冬の北海道で長距離歩いたら、命にかかわるからねえ。

 サトウキビの束です。





 水車があります。





 やっぱり沖縄は石垣ですね。





 またまたシーサーさん。

















 獅子舞のおししです。





 お兄さんとお姉さんが沖縄民謡を披露してくれます。





 ということで、盛りだくさんの琉球村でした。

 あと、ハブとマングースの3Dショーとかもあったんだけど、観光バスの時間では観きれませんでした。沖縄文化のテーマパークということで、楽しかったよ。

上野のシロクマさんはホッキョクグマさん? 【ファイルC79】2008.11.26 

【ファイルC79】2008.11.26 上野のシロクマさんはホッキョクグマさん?

シロクマさんが日本初の動物園専任獣医さんを生んだんだよ!

 上野動物園のホッキョクグマさん。





 昔、

 コ~ン~ピュ~タ~アし~ろく~まくん♪

 というエアコンのコマーシャルがありました。

 シロクマくんは北極に住んでいるヒグマの仲間の一番大きなクマさんです。
 
 でも、上野の動物園のシロクマ池に住んでいるのはホッキョクグマさんです。

 どういうことなんだろうという話なんだけれど、実は、これは上野動物園が原因なのです。

 明治24年(1891)年の初夏に話は遡ります。北海道北見国宗谷郡猿払村の山中でヒグマが2頭捕らえられました。そのうち一頭は、真っ白なアルビノ(白変個体)だったのです。

 白い鳥や動物というのは、吉兆だという言い伝えがあります。これは様の東西を問いません。

 古代日本でも650年に宍戸の国(現在の山口県)から白いキジが献上され、朝廷はこれを瑞兆とみて盛大な祝宴を設け、元号を「白雉(はくち)」と改めたぐらいです。

 それで、宗谷郡のアイヌの人々は大喜び、この白いヒグマの子を熊祭り(イヨマンテ)に使うことにしました。

 ところが、時の北海道庁の高官はその白いヒグマを天皇陛下に献上することを思い立ち、アイヌの人たちを説得して、東京に運び、明治天皇へ天覧に供したのです。その後、当時宮内省所管だった上野動物園に預けて東京市民に公開して、北海道に返しませんでした。

 この叙述を読んで、私はアイヌの人たちがかわいそうだと思いましたが、調べてみると、熊祭り(イヨマンテ)のクマというのはカムイ(神)として生贄にされて、食べられちゃうわけですね。うへえ!

 北海道庁の人も多分これを不憫に思って、だったら、天皇陛下に献上しようと思ったのじゃないかな?

 クマの命が救えて、天覧に供し、みんなが見ることができたんだから、これはこれで良かったのかもしれません。

 その後、この白いヒグマは、日本の動物園史上、大きな役割を果たすことになります。

 翌明治25(1892)年、このクマさんが病気になりました。歯の付け根が腫れて、食欲不振になったのです。天皇陛下のクマさんだから、もしものことがあっては大変です。

 当時の上野動物園には専任の獣医師はいません。それで、駒場にあった農科大学(現在の東京大学農学部の前身)獣医科のヤンソン氏に診察してもらうことになりました。

 その診断書は宮内省に提出されたのですが、ちょうどそのとき出張から帰ってそれを見た動物園監督の石川千代松(ちよまつ)博士はびっくり!
ヤンソン氏は、白いヒグマをホッキョクグマと間違え、ご丁寧にも「冷房が必要」としていたのです。

 この頃、上野動物園では、次第に外国産の動物も増え、ヤンソン氏のクマの種類の取り違えにも不安を感じた石川博士は、専任獣医の必要性を上層部に具申したようです。

 この年の7月に東京帝国大学農科大学獣医学校乙科を卒業した黒川義太郎氏(1867~1935)が帝国博物館の傭(やとい)として、月俸20円で動物園の最初の専任獣医となりました。

 黒川氏は大正時代から、昭和初年の東京市時代まで、上野動物園の主任技師を務め、「初代園長」と呼ばれました。

 この白いヒグマさんは、明治28年に亡くなります。

 4年後の明治32(1899)年3月。今度は越後(新潟県)産のニホンツキノワグマのアルビノが献上され、上野動物園で飼われ、昭和7(1932)年まで33年間という長きに亘って飼育されています。

 一方、上野動物園に初めてホッキョクグマが来園したのは、明治35(1902)年です。

 ですから、当時の上野動物園には、白いニホンツキノワグマ(アルビノ=白変個体)さんとホッキョクグマさんが存在していたのです。

 つまり2種類のシロいクマさんが混在していたのですね。ややこしいねえ!

 それで、混乱を避けるために、アルビノのクマさんを『シロクマ』、ホッキョクグマさんを『ホッキョクグマ』と呼ぶようになったのです。

 英語でもホッキョクグマは『ポーラーベア(極地のクマ)』と呼ぶので、落ち着くところに落ち着いたのでしょう。

 普通は、ホッキョクグマのことをシロクマと呼んでも良いと思うのですけどね。

 参考:『もう一つの上野動物園史』小森 厚著 丸善ライブラリー


 ということで、上野のホッキョクグマさんの写真を見てね。



















神戸市立王子動物園のキングペンギン夫婦はなかよしさん! 【ファイルC78】2008.11.25 

【ファイルC78】2008.11.25 神戸市立王子動物園のキングペンギン夫婦はなかよしさん!

一緒にお散歩しているね。

 前に神戸市立王子動物園のフンボルトペンギンさんをご紹介しましたが、冷房室内には、キングペンギンご夫妻が暮らしています。

 以前掲載した神戸市立王子動物園のフンボルトペンギンさん。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/archive/2008/06/06

 露光を上げないと目が写らないねえ。





 パタパタするんだけど、足は大地に根が生えたようにしっかり付いています。





 2匹みずいらずで、なかよしだねえ。





 2人で背比べを始めました。

 奥さんがずるっこして、くちばしを上げます。





 するとご主人が負けずにくちばしを上げて、首を伸ばします。





 にたもの夫婦だねえ。


 ダンスをしているのかな?





 ただ、頭がかゆいだけだったみたい。

 水辺をお散歩しています。





 でも飛び込んでくれません。ちぇっ、けち!


 それはいいのですが、実はここ神戸市立王子動物園は、日本初のキングペンギンの人工飼育に成功した動物園なのです。

 昭和四十四(1969)年9月12日朝、タイル張りの冷房室内で、長崎、大阪に次いで日本では3番目のキングペンギンが誕生しました。

 親夫婦は愛情の深いオシドリ夫婦でした。ところが、この愛情の深さがあだになったのです。その愛情は当然子供にも向けられます。それで、子供の奪い合いで、すさまじい夫婦喧嘩を始め、果てはヒナの命が危なくなるという事態に発展しました。

 飼育員さんがヒナを救い出した時は、親たちの汚物とプールの水で全身はずぶ濡れ、泣き声さえ出せないほど冷え切っていたそうです。

 それで、日本初の人工飼育が始まるわけですが、それは試行錯誤の連続だったそうです。

 ヒナペンギンはビンちゃんと名づけられました。

 まず、リンゴ箱大の育雛箱(いくすうばこ=飼育箱)を作って、電気アンカを立てて置き、横に触れたからだが温まるようにしました。それから、親との分離直後から少し生水を飲ませていたのが良かったのか、ビンちゃんは元気になって、食欲が出てきたそうです。

 餌は、普通なら親が一度呑み込んだアミエビを吐き出し、ヒナの口に入れるのですが、その代わりに、アジやマグロの刺身を細長く切って、ピンセットで入れてやったそうです。

 餌は、最初は4時間おきの一日6回から、4回、3回、2回に減り、刺身も徐々に大きくして、時々エビ、アジのぶつ切りなども与えるようにしていきます。

 そんな努力が実り、ビンちゃんはすくすくと成長します。ところが、換羽が終わり、成長して姿がすっかり変わり、生後1年2ヶ月経ったころ、飼育員さんたちはとんでもないことに気がつきます。

 じつはビンちゃん、人間に育てられたため、水を怖がって、まったくのカナヅチだったのです。

 水をかけたり顔を水につけたり、無理やり泳がせて見ても羽をばたばたさせて、まったく前に進みません。泳げないペンギンなんて、余りにも不憫なのであらゆる手を講じますが、全く効果がありません。

 そこで、最後の手段として、見かねた飼育員さん達がペンギンプールに飛び込んで泳いで見本を見せたそうです。3ヶ月そんな奇妙な情景が続いた後、ついにビンちゃんは、自分の意思で泳ぐ練習を始めました。

 何といってもビンちゃんはペンギンさんなのでめきめき泳ぎは上達して、今では他のペンギンと遜色のない泳ぎができるようになり、投げ込まれた餌に、すばらしいダイビングをして、泳ぎ回るようになったそうです。

 よかったねえ。

 それにしても、その後もキングペンギンの人工飼育の例はあったろうに、ペンギンの泳ぎはいちいち飼育員さんが泳いで教えているのでしょうか?

 う~む。

参考:『チンパン博士の動物記』亀井一成 祥伝社 ノン・ブック

東京多摩動物公園のパルマワラビーは可愛いね。 【ファイルC77】2008.11.23 

【ファイルC77】2008.11.23 東京多摩動物公園のパルマワラビーは可愛いね。

ワラビーは小型のカンガルーさん。


 多摩動物公園のパルマワラビーさんは小さくて可愛いのです。





 尻尾を前に突き出して座っています。

 ワラビーというのは、カンガルー科に分類される有袋類のうち、小型のものの総称です。大型のものをカンガルーと呼んで、中型のものをワラルーと呼びます。

 鯨の中で小型のものをイルカと呼ぶようなものらしいのです。

 カンガルー科にはおよそ45種類あって、このうち大カンガルーが3種、樹上生活に適応したキノボリカンガルーが10種中型のワラルーが3種、残り29種がワラビーと呼ばれているそうです。それにしても、そんなに種類があるんだね!



 親子がいました。





 ワラビーさんは小型のカンガルーさんなので子供をポッケで育てますが、この子はもう大きすぎてポッケに入りません。


 でも、お母さんが一生懸命舐めて毛づくろいをしてくれています。くすぐったいねえ。





 だんだん子供がうとうとしてきました。





 哺乳類は、基本的にスキンシップなんですね。

 お母さんどこ行くの?子供は素早く付いていきます。





 目がくりくりしてかわいいねえ。





 そういえば、オーストラリアのラグビーナショナルチーム(オーストラリア代表チーム)の名前が『ワラビーズ』だったね。

 私は『ワラビー』が動物の名前だなんて、長い間知りませんでした。植物のワラビかなんかだと思ってたよ。

『ワラビーズ』は世界トップクラスの強豪チームで、歴史のまだ浅いラグビーのワールドカップで2回優勝している唯一のチームです。

 そんな凄いチームのニックネームが『ワラビーズ』だなんて、可愛いねえ。

 でも『カンガルーズ』も『コアラズ』も語呂が悪いからねえ。

 ちなみに、日本ラグビーのナショナルチームにはニックネームは特にありません。

 日本のラグビーファンは、単に『ジャパン』と呼んでいます。しかしながら、胸の桜のエンブレムから、海外では『チェリーブロッサムズ』あるいは『ブレイブブロッサムズ』と呼ばれているようです。


 日本のラグビーもアジアではNo1なんだけど、世界の強豪チームとは力の差があります。ワールドカップには毎回出場してるんだけど、まだ一勝もしてなかったんじゃないかな?
 やっぱり体格の差が勝敗に大きく影響するものねえ。外人選手も入れてるんだけどねえ。


 それはいいけれど、ワラビーさんはカンガルーさんとまた違った可愛さがあります。

 いたら、遊んであげてね。

今日、札幌に雪が積もりました。 【ファイルT57】2008.11.20 

【ファイルT57】2008.11.20 今日、札幌に雪が積もりました。

 

どうやら、この雪が春まで残る根雪になるようです。

 札幌市街は昨日までは、雪なんか無かったのに、朝起きたら、一面の銀世界です。

 歩きにくいったらありゃしない!

 とっても寒いし。昨日、駅前のユニクロで毛糸の帽子を買っておいて良かった!

 このお話は、沖縄の話が終わってから改めて・・・。


 それでは、少々予告編として、写真を掲載しますね。

 




 




 




 




 


オワンクラゲはノーベル賞のクラゲさん 【ファイルC76】2008.11.18 








【ファイルC76】2008.11.18 オワンクラゲはノーベル賞のクラゲさん

 クラゲだからって馬鹿にできないんだよ!

 スウェーデンの王立科学アカデミーは2008年10月8日、今年のノーベル化学賞を米ウッズホール海洋生物学研究所・元上席研究員の下村脩(おさむ)さん(80)と米国の研究者2氏の計3人に贈ると発表しました。

 最初の2枚の写真はかなり以前にたまたま大阪海遊館で撮影したオワンクラゲです。
 多分今は海遊館にオワンクラゲはいません。クラゲは旬の時期があるらしく、展示内容が良く変わります。

 あとの4枚はこの前名古屋港水族館で撮影したオワンクラゲさんです。名古屋港水族館には、まだいると思います。
でも、こっちは、まだまだ小さくってまだまだ成体ではないみたいです。

 それでもって、今回は下村脩博士の業績について書きます。

 オワンクラゲは、イクオリンと、緑色に光るGFP(Green Fluorescent Protein)と呼ばれるタンパク質を持っています。

 この2つのタンパク質は、1962年に下村脩博士たちによって発見・分離精製されました。

 このメカニズムの発見は、下村脩博士たちの不屈の努力と、ある偶然と、それを見逃さなかった注意力によるものでした。

 実験の失敗を繰り返したある日、不要になった溶液を流しに捨てたところ、たまたま強い発光が見られました。

 その流しには、偶然海水が流れ込んでいて、それと溶液とが反応したらしいのです。

 それがきっかけとなり、クラゲに含まれるイクリオンというタンパク質が、発光細胞内のカルシウム濃度を感知して発光する原理が解明されました。

 イクリオンやGFPを任意のタンパク質に組み込むと、組み込まれたタンパク質が生きた状態のままで光を放ち始めます。
 その結果、顕微鏡を覗けば、肉眼でタンパク質の生きた働きを空間的に捉えて観察できるようになりました。


 下村脩博士たちの研究の成果はこれだけではありません。

 発光タンパク質とともにこれを発現する遺伝子そのものが、さまざまな病気の治療に使われようとしているそうです。

 最も有名なのが、ガン治療です。

ガンは不老不死で、無限に分割増殖します。

 その原因の一つが、テロメラーゼという酵素の働きにあります。

 細胞の染色体の末端にはノリシロのようなテロメアという部分があります。私たちの体の細胞のような通常の細胞は、細胞分裂のたびにテロメアが短くなっていき、最後にはこれ以上短くなれない状態になり、そうなると細胞は分裂することができません。

 つまり、細胞分裂の回数=細胞の寿命はテロメアの長さで決まってくるわけです。

 
 ところが、ガン細胞はテロメアが短くならないらしいのです。

 テロメラーゼという酵素が、短くなるはずのテロメアを修復しているのです。

 ですから、テロメラーゼという酵素があるところにガン細胞があることになりますね。

 このテロメラーゼを発現する遺伝子と、オワンクラゲの発光遺伝子を無害化した風邪ウイルスに組み込み、ガン患部にばら撒くと、ガンが発生した部分だけが光ります。

 そうすれば、ガンを肉眼で観察できるため、従来では発見が難しかった腎臓ガン、膀胱ガンも簡単にみつけられるようになります。

 この治療法はまだ動物実験の段階ですが、近い将来、臨床に用いられれば、ガン患者の生存率の向上に大きく寄与するものと期待されています。 

 また、アルツハイマー病で神経細胞がどのように壊れていくのかや、インスリンを分泌する細胞が膵臓(すいぞう)でどのようにつくられるか、などの解明にも使われているそうです。

 これだけの業績ですから、ノーベル賞は当たり前ですね。

 さて、下村脩博士たちが実験のためにヒシャクで掬って採ったオワンクラゲさんは85万匹にのぼるそうです。

 実験を一回行うのには、発光タンパク質を100~200ミリグラム使用するのですが、この量を確保するのに、5万匹(約2トン)ものオワンクラゲが必要なのです。

 それが、85年には、イクリオンを発現する遺伝子が、92年には、GFPを発現する遺伝子が同定され、大腸菌に組み込んで増殖させ、クローンができるようになってから、オワンクラゲの乱獲は不要になりました。

 そのままだったら、オワンクラゲさんが絶滅していたよ!よかったねえ。

 それにしても、こんなクラゲさんのおかげで、細胞の研究が進み、医療分野においても、新しい治療法が確立されて人の命が救われるなんて誰が予想したでしょう?

 地球に優しいとか、生態系や環境の保護とかいいますが、実利的にも、どの生物が、なんの役に立つか分からないのです。

 ひょっとして、人間が絶滅させた生物種の中に本当なら、人間の未来を明るくしたはずの物質が含まれていたかもしれないのです。私が神様ならそういう意地悪を人間にするでしょう。

 種の保護は、有用な遺伝子情報の保護でもあるのです。

 今回の下村脩博士のノーベル賞受賞はそういうことを考えさせてくれます。

 

 参考図書
 技術評論社:クラゲのふしぎ 海を漂う奇妙な生態 ジェーフィッシュ著・久保田 信+上野俊士郎監修

去年の夏の沖縄旅行だよ。その12 琉球村のいろんな建物 【ファイルT56】2008.11.16 

【ファイルT56】2008.11.16 去年の夏の沖縄旅行だよ。その12 琉球村のいろんな建物

 

やぎさんもいるねえ!


 沖縄琉球村の続きです。

 写真の整理に手間取って、間隔があきました。すみません。

 沖縄は台風が多いので、こうやって風雨に強い形をしています。





 旧花城家って書いてあります。築約120年、久米島から移築された一般的民家だそうです。





 お賽銭箱がおいてあるわらぶき屋根の背の低い建物があります。





 なんだろうと思ったら、神アシャギという祈祷所のようです。

 祭祀の日、神々が祝女(ノロ)らシャーマンに乗り移り、降臨する場所だそうです。


琉球新報2003年3月1日記事では、こう紹介されています。

 神アシャギ (かみあしゃぎ)

 村の神を招いて祭りを行う小屋。小屋の造りは四本柱、あるいは六本柱で、壁はない。古くは茅葺き屋根の寄せ棟造りであったが、近時、コンクリート屋根もある。屋根が低く、中へ入るには腰をかがめなければならない。神アシャギは主に沖縄本島北部および周辺離島での呼称で、本島中部・南部には、神アシャギに類似したトゥン(殿)がある。伊平屋島我喜屋・島尻の神あしあげ、伊是名村諸見・仲田・伊是名・勢理客の神アサギは【県指定民俗文化財】
『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月・琉球新報社発行、2,415円(税込)

 あれ?建物のことの説明だけで、肝心なノロ等シャーマンのことが書いていないよ!仏造って魂入れずだねえ。

 琉球新報というか沖縄のマスコミは思いっきり左翼です。マルクス思想から言うと、こういう迷信は排除しなきゃなんないんだろうね。

 淫祀邪教扱いです

 沖縄の心的起源はやはりアニミズムです。それで卑弥呼のようなシャーマンが活躍します。

 琉球王国が制定したシャーマンであるノロ(祝女)やツカサ(司)が公的な神事、祭事を司ります。

 それに対して、ユタという存在があります。ユタは市井で生活し、一般人を相手に霊的アドバイスを行うことを生業とする在野のシャーマン・巫(かんなぎ)なのです。

 ユタはいわゆる霊能力者ですが、今では迷信と考える人も多いそうです。

 沖縄では一般にユタの力は古くから広く信じられていて、凶事が生じた場合や原因不明の病気、運勢を占いたいときなどの人知を超えると考える問題を解決したいときに利用されています。

 ユタは相談料をもらって(「ユタ買い」といわれます)問題を解決します。

 医者がユタを勤める例もあって、沖縄県には「医者半分、ユタ半分」ということわざが古くからあるそうです。

 大体、昔は日本でも病気は祈祷で治していたし、西洋でも医者は占星術をやっていて、患者が死んだりすると、星のせいにしたりしていました。西洋では外科医は散髪屋さんがやっていたせいか、内科医より格が下で、いまだにドクターとは呼ばれません。

 ロッシーニのオペラ『セビリアの理髪師』に出てくるフィガロっていう散髪屋さんはメスとか持っていましたからね。

 良く考えれば、外科のお医者さんは手先の器用さが大切ですからね。

 それで、ユタは単なる霊能力者ではなく、信仰上、自らを神と人間の介在者で、広義にはノロやツカサなどと同じく「神人(かみんちゅ)」と呼ばれます。

 沖縄では神に仕えるのは一般に女性と考えられており、ユタもノロやツカサと同じく、大多数が女性です。
 
 これは恐山の潮来(いたこ)さんや、陰陽師の降霊術なんかと同じですから、やはり日本文化と共通しています。

 それで、中央集権や体制強化、近代化を進めたい支配階層は、ユタの存在を脅威や障害と捉えることが多かったようで、時の支配者層から「後進的な存在であり、世間を惑わす」として、幾たびも弾圧、摘発を受けているそうです。

 そりゃそうでしょう。権力者に都合の悪い予言とかされたらたまりませんからね。

 ウィキペディア(Wikipedia)にはこう書いてありますが、庶民の味方を自称する思いっきり左翼の沖縄新報も完全無視してるじゃない!

『これらの受難の時代を経て現在もなおユタは存続しているが、ユタを騙る詐欺事件は今も起こっており、問題は絶えない』

のだそうです。


 沖縄のシャーマン文化に対する風当たりはそうとう強そうです。沖縄の人はこの文化を滅ぼそうとしているのかな?

 テレビ朝日のニュースは以下の共同通信社のニュースを垂れ流していました。

霊能者ユタのおはらいで不調? 沖縄の中学生5人病院へ 共同ニュース
2008年10月22日(水)18:59
 沖縄県の宜野湾市立真志喜中学校で、民間の霊能者として知られるユタの女性を招いておはらいを行った際、女子生徒約20人が「気分が悪い」「息苦しい」と訴え、うち5人が過呼吸状態になったため病院に搬送されていたことが22日、分かった。同校によると、数年前から吹奏楽部で「練習中に気分が悪くなる」「霊が見える」などと話す生徒がおり、一部の保護者からの提案でおはらいをした。

 こういう霊能者をオカルトと決め付けるんだったら、『○ーラの泉』なんて無責任な番組はやめなよ!

 自分たちのイデオロギーと商売、視聴率しだいで、糾弾したり持ち上げたり、こういうのをダブルスタンダードというんですよ。

 やぎさんがいました。





 沖縄ではやぎのミルクを飲んだり、やぎのお肉をたべるそうです。でも癖があるので、よその人は食べられないみたいだねえ。

 キジムナーの家です。





 キジムナー(キジムン)は、沖縄及び周辺の諸島で伝承されてきた妖怪です。

 樹木(ガジュマルの古木等)の精霊で沖縄県国頭郡大宜味村の喜如嘉(きじむか)が伝承の発祥の地と言われていて、その地名を取って『きじむなー』の名で呼ばれることが多いそうです。
沖縄本島でも地域によって『キジムン』『セーマ』『セーマグ』『ブナガイ』『ブナガヤー』『ミチバタ』の呼称で呼ぶこともあります。

 主に「体中が真っ赤な子供」或いは、写真にあるように「赤髪の子供」の姿で現れると言われているそうです。

 南方の妖怪らしく、開放的な性格で、牛や馬にいたずらして飛び跳ねさせるようなたわいのないことをするぐらいで、魚や蟹を好んで食べます。

 魚は片目だけくり抜いて食べただけであきてしまい、人がうまくおだてて取り入ればその残りがもらえるかもしれないんだって。

 夜に提灯を持って歩いていると、その火を取って逃げることもありますが、出かける前に提灯をまたいでおけば、これを防げるともいわれているそうです。

 なんか、座敷わらしとか、コロポックルみたいなものかな?

 図説日本妖怪大全:水木しげる著 講談社+α文庫にも載ってました。水木先生は偉いなあ!

 私もこの子に会いたいんだけど、出てきそうなところは、ハブが怖いので、探すのは諦めました。


 いかにも沖縄らしい風景です。





 穀物を保存する高倉です。





 沖縄庭園もあります。





 このシーサーさんも変わっています。





 バナナがなっています。





 三角屋根の瓦が綺麗です。





 ここにもいました。シーサーさん。





 ということで、次回も琉球村です。

世界のサファリ型動物園の元祖にして本家の東京多摩動物公園のライオンバスはなかなか怖いよ! 【ファイルC75】2008.11.13 

【ファイルC75】2008.11.13 世界のサファリ型動物園の元祖にして本家の東京多摩動物公園のライオンバスはなかなか怖いよ!

やっぱりライオンさんは百獣の王だねえ!


 多摩動物公園はとてもひろい動物園です。

 中でもライオンゾーンが凄く広いのです。

 ライオンさんはこんな感じで遠くに見えます。





 遠くにしか見えないとつまらないので動物園の人はライオンバスという方法を考え付きました。あったまいい!

 これを思いついたのはアイデアマンで有名だった初代園長の林寿郎さんです。

 サファリ型動物園は、英国の『ロングリート・ライオン・サファリパーク』が世界的流行の火付け役になったのですが、ここのオーナーのJ・チッパーフィールドさんは世界的なサーカス王で、多摩のライオンバスのニュースを入手するや、そのアイディアの導入を決定したんだって。

 だからここが世界のサファリパークの本家にして元祖です。えっへん!

 ライオンを間近にみて怖がる、ちっちゃなお友達。





 こういうふうに、近くにいるライオンさんを観察できるのです。

時々、ライオンさんが意地悪をして、バスの行く手を通せんぼします。





 そういう時は、歳末の商店街の福引みたいなガラガラポンを乗客みんなでやります。

 赤い玉を引いた人が当たりです。

 係りの人がドアを開けて赤い玉を引いた人を下に突き落とすと、ライオンさんは落っこちてきた人を追っかけて食べるので、道が通れるようになります。
↑うそです。すみません。

 これがライオンバスの発着場です。この建物はケニア共和国のナイロビにある回教寺院をモデルに作られたそうです。





 切符を買って、乗り込みます。

 私が乗ったときはとても空いていました。もし、途中でエンストしたときなんかは、お客さんが多いほうがライオンのお腹の中で溶ける確率が低くなるので、空いているのはいやだなあ!

 じゃあ、しゅっぱーつ!

 さっそくライオンさんが来ました。





 台の上にいる腹ペコライオンさんは、バスの外にぶら下げてある餌を食べに来ます。





 強化ガラスだって分かっていても、あまり気持ちのいいものではありません。





 メスライオンさんが寝そべっています。





 このライオンさんは、舌なめずりをしています。





 遠くのほうで吠えている人がいました。





 ということで、ライオンゾーンを一周してバスは戻ってきます。

 距離は短いのですが、なかなかの迫力です。というより、このバスに乗らないと、ライオンさんは近くでみることができません。

 でもライオンさんが沢山いて楽しいよ。みんなも一度乗ってみてくださいね。

名古屋市東山動植物園のゴリラのオキさんは日本最高齢! 【ファイルC74】2008.11.10 

【ファイルC74】2008.11.10 名古屋市東山動植物園のゴリラのオキさんは日本最高齢!

浅井力三さんのゴリラ・ショーにも出ていたんだよ!


 名古屋市東山動植物園に行った目的の一つが、日本最高齢のゴリラのオキさん(メス)に会いに行くことでした。

 オキさんは、おんとし52歳で、ゴリラの平均年齢は40歳だから、人間なら100歳を越えているそうです。





 手前で寝転がって大きい人がオキさんで、座っている小さい子はアイちゃん(メス)で5歳です。

 アイちゃんのお母さんのネネさん(メス)35歳





 去年シドニーのタロンガ動物園から来たシャバーニさん(オス)11歳。









 




 シャバーニさんは体重170kgでとっても大きいよ。ボブ・サップさんに似ているねえ。


 それで、オキさんは1959年9月に3歳で来園しました。

 そして、1963年から、東山動物園の名物飼育員だった故浅井力三さん(2001年逝去)が3頭のゴリラを率いて演じるゴリラ・ショーの一員として、大人気となりました。

『ゴリラのボスになった力三(りきぞう)さん』綾野まさる著 ハート出版の表紙





 裏表紙にゴリラ・ショーをやっていたときの写真が載っています。





 左から浅井力三さん、オキ(メス)、プッピー(メス)、ゴン太(オス)

 浅井力三さんは、3頭をまだ赤ん坊だった来園時から一生懸命育てて、ゴリラのボスになったのです。

 これだけ人になれたゴリラはおらず、世界中の動物園関係者・生物学者がこのショーを観に来たということです。

 しかしながら、1968年にこのゴリラ・ショーは終了します。これは、3頭のゴリラが成長して、野生を取り戻し、浅井さんの言うことを聞かなくなったからです。

 浅井力三さんという育ての親から、一人前のゴリラとして独立したということですね。

 基本的に、お猿さんというのは、野生でペットにはならず、ニホンザルも芸をやっているのは殆どが若いお猿さんだそうです。だから、以前記事にしたコモンマーモセットでも、飼うということになると、余程の覚悟がいるそうです。

 浅井さんも、プッピーも、ゴン太も既にこの世を去り、ゴリラ・ショーのメンバーで、このオキさんが唯一元気に暮らしているのです。


 ところで、オキさんには、長生き・元気の秘密があります。

 2003年3月にアイちゃんの父親リッキー(推定31歳)さんが、アイちゃんが生まれて5日後に急死して、突然、連れ合いをなくしたネネさんが動揺して眠れなくなったため、母子をベテランのオキさんと一緒にさせたところ、小心者のネネさんが、おおらかな性格のオキさんを頼るようになったそうです。

 オキさんは1988年に出産の経験がありますが、子どもは直後に死んでしまい、子育ての経験はありません。

 それでも、オキさんは子どもが大好きで、アイちゃんが食べ物を横取りすると「いけないよ」と諭したり、プールでの水遊びの仕方を教えたりと、ゴリラ社会のルールを母親のネネさんに代わって教えているそうです。背中にアイちゃんを乗せて遊ぶこともあるということです。
 
 ネネさんにとっても、子育てに疲れた時に子どもの世話をしてくれるのはありがたいようで、オキさんは母子にとって欠かせない存在になっています。

 オキさんも頼られていることが“生きがい”になっているのか「病気もまったくしないし食欲もある。オキで困ったことはない」(飼育係の渋谷康さんの言:中日新聞:2006年7月24日より)そうです。


 アイちゃんにいろいろ注意しているオキさん。





 アイちゃんは実の母のネネさんと、オキさんの2人のお母さんに育てられたんだね。

 アイちゃんを見守るオキさん。





 優しい目をしてますね。

 ナックルウォークのオキさん。





足腰も元気です。

 いつの間にか、アイちゃんが寝転がっているオキさんの傍に座っています。





 こんな感じでオキさんはのんびりと暮らしています。

 大きなお口だねえ。





 これからも元気でね。

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