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新宿3丁目のイタリアレストランRegalo(レガロ)に行ったよ 【ファイルF33】2010.01.29 

【ファイルF33】2010.01.29 新宿3丁目のイタリアレストランRegalo(レガロ)に行ったよ

新宿伊勢丹の近くにあるイタリアレストランだよ。

 Regalo(レガロ:TRATTORIA&CANTINA REGALO)は新宿三丁目駅C6出口から徒歩1分の場所にある伊勢丹や落語の定席新宿末広亭のすぐ近くのイタリアレストランです。

 ビルの4階にあるので、ちょっと分かりにくい場所です。

 




 1階がおでんやさんです。

 でも良く見たら看板がRegaloだねえ。

 




 一番目立つ看板には『Lovers Rock Caf??』と書いてあります。
 
 おしゃれなロゴだけど、ヤフーグルメにはカタカナで『レガロ』とあるから、分かりにくいねえ。イタリアレストランはこういうのが多いのです。

 普通上向いて歩かないからねえ。

 でも評判が高いので予約して行ってみたよ。

 アラカルトで頼みました。

 2名以上なら、お得なコース料理もあります

 まず突き出しです。

 




 バケットにタマネギ、赤ピーマンが載っています。


 それでオーダーした小海老・ホタテとアボカドのシーザーサラダ。

 




 ぷりぷり小海老にアボガドがとろーりしていて、くせのないチーズの薄切りと黒胡椒、バジルの利いたドレッシングがよくなじんでシャキシャキだねえ。

 クルトンも入ってサクサクしているねえ。

 結構量があって、とりわけるようになっているので。二人で一皿注文しても良いと思います。

 じゃがいものニョッキ チーズフォンデュ仕立て

 




 オーダーの際に、注文した品の量が多いので、これをハーフサイズにした方が良いのではとお店の人にサジェッションを受けそうしました。

 フルサイズ用の器に特別に量を半分にしてもらったので、器と中身のバランスが良くないのはそのせいです。

 とろーりチーズフォンデュ風のスープにフォークに刺したバケットのかけらを浸して食べます。
 
 スープはカルボナーラのソースみたいなのに、ベーコン、ジャガイモニョッキが入って濃厚です。アルコールを飛ばしたワイン風味です。

 ジャガイモニョッキはとろっとした歯ごたえのある食感です。

 モンテプルチアーノ風手打ちタリアテッレボロネーゼです。

 




 幅広きしめんみたいな生パスタ独特のもっちり感で、トマト風味のミートソースが良く絡みます。
たっぷり挽肉が口の中で程よくばらけて、広がっていくのを追いかけるように噛みます。

 ソースの中にパスタが埋もれているという感じなのですが、ハーブが香ばしくてよく利いているので、味が重くありません。

 ここでお腹がいっぱいです。

 メインが、

 カジキのグリル ケッカソース

 




 焦げた網目が美しくて食欲をそそるでしょ?

 鶏肉を淡白にしたようなカジキのバター風味です。
 さっきのボロネーゼの後だから味が引き立つねえ。
 フレッシュな、ひゃっこいジューシートマトと大葉が臭みを消して後味さっぱり。

 グリルだから身が崩れず噛み応えがあって、焼き鳥のようにジューシーです。

 串に刺してネギ間にしても美味しかろうねえ。

 メインをお魚にしてよかったよ。

 お腹がはちきれそうなので、デザートを追加するのは止めました。

 会計はテーブルで行います。

 お値段は税・チャージ料込でしめて4200円なり。

 さらにヤフーグルメのクーポンで1割引いてもらって3780円でした。

 ヤフーグルメのページはこちら。
http://gourmet.yahoo.co.jp/0007818049/

 クーポンはこちらの『クーポン・地図』のページを開いて印刷して持っていき、オーダーの際に提示してね。

 美味しくてコストパフォーマンスがとても高いお店でした。

 スタッフが若くて対応も感じよかったよ。

 ごちそうさまでした。良ければ行ってみてね。
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双子の子パンダちゃん愛浜(アイヒン)ちゃん、明浜(メイヒン)ちゃんは元気だよ【南紀白浜アドベンチャーワールド】(上)。 【ファイルC167】2010.01.26 

【ファイルC167】2010.01.26 双子の子パンダちゃん愛浜(アイヒン)ちゃん、明浜(メイヒン)ちゃんは元気だよ【南紀白浜アドベンチャーワールド】(上)。

すこし元気が余っているねえ。

 前回まで双子の赤ちゃんが室内で遊んでいる様子を記事(その1~4)にしました。
 ご覧になる方はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49953380.html

 南紀白浜アドベンチャーワールドでは、双子の赤ちゃんパンダちゃん梅浜(メイヒン)ちゃん、永浜(エイヒン)ちゃんの他に、双子の子供パンダちゃん愛浜(アイヒン)ちゃん、明浜(メイヒン)ちゃんが暮らしています。

 共に2006年12月23日生まれです。

 愛浜(アイヒン)ちゃんがお姉ちゃんで、明浜(メイヒン)ちゃんが弟くんです。

 双子なので、どっちがどっちか分かりません。

 片方の子はタワーの上で居眠りしています。

 




 パンダさんの寝相は、何でもありです。

 もう一人の子は、元気に動き回っています。

 




 少し照れる子パンダちゃん。

 




 子パンダちゃんの後姿。

 




 このフォルムがたまらないねえ。

 寝ていた子がお腹が空いたので、起きました。

 




 赤ちゃんと違って、食いっぱぐれるとまずいことが分かっているので、急いで降ります。

 




 降りるのもすっかり慣れっこです。

 




 わ~い、ごはんだ~!

 




 うへえ!嬉しいのは分かるけれど、食事中の人を突き飛ばしたらいけないねえ。

 仲良くお食事です。

 




 ここで、「パンダバックヤードツアーにお申し込みの方はいやっしゃいませんか?」ってお姉さんが呼びに来ました。

 写真に夢中になっていて、すっかり忘れていました。ごめんなさい。

 パンダバックヤードツアーから戻ってきても、まだ食べていました。

 パンダさんは、基本的に寝ているか、起きたら食べています。

 やっと食べ終わって腹ごなしを始めます。

 よっこい庄一さん。

 




 いまどき、そんなこと言う人いないよお!

 なんか良い感じ。

 




 お散歩楽しいねえ。

 




 満腹だからご機嫌です。

 こっちを見てごあいさつ。

 




 こんにちは。

 こっちにおいでよ。

 




 お母さんがするように、えりくびを噛んで引っ張ります。

 うへえ引っ張らないでよお。

 




 あのねえ、こっちに来てくれって言ってくれれば、引っ張らなくても行くからね。

 ごめんなさい。

 




 諭されて謝る子パンダさん。

 さすがは赤ちゃんよりお姉さん、お兄さんだけのことはあります。

 次につづくよ。






京都の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は冥界への入り口(その3) 【ファイルMK11】2010.01.23 

【ファイルMK11】2010.01.23 京都の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は冥界への入り口(その3)

小野篁(おのたかむら)さんが冥界に向かう入口の井戸があるよ。

 小野篁(おのたかむら)さんは夜に冥界に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたということを書きました。

『その1』からご覧になられる方はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50020335.html

 それで、ここ六道珍皇寺には、小野篁さんが、夜になって冥界に出勤する際の入口の井戸があります。

 ところが、八月七日から十日までの四日間に行われる『六道まいり』の時期は、小野篁さんや閻魔大王さんの像が見やすくてよいのですが、本堂前に、おまいりのための受付が設けられるので、井戸を見ることができません。

 それで、別の機会に訪れた時の写真を改めてUPします。

 普段の珍皇寺さんはひっそりとしています。









 門の右手に碑が建てられています。





 謡曲『熊野』 【『熊野』と書いて『ゆや』と読みます。喜多流では『湯谷』】
の清水詣より、一節が刻まれています。とても古い作品で、作者は世阿弥とする説や、金春禅竹とする説があるそうです。

地:『げにや守りの末すぐに。頼む命は白玉の。愛宕(おたぎ)の寺も打ちすぎぬ 六道の辻とかや』

シテ:『げに恐ろしや この道は。冥土に通ふなるものを。心ぼそ鳥辺山』

 平宗盛の愛妾熊野が、老母からの手紙をみて病であることを知り、見舞いのために暇乞いをするのですが、宗盛は寵愛する熊野を手放したくないので、熊野の気持ちを引き立てようと、牛車で清水寺の花見に誘います。

 その道中、冥界の入口である『六道の辻』や葬送の地の『鳥辺山』を通り、母の病を案じて心細くなる熊野の気持を表しているのです。その辺のところが分からないと、作品の理解が皮相的になるんですね。

 ここにある『愛宕(おたぎ)の寺』というのは、8世紀中頃、稱徳(しょうとく)天皇により、ここの近くに愛宕寺として創建されたお寺です。平安時代初めには真言宗東寺派の末寺となっていたのですが、鴨川の洪水で堂宇を流失し廃寺同然に打ち捨てられていたのを醍醐天皇の命により天台宗の千観内供(せんかんないぐ=伝燈大法師)が復興しました。

 千観が念仏を唱えていたところから名を愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)と改め、天台宗に属しましたが、興廃を繰り返し、最後は本堂、地蔵堂、仁王門を残すばかりとなってすっかり荒れ寺になりました。

 1922年それらを嵯峨野に移築して再起を期しますが叶いませんでした。

 そのまま、嵯峨野に移った愛宕念仏寺は、すっかり荒れはてたのですが、五つ子ちゃんの名付け親としても有名な清水寺の大西良慶貫主(おおにしりょうけいかんす)から住職を命じられた西村公朝(にしむら こうちょう:僧侶で、有名な仏師)さんが復興し、今では『愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)』=別名『千二百羅漢のお寺』は、嵯峨野めぐりの始発点として知られています。


 話が脇道にそれましたが、六道珍皇寺に戻って、薬師堂です。





 ここには

○本尊の木像薬師如来坐像(重要文化財)=伝教大師 最澄の作と伝えられている。
○毘沙門天=弘法大師の作と伝えられている。
○地蔵菩薩

 が祀られています。

 それで、肝心の六道珍皇寺の由来ですが、

 創建については諸説あって、平安京遷都以前に東山阿弥陀ヶ峰山麓一帯に住んでいた鳥部氏の氏寺(宝皇寺)が由来とも、

 平安時代前期の延暦年間に、大和(奈良)の真言宗大安寺住持であった慶俊僧都(きょうしゅんぞうず)によって建立された珍皇寺が始まりであるとも言われているそうです。

 平安時代、鎌倉時代には東寺を本寺として隆盛しましたが、その後衰退。

 室町時代前期 に建仁寺(けんにんじ)の聞渓良聰(もんけいりょうそう)によって再建され、臨済宗に改められ現在に至っているそうです。

 石のお地蔵さんが並んでいます。





 閻魔の本地が地蔵菩薩であるといわれていますからね。

『閻魔堂』です。





 ここに、『その1』『その2』でご紹介した小野篁さんや閻魔大王さんの像が安置されているのですが、普段はこのように戸が閉まっていて、ガラスの入った格子の隙間から覗き見ることができます。

 本堂です。





 写真右の赤い矢印の箇所にある格子の隙間から、小野篁(おのたかむら)さんが冥界への入り口にしたといわれる井戸『冥途通いの井戸』を覗き見ることができます。

 ここのお寺は、人に覗かせるのが好きなようです。

『冥途通いの井戸』です。





 ドラえもんのタイムマシンはのび太くんの勉強机の最上段の引き出しですが、こちらは井戸が冥界への入り口なのですね。

 冥界への入口はこの井戸なのですが、篁さんが冥界から現世に帰って来る出口は、京都の西の葬送地にあたる化野(あだしの)の大覚寺門前六道町辺りにあった福生寺の井戸と伝えられているそうです。

 残念ながら、福生寺は明治時代に廃寺となって今はありません。

 ということは、今この井戸から冥界に行っても、行きっぱなしで帰ってこれないのですね。大変だあ!

 都の人々は、珍皇寺の井戸を『死の六道』、福生寺の井戸を『生の六道』と呼んでいました。


 門の屋根にあった笹龍胆(ささりんどう)の家紋です。





 珍皇寺は建仁寺の塔頭なので、建仁寺にあったのと同じ獅子の瓦が載っています。





 ということで、京都の魔界スポット六道珍皇寺でした。

 小さいのですけれど、とても不思議なお寺ですね。



 次は八坂の塔から、清水寺に向かいます。

南紀白浜アドベンチャーワールドのジャイアントパンダの双子の赤ちゃんの梅浜(メイヒン)ちゃん、永浜(エイヒン)ちゃんも可愛いよ(その4)。 【ファイルC166】2010.01.20 

【ファイルC166】2010.01.20 南紀白浜アドベンチャーワールドのジャイアントパンダの双子の赤ちゃんの梅浜(メイヒン)ちゃん、永浜(エイヒン)ちゃんも可愛いよ(その4)。

お食事しながら百面相。

 前回は双子の赤ちゃんが室内で遊んでいる様子を記事にしました。
 運動場の様子を記事にした(その1)からご覧になる方はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49953380.html

 双子なのに、性格は違うようです。

 内緒の話はあのねのね。

 




 あれえ?なんか頭が重いねえ。

 




 うへえ!人の頭の上で休んじゃだめだよお。

 二人は仲良し。

 




 でも、右の子に少し左の子に対する不信感が芽生えてきました。


 すっかりくつろいでいます。

 




 良いお顔でお食事だよ。

 




 この子は笹を食べながら百面相を始めました。

 笹の葉は美味しいねえ。

 




 口元を隠して上品だねえ。

 




 あい~ん。

 




 びっくり赤ちゃん。

 




 視力検査。

 




 こっちの子はマイペース。

 




 良い枝ぶりだねえ。

 




 また遊びに来てね。

 




 ということで、南紀白浜アドベンチャーワールドのジャイアントパンダの双子の赤ちゃんの梅浜(メイヒン)ちゃん、永浜(エイヒン)ちゃんでした。

 さようなら。元気に育ってね。


 次回は双子の子パンダちゃん愛浜(アイヒン)ちゃん、明浜(メイヒン)ちゃんの記事です。
 次回ははこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50110248.html







京都の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は冥界への入り口(その2) 【ファイルMK10】2010.01.17 

【ファイルMK10】2010.01.17 京都の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は冥界への入り口(その2)

閻魔大王さんの像は小野篁(おのたかむら)さんが彫ったんだよ。

 前回の小野篁(おのたかむら)さんの記事で、篁さんは夜に地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたということを書きました。


 それで小野篁(おのたかむら)さんの像を前回と違う角度から。





 これらと一緒に安置されているのが

 閻魔大王座像(えんまだいおうざぞう) 伝小野篁卿作です。





 実際に閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていた小野篁さんが彫ったものだから、これほど確かなものは無いねえ。

 それにしても、おっかない顔をしているねえ。

 閻魔大王はもともとはインドの冥界の王=神ヤマさんです。それが閻魔さんとして支那・日本に伝わりました。

 閻魔天(天部の衆生)、閻王Yanwang、閻羅王Yanluowangともよばれています。

 閻羅は閻魔羅闍(えんまらじゃ)の略です。

 ヤマという名前のラージャ(王)ですから、その音を漢字に写して閻魔羅闍(えんまらじゃ)さんです。だから日本では奈良時代、閻羅王と書かれました。

 そういえば大ヒットしたインド映画『『ムトゥ 踊るマハラジャ』というのがありましたが、『マハラジャ・マハーラージャ(Maharaja)』という言葉はラージャ(王)の中で強盛な(マハー)もの=大王という意味です。

 宇治拾遺物語『広貴炎魔王宮へ召るる事』には『炎魔』の表記があるそうです。

 日本霊異記には閻魔国が出てきます。
 閻魔さんは冥界で人間の生前の所業を調べ、裁判をするお仕事をなさっています。

 閻羅、閻羅王の名は『仏説閻羅王五天使経』や『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経(預修十王経)』に見られます。
『預修十王経』では閻魔王のほかに九王を加えて十王とし閻魔王を裁判長として裁判官を構成しています。

 支那では道教と習合して道教の神にもなっています。道教にも冥界があって、そこで閻魔さんは十殿という十の法廷を統べる(すべる=統治する)王をなさっています。

 だから、霊幻道士のキョンシーみたいな道服を着ているんですね。

 日本では奈良時代までは死者は閻羅王宮に引き立てられ、その裁判によって地獄の責め苦を受けることになっていました。

 インドの冥界の王が善行を奨励するために仏教の中に取り入れられたのですね。

 日本では閻魔十王と三仏を十三仏にあて、初七日忌から三十三回忌までの供養本尊としています。

 つまりあの世に行った人は裁判にかけられ、十三仏によって審理されるのです。

 参考に、十三仏を列記しましょう。

十三仏    裁判官    読み      忌日
不動明王  秦広王  しんこうおう  初七日(7日目・6日後)
釈迦如来  初江王  しょこうおう  二七日(14日目・13日後)
文殊菩薩  宋帝王  そうていおう  三七日(21日目・20日後)
普賢菩薩  五官王  ごかんおう      四七日(28日目・27日後)
地蔵菩薩  閻魔王  えんまおう      五七日(35日目・34日後)
弥勒菩薩  変成王  へんじょうおう  六七日(42日目・41日後)
薬師如来  泰山王  たいざんおう  七七日(49日目・48日後)
観音菩薩  平等王  びょうどうおう  百か日(100日目・99日後)
勢至菩薩  都市王  としおう      一周忌(2年目・1年後)
阿弥陀如来  五道転輪王  ごどうてんりんおう  三回忌(3年目・2年後)
阿?罠(あしゅく)如来  蓮華王  れんげおう  七回忌(7年目・6年後)
大日如来  祇園王  ぎおんおう      十三回忌(13年目・12年後)
虚空蔵菩薩  法界王  ほうかいおう  三十三回忌(33年目・32年後)
 

 上の表を見ると、第五法廷の五七日に地蔵菩薩=閻魔王が裁判を担当することになっていますね。

 閻魔さんは「地獄の業火(ごうか)は自らが作った業(ごう)によって燃え上がるのだ」と罪人に言い渡します。

 嘘をついたら、獄卒(ごくそつ)という地獄の鬼に舌を引っこ抜かれてしまいます。

 初七日とか四十九日の追善供養(回向)などと言いますが、これは、それぞれの裁判の際に生きている人たちが供養をしてあげると、裁かれる人がそれだけ善行をしたことになって、点数アップして裁判が有利に運ぶわけなんですね。
 冥界の福がアップするので、『冥福を祈る』と言うのですね。

 インド仏教では四十九日の第七法廷、薬師如来=泰山王が最終判決を下し、死者に六つの道が示され、選ぶように言われます。

 死者が自分で選んだ先が『輪廻』の行き先で、これが判決です。

 冥土は死者が生と死・陰と陽の狭間にあるため中陰と呼ばれ、判決が下り輪廻するので、『満中陰(四十九日、尽七日)』といわれるのですね。

 六道は以前紹介したように、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六つです。

 その後、浄土思想ができたりして、十三仏とか百か日や一周忌、三回忌…五十回忌までの結縁(けちえん)の法要が加わったようです。


 閻魔さんの全身はこんな感じです。





 前に置かれている鏡は『浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ)』といって、水晶でできた鏡です。

 死者(亡者)の生前における善悪の所行を、そのまま映しだし、これによって閻魔様は裁判の審理を行うのです。

 手に持った笏(しゃく)にいろいろとメモします。

 小野篁(おのたかむら)さんは、こんなおっかない人の横で仕事をしていて、大変だったろうねえ。
 

 閻魔さんの隣に、あと2体の像が安置されています。

 大統院開基 仏観禅師(青山慈水)像です。





 青山慈水さんは夢窓国師の侍者を勤め、後光厳天皇の帰依も受けた人です。勅諡(ちょくし=勅命によって諡《おくりな》を与えること)は仏観禅師です。

 大統院(だいとういん)は、六道珍皇寺のすぐ近く(北東)にある建仁寺の塔頭で、観応年間(1350年から1352年)に青山慈永(せいざんじえい)さんを開基として創建されました。

 六道珍皇寺も同じく建仁寺(けんにんじ)の塔頭(たっちゅう)ですから、ここにお祀りしているのですね。

 
 六道珍皇寺を中興した弘法大師(空海)像です。

 




 この前ご紹介した西福寺
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49788952.html
も、弘法大師が自ら土でつくった六波羅地蔵を安置したことに始まる古刹でしたね。弘法大師はこの辺一帯で活躍なさったのですね。

 ということで、次に続きます。

南紀白浜アドベンチャーワールドのジャイアントパンダの双子の赤ちゃんの梅浜(メイヒン)ちゃん、永浜(エイヒン)ちゃんも可愛いよ(その3)。 【ファイルC165】2010.01.13 

【ファイルC165】2010.01.13 南紀白浜アドベンチャーワールドのジャイアントパンダの双子の赤ちゃんの梅浜(メイヒン)ちゃん、永浜(エイヒン)ちゃんも可愛いよ(その3)。

室内赤ちゃんだねえ。

 前回は双子の赤ちゃんが屋外運動場から室内に入る際の大騒ぎを記事にしました。
(その1)からご覧になる方はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49953380.html

 それで、室内に入った赤ちゃん達は、あれだけお姉さんの言うことを聞かなかったのに、ちゃっかり甘えています。

 やっぱりお姉さんが好きなんだねえ。

 




 まあ、動物というのは、我がままで現金なものです。

 うちのスジャータちゃんみたいなものです。

 くりくりお目目のアイコンタクトで意思疎通をして可愛いねえ。

 




 笹を食べるのには両手だけではなく、足にも協力いただきます。

 




 合理的だねえ。

 つかまり立ちの練習だよ。人間の赤ちゃんみたいだねえ。

 




 ところが鉄棒は滑るからいけないねえ。

 




 腰砕けになりました。

 こっちの子はマイペースで笹を食べています。

 




 巻き舌で食べているから江戸っ子かな?

 




 つかまり立ちをしています。

 




 木登りだよ。

 




 えっへん!

といっても、せいぜい20センチ登っただけだよお!

 だったら、これなら文句はないよね。

 笹を加えたまま木登りをします。

 




 登ったのは凄いけれど、笹を落っことしたねえ。

 




 がっかりだねえ。

 こっちの子は滑り台が大好き!

 




 ということで、あれだけ外にいたがっていた割には、室内でご機嫌に遊びます。

 次回に続くよ。お楽しみにね!
 次回はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50078279.html





京都の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は冥界への入り口(その1) 【ファイルMK9】2010.01.10 

【ファイルMK9】2010.01.10 京都の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は冥界への入り口(その1)

『六道まいり』は迎え鐘を撞くんだねえ。小野篁(おのたかむら)さんゆかりのお寺だよ。

 京都では毎年8月16日に有名な『五山送り火(ござんのおくりび)』(大文字の送り火)が行われます。これは、諸説あるそうですがお盆に迎えたお精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けるために焚かれる火とされているそうです。

 では、お精霊さんをお迎えするときにはどうするのでしょう。
 
 京都の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)では毎年八月七日から十日までの四日間『六道まいり』が行われ、先祖の精霊をこの世へ呼び戻す『迎え鐘(むかえがね)』を撞く参詣者でにぎわうのです。

 実は以前ご紹介した建仁寺の記事は、珍皇寺に行く途中で立ち寄ったものです。

 建仁寺の記事はこちら、
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49365223.html

 もう一度位置関係の地図をご覧ください。





 冥界への入り口六道の辻から昔葬送の道だった松原通を東に少し行ったところに六道珍皇寺があります。





 小さな境内に大勢の人がお参りしています。

 六道珍皇寺の『六道まいり』の参詣の仕方を書いた看板が立っていたので、書き写しますね。

 参詣順序
1・境内参道に於いて高野槙(コウヤマキ)を買い求める。
2.本堂前で先亡の法名(戒名)俗名を水塔婆に書いてもらう。
3.迎え鐘を撞く。
4.水塔婆を線香で清める。
5.地蔵尊宝前に於いて備え付けの高野槙にて水回向の後その場所に収める。
6.8月17日当山に於て盂蘭盆会施餓鬼法要を厳修申し上げ本堂前「六道の辻」と称する場所において全ての水塔婆への総供養を行う。

 本堂前の受付には笹龍胆(ささりんどう)の家紋の幕が張られています。





『笹竜胆紋(ささりんどうもん)』は源氏、とりわけその中でも村上源氏の代表紋だそうです。

 六波羅蜜寺の南に鎌倉幕府が六波羅探題を設置したから、清和源氏がその際に六道珍皇寺に寄進をしたのかもしれませんね。

 迎え鐘を撞く人たちが並んでいます。





 鐘のお堂から紐が出ていて、これを引っ張ると鐘が撞かれ、ご先祖様をお迎えします。

 本堂の前に『三界萬霊十方至聖』と刻まれた石柱と、『あの世への入口 六道の辻』、『閻魔王宮の臣 小野篁(おのたかむら)卿旧跡』と書かれた提灯が下げられています。





 それでもって、ここでは『閻魔王宮(えんまおうきゅう)の臣 小野篁(おのたかむら)』さんや閻魔大王さんたちの像が毎年八月七日から十日までの四日間『六道まいり』の時期に公開されているのです。

 普段はお堂の中に仕舞われていて、小さな格子窓から覗くようになっているのですが、この時だけは戸が開け放たれ、お日様の光の下、拝むことができるのです。

 小野篁(おのたかむら)さんです。





 小野篁卿立像とその脇侍に善童子立像(左)、獄卒鬼立像(右)が控えています。

 お寺に掲示されている看板には、
 小野篁卿木立像は江戸時代(元禄2年)に旧篁堂の本尊として製作され、作者は京都右京の法橋院達(ほっきょういんだつ)だと書かれてあります。

 また、脇侍の善童子立像、獄卒鬼立像はどちらとも伝小野篁卿の作だそうです。

 小野篁さん(802~852)は、
 延暦21(802)年生れ、遣隋使を務めた小野妹子(おののいもこ)の子孫で、父は参議小野岑守(みねもり)です。

 孫に三蹟の一人小野道風(おののとうふう)がいて、また平安時代前期の有名な女流歌人で絶世の美女小野小町も孫だと言われているそうです。

 もの凄い家系だねえ。

 嵯峨天皇に仕えた平安初期の政治家で文人、歌人です。

 若い頃は、父に従って陸奥国へ赴き、弓馬をよくしましたが、嵯峨天皇のお言葉に触れ発奮し学業に励んだそうです。

 弘仁13年(822年)文章生に補せられ、大内記・蔵人を経て、天長9年(832年)従五位下に叙せられ、翌天長10年に仁明天皇が即位し、淳和上皇の皇子恒貞親王が皇太子になると、東宮学士に任ぜられました。

 順調に出世して、承和元年(834年)、遣唐副使に任ぜられますが、承和5年(838年)に正使藤原常嗣の専断に憤慨し争い、病気と称して乗船を拒否します。

 さらに、『西道謡』という朝廷を批判する詩を作ったため、嵯峨上皇の怒りを買い、官位剥奪の上隠岐への配流に処されました。独立独歩で頑固な人だったんですね。

 篁さんは、その反骨精神から「野相公」、「野狂」という異名があります。

 篁さんが流刑地の隠岐に流される時に読んだ歌は特に有名で、百人一首にも入っています。


 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟(百人一首11番)
 

 そののち承和7年(840年)2月許されて帰京・本位に復します。

 その後も蔵人頭・左中弁と要職を歴任。承和14年(847年)には参議として公卿に列し、仁寿2年12月(853年1月)従三位に叙せられますが、まもなく薨じました。

『令義解(りょうのぎげ=文章博士菅原清公ら12人によって撰集された令の解説書)』の編纂にも深く関わるぐらい法理に明るく、政務能力に優れていました。

 一方で漢詩文では平安時代初期の三勅撰漢詩集の時代における屈指の詩人で、『経国集』や『和漢朗詠集』にその作品が伝わっています。

 また和歌にも秀で、『古今和歌集』以下の勅撰和歌集に18首が入首しています。

『日本文徳天皇実録』の薨伝によれば、篁さんは身長が六尺二寸=180センチを超える巨漢だったそうです。

 これだけの身分でスーパーマンのような活躍をしたのですが、金銭に淡白で禄を友人に分け与えていたため貧しかったんだって。


 さらに、篁さんが有名なのは、昼は高級官僚として朝廷に仕え、夜は井戸を通って冥界に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたということです。寝る暇がないねえ。

 篁さんのアップ





 睡眠不足のせいで、目が充血しています。

 京都市北区にある篁さんのものと伝えられる墓の隣には、紫式部のものと言われる墓がありますが、これは愛欲を描いた咎で地獄に落とされた式部を、篁さんが閻魔大王にとりなしたという伝説に基づくものだそうです。

 その他にも、篁さんは逸話に事欠きません。

『今昔物語集』には、病死して閻魔庁に引据えられたた藤原良相が篁さんのとりなしによって蘇生したという逸話があります。

『宇治拾遺物語』などには、嵯峨天皇のころ、「無悪善」という落書きがあったのを「悪[さが(嵯峨のこと)]無くば、善けん」と読み、それに立腹した嵯峨天皇の出した「『子』を十二個書いたものを読め」というなぞなぞを、見事に「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と読み解いてみせ事なきを得た、という逸話が書かれています。

 まだ日本に『白氏文集』が一冊しか渡来していない頃、天皇が戯れに白楽天の詩の一文字を変えて篁さんに示したところ、改変したその一文字のみを添削して返したといいます。

 中唐の大詩人、白楽天は、篁さんが遣唐使に任ぜられたと聞き、彼に会うのを楽しみにしていたそうです。

 凄い人だったんだねえ。

 次に続きます。
 次回はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50060253.html

南紀白浜アドベンチャーワールドのジャイアントパンダの双子の赤ちゃんの梅浜(メイヒン)ちゃん、永浜(エイヒン)ちゃんも可愛いよ(その2)。 【ファイルC164】2010.01.06 

【ファイルC164】2010.01.06 南紀白浜アドベンチャーワールドのジャイアントパンダの双子の赤ちゃんの梅浜(メイヒン)ちゃん、永浜(エイヒン)ちゃんも可愛いよ(その2)。

年越し赤ちゃんだねえ。

 前回は双子の赤ちゃんのうち、一人だけ、お食事を摂るために運動場から室内に戻りました。
(その1)はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49953380.html

 ところが、難問が一人残っています。

 この子は動くのが億劫で、お姉さんにかまって貰うのが大好きなのです。

 ということは、こちらが、おっとりとしたマイペース型の姉の梅浜(メイヒン)ちゃんかな?

 仕方なく、お姉さんは実力行使を試みます。

 うへえ。お外がいいよお。

 




 せいいっぱいの抵抗を試みますが、お姉さんは許してくれません。

 分かったよお。危ないから自分で降りるよお。

 やれやれ、お姉さんは乱暴だねえ。

 自分のことは棚に上げて赤ちゃんはぶつぶつ文句をいいます。

 仕方なく、自分ではしごを降ります。

 




 どう?カッコよく撮れた?

 




 3階から2階に降りただけなのに、一仕事終えたように自慢げにポーズをとります。

 
 お姉さんに滑り台を降りるように言われているのに、2階でぐずぐずします。

 




 とりあえず、笑顔で誤魔化して、許してもらおうとする赤ちゃん。

 




 愛想は良いんだけどねえ。

 でも、お姉さんは許してくれません。

 困り果てて、途方にくれている赤ちゃん。

 




 滑り台は苦手だねえ。

 怖いので、後ろ向きにおっかなびっくりと、にじるようにして降ります。

 




 やっと下に降りてくつろごうとしますが、早く部屋に戻るようにお姉さんにせきたてられます。

 




 お姉さん、お外で食事したいからここに笹を持ってきてよお!

 




 お姉さんはウェイトレスじゃありません!

 うへえ、怒られたよお。

 そもそも、寝転がってお願いするのが人にものを頼む態度じゃないねえ。

 両手と右足が近いので、手が3本あるように見えます。体が柔らかいんだねえ。

 これだと木から落ちたり、ひっくり返ったりしても怪我をしにくいねえ。

 ということで、お姉さんの目が笑っていないので、やっとお部屋に入ります。

 




 まんまるお目目が全然反省してません。

 毎日こんなやりとりがあるなんて、パンダのお世話も大変ですね。

 小さいうちに部屋に戻る躾をちゃんとしないと、大人になって体が大きくなったらどうしようもありませんからね。

 やれやれ。

 次は室内編だよ。




追記

 南紀白浜アドベンチャーワールドで2009年10月13日(火)に生まれた、「ホッキョクグマ」のメスの赤ちゃん(記事はこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49927108.html)
 はよちよち歩きができるようになったそうです。
 この前までハイハイもできなかったのにねえ。
 これからミルクから離乳食に移行するのが難しいらしいのです。夏には水に入る訓練を始めるんだって。
 
 元気に育ってほしいねえ。

寅年2010年あけましておめでとうございます。 【ファイルC163】2010.01.01 

【ファイルC163】2010.01.01 寅年2010年あけましておめでとうございます。

大阪市天王寺動物園のアムールトラのご夫婦がご挨拶。

 旧年中はお世話になりました。
 本年もよろしくお願いします。

 阪神タイガースの親会社の阪神電鉄の本社のあるトラの本場、大阪市天王寺動物園のトラのご主人のセンイチさんが、まずごあいさつ。

 




 貫禄があっておめでたいねえ。

 それもそのはず。

 アムールトラ=シベリアトラは全長オス270-370cm、メス240-275cm。体重オス180-306kg、メス100-167kgとトラの最大亜種なのです。

『センイチ』という名前は阪神タイガースの星野仙一元監督にちなんで名付けられたそうです。

 だからセンイチさんは大阪の天王寺動物園生まれだと思ったら、東京の多摩動物公園から婿入りしたトラさんのようです。

 そもそも阪神タイガースのトラさんといえば、本来は兵庫県西宮市にあった、甲子園球場に隣接する甲子園阪神パークのトラさんが本場だったのにねえ。阪神パークは2003年3月31日に閉園しちゃったからねえ。

 確かに親会社の阪神電鉄の本社は大阪にあるけど、阪神球団本社・事務所は兵庫県西宮市にあるから兵庫県西宮市がフランチャイズの球団だねえ。

 かなり前に撮った写真なのですが、ついついUPしそびれて、やっと日の目を見ることができました。

 上目遣いで見られると迫力があります。

 




 この目で睨まれたら、邪気もふっとぶねえ。

 尻尾を伸ばして立派だねえ。

 




 一方、姉さん女房のアヤコさんは、美容体操をしていました。

 




 何見てるのさあ!

 




 うへえ、睨まれちゃったよお。

 体操の甲斐もあって、とてもスマートな美人さんだねえ。

 




 こうやって並ぶと、センイチさんは体格が良いねえ。

 




 二人そろって『イエス、フォーリンラブ』でおめでとうございます。

 




 笑いコンビ『フォーリンラブ』のバービーさんハジメさんみたいだねえ。

 ということで、本年もよろしくお願いします。

 皆さんにとって良いお年でありますように!

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