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南紀白浜アドベンチャーワールドのイロワケイルカさんはパンダイルカさん。 【ファイルC181】2010.04.29

【ファイルC181】2010.04.29南紀白浜アドベンチャーワールドのイロワケイルカさんはパンダイルカさん。

不思議な模様だねえ

 南紀白浜アドベンチャーワールドは、ジャイアントパンダさんが有名です。

 ジャイアントパンダさんの記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49953380.html

 レッサーパンダさんもいます。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50380533.html

 ところが、外にもパンダさんがいるのです。

 パンダイルカさんです。

 こんにちは。

 




 ドルフィンキック!

 




 




 このように見た印象が白と黒のツートンカラーで、ジャイアントパンダさんに似ているので、パンダイルカと呼ばれていますが、普通はイロワケイルカ(色分海豚)さんと呼ばれています。

 シャチもジャイアントパンダさんと同じ配色ですが、同様にクジラ目の歯クジラ亜目です。

 大人で約1.5m程度で、イルカのなかでもひときわ小さい種類になります。

 歯クジラのうち、およそ4mを境に、成体の体長がそれより大きいものをクジラ、小さいものをイルカと呼んでいますが、そのなかでも小さいんだから、本当に小さいんだね。

 でも普通の魚よりはずっと大きいねえ。

 お住まいは地球上に2箇所あります。

 一つはアルゼンチンの入り江、マゼラン海峡、フォークランド諸島などの南アメリカ南端の海域で、もう一つはその海域から8,000kmも東に離れたインド洋南部のケルゲレン諸島周辺です。

 浅瀬を好みます。

 餌は近海や遠洋の魚類やイカ。南米では甲殻類を食べる群もあります。

 10頭前後の小さな群で回遊していて、餌が豊富な海域では100頭以上になることも有るそうです。

 暗い上に、高速で泳ぎ回るので、撮影が大変です。

 




 ロケットみたいだねえ。

 ご夫婦仲良しです。

 




 追いかけっこしています。

 




 疲れたら海面でゆっくり。

 




 上の子は光源に近いのでハレーションを起こしています。

 




 ジャイアントパンダさん同様、撮影者泣かせなのです。

 ヒレを振ってごあいさつ。

 




 さようなら、元気でね。

 イロワケイルカ(色分海豚)さんの最長飼育記録は約21年だそうですが、本当の寿命はまだ分かっていないそうです。

 国際自然保護連合 (IUCN) のレッドリストでも「情報不足」(DD : Data Deficient)に分類されているから、よく分かっていないイルカなのです。

 だから、野生の生態とともに、こうやって身近で飼育することによって研究することが必要なのです。

 長生きして、ご長寿新記録を出して欲しいものだねえ。
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金閣寺〔鹿苑寺(ろくおんじ)〕は足利義満のお寺(その1) 【ファイルT116】2010.04.26 

【ファイルT116】2010.04.26 金閣寺〔鹿苑寺(ろくおんじ)〕は足利義満のお寺(その1)

紅葉の名所だねえ。

 秋の嵐山の記事の続きです。

 天龍寺から、タクシーで金閣寺まで移動しました。

 そんなに遠くないのに、道が狭いので、信号待ちで結構時間がかかりました。

 金閣寺も境内の紅葉が見事でした。













 苔と落ち葉のコントラストがすばらしいのです。





 外国からお坊さんが来られていました。タイのお坊さんかな?





 梵鐘がありました。





『無学の經』っていう額が掛けてありました。





 角をまがると、いきなり金閣が目の前に現れました。

 ぴかぴかでまばゆいばかりです。





 この演出はとても効果的です。

 金閣寺は、金閣寺(きんかくじ)と呼ばれていますが正式には鹿苑寺(ろくおんじ)といいます。

 この地の歴史を遡ると、古くは鎌倉時代に藤原一族の藤原公経(西園寺公経:さいおんじきんつね)がこの地に西園寺を建立しました。

 その後、荒れ果てた西園寺を足利義満が譲り受け、「北山殿(北山第)」と呼ばれる大規模な邸宅を造営しました。邸宅とはいいながら御所に匹敵する大規模なもので義満はここで政治の実権を握りました。

 つまり、義満さんは、この地で執務していたのですね。

 だから、アニメ『一休さん』でも将軍義満さんともに、金閣寺はおなじみです。


 足利義満の死後、遺言により北山山荘は舎利殿(金閣)を残して解体され禅寺となりました。禅寺の名前は義満の法名鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名付けられました。


 昭和の修理で金箔が張り替えられ、本当にピカピカです。


 義満の別荘と言うより、ここで室町幕府の執務をしていたのですね。

 綺麗だねえ。

 次に続きます。

シロナガスクジラの保護について。 【ファイルC180】2010.04.23 

【ファイルC180】2010.04.23 シロナガスクジラの保護について。

IWCは本当にシロナガスクジラさんを保護する気があるの?

 私は上野の国立科学博物館が大好きです。

 国立科学博物館は、もちろん中の展示も凄いのですが、一つの楽しみが、シロナガスクジラの実物大オブジェに会えるからです。

 全長30メートルです。

地球最大の哺乳動物です。


 




 




 凄いねえ。立派だねえ。

 実物を見たいものですが、私のような素人が限られた資源を使って実物を見るのは良くないことだし、第一お金がかかるから、シロナガスクジラさんの観察は専門家やメディアのプロに任せるべきなのです。

シロナガスクジラさんは、乱獲により絶滅が危惧され、南氷洋では1964年から、北大西洋では1966年から捕獲禁止となっています。


それから既に40年以上が過ぎていますが、資源状況は南氷洋に2000頭程度と、一向に回復する兆しがありません。


それは何故でしょうか?


 シロナガスクジラさんの最長寿命はなんと!約120年。

 成熟して子供が産めるようになるのは12歳以上になってからです。

一回に1頭の子供を産みますが、妊娠率は約4割、妊娠期間は11ヶ月で繁殖速度が凄く遅いのです。


一方、ミンククジラさんは、体調は11メートルで、ヒゲクジラの中で2番目に小さく、最長寿命は約50年、6歳から8歳で成熟し、妊娠率は約9割で妊娠期間は約10ヶ月と殆ど毎年子供を産むので、繁殖スピードが非常に速いのです。


更に、シロナガスクジラが減ってから、ミンククジラの成熟年齢が早くなり、繁殖スピードが速くなったという説さえあるのです。


シロナガスクジラとミンククジラは同じ海域でオキアミを食べていて競合しています。


シロナガスクジラが減った分、繁殖の早いミンククジラの栄養状態が良くなり、どんどん繁殖して、空間占有を広げ、シロナガスクジラの頭数の復元を妨げているのです。


現在、南氷洋のミンククジラは76万頭で健全な資源状況にあります。


つまり、ミンククジラを適度に間引かないことには、シロナガスクジラの保護がままならないのです。



国際捕鯨委員会(IWC)がまるで正義のようにマスメディアは報道していますが、それは事実なのでしょうか?


国際捕鯨委員会(IWC)のもともとの発足起源は、第二次世界大戦前の1937年にさかのぼります。


この年、ノルウェーとイギリスは、捕鯨国際会議を招集し、操業開始日などの規定を含む『国際捕鯨協定』が締結されました。


この協定の目的は、鯨資源の研究と管理というよりもむしろ、ノルウェーとイギリスが自らの利権を保持しながら、鯨油の生産調整をするということが主眼に置かれていました。


なぜ鯨油の生産調整をするかというと、多くの国が無秩序にクジラを捕りすぎたら、鯨油の供給過剰になって、価格が下がるからです。それでは生産者が儲かりません。


今の石油輸出国の生産調整と同じです。


外に新規参入者の排除という目的がみえみえだったので、新規参入者の日本は参加しませんでした。今より、このころの日本人の方が世界情勢の分析は確かだったのです。


戦後、1948年に国際捕鯨取締条約が発効、これにもとづいて組織されたのが、国際捕鯨委員会(IWC)です。


この国際捕鯨取締条約も、1937年の国際捕鯨協定と同様、鯨油カルテルによる組織的な価格管理といった性格は変わっていません。


それからシロナガスクジラの受難が始まります。


初期のIWCは捕鯨枠を決めるに当たって、シロナガスクジラ換算単位(Blue Whale Unit=BWU)という概念を取り入れます。


 シロナガスクジラ換算とは、シロナガスクジラ一頭からとれる鯨油を1単位=1BWUとするものです。

 シロナガスクジラ1頭からとれる油の量は110バーレルとされ、ナガスクジラ2頭分、イワシクジラなら6頭分と考えます。

 例えば、年間の捕鯨枠を1万BWUとするなら、その枠内でシロナガスクジラだけ獲るとすると1万頭、ナガスクジラなら2万頭、イワシクジラなら6万頭まで捕鯨できます。

そうなると、1BWUあたり、イワシクジラ6頭捕る手間を考えるなら、シロナガスクジラを1頭捕った方がはるかに楽です。


当然の理として捕鯨オリンピックと呼ばれる状態になりシロナガスクジラは乱獲されました。


1964年に南氷洋のシロナガスクジラ捕獲が禁止されるまで、もっとも多くシロナガスクジラを乱獲したのはノルウェーとイギリスです。


シロナガスクジラの累計捕獲頭数は、ノルウェー8万2000頭、イギリス7万頭、大きく引き離されて日本2万5000頭、南アフリカとオランダがそれぞれ5000頭ずつ、旧ソ連が4000頭です。


その結果、捕鯨以前、世界に約20万頭いたシロナガスクジラは、南氷洋にいるものでも約2000頭に激減しています。


つまり、シロナガスクジラの乱獲を許した大きな原因は、IWCにあるのです!!!


 その後、植物性油が安価に入手できるようになり、鯨油の需要が激減し、西洋諸国では捕鯨の『うまみ』が無くなりました。

1960年、クジラを捕る必要がなくなった西洋側諸国主導で、捕獲枠はどんどん小さくなり、次々と捕獲禁止のクジラ種が増えていきます。


その時突然、クジラを捕る必要がなくなった西洋諸国から、クジラは人間の友達だなどというイデオロギーが発生します。


当時深刻だった環境問題や、ベトナム戦争の問題がクジラ問題にすりかえられていったのです。


『一頭のクジラを救えずに、どうして地球を救えるだろうか』などといった情緒的な環境キャンペーンのスローガンも出てきます。


一方、アメリカNBCテレビで1964年に放送された。『Flipper (邦題:わんぱくフリッパー)』というイルカを主人公にした番組が人気になります。


Flipperで出演した5頭のイルカを捕獲・訓練したのが、リック・オバリーです。


 リック・オバリーは、後に『イルカ解放運動』の闘士に転じ、日本の太地町で行われている、イルカの『追い込み漁』を隠し撮りの手法を用い取材した映画、『ザ・コーヴ(2009年度第82回アカデミー賞ドキュメンタリー映画賞受賞)』に主演しているのです。

『Flipper』は『わんぱくフリッパー』として日本でも1966年からフジテレビ系で放送されたのですが、スポンサーはなんと捕鯨もやっていた日本水産。


反捕鯨・イルカ保護運動に大きな影響を及ぼしたテレビ番組を日本水産が提供していたというのは、悪い冗談です。



その後、このように突然ふって湧いた反捕鯨勢力はIWCに影響を持ち出し、1972年に厳しいIWCの管理のもとでなら『商業捕鯨を停止する必要なし』と科学委員会が助言を行ったにもかかわらず、捕鯨に関係のない国が捕鯨反対要員としてIWCに加盟しだします。


72年に14カ国に過ぎなかった加盟国が39カ国になった1982年に商業捕鯨の一時停止が決定し、今に至っています。


全くご都合主義もいいところです。



もう一つ付け加えると、現在絶滅の深刻な危機に瀕しているクジラは、淡水イルカのヨウスコウカワイルカとガンジスカワイルカです。


ヨウスコウカワイルカについては、ほぼ生存が絶望視されています。


 ヨウスコウカワイルカが絶滅すると、歴史上人為によって絶滅した最初のクジラ類と言うことになります。

 鯨保護を叫んでいる反捕鯨団体は、このことについて目立った活動はしていません。

 もう一度問います。

IWCは本当にシロナガスクジラさんを保護する気があるの?




 参考:クジラと日本人 小松正之著 青春新書(青春出版社) 

世界遺産の天龍寺は足利尊氏の建てたお寺(その3) 【ファイルT115】2010.04.20 

【ファイルT115】2010.04.20 世界遺産の天龍寺は足利尊氏の建てたお寺(その3)

法堂の天井画も見事だねえ。

 前回に続き、天龍寺です。
 最初から読まれる方はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50492860.html

 京都は竹が似合うねえ。





 後醍醐天皇聖廟多寶殿です。





 元々、天龍寺が建てられたこの地は、禅宗最初の道場壇林寺の旧跡で、後嵯峨、亀山両天皇が離宮を造営なさった場所です。

 この場所で、後醍醐天皇は、ご幼少の頃勉学に励まれ、御成人なさったそうです。

 その事跡に因んで、昭和九年、当時の官長 関精拙(せき せいせつ)和尚が現在の聖廟多寶殿を完成しました。

 建築様式は吉野町時代の紫宸殿づくりで、小方丈から長い廊下でつながっています。

 中には、中央に後醍醐天皇の御尊像を両側に歴朝天皇の尊牌が奉案してあるそうです。

 ここで拝んだら頭が良くなるねえ。

 燃えるような紅葉です。





 白い塀が良い感じです。





 屋根の曲線が美しい。





 飾ってあった鬼瓦です。





 法堂(はっとう) は天井画が有名です。

 江戸時代の火災で焼失した法堂の代わりに、明治時代に旧坐禅堂(選仏場)を移築したものです。

 江戸時代中期頃の建築と見られています。正面須弥檀中央には、釈迦・文殊・普賢の釈迦三尊像が祀られています。

 天井画の雲龍図は明治時代、鈴木松年によって描かれましたが、傷みがひどかったため、平成9(1997)年、東京芸術大学名誉教授の加山又造(かやま またぞう:1927年-2004年)氏により八方にらみの龍の『雲龍図』が描かれました。

 堂内は撮影禁止なので、外に貼ってあった、ポスターを写します。





 どこから見ても、目がじぶんの自分の方を見ているように描かれているそうです。

 最後に勅使門(ちょくしもん)です。





 この門は天龍寺内最古の建物です。

 天龍寺の建物は創建以来650余年、その間になんと8度も兵火にかかって焼失し、多くは明治時代に再建されたものです。

 近くは、元治元年(1864)七月には『蛤御門の変』で長州兵の陣所となり、焼き払われたりしています。それだけ、この寺が交通の要所にあったということですね。

 だから、京都五山第一位の格式のあるお寺にしては、歴史の重みを感じるのが難しいという気がするのは否めません。お土産屋さんの林立する嵐山の入り口である立地も少し問題があります。

 しかしながら、この門は伏見城の遺稿 (いこう ) と伝えられ、唯一江戸期の火災を免れた寛永年間(1624~1644)のものとされているそうです。

 檜皮のうえに銅板を重ね、屋根を大きく反らし細部によく桃山様式を伝えています。

 だから、天龍寺では必見の門です。

 竹の彫刻が施されています。





 桃の形の瓦が可愛いねえ。





 屋根の曲線が独特です。





 ところが、何故か扱いがぞんざいで、すぐ近くに車が停まっていたりして写真を撮る人も殆どいません。だから、来るときはこの門の存在に気がつきませんでした。

 瓦が埋め込まれ、泥土をつき固めて作った築地塀(ついじべい)になっています。









 まるで、モダンアートだねえ。

 結構痛みが酷いので、補修した方が良いかも。

 ということで、天龍寺でした。

大阪市天王寺動物園のピューマさんは精悍だねえ。【ファイルC179】2010.04.17  

【ファイルC179】2010.04.17  大阪市天王寺動物園のピューマさんは精悍だねえ。

周囲にガンを飛ばしまくっていたよ

 大阪市天王寺動物園のピューマさんちに行きました。

 うろうろと動き回っています。

 




 あっちこっちに視線を這わせ、警戒に余念がありません。

 




 こんにちは。

 




 なんか、目がおっかないねえ。

 




 動物園で飼われているのに、野生の面構えをしています。こういう姿を見ることができるのが、動物園の醍醐味の一つです。

 ピューマさんはネコ科の哺乳類です。

 頭胴長1.2~1.8メートル、尾長70センチメートルほどです。

 南北アメリカの、雪の降る高山地帯から砂漠地帯まで、さまざまなところに分布し、直径80kmにもなる広大なテリトリー(=なわばり)をもちます。

 ドイツの世界的なスポーツ用品メーカーのプーマ(PUMA AG Rudolf Dassler Sport)の名前は、ピューマさんからきています。

 でも、プーマのトレードマークのシルエットは、チーターなのです。ややこしいねえ。

 別名はアメリカライオン、アメリカヒョウ、クーガー等です。

 北アメリカでは単に lion、panther、cat、catamount (カタマウント)などと呼ばれることもあります。

 ピーター・セラーズ扮するパリ警察のクルーゾー警部が大活躍する映画『ピンク・パンサー(The Pink Panther)』に、アニメキャラクターのピンク・パンサーが出てきますが、あれは明らかに、豹ではなく、ピューマです。

 肉食性で、げっ歯類やペッカリー、オオツノヒツジ、シカなどのほか、魚なども食べます。動物園では、馬肉、鶏頭、鳥ガラなどをあたえています。

 顎が大きくて、骨でもがりがり噛み砕きそうです。

 腕も太いねえ。

 




 身のこなしに無駄がありません。

 




 良いお顔。

 




 上を向いてじっとしています。どうしたのかな?
 
 




 木に飛びついて、立ち上がり、遠くを見回しています。ジャンプ力があり、泳ぎや木登りも上手なんだよ。

 




 これは猫さんの顔だねえ。

 ごはんはまだかな?

 




 お腹がすいたんだねえ。

 ピューマさんは、狩猟の対象になったり、家畜の被害を受けた農民たちによって捕殺されたりしたため、20世紀初頭にはアメリカ中西部と東部に生息していた亜種はほとんど姿を消してしまいました。

 また、フロリダでは絶滅が危惧さていて、厳重な保護下に置かれている亜種が生息しています。
 
 以前ピューマが生息していた地域で、ピューマの好物であったオジロジカの個体数が増加していて、ミズーリ州やアーカンソー州などの東部地域で数頭のピューマが姿を見せているそうです。

 本格的な保護策を取りさえすれば、中西部や東部全域でもその生息域が復活する可能性があるそうです。

 また、アメリカ西部やカナダのほとんどの州における個体数は、スポーツハンティングを行っても十分に維持が可能であると考えられているんだって。

 健全な生存頭数が確認され、その増加がシロナガスクジラを圧迫していると言われているミンククジラの食料のための捕鯨が駄目だって言っているのに、他方で、個体数が復元したからといって、ピューマのスポーツハンティングは良いんじゃないかって、随分と身勝手な人たちだねえ。
 
 ということで、カッコイイ、ピューマさんでした。

 さようなら、元気でね。

世界遺産の天龍寺は足利尊氏の建てたお寺(その2) 【ファイルT114】2010.04.15 

【ファイルT114】2010.04.15 世界遺産の天龍寺は足利尊氏の建てたお寺(その2)

お庭もとても綺麗だねえ。

 前回に続き、天龍寺です。


 天龍寺なので、方丈内に雲龍図が飾ってあります。





 ガラスにお庭の紅葉が映り込んでいます。

 奥にはお不動さんの絵が掛かっています。





 大方丈には藤原時代の作とされる本尊、木像釈迦如来坐像が安置されているそうです。





 お庭に降りて、見物します。





 嵐山や亀山を借景にしています。





 それで、ここはお池も綺麗です。

 大方丈と曹源池(そうげんち:特別史蹟名勝)です。









 曹源池は開山夢窓疎石(むそうそせき)の作庭になる廻遊式庭園です。池の前庭には州浜(すはま)形の汀(みぎわ)や島を配し、嵐山や亀山を借景(しゃっけい)として取り入れています。

 石も効果的に配置されています。





 これは「龍門瀑(りゅうもんばく)」と呼ばれている石組みです。

 龍門瀑というのは、鯉が中国の黄河上流の龍門瀑と呼ばれる3段の滝を登りきって竜となったという登竜門伝説に基づいた、石組みの様式です。


 紅葉がとても綺麗でした。









 ということで、天龍寺の記事は次に続きます。


名古屋市東山動物園のナマケグマさん。 【ファイルC178】2010.04.12  

【ファイルC178】2010.04.12  名古屋市東山動物園のナマケグマさん。

元気に動いていたよ

 かなり前に行った名古屋市東山動物園の記事です。

 ここは、クマさんの展示が充実していて、楽しいのです。

 今回はナマケグマさんです。

 




 大きな体を揺らしながら、のっしのっしととても元気に動き回っていました。

 夜行性らしいのに、大サービスです。

 なのにどうしてナマケグマ?

 湾曲した長い爪を使って木にぶら下がることができ、その姿がナマケモノを連想させるからナマケグマと呼ばれるようになったそうです。

 
 無精で散髪に行ってないようにも見えるからねえ。

 危険を感じるとうしろ足で立ち上がり、前足のツメを見せて威嚇するんだって。

 こんな長いツメで脅されたら怖いねえ。

 岩から下をのぞき込むナマケグマさん。

 




 お住まいはインド、スリランカなどの森林地帯、草原や丘陵地帯です。

 雑食性ですが、特にシロアリが大好物です。

 湾曲した長いツメを使って固いアリ塚に穴を開け、邪魔な土やゴミを吹き飛ばしてから、前歯のすき間からシロアリを吸い上げるのです。

 このとき、鼻孔を閉じることができて、唇をストローのようにして、凄い音を出しながら吸い込むんだって。

 この尖った鼻先は、シロアリを食べるのに便利なんだね。凄いねえ。

 褒められて、喜ぶナマケグマさん。
 
 




 ほかにも、マンゴーやイチジク、コクタンなどさまざまな果実や花を食べます。

 また、木片を投げつけてハチの巣を落として地上で食べるので、英語では『Sloth bear』の他に『Honey bear』とも呼ばれているそうです。
 

 クマの中では珍しく一夫一婦で両親が子供の面倒を見ます。

 地下の巣穴で通常1度に2頭の子どもを産みます。

 子供は生後4ヶ月頃になると、これまたクマには珍しく、親の背中におんぶしてもらって移動します。

 この時、この長くて密度の高い毛が、子供にとって、とても掴まりやすくて役にたつんだって!

 何から何まで便利に出来た体なんだねえ。

 えっへん!

 




 胆嚢は薬用になると信じられていて乱獲され続けた上に、開発による生息環境の破壊で生息数は減少していて、絶滅の危機が心配されているそうです。

 最後に丁寧にご挨拶してくれたよ。

 




 さようなら、元気でね。

世界遺産の天龍寺は足利尊氏の建てたお寺 【ファイルT113】2010.04.10 

【ファイルT113】2010.04.10 世界遺産の天龍寺は足利尊氏の建てたお寺

有名な禅寺だよ。

 季節はずれていますが、秋の京都の続きです。
 渡月橋から、美空ひばり記念館の前を通って、すぐのところに霊亀山(れいぎざん)天龍寺(てんりゅうじ)があります。

 天龍寺は日本史に載っている寺院で、足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として有名で京都五山の第一位とされてきました。

『古都京都の文化財』として世界遺産に登録されています。

 紅葉が綺麗だねえ。





 天龍寺の開基は有名な足利尊氏です。





 禅寺だけあって、石がとても美しいのです。

 鬼瓦がにらんでいます。





 建武2(1335)年、足利尊氏は後醍醐天皇に征夷大将軍の位を望みましたが許されず、その後、後醍醐天皇に反旗を翻しますが、建武3(1336)年尊氏は、比叡山に逃れていた天皇の顔を立てる形での和議を申し入れ成立。

 後醍醐天皇は同年11月2日に光厳上皇の弟光明天皇に神器を譲り、その直後の11月7日、尊氏は建武式目十七条を定めて政権の基本方針を示し、新たな武家政権の成立を宣言しました。

 他方後醍醐天皇は京を脱出して吉野(奈良県吉野郡吉野町)へ逃れ、光明天皇に譲った三種の神器は実は偽物であり自らが護持しているものが本物であるとして皇統の正当性を主張。独自の朝廷(南朝)を立てました。これが南北朝時代の始まりです。

 暦応元年/延元3年(1338年)、尊氏は光明天皇から征夷大将軍に任じられ(在職:1338年 - 1358年)、室町幕府が成立します。


 両統迭立(りょうとうてつりつ)、建武の新政から南北朝への経緯は、とても複雑です。

 室町幕府成立以降も、尊氏の執事の高師直(こうのもろなお)や尊氏の同母弟の足利直義(あしかが ただよし)・足利直冬(あしかが ただふゆ:尊氏の庶子)の勢力、南朝の勢力が牽制しあって敵味方がめまぐるしく入れ替わり、何がなんだか分からなくなるのです。

 おおまかな経緯を理解するのは、マンガ日本の古典〈18〉 (中公文庫)太平記〈上〉〈中〉〈下〉三巻 (さいとう たかを著)がお勧めです。

 このマンガで時代の流れを掴んで、他の文献を読むのが手っ取り早いのです。

 天井をみたら、大きな梁が組み合わさっています。





 それで、達磨さんの絵がお出迎えしてくれます。





 暦応2 (1339) 年8月、後醍醐天皇が崩御されましたが、その菩提を弔うため、夢窓疎石(むそう そせき)が足利尊氏に進言し、光厳上皇の院宣を受けて開創されたお寺が、この天竜寺です。

 足利尊氏は最初のうちは鎌倉幕府方だったのですが、後醍醐天皇側に寝返り、その後、室町幕府を開いて北朝を擁立して後醍醐天皇と敵対し、後醍醐天皇に許されなかった征夷大将軍になりました。

 ということで、後醍醐天皇の朝敵だった足利尊氏は勤王思想が一世を風靡したとき、特に大東亜戦争中は、謀反人として凄く評判が悪かったのです。

〔対照的にずっと後醍醐天皇に従い、千早・赤坂城に立て籠もって奮戦し、(鎌倉幕府の)倒幕に活躍。『七生報国(しちしょうほうこく:七たび人と生まれて、逆賊を滅ぼし、国に報いん』を誓って湊川の戦いで戦死した楠木正成(くすのきまさしげ=大楠公【だいなんこう】)は勤王思想の大英雄でした〕

 これだけの因縁のある後醍醐天皇の祟りを足利尊氏はとても恐れていたのですね。


 康永4年(1345)秋、に夢窓疎石を開山に迎えて後醍醐天皇七回忌法要を兼ねて盛大に落慶法要が営まれました。

 初めは暦応資聖禅寺と号しましたが、比叡山が暦応の元号を寺号とすることに反対し、抗議したため、幕府は天龍資聖禅寺と改めました。

 天台宗の比叡山の延『暦』寺は、尊氏のような権力者がたてた禅寺に『暦』の名がつくのはいやだったのですね。

 天龍資聖禅寺の『天龍』は、尊氏の弟・足利直義が、寺の東の大堰川(保津川)に金龍の舞う夢を見たことに由来します。

『資聖』の『聖』って、ひょっとして聖徳太子の『聖』かな?

 鎌倉期には仏教の末法思想が広がり、鎌倉仏教ができたのと同時に、聖徳太子信仰も盛んになりました。

『太平記』にも楠木正成が『聖徳太子の未来記(予言書)』を見て、後醍醐天皇の建武の親政が実現することを確信したことが書かれてあります。

 天竜寺と言えば、歴史の教科書に天龍寺船(てんりゅうじぶね)というのが出てきましたね。

 これだけ立派なお寺を建てるのには凄くお金がかかります。

 ところができて間もない室町幕府は南朝との戦いにより経済的に苦しく、荘園・公領からの年貢も滞っていたため、巨額の造営費を捻出できるような状態ではありませんでした。

 当時の元は倭寇に悩まされており、日本からの船を閉め出していました。

 しかし夢窓疎石は博多商人の至本(しほん:国籍は不明)を綱司(船長)として推挙し、貿易の成否に関わらず、帰国時に現金5000貫文を納めることを約束させ、康永元年(1342年)8月に元へ渡航することになります。

 この渡航のために、天龍寺船という貿易船(寺社造営料唐船)が仕立てられたのですね。

 結局、この『大ばくち』が当たり、天龍寺船は莫大な利益を上げて帰国。

 このときの利益を元に天龍寺の建設が進められたのです。

 よかったねえ。

 堂内は広い畳敷きの部屋。





 これではお金がかかるはずです。

 こちらも達磨さんの掛け軸。





 莫妄想(まくもうぞう)と書かれた書が懸かっています。





 これは『妄想(もうそう)すること莫(なか)れ』=『くだらぬことを考えるな』という意味だそうです。

くだらぬことか、くだることかはその人の価値観によるのだと思うのですが、価値観から自由になれっていうことかな?

でも、くだらぬことを考えるって楽しいんだけどねえ。

 お庭も綺麗。





 ということで、次に続きます。

 次回はこちら

東京日本橋『たいめいけん』の『たんぽぽオムライス』を食べたよ 【ファイルF36】2010.04.06 

【ファイルF36】2010.04.06 東京日本橋『たいめいけん』の『たんぽぽオムライス』を食べたよ

ぷるるん卵のオムライスだねえ。

 別に洋食屋さんのオムライスシリーズということでもないのですが、今回はお江戸日本橋の老舗洋食屋さん、『たいめいけん』です。





 初代茂出木心護(もでぎしんご)氏が西洋料理・支那料理の『西支御料理処・泰明軒本店』に奉公したのは、昭和元(1925)年のことです。

 その頃は、洋食屋というより、当時流行のカフェーのようになっていて、女給さんも七、八人いたそうです。

 そういえば、昔は普通の主婦が出前(てんやもん)を頼んだら、『カフェーの女給じゃあるまいし!』っておばあちゃんに怒られたっていう話を聞いたことがあるねえ。

 ただ、他のカフェーと違って、食事のお客さんが多く、民政党の代議士や、院外団の人たちが大勢食事に来ていて、築地小劇場の小山内薫(おさない かおる)さんも常連だったそうです。

 奉公先の開店四十五周年記念があった昭和6(1931)年、中央区新川に支店の暖簾分けを許され独立。

 昭和23(1948)年現在地への移転を機に店名を『たいめいけん』に改めました。

 平成6(1994)年からは三代目の茂出木浩司さんがコック長として腕をふるいます。

 1階は気軽な洋食レストランで、2階は池波正太郎さんもよく訪れた本格的な洋食レストラン。

 ビルの6階の凧の博物館は初代がコレクションを始めた江戸凧をはじめ日本全国から集められた凧が約3000件近く展示されています。

 これも三代目が引き継ぎ、凧の最終進化形の『カイトボーディング』を楽しんでいるそうです。

『カイトボーディング』はスノーボードのような、サーフボードを履いて、パラグライダーのような凧で風をとらえ、上を滑走し時には空中に飛び出しまた波に乗るというスポーツなんだそうです

 海でそんなことばっかりやっているので、3代目は、洋食屋さんのコック長というより、スポーツマンの風貌をしていて日焼けで真っ黒です。

 それで、私は1階の方のレストランに入りました。


 いかにも洋食屋さんと言った佇まいで、客層は老若男女問いません。

 コールスロー50円とボルシチ50円は外せません。

 ただし、この2品はメインの何かを注文したときの副菜として注文できて、単品では注文できません。
 
 だから100円アップの2品サービスという感覚で頼みます。





 ボルシチはジャガイモ、ニンジン、キャベツが入ってボルシチ独特の酸味があって薄味です。

 コールスローはキャベツの甘みと噛み応えがあって、とろみドレッシングが爽やかです。

 それで、タンポポオムライスの登場です。

 
 チキンライスにオムレツが載った状態で出てきます。





 ソースポットには、ケチャップが入っています。

 タンポポオムライスは映画監督、故伊丹十三さんのアイデアから生まれたそうです。

 オムレツの中央に横一文字にナイフを入れ、開きます。

 そうすると、半熟の卵さんがたまりかねたようにぷるるんと広がります。





 一種のイベントです。これだけでも感激だねえ。

 これにソースポットのケチャップをかけてできあがり。





 いただきます。

 タマネギとマッシュルームの入ったケチャップのチキンライスが、とろり卵と一緒に口の中で混ざるねえ。

 余熱で卵が固まる前のふわふわ卵のお味がたまりません。卵も、こくのあるチキンのお肉も赤いケチャップがとても合います。

 ぱらぱらのチャーハンもおいしいけれど、ケチャップであえたオムライスは洋食を代表するお味です。

 さすがは老舗の洋食屋さんです。へんに本場にこだわる料理屋さんより洋食は私の口に合います。

 ただ、ここも中途半端な時間に来ないと混みます。

天王寺動物園のワライカワセミに話すなよ! 【ファイルC177】2010.04.02

【ファイルC177】2010.04.02 天王寺動物園のワライカワセミに話すなよ!

けららけらけらけけらけらってうるさいねえ。

 ワライカワセミさんは、童謡で有名なブッポウソウ目・カワセミ科の鳥です。

 




 首をかしげてこっちを見ています。かわいいねえ。

 お住まいはオーストラリア・タスマニアです。

 ボードに『体の両わきの羽の水色が濃い方がオスです。わかるかな?』って書いてありました。

 ということは、こちらが奥様らしいのです。

 




 体長は40-45cmほどあり世界最大のカワセミなので、結構おおきいのです。

 英名はLaughing Kookaburraです。

 クッカバラ=Kookaburraだけでワライカワセミの意味をもつのですが、クッカバラ=Kookaburraには、このLaughing Kookaburra(ワライカワセミ)の他にBlue-winged Kookaburraという青い羽と尾をもっていでクイーンズランド東部おすまいの種類がいるので、この人はLaughing Kookaburra(笑っているワライカワセミ)なんだって。

 2000年に開催されたシドニー・オリンピックのマスコットにもなりました。

 こちらがご主人です。

 




 ご主人の方が忙しく動いていました。

 




 そのうち鳴き出しました。

 




 ケケケケケって甲高い声でした。

 本当に笑っているようにも聞こえるねえ。

 サトウハチローさんが詞にしたように、『たぬきのぼうやが、お腹にしもやけできたとさ』という噂をしているのではなくて、縄張りを主張しているそうです。

 奥さんはご主人の泣き声には別に無関心のようで、餌のハツカネズミをまるごと頬張って、食べていました。写真は少しショッキングなので自粛します。

 ワライカワセミさんは肉食だったのですね。

 昆虫類からネズミ、ヘビに至るまで様々な小動物を食べます。

 時として、小鳥の巣を襲うこともあるんだって。

 結構怖いんだねえ。

 




 ということで、さようなら、元気でね。

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