FC2ブログ

おたる水族館のアザラシさんは芸達者。 【ファイルC130】2009.06.30 

【ファイルC130】2009.06.30 おたる水族館のアザラシさんは芸達者。

楽しいショーだよ

 冬行ったおたる水族館のアザラシのショーの記事をアップします。

 まず、アザラシさんはハンドルを握ってタクシーの運転手さんをしています。
「お客さんどちらまで?」





「○○町まで、お願いします」
「え~っ!それってワンメーターじゃないのさあ!やってられないよ」
 むくれてハンドルを被っちゃいました。





 態度の悪い運転手さんだねえ。

 こんどはお姉さんの投げたボールをキャッチするよ。

 へ~い!ばっちこ~い!




 
 真剣な目つきです。

 お姉さんが投げました。





「うへえ!おねえさん、コントロール悪すぎだよお!僕がミスしたみたいに見えるよお!こんどは心を入れ替えてちゃんと投げてね」





 今度はナイスキャッチ!うれしいな!

 お姉さんにのけぞってボールを返します。





 こんどはプールに入って、

 ナイスキャッチ!





次はお姉さんの指差す方向に頭を向けます。





 賢いねえ。


 投げ輪キャッチもするよ!





 やっぱり水中が動きやすいねえ。

 スロープをイモムシさんのように匍匐前進。





 滑り台!





 スプラーッシュ!





 本日はお越しくださいましてありがとうございました。





 また来てね!バイバイ。



スポンサーサイト



銀閣寺は世界遺産で綺麗で凄いねえ(その1) 【ファイルT93】2009.06.28 

【ファイルT93】2009.06.28 銀閣寺は世界遺産で綺麗で凄いねえ(その1)

東求堂もあるよ。

 以前、京都大学の博物館に行ったときに銀閣寺にも行ったのですが、ずっとお蔵に入っていて、やっと記事をUPできました。

 京都大学の博物館の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/38678342.html

 慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にある、東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院(相国寺の境外塔頭)です。
 銀閣寺の正式名は東山慈照寺。山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政。開山は夢窓疎石とされています。


 銀閣と呼ばれるのは、足利義政が造営した楼閣建築である観音殿を「銀閣」と通称し、観音殿を含めた寺院全体を「銀閣寺」と通称しているからだそうです。この通称名は近世の名所案内記などですでに使用されていて、一般的には昔からそう呼ばれていたのですね。

 金閣と通称される鹿苑寺舎利殿には金箔が貼り付けられているのに対し、銀閣と通称される慈照寺観音殿には銀箔は使用されていませんが、全体に黒漆が塗られていたという説もあるそうです。今回の修復に際し、黒漆を塗るべきか、現在の木目をそのまま生かすか議論が分かれているようです。

 銀閣寺では、国宝観音殿(銀閣)の屋根葺き替え及び部分修理(耐震)工事を平成20(2008)年2月より2年間の期間予定で行っているそうです。
 観音殿(銀閣)修復工事情報については銀閣寺HPをご覧ください。
 銀閣寺HPはこちら。
http://www.shokoku-ji.or.jp/ginkakuji/index.html

 本日の銀閣の様子は銀閣寺HPで見ることができます。行かれる予定の方は、こちらをみてね!
http://www.shokoku-ji.or.jp/ginkakuji/webcam/index.html


 まず、銀閣寺に着くと、総門から中門まで約50mの参道、銀閣寺垣が出迎えてくれます。
 




 銀閣(観音殿=国宝)のうらに出ます。





 銀閣は、1489年(延徳元年)に上棟されたことがわかっていて、それから程なくして完成したようです。

 重層、宝形造、?達(こけら)葺で、平面は長方形で正面8.2m、奥行7.0m。初層の「心空殿」は住宅風、上層の「潮音閣」は方3間(柱間の数が正面・側面とも3つ)の禅宗様(唐様)の仏堂だそうです。書院造につながる和風の住宅風意匠が取り込まれていて、東山文化の代表的建築物です。

 銀閣には銀箔を貼った痕跡は無く、2007年1月5日には科学的調査によって銀箔が全く検出されなかったことが発表されました。

 慈照寺の庭園には多くの名石、名木が配され、建材にも贅を尽くしていること、当時の東山文化が茶道趣味と禅宗文化を基調にしたものであったことを考えると、当初から銀箔を貼る計画はなかった可能性が高いそうです。

 銀閣寺らしい風景がこれです。





 観光の人がいなくならないので、一番少ない時に写して、レタッチで消しています。

 この白砂のオブジェがびっくりです。





 この富士山みたいな砂山が向月台(こうげつだい)です。

 これは、岡本太郎さんも『なんだこりゃ』と驚嘆したモダンアートです。
 
 それで、縞々模様が「銀沙灘」(ぎんしゃだん)です。 










 岡本太郎さんは、銀沙灘は夜に月の光を反射して、これを海のように見立てて楽しんだのじゃないかって考えました。

 
 銀閣寺のHPはこれういう説を『俗説』と断じ、『これら二つの砂盛りも室町時代まではとうてい溯り得ず、近世以後の発想ではないかと思われます。しかしこのような奇想天外な行き方は独創的で他に例がないでしょう』と書いています。

 江戸時代に庭の改修があったそうで、もともとこれがあったかどうかは分かりません。でも、改修でこんな大胆な造形を創作してしまうものでしょうか?

 だれが作ったものかは分かりませんが、こんな大胆で新鮮でとんでもない発想はどこから出てくるのでしょう?それこそ禅問答になりそうです。

 それにしても、見る角度によって形が変わっていくのです。龍安寺の石庭を『平面的』だって言った岡本太郎さんが絶賛しただけのことはあります。

 方丈の横の比較的新しい建物に入ったら、修学旅行生の案内をしていたタクシーの運転手さんが、「こういうふうに障子を開けると、山の景色が掛け軸のように見える」って説明していたので、写真を撮りました。





 なるほど・・・。

 方丈(本堂=江戸中期の建造)には、ご本尊の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)が安置され、江戸時代の文人画家与謝蕪村筆の「飲中八仙図」「山水人物図」「棕櫚に叭叭鳥図」や池大雅筆の「琴棋書画図」などがあります。


これが、与謝蕪村(よさ ぶそん、よさの ぶそん)の襖絵「飲中八仙図((いんちゅうはちせんず/はっせんず)重文)」です。





 飲中八仙とは、唐の杜甫が作った詩に登場する酒豪、李白・賀知章など8人だそうです。完全に世捨て人の世界です。

 拡大します。





 発色がとても鮮やかなのですが、この直前に、傷んできたのでデジタル複製をしたらしいので、これがそうなのかも知れません。でも木の札には『文化財指定 中央間 襖絵 飲中八仙図 与謝蕪村筆』としか描かれていないので、たぶん本物です。

 鷹の杉戸絵が描かれていました。





 作者とか題名とか調べたのですが、分かりません。


 れで、お次は東求堂(とうぐどう:国宝)です。













 義政の持仏堂で、1486年(文明18年)の建立です。

 池に面して建てられ、大きさは3間半四方。正面左は方2間の仏間、右奥は義政の書斎(同仁斎)です。

 なんで国宝なのかというと、右奥の義政の書斎(慈照寺東求堂同仁斎)北側に設けられた付書院と違棚は現存最古の座敷飾りの遺構で、書院造や草庵茶室の源流として、日本建築史上貴重な文化遺産だからです。

 つまりこの建物が『侘び寂び渋み』といった日本の伝統のおおもとなのですね。だから、こんな小さい建物が、日本史の教科書にも載っているわけです。銀閣寺が世界遺産になるのは当然なのです。

 錦鏡池(きんきょうち)越しの銀閣





 ということで、次に続きます。

グローバル化って簡単に言うと結局どういうことかな? 【ファイルE1】2009.06.28 


【ファイルE1】2009.06.28 グローバル化って簡単に言うと結局どういうことかな?

 大昔、日米貿易摩擦というのがありました。
 日本の自動車対米輸出が増大し、アメリカの自動車産業が圧迫され、アメリカの自動車労組が日の丸の旗を焼いたり、日本車をハンマーで叩き壊すデモンストレーションをしたり。
 それから、日本人は働きすぎだってILO(International Labour Organization=国際労働機関)から時短をしろと叱られたりしました。

 今そんなことはありますか?

 ありません。
 なぜなら、日本の自動車メーカーはアメリカに現地法人を作りアメリカ人を雇ったからです。

 当然、日本で車を作る量は減って、アメリカで作るようになりました。つまり、これって失業者の輸入じゃないの?

 ドルショックやオイルショックがあって、追い討ちの失業者の輸入です。これで本当はこの時に日本経済は失速するはずでした。『経済のソフトランディング』とかなんとか議論していました。

 ところが、実体の無い狂気のバブル景気で、そんな矛盾は覆い隠されたまま日本人は浮かれました。

 そんなもの続くわけありません。

 その上に、日本の財界は労働力の安い中華人民共和国に現地法人を作ったり、沢山輸入をしたりしました。

 バブルは当然のごとくはじけます。これで失業者が増えなきゃおかしいでしょ?

 それから、今どきILOは時短なんて日本に要求しません。
 なぜなら、金融ビックバンで、外資がどんどん入ってきて、株式支配をしたもんだから文句を言わない日本人をこき使って利益を上げ、株主配当を多くした方が得だからです。

 小泉内閣は民営化だ規制の撤廃だと言い、マスコミはこぞって持ち上げました。

 それどころか、製造業の派遣労働の規制をとっぱらいました。その上に調子をこいて、『過労死促進法』といわれる『ホワイトカラーエグゼンプション(white collar exemption)』まで 提案しました。

 日本は海外資本の餌食です。

 というよりも、小泉政権はアメリカの命令をそのまま政策にした傀儡(かいらい=あやつり人形)政権だったからあたりまえです。

 その『証拠』はネットで簡単に検索できますよ。機密文書でも何でもありません。

『在日アメリカ大使館』のHPには堂々と日本への要求書を公表しています。

在日アメリカ大使館のHP
http://tokyo.usembassy.gov/tj-main.html
を開けて、『政府関連文書』をクリックして、『経済・通商関連』をクリックすれば、『規制改革』の項目に、『日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書=PDF (2008年10月15日)』とありますが、これがアメリカの日本に対する要求(というより命令)です。

それで、この文書の2005 年版をグーグル検索してみましょう。

それで出てきたのがこれです。

**************************

日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく
日本国政府への米国政府要望書
2005 年12 月7 日

2001 年にブッシュ大統領と小泉総理大臣が立ち上げた「成長のための日米経済パートナーシップ」の下、「規制改革および競争政策イニシアティブ」(規制改革イニシアティブ)は、規制改革や競争政策に関する分野別および分野横断的問題に焦点を当て、経済成長や市場開放を促進している。今年で5年目を迎えたこのイニシアティブは、日米貿易や経済関係のさらなる強化に向け、引き続き重要な役割を担う。
米国は、小泉総理大臣の日本経済改革に向けた継続的取り組みを歓迎する。これらの取り組みは日本を成長軌道に乗せ、より多くの貿易および投資機会を創出した。米国はまた、規制と構造改革を強力かつ効果的に提唱してきた規制改革・民間開放推進本部と構造改革特別区域推進本部のすばらしい取り組みを評価する。
http://tokyo.usembassy.gov/pdfs/wwwfj-regref20051207.pdf

**************************

 小泉総理大臣ったら、言うとおりにしてアメリカに『すばらしい取り組みを評価する』って褒められてますね!郵政民営化しましたからね。

 さかのぼって2004度の版にはこう書いてあります。

**************************

2007年に開始予定の日本郵政公社の民営化は、民間の宅配便業者にも大きな影響を与える可能性がある。
 本年の米国の提言の柱は、日本郵政公社の民営化が日本経済に最大限の経済的利益をもたらすためには、意欲的かつ市場原理に基づいて行われるべきであるという原則である。
http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-j20041020-50.html#mineika


**************************

 それでね、日本政府はアメリカ政府に当然『日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく米国政府への日本国政府要望書』を出してるんだろうね?

 それでもってオバマ大統領が言うこと聞いてくれたら、ちゃあんと褒めてあげたりするんだろうね?外交って確か相互主義だったよね?

 大体、どうしてこんな明白な内政干渉をマスコミは叩かないのかな?どうして大問題にならないのかな?

 それにしても日本国民はアメリカのいいなりの小泉総理を支持し続けたのだから、お目出度いにも程があります。

 ということで、日本の雇用は海外に流出し続けます。

 それにしても、日本の自動車会社のアメリカ現地法人で、過労死問題とか、派遣切り問題なんてあるのでしょうか?

 冗談ではありません。

 リーマンショックでアメリカは政府が最大手シティグループの筆頭株主になって、実質的に政府の管理下に入ったんじゃなかったの?GMも実質国有化されました。

 
 なにが民営化ですか?なにが『日本郵政公社の民営化が日本経済に最大限の経済的利益をもたらすためには、意欲的かつ市場原理に基づいて行われるべきである』ですか?

 アメリカ経済に最大限の経済的利益をもたらすためには、リーマンショック対策も意欲的かつ市場原理に基づいて行われるべきじゃないのですか?

葛西臨海水族園のアオヤガラさんは細長いねえ。 【ファイルC129】2009.06.26 

【ファイルC129】2009.06.26 葛西臨海水族園のアオヤガラさんは細長いねえ。

変な形のお魚だよ!

 葛西臨海水族園の伊豆七島コーナーの水槽で、変なお魚を見つけました。

 アオヤガラさんです。こんにちは。





 細長いお魚です。





 トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヤガラ科 Fistulariidae は1属4種を含み、三大洋の熱帯・亜熱帯域に分布します。浅い海のサンゴ礁・外洋に住み、小魚や甲殻類を食べています。

 トゲウオ目って以前紹介したリーフィーシードラゴンさんやタツノオトシゴさんやヘコアユさんが含まれる変な姿のお友達が多い目です。

 リーフィーシードラゴンさんの記事はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/48343064.html

 ヘラヤガラ科と同様に大型種を含み、体長は最大で1.8mにも達するそうです。日本近海からはアカヤガラ(Fistularia petimba)とアオヤガラ(F. commersonii)の2種が知られ、前者は高級食用魚として珍重されます。

 アカヤガラの方が大きくて、タイとハモを合わせたような味だそうです。

 他方、このアオヤガラさんはアカヤガラと比べると小型で、市場に紛れ込んでいるのも50~60センチ前後。身はほとんどないようです。ただし、大きいものは身がついているので、おいしいんだって!

 体をうねらせたら、海蛇みたいです。





 二人仲良く写っています。





 変な形のお目目だねえ。





 この写真が、シルエットが良く分かるかな?





 一緒に泳いでいるのはスズキ類タカサゴ科のウメイロモドキ(梅色擬)さんです。





 ウメイロモドキさんのアップ。





 ウメイロモドキさんは群れて泳ぎます。





 方向転換も一斉にするよ!





 竜宮城みたいだねえ。


 最後にナメモンガラさんのオスです。





 ナメモンガラさんはフグ目モンガラカワハギ科です。メスは地味な色をしているそうです。

 それにしても、モンガラカワハギ(紋殻皮剥)科って、へんな名前だねえ。

 業界人がだったら、ガラモン・ハギカワって呼ぶのかな?

チャイコフスキー/バレエ『くるみ割り人形』より『金平糖の踊り』 【ファイルMU5】2009.06.24 

【ファイルMU5】2009.06.24 チャイコフスキー/バレエ『くるみ割り人形』より『金平糖の踊り』

『チェレスタ』という珍しい楽器が活躍するよ。

 チャイコフスキーの三大バレエ曲といわれているのが、『白鳥の湖』『眠れる森の美女』、そして『くるみ割り人形』。
いずれも名曲でバレエでは欠かせないレパートリーですが、全曲は長いので、ダイジェスト的な管弦楽組曲も出版されています。

 中でも『くるみ割り人形』は粒ぞろいの名曲が多い傑作です。

 初演は1892年12月17日(6日、18日とするものもあり)、サンクトペテルブルグマリンスキー劇場にて。

 それで、少し変わっていて、小さくて可愛らしい曲が『金平糖の踊り』。

 この曲は『チェレスタ』という珍しい楽器が大活躍します。



 写真はチャイコフスキーさん。

 チェレスタは小型のアップライト・ピアノのような形の楽器で、フェルト巻きのハンマーで、共鳴箱付きの金属音板を叩いて高音域を発生さします。

 キラキラとお星様の瞬きのような音がします。

 実物を見たことがありますが、係りの人が楽器を運んでいるとき、金属板同士が当たる綺麗な音がしたのを覚えています。

 ヤマハ製 チェレスタCEL-53





 金平糖の踊り Andante non troppo、ホ短調、4分の2拍子(複合三部形式)。タイトルの原題は「ドラジェの精の踊り」ですが、日本ではドラジェというお菓子(アーモンド等を砂糖で包んだお菓子)は一般的でなかったためにこの邦題が馴染み深いものになって、現在に至っています。

同様に英語圏ではクリスマスのキャンディーである「シュガープラムの精の踊り(Dance of the Sugar Plum Fairy)」となっています。

でもチェレスタのキラキラした音色がいかにもお星様の形をした金平糖みたいで、とても名訳だと思います。

 京都には創業が慶応年間の『緑寿庵 清水』という日本唯一の『こんぺいとう』専門店があって、大人気だそうです。
http://www.konpeito.co.jp/index.html
 ここの金平糖はお茶席にも使う高級品で、とても高価なんですけれど、季節限定品は一年先まで予約が一杯、通年置きの定番小袋も品切れ続出の品薄状態が続いてなかなか手に入らないそうです。そう言われると、余計に食べてみたいねえ。

 金平糖は、一五四六年ポルトガルからもたらされた異国の品々のひとつで、織田信長も宣教師から贈られたんだよ。
当時はとても珍しく貴重な品とされ、製造法はいっさい秘密でした。
日本で金平糖がつくられるようになったのは長崎から京都・江戸と広まってからだそうです。


『金平糖の踊り』の話に戻ると、この曲の発表当時は、丁度、チェレスタが発明されたばかりでした。ですから、『金平糖の踊り』がチェレスタを起用した世界最初の作品なのです。

 当初、このパートは天使の声と喩えられた珍しい楽器アルモニカ(または別種の「ガラス製木琴」)のために書かれていて、後にチャイコフスキーさんが旅行先でチェレスタと出会って、その美しい音色にびっくり!急遽、楽器指定を変えたことが明らかになっているそうです。

 なお、チャイコフスキーさんは初演まで、新発明のチェレスタを使用することを秘密にしていました。

 パリから楽器を取り寄せる際に、モスクワの業者に送った手紙の中に「他の作曲家、特にライバルのリムスキー・コルサコフさんとグラズノフさんに知られないように」と言う趣旨のことを書いていて、先に使われるのを防ぎ、みんなをあっと驚かせたいと思っていたようです。

 作曲業界も、競争が大変だったんだねえ!

 ちなみに、この『金平糖の踊り』は女子フィギュアスケートの浅田真央選手が2005-2006シーズンのフリースケーティングで使用したことでも有名です。

 とても人気な曲なんだねえ。

 くるみ割り人形は、クリスマス・イブの夜のパーティーで少女クララがプレゼントされたくるみ割り人形と夜中にお菓子の国に旅立つというロマンチックなおとぎばなしです。

 バレエもとても華やかですから、一度ご覧になったら良いかも。

 私は、ニーナ・アナニアシヴィリさんがプリマ・バレリーナを演じた舞台を観たことがありますが、それはそれは美しかったよ。


大阪市天王寺動物園のクロサイさんのお食事 【ファイルC128】2009.06.22 

【ファイルC128】2009.06.22 大阪市天王寺動物園のクロサイさんのお食事

おなかいっぱいだあ!

 大阪市天王寺動物園のクロサイさんちは、岩がごつごつしています。

 でもどっちが岩だかわからないねえ。
 




 こっちに向かってかけてきました。
 
 




 迫力があって、つよそうだねえ。

 でも、岩陰に隠れたので、よそを見て回りました。

 そのうち、園内アナウンスでサイさんの餌やりタイムだっていうおしらせがありました。

 柵の前にみんなが集まります。

 気配を察して、岩から顔を覗かせました。

 




 クロちゃんで~す。でも安田大サーカスには所属していません。

 そろそろご飯の時間だねえ。

 早くご飯が来ないかな?

 




 サイさんは、少し、こっちにきました。

 まだ来ないかな?

 




 また少し、こっちにきました。達磨さんが転んだをやっているみたいです。おじさん遅いねえ。

 そのうち、草の束と、脚立を持った飼育員さんが現れました。

 脚立で柵を乗り越え、草をサイさんに見せます。

 わ~い!餌がきた。

 




 飼育員さんは口の中に手を突っ込んで餌を与えます。

 




 サイの角は骨ではなくて、ケラチンでできています。髪の毛や爪のようなものなのですね。

 野生では前の大きい角は70cmほどになるそうですが、動物園の狭い庭では動きが不自由になるので、短くしてあります。

 サイは角で工芸品や漢方薬を作るために密猟が多く、絶滅の危機にさらされているそうです。クロサイさんの西アフリカ亜種は、2005年に絶滅が宣言されました。

 密猟者は角だけが有用なので、保護当局が野生のサイの角を先回りして切ったりもしたそうです。

 でも最近、少し数が回復していて、世界中の動物園でも繁殖のための努力がなされているんだって。

 体はごついけど、お顔は優しいねえ。

 




 口を開けておかわりをねだります。

 




 耳をぱたぱた喜んでいます。

 




 ごちそうさまでした。

 




 お行儀が良かったので、褒めてもらえたよ、

 満腹満腹。これからも保護のために研究が進めばいいね。

 


梅雨時はお花が綺麗だねえ 【ファイルPho20】2009.06.20 

















【ファイルPho20】2009.06.20 梅雨時はお花が綺麗だねえ

 じめじめ鬱陶しいけどね

 暑くてじめじめして、雨降りで、梅雨ってあまり歓迎されていません。
 洗濯物も乾かないしね。
 でも、動植物にとっては、梅雨は嬉しい時期なんでしょうね。恵みの雨っていうぐらいだから。

 火山、地震、梅雨、台風はとても迷惑なものだけれど、日本の自然を豊かにするものでもあります。
 例えば、火山灰は短期的には、土地を痩せさせる役割を果たします。
 しかしながら、長期的には火山灰層の間に落葉や草の根や茎などの有機物を挟み込むことになり、土壌を肥沃にする役割も果たしています。
 現在、森林の砂漠化が問題になっていますが、森林の代表である鬱蒼としたジャングルは表土が薄く、これが削られれば、緑が戻るには何万年単位の時間が必要です。だから開発されれば、簡単に砂漠になってしまうのです。
 ですから、私は地球の温暖化より、森林伐採による砂漠化のほうが余程問題だと思うのです。

 砂漠化が進まず、単に地球が温暖になれば、地球全体が温暖だった恐竜時代のような豊かな緑ができるはずだからです。生命が満ち溢れ、巨大恐竜が地上を闊歩していたジュラ紀などは、現在より平均気温が15度以上高く、氷結地帯はありませんでした。そして二酸化炭素は5倍以上だったようです。
 ロシアなんか、シベリアが暖かくなると使える土地が広がるので、むしろ地球温暖化を歓迎していて、なおかつ、とんでもないことに、二酸化炭素の排出権取引では一儲けしようと企んでいます。

 ですから、エタノール燃料が儲かるからといって、森林を伐採し、とうもろこし畑にするなんて、本末転倒で、もっての他です。

 古代の世界四大文明といわれている地域はかつて緑が豊かな大地でした。
 にもかかわらず、都市の形成で材木や燃料に使用するために緑が伐採され、今では砂漠になっています。
 一方日本は開発されて更地になっても、すぐに雑草が生えてきます。西部劇で荒涼とした大地が出てきますが、日本ではすぐに緑の大地になります。例えば、人類が絶滅しても、日本の東京大阪名古屋などの大都市のビル街は、すぐに緑で覆われるでしょう。日本の自然はとても復元力が強いのです。
 これは世界的に見てもとても珍しい環境なのです。

 地震は造山活動に伴うもので、起伏に富む美しい景観を形成してくれます。
 例えば、兵庫県南部地震。
 関西の人は、関西には地震が無いと油断していたそうですが、六甲山系は御影石で有名なように花崗岩で出来ています。

 花崗岩は年代を経ると風化します。そして、そのまま何もおきなければ、山は風化で平らになるはずです。それなのに、神戸一体で山が海に迫る絶景なのは、造山活動が活発だからです。当然、地震も起きるに決まっています。
 日本は採算を度外視して費用さえ惜しまなければ、どこを掘っても温泉が出ます。浅いか深いかだけの問題です。
 どうして有馬温泉という伝統のある有名な温泉があるのに、大地震が起きないなんて考えていたのか理解に苦しみます。

 梅雨は冬の乾季を補う恵みの雨をもたらしますし、台風は洪水によって、肥沃な平野を形成します。
 ということで、古い写真ですが、梅雨時の花でした。

名古屋市東山動植物園のアフリカゾウのケニーさんのお食事だよ 【ファイルC127】2009.06.18 

【ファイルC127】2009.06.18 名古屋市東山動植物園のアフリカゾウのケニーさんのお食事だよ

チーさんが亡くなって寂しくなるねえ

 前回はなくなったご主人のチーさんの記事を紹介しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/48603929.html

 今回は奥さんのケニーさんです。

1975年11月10日に来園。その時には推定年齢2歳だったそうです。

 日が傾いたときにいったらば、飼育員さんが餌をあげていました。

 




 わ~い!

 もぐもぐ美味しそうだねえ。

 




 それで急いで会いに行きました。近所にいた人も集まってきます。

 ケニーさんは、しきりに次の餌をねだっています。

 




 アフリカゾウは、インドゾウと違い、メスにも牙が生えています。


 ケニーさんのお世話をしているのは、ダウンタウンの浜田さんに少し似ている素敵な飼育員さんです。

 




 ケニーさんは竿の先のおリンゴが気になってしょうがありません。

「餌をあげたい人は並んでください」

 お子様やお年寄りが優先です。

 お辞儀をしています。おでこが広いねえ。

 




 お父さんにだっこされた男の子が餌をあげます。

 




 餌をもらう度に、お礼に耳をひらひら頭を下げてお辞儀をしてくれます。

 




 礼儀正しいねえ。

 こんどはぱおんをしながら直接口で食べます。

 




 長い舌だねえ。

 お鼻をおでこに乗っけて喜んでいます。

 




 頭の形に沿って器用に鼻が曲がっているねえ。


 鼻がにょろにょろ動いています。

 




 早くおリンゴちょうだいよお。

 




 ぱおんをしながら、お手をします。

 




 良く慣れているねえ!大きいのにワンちゃんみたいだねえ。

 お次はニンジンだよ。

 




 アップの写真だよ。

 




 とても良い子なので、飼育員さんにお鼻を撫でてもらいます。

 




 私が餌をやる番になったので、餌をあげるまえに正面からパチリ。

 




 アフリカゾウさんは地上最大の動物ですから、緊張するねえ。

 餌をあげたら、やっぱり丁寧なお辞儀をしてくれました。相手が大きすぎるので、恐縮するねえ。

 とても可愛いけど、奈良の大仏さんを拝んだときのような感動があります。

 うへえ。なんまんだぶなんまんだぶのあ~めん。

 インドでは聖獣だからね。地球は下から大きなゾウさんが支えているんだねえ。

 ということで餌はおしまいです。

 




 ケニーさんは長い帯のようなのを鼻先で持って、振り回し、ぴしぴし体に当ててくっ付いた虫を追い払います。

 大きなお耳をゆらゆら、帯を持った鼻をぐるぐる。

 




 食後のお散歩だよ。

 



 ということで、チーさんがいなくなって、寂しいけど、その分みんなが会いに行ったら喜ぶよ。

 元気でね!

加賀前田家の御守殿門は現存する唯一の赤門(現東京大学赤門) 【ファイルT92】2009.06.16 

【ファイルT92】2009.06.16 加賀前田家の御守殿門は現存する唯一の赤門(現東京大学赤門)

さすがは国の重要文化財で、旧国宝だよ

 東京大学には重要文化財の建物があります。赤門もそうです。





 東京大学といえば、以前安田講堂地下の学生食堂の記事を書きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/39658356.html

 別に東大の正門ではないのですが、東大というと赤門というイメージですから、テレビで東大の中継するときは、この前で撮影することが多いのです。

 それで、赤門(あかもん)とは御守(主)殿門(ごしゅでんもん)のことをいいます。

 江戸時代、大名家に嫁した将軍家の子女、あるいはその居住する奥御殿を御守殿あるいは御住居(おすまい)と称し、その御殿の門を丹塗(にぬ)りにしたところから俗に赤門とよばれました。

 東大にある赤門は、旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門で、文政10 (1827)年に第13代藩主前田斉泰(なりやす)が第11代将軍徳川家斉(いえなり)の第21女、溶姫(やすひめ、ようひめ)を迎える際に造られたものです。

 そもそも東大の本郷キャンパスは大部分が加賀藩上屋敷の跡地です。

 さすがは加賀百万石だねえ。

 徳川のお姫様のお嫁入りのために、わざわざこさえた門なんだねえ。

 1877年(明治10)東京大学に移管され、赤門はそのまま残され1961年(昭和36)に解体修理が行われました。現在は国の重要文化財に指定されています。

 溶姫が21女であることからも分かるように、将軍家は子沢山の人が多く、その子女を他の藩に押し付けるので、特に尾張藩などはそれで大層迷惑をこうむったようですが、そういうところには赤門が建っていたのです。

 だから他にも何箇所か赤門は建てられたはずですが、東京大学の代名詞となった東京都文京区本郷の赤門は現存する唯一のものなのです。

 赤門は、火災などで焼失してしまったら再建してはいけない慣習があり、この赤門は災害などを免れて唯一生き残って現存している貴重なものです。

 だから、国の重要文化財というのは当然ですね。

 建築様式としては薬医門、切妻造となっていいます。左右に唐破風造の番所を置いています。





 立派な屋根だねえ。









 瓦には、加賀藩前田家の家紋『幼剣梅鉢(ようけんうめばち)』が印されています。





 前田家は菅原家の子孫であると伝えられています。このため、家紋も菅原道真(すがわらみちざね)が愛でた梅にちなんだ、梅鉢紋(うめばちもん)といわれる紋様が使われています。
 加賀藩前田家も、分家したそれぞれの前田家も梅鉢紋を用いています。加賀藩前田家の梅鉢は『幼剣梅鉢(ようけんうめばち)』です。

 そういえば、菅原道真公を祀った湯島天神が近くにあるねえ。


 頑丈そうな門ですね。









 門の前には玉砂利が敷き詰められ、立派な樹が植えられています。





 白い塀も綺麗だねえ。





 内側から見た赤門。





 大きな材木を使っています。





 屋根の下の装飾です。





 門の向こうに見えているのが唐破風造の番所です。





 加賀前田家は、尾張国愛知郡(現名古屋市中川区)の土豪であった前田利昌の四男・利家が、織田信長に仕えて功績を挙げ大名になることで頭角を現しました。

 信長没後に利家の娘の豪姫が養女となっていた豊臣秀吉が統一事業を進めると、利家は賤ヶ岳の戦いでは一時は秀吉と対立しますが、豊臣政権の五大老に列し、筆頭大老の徳川家康に次ぐ地位を得て加賀国を与えられます。

 その子の利長は秀吉没後に家康暗殺企図の嫌疑をかけられますが、利長の母で利家の妻である芳春院が人質になることで決着し、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いでは徳川方につくなどして領地を拡大し、江戸時代初期には加賀国・能登国・越中国の3か国に119万石を有する大名になりました。

 利長の跡を継いだ弟の利常は次男の利次に富山藩10万石を、三男の利治に大聖寺藩7万石を分与しました。ほかに利家の五男・利孝を祖とする上野国七日市藩があります。

 また、利長の弟利政は関ヶ原の戦いで石田三成方に与し所領を没収されますが、その子直之が本家の利常に仕えて以降代々加賀藩の要職を務めました。これを前田土佐守家(または直之系前田家)と称します。

 加賀百万石といわれますが、加賀藩の財政は元禄期以降、百万石の家格を維持するための出費の増大、領内の金銀山の不振により悪化する一方でした。

 また加賀藩は規模こそ大きいのですが、所詮は外様大名です。幕府は目付役として本多家を送り藩の運営は本多家をはじめとする年寄衆を含む重臣会議で決定されることになっていました。

 そのような状況下で、江戸時代中期には五代藩主前田綱紀が藩政改革を進めます。また、学問の振興や本草学者の稲生若水を登用して文治政治を行いました。

 藩政改革で既得権を奪われた門閥派の重臣や倹約奨励により様々な制限を課された保守的な家臣たちの不満が募っていく上に、七代藩主前田宗辰以降は早逝する当主が多く、加賀騒動などの混乱が生じ、藩政は停滞します。その結果、幕末は藩内の意見を統一できず、百万石の大藩でありながら目立った働きは出来ませんでした。

 そんなときに嫁入りしたのが溶姫なんですね。

 それにしても、徳川のお姫様をお嫁さんにもらったら、物入りだねえ。

 これも徳川が有力な藩を弱体化させるための手段だったんだろうけど。

 お嫁入りといっても、溶姫は身一つで来たわけではありません。大奥からつけられた溶姫付きの女中達もセットで、この人たちがまた威張りまくっていたようです。

 嫌がらせだよお!

 慶応4(1868)年3月、倒幕の気運が高まり江戸は危険だということで、溶姫は後に引き取った実母・お美代の方と別れ金沢に移ることとなります。そして、そのわずか2ヶ月後に波乱の人生を終えます。享年56歳でした。

 お嫁入りというよりも、これって良く考えたら、天下りじゃん!

 つまり、赤門というのは、加賀藩が幕府から『溶姫という天下り』を押し付けられたときに造った門です。

 一方、東大は日本の近代化のため高級官僚を養成する目的で創られた大学です。
 
 加賀藩が幕府からの天下りを押し付けられて建てた赤門が、今、天下りを押し付ける側の高級官僚を養成する東京大学のシンボルになっているというのは、悪い冗談だねえ。

 安田講堂とともに、東大饅頭の包み紙にも描かれています。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/39702118.html

 そのへんのことに気がつかない無神経さが、いかにも東大だねえ。

 ということで、今回は旧加賀百万石上屋敷で現東京大学本郷キャンパスの赤門でした。

 一見する価値がある貴重な文化財で史跡です。

 ついでながら、明治維新後、本家は侯爵、富山藩主家は伯爵、大聖寺藩主家・七日市藩主家は子爵、土佐守家は男爵となっています。

追悼 名古屋市東山動植物園のアフリカゾウのチーさん。 【ファイルC126】2009.06.14 

【ファイルC126】2009.06.14 追悼 名古屋市東山動植物園のアフリカゾウのチーさん。

国内最高齢のオスだったんだねえ。

インターネットで、以下の記事が目にとまりました。

*********
 アフリカゾウ 東山動植物園「チー」死ぬ…国内最高齢オス
6月9日20時8分配信 毎日新聞

 名古屋市千種区の東山動植物園で飼育されていたオスのアフリカゾウ「チー」が9日午後、死んだ。死因は調査中。

 チーは1975年、南アフリカ生まれの34歳で、体重約5トン。人間でいえば40歳ぐらいという。83年3月に東山動植物園に来園した。同園によると、国内では49頭のアフリカゾウが飼育されているが、オスでは最高齢だったという。

 チーは6月に入り、83年の来園直後にけがをした右後肢を痛がるようになり、3日から治療に専念していた。8日は食欲もあり元気だったが、9日朝には寝室で横たわっていたという。これで東山動植物園のアフリカゾウはメス1頭のみとなった。
*********

 メスの最高齢は多摩動物公園のアコさんマコさんで、推定年齢は40歳をゆうに超えてますから、チーさんはまだ若かったんだね。

 多摩動物公園のアフリカゾウさんの記事はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/45025448.html


 それにしても、チーさんはとても元気で、ゾウさんは長生きするというイメージがあったのでびっくりです。

 オスの最高齢とはいえ、人間で40歳ぐらいということは、まだ若かったんだねえ。

 2006年8月8日に当時国内最高齢のオスだった多摩動物公園のタマオ君が亡くなったのは推定38歳ですから、総じてアフリカゾウのオスは短命なのかな?

 チーさん(オス)は1983年3月14日にやってきました。来園時の推定年齢は8歳でした。

 最初に会いに行ったときは、奥さんのケニーさんがお庭に出ていて、チーさんはお部屋に入っていました。
 
 とても人懐っこくて、こっちを見てくれました。

 




 アフリカゾウはアジアゾウより性格が荒く、オスはなおさらだそうですが、チーさんはとても優しいねえ。

「ぱおん」のサービスをしてくれましたよ。

 




 壁の端っこに鼻をこすりつけるのが好きらしく、壁にすりすり跡がついています。

 




 次に行ったらば、こんどはお庭で遊んでいました。

 やっぱり外はいいねえ。

 




 はい、ごあいさつだよ。

 




 横顔もパチリ。

 




 草をもぐもぐ食べていました。


 自由に歩き回れるねえ。

 




 お鼻をゆらゆら。

 




 のっしのっし。

 




 やさしいお目目です。

 




 堀の端でご挨拶。

 




 東山動植物園HPの記事では、亡くなる前の様子がこう記してあります。

「チーは、来園直後にモート(運動場の脱出防止用の堀)に落下したことが原因で曲がっていた右後肢を、最近になり、痛そうにしていました」

 古傷が加齢で痛んだのですね。

 こういう展示方法は見晴らしが良くて開放的で観やすいのですが、転落事故があるのが難点なんですね。それから、転落が怖くて動き回るのに制約が出てくるようです。
 写真撮るにも、檻のように邪魔にならないし、ガラスのように映りこまないし曇らないし、好都合なんだけど一長一短があるのですね。


 さようなら。

 




 もう会うことができないけれど、ずっと覚えているよ。

 ゆっくり休んでね。

プロフィール

眼とろん星人

Author:眼とろん星人
FC2ブログへようこそ!

年別アーカイブ一覧

訪問者カウンダ―

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR