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おたる水族館のセイウチさん夫婦だよ(その2)。 【ファイルC146】2009.09.029 

【ファイルC146】2009.09.029 おたる水族館のセイウチさん夫婦だよ(その2)。

ますます絶好調だねえ

 前回に続いて、おたる水族館のセイウチさんの記事です。
 前回はこちら。http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49414371.html

 ご主人のウチオさんが、ステージ上でお魚をもらっています。

 ウチオ君、自分の餌は自分で持ちなさい。
 お兄さんがウチオさんのおなかの上にお魚の入ったバケツを乗っけました。





 後ろでお姉さんが笑っています。
 うへえ、石抱責(いしだきぜめ)の拷問だよお!

 参考:明治大学博物館の石抱責展示。





 石抱責(いしだきぜめ)は江戸時代、笞(むち)打ちで自白が得られなかった際に行なわれた拷問で『そろばん板』と呼ばれる三角稜の木(そろばんの玉のように鋭い)を並べた上に正座で座らせ、両膝の上に『伊豆石(いずいし)』と呼ばれた責め石を置き重ねていきます。
 別名「算盤責」(そろばんぜめ)とも呼ばれていました。

 ウチオ君、人聞きの悪いこと言わないの!

 今度はお兄さんとお相撲をとります。ハッケよい。





 うっちゃりでお兄さんの勝ちい!





 というのは嘘で、ウチオさんは、お兄さんの合図で芋虫ゴロゴロのように横に転がったのです。パンダさんみたいに前方にでんぐり返りはできないからねえ。

 こんどは、お兄さんを背中に乗っけて歩きます。





 事前にお兄さんが水を撒いているので、水しぶきを上げながら滑るように進みます。
 昔、城みちる(じょう みちる)さんが『イルカにのった少年』というお歌をうたっていましたが、『セイウチに乗ったお兄さん』です。
 あんまり羨ましくないねえ。

 水しぶきを沢山飛ばして見えにくくなったので、お詫びにヒレできゅっきゅとガラス拭きをします。





 ガラスが綺麗になり見えすぎて、恥ずかしいのポーズ。





 お兄さんにヒソヒソ話をします。





 あのねえ、この前お姉さんがねえ。

 ウチオ君、余計なこと言ったらダメ!
 うへえ、お姉さんに怒られたよお。

 ウチオさんは斜め45度に自信があるそうです。





 滝川クリステルさんみたいだねえ。

 水中逆立ちです。





 鼻を押し付けます。





 大型トラックみたいだねえ。





 二人仲良くさよならのごあいさつ。





 さようなら。ウチオさんの口から食べかけのお魚が出ているねえ。

 その後、仲良しの二人の間に今年5月末セイウチの赤ちゃん・ツララ(雌)ちゃんが誕生しました。ライオン同様、セイウチさんもかかあ天下の方が繁殖に適しているようです。

 よかったねえ。また会いに行きたいな。
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京都の建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山(その3) 【ファイルT107】2009.09.26 

【ファイルT107】2009.09.26 京都の建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山(その3)

海北友松(かいほう ゆうしょう)さんの龍の襖絵も大迫力。

 前回からの続きです。
 最初からご覧になられる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49365223.html
 
 まず、○△□乃庭です。





 小さいお庭なのですが、単純な三つの図形は宇宙の根源的形態を示し、禅宗の四大思想(地水火風)を地(□)水(○)火(△)で象徴したものといわれるそうです。
 禅というのは単純で抽象的なもので世界を表現するのですね。
 
 『雲龍図襖』 海北友松 筆です。(安土桃山時代・16世紀/重要文化財)





 これも本物じゃなくて、キャノン株式会社が和紙に印刷した高精細複製です。すごい技術なので、説明書きをみるまで本物かと思いました。

 海北 友松(かいほう ゆうしょう、【天文2年(1533)-元和1年(1655)】)さんは、安土桃山時代 - 江戸時代初期の絵師です。狩野派(かのうは)の中でも異彩を放ち、近世障壁画史にも多大な影響を与えました。
 
 対馬行列輿(つしま・ぎょうれつ・こし)です。





 寛永十二年(1635)「五山十刹(ござんじゅっさつ)諸山之諸法度」という寺院統制令が制定され、学徳兼備の五山層を「碩学(せきがく)」と呼び一定の禄が与えられるようにりました。
 その碩学に、建仁寺では「古澗慈稽(こかんじけい)」「三江紹益(さんこうじょうえき)」「利峰東鋭(りほうとうえい)」の三師が推薦されました。

 また五山僧は漢文に関する知識が深く、朝鮮との外交文書作成を行う「対州修文職(ついしゅうしゅうぶんしょく)」もしくは「以酊庵修簡職(いていあんしゅうかんしょく)」とも呼ばれる職に適任だと幕府が判断したのです。

 以酊庵(いていあん)というのは、九州長崎の対馬にあった寺の名前です。
 この寺は対馬の太守(たいしゅ)・宗義調(そうぎちょう)の請いに応じ景轍玄蘇(けいてつげんそ)が朝鮮との通講の任に当たった天正8年に開かれました。

 徳川幕府は寛永12年南禅寺を除いた五山寺院の天龍・相国・建仁・東福の四山碩学中より「対州修文職」を選出、輪番制で以酊庵に出張駐在させることになります。

 この対州修文職は慶応2年(1866年)まで230年続き、この間87名のべ126名の輪番僧が赴任しています。これらの僧は当時の五山の代表的人物で、建仁寺からは18師が名を連ねています。

 ということで、建仁寺のお坊さんは、この輿に乗って朝鮮との外交のため、はるばる対馬まで行ったのですね。こういうのって揺れるだろうから、歩いた方が楽だと思うけどねえ。

 霊照堂という納骨堂がありました。





 方丈の石庭『大雄苑』です。









 枯山水は見事だねえ。

 月照の碑です。





 なにやら月に向かって蛙が跳んでいます。

 ここは清涼軒という茶室でよく茶席が設けられるようです。 





 木々の向こうに大きな屋根が見えます。





 ということで、次回に続きます。
 次回はこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49472134.html

おたる水族館のセイウチさん夫婦だよ。 【ファイルC145】2009.09.023 

【ファイルC145】2009.09.023 おたる水族館のセイウチさん夫婦だよ。

ビートルズも『私はセイウチ(I am the Walrus)』って歌っていたねえ

 おたる水族館にはセイウチさんご夫妻がいます。
 元気に泳いでいました。こちらはご主人のウチオさん(19歳)で、体長3mで1300kgもあります。





 ターンをするときに、ざっぱーんって水面を飛び上がります。凄い迫力です。

 ウチオさんは注目されるの大好きで、海獣公園一の芸達者だそうです。

 奥さんのウーリャさん(17歳)もお元気です。体長2.5mで650kgです。





 ウーリャさんは、体重がウチオさんの半分ですがウチオさんより強く、かかあ天下だそうです。

 ずっと泳いでいたのですが、お兄さんお姉さんが餌を持ってやって来ると、ステージに上がります。

 ウチオさんはお兄さんと一緒。





 ウーリャさんはお姉さんと一緒。
 




 まず、深々とお辞儀をします。





 ウチオさんは水に飛び込んで、こっちに来て、水槽のガラスにキスをします。





 ウチオさん、立派なキバだねえ。

 セイウチさんを象徴する長いキバは「歯で歩く」という意味の学名(Odobenus rosmarus)が付けられているように、海水から氷の上に巨体を引っ張り挙げるときや氷に呼吸のための穴を開けたりするときに利用します。
 オスは縄張りを守るために戦う時もキバを使うそうです。
 キバは、最長で約1メートルになりますが、元は犬歯が発達したもので、生涯を通して伸び続けるんだって。
 
 そういえば、円谷プロの四次元怪獣トドラはキバがあったからセイウチさんだと思うねえ。

 ウーリャさんもやってきてごあいさつ。





 メスも普通キバが生えるのですが、ウーリャさんにはキバがありません。
 でも、まったく不自由はしていないそうです。

 セイウチさんは北極にお住まいです。

 セイウチの名前は、ロシア語でトドを意味する「シヴーチ」(Сивуч)に由来するそうです。

 ウチオさんはヒレでばしゃばしゃ水を飛ばします。





 こんどは、ウーリャさんが水槽のガラスにキスをします。





水槽のガラスの縁に手をついて浮いています。





 セイウチさんの英名はWalrusです。

 最後にビートルズの『I am the Walrus(私はセイウチ)』でお別れしましょう。
 The Beatles  I am the Walrus


 そういえば、1963年6月ソ連(U.S.S.R. )のボストーク6号に搭乗した女性初の宇宙飛行士のワレンチナ・テレシコワさんは軌道上から『私はかもめ(ヤー チャイカ)』と送信して有名になりました。

 ビートルズはチャック・ベリーの「バック・イン・ザ・USA」のパロディーで、バック・イン・ザ・U.S.S.R. (Back In The U.S.S.R.)という曲を発表しているからねえ。

 ウチオさんウーリャさんは、まだまだ活躍するけど、次回に続くよ。
 次回はこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49453924.html

京都の建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山(その2) 【ファイルT106】2009.09.20 

【ファイルT106】2009.09.20 京都の建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山(その2)

お庭もあるねえ。

 前回からの続きです。
 前回の記事はこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49365223.html
 
 本坊には広い畳の間があります。





 潮音庭(ちょうおんてい)-三連の庭-です。





 本坊中庭にある潮音庭は、中央に三尊石その東には座禅石、廻りに紅葉を配した枯淡な四方正面の禅庭です。

 三尊石のアップです。





 廊下を渡ります。





 床の間と違い棚ですね。
 




 障子から光が射しています。





 開山堂楼門(宝蛇閣=ほうだかく)陶製十六羅漢像の中のお一人です。





 
 十六人を代表してご出演いただきました。
 
 建仁寺は清水・五条近辺の陶工達にとっても大きな精神的なよりどころだったそうです。この陶製の像は、宗祖七百年遠忌をむかえ、16名の陶工がそれぞれ最も得意とする技法で製作したものです。
 明治四十四年から、大正十一年までの間に作られました。

 丸くて大きな窓があるねえ。





 芭蕉が植わっています。

 『唐子遊戯図(からこゆうぎず)』 田村月樵(たむらげっしょう:1846~1918)筆です。





 掛け軸もシンプルだねえ。





 杖の絵かな?

 ということで次に続くよ。
 次回はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49433557.html

おたる水族館のアザラシさんに餌をあげたよ。 【ファイルC144】2009.09.017 

【ファイルC144】2009.09.017 おたる水族館のアザラシさんに餌をあげたよ。

餌でおびき寄せて写真を撮れるねえ

 去年11月のおたる水族館の記事がまだまだあります。ものもちがいいねえ。
 おたる水族館ではアザラシさんのショーがあって、以前ご紹介しました。
 http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/48809846.html

 それ以外にもここにはアザラシさんが沢山暮らしています。
 でも、この日は寒いせいか、水の中で泳いでいます。





 それで、アザラシさんの餌を買ってきて、おびき寄せることにしました。

 餌の入ったバケツを見たとたん、こっちに寄ってきました。





 大成功!

 陸の雪の上にお魚を投げます。

 上陸作戦開始。





 雪の上で可愛いねえ。





 まだまだぞくぞく上がってくるよ。





 この子はまだちっちゃいねえ。





 陸上は疲れるねえ。





 調子に乗って、もっと手前に投げたら、ウミネコさんが横取りしました。





 ここは本物の海がすぐそこなので、野生のウミネコさんがにゃあにゃあと沢山います。

 勝手にやってくる野生なので、当然種類を書いた看板がありません。帰ってから野鳥の図鑑をみたらば、黄色い嘴の先が赤くて、足は黄色。頭には灰褐色斑があるのがウミネコさんの特徴なんだって。
 自然の海岸を水族館が間借りしてるわけだから、文句は言えないねえ。動物園でもスズメやカラスが入ってくるし。

 小樽市のレストラン海猫屋の記事を紹介したことがあります。
 http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/47567364.html
 ウミネコさんは小樽を代表する鳥なんですね。
 
 ねえ、さっきのお魚ぼくのだったよね。





 お詫びに目の前に投げてあげました。

 また遊びに来てね。





 鰭を体の下に敷いてお行儀がいいねえ。

 アザラシさんはアシカさん、トドさん、セイウチさんとともにヒレアシを持つ鰭脚類(ききゃくるい)に属します。
海に住んで泳ぎが上手ですが、人懐っこくて、ワンちゃんやネコさんに似ていて芸達者です。

 遺伝子解析などに基づく最新の学説による分類では。
ネコ目(食肉目) イヌ亜目 クマ下目 クマ小目 鰭脚類(ききゃくるい) 

 になるそうです。

 広い意味での、ワンちゃんやネコさんの仲間ですが、中でもクマさんに近いのですね。

 どうりで頭が良いんだねえ。よく『ひげ袋』とか呼ばれる部分なんかも猫さんとかに似ているし。

 だからみんな親近感を感じて可愛くて人気があるんだねえ。

 鰭脚類の海獣の展示が充実しているおたる水族館は、北海道の自然を生かしたすばらしい水族館です。

京都の建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山(その1) 【ファイルT105】2009.09.14

【ファイルT105】2009.09.14 京都の建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山(その1)

『風神雷神図』があるお寺だよ。

 四条河原町から四条通に沿って東進し祇園の中心を通る花見小路通(はなみこうじどおり)を南下しました。





 茶屋や料理屋が立ち並ぶ風情のある通りをぽくぽく歩いて抜けます。





 少し雨が降ってきたねえ。

 建仁寺に着きました。北門です。





 建仁寺(けんにんじ)は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西(えいさい・寺伝では『ようさい』と読む)禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。『建仁』という創建時の元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。

 創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として信仰を集めましたが、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃します。

 正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。

 文永2年(1265年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に臨済禅の道場となりました。

 やがて室町幕府により支那の制度にならった京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により再び荒廃します。

 ようやく天正年間(1573-1592年)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されました。

 本坊が見えてきました。拝観はここからスタートします。





 屋根が大きくて立派だねえ。





 鬼瓦も大きいねえ。





では、本坊にはいるよ。「たのもう!」





 道場破りじゃないねえ。
 靴を脱いでお金を払って、拝観します。

 入ってすぐの正面の部屋に絵が展示されています。

 俵屋宗達(たわらや そうたつ)筆『風神雷神図(ふうじんらいじんず)』です。





 『風神雷神図』は俵屋宗達さんの代表作です。

 これは陶板複製で、本物は京都国立博物館に寄託されています。

 17世紀前半の作で、本物は勿論国宝です。2曲1双・紙本金地着色、157.0×173.0cm。

 私はサントリー美術館が引っ越す前の赤坂で『建仁寺展』で本物を見たことがあります。そのとき受けた衝撃というか迫力は相当なものでした。

 でも、本来あるべきところに、たとえ複製でも飾ってあるととてもしっくりします。

 この絵を所蔵しているだけでも建仁寺はすごいねえ。

 俵屋 宗達(たわらや そうたつ)さんは琳派の創始者として日本の美術史上とても重要で有名な割には、生没年不詳で慶長から寛永年間に活動した江戸時代初期を代表する画家です。
 通称は野々村宗達。号は「伊年」あるいは「対青軒」などです。

 俵屋宗達と並び称される尾形光琳も凄い絵師ですが、『風神雷神図』『槙楓図』のように宗達の原画に基づいて描かれたものがあることから、光琳が宗達に学んだことが分かります。

 雷神さんをアップしてみます。





 ドリフの雷さんとは迫力が違うねえ。いかにもゴロゴロピカピカやりそうないでたちです。人のおへそを取る分、自分のおへそが立派なのがずるいねえ。

ということで、次回に続くよ。


追記
 フランスのタイヤメーカー、ミシュランは、10月16日(金)に刊行する『ミシュランガイド京都・大阪2010』の出版記念イベントを10月13日(火)に京都・建仁寺で開催すると発表しました(2009年9月9日)。祇園がすぐ近くにあるし、大きくて立派なお寺だからねえ。

 私は、タイヤメーカーのミシュランとグルメガイドで有名なミシュランが同じ会社だって長いこと気がつかなかったのですが、もともとは同社の製品の宣伝をかねて自動車利用者に有益な情報を提供するためのガイドブックとして、1900年に35,000部を無料で配布したのがミシュランガイドの始まりだそうです。

 沿道のお店のどこが美味しいというような記事が読者に受けて、そのうち高級レストランの評価も始めたら評判になって、100年以上続いているんだねえ。

 星の数で評価するというのは、ミシュランが元祖です。『(3つ星) - それを味わう為に旅行する価値がある卓越した料理』というのが最高ランクで、3つ星レストランとか言いますね。余計なお世話だっていう意見も当然あるのですが、日本のグルメブームはミシュランの影響を露骨に受けているわけだし、肯定するにせよ、否定するにせよ文化のひとつのあり方として、こういうのがあるということは知っていて良いかなと思います。

名古屋市東山動物園のグリーンバジリスクさん。 【ファイルC143】2009.09.011 

【ファイルC143】2009.09.011 名古屋市東山動物園のグリーンバジリスクさん。

水上を走ることができる忍者トカゲさんだよ

 名古屋市東山動物園の自然動物館に動かない小さなトカゲさんがいました。





 地味なので何気なく通り過ぎてしまいそうです。

 何を隠そうこの子が泣く子も黙るグリーンバジリスクさんです。





 アップで撮ると、結構後ろ足が太いのです。

 バジリスクさんは後ろ足で水の上を走ることができるので有名です。

 水の上を走るには、右の足を水の上に踏み出すとします。右足が沈む前に、急いで左足を水の上前方に左足を踏み出します。それでもって、左足が沈む前に右足を前に踏み出します。
 以下これを繰り返すと、理屈では水の上を走ることができます。

 バジリスクさんは、これができてしまうんですね。

 バジリスクさんは敵から逃げるときにこの技を使います。まだ小さくて身軽な若い個体なら、単なる移動のときにもこの技を使うそうです。

 それから、バジリスクさんには、水の上を走るための秘密があります。

 5本の足の指に剛毛が生えているのです。これを広げることによって、水の表面張力を得ることができるのですね。

 バジリスクさんは水上走行をする際に、体長70cmの中型の個体で毎秒20回のステップを踏んでいます。

 実際に人間がこれをしようと思ったら、およそ時速180km/hで走らなければならないそうです。

 2009年8月16日、世界選手権男子100m決勝で、人類初の9秒5台となる9秒58を記録したウサイン・ボルトさんでさえ、トップスピードが時速44.64km/hだそうですから、人間が水上を走るのは到底不可能です。

 それでも、足の指に剛毛を生やして、水上走行に挑戦しようという人は、どんどんチャレンジしてね。

 もちろん、動物園では、水の上を走るのを見ることはできません。でも、本物のバジリスクさんに会えただけでも感激です。

 グリーンバシリスクさんは、メキシコ南部からパナマまでの中央アメリカの熱帯雨林にお住まいです。雑食性でイグアナ科に属しています。体長: 61 ~ 76 センチ (尾を含む)、体重: 最大 200 グラムで水上を走るだけでなく、泳ぎも非常にうまくて、30分間も水中に潜っていることができます。

 木の上にいることがほとんどで、水辺から離れることはありません。

 バシリスクさんには、他に最大種のチャイロバシリスク、アメリカのフロリダ州に北上してきたノギハラバシリスクや、ギザギザバシリスクなどの種があるそうです。

 バジリスクさん水の上を走る画像を見つけたので、参考に乗っけます。


『水上を走る』という信じられない奇蹟を、キリストの奇蹟と重ね合わせ、ジーザス・クライスト・リザード (Jesus Christ Lizard)、つまりイエス・キリスト・トカゲというニックネームがついているんだって。

 凄いねえ。焼けた鉄板の上であちちあちちって飛び跳ねているみたいだねえ。

 走り方がエリマキトカゲさんに似ているねえ。エリマキトカゲさんは昔大ブームになったことがあるけど、今はどうなっているんだろう。

 バジリスクは、もともとはヨーロッパの想像上の生物の名前でした。ギリシア語で王を意味するβασιλε????(basileus)に由来するそうです。ヘビの王で、見ただけで死をもたらす力を持っていると思われていたんだって。

 1768年に発見されたトカゲがバジリスクを思わせるトサカを持っていたので、そのままバジリスクと名付けられたそうです。勿論、見たものを殺す能力もないし、毒もありません。

『ジーザス・クライスト・リザード』という綽名といい、『ヘビの王』という名前の由来といい、神秘的な動物だねえ。

 名古屋市東山動物園に行く機会があったら、会ってあげてね。


参考:動物園を楽しむ99の謎 森由民著

小樽市総合博物館(本館)のキハ82 1はカッコいいねえ。 【ファイルR3】2009.09.08 

【ファイルR3】2009.09.08 小樽市総合博物館(本館)のキハ82 1はカッコいいねえ。

日本の特急網を発展させた功労者だよ。

 キハ82系は、キハ81系の次に開発された80系気動車(ディーゼルカー)の貫通型先頭車です。

  




 パノラミックウインドウ(曲面ガラス)付き運転室です。

  




 クリーム色の車体に赤い帯がカッコいいねえ。

 1957年、西ドイツ・オランダ・スイス・フランス・イタリアによって、TEE(汎欧州特急)と名づけられた国際ディーゼル特急が開発されました。
 当時これらの国の幹線も、まだ非電化区間があったので、ディーゼルが採用されたのです。

 この特急の成功に刺激された日本でも、ディーゼル特急の導入が検討されました。

 東海道線では昭和33(1958)年に151系電車のビジネス特急『こだま』が投入され、高速化が促進されていたのに、地方、特に東京以北は電化も遅れ、上野~青森間の特急『はつかり』は、蒸気機関車が牽引していて、地域格差が問題になっていたのです。

 折りしも、昭和35(1960)年秋にアジア鉄道首脳者会議(ARC)が東京で開催されることになり、その機会にディーゼルカーを開発して、アジアの鉄道関係者にお披露目をして、日本の技術力をPRし鉄道車両の輸出促進に役立てようということになりました。

 TEEでは、ディーゼル機関車が客車を牽引する方式が主役だったのに対し、日本では、内燃気動車のお家芸だった床下動力装置のディーゼルカーが導入されました。

 その結果登場したのが日本初の特急形気動車キハ81系のディーゼルカーです。9両編成2本と予備8両の合計26両が製造されました。

 アジア鉄道首脳者会議での評判も良く、同年12月10日から上野 - 青森間特急、『はつかり』に投入されました。

 ところが、日本初の気動車による長大編成での長距離高速運転ということもあってアクシデントが続出しました。あまりのトラブル続きのため利用者からは不興を買い、マスコミからは散々に叩かれました。

 そこで、キハ81系の改良型として1961年(昭和36年)から製造されたのが、このキハ82系です。

 これにより、1961年10月の全国白紙ダイヤ大改正で、それまで日本全国に9往復しかなかった国鉄特急列車が、一気に26往復まで増発されました。

 当時キハ82系が運用されていた特急は、『おおぞら』『白鳥』『つばさ』『ひばり』『まつかぜ』『かもめ』『みどり』『へいわ』です。中でも『白鳥』の青森編成は、全区間で1,000kmを超え、国鉄の昼行特急としては日本の最長距離列車となりました。

 それ以降、キハ82系は日本のディーゼル特急の顔として大活躍し、高度成長期の大量増備によって日本全国に特急網が構築されたのです。

 最高時速は100km/hです。

 記念すべきキハ82の第1号機です。

  




『キハ』の『キ』は『気動車』という意味で『ハ』は『普通車(1960年まで三等、以後1969年まで二等)』を意味します。
ちなみに、『グリーン車(1960年まで二等、以後1969年まで一等)』は『ロ』と表示します。例えば、気動車のグリーン車は『キロ』という具合です。

『JNR』のロゴです。

  




 Japanese National Railways=日本国有鉄道(にっぽんこくゆうてつどう)の略称です。

 『北海』らしく、雪を乗っけています。

  




 ディーゼルカーなので、当然パンタグラフ(集電装置)はありません。

 ということで、今回はキハ82形ディーゼルカーでした。

おたる水族館のトドのガンタロウ君は餌を独り占め。 【ファイルC142】2009.09.05 

【ファイルC142】2009.09.05 おたる水族館のトドのガンタロウ君は餌を独り占め。

だから大きいんだね

 おたる水族館では、トドのショーをやっていたプールの横にもトドさんが暮らしています。

 のぞいたら早速寄ってきたのが、とても大きなトドさんです。





 おたる水族館のトドで一番大きくて強いガンタロウ君です。
 オスで推定14歳の体重800kgもあります。11年前に体に傷を負っていた状態で水族館にやってきたそうです。首の付け根にはその時の傷跡がいまだに残っているんだって。
 それまでずっと君臨していた先代ボスのシロさんからその座を奪い取った強者(つわもの)です。

 
 他の子もいるんだけど、300kgくらいの大きさなのでガンタロウ君には適いません。

 この子はウメ(メス推定14歳、300kg)さんかな?





 あのねえ。餌を買ってきて、僕に投げてね。





 ガンタロウ君にそう言われたので、餌のホッケを買うことにしました。

 みんなに一匹ずつあげたいんですけど。
 っておじさんに言ったらば、「それは無理無理、ぜんぶあの大きいのが取っちゃうから」
 って言われたので、1回分買いました。あげるのがもったいないような良いホッケです。





 ホッケを持っていったら、やっぱりガンタロウくんが寄ってきてねだります。お魚ちょうだいよお。





 他の子にもあげようと思って投げても全部横取りします。食べすぎで太っちょなのに、動きが機敏なので、他の子はとても太刀打ちできません。

 もっとお魚ちょうだいよお。





 口を開けてねだります。

 他の子は悲しそうな目をしてこっちを見ています。





 他の人が、餌を投げている隙を見て、やっとこの子に一匹あげることができました。

 あれえ?もうおしまい?





 またお魚もって遊びにきてね。

 少しは他の子にも譲らなきゃだめだねえ。みんな元気でね。

小樽市総合博物館(本館)のC55だよ。 【ファイルR2】2009.09.02 

【ファイルR2】2009.09.02 小樽市総合博物館(本館)のC55だよ。

スポーク型動輪が美しいねえ。

 小樽市総合博物館(本館)の屋外にC55型蒸気機関車が静態保存されていました。

  




 去年の11月の記事が溜まっています。雪化粧をしていましたよ。

 C55型は軸配置が2-C-1
 つまり先輪2軸、動輪3軸 従輪1軸
の2-3-1です。こういう軸配置の蒸気機関車を『パシフィック型』といい、日本も含め、世界的に旅客用機関車に多く用いられたポピュラーな軸配置です。

 フランスの作曲家オネゲルの管弦楽曲にそのものズバリ『パシフィック231』という曲があって蒸気機関車の駆動音を模した標題音楽になっています。

『パシフィック231』 アルテュール・オネゲル作曲
 
(1923年A. Honegger -- Pacific 231)

 C55型は傘の輻(や)のような美しいスポーク型動輪です。

  




 シルエットの美しさから、『貴婦人』のあだ名があるC57や日本の代表的な蒸気機関車のD51等、後年の日本の蒸気機関車の動輪は構造的に強度を上げるため、ボックス型動輪になっているので、スポーク型動輪のC55型は人気があります。
 ドイツの蒸気機関車は、その美しさから、頑固にスポーク型動輪にこだわったそうです。

 上野国立科学博物館に静態保存されているD51のボックス型動輪

  




 こっちは、レンコンみたいな形の穴が開いているねえ。D51は貨物用機関車なので、小さめの動輪が4軸の1-D-1(1-4-1=ミカド型)の軸配置です。

 ちなみに、このD51のような1-D-1の『ミカド型』の軸配置は、明治30年(1897)年日本がアメリカのボールドウイン社に蒸気機関車(9700形式)を発注した際に採用され、以来発注元の日本の天皇陛下に敬意を表してアメリカで『ミカド(帝)型』と呼ばれるようになったものです。ミカド型は後に貨物用蒸気機関車の主力機の軸配置として世界中で普及しました。

 なお、欧米で日本の天皇陛下を『Mikado(ミカド)』と呼ぶようになったのはロンドンの日本博覧会が巻き起こした日本ブームの中、1885年3月14日にロンドンで初演されたオペレッタ『The Mikado(ミカド)』(脚本:ウィリアム・S・ギルバート、作曲:アーサー・サリヴァン)が有名になってからのようです。

 C55のシリンダーも立派です。

  




 キャブ(運転室)も北海道なので密閉式になっています。

  




 コンプレッサー(空気圧縮機)です。

  




 機関車や車両にブレーキ用の圧縮空気を送ります。

 良いお顔だねえ。

  




 最高時速95km/h
 動輪径1750mmです。

 C55型は日本の蒸気機関車の標準型設計のさきがけとなった車両で、川崎車輛、汽車製造会社、三菱重工業、日立製作所の4社により、1935年(昭和10年)から1937年(昭和12年)までの間に62両が製造されました。

 また、当時日本統治下にあった台湾の台湾総督府鉄道向けに、1935年および1938年に9両が納入されています。
 
 それで、C55型は流線型に改造された車体もあったんだよ。

  




 カッコいいねえ。
 ちょうど欧米では鉄道や自動車の流線型化ブームが起きていました。それでC55にも流線型の車両が導入され、1936年製の2次車(20 - 40)の21両が流線型のカバーで覆われました。

 流線型機は全国各地で急行列車を牽引し、名古屋機関区配属のC55 24 - C55 26は臨時特急「燕」の牽引にも起用され人気がありました。

 しかしながら、当時の100km/h未満の運転速度では空気抵抗に対する実用上効果が殆ど無い上に、駆動部分がカバーに覆われているため、整備点検時にいちいちそれを着脱しなければならないのが面倒なのと、ただでさえ暑い運転室内に熱がこもりやすいなどということで現場では嫌われ、戦後普通形に改造されたそうです。

 ということで、戦前戦後の激動期を走り抜けたC55型蒸気機関車でした。

 日本にはこういう世界に伍した技術の蓄積があったのですね。別に零式戦闘機や戦艦大和が突然できたわけじゃないんだねえ。

 参考:日本の鉄道車輌史 久保田博著 グランプリ出版、蒸気機関車メカニズム図鑑 細川武志著 グランプリ出版

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