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皇居の一般参観をしたよ。(その2) 【ファイルET3】2010.07.27 

【ファイルET3】2010.07.27 皇居の一般参観をしたよ。(その2)

宮殿を見て黒い鉄橋(二重橋)を渡ったよ

 皇居一般参観の記事の続きです。

 最初からご覧になる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50951013.html

 それにしても皇居という呼び方もなんか変です。もともとは宮城(きゅうじょう)と呼ばれていました。

 この名称もどういうわけかアメリカ占領中の昭和23(1948)年に廃止され、皇居と呼ばれるようになったのです。

 左手に坂下門を見ながら(写真は外から見た坂下門)





 塔の坂を登ると宮殿が見えてきます。





 大きいねえ。

 この南北163メートルにおよぶ細長い建物は、長和殿(ちょうわでん)です。

 松の塔です。





 松の塔は若松をかたどったモニュメントです。


 宮殿は,昭和43年(1968年)に完成した鉄骨鉄筋コンクリート造りの地上2階,地下1階の建物です。現在の宮殿は,天皇皇后両陛下のお住まいになるところではなく,国賓等の接伴や国の公の儀式・行事などに使われています。

 どうして昭和43年築なのかというと、

 もともと現在の宮殿の場所には、明治宮殿があり、明治、大正、昭和の三代にわたり、数々の国家的行事が行われましたが、大東亜戦争でアメリカの空襲で焼失しました。

 しかしながら戦後長らく、宮殿の再建は行われませんでした。

 その理由について、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政によると「お上(昭和天皇)は戦争終了後、『国民が戦災の為に住む家も無く、暮らしもままならぬ時に、新しい宮殿を造ることは出来ぬ』と、国民の生活向上を最優先とすべしという考えから、戦災で消失した宮殿などの再建に待ったをかけていた」ということでした。


 宮殿は、入母屋造りの大屋根と柱・梁で構成される日本古来の建築様式を用い、その建築資材のほとんどは国産のものが使われています。


 現在の宮殿は,天皇皇后両陛下のお住まいになるところではなく,国賓等の接伴や国の公の儀式・行事などに使われています。

 新年(1月2日)及び天皇誕生日(12月23日)の一般参賀は,この広場で行われています。天皇皇后両陛下・皇族方は,この広場から見える長和殿(ちょうわでん)中央に特設されたバルコニーにお出ましになり国民からのお祝いを直接お受けになります。その際,天皇陛下からのお言葉があります。

 この広場では2万人収容することができるそうです。





 広場に敷き詰められた石は、は高松の由良石(ゆらいし)で、安山岩なので水はけが良いそうです。

 このあたりに特設バルコニーが設けられます。





 宮殿の配置はこうなっています(参照:宮内庁HPより)。





 参観コースでは中は見られませんが、

 正殿(せいでん) 松の間では新年祝賀の儀、親任式、信任状奉呈式、大綬章(だいじゅしょう)等の勲章及び文化勲章親授式(ぶんかくんしょうしんじゅしき)、歌会始(うたかいはじめ)の儀などの主要な儀式が行われます。

 豊明殿は国賓の晩餐、天皇誕生日などの宴会の儀等に使用されます。
 1975年5月に昭和天皇がエリザベス英女王をもてなされたのも皇居豊明殿宮中晩餐でした。

 連翠(れんすい)は午餐(ごさん)、少人数の茶会などに使用されます。

 春秋の間(しゅんじゅうのま)は外交団等の茶会や拝謁など多目的に使用されます。

 南溜(みなみだまり)は国公賓、大公使等が参殿の際に使用される玄関ホールです。ここの車寄せで外国からの賓客を迎えるのです。





 このまえご紹介した、新任の駐日大使が信任状奉呈式に臨む儀装馬車は、ここに到着したのですね。
 
 儀装馬車の記事はこちら。
 http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50860158.html

 南庭大刈り込み(おおかりこみ)です。一番高い部分で高さが6mもあります。





 綺麗な形に整えるためにこまめに散髪します。





 おばちゃんは、かなり高いはしごに登っているはずなのに、怖くないのかな?

 正門と鉄橋(二重橋・にじゅうばし)です。
 




  いよいよ鉄橋を渡ります。





 正門鉄橋=通称二重橋は、その橋がまだ木橋であった頃、橋の架けられていた部分の濠が深く橋桁を二重に組んでいたことから二重橋と呼ばれるようになりました。

 現在は,鉄の橋に架け替えられています。前も書いたように、この鉄橋の前に架かっているアーチ型の石橋が二重橋と勘違いされている人が多いようです。

 鉄橋は横から見たら、こんなかんじです。





 鉄の欄干がモダンです。





 鉄橋から、アーチ型の石橋の向こうで見学している人たちを眺めると、優越感が湧いてきます。





 えっへん。


 伏見櫓(ふしみやぐら)が近くに見えます。





 伏見櫓は皇居で最も美しい櫓と言われており,三代将軍家光の頃に京都の伏見城の櫓を解体して移築されたと伝えられています。

 鉄橋脇の街灯も立派な造作です。





 お堀の水が綺麗だねえ。





 ということで、鉄橋を渡り終えたところで次に続きます。

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上野動物園のオウギバトさんだよ。 【ファイルC193】2010.07.22 

【ファイルC193】2010.07.22 上野動物園のオウギバトさんだよ。

世界最大のハトさんは綺麗だねえ

 上野動物園にいったらば、オウギバトさんが出迎えてくれました。





 大きくてセルリアンブルーが綺麗だねえ。

 日本のハトのように首を前後に振って歩いています。


 こんにちは。





 鋭い目つきだねえ。

 瞳の周りが真っ赤ですが、別に充血しているわけではありません。

 毛繕いも入念にやっています。





 綺麗好きなんだねえ。


 頭の飾り羽の先っぽが扇の形なので和名はオウギバトです。





 白い縁取りがお洒落です。

 オウギバトさんの英名はVictoria crowned pigeonです。
 ヴィクトリアの王冠のハトって凄い名前だねえ。

 ヴィクトリア女王って大英帝国の最盛期だったときの女王陛下だからねえ。

 お住まいはインドネシア(パプア州北部、ビアク島、ヤーペン島)、パプアニューギニア(ニューギニア島)の低地の熱帯雨林や湿地帯です。

 パプアニューギニアはいまだに国家元首がイギリスのエリザベス2世女王陛下ですからね。

 体長は66~74cmで、世界最大級のハトです。

 小さな群れをつくって地上に落ちた果実や種子などを食べて暮らしています。

 繁殖期には樹上に枯れ枝を集めた粗雑な皿状の巣を作り、雌雄で子育てを行います。


 外敵などが近づくと木の上に逃れますが、飛ぶ力は弱く、長距離は飛べません。

 だから、すぐ掴まっちゃうんだねえ。

 天敵がいなかったのかな?

 開発による生息地の破壊や、羽目的や食用、ペット用の乱獲等により生息数は激減してためインドネシアのパプア州およびパプアニューギニアでは法的な保護の対象とされているのです。

 この色で食用って美味しそうじゃないけどねえ。

 でも違法な狩猟が後をたたないんだって・・・。

 ちゃんと保護して欲しいものですね。

改修前の春の姫路城だよ(その5) 【ファイルT126】2010.07.19 

【ファイルT126】2010.07.19 改修前の春の姫路城だよ(その5)

天守閣の内部を見学するよ。

 姫路城の記事を最初から見られる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50754429.html

 皇居・江戸城の記事と平行する形になったので、少し混乱されるかも知れませんが、基本的なお城の構造は共通点が多いので、比較して考えるのもなかなか興味深いものがあります。

 天守閣に入ると高さ26.4mの東西2本の大柱が目を引きます。

 立派な西の大柱です。

 




 大柱は地階から6階床下まで貫いていて、2本とも高さ26.4m、根本の直径95㎝、末口直径42㎝あります。

 お城の構造を示したカット模型。

 




 姫路城の昭和の解体大修理【昭和31~39(1956~64)年】の際に、工事関係者を悩ませたのは、この西の大柱が再使用できる状態になく、用材を新調することでした。

 検討の結果、木曽国有林の樹齢780年の檜に、3階部分で地元神崎群笠形(かさがた)神社の樹齢670年の檜を継ぎ合わせて再現したそうです。

 一方、東の大柱は根本を檜材で補強したものの、古材の樅(もみ)の大柱をそのまま使用しています。


 コンクリートのお城じゃないので、とっても中は暗いのです。

 




 窓からの外光だけだと、こんな感じになるのですね。今は窓ガラスがあって、蛍光灯で照らしますから、明るいのが当たり前の感覚になっているのがよく分かります。

池田家所蔵之城郭図【大正元(1912)年写】です。

 




 池田禎政(いけださだまさ)氏所蔵の姫路城図を写したもので、禎政氏は池田輝政の子孫で、旧岡山藩の家柄です。

 絵図を見ると景福寺(けいふくじ)が現在地にあることなどから、池田市が姫路城主だった時代をはるかに下る、酒井忠恭(さかいただずみ)の時代寛延2(1749)年以降の姫路城下の姿を描いています。

 江戸城と同じように、ぐるぐると渦巻きの形の縄張りなのですね。


 天井の柱組もしっかりしているねえ。

 




 池田輝政、千姫の本多家の後の姫路城主は奥平松平家、越前松平家、榊原家、再度越前松平家、再度本多家、再度榊原家、再々度越前松平家とめまぐるしく入れ替わります。

 その後、1749(寛延2)年上野前橋城より酒井氏が入城してようやく藩主家が安定しました。

 酒井家を徳川家の重臣にした功のある、酒井重忠(さかい しげただ)像です。

 




 この人がどうして出世したかというと、若い頃から徳川家康に仕え、永禄12(1569)年の遠江掛川城攻め、元亀元(1570)年の姉川の戦いなど、家康初期の主要な合戦の大半に参加して武功を挙げ頭角を現します。

 天正4(1576)年、父・正親が死去した為、その後を継いで三河西尾城主となりました。

 決定的だったのは、天正10(1582)年、本能寺の変で織田信長が死去した時、今川義元勢に命を狙われていた家康は堺にいて、命からがら伊賀越えを敢行した時のこと。

 酒井重忠は本国の留守居を任されていたのですが、家康一行が伊勢国まで逃れてきた時、機転を利かせて白子で家康一行を船で出迎え、安全に三河に帰還させることができたのでした。

 つまり危機一髪だった徳川家康の命を助けたのですね。

 これらの功績により、天正18(1590)年に家康が関東に移封されると、武蔵川越に1万石の所領を与えられ、以降、酒井家は幕臣として重用されます。

 酒井忠世(長男)、酒井忠季(次男)、西尾忠永(3男、遠江国横須賀藩主)、酒井忠正(4男)、娘(本多正純正室)、娘(伊奈忠政正室のち分部光信継室)。

 3代将軍徳川家光と4代将軍家綱の時代に老中・大老として務めた酒井忠勝は甥、忠勝と同じ経歴を持つ酒井忠清は曾孫に当たると言った具合に・・・。

 その結果、子孫が姫路城主に抜擢されるのです。

 有能な血筋だったのですね。

 揚羽蝶(池田家家紋)の磚(せん)です。

 




 瓦と同じ材質で出来た、現在のタイルや煉瓦のような物です。

 この磚(せん)は、備前丸(びぜんまる)の天守台石垣の根元から見つかりました。
 本来は飾り瓦ですが、不要になったため排水溝に転用されたようです。


 頑丈な二重扉。

 




 達磨図(だるまず)【酒井忠実(さかいただみつ)筆】です。

 




 鉄砲が壁に掛かっています。

 




 具足です。

 




 釘隠(くぎかくし)

 




 これは木製黒塗りの釘隠で、地階から5階まで各階長押(なげし)に493個の六葉(ろくよう)の釘隠と152個の鏝頭釘隠が取り付けてあり、最上階(6階)の釘隠は金箔押しの六葉飾り金具打ちです。


 柱の継ぎ目です。

 




 もとからある木材を有効に利用して補修してあるんでしょうね。


 徳川秀忠御内書(とくがわひでただごないしょ)です。

 




 この文書は、江戸幕府2代将軍徳川秀忠から桑名藩主本多忠勝(ほんだただかつ=忠政《ただまさ》の父)に宛てた、歳暮の祝儀として献上された衣服に対する返礼の書状です。

 青山藤右衛門(とうえもん)忠成(ただなり)が文書の作成を担当していることから、慶長10(1605)年か11年のものと推定できるそうです。

 ということで、天守閣の記事は次に続きます。

 次回はこちら
【注意!】

姫路城は現在、天守閣工事中です。

姫路城大天守保存修理工事は平成21年10月から始まり、概ね5年間工事が続くそうです。

現在の状況はこちらで確認してください。

皇居の一般参観をしたよ。(その1) 【ファイルET2】2010.07.16 

【ファイルET2】2010.07.16 皇居の一般参観をしたよ。(その1)

皇居は日本の中心だねえ

 皇居では宮殿の一般参観を受け付けています。

 こちらの宮内庁のHPであらかじめ予約をしさえすれば良いのです。
http://sankan.kunaicho.go.jp/

 最近東京観光の隠れた名所として参加申し込みがとても増えているのだそうです。

 警備の関係もあって、宮内庁は積極的にPRしていないのですが、口コミで人気が出ているんだって。

 伝承では2670年も続き、現存する世界唯一のエンペラーの宮殿ですから、外国の参加者もかなりおられます。

 天気予報で天気の良さそうな日に予約をすればいいやと思っていたのですが、直前の日は定員が埋まっていて、少し先の日を予約することにしました。

 幸い当日はとても良い天気。

 指定の時間の前に桔梗門(ききょうもん)に行きます。





 思った通り、参加者が多くて列を作っていて、参観受付メールをプリントアウトした紙を係の人に渡します。

 三の丸桔梗門(ききょうもん)をくぐって、見学開始です。
 




 渡櫓(わたりやぐら)が立派だねえ。

 三の丸桔梗門(ききょうもん)は、内桜田門、吉祥寺門のほか泊船門、吉慶門とも呼ばれ、旗本や商人達が通行した通用門的な役割をもった虎口でした。

 今は、皇宮警察や馬場、車両部などへ出入りする宮内庁の通用門として使われています。

 参観者は案内に従って、窓明館(そうめいかん)という講堂に集められ、説明ビデオを見ます。

 その前に売店でお土産を買うことができます。

 左奥がお土産を売っている売店。





 ここで、例のキティちゃんストラップを買いました。
キティちゃんストラップの記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50860158.html


 ここは、皇居の清掃ボランティアの『勤労奉仕団』の方々が集まる部屋でもあるそうです。

 旧枢密院(すうみついん)の建物だよ。





 枢密院(すうみついん)は、枢密顧問(顧問官)により組織される天皇陛下の諮問機関でした。

 憲法問題も扱ったため、「憲法の番人」とも呼ばれました。1888年(明治21年)創設されましたが、1947年(昭和22年)に廃止されます。

 枢密院は1888年(明治21年)に憲法草案審議を行うため、枢密院官制に基づいて創設され(明治21年4月30日勅令第22号)、1889年(明治22年)に公布された大日本帝国憲法でも天皇の最高諮問機関と位置付けられます。

 初代議長は、伊藤博文。

 大正10年(1921年)に完成,現在の国会議事堂のモデルになった建物と言われています。当時近世復興式と呼ばれた鉄筋コンクリート2階建ての建物で,広さは約1,740平方メートルあります。

 江戸城内なのでそこここに石垣があります。





 丸に十の字の島津藩の刻印がされた石垣。





 施工した藩の刻印があるのは大阪城も同じですね。

 富士見櫓(ふじみやぐら)です。





 葵の紋ではなく、菊の御紋が印されています。









 富士見櫓は、明暦3年(1657年)の大火で焼失した2年後の万治2(1659)年に再建されたもので、江戸城の本丸の建物の中で現存する貴重な遺構となっています。

 この明暦の大火で天守閣も焼け落ちましたが、再建が断念されたため、この富士見櫓が天守閣の役目を果たしていた時代もあったそうです。

 他所のお城なら、十分天守閣の規模ですからね。

 高さ約16メートルの美しいシルエットを見せる三重の櫓は,どこから見ても同じ形に見えるため八方正面の櫓とも呼ばれていました。

 大正12年(1923年)には関東大震災の被害を受けましたが修復されて現在に至っています。

 また石垣は、自然石の割石を多く用いているのが特徴で、積み方は初期の打ち込みはぎです。





 宮内庁庁舎です。





 宮内庁庁舎は、1935年(昭和10年)に建設されました。

 明治宮殿が焼失してから今の宮殿が建設されるまでの間、仮宮殿として用いられました。

 だから、正面玄関には赤絨毯が敷かれています。





 宮内庁の歴史は、天皇に近侍した古代の官職にまで遡ることが出来ます。

『日本書紀』の天武天皇9(680)年の条には『宮内卿』や『宮内官大夫』の官職が記され、朱鳥元(686)年の条には天武天皇の葬送に際して『宮内事』を誄(しのびごと)したとあって、天武天皇の時代にはその原型を認めることができます。

 その後、701年(大宝元年)の大宝令によって定められた官制により、後の八省の一つとなる宮内省(くないしょう、みやのうちのつかさ)に類似した組織が設置されました。

 明治維新後の1869年(明治2年)には、古代の太政官制に倣い、宮内省が組織され、その長官として宮内卿(くないきょう)が置かれます。

 1885年(明治18年)に内閣制度が創設される際には、宮内卿に替わって宮内大臣が置かれましたが、「宮中府中の別」の原則に従って、宮内大臣は内閣の一員とされませんでした。
このとき、併せて内大臣、宮中顧問官などの官職も置かれます。

 1886年(明治19年)には宮内省官制が定められ、2課5職6寮4局の組織が定められました。

 1889年(明治22年)には、大日本帝国憲法の公布とともに、旧皇室典範が裁定され、皇室自律の原則が確立しました。

 1908年(明治41年)には、皇室令による宮内省官制が施行され、宮内大臣は皇室一切の事務につき天皇を輔弼(ほひつ=天皇の行為としてなされ、あるいはなされざるべきことについて進言し、その全責任を負うこと)する機関とされました。


 そういえば、日本最初の動物園である上野動物園は当初は農商務省博物局の所管で、博物館に付随する施設でしたが、その後、宮内省の所管となり、1924年(大正13年)、上野動物園が下賜され、東京都の所管になったため、東京都恩賜上野動物園(とうきょうとおんしうえのどうぶつえん)という名前なのですね。

 1945年(昭和20年)の終戦の際には、宮内省は、1官房2職8寮2局のほか、内大臣府、掌典職、御歌所、帝室博物館、帝室林野局、学習院など13の外局と京都事務所を持ち、職員6,200人余を擁する大きな組織となっていいました。

 アメリカ占領下の1947年(昭和22年)5月3日、国際法を無視して押しつけられた日本国憲法施行とともに、宮内省は宮内府となり、内閣総理大臣の所轄する機関となりました。

 その結果、宮内府は、宮内府長官の下、1官房3職3寮と京都事務所が置かれ、職員数も1,500人弱となりました。

 更に、1949年(昭和24年)6月1日には、総理府設置法の施行により、宮内府は宮内庁となって総理府の外局となり、宮内庁長官の下に宮内庁次長が置かれ、1官房3職2部と京都事務所が設置されました。

 要するに、日本の弱体化を徹底したかったGHQの意向で、『宮内省』は『宮内庁』に縮小され、権限を骨抜きにされたのです。

 2001年(平成13年)1月6日には、中央省庁等改革の一環として内閣府設置法が施行され、宮内庁は内閣府に置かれました。


 現在の宮内庁は他の省庁からの出向者による寄り合い所帯の様相を呈し、日本の歴史において権威の中心だった皇室という見地から意見を具申するという見識も失われていき、左翼イデオロギーに譲歩するための政争の具として皇室が利用されているような気がしてなりません。

 ということで、次に続きますね。


南紀白浜アドベンチャーワールドのラッコさんだよ。 【ファイルC192】2010.07.13 

【ファイルC192】2010.07.13 南紀白浜アドベンチャーワールドのラッコさんだよ。

やっぱり人気者だねえ

 いろいろ記事が残っていて整理がつきません。

 今回は南紀白浜アドベンチャーワールドのラッコさんで和んでくださいね。

 いつもぐるぐる回転して、毛繕いをしています。





 こういうふうにぷかぷか浮いていてくれると写真も楽なんだけどねえ。





 あい~んをするラッコさん。





 方向転換。





 おやつのイカがもらえる時間がきました。

 わ~い!





 鋭い牙と長い舌です。

 大きいイカのかたまりにご満悦。





 イカを大切にしゃぶるラッコさん。





 こうやって、両手でイカを受け取るんだよ。
 




 さっきから何見ているのさあ?





 あげないよ~だ。

 イカはやっぱりげそが美味しいねえ。





 足をぺたぺた。





 ほおづえを突いています。





 のんびりラッコさん。





 ぐるりんラッコさん。





 背泳ぎも速いねえ。





 二人は仲良し。





 と思ったら、ホタテの貝殻をとりっこして喧嘩をしています。





 お団子ラッコさん。





 ということで、ラッコさんはどこでも人気者です。

 いろんな所で見る機会が増えてきて嬉しいねえ。

上野動物園のガラパゴスゾウガメさんはタロウさんだよ。 【ファイルC191】2010.07.10 

【ファイルC191】2010.07.10 上野動物園のガラパゴスゾウガメさんはタロウさんだよ。

上野の最長老だねえ

 上野動物園のガラパゴスゾウガメさんのタロウさんに会いました。





 貫禄があるねえ。

 それもそのはず、1969年2月21日に上野に来たタロウさんは推定年齢75歳以上で上野動物園の最長老だからです。上野の主なのです。

 ガラパゴスゾウガメさんの平均寿命は、野生でも100歳を超えるのです。

 最長で152歳まで生きた記録もあるんだって!

 チャールズ・ダーウィンがガラパゴス諸島を訪れたのが1835年ですから、その当時孵化したゾウガメがいまもガラパゴス諸島で生きている可能性が無くもないんだって!

 亀の甲より年の功(かめのこうよりとしのこう)っていうけど、タロウさんの場合、亀の甲も年の功も兼備して偉いねえ。

 えっへん。





 ガラパゴスゾウガメさんは、エクアドル(ガラパゴス諸島)の固有種です。

 ガラパゴス諸島の由来は、ガラパゴスゾウガメさんの甲羅が馬の鞍に似ている事からスペイン語で馬の鞍を意味する galapago からきているのです。

 つまりガラパゴスゾウガメさんの甲羅の形が、ガラパゴス諸島の名前の由来なんですね。


 胸を張るタロウさん。





 また、ガラパゴスゾウガメは世界最大の陸ガメで、体長1.5メートル、体重250キロを上回るものも観察されているそうです。


  ガラパゴスゾウガメさんのライフスタイルはゆったりしています。

 草や葉やサボテンを食べ、甲羅干しをして、1日のうち16時間近く睡眠をとるのです。

 新陳代謝がすごくゆっくりで、体内に水分を大量に蓄えておけるので、飲まず食わずでも最長1年間生き延びることができるそうです。

 ダーウィンがガラパゴス諸島を訪れたときには15亜種のゾウガメが存在していましたが、現在では11亜種に減っています。

 17世紀から19世紀にかけて、海賊船や捕鯨船、商船などの乗組員が推定総数10万頭以上を食用に捕獲し、そのうえ人間の持ち込んだ野ブタやイヌ、ネコ、ネズミ、ヤギ、牛などがゾウガメの食料や卵が食べたりしたので数が激減。

 現在の個体数はわずか約1万5000頭で絶滅の危機にさらされています。

 だから、ゾウガメは現在絶滅危惧種に指定されていて、1970年からエクアドル政府によって厳重に保護されています。

 保護するだけでなく、ダーウィン研究所による飼育下の繁殖も、順調に成果を上げているんだって。


 首を伸ばしたら、ETさんに似ています。





 ウミガメさんは竜宮城に連れて行ってくれそうですが、ガラパゴスゾウガメさんは宇宙に連れて行ってくれそうだねえ。

 150歳以上生きて新記録を達成して欲しいねえ。

 さようなら。





 写真を写したこと、ちゃんと覚えていてね。

 お約束だよお!

改修前の春の姫路城だよ(その4) 【ファイルT125】2010.07.07 

【ファイルT125】2010.07.07 改修前の春の姫路城だよ(その4)

姫路城の縄張りは迷路のようだねえ。

 姫路城の記事を最初から見られる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50754429.html

 姫路城西の丸の桜から。

 



 中村大佐顕彰碑が立っています。

 




 姫路城は昔の姿を今に留めていますが、幾多の危機、困難を乗り越えているのです。

 明治4(1871)年に廃藩置県が実施され、明治6(1873)年に廃城令が出され、姫路城も競売にかけられ、城下に住む金物商に23円50銭(現在の貨幣価値で約10万円)で落札されます。

 そもそも、この落札者は城の瓦を転売して儲けようとしたのですが、サイズが一般家屋の瓦に合わないので転売先が見つからず、解体費用すら捻出できないまま放置され、結局所有権を軍が引き取ることになりました。

 明治6(1874)年、歩兵第10連隊が三の丸に駐屯することになり、営舎や練兵場建設のため、三の丸内にある多くの建物が取り壊されました。そして、本丸や二の丸にある建物等は、修理することなく放置していたため日に日に荒廃し、天守閣もくずれ落ちる危険が出てきました。

 その後、維新の混乱も沈静してきた明治10(1877)年頃から日本の城郭を保存しようという動きが出てきます。

 陸軍で建築・修繕を担当していた中村重遠(なかむらしげとう)大佐が明治11(1878)年に陸軍卿山縣有朋に名古屋城および姫路城の保存を太政官に上申するよう願い出て、ようやく姫路城の修復保存の第一歩を踏み出すことができました。

 明治12(1879)年に陸軍の費用で修理されることが決定しますが、肝心の予算はなかなか下りず、やっと下りた保存費は要求額の半分にも満たないものでした。

 保存費で応急修理を施したものの荒廃が止らなかったため、地元有志により明治41(1908)年「白鷺城保存期成同盟会」結成され、衆議院へ赴き、国による保存を陳情します。


 その結果、明治43(1910)年から国による「明治の大修理」が行われ、姫路城は修復保存されました。

 それで、姫路城の恩人中村大佐を顕彰する碑が立てられたのですね


 他に、大東亜戦争でも姫路城は焼失の危機を乗り越えています。

 大東亜戦争末期、姫路市は2度の大規模な空襲を経験しています。
 一回目は昭和20年6月22日。播但線京口駅東にあった川西航空機姫路製作所を中心に爆弾攻撃を受けました。死亡者341人。罹災者10,220人。
 二回目は昭和20年7月3日深夜。姫路市街地全域に焼夷弾攻撃を受けました。死亡者173人。罹災者45,182人。
 
 という被害を受けました。

 戦中戦後、米軍は文化施設を爆撃しないというデマが流れましたが、そのような噂は全く根拠がなく、城下町に限っても、名古屋城、岡山城、広島城が爆撃により天守閣を失っています。

 姫路の人たちは空襲に備え、白くて目立つ姫路城を黒い蚊帳で覆い、目立たないようにしました。

 姫路城が二回目の空襲による焼失を免れ、姫路市民はやれやれと胸をなで下ろしました。

 ところが、空襲翌日昼ごろ、部隊本部の指令で姫路中部第四十六部隊が姫路城内に入ったところ、大天守最上階南側の床板にM47百ポンド焼夷弾の不発弾が横たわっているのを発見してびっくり仰天。

 もしこれが発火していたとすると、姫路城は大炎上していたのです。

 不発弾は、屋根の軒瓦四枚を吹き飛ばして、窓から斜めに突っ込んで最上階の床に飛び込んだのでした。それで、不発だなんて、まさに奇跡ですね。

 この不発弾については、信管が通常の型と異なっていたため、処理の方法が分からず、城外に運び出して爆破したということです。


 姫路城は数奇な運命をたどり、奇跡にも恵まれ、今に姿を止めているのですね。

 塀の石組みも立派です。

 




 ここの坂は将軍坂と呼ばれています。

 




 なぜ将軍坂と呼ばれるかというと、実在の将軍様とは関係なく、『暴れん坊将軍』の松平健さんで有名になった坂だからだそうです。

 かっこいいねえ。

 姫路城はテレビ撮影のロケ地として、枚挙に暇(いとま)がありません。
http://www.city.himeji.lg.jp/fc/results/results-2.html

 また、黒澤明の『影武者』を筆頭に『007』『ラスト・サムライ』等、有名な映画でロケ地としても使われています。
http://www.city.himeji.lg.jp/fc/results/results-1.html

 天守閣がすぐそこに見えているのですが、坂を登ったり下ったり、ぐるぐると迷路のように歩かされます。

 




 敵の侵入を防ぐためとはいえ、疲れるねえ。

 バリアフリーと良く言いますが、お城はそのもの自体がバリアなんだから、しょうがないねえ。

 『いの門』、『ろの門』、『はの門』、『にの門』、『ほの門』の門というように、ぐるぐるまわりながら門をくぐります。

 




 門の屋根瓦には、揚羽蝶の紋と桐の紋が刻印されています。

 




 石落としを見上げます。

 




 狭い通路の上から石やら熱湯やら、かけられたら、敵もなかなか前進できません。

 さらに、『水一門』『水二門』『水三門』『水四門』『水五門』をくぐり、

 




 天守閣に到着。

 




 くたびれたねえ。

 次に続きます。
 次はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50963140.html




【注意!】

姫路城は現在、天守閣工事中です。

姫路城大天守保存修理工事は平成21年10月から始まり、概ね5年間工事が続くそうです。

現在の状況はこちらで確認してください。

ただの外国チームとの親善試合・練習試合のことを『テストマッチ』って呼ぶのは止めてもらえないかな? 【ファイルWo5】2010.07.05 


【ファイルWo5】2010.07.05 ただの外国チームとの親善試合・練習試合のことを『テストマッチ』って呼ぶのは止めてもらえないかな?

  いくら何でも、いい加減、気がついて欲しいんだけどね。


 ベスト16を果たし、ベスト8を目指したパラグアイ戦、残念でしたね。

 120分戦い抜いて0対0のタイスコアでした。

PK戦は運の要素が大きいので、これはしょうがありません。

 岡田監督が言っていたように、せめてもう1試合このチームで戦わせてあげたかったという思いはありましたが、グループリーグを2勝1敗、失点2に押さえ堅守で勝ち抜いたこのチームが日本サッカー史に大きな足跡を示したという事実には変わりありません。

 それにしても、日本が0-1で惜敗したオランダは、その後、ブラジルに2-1で勝利しベスト4に進出しました。

 日本が120分0-0で善戦し、PKで惜しくも敗退したパラグアイは、強豪スペインに0-1で惜敗しています。

 この事実から見ても、今回の日本代表チームは、世界のトップチームと堂々と勝負できるチームでした。本当に、スペイン戦やらせてあげたかったな・・・。

 それはともかくとして、一つ気になることがあります。

 アナウンサーが「『テストマッチ4連敗』を乗り越えて!」などという知ったかぶりの台詞を興奮して連呼していて、聞いている方が恥ずかしくなりました。

 日本代表チームが4連敗したのはワールドカップ前の海外チームとの親善試合・調整練習試合です。

 国際Aマッチとは言いながら、怪我しちゃまずい調整試合のどこが『テストマッチ』ですか?

 それから、ドイツワールドカップ直前に開催国のドイツ相手に2―2で引き分けの善戦をしたのも、単なる親善試合・調整練習試合です。

 もちろん、そういった試合が、チームのコンディションを観るのに大切な目安になるのは確かですが、はっきりいって、こんなものは『テストマッチ』と言える代物ではありません。

 これにいちいち一喜一憂して、ジーコジャパンは凄いとか、岡田監督は退陣すべきだとかいった醜態はいくらマスコミの商売とはいえ、少し恥を知った方が良いのではと思います。

 どうやら、メディアは国際親善試合・調整練習試合のことを『テストマッチ』と呼ぶと信じ込んでいるらしいのです。

 これはかなり以前から続いている愚かな珍事です。

 明らかに和製英語以前の間違いなんですけど、同じメディアが同じ英国発祥のスポーツであるラグビーの『テストマッチ』の意味はちゃんと理解しているようなので、頭が痛くなります。

 というより、メディアのラグビー担当者は、ひょっとして、労働者階級のスポーツであるサッカーを内心見下していて、この誤用を腹の中でせせら笑っているのではないでしょうか?

『テストマッチ=test match』と単なる『エキジビションゲーム=exhibition game (also known as an exhibition match, exhibition, demonstration, demo, exhibit or friendly) 』とは全く別物です。

 一応日本サッカーの定義ではキリンチャレンジカップのような国際Aマッチは『テストマッチ』のカテゴリーに入るらしいのですが、メディアは、ただの練習試合も外国チームとやれば例え相手が2軍でも『テストマッチ、テストマッチ』と『なんとかの一つ覚え』のように『テストマッチ』の大安売りです。

 挙げ句の果てには、地元の大学生チームとの練習試合も『テストマッチ』!

 そもそも、時差ボケでアウェイの対戦相手と戦うキリンチャレンジカップの勝ち負けを本気の真剣勝負と思う人はどれぐらいいるでしょう?

 あれも賞金は懸かっていますが、スポンサーの社員以外は『単なるエキジビションゲーム』と思った方が無難です。


 エキジビションゲーム(あるいは最近マスコミがよく使うフレンドリーマッチ)はどんなに真剣にやっても、所詮はエキジビションゲームに過ぎません。


『テストマッチ』でまず思い浮かべるは、同じイングランド発祥のラグビーで使われる用語で、『お互いに実力を認め合った国と国とのフル代表同士威信をかけた戦争に匹敵する国際試合の真剣勝負』のことを言います。

 ラグビーでは、『テストマッチ』こそが、最高の試合と位置づけられ、『テストマッチ』に出場できた選手は国の誇りで、テストマッチに出場した数を『キャップ数』というのです。


 だから、世界の訳の分からない有象無象(うぞうむぞう)の国が集まってワールドカップを行うという発想は、イングランド貴族のスポーツ、特にラグビーの世界では長い間、眼中にはなく、サッカーのFIFAワールドカップ2010が第19回大会なのに対し、ニュージーランドで開催される2011年ラグビーワールドカップはまだ、ようやく第7回にすぎません。(2019年第9回は日本開催)

 そもそも、イギリス、もしくはヨーロッパ貴族発祥のスポーツは、食うに困らない貴族が、名誉をかけて戦う疑似戦争、決闘なので、本来は雨が降ろうが槍が降ろうがやるのです。ラグビー、サッカー、テニス、ゴルフ等等。

 それで、どちらかというとその伝統が色濃い、ラグビーは食うに困らない貴族の名誉のアマチュアイズムが重んじられ、プロ化が遅れたのです。

 脳震盪を起こして薬缶の水をかけられて戦線復帰するのが日常茶飯事のスポーツで収支にあう試合数をこなすのはきついということもあったのでしょうが、貴族でもないプロはラグビーに専念できる反面、怪我で職を瞬時に失ってしまうリスクがあるのです。

 サッカーなら新聞紙を丸めてガムテープで止めてボールにしてもできますが、ラグビーは楕円球がないと始まりませんし、ポロに至っては、馬を持っていないことにはできません。(試合では、最低2頭以上。ポロの日本人の登録競技人口は現在なんと3人!)

 現在FIFA(国際サッカー連盟)加盟国が206カ国もあるのは、サッカーがボールさえあれば出来る庶民のスポーツだからなのですね。

 少年時代のペレがボロ切れのボールやテニスボールでサッカーの練習したなんて逸話は、ラグビーやポロなんかではあり得ません。

 お互い認め合った貴族同士という側面も、オックスフォード対ケンブリッジというような対抗戦にも現れています。

 それを日本で真似たのが早慶戦やアメリカ発祥のスポーツなのにその流れをくんだ東京6大学野球なのです。

 いくら弱くても東大は東京6大学から外してはならないのです。

 因みに、1930年に南米ウルグアイで開催された第一回サッカーワールドカップではイングランドは、はなから参加していません。

 理由は当時ヨーロッパから南米に渡るには2週間余りの船旅を要したこともあるようですが、それ以前に、『どうして南米くんだりまで行って、有象無象のチームと試合をしなければならないのか』ということだったようです。

 結局ヨーロッパではフランス、ベルギー、ユーゴスラビア、ルーマニアの4カ国が参加したにとどまり、結果は開催国で旅の疲れがなかったウルグアイが優勝しました。とほほ。


 同じくイングランド貴族のスポーツ、クリケットでも、『テストマッチ』は最も伝統・格式があり最高レベルの試合を意味します。

 因みに、サッカーで一試合に3得点を決めることを意味する『ハットトリック』も元来は『クリケット用語』で、『1つの回の中で、3球で3人の打者をアウトにすること。これを達成したボウラー(投手)には、帽子(ハット)が贈られその名誉が讃えられたこと』に由来するそうです。


 対デンマーク戦後の岡田監督がいみじくもこう発言しています

※  ※  ※

「結果として予選リーグを突破したというのはあるが、この3試合を通して、やはり世界の中でトップレベルと本当の試合をなかなかできない。

 W杯以外は親善試合しかできない。

 手探りの状況が「これぐらいでこれぐらいできる」「ここで無理するとやられる」ということを選手たちが肌で感じてつかみだしたのは非常に大きい。

 ボールをつないでいくのは得意、しかしカウンターを受ける、そのさじ加減の判断が、選手たちに出来るようになった。そこが一番大きい」

※  ※  ※

 とても的確な現状分析だと思います。

 さらに帰国後の記者会見でも、
『日本代表チームがさらに強くなるには』
 という質問に、岡田監督は

『強豪と真剣勝負をする環境をつくること』

と答えていました。


 だから、ワールドカップは日本が経験できる殆ど唯一の貴重な『テストマッチ』=『真剣勝負』の機会なのです。

 ついこの前までの酷い岡田監督叩きも忘れて、日本代表チームの実力がワールドクラスに近づいたと言って喜ぶまえに、メディアは自分のレベルの低さを自覚して欲しいものです。

 代表チームの実力をあげるより、『テストマッチ』という愚かな言葉の誤用を正すことの方が遙かに容易なのですから。

大阪天王寺動物園のブチハイエナさんだよ。 【ファイルC190】2010.0701 

【ファイルC190】2010.0701 大阪天王寺動物園のブチハイエナさんだよ。

味わいのあるお顔だねえ

 ライオンさんちのご近所にブチハイエナさんが住んでいました。

 雰囲気に哀愁が漂っています。





 オスよりもメスの方が大きいそうです。だからこっちが奥さんかな?

 ブチ模様でブチハイエナさんだねえ。

 お昼寝していたこちらがご主人?





 むっくり起き上がったご主人。





 こんにちは。





 とんがった金髪がベース漫談のはなわさんに似ています。

 寝坊助さんだねえ。





 アフリカの草原にお住まいです。

 ハイエナさんは、ほかの肉食動物の食べ残しをエサにしているイメージが大きいのですが、これは誤解です。

 ハイエナさんは、ハンターなのです。

 ヌーなどの草食動物を仕留める狩りの技術を持っていて、鳥やトカゲ、昆虫なども捕食します。

 大きな耳で聴覚は鋭く、眼は夜でもよく見えます。

 走るのも速くて、長距離でも疲れることがありません。

 仲間と協力して獲物の群れから病気や弱っている個体を器用に引き離して仕留めます。

 ただ、一生懸命捕まえた獲物をライオンさんに横取りされることが多いのです。

 せっかく自分が狩った獲物を横取りされて、うらめしそうに食事中のライオンを眺めている様子を見た人間が、勝手に『ライオンの食べ残しを待っているハイエナはなんて卑しい動物だ』と誤解したのです。

 名古屋の東山動物園では檻越しにハイエナさんに向かって、おばちゃんが『あんた世間で嫌われているよ』って話しかけていました。

 余計なお世話だねえ。

 何も本人に告げ口しなくても良いと思うねえ。誤解なのにねえ。


 特に雄ライオンさんは狩りが苦手です。

 ところが雄ライオンはある程度成長すると群れを追い出され、雌を探す放浪の旅に出ます。

 夫婦連れのライオンの雌を腕力で横取りするか、独身の雌に実力を認めてもらうまで、独身の腹ぺこ旅は続きます。

 腕力はあっても狩りがへたくそな雄ライオンは、お食事中のハイエナさんの餌を横取りすることが多いのです。

 ハイエナさんはハイエナさんで、チーターの獲った獲物を横取りすることがあります。
 
 チーターさんは、足を痛めたら、狩りができなくなって致命傷なので、ハイエナとは争いません。

 とにかく野生の世界は厳しいのです。

 食うか食われるか、奪うか奪われるかで、毎日が命がけです。

 ハイエナさんは、本当に苦労人なんだねえ。


 ハイエナさんはアフリカでは、人間と接触する機会が多く、ケニアやタンザニアに住むマサイ族は人間の遺体を放置してハイエナに食べさせる風習があるそうです。

 鳥葬ならぬ、ハイエナ葬です。

 また、頭が良く、食糧倉庫や作物を荒らしたり、家畜や人間も襲うことから現地の人からは嫌われていて、一部の地域では、害獣として大量に捕殺されたこともあるそうです。


 英名はLaughing hyena、Spotted hyenaです。

 よく鳴き声を発し、12種類の鳴き声を使い分けていると考えられているそうです。

 それで、英名の『laughing hyena(笑うハイエナ)』は鳴き声のうち1つが笑い声のように聞こえることに由来するんだって。


 体長95-165センチメートル、体高70-90センチメートル、体重40-86kgと結構大きいのです。

 野生下の寿命は33年で、飼育下では40年以上生きた個体もいるそうです。

 長生きなんですね。

 横顔も良い感じ。





 ご主人はちょこまか歩いています。





 やっぱり眠いのかな?





 ということで、味わいのある表情のハイエナさんでした。









 さようなら、元気でね。

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