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改修前の春の姫路城だよ(その14) 【ファイルT134】2010.10.31 

【ファイルT134】2010.10.31 改修前の春の姫路城だよ(その14)

長壁神社は『ゆかたまつり』で有名な神社。榊原政岑と高尾太夫のお話があるねえ。

 姫路城の記事を最初から見られる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50754429.html
 
 姫路市内を散策していたら、小さな神社がありました。

 




 ここが長壁神社(おさかべじんじゃ)です。青い幟には『ゆかたまつり』と書いてあります。

 姫路の街には、大手前通りというメインストリートがありますが、ここが年に一度6月22日から二日間『ゆかたまつり』でにぎわうそうです。


 姫路藩主榊原政岑(さかきばらまさみね)の時代のことです。政岑公はもとも風流で知られた殿様で将棋・三味線・浄瑠璃など芸事に通じており、能も好きでお抱えの能役者を置いていたほどでした。

 かねがね、江戸の神田祭(かんだまつり)の賑わいを姫路でも楽しみたいと、立町(たてまち)の長源寺(ちょうげんじ)の住職と相談して、姫路城内に祀られていた刑部大神(おさかべおおかみ)を境内に勧請(かんじょう)して城下の町人とともに楽しんだのが発端ということです。

 また、異説として寛保元(1741)年、政岑公(まさみねこう)が越後高田(えちごたかだ)に国替えを命じられ姫路から離れるとき、刑部神社の御旅所を設け、町人とともにゆかたを着て派手に踊り明かしたのが起源だというものもあります。


 風流の人、姫路藩主榊原政岑(さかきばらまさみね)公と言うことですが、この人は江戸時代の有名人でもあります。

 なぜかというと、姫路藩主榊原政岑(さかきばらまさみね)公は新吉原三浦屋の高尾太夫(たかおだゆう)に入れあげて、落籍(らくせき=身請け)して姫路へ連れて帰り、側室として迎えたからです。

 もともと政岑公は先代の政治を踏襲して寺社領を安堵したり、孝行者を賞したり、一揆を鎮圧するなど、姫路城下を良く治め、領民には慕われていました。


 事のきっかけは愛妻の久姫が長女を出産して亡くなったことに始まるようです。

 傷心の政岑公は、さっさと側室坂田氏の産んだ男子熊千代を嫡子(ちゃくし:跡継ぎ)に立て、江戸に出る度に新吉原に入り浸りました。

 時代は暴れん坊将軍・徳川吉宗の治世の頃です。

 徳川吉宗さんはテレビドラマ『暴れん坊将軍』の主人公の割には質素な人で幕府の財政立て直しのため享保の改革で倹約令を発しました。

 政岑公はそれを無視して贅を尽くし、奇抜な服装で江戸城大手門を警備し、吉原で派手に遊興にふけったそうです。

 政岑公が奇抜な格好で警護した江戸城大手門の写真(再掲)

 




 うへえ!こんなところで、パンクな格好をしたら、将軍様に怒られちゃうねえ。渋谷のコギャルより凄いねえ。

 江戸時代は堅苦しい身分社会だということですが、結構こういうケタ外れなことが起きたのですね。

 江戸城大手門の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/51135519.html


 あげくの果てには、寛保元年(1741年)春には新吉原の三浦屋の名妓・高尾太夫を1800両(2500両ともいわれる)で身請けし、さらにはその上、3000両で新吉原の遊女を総揚げにして高尾太夫を披露すると、華やかな行列を作って姫路城下に向かいました。

 政岑はさらに、道中で宿にした有馬温泉で気に入った湯女3人を落籍としたといいます。

 そして、高尾を姫路城下の西屋敷に住まわせて吉原気分を楽しみました。

 豪気な話だねえ。

 先日ご紹介した好古園内の『御屋敷の庭』あたりが高尾太夫の暮らしていた西屋敷跡だったそうです(再掲)

 




 姫路の好古園の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/51312367.html

『太夫(たゆう)』というのは、幕府公認の遊郭(江戸吉原・京都島原・大坂新町の三大遊郭)の最高級の遊女で、歌、踊り、三味線などの遊芸のほかに茶道、香合、花道、和歌、俳句、碁、将棋なども嗜み、源氏物語を読み、高度の教養を身につけているスーパーレディーでした。

 大名や豪商などどんな客の相手も出来なければならず、そのために見識も高く、気に入らなければいくら金を積まれても相手にしないほど気位が高かったのです。

 ということは、政岑公は遊び人として一流の人だったんでしょうね。

 また、高尾太夫のような江戸のトップクラスの文化人が住むようになって、姫路城下の文化レベルは上がったでしょうね。


 これが尾張藩主徳川宗春の乱行同様、吉宗将軍の怒りを買いました。

 吉宗は寛保元年(1741年)10月に出府を命じ、政岑公の乱行を咎めました。

 吉宗自身には改易(お家お取り潰し)処分という厳罰で臨もうという意志があったようですが、重臣の尾崎富右衛門が懸命に弁明したため、結局10月13日に政岑公は強制隠居の上で蟄居を命じられ、家督は息子政永に継ぐことが許されたものの、越後高田に転封を命じられたのです。

 政岑公は、吉宗の命によって高田への道中の籠に綱をかけて罪人扱いされ、死後もその墓が綱で覆われたといいます。


 高尾太夫も政岑公に従って越後高田に移りました。

 この事件を題材にした川柳が残っています。

◇◇◇ もみじ狩り すんで車の ところ替え ◇◇◇

 太夫の『高尾』ともみじの名所『高雄』をかけ、榊原政岑公の家紋である源氏車(げんじぐるま)を織り込んでいるのだそうです。

 榊原政岑公の家紋である源氏車紋。

 




 最初にも書いたように、政岑公はもともと領民思いの名君で、寛保2年(1742年)に高田藩に移ってからは子の政永の後見人として藩政の再建に務めました。

 高田藩では歴代藩主の借財で財政が苦しかったのですが、政岑公は率先して倹約をしたうえで新田500町歩の開墾や灌漑工事を行ない、さらに生活苦の多い農民を助けるために竹細工などの副業を奨励するなどして活躍しました。

 しかし、転封の処分がこたえたのか、政岑は高田に移って僅か約1年後の寛保3(1743年)年2月に病没します。

 享年31歳でした。

 一方、政岑公とともに高田に移った高尾太夫は政岑公によく仕え、政岑公が亡くなってからは落飾して仏門に入り連昌院と号しました。

 その後江戸に移り下屋敷でひっそりと暮らし、天明9年(1789年)に死去したということです。

 高尾太夫は一途な女性だったのですね。

 政岑公の生き方というのは、節約で暗く沈んでいた時代の人たちに共感を得ていたのかもしれませんね。江戸の遊興の文化を知るのには格好のテキストになります。

 それにしても姫路は、お菊さん、千姫、お夏、高尾太夫と、女性が活躍するねえ。

 土地の雰囲気がそうさせるのかな?


 風流で知られた殿様姫路藩主榊原政岑(さかきばらまさみね)公がゆかりの長壁神社とゆかたまつりのお話でした。

 私は、政岑公(まさみねこう)が越後高田(えちごたかだ)に国替えを命じられ姫路から離れるとき、町人とともにゆかたを着て派手に踊り明かして名残を惜しんだという説のほうが何となく好きだねえ。

 姫路の人たちは政岑公とのお別れ、淋しかったろうねえ。

 そもそも、政岑公が姫路の人たちに慕われていなかったら、政岑公に因んだ『ゆかたまつり』が今まで伝承されているわけがありませんからね。

 改めて、姫路の人の心意気が伝わってくるお話だと思いました。

 次回に続きます。





【注意!】

姫路城は現在、天守閣工事中です。

姫路城大天守保存修理工事は平成21年10月から始まり、概ね5年間工事が続くそうです。

現在の状況はこちらで確認してください。







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皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)=旧江戸城本丸を探索するよ(その6)【ファイルET10】2010.10.28 

【ファイルET10】2010.10.28 皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)=旧江戸城本丸を探索するよ(その6)

江戸城の艮(うしとら)の鬼門にあるのは浅野内匠頭がくぐった不浄門(ふじょうもん)だよ

 最初から読まれる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/51135519.html

 二の丸御殿を北上します。

 天神濠です。





 白鳥濠です。





 お濠の右に見えているのが平川門の渡櫓です

 平川門の渡櫓を正面から写します。





 平川門は平河門とも記し、中世の古い時代に神田川(のちの日本橋川)が日比谷入江に注いでいた時代、この辺りの神田川を平川と呼んでいたことに由来します。
 
 平川門は、奥女中の通用門だったことからお局門(おつぼねもん)とも呼ばれたようです。

 お局様(おつぼねさま)がお通りするよ。

 春日局(かすがのつぼね)は江戸城の大奥の権力者で、幕府の陰の実力者といわれましたが、息子の稲葉正勝の屋敷を訪ね、つい長話をして暮れ六つ(日の入り)の閉門に遅れました。

 春日局といえども、規則は規則。開門の明け六つ(日の出)まで門前で夜明かしして待ったそうです。


 平川門の渡櫓(わたりやぐら)の脇に小さな門があります。





 左側が渡櫓で右側に見えている小屋根が帯曲輪門(おびくるわもん)で、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたので、『不浄門(ふじょうもん)』と呼ばれていたそうです。

 生きたままこの門を出たのは、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)と、天英院と月光院の権力抗争に巻き込まれた絵島(えじま)だけといわれていますが、実際にはもっと多くの者が出されたようです。

 この門から出された死体や罪人は濠に接岸した船で濠を経由して運んだともあります。

 それで、元禄14(1701)年の本丸松之廊下で吉良義央を刃傷に及んだ浅野内匠頭も、この門から出され、船で芝の田村邸まで運ばれたと言います。それで、その日のうちに田村邸で切腹になります。


 どうしてここに『不浄門』があるかというと、ここが江戸城の東北すなわち艮(うしとら=丑寅)の鬼門(きもん)の方角にあたるからです。

 帯曲輪門=不浄門のアップです。





 ここにも鉄砲を撃つための狭間(さま)があります。





 平川門の高麗門です。





 正面の小屋に守衛さんがいて、私はここで出場するので、入るとき受け取った番号札を返却します。もちろんここから入場することもできます。


 高麗門の外側から平川門の位置関係を示します。





 高麗門を入って直角に位置する渡櫓があり、その隣の小さい門が帯曲輪門(おびくるわもん=不浄門)になっています。

これが平川橋です。





 ここで、門限に間に合わず、締め出しをくらった春日局(かすがのつぼね)が夜明かししたんだね。


 橋を渡った写真正面のあたり(今の丸紅本社から気象庁、大手町合同庁舎にかけて)の18,000坪余が、旧一橋邸があった場所です。

 一橋家(ひとつばしけ)は御三卿(ごさんきょう)の一つです。

 御三卿は田安・一橋・清水の三家をいい、八代将軍徳川吉宗の時代、血縁の薄くなった御三家に変わって将軍に嫡子がないときに将軍を出す家として自分の息子達を祖として、創設した家です。

 徳川本家は七代将軍家継で絶え、紀州家から吉宗を八代将軍として迎えたわけですからね。

 一橋家から出た将軍は、十一代家斉と大政奉還をしたラスト・ショウグン十五代慶喜です。

 特に慶喜は尊王攘夷の総本山水戸家の出身で、英明の君主として知られた徳川斉昭の息子という血統の良さで、そのうえに会沢正志斎らから学問・武術を教授されていて、その英邁さは早くから評判だったようです。

 この人が将軍だったおかげで、徳川家は徹底抗戦せず、明治維新が可能だったのだと思います。


 平川橋にあった慶長19(1614)年の擬宝珠(ぎぼし)です。





『慶長19年 甲寅(きのえとら) 八月吉日』って刻まれているねえ。





 慶長19(1614)年は大坂冬の陣があった年です。

 それでもって、刃傷松の廊下の事件は、元禄14(1701)年、3月14日です。

 ということは、この擬宝珠も不浄橋から出された浅野内匠頭の姿を見ていたのでしょうね。


 平川橋から北側竹橋方面を望む。





 平川橋から南側気象庁方面を望む





 ということで、次に続きますね。








浅草きびだんご『あづま』のきびだんごを食べたよ 【ファイルS29】 2010.10.24

【ファイルS29】 2010.10.24 浅草きびだんご『あづま』のきびだんごを食べたよ

素朴な黍のお団子だねえ。

 遅くなりましたが、少し前の話です。

 久しぶりに浅草に行ったらば、新しい東京タワーの『東京スカイツリー』が建設中でした。

 




 大きいねえ。

 作業している鳶職の人達、怖くないのかなあ?私だったら、目が回ってひっくり返るねえ。男だねえ!日本はトビの職人さんのレベルが高いのですね。

 




 クレーンはかなり大きいはずなのに、こんなに小さく見えます。
 
 この写真を撮ってから、大分日もたっているので、今は工事がもっと進んで、夜はライトアップもされているそうです。

 完成すると、高さが634.0m。世界一の高さの電波塔になります。

 2011年冬に竣工。2012年春に開業予定だそうですから、まだ時間がかかるねえ。


 それはそうと、仲見世を覗いていて、美味しそうなお団子やさんがありました。

 浅草きびだんご『あづま』です。

 




 江戸時代に仲見世に実在した門前のきびだんごを再現したお店なんだって。

 その場できびだんごを作って実演販売しています。若い店員さんがてきぱきと働いています。

 とても人気で次から次へとお客さんが買っていきます。

 おいしそうに食べている人を見ていると、私も食べたくなりました。

 それで5本300円也を買いました。

 




 できたてのほかほかです。

 だから、その場で食べるととっても美味しいのです。

 やわらかくて、素朴な香ばしさのあるきびだんごに、甘いきなこがまぶしてあります。

 安倍川餅をさらに、とろみを出したような食感で、上品な和菓子のような岡山のきびだんごとはかなりイメージが違います。 

 甘すぎず、後味も良いし。

 東京って、粟善哉にしろ、このきびだんごにしろ、雑穀で作ったお菓子が美味しいねえ。

 
 写真は実物より一回り大きく写っています。だから量は少なめですが、立ち食いでちょっと味わうには丁度良い大きさです。

 仲見世の雑踏の雰囲気の中で食べるので余計に美味しいけれど、お土産に買って帰ってもいいねえ。

 仲見世はまるで一年中お祭りをやっているような人出ですから、活気があって良いねえ。外国観光客にも人気なのが分かります。

 ごちそうさまでした。
 





大阪の天王寺動物園のコヨーテさんだよ。 【ファイルC200】2010.10.26 

【ファイルC200】2010.10.26 大阪の天王寺動物園のコヨーテさんだよ。

インディオのトリックスターだねえ

 大阪の天王寺動物園に行ったらばコヨーテさんがいました。

 お昼寝中のコヨーテさん。





 珍しいねえ。

 それもそのはず、日本国内でコヨーテさんがいるのはここ大阪の天王寺動物園の他には、福山市立動物園(広島県)、徳山動物園(山口県)だけなんだそうです。

 コヨーテ(スペイン語:coyote)は、ネコ目(食肉目)イヌ科イヌ属に属する哺乳類です。

 オオカミより小さくて、ソウゲンオオカミと呼ばれることもあるそうです。

 コヨーテさんの天敵はピューマ、イヌワシ、オオカミです。

 だから、極近くを除く北アメリカ大陸に広く分布するコヨーテさんは、オオカミが衰退するに従って、分布を広げつつあるんだって。

 ここでも生態系のバランスがくずれているのですね。

 コヨーテさんはウサギなどの齧歯(げっし)類、魚、カエル、シカなどを捕食します。さらには昆虫やヘビ、果物、草、腐肉さえ食べる雑食性です。

 ヒツジや仔ウシ、そのほかの家畜に加えてペットも襲うので、多くの牧場主や農民にとってコヨーテさんは害獣なんだって。

 2009年10月にはカナダの19歳の女性シンガソングライター、テイラー・ミッチェルさんがコヨーテ2匹に襲われ死亡するという不幸な事件が起きました。

 人とコヨーテで、うまく棲み分けができれば良いのですが・・・。


 コヨーテさんは遠吠えをします。

 それは夜中の大合唱になります。

 だからコヨーテという種名はメキシコのスペイン語を通じてナワトル語(アステカ語)の「コヨートル 」が変形したもので「歌う犬」を意味します。

 それで、西部劇でも夜中に合唱するコヨーテさんのシーンが出てきたりするんだねえ。

 コヨーテは広大なアメリカ大陸の象徴ですね。


 目を覚ましたコヨーテさん。





 こんにちは。

 悪戯っぽい目をしています。賢そうだねえ。

 それもそのはず、コヨーテさんはインディオの間に伝承される物語などに、頭の良い動物として登場するのです。

 それで、北アメリカインディアンのほとんどの部族が、コヨーテを『トリックスター』として崇(あが)めているのです。

『トリックスター(trickster)』というのは、神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を引っかき回すいたずら好きとして描かれるキャラクターのことで、文化人類学で使われる用語です。

 日本のスサノオノミコトも代表的なトリックスターです。

 文化人類学者の山口昌男さんは、漫才師の故横山やすしさんはトリックスターだとおっしゃっていました。

 例えば、ギリシア神話のプロメテウスは、人間に火を与えるために神の元から火を盗みますが、人間にとっては文化的英雄です。

 同じように北アメリカインディアンの伝承では、コヨーテの精霊が神(星や太陽のこともある)から火を盗みました。

 他にコヨーテによって人間社会にもたらされたものはタバコ、太陽、死、雷等、あらゆるものに及んでいるのだそうです。凄いねえ。

 だから、インディオの間では、大文字で「Coyote」と書くとコヨーテ神を表します。

 寝起きで少しご機嫌斜めのコヨーテさん。
 




 背伸びをします。





 目が醒めたかな?





 カッコイイねえ。





 横顔も素敵です。





 振り返る姿も頼もしいねえ。





 お散歩するコヨーテさん。





 ということで、インディオの神様、コヨーテさんでした。

 アイヌの人にとってのクマさんみたいなのでしょうね。

 さようなら、元気でね。





神田は小川町の『笹巻きけぬきすし総本店』に行ったよ 【ファイルF44】2010.10.20 

【ファイルF44】2010.10.20 神田は小川町の『笹巻きけぬきすし総本店』に行ったよ

笹巻毛抜鮨(ささまきけぬきすし)は本場江戸前のお寿司だよ。

 広沢虎三『清水の次郎長伝』の森の石松さんの台詞にありますね。

『飲みねえ、飲みねえ、寿司食いねえ、江戸っ子だってねえ』

『神田の生れよ』

『そうだってねえ・・・』

って。

 あれは淀川の大坂-伏見間の三十石船でのワンシーンなので、多分『寿司食いねえ』のお寿司は大坂名物の『押し寿司』のはずです。

 でも、やっぱり江戸っ子-神田-お寿司というイメージは揺るぎがありません。

 さすがに、大阪でも『江戸前寿司』って大きく書かれたお寿司屋さんをよく見かけます。

 大阪の人にとっても、寿司-にぎり-江戸というのが一種のブランドなんですね。

 それで、江戸前寿司の伝統を頑固に守っているお寿司屋さんが神田にあります。

『笹巻きけぬきすし総本店』です。





 JRお茶の水駅から小川町へ向かう通りの西側で、ニコライ堂からさらに南に行った場所にあります。

 創業元禄15((1702)年だそうです。
  
 当時は、安宅(あたか)の松の鮨、両国の与兵衛鮨と並び江戸三鮨と称された名店でした。

 由来書きによると、旗本や松平候等、幾多の諸侯ご来店の折、毛抜きにて魚の小骨を抜き鮨を作るを見て『面白きことよ』と興ぜられ、笹巻鮨を毛抜鮨とも呼びますます評判になったそうです。

 当時の絵草紙にも、『御殿勤めの面々が宿下りの折にて家づとして笹巻毛抜鮨を持ち帰る』と記述されていました(家づと=お土産のこと)。

 東京に現存する最古のお寿司屋さんのようです。


 元禄15年っていうのは、なんと、赤穂義士が吉良邸に討ち入りした年ですからね。

 うへえ!凄い歴史だねえ。

 入店するやいなや、女将さんから、

「酢でしめてありますが、大丈夫ですか?」
って尋ねられます。

 私としては、先刻ガッテン承知の助なので、結構ですよって答えて、写真を撮らせてくださいねってお願いしました。


 カンパチが入ったということでサービスしていただきました。





 わーい。得したねえ。

 香ばしくって、お魚独特の風味が良く出ています。


 笹巻毛抜鮨(ささまきけぬきすし)7ケ+お吸い物付き1620円也です。





 名前の通り寿司をひとつひとつ笹で巻き、毛抜きで魚の小骨を抜いてあります。





 隈笹(くまざさ)なんだそうです。笹には抗菌作用があるからねえ。

 昔は冷蔵庫がなかったので、とにかく『もたせる』ことが第一義で、防腐のために塩や酢を多く用いていました。

 マグロのような足の速い魚。特にトロなんて、都会人にとっては冷凍技術が発達してからの鮨ネタなんだねえ。


『古くは戦国の頃、戦陣に飯を笹の葉にて包み兵糧として運び居たる故事に思いを及ぼし、独特の技能を得て笹巻鮨なるものを世に広めた』のだそうです。


 ですから、ひとつひとつ、くるりんと笹を剥がして食べます。

 光り物(サバ)です。





 一口食べて、びっくり。

 酢と塩が凄くきいていて、お魚が発酵熟成している感じです。

 これでも、江戸時代と較べると、現代人の嗜好に合わせて、酢も塩も控えているそうですが、それにしても昔の人はこういうお味に馴れていたのですね。

 背が青くて光っている魚が苦手な人、強い酢の苦手な人には合わないかもしれません。

 苦手な人はダメだろうけど、なにかクセになりそうなお味です。私はお酢が大好きだから、こういうお味は大丈夫だねえ。

 ここの常連さんは、「この味じゃなきゃ」っていう人なんだと思いました。

 魚類は三枚におろしたものを塩漬けにして一日、出た汁を捨てて、酸度の強い一番酢で一日しめ、それを骨抜きにして二番酢に3・4日つけ、タネの大きさに切って二番酢の中に使うまでつけているそうです。

 手間がかかるんだねえ。


 エビです。





 これも、淡泊なエビに酢の強いサワー感が混じり合っています。

 生きたままの『まき』を使い、ゆでて開いたものに砂糖を少々加えた甘酢につけて用いているそうです。

 以下、どのネタも酢でしめたという仕事が、ネタに大きな影響を与えています。

 鮨は元来、日もちがするように、おはぎのように粘り気を出す感じで作るのが特長なのだそうです。

 作ってから三時間ほどたった方が、塩も酢もこなれてネタが笹の葉に馴染み、美味しいので、食べるタイミングを見計らって電話予約して持ち帰るお客さんが多いそうです。

 タイです。





 おぼろです。





 卵です。





 ふわふわで甘い卵に、きつい酢飯が不思議にマッチしています。

 カンピョウです。





 のりです。





 お寿司は季節によって、一部ネタが変わるそうです。旬があるからねえ。


 ハモのお吸い物は、おだしが良く出ていて、お魚の風味が口に残ります。


 個性のあるお味なので、好き嫌いがはっきりと分かれるお店だと思います。

 私は好きだねえ。

 江戸のおつで粋なお味を体感することができました。

 ごちそうさまでした。






改修前の春の姫路城だよ(その13) 【ファイルT133】2010.10.18 

【ファイルT133】2010.10.18 改修前の春の姫路城だよ(その13)

好古園の双樹庵で、お茶をいただいたよ。

 姫路城の記事を最初から見られる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50754429.html
 
 姫路好古園の続きです。

 石畳が延びています。

 




 白いお花が咲いていました。

 




 築地塀(ついじべい)が伸びています。

 




 枝垂れ桜が綺麗でした。

 




 双樹庵です。

 




 双樹庵は裏千家家元の設計・監修により京都の数寄屋大工が技術の粋を傾けた本格的茶室だそうです。

 
 ここでは結構な『茶の庭』を眺めながら、お茶を嗜むことができます。

 




 500円でお茶とお菓子のセットです。

 




 お菓子の餡がとても甘いのです。

 だから苦い抹茶がとても合います。

 花より団子だねえ。


 ここでは、イタリアから来たという一人旅のお兄さんに写真を撮って欲しいと英語で言われました。

 イタリアはサッカーが強いねえ。それで、『サッカー?』って聞いてみたら、『はあ?』って感じなので、イタリア語ではサッカーは何て言うんだろう?『トト・カルチョ』が『サッカーくじ』だから、サッカーはイタリア語で『カルチョ』だねえ。
 
 それで、『カルチョ?』って聞いてみても相手は無反応です。向こうもこっちも不慣れな英語なので、ほとんど会話が通じません。気まずいままお互い笑顔で誤魔化しました。とほほ。

 石造りの立派な史跡がたくさんあるイタリアから来て、こういう木造家屋やお庭を見たら、新鮮な感じがするのでしょうね。

 イギリスのガーデニングといいますが、あれは元々日本庭園を模して造った庭を逆輸入したものですから、日本庭園が本家本元です。


 武者溜り(むしゃだまり)です。

 




 武者溜り(むしゃだまり)は登城する武者が控えていたとされる場所です。


「流れの平庭」、

 




 藁で出来た垣根です。

 




 こちらの垣にはピンクのお花が咲いています。

 




「築山池泉の庭」の石です。

 




 竹が綺麗だねえ。

 




 ということで、姫路好古園はとても綺麗なお庭でした。



 ついでに、レストラン活水軒のあなご弁当の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/51319162.html






【注意!】

姫路城は現在、天守閣工事中です。

姫路城大天守保存修理工事は平成21年10月から始まり、概ね5年間工事が続くそうです。

現在の状況はこちらで確認してください。







皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)=旧江戸城本丸を探索するよ(その5) 【ファイルET9】2010.10.15 

【ファイルET9】2010.10.15 皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)=旧江戸城本丸を探索するよ(その5)

江戸城の二の丸庭園も綺麗だねえ

 最初から読まれる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/51135519.html

 
 江戸城天守台を東に歩きます。

 桃華楽堂(とうかがくどう)です。





 昭和41(1966)年、香淳皇后の還暦を祝して建設された音楽堂です。

 桃は香淳皇后のお印の「桃」にちなみ、また「華」の字は、「十」が6個と「一」で構成されていることから、還暦(かぞえで61)の意味を込めて「桃華楽堂」と命名されました。

 設計は故今井兼次氏で、屋根はテッセンの花を模しています。


 宮内庁楽部です。





 宮内庁楽部の楽師は、千数百年の伝統ある「雅楽」を正しい形で保存演奏するために、日々研鑽を行っています。


 汐見坂(しおみざか)です。





 明暦の大火の後、万治度の造営で濠を埋め、本丸が二の丸側に拡張されたのに伴って汐見坂が設けられました。

 現在では、埋め立てやビルにさえぎられて海は見えませんが、かつては江戸城や神田台などからも海が望め、都内各所に「汐見」や「潮見」の名が残っています。





 白鳥濠(はくちょうぼり)です。





 白鳥濠の向こう側が二の丸庭園(にのまるていえん)です。

 二の丸には将軍の別邸やお世継ぎの御殿が建てられました。御茶屋や泉水なども造られましたが、基本的には本丸御殿を簡略化した様式の御殿でした。

 今は。広大で美しいお庭になっています。

 都道府県の木も植えられています。昭和43(1968)年、東御苑の整備・公開に合わせて、全国各都道府県から寄せられ、植樹された木が植わっています。










 諏訪(すわ)の茶屋です。









 これは、明治45(1912)年に吹上御苑に建てられたもので、東御苑の整備にあたり、ここに移築されました。

 二の丸雑木林(にのまるぞうきばやし)です。



 

 とても良い雰囲気です。

 昭和天皇の御発意により、都市近郊で失われていく雑木林を皇居内に造ろうと、昭和58(1983)年から3ヶ年かけて造成されたものです。

 昭和天皇といえば、忘れられない名言があります。

 入江侍従が昭和天皇の留守中に庭の雑草を刈ったところ、お帰りになった陛下が「どうして草を刈ったのかね?」とお尋ねになられたそうです。

「雑草が生い茂って参りましたので、一部刈りました」と答えたら。

 これに対して陛下は一言、

「雑草という名前の草はない」

 一流の生物学者でもいらした陛下ならではのお言葉だと思います。

『雑草』とひとくくりに言いますが、どの草も生態系にはかけがえのない存在で、本当はそれぞれに名前が付いているのに、一般の人はただ単に生活に有用ではないから名前を知らない、また知ろうとしないだけなのですね。

 陛下は、里山のこういう風景こそ本当に美しいと思われていたのでしょう。

 もっとも『雑木』という名前の木も無いのでしょうが・・・。

 
 ちょうどこの頃はススキが綺麗でした。





 梅林坂(ばいりんざか)を通り平川橋の方へ向かいます。









 本丸と二の丸をつなぐ坂で、梅林があったことから、その名がつけられました。

 文明10(1478)年、太田道灌が天神社をまつり、紅梅、白梅を数百本植えたことに由来しますが、その当時の場所は定かではないそうです。

 現在の梅林は、昭和42(1967)年に植えられたもので、坂の上から下まで50本あまりの梅の木があります。

 ということで、次に続きますね。






横浜ランドマークタワー展望台でやっていた『空中すいぞくかん』。 【ファイルC200】2010.10.12 

【ファイルC200】2010.10.12 横浜ランドマークタワー展望台でやっていた『空中すいぞくかん』。

楽しい生き物がいたよ

 久しぶりに横浜ランドマークタワー展望台に登ったらば、水族の展示をやっていました。

 題して『空中すいぞくかん』で、8月29日までの夏季限定開催でした。
 
 主催:スカイガーデン、協賛:サンシャイン国際水族館とありました。

 なんか得したねえ。儲かったねえ。

 さっそく、マンジュウイシモチさんが出迎えてくれました。





 逆立ちした横浜スタジアム上空を飛翔中のマンジュウイシモチさん





 ウチワエビさん





 サカサハタさん。





 トラフザメさんが良いお顔。





 体が透明なイトヒキテングダイさん。





 サンゴイソギンチャクさんもお元気です。





 アカホシカニダマシさんがちゃっかりしがみついています。





 綺麗なお魚さんが泳いでいます。フエヤッコダイさんです。





 なんか、突然トゲを逆立たせました。





 うへえ!怒っちゃだめだよお。

 熱帯地方のお魚は綺麗だねえ。

 アデヤッコさんです。





 椿 鬼奴(つばき おにやっこ)さんの親戚かなあ?

 鬼奴さんみたいに酒焼けした声なのかなあ?

 ノコギリザガミさんのブルーがとってもきれい。





 ジャノメナマコさんの渋い模様。





 なんか綺麗な生き物がいろいろいます。これもナマコさんかな?





 手塚治虫さんの漫画にこういうのが出てきたような・・・。ホヤさんかな?





 これはアデヤカキンコさんかな?





 オオイカリナマコさんです。





 ひものように長細い体なのですが、先頭についているヒトデみたいな触手でしゃかしゃかと動き回ります。

 宇宙生物みたいでとっても不思議です。

 海の生物はヴァリュエーションが多いねえ。







吉永小百合さん、橋幸夫さんの『いつでも夢を』は昭和歌謡界の金字塔だよ 【ファイルMU6】2010.10.10 

【ファイルMU6】2010.10.10 吉永小百合さん、橋幸夫さんの『いつでも夢を』は昭和歌謡界の金字塔だよ

吉永小百合さんが綺麗だねえ。

 You Tubeの埋め込みコードの取得が不可になっているので、リンクを貼っておきますね。

 『いつでも夢を』の画像はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=6Rr6KK94-rc&feature=related

歌手:橋幸夫・吉永小百合
作詞:佐伯孝夫
作曲:吉田正

 時は昭和37年、1962年。

 この曲は発表したとたんに大ヒットし、第4回レコード大賞を受賞しました。

 1964東京オリンピックの2年前に作られた曲です。

 東海道新幹線は東京オリンピックにあわせて完成したので、まだ開業しておらず、東京-大阪間が『ビジネス特急こだま』で6時間40分かかっていた時代のことです。

 巨人の王貞治選手が一本足打法をあみだして、相撲では第45代横綱・若乃花(初代)が引退を表明。大鵬が活躍し、巨人・大鵬・卵焼きの時代です。

 1955~73(昭和30~48)年の間、日本経済は成長率が年平均10%をこえる高度成長を続け、国民総生産(GNP)は、資本主義国ではアメリカにつぐ第2位になるという大躍進を遂げたわけですが、そのまっただ中の夢と希望があった時代です。

 もちろん、今よりは豊かではなかったはずなんですけど、すごく元気が出る曲ですね。
 

 『ザ・ぼんち』のぼんちおさむさんが、何を唄っても橋幸夫さんの歌になるってギャグの中で、『星よりひそかに~♪あれっ?』っていうのがあって、それでこのデュエット曲の男声が橋幸夫さんだということは知っていたのですが、女声がなんと吉永小百合さんなんですよね。

 本当にびっくり!

 2大スターの夢の共演です。この頃のスターは今と違って、全国民が夢中になっていたわけですから。

 そりゃあヒットしますよね

 橋幸夫さんがどことなく男子フィギュアスケートの織田信成選手に似ています。

 それにしても吉永小百合さんの綺麗なこと。目がきらきら輝いています。

 ピンクの洋服がとっても似合っています。本当に華やかだねえ。

 それから、歌詞がとっても素敵です。

 『いつでも夢をお持ちなさいな♪』ってあの娘(こ)はいつも歌ってるんだねえ。

 それでもって、あの娘は歌声で『はかない涙をうれしい涙に』かえてくれるんだねえ。

 メロディーラインも奇跡のように美しいねえ。

 ということで、これは歴史的な名曲ですね。










姫路好古園の中にある『レストラン活水軒』で穴子弁当を食べたよ 【ファイルF43】2010.10.09 

【ファイルF43】2010.10.09 姫路好古園の中にある『レストラン活水軒』で穴子弁当を食べたよ

すてきなお庭を眺めながらお食事だねえ。

 お昼には少し早かったのですが、好古園の中にある『レストラン活水軒』で昼食をとることにしました。

 




 お庭に近い席をとりました。

 とても良い眺めで、滝の音が聞こえてきます。

 




 ぼんやりと景色を眺めると、気持ちが落ち着きます。食欲も湧いてきます。

 




 注文したのは穴子弁当吸い物付き(1575円)です。

 




 穴子は姫路の名物なんだって。

 長谷川町子さんの漫画『サザエさん』では、タラコくちびるのアナゴさんは、マスオさんの会社の同僚で、結構渋い脇役だねえ。

 ふたを開けると、湯気と一緒に良い香りが立ち上ってきます。

 




 玉手箱みたいだねえ。

 穴子さんをアップで写します。

 




 良い照りをしているねえ。

 大きな穴子1匹を特性タレでふんわりと焼き上げたお弁当です。
 錦糸卵が添えてあります。
 表面の焦げ目がとても香ばしいのです。

 噛むとほろっと身が崩れます。

 ふわふわで薄味でさっぱりしてお上品だねえ。
 ウナギなんかで、食べた後で胸焼けがするこがあるのですが、そういうことがありません。

 ご飯にもタレが染みて、口の中で穴子と混ぜるととても絶妙なハーモニーを醸しだします。

 お漬け物ポリポリ美味しいねえ。

 お吸い物でほっと一息。

 よくある観光施設内のレストランの通り一遍の料理と違った、本格的な穴子弁当でした。

 ごちそうさまでした。












【注意!】

姫路城は現在、天守閣工事中です。

姫路城大天守保存修理工事は平成21年10月から始まり、概ね5年間工事が続くそうです。

現在の状況はこちらで確認してください。

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