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南紀白浜アドベンチャーワールドのハクトウワシ(白頭鷲)さんは立派だねえ。 【ファイルC186】2010.05.30 

【ファイルC186】2010.05.30 南紀白浜アドベンチャーワールドのハクトウワシ(白頭鷲)さんは立派だねえ。

アメリカの国鳥だよ

 南紀白浜アドベンチャーワールドの入り口近くにハクトウワシさんがいました。

 さすがに立派なお顔立ちです。

 




 アメリカの国鳥だけのことはあるねえ。

 また、ロサンゼルスオリンピックのマスコットキャラクターであったイーグルサム(Eagle Sam、Sam the Olympic Eagle)のモデルにもなりました。

 好戦的な人をタカ派といいますが、私はなんとなく、この言葉でハクトウワシさんを連想してしまいます。

 でも、この人達は、肉食の猛禽類だから、お肉を食べるだけです。

 鋭いかぎ爪を使って魚を捕ることもありますが、通常は、死肉をあさって食べたり、ほかの動物の獲物を奪ったりしてエサを確保する事が多く、小型の哺乳類を捕らえて食べることもあるそうです。

 他の動物を横取りする泥棒だという理由で、ベンジャミン・フランクリンがハクトウワシをアメリカの国鳥にすることに反対したという逸話があるそうです。


 他方、平和の象徴ハト、平和主義者をハト派といいます。

 ハトさんは普通、大豆、米、トウモロコシ、雑草の種子等を好んで摂食するため草食だと思われていますが、 実はミミズ、カタツムリ、バッタ等の動物食を摂ることもある雑食性です。

 また、ハトさんは、クリプトコックス病、ピジョンオニソージス病、 脳炎、ニューカッスル病、ヒストプラズマ症、サルモネラ食中毒、トキソプラズマ症等とうの伝染病を媒介したりします。

 人間は自分の都合で、動物に勝手にイメージを押しつけるから迷惑だねえ。

 全身を写します。

 




 大きいねえ。

 体長は胴体 が86 ~ 110 センチ、翼長は約 2 メートルもあります。

 体重は 3 ~ 7 ㎏です。
 
 アメリカの国鳥なので、立派な名前がついていると思いきや、日本名ハクトウワシ(白頭鷲)さんの英語名は『Bald Eagle(頭のはげたワシ)』なのです。別に禿げているわけでもないのに、酷いねえ。

 他方、日本名ハゲワシさんの英語名はVultureですから、ややこしいねえ。

 以前UPした上野動物園のコシジロハゲワシさんの記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/43059470.html

 ハクトウワシ(白頭鷲)という日本の名前の方がかっこいいねえ。


 ハクトウワシさんは鳥類では最大級の巨大な巣を作ります。

 過去に最大で幅3メートル、高さ6メートル、その重量は2トンを超えるという巨大な巣が記録されています。

 通常、1年に1度、2個の卵を産みます。

 子どもの頃は全身茶色の羽毛で覆われていますが、5歳前後になると特徴的な白い毛が生え、両親と同じような姿になるのです。

 行動範囲が非常に広くて、フロリダからミシガンまで移動した例や、カリフォルニアからはるかアラスカまで移動した例が観測されています。


 するどい目と鍵のように曲がった嘴がかっこいいねえ。

 




 アメリカインディアンは、ハクトウワシを聖なる生き物と見なし、ハクトウワシやその羽を儀式や正装に用います。

ところが、入植してきた白人はかつてスポーツ・ハンティングという名の狩猟や漁場の保護という名目で捕獲しつづけました。

 森林伐採による営巣地の減少もハクトウワシの繁殖に悪影響を及ぼしました。

 また、DDTのような殺虫剤やPCB (ポリ塩化ビフェニル)といった化学物質が魚の体内に蓄積され、その魚を主食とするハクトウワシの卵の殻を弱くし、生殖能力の深刻な低下をもたらました。

 ついには、アメリカのハクトウワシは絶滅の危機に陥り、アメリカ合衆国では、1967年に絶滅危機(Endangered)に分類されたのです。

 それで1972年に化学物質に対する規制が行われ、ハクトウワシ保護が強化され、個体数は徐々に回復したそうです。

 その結果、1994年には絶滅危惧(Threatened)に変更。そして、2007年6月29日には米国絶滅危機種リストから完全に除外されました。

 ところがそのような状況下で、ハクトウワシを巡って、2005年3月、ワイオミング州のウィンドリバー・インディアン保留地内で、北アラパホー族の男性が、部族の伝統儀式『太陽の踊り(サンダンス)』のために、連邦の許可なくハクトウワシを殺したとして逮捕されるという事件が起きました。

 結局、米国地方裁判所が、逮捕された男性の刑事訴追をアラパホー族の部族法廷に一任する裁定を下し決着したのですが、この事件はアメリカ国内で大論争をまき起こしたようです。

 ハクトウワシを絶滅の危機に追い込んだのは白人なのに、インディアンの人が伝統的な儀式でハクトウワシを使うと逮捕されるというのは、あまりにも身勝手な話ですからね。

 アイヌ民族がイヨマンテの儀式で生け贄のクマを食べるのと一緒で、こういった文化を他の民族がとやかくいうべきことではありません。

 アメリカの自然保護というのは、こういった民族問題、人種問題が絡んでいるのが、やっかいなところです。

ということで、最後に良いお顔。

 




 さようなら、元気でね。
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世界遺産で石庭が有名な秋の龍安寺(りょうあんじ)だよ(下) 【ファイルT121】2010.05.27 

【ファイルT121】2010.05.27 世界遺産で石庭が有名な秋の龍安寺(りょうあんじ)だよ(下)

石庭は綺麗だったねえ。

 龍安寺の石庭はとても有名なお庭です。

 前回はそこに至るまでのアプローチの記事でした。

 前回の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50688707.html

 正しくは方丈庭園といい、特別名勝に指定されています。

 フランスの哲学者のサルトルが絶賛し、英国のエリザベス女王陛下ご夫妻が感動したというお庭です。

 そういうこともあって、海外でも有名な『禅』のお寺なのです。

 方丈の縁側から眺めた庭園。





 境内の木々が借景になっています。

 柳のように垂れ下がった白い枝は『枝垂れ桜』で、春にはたわわに花をつけます。


 幅25メートル、奥行き10メートルの細長い敷地に白砂を敷き詰め、帚目の渦の中に15個の自然石を東から西へ7・5・3と配置しています。こうした枯山水を『平庭式(ひらにわしき)』と言います。

 これを【5・2】・【3・2】・【3】と見ることもあるみたいです

 それでは『7の石』・『5の石』・『3の石』・の配置を観てみましょう。

 まず東側(向かって左)の『7の石』から。

 ①③④⑤の石です。





 塀の補修工事をやっていて、養生のシートが目障りですが、がまんしてね。

 ②が見えないので角度を変えると・・・。

 ②③④の石です。





 少し離れて⑥⑦の石です。





 それで、西側(向かって右)青の①②③④⑤が『5の石』で黄色の①②③が『3の石』です。





 代表的な枯山水の庭園で禅の美を極めた空間と言われています。

 どこから観ても、15の石のうちの一つは隠れて見えなくなるのだそうです。

 それについて、十五夜(満月)にあたる15という数字を『完全』なものとし、一つ足りない14は『不完全さ』を表すからだとか、この庭には近世以来「虎の子渡しの庭」の別称があって、『虎の子渡し』という支那の説話を表現したものだという説があるそうです。

 あと『全宇宙を表した』とか『五智五仏』・『十六羅漢』・『心字の形象』だのと言ったように、解釈には枚挙に暇がありません。

 そういう理屈よりも虚心坦懐に観るのが一番禅の意義にかなっているのかも。

 東から観た石庭。





 西から観た石庭。





 それでもって、西(写真向かって右)に行くほど塀を低く、地は東(写真向かって左)に行くほどに低く、河を模(かたど)り水はけもよく合理的にしているそうです。

 じつは、この時、観光客が大勢いて、中でも大学生ぐらいの年格好の女性数人と男性1人という西洋人のグループがいて、女性はモデルさんのように綺麗だったりしたのですが、なんかスノッブなインテリの感じが鼻について、じゅぼじゅば喋っていたので、さてはフランス人だったのです。

 男性は礼儀正しかったのですが、ヘソ出しルックのお姉さんが畳に寝転がったり、縁側に腰掛けるのは良いのですが、足をぶらぶらさせて、超広角レンズで映すとその足がフレームに入るので、少しいらっとしました。

 せっかくはるばる来たんだから禅寺の見方も勉強して欲しいものだねえ。

 もったいないねえ。

 エリザベス女王もちゃんとご覧になったんだから。

 あとは庫裡を出て。





 鏡容池(きょうようち)の裏をぐるっと回って出口です。





 ということで、一度空いているシーズンオフにゆっくりと味わいたいものです。

 銀閣寺の庭に驚嘆した岡本太郎さんは、このお庭について奥行きが無くて、平面的だから、銀閣寺の立体的な造形の庭園の方を評価していました。

 銀閣寺の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/48780736.html

 私は、正直言って岡本太郎さんと同じ感想を持ちました。

 でも、西洋の人は、こういう平面的な空間処理が却って新鮮なのかもしれませんね。

 浮世絵に感動したフランス印象派の画家達のように。

 それにしても、こういう過剰を極限まで切り詰めたシンプルな抽象表現を愛でた先人の鋭敏な感性には脱帽するしか有りません。

 西洋の装飾と対極にありますからね。

 やはり、金ぴかの金閣寺とセットで観ると良いと思います。

神戸市王子動物園のワオキツネザルさんだよ。 【ファイルC185】2010.05.24 

【ファイルC185】2010.05.24 神戸市王子動物園のワオキツネザルさんだよ。

輪っかの尻尾が可愛いねえ

 ここのワオキツネザルさんは以前ご紹介したことがあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/29615448.html

 今回はいろんな表情をしてくれたので、再登場していただきます。

 檻にしがみついています。

 




 この子は丸まっています。

 




 こうやってみると、タヌキにも似ています。

 こんにちは。

 




 丹精なお顔立ちです。

 指を舐めています。お札の勘定をするのかな?

 




 ワオキツネザルさんは尻尾が命。

 




 レッサーパンダさんと一緒だねえ。

 ライナス君の安心毛布みたい。

 この子は吠えているねえ。

 




 身構える姿は精悍です。

 




 ああくたびれた。

 




 こっちをみて挨拶してくれたよ。

 




 さようなら。

 お猿さんも沢山種類があって、いいねえ。

 この子達は、いろんな動物園にいるから、会ったら遊んであげてね。

世界遺産で石庭が有名な秋の龍安寺(りょうあんじ)だよ(上) 【ファイルT120】2010.05.20 

【ファイルT120】2010.05.20 世界遺産で石庭が有名な秋の龍安寺(りょうあんじ)だよ(上)

ここも紅葉だったねえ。

 金閣寺から『きぬがけの道』をぽくぽく歩きます。





 なんだか、車が多いねえ。歩く方が早かったりして・・・。

 日が傾いてきたので、先を急ぎます。

 道の途中でむき出しになった地層を見つけました。





 もととも京都というのは間氷期には海になって、更新世の氷期には陸地が広がり膨大な土砂が下流に押し流されるということを繰り返してきました。

 京都盆地には7層の『海成粘土層(大阪層群)』が発見されていて、約130万年前を初めとし、これで過去に合計7回海の侵入があったことが分かっています。

 それでもって、龍安寺に到着。





 龍安寺(りょうあんじ)は、宝徳2(1450)年に創建された臨済宗妙心寺派の寺院です。

 山号は大雲山で本尊は釈迦如来です。

 開山(初代住職)は義天玄承(ぎてんげんしょう)さんです。

 開基(創立者)は、なんと細川勝元(ほそかわ かつもと)さん!

 衣笠山(きぬがさやま)山麓のこの地は藤原北家の流れを汲む徳大寺実能【とくだいじ さねよし:永長元年(1096)年- 保元2(1157)年】以来、徳大寺家の山荘であったところを、細川勝元さんが譲り受けました。

 細川勝元さんといえば、室町幕府の管領・守護大名で、応仁の乱の東軍総帥というより、山名宗全(持豊)【やまな そうぜん(もちとよ)】さんとの争いで、応仁の乱を起こした張本人の一人です。

 京都の人にとって、『この前の戦争』と言えば、応仁元(1467)年に始まった『応仁の乱』で、これにより、京都の町の殆どが焼けました。

 とんでもなく迷惑な話です。

 これだけのお寺を創建したということをもってしても、守護大名の細川勝元がいかに強大な権力をもっていたか分かります。

 やはり龍安寺も応仁の乱で焼失し、勝元の子の細川政元と、4世住持・特芳禅傑(とくほうぜんけつ)によって長享2年(1488年)に再興されました。

 それで、このお寺では特芳さんを中興開山と称しているそうです。

 明応8(1499)年には、方丈も建立され、石庭もこの時に築造されたと伝えられています。

 その後、豊臣秀吉と江戸幕府が寺領を寄進して保護しました。

 また、寛政9年(1797年)の火災で仏殿など主要伽藍を焼失したため、塔頭の1つである西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)としました。

 1994(平成6)年、石庭及び境内全域が「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。

 だから外国人観光客も大勢詰めかけていました。

 鏡容池(きょうようち)です。





 平安時代、龍安寺一帯が徳大寺家の別荘であった頃、ここで公卿が龍頭の船を浮かべて歌舞音曲を楽しんでいたそうです。

 この池は大徳寺家が川を堰き止めて人工的に築かれたそうで、往時は石庭より有名で、おしどりが遊んでいたので『おしどりの池』と呼ばれていたそうです。

 徳大寺家の別荘だった以前は、平安中期に、円融(えんゆう)天皇の誓願により、『円融寺』が造営された場所で、お寺の後背地には円融天皇を含む龍安寺七稜があります。

 すすきがとっても綺麗です。





 ふくよかな顔の、仏様がいらっしゃいました。





 ありがたいねえ。


 紅葉のトンネルになっている石段を登ります。





 両わきにある手すりは『龍安寺垣』です。
 透かしの部分に割り竹を菱形に張っているのが特徴です。


 庫裡(くり)です。





 寛政9(1797)年の火災で焼失し、再建されました。
 本来庫裡は『寺の台所』という意味を持つのですが、禅宗寺院では『玄関』としているところが多いそうです。

 木組みと白壁で構成された建築は、禅宗寺院の特徴です。


『雲關(うんかん)』という書が飾ってありました。





 紫芝山人筆とありますが、これは漢学者の寺西乾山(てらにしけんざん:万延元 (1860)年~昭和20 (1945) 年)の雅号だそうです。


 屏風も飾ってありました。





 ということで、有名な石庭に向かいます。

 次回に続きますね。

上野動物園のオグロプレーリードッグさんだよ。 【ファイルC184】2010.05.17 

【ファイルC184】2010.05.17 上野動物園のオグロプレーリードッグさんだよ。

クビワペッカリーさんも、アメリカバイソンさんもいたよ

 上野動物園にはオグロプレーリードッグさんが集団でお住まいです。

 みんなで固まってお食事中でした。

 




 以前神戸のプレーリードッグさんを紹介しました。
 
 習性とかは、その時書きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49623418.html

 ごあいさつ。

 





 こんにちは。

 こっちを見ながらお食事です。

 




 パンダさんのように手でもって食べるんだねえ。

 巣穴をふさいではいけません。

 




 入るか出るか考え中かな?

 この子はいつでも巣に逃げ込めるように用心しながらお食事です。

 




 上野では、アリの巣観察セットのように、巣穴の中を覗けます。

 




 お日様が反射して、写真がうまく撮れません。

 両手をついてごあいさつ。

 




 さようなら、元気でね。

 アメリカバイソンさんはお昼寝中でした。

 




 クビワペッカリーさんも、お元気です。

 




 アメリカ合衆国南西端からアルゼンチンまでの砂漠、森林、熱帯雨林にお住まいです。

 クビワペッカリーさんが気を利かせてアメリカバイソン(バッファロー)さんを起こしてくれました。

 




 大きなお顔だねえ。

 




 北アメリカの草原の公園や保護区域にお住まいです。

 かつてはアラスカ、カナダからメキシコ北部にまで分布し、19世紀の初めには数千万頭が生息していましたが、乱獲によって20世紀初頭には絶滅寸前にまで数が減りました。

 それも、その乱獲は、アメリカ政府が、インディアンをインディアン居留地に押し込めるために、彼らの食料だったアメリカバイソンを猟銃よる狩猟で計画的に絶滅させて兵糧攻めにすることを目的としていたのです。


 インディアン達は必要なだけのアメリカバイソンを『いただきます』しながら、うまく共存していたのに・・・。

 また、南北戦争の終結で銃が売れなくなったので、銃の製造業者は、スポーツハンティング用の猟銃を売りまくりました。

 アメリカがいまだに銃社会で、毎年多くの犠牲者を出しているのはみなさんご存じの通りです。

 さらに、アメリカバイソンさんの毛皮はヨーロッパや東海岸で高く売れたそうです。

 肉は大陸横断鉄道建設の際に奴隷解放後の奴隷代わりに使われた支那人の労働者『クーリー(苦力)』の食糧にしました。

 バッファロー・ハンターのバッファロー・ビルはアメリカの英雄で、NFLのアメリカン・カンファレンス所属チーム、『バッファロー・ビルズ』にその名を残します。

 人間のすることじゃないねえ。

 そうやって、アメリカバイソンやインディアンを殺したり追い出したりした土地で牛を飼って、『牛は食べるための動物だから食べるのは良くて、野生の動物、特に鯨を食べるのは野蛮だ』という論理というのは、どういう精神構造をしているのでしょう?

 現在では保護のもとにおかれ、数万頭にまで増えているそうです。

 こういう可愛い顔をみると、なんだか複雑な気持ちになります。

金閣寺〔鹿苑寺(ろくおんじ)〕は足利義満のお寺(その4) 【ファイルT119】2010.05.14 

【ファイルT119】2010.05.14 金閣寺〔鹿苑寺(ろくおんじ)〕は足利義満のお寺(その4)

茶室もあるよ。

 前回からの続き。
 最初から読まれる方はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50569919.html

 お庭の坂を登ると、金閣が見下ろせます。





 夕日を浴びて浮かび上がっています。

 見学順路では、ここで金閣は見納めになります。

 貴人榻(きじんとう)です。





 昔、高貴な人が座られた腰掛け石です。室町幕府より移設されたと木札に書かれていました。

 ということは、室町通りにあった義満さんの『花の御所』からもってきたのかな?

 夕佳亭(せっかてい)です。





 夕佳亭は宗和流茶道の祖、金森宗和(かなもりそうわ)好みと伝えられる茶室です。

 寄棟造茅葺、三畳敷の席に勝手と土間からなる主屋に、切妻造柿葺で二畳敷の鳳棲楼と呼ばれる上段の間が連なっています。

 なお三畳敷の床柱は茶席としては珍しく南天の木が用いられているのが有名なんだって。





 写真、掛け軸の左に南天床柱が写っているねえ。

 夕佳亭は明治初年に焼失したため、現在の建物は1874年(明治7年)に再建されたものだそうです。

 紅葉がお日様で光っています。





 瓦に桐の紋が刻まれています。





 この図柄は、皆さんも見覚えがあるのでは?

 500円玉に刻印されているからねえ。

 桐の紋の中でも、これは花序につく花の数が5-7-5となっているので、五七桐(ごしちのきり・ごしちぎり)といいます。

 もともと桐は、鳳凰の止まる木として神聖視されていて、古くから、天皇の衣類の刺繍や染め抜きに用いられるなど、『菊の御紋』に次ぐ格式のある紋とされていました。

 また中世以降は、武家が望んだ家紋とされ、足利尊氏や豊臣秀吉も桐の紋を天皇から下賜されました。

 これにより五七桐は「政権担当者の紋章」という認識が定着したそうです。

 だから足利義満さんの金閣寺にも五七桐が用いられているのですね。

 金閣の屋根には鳳凰がとまっているし・・・。


 松皮菱の透かしの入った、木戸です。





 透かしから覗いた紅葉。





 金閣寺にあった、建仁寺垣。





 不動堂です。





 天正年間に宇喜多秀家(うきた ひでいえ)が再建したとされ、金閣寺境内に現存する最も古い建物です。

 本尊は弘法大師作と伝えられる石不動明王。

 屋根の下には龍の彫刻がありました。





 ゾウさんもいました。





 門の屋根瓦です。





 オレンジ色の塀を右手に見ながら、出口に向かいます。





 本当に見事な金閣寺でした。

 別の季節にまた来てみたいねえ。


 そういえば、最近パワースポットとかいってテレビ番組が取り上げたりしていますけど、考えてみれば、私の訪ねている場所って金閣寺も含めて、多くがパワースポットなんだねえ。

 こうやってこのブログが続けられるのも、パワーのおかげなのかなあ?

 だったらお礼参り行かなきゃいけないのかな?

 ここを覗いてくれた皆さんにも良いことがありますように!

南紀白浜アドベンチャーワールドのホッキョクグマのご夫婦だよ。 【ファイルC183】2010.05.11

【ファイルC183】2010.05.11南紀白浜アドベンチャーワールドのホッキョクグマのご夫婦だよ。

赤ちゃんもすくすく育ってよかったねえ

 この前、南紀白浜アドベンチャーワールドのホッキョクグマの可愛い赤ちゃんの記事を紹介しました。

 赤ちゃんの写真を再掲します。

 




 ホッキョクグマの赤ちゃんの記事はこちら、
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/49927108.html

 それで、この赤ちゃん、あまりに可愛いもんだから、テレビの『天才!志村どうぶつ園』でもとりあげられ、『ベッキー&シロクマの赤ちゃん』のコーナーまで出来ました。

 私の記事が2009年12月24日でベッキーさんの最初の訪問記事が2010年1月30日だからねえ、うちの方が早いねえ!

 えっへん!

 この前の放送を見たらば、赤ちゃんはすでに大きくなって、はいはいどころか泳ぎも出来て、新しいお部屋で一人暮らし始めたそうです。

 まんまるだったお顔もすっかり長細いホッキョクグマさんのお顔になっていたよ。

『ベッキー&シロクマの赤ちゃん』のコーナーはこちら。
http://www.ntv.co.jp/zoo/shirokuma/index.html

 ここまで育てば、心配ありません。この子が日本で2例目のホッキョクグマ人工保育成功なんだって。

 よかったねえ。南紀白浜アドベンチャーワールドのスタッフの方々もがんばったねえ。

 それで、遅くなりましたが、赤ちゃんのご両親の記事をUPします。

 こちらが大きいからお父さんかな?

 




 ということは、こっちがお母さん?

 




 こんにちは。

 




 餌の時間になって、起き上がります。

 




 やっぱり泳ぎが達者だねえ。

 




 舌なめずりをしています。

 




 餌が投げられたら、飛び込み!

 




 ご夫婦で写っています。

 




 正面から飛び込み!

 




 お客さんに愛想を振りまいています。

 




 さようなら。

 また元気な赤ちゃんが生まれると良いね。

金閣寺〔鹿苑寺(ろくおんじ)〕は足利義満のお寺(その3) 【ファイルT118】2010.05.08 

【ファイルT118】2010.05.08 金閣寺〔鹿苑寺(ろくおんじ)〕は足利義満のお寺(その3)

庭園も立派だよ。

 前回からの続き。
 最初から読まれる方はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50569919.html

 金閣寺は応仁の乱等、度重なる戦乱をくぐり抜け、往事の姿を止めていました。









 ところが、昭和25年7月1日、『国宝・金閣寺』若い学僧の放火により全焼したのです。

 これをテーマにした小説に三島由紀夫著の『金閣寺』があります。

 主人公は父親の『金閣ほど美しいものは地上にない』という言葉から金閣寺の幻想を膨らませて育ちます。

 三島由紀夫著 金閣寺(新潮文庫)より

 ※  ※  ※

 夜空の月のように、金閣は暗黒時代の象徴として作られたのだった。そこで私の夢想の金閣は、その周囲に押しよせている闇の背景を必要とした。闇のなかに、美しい細身の柱の構造が、内から微光を放って、じっと物静かに坐っていた。人がこの建物にどんな言葉で語りかけても、美しい金閣は、無言で、繊細な構造をあらわにして、周囲の闇に耐えていかねばならぬ。

 私はまた、その屋根の頂に、永い歳月を風雨にさらされてきた金銅の鳳凰を思った。この神秘的な金いろの鳥は、時もつくらず、羽ばたきもせず、自分が鳥であることを忘れてしまっているにちがいなかった。そかしそれが飛ばないようにみえるのはまちがいだ。ほかの鳥が空間を飛ぶのに、この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、永遠に、時間のなかを飛んでいるのた。時間がその翼を打つ。翼を打って、後方に流れていく。飛んでいくためには、鳳凰はただ不動の姿で、眼(まなこ)を怒らせ、翼を高くかかげ、尾羽根をひるがえし、いかめしい金いろの双の脚を、しっかと踏んばっていればよかったのだ。

 そうして考えると、私には金閣そのものも、時間の海をわたってきた美しい船のように思われた。美術書が語っているその「壁の少ない、吹きぬきの建築」は、船の構造を空想させ、その複雑な三層の屋形船が臨んでいる池は、海の象徴を思わせた。金閣はおびただしい夜を渡ってきた。いつ果てるともない航海。そして、昼の間というもの、このふしぎな船はそしらぬ顔で碇(いかり)を下ろし、大ぜいの人が見物するのに任せ、夜が来ると周囲の闇に勢いを得て、その屋根を帆のようにふくらませて出帆したのである。

 ※  ※  ※


 この描写は、『金閣寺』でも最も熱の入った、三島文学の白眉ともいえる文章です。

 ところが主人公は現実の金閣を見てこう感じたのでした。

 ※  ※  ※

 私はいろいろに角度を変え、あるいは首を傾けて眺めた。何の感動も起こらなかった。それは古い黒ずんた小っぽけな三階建てにすぎなかった。頂の鳳凰も、鴉(からす)がとまっているようにしか見えなかった。美しいどころか、不調和な落着かない感じをさえ受けた。美というものは、こんなに美しくないものだろうか、と私は考えた。

 もし私が謙虚な勉強好きの少年だったら、そんなにたやすく落胆する前に、自分の鑑賞眼の至らなさを嘆いたであろう。しかし私の心が、あれほど美しさを予期したものから裏切られた苦痛は、ほかのあらゆる反省を奪ってしまった。

 ※  ※  ※

 その後、主人公は人生のなかで節目ごとに現れる金閣の幻影と葛藤し、ついには放火に至る心理描写が精密機械のような文体、構成で克明に綴られていきます。
 
 美の観念と肉体。永遠美のイデアと物質の朽ちていく儚さ。偶像・貴顕の没落。美の破壊による観念への定着。といった三島由紀夫が追求していったテーマが作品として結実されています。

 金閣寺がそのようなテーマのメタファー【暗喩(あんゆ)】になり得たからこそ、このような作品が出来たのでしょうね。

 裏から見た金閣。





 




 前回ご説明したとおり、一階が公家屋敷風、二階が武家屋敷風、三階が禅寺風の複合ビルディングです。

 方丈です。

 




 本堂に相当する建物です。単層入母屋造で桟瓦葺。1678年(延宝6年)、後水尾天皇の寄進により再興されました。2005年(平成17年)から解体修理が行われ、2007年(平成19年)に修復工事を終えています。

 庭内の一角、金閣の北に、古廟榊雲(しんうん)があります。

 




 もともとは、ここは西園寺(藤原)さんの土地だったので、その鎮守春日明神を祀っているのでしょうね。

 コケの生えた岩。

 




 銀河泉(ぎんがせん)です。

 




 銀河泉は、足利義満がお茶の水に使ったと伝えられる泉です。

 厳下水(がんかすい)です。

 




 足利義満が手洗いに用いたと伝えられる泉です。

 金閣寺垣です。

 




 龍門の滝です。

 




 水が落ちて砕けているのが、鯉魚石(りぎょせき)です。

 龍門の滝を鯉が登りきると龍に化するといわれる中国の故事登竜門に因んだものです。

 川のように石が組んであります。

 




 安眠澤(あんみんたく)の白蛇の塚です。

 




 白蛇は弁財天の使いです。

 弁財天は智慧弁舌芸能福徳を与える神で家運を盛んにしてくれます。

 ちょうどこのあたりが、繁栄を極めた西園寺家の旧跡です。

 安眠澤は雨賜澤・望雲澤ともいわれている池で、ひでりが続いても涸れないので雨乞いの場ともされていました。

 方丈の屋根です。

 




 みどころはまだまだありますが、次に続きます。

大阪の赤いマッコウクジラさんの親子だよ。 【ファイルC182】2010.05.05

【ファイルC182】2010.05.05 大阪の赤いマッコウクジラさんの親子だよ。

大きくて立派だねえ

 JR大阪駅のすぐ近くに、屋上に世界初のビル一体型の観覧車が設置されたHEP FIVEがあります。

 




 




 この手のビルはその後名古屋にも札幌にもできていますが、大阪がオリジナルです。

 それでもって、渋谷の109のようなファッションビルです。

 というよりも、阪急ファイブは1971年にオープンし、東急が渋谷にファッションコミュニティ109をオープンしたのが1979年ですから、阪急が先です。

 そもそも東急の五島慶太さんの経営手法は、阪急の小林一三さんの真似が多いのです。

 このビルの中は吹き抜けのホールになっていて、そこには親子の赤いクジラさんがいます。

 親子マッコウさん。

 




 写真右上に観覧車が写っていますね。

 アナハイム・エンゼルスの松井秀喜選手は赤ゴジラですが、こっちは赤クジラです。

 地上最大の肉食獣で、体長は15 ~ 18 メートル、体重: 35 ~ 45 トンです。

 横幅が約5メートルある尾ビレで水を蹴って時速37キロで泳ぐことができます。

 親マッコウさん。

 




 子マッコウさん。

 




 柱にはプレートが設置されていて、1998年石井 竜也(いしい たつや:米米CLUBではカールスモーキー石井)さんがプロデュースとなっています。

 




 マッコウさんのアップ。

 




 歯が沢山ならんでいます。

 お住まいは北極から南極までの世界中の海洋で、オスは高緯度の寒流域にも進出しますが、メスと子が暖流域の外に出ることは滅多にありません。

 日本では小笠原に定住していて、回遊することが多いマッコウクジラさんのなかでは特異な存在です。

 マッコウクジラさんはその生涯の3分の2を深海で過ごします。

 深海では光の届かず、真っ暗なので、イルカさんと同様、反響定位(エコーロケーション)が目の替わりをします。

 全身の筋肉に酸素を蓄えることにより素潜りの時間は 1時間(最大90分)、通常では、息継ぎをするために水面に上がるまでの20分ほどの間、約1,000m近くの深海に潜って餌を食べています。

 また、3,000mの潜水記録もあって、原子力潜水艦との衝突事故や、海底ケーブルに引っかかって溺死したと見られる死骸が発見された例があるんだって。

 マッコウクジラさんは15~20頭の群れで暮らしています。

 群れにはメスと子どもがいて、オスは単独で行動するか、または群れから群れへと移動します。

 メスとその子どもは熱帯や亜熱帯の海域に1年中留まり、メス同士共同で子育てをします。

 生まれたての赤ちゃんは深海に潜ることができません。

 それでお母さんが子供に潜水を教えます。

 母乳を飲ませながら徐々に深いところまで潜っていくんだよ。

 おっぱいを飲みたきゃお母さんに付いてきなさいって、スパルタ教育だねえ。

 天敵にはシャチがいて、若い個体とメスはしばしばシャチに狙われます。

 マッコウクジラさんの頭部からは白濁色の鯨蝋(げいろう)と呼ばれる脳油が取れます。

 鯨蝋(脳油)はイルカなどのハクジラ類にみられる反響定位(エコーロケーション)の際に音波を集中するメロンと呼ばれる器官を構成します。

 鯨蝋は長い間、高級蝋燭や石鹸の原料、灯油、機械油として利用されてきました。

 特に厳寒の地でも凍結しない精密機械の潤滑油としては代替品が無く、1970年代まで需要がありました。

 また、腸からは竜涎香(りゅうぜんこう)という結石状の物質が取れ、香水などに使われて珍重され、高価で取引されました。

 このため、大量のマッコウクジラが乱獲されました。

  特筆すべきなのはアメリカによって18世紀から19世紀にかけて行われたマッコウクジラの乱獲です。

 ペリーが黒船で日本に現れ日本に開国を迫った理由の一つに捕鯨船の基地を必要としていたからというのがあります。

 どうしてはるばるアメリカが『ジャパングラウンド』と呼ばれた日本近海までやってきて捕鯨をしていたかというと、アメリカ大陸近海のマッコウクジラを捕り尽くしたからです。

 太平洋の捕鯨を描いたアメリカ文学の最高峰ともいわれるハーマン・メルヴィルの『白鯨』の出版は1851年です。

 他方、

 ペリーの黒船が江戸湾浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)に来航したのは1853年ですから、同時代のできごとです。

 凶暴なモビー・ディックに片足を食いちぎられ復讐の鬼と化したエイハブ船長の物語は、後に、スティーヴン・スピルバーグ監督の『ジョーズ(1975年)』として焼き直されます。

 ジョーズのモンスターがホホジロザメだったのは、当時すでに『クジラは人間の友達』というイデオロギーがアメリカ人に浸透していたからです。

 クジラの狂信的な保護活動と、ジョーズ封切り後のサメに対する狂信的な恐怖は好対照でした。

 ジョーズ等メディアの影響でホホジロサメは、スポーツ・ハンティング等の無意味な殺戮を含めた過剰な乱獲で減少し、今では一転して保護が叫ばれています。

 一方、海のモンスターをハクジラのシャチに設定した『オルカ(1977年)』はジョーズに比べ、今ひとつ興行的にぱっとしませんでした。
 

 1948年のカリフォルニアにおける金鉱発見でゴールドラッシュが起き労働力がそちらに流れ、やがて石油の使用により、アメリカの捕鯨は衰退していきます。

 現在、世界のマッコウクジラさんは200万頭。日本近海の北西太平洋だけでも10万2000頭います。

 なのに、どうして増えすぎたミンククジラと共に、絶滅危惧種に指定されているのか理解できません。

 どうして、既に絶滅した可能性が高いヨウスコウカワイルカや絶滅の危機に瀕している、ホッキョククジラ、シロナガスクジラ等と、健全な資源状態にあるミンククジラ、マッコウクジラが、同じワシントン条約附属書Ⅰにリストアップされているのでしょう?

【ワシントン条約第2条 基本原則
一 附属書Ⅰには、絶滅のおそれのある種であって取引による影響を受けており又は受けることのあるものを掲げる。これらの種の標本の取引は、これらの種の存続を更に脅かすことのないよう特に厳重に規制するものとし、取引が認められるのは、例外的な場合に限る】


 以前は、シロナガスクジラなどのヒゲクジラはプランクトンを、マッコウクジラ等のハクジラはイカを食べると言われていました。

 基本的にそれは正しいのですが、クジラは、北半球ではかなりの量の魚を食べることが分かっています。

 クジラの補食量は人間が海から獲る海産物の約3~5倍です。

 海洋資源の適正管理を目指すのであれば、増えているクジラの捕獲も視野に入れていかないと生態系のバランスが崩れるのではないでしょうか。

 大阪に行くようなことがあったら、親子マッコウさんに会いに行ってあげてね。

金閣寺〔鹿苑寺(ろくおんじ)〕は足利義満のお寺(その2) 【ファイルT117】2010.05.26 

【ファイルT117】2010.05.26 金閣寺〔鹿苑寺(ろくおんじ)〕は足利義満のお寺(その2)

金閣寺 舎利殿は金閣寺を代表する建物だよ。

 前回からの続きです。


 金閣寺 舎利殿は金閣寺を代表する建物です。





 海外からの観光客も多くて、みなさん嘆声をあげていました。

 キンキラキンでゴージャスで、圧倒的な美しさですからね。

 日が傾くと西日を浴びて反射するから余計に眩しいのです。

 西方浄土を彷彿とさせます。

 逆さ金閣もおめでたいねえ。





 漆塗りに金箔を張ったこの建物は、足利義満が造営した北山山荘で唯一解体を逃れた建造物です。

 応仁の乱では、西軍の陣となり建築物の多くが焼失しましたが、江戸時代に主要な建物が再建され、金閣(舎利殿)も1649年(慶安2年)に大修理されました。

 しかしながら金閣は1950年の学僧による放火で全焼しました。

 その後、1955年にほぼ焼失前の状態に再建されました。

 3層構造の豪華な造りの金閣(舎利殿)は2層目、3層目には漆(うるし)に金箔(きんぱく)が押されています。金閣は各層に別々の建築様式を採用した異色の造りになっています。屋根は柿葺(こけらぶき)で上には鳳凰(ほうおう)が輝いています。

 金閣の部分を見てみましょう。

 1層(初層)です。





 寝殿造りで法水院(ほうすいいん)と呼ばれ、 中央に宝冠釈迦如来像(ほうかんしゃかにょらいぞう)、向かって左に足利義満像(あしかがよしみつぞう)が安置されています。

 足利義満像はお坊さんの姿ですが、それもそのはず。

 足利義満は1394年1月8日(応永元年12月17日)に『征夷大将軍』を辞職し、1月16日(12月25日)、太政大臣に転任。6月20日(応永2年6月3日)、太政大臣辞任。さらに7月7日(6月20日)に出家(道有を号し、のち、道義と改める)しているのです。

 出家後の1397年(応永4年)にこの、舎利殿(金閣)を中心とする山荘【『北山第(きたやまてい)』または『北山殿(きたやまどの)』、後の鹿苑寺】を造営したのです。

 将軍をやめて出家し、将軍位を子の義持(よしもち)に譲っていたとはいっても楽隠居したわけでなく、ここ北山殿で執務し、ますます自らの権力を強化しました。

 義満は皇位を簒奪(さんだつ)する意図を持っていたのではないかとする説さえあるぐらいです。

 皇位簒奪といっても義満みずからが天皇に即位するのではなく。治天の君(実権を持つ天皇家の家長)となって天皇の権力を簒奪するつもりだったということです。

 つまり、寵愛していた次男、義嗣(よしつぐ)を天皇にして自らは天皇の父親として天皇家を吸収するというものです。

 皇位簒奪の説をとる人は、義満の急死は、皇位簒奪を阻止するための暗殺ではないかと主張しています。
 
 これぐらい政略に長けた人ですから、説話やアニメにあるように、とんち小坊主一休さんにやり込められるということは少し考えられません。

 義満の死後、朝廷から『鹿苑院太上法皇』の称号を贈られますが、4代将軍となった子の義持は斯波義将らの反対もあり辞退しています。

 義満が北山殿で執務を行っていた頃の絢爛たる文化を北山文化といいます。

 ついでに、

 後小松天皇のご落胤(らくいん)とする説もある一休さんこと一休宗純(いっきゅう そうじゅん)さんは、明徳5年1月1日(1394年2月1日)生まれで、6歳で京都の安国寺の像外集鑑に入門・受戒し、周建と名付けられ、アニメのように金閣寺で政務を行う義満を訪れた可能性が全く無いわけでもなさそうです。

 ただ、仮に義満と一休さんが会っていたとしても、アニメにある義満将軍様のように髪があって烏帽子を被っているのではなく、既に将軍位は義持に譲って、この像のように剃髪していたはずです。


 とにかく、宝冠釈迦如来像と義満像は角度的に、遠くからしか見えず、しかも見にくいのです。

 見学の際には、オペラグラスを持っていってくださいね。

 2層です。





 武家造りで潮音洞(ちょうおんどう)と呼ばれ、 岩屋観音像と四天王像が安置されているそうです。

 3層です。





 禅宗仏殿造りで『究竟頂(くっきょうちょう)』とよばれ、額が掲げられています。

 屋根です。





 椹(さわら)の薄い板を重ねた柿葺(こけらぶき)で上には鳳凰(ほうおう)が飾られています。


 鳳凰(ほうおう)のアップです。





 手塚治虫さんの『火の鳥』の世界です。

 首の後ろのでっぱりは何だろう?

 鳳凰が避雷針になっていて、右に垂れている鎖でアースするのかな?

 現在の金閣は、1904年(明治37年)から1906年(明治39年)の解体修理の際に作成された旧建物の詳細な図面や写真・古文書・焼損材等の資料を基に、1952年(昭和27年)から3年を掛けて復原再建されたものです。

 その後、再建から10年あまりで金箔が剥落して下地の黒漆が見えるようになり、その漆も紫外線で劣化するようになったため、1986年(昭和61年)2月から1987年(昭和62年)10月まで1年8ヶ月、総工費約7億4千万円(当時)を投じて「昭和大修復」が行われ、漆の塗り替えや金箔の張り替え、天井画の復元等の修復工事が行われました。

 昭和の修理の前の金閣は、金箔が剥げ落ち、かなりみすぼらしくて、貧相だったからねえ。


 今の金閣はぴっかぴかの、きんきらきんです。

 マルコ・ポーロの『黄金の国』ジパングというのは、奥州平泉は中尊寺の金色堂についての話を聞いたものといわれているそうですが、こちらもたいしたものです。

 それもそのはず。

 昭和の大修理に際し、金箔は通常(約0.1µm)の5倍の厚さ(約0.45~0.55µm)の『五倍箔』約20万枚、漆(うるし)は国産の『浄法寺漆(じょうぼうじうるし)』約1.5トンが使用されているのです。


 金閣は建物というより、表面に金箔を大量に張り付けた巨大な漆器なのでした。

 大工さんはよく、漆(うるし)にかぶれなかったねえ。

 英語で、磁器をchinaと呼ぶのに対して漆器をjapanと呼ぶからねえ。

 びっしりと貼り付けられた分厚い金箔の様子は、望遠レンズで見て取れます。





 以前、当ブログでは、銀閣寺をご紹介しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/48780736.html

 こちらも渋い、良いお寺で庭も素晴らしいのでこちらの方が好きだという方も大勢いらっしゃいます。もちろん私も好きです。

 でも、日本文化というのは、苔むして渋い枯淡の境地と、こういうキンキラキンの『歌舞いた(かぶいた)文化』も欠かしてはならない要素なのです。

 奈良の大仏さんも、元々は鮮やかな朱色の大仏殿に、金箔でぴかぴかの大仏さんだったのですから。

 たぶん、織田信長のキンキラキンの安土城も、豊臣秀吉の聚楽第も、金ぴか茶室も、金閣寺の影響を受けているはずなのです。

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