FC2ブログ

防衛省市谷ツアーに参加したよ(その3) 【ファイルET44】2011.09.29 

【ファイルET44】2011.09.29 防衛省市谷ツアーに参加したよ(その3)

東京裁判はブレークニー弁護士の本質を突く発言で、慌てて同時通訳を止めにした茶番裁判。

 防衛省ツアーの市ヶ谷記念館大講堂の記事の続きです。
 その1から読まれる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52534735.html

 かくして極東軍事裁判(東京裁判)は開廷しました。

 裁判長はオーストラリアのウエッブ卿。





 このウエッブ卿は裁判長というのは名ばかりで、ずっと検察側に立って、被告を吊し上げ続けました。

 開廷時にも、開会の辞の中でこう言い放ちます。

 「被告たちはかつて、いかに重要な地位にあったにしても、それがために受ける待遇はもっとも貧しい一日本兵、あるいは一朝鮮人番兵よりも良い待遇を受ける理由は見当たらない」

 これが裁判長の発する言葉なのですから、あきれ果ててしまいます。

 ウエッブ裁判長が罪状認否に入ろうとしたとき、よれよれの背広に軍靴を履いた日本人弁護団の清瀬一郎副団長が裁判官個々人を忌避する緊急動議を提出しました。

 清瀬氏の主張の中心はこうです。

 ウエッブ卿はニューギニアにおける日本軍の不法行為について調査し、オーストラリア政府に報告しているのです。

 その報告には日本軍の『アトロシティ(残虐行為)』や『マーダー(殺人)』もあるのです。こうした報告書を作成した人間が、ニューギニアの問題も含まれている本件の審議をする法廷の裁判長としては不適任というものです。

 そりゃそうでしょ!一方で日本の犯罪を告発している当事者が、日本を裁く裁判の裁判長になれるわけがありません。

 そもそも、戦勝国のオーストラリアの代表が裁判長をやっていることおかしいのに、出鱈目にも程があります。

 清瀬弁護人に一番痛いところをつかれたウエッブ裁判長は、顔面蒼白になり、強引に休憩を宣言して対策を練るために引っ込んでしまったのです。

 そして再開した法廷で『忌避動議却下』を言い渡し、予定の罪状認否に入ったのです。

 何が『忌避動議却下』でしょう?この裁判は一事が万事こんな感じで進んだのです。

 被告席、及び弁護人席の写真(再掲)





 写真でも分かりますが、弁護人にはアメリカ人弁護士が含まれていて、実はアメリカ人弁護士も日本の被告の弁護のため、誠実に懸命に弁論を闘わせました。

 アメリカ人弁護士のプロに徹した態度は立派なもので、そのことについては、日本人は感謝すべきだと思います。

 ブレークニー弁護士もその中の一人です。

 大講堂、2階席です。





 演壇の向かい側、張り出した2階席は、東京裁判の時には、一般傍聴席として使われました。

 傍聴する広田被告の次女・美代子さん(左)と三女の登代子さんです。





 お二人は、お父君の裁判を1回も欠かさず傍聴しました。また、広田被告の妻、静子夫人は、判決言い渡し半年前の5月18日、藤沢の自宅で服毒自殺されました。

 傍聴人席の娘さんたちに視線を走らせる広田被告(前列右から二人目)。





 東京裁判は公開裁判であるとGHQが喧伝したため、傍聴席では法廷のやりとりを演壇上に特設された同時通訳ブースで翻訳された日本語で傍聴することができました。

 同時通訳ブースの様子。





 ヘッドホンに『IBM』ってロゴが入っていますね。昔はIBMも音響機器を作っていたのですね。今なら業務用のヘッドホンは、SONY製が席巻しているのですが・・・。

 ところが、昭和21(1946)年5月14日、B.ブレークニー弁護士より『爆弾発言』がなされました。

 発言内容はこうです。
【東京裁判 日本の弁明 「却下未提出弁護側資料」抜粋 小堀桂一 編 講談社学術文庫より】

 ※  ※  ※

 『国家の行為である戦争の個人責任を問ふ事は法律的に誤りである。なぜならば、国際法は国家に対して適用されるのであって個人に対してではない。

 個人による戦争行為といふ新しい犯罪をこの法廷が裁くのは誤りである。

 戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。

 戦争は合法的だからです。つまり合法的な人殺しなのです。殺人行為の正当化です。

 たとひ嫌悪すべき行為でも、犯罪としての責任は問はれなかつたのです。

キッド提督の死が真珠湾爆撃による殺人罪になるならば、我々は広島に原爆を投下した者の名を挙げる事ができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も我々は承知している。


 彼等は殺人罪を意識してゐたか。してはゐまい。我々もさう思ふ。それは彼等の戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。

 何の罪科で、いかなる証拠で、戦争による殺人が違反なのか。

 原爆を投下した者がゐる!この投下を計画し、その実行を命じこれを黙認した者がゐる!その者達が裁いてゐるのだ!』

【-略- 叙述を前後します】

 この発言が裁判所全体にとつてどんなに衝撃的であつたかは、「条例」に定めてあるはずの法廷に於ける日本語への同時通訳が俄かに停止し、最後まで復活しなかつたことかもわかる。

 それは機器の故障等の技術的な理由からではない。

 日本語に通訳されればそれは日本語の法廷速記録に留められて後世に伝はるであらうし、第一法廷の日本人傍聴者の耳に入り、その噂は忽ち巷間に広がつてゆくであらう。

 そしてその発言にひそむ道理の力は、反転してかかる非人道的行為を敢へてしたアメリカといふ国の国威と欺瞞(ぎまん)に満ちたこの裁判所の威信を決定的に傷つけ、原爆の被害を受けた日本人の憤激の情を新たに著しく刺激するだらう。

 裁判所からすれば、それは何としても回避したい打撃である。

 そこで(どう考へても意図的に)同時通訳は瞬時に停止せしめられ、早口の英語の弁論を理解する用意のない日本人傍聴者には、現在そこで何が生じてゐるのか見当がつかぬ、といふ仕儀となつた。

 一般に人々がその弁論の内容を知つたのは、実にそれから36年余を過ぎた昭和57年の夏、講談社の企画・制作に係る長編記録映画『東京裁判』が公開上映された時に、その字幕を通じてのことである。

 ※  ※  ※

 戦争は国際紛争を解決する合法的な手段の一つです。

 現在、地球上には国家主権以上に大きな権力が存在しない以上、この事実はいまだに変わっていません。

 たとえば、泥棒の手段方法に関する法律は存在しませんが、それは泥棒という行為自体が違法だからです。

 ところが、戦争の手段方法には、ハーグの陸戦協定等、戦時国際法が存在しています。

 それは戦争行為それ自体が合法だからです。国際法では、軍事作戦上敵兵の殲滅は合法的な行為ですが、非戦闘員の殺戮は違法で認められていません。

 ところが、米軍による、軍事上の施設の壊滅を目的としない大都市の空襲や広島長崎での原爆投下は最初から女性、子供、老人を主とする非戦闘員の大量虐殺を目的としたホロコーストであって、これは戦争犯罪以前の凶悪犯罪なのです。

 この犯罪に匹敵する重大犯罪があるとしたら、それは国家社会主義ドイツ労働者党のなした、ユダヤ人の虐殺でしょう。


 しかも、ブレークニー弁護士も主張するように、国際法は国家に対して適用されるのであって、個人に対してではないのです。

 ですから、東条英機氏のような具体的個人を被告にした裁判それ自体、まったくもって異常なことで、たとえば、日露戦争で、日本政府は敵将ステッセルを被告にして裁判を開廷したでしょうか?

 それどころか、逆に明治天皇の意を汲んだ乃木将軍はロシア皇帝によって敗戦の責任を追及され処刑されようとしていたステッセル将軍の助命嘆願をしたではありませんか。

 ステッセル将軍の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52406990.html

 ということで、次回につづきますね。





スポンサーサイト



シマウマさんは何故シマシマ? 【ファイルC227】2011.09.26 

【ファイルC227】2011.09.26 シマウマさんは何故シマシマ?

南紀白浜アドベンチャーワールドのシマウマさん。

 シマウマさんはシマシマです。

 シマシマだからシマウマさんと名付けられているのですから、当たり前だねえ。

 南紀白浜アドベンチャーワールドのシマウマさんはのんびりと草を食んでいました。





 こちらは家族の群れです。





 このようにシマウマ家族は綺麗に並んで群れているのです。

 野性だと、先頭の人が第一順位のメス、次が第二順位のメス、その次が子供で、最後尾が群れを統括するオスになるようなのですが、この人達はどうでしょう。

 シマウマさんは一夫多妻制なのです。

 シマウマ親子は仲良し親子。





 一方で野生の独身のオスシマウマさんは、独身同士で群れをつくるのですが、群れが無秩序なので、一目瞭然なのです。

 独身のオスは気が荒くて、群れの中で相手を見つけては、格闘の練習するのです。

 何のための格闘かというと、メスを獲得するための格闘です。

 そして、独身のオスシマウマさんは、5歳以上になると自分の家族群れを作る準備をします。


 ところで、シマウマさんのシマは、身体をサバンナに紛れさすための保護色だと言われていましたし、私もそう思っていました。

 ところが、このシマシマ、実際にはサバンナでは却って目立つのです。

 それで、最近の学説では、『このシマはサバンナに紛れさすための保護色ではない』とされているんだって。

 先日、NHKを見ていたら、最近の主流の説を紹介していました。

 じゃあ、シマウマさんのシマシマにはどういう意味があるのか?

 この写真を見てください。





 右側の3頭ですが、シマシマがチラチラして、一頭一頭の区別がつきにくいのです。特に手前から2頭目の区別がつきにくいねえ。

 おまけに、頭の方は縦縞なのに、尻尾の方は横縞だし。

 この人の頭は右の人の頭?それとも左の人の頭?





 まるで一頭の身体に頭が2つあるみたい。





 これはどういうことでしょう。

 シマウマさんの天敵。例えばライオンさんは、シマウマさんを襲うとき、まず、獲物(ターゲット)を狙い(ロックオン)その個体を追いかけます。

 なぜなら、ライオンさんは典型的な短距離型のスプリント選手なので、そうしないと、長距離勝負に持ち込まれて、バテてしまい、シマウマさんに逃げられてしまうからです。

 つまり、シマウマさんのシマは、群れの中から個体を識別しにくくして、天敵に狙いを絞らせにくいようにしているんだって・・・。





 親にくっついて歩く子供シマウマさん。





 また、シマウマさんのシマは人間の指紋のように、一人一人模様が違います。

 それで、シマウマの赤ちゃんは生まれてすぐ、親の縞模様を覚えて、親を識別できる能力を身につけるんだって。

 賢いねえ。

 それから、この写真をみてください。





 親の手前に重なっている子供は模様がチラチラ重なって、見分け難いねえ。


 例えば、同じシマシマでも草むらから獲物を襲うゲリラ戦法を用いるトラのシマシマは背景に溶け込んで目立たないのですが、シマウマさんのシマは違うのですね。


 ということで、ライオンさんは、シマウマさんがやってくる水場で待ち伏せしてシマウマさんを襲おうとします。水を飲まないと死んじゃうからねえ。

 そういうときは、まず若オスのシマウマさんが水場に突進して行ってライオンよけになります。

 ライオンに襲われた瞬間、シマウマは強烈な後ろ蹴りを見舞います。

 まともにこれを喰らうと、さすがのライオンさんでも大けがをしたり、最悪の場合は命を落とすこともあるそうです。

 でも後ろ蹴りが空振りすると、そのまま捕まって食べられちゃうのです。

 食べる方も食べられる方も命がけなんですね。

 シマウマさんも、逆に天敵に襲われずに数が増えすぎると、餌が足りなくなって、全滅の恐れがあるので、自然というのは微妙なバランスの上で成り立っているのですね。


 ところで、シマウマさんのオスの子供はある程度成長すると家族の群れから離れて、独身オスの群れに加わります。

 そして、独身オスの群れで成長して結婚適齢期になったオスは、適齢期のメスを獲得しようと、家族群れの適齢期のメスにモーションをかけます。

 そうすると、黙っていないのがメスの父親です。娘をとられまいと、独身オスと格闘します。

 父親も、うかうかしていると、娘どころが、群れのメスを全員奪われかねないので必死なんだって。

 適齢期のメスシマウマは、父親と独身オスの戦いぶりを観察し、自分の配偶者として相応しい強いオスだと判断したら、若オスの方に付いていくのです。

 最近の人間の男子は草食だって言いますが、草食動物だって異性の獲得には命がけの決闘をするのです。誤解しちゃあだめだねえ。

 追いかけっこするシマウマさん。





 ということで、最後にシマウマさんがご挨拶。





 さようなら、元気でね。









横浜港の散策だよ(その18) 【ファイルT164】2011.09.23 

【ファイルT164】2011.09.23 横浜港の散策だよ(その18)

シドモア桜は日米親善大使だよ

 その1からご覧になられる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/51882527.html

谷戸橋のたもとに、『シドモア桜』が植わっています。






アメリカの首都であるワシントンD.C.のポトマック河畔では、春になると桜並木が開花し、見事な花を咲かせます。


なお。アメリカの首都でホワイトハウスのある『ワシントンD.C.』は『ワシントン・コロンビア特別区(Washington, District of Columbia)』の略で、『全米50州どの州にも属さない連邦政府の直轄地区』です。


 だから、ワシントンD.C.は、シアトル・マリナーズのイチロー選手が活躍するシアトルのあるアメリカ合衆国西海岸最北部のワシントン州(州都:オリンピア)とは直接関係がありません。

 私は最近までワシントンD.C.があるのがワシントン州だと思い込んでいました。

 うへえ!

これは、ワシントンD.C.の春の風物詩で、毎年世界中から多くの観光客が、見事な桜を一目見 ようとここを訪れます。

毎年ポトマック公園で行われる『桜まつり』では大統領夫人による植樹式や、さくら女王のパレードなどがあり、大勢の人たちでにぎわっています。


実は、このポトマックの桜の植樹に大きな貢献をしたのが、日本に滞在したことのある3人のアメリカ人、植物学者のフェア チャイルド博士、昆虫学者のマーラット博士、そしてシドモア夫人だったのです。


エリザ ・ シドモア ( Eliza Scidmore、1856~1928 年 )夫人の肖像。






 まず、フェアチャイルド博士が日本から苗木を持ち帰り、ワシントンD.C.郊外の自宅に植えました。

 この地でも桜が育つことを確認した博士は、マーラット博士とシドモア女史を招いて茶会を開きます。えっへん!

シドモア夫人は、駐日領事館副領事を兄に持つジャーナリストで、『日本人力車旅行』という著書もある大の親日家で、彼女もまた明治時代の3年間の日本滞在中、桜の美しさに惹かれました。

『シドモア日本紀行: 明治の人力車ツアー (講談社学術文庫) 文庫 – 2002/3/8』は、日本の美しさを大絶賛した名著です。ぜひご一読を!


アメリカでも美しく咲いた桜を目にして感激したシドモア夫人は、第27代アメリカ大統領ウィリアム・ハワード・タフトのファーストレディであるヘレン・タフト夫人に手紙を書き、大統領夫人に面会。ワシントンD.C.に計画されている公園に桜を植樹することを熱心に勧めました。


ヘレン・タフト大統領夫人らによる桜の植樹計画を知った当時の東京市長、尾崎行雄は科学者の高峰譲吉とともに、日米友好の好機だと判断し、1909年に桜の寄贈を決定。苗木2000本がアメリカに向けて送られることになりました。


ところが、これらには検疫の際に無数の病害虫が寄生していることが判明し、すべて焼却処分の憂き目に遭います。


東京市と外務省は再度苗木を寄贈送付することにし、この経験を教訓に、農商務省農事試験場に栽培を古在農学博士に、害虫に強い桜の苗木の調達を依頼しました。


博士は当時、日本で一番有名な静岡県にある興津園芸試験場で接ぎ木という方法で、丈夫な苗木を育てる計画を立案しました。

 

穂木は東京の荒川堤の桜並木から取り、そして、病気や害虫の少ない台木づくりは、植木の産地として高い園芸技術をもつ伊丹(現在大阪伊丹空港がある場所ですね)の東野村に託されました。


東野村では、村中の人々の努力のかいあって丈夫な台木が作られ、明治43(1910)年出荷されました。


こうして興津園芸試験場で接ぎ木された苗木6,040本は、明治45(1912)年、横浜港から出港され、無事アメリカに到着しました。


一本も病気がない苗木に検査官も感嘆の声を上げたそうです。


それらがワシントンD.C.ポトマック河畔に植えられ、これが今日まで根づいているのです。


 この時アメリカからはその返礼に、アメリカの国花ハナミズキ(花言葉:返礼)の苗が贈られました。

 ハナミズキはその後日本では樹勢が衰えたり、あるいは敵国のものだとして切り取られたりしたものの、現在、東京の尾崎記念館に大切に残されています。

一方、アメリカでは日露戦争の勝利により、有色人種の国の中で唯一の一等国になったために日本に対する差別と嫉妬から排日の風潮が激しくなます。


大正13(1924)年米国会議が人種差別的な『排日移民制限法』を通過させたことにシドモア夫人は大いに憤慨しアメリカを離れ、昭和3年(1928)年にスイスで亡くなります。72歳でした。


『排日移民制限法』は、対日禁輸措置とともに、後に日本が大東亜戦争に追い込まれた大きな原因になりますから、シドモア夫人の憤りがどれほどのものであったか分かります。


シドモア夫人の遺骨は昭和4(1929)年に横浜の外国人墓地に移されました。


納骨式には新渡戸稲造博士、弊原外相代理、埴原前駐米大使、有吉横浜市長、米国代理大使ネヴィルほか、およそ100名が参列。新渡戸博士が英語の弔辞を捧げました。


昭和10(1935)年からワシントンD.C.では、毎年開花の時期に合わせて『ナショナル・チェリーブロッサム・ フェスティバル』が開催されるようになりまた。


昭和16(1941)年12月には、大東亜戦争が勃発。真珠湾攻撃を理由に4本の桜が切り倒される事件がありましたが、以降、『オリエンタルの桜』として、大半は傷つけられることなく、市民によって守られてきました。


日本が主権を回復した昭和27(1952)年には、第二次世界大戦ですっかり痛んだ荒川の桜を復活させるため、逆にワシントンD.C.の元気な枝(接ぎ木用)が送り返されてきました。


さらに昭和40(1965)年、日本政府は 3800本のソメイヨシノをワシントンD.C.に贈っています。


また、足立区政50周年となった昭和56(1981)年、ワシントンD.C.から再び35種約3000本の桜の苗木が里帰りし、荒川堤に近い都立舎人公園に植えられています。この桜は第40代ロナルド・レーガン大統領夫人だったナンシー・レーガンさんが贈ったため、レーガン桜と呼ばれています。


また、日本から桜が送られてから九十周年を記念してワシントンD.C.の桜の苗木を全米州会議より日本へ贈られることが決まり、平成15(2003)年に兵庫県伊丹市東野地区に隣接する瑞ヶ池公園に日米友好の桜が植樹されました。


桜は日米の重要な親善大使の役割を果たしているのです。


現在、兄や母とともに愛する日本の横浜外人墓地に眠るシドモア夫人の墓のそばには、平成3年(1991)にワシントンD.C.から里帰りした4本の桜の木がシドモア桜の会によって植えられています。


その桜から接ぎ木により苗木が作られ、この『シドモア桜』は、その苗木から育った桜なのです。


私たちは、毎年、国際映像でワシントンD.C.の桜を見ることができますが、この桜には多くの人の善意と、激動する歴史が刻まれていたのですね。


 次に続きます。
 次回はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52625467.html






防衛省市谷ツアーに参加したよ(その2) 【ファイルET43】2011.09.05 

【ファイルET43】2011.09.05 防衛省市谷ツアーに参加したよ(その2)

大講堂は東京裁判(極東軍事裁判)の舞台。

 大講堂の記事の続きです。
 その1を読まれる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52534735.html

 市ヶ谷記念館にある大講堂は、平成12年(2000)年に可能な限り元の部材を利用して移築・復元されたものです。

 床は30センチ角のナラ材で、約7,200枚からなります。位置関係が分かるように番号打って移築復元してあります。そり、ゆがみが出た399枚以外は、創建当時の部材を組み合わせて復元しています。





 正面演壇です。





 壇上に玉座の表示があります。





 ここに天皇陛下の着座される玉座が置かれ、天皇陛下からお言葉が発せられたのです。

 演壇の床板の模様です。





 菊のご紋の壁紙です。





 壇上から見た大講堂。





 演壇上手(演壇に向かって右手)の袖にある陛下が登壇されるための階段です。





 見た目には分からないのですが、歩きやすいように上4段は真ん中が微妙に窪んでいます。

 ツアーでは実際にスリッパを脱いで、素足で歩かせてもらうことができます。

 足の裏にしっくりフィットして歩きやすいねえ。

 市ヶ谷の大講堂は戦後米軍に接収され、敗戦国ドイツを裁いたニュルンベルグ軍事法廷を模して改装されました。





極東軍事裁判(東京裁判)当時の写真です。





 正面演壇上段が同時通訳のブース、下段はGHQ(連合軍総司令部)の高官席となりました。

裁判官席は演壇に向かって左側でその前方に証言台、裁判官席に相対して右側に被告人席が置かれました。

 講堂の入り口扉近く、裁判官席側は海外の報道関係者席、被告人側は日本の報道関係者席。 演壇の向かい側2階席は一般傍聴人席と被告人の家族席が設けられました。

 極東軍事裁判(東京裁判)の配置図です。





 演壇向かって左側の壁です。





 同じ場所の極東軍事裁判(東京裁判)当時の写真です。





 国旗の前の最上段が裁判官の席です。

 更にもう一枚。【昭和21(1946)年5月6日の写真】





 写真に写っている裁判官は9名です。

 この時点で追加招集されたインド代表のパル判事(日本無罪論を主張した)や フィリピン代表の判事はまだ来日していません。

 いわゆるA級戦犯被告28被告に、巣鴨プリズンで起訴状が手渡されたのは昭和21(1946)年4月29日の昭和天皇誕生日=天長節。これは、GHQの悪意によるあてつけです。

 極東軍事裁判が開廷したのは5月3日11時20分。

 ところが、インド代表のパル判事が判事団に加わったのが、同年5月17日です。

 つまり11名の判事も揃っていないのに、見切り発車で開廷したやっつけ裁判なのです。

 演壇向かって右側の壁です。





 この場所の極東軍事裁判(東京裁判)当時の写真です。





 演壇向かって右側の壁側が被告人席でした。

 眼鏡をかけた日本人が二人写っていますが、後ろのパジャマ姿(!)の人が大川周明氏、前が大東亜戦争開戦時の首相、東条英機氏です。

 被告席、及び弁護人席を見渡した写真です。





 上から1列目、2列目が被告席で、それより前が弁護人席です。

 写真左上には、先ほどの東条英機さんと大川周明さんも写っています。

 開廷日の午後、珍事件が発生します。

 その日の大川さんのいでたちは、パジャマと下駄履きという法廷にはおよそ似つかわしくない異様な姿だったのですが、落ち着きがなく、そのうちにパジャマのボタンを外して胸や腹をはだける始末。

 うへえ!

 たまりかねたウエッブ裁判長はバンミーター大尉を通して、法廷憲兵隊長のオーブレ-・ケンワージ中佐に監視を命じるのですが、いっこうに奇行は止みません。

 そして、バンミーター大尉の起訴状朗読が行われていた最中、いきなり大川周明さんが、前の席の東条英機さんのハゲ頭をぴしゃりと叩いたのです。

 静まりかえった法廷に爆笑と喚声が湧き起こります。憲兵隊長が大川氏を押さえ、ウエッブ裁判長は15分間の休憩を宣言。

 判事団が退廷しようと席を立ったとき、大川氏は奇声を上げました。

 英語とドイツ語と日本語のチャンポンで「喜劇だ」「お前ら早く出て行け!」。

 大川氏は翌4日、開会冒頭に裁判長から精神鑑定の必要ありと宣言され、米陸軍病院(接収した聖路加国際病院)に送致されます。

 かつては、『大東亜の論客』『革新青年将校たちの理論的支柱』などと呼ばれ、5・15事件や2・26事件の理論的指導者として勇名をはせた『右翼の巨魁』は、その後精神病と診断され、極東軍事裁判から姿を消しました。

 これについては後年、大川氏の仮病説も取りざたされましたが、本人はその時のことについて、「いや、やっぱりおかしかった。二日酔いのような気分だったね」と述懐していたそうです。

 それよりも、大川氏の精神状態が不安定だったのは短期間で、治癒すれば、裁判に復帰させれば良いわけで、裁判所が敢えてそれをしなかったのは、頭脳明晰で『大東亜の論客』の大川周明氏に本法廷の茶番性を次々と白日の下に晒す証言をされては、困るといった事情があったのではないかと言われています。

   
 大講堂の照明です。





 これは大講堂建設当時(昭和9年)に作られたもので、中身の白熱灯以外は当時のままです。

 この照明はそんなに明るいものではなく、カーテンを閉め切った状態だと館内がとても暗くて、高感度撮影にしても手ブレがして撮影に苦心惨憺しました。

 ところが、極東軍事裁判の際にGHQは、天井に多数のボックス型の大きな照明装置を増設します。

 極東軍事裁判当時の写真。





 これは講堂に展示してあった写真で、照明が映り込んで申し訳ないのですが、緑の楕円で示したように、巨大なライトボックスが増設されています。

 よく刑事ドラマの取り調べで、ライトを犯人に近づけ恫喝して自白を強要するシーンがありますが、それと似ています。

 でも、あれはあくまでフィクションで、熱い白熱灯を近づけて被疑者がやけどでもしようものなら、人権上大問題です。弁護士が黙っていません。ライトで犯人を照らすなんてありません。

 ところが極東軍事裁判用に臨時増設されたこれらのライトボックスは、どの方向にも影できないよう強烈な照明で被告を照らし出そうという意図で設置されたものです。

 つまり、この法廷は、被告を戦争犯罪人として世界中に晒し者にするためのリンチ裁判だということが、この一点をもってしても分かります。

 日本を弁護した米国弁護士のガイダア氏は、これを拷問電灯=トオチュア・ランプ(torture lamp)だと指摘しました。

 床にはぶ厚い絨毯が敷き詰められ、くつ音がしないようになっていました。

 こういった極東軍事裁判(東京裁判)に対する批判は、海外メディアでは多かったにもかかわらず、日本のメディアでは一切行われませんでした。

 なぜなら、日本のメディアはGHQによって検閲され、完全に報道が占領軍に都合の良いようにコントロールされていたからです。

 ということで、次に続きます。

日本のX線自由電子レーザー(XFEL)は夢の装置。 【ファイルSI 01】 2011.09.17 

【ファイルSI 01】 2011.09.17 日本のX線自由電子レーザー(XFEL)は夢の装置。

その名もSACLA(サクラ)!世界の注目の的だねえ

 東日本大震災や、長引くデフレで日本は元気がありません。

 でも思い出してください。小柴博士のスーパーカミオカンデはニュートリノ物理学では世界の最先端の装置です。ノーベル賞級の実験成果が次々と達成されています。小惑星イトカワを探査し、地球に帰還した『はやぶさ』は宇宙探査史上特筆されるべき快挙です。
 iPS細胞の研究で山中伸弥教授がノーベル賞を受賞するのも時間の問題です。

 そして、新たに、日本の科学技術が世界にその実力を示す壮大な施設が注目を浴びています。

それはX線自由電子レーザー(XFEL=X-ray Free Electron Laser)!


 世界が注目する、実験の舞台は兵庫県の播磨科学公園都市内にあります。

 


 

 下の地図のAの印がXFELのある場所です。

 


 

 独立行政法人 理化学研究所 播磨研究所 SACLA X線自由電子レーザーHPより。
http://xfel.riken.jp/xfel/index.html
 〒679-5148 兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1 独立行政法人 理化学研究所 播磨研究所 X線自由電子レーザー

 上の写真の右側のリング状に見えるのが世界一の性能を誇る大型放射光施設SPring-8(スプリングエイト=Super Photon ring-8)で、直径は約450m、1周約1.5kmです。

 左側の細長い施設がX線自由電子レーザー(XFEL)で全長は約700mです。XFEL施設はSPring-8と同じキャンパス内に隣接する形で建設されます。

 この施設は、SPring-8と同様、電子を80億電子ボルト(8GeV)まで加速し、最短波長0.06 nm(ナノメートル)のX線レーザー発振を目指しています。波長0.1 nm近辺での明るさはSPring-8と比べて10億倍に達します。XFELを発生させる装置群は、固い岩盤に支持されたコンクリート製のトンネル内に、非常に高い精度で設置されます。

 ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト 6月13日(月)14時27分配信
の記事ではこう紹介されています。
 
※※  ※

 世界最短波長のX線レーザー発振に成功

 日本の理化学研究所と高輝度光科学研究センターは、X線自由電子レーザー施設「SACLA(サクラ)」で、世界一短い波長のX線レーザーを発振することに成功した。

 SACLAは、第3期科学技術基本計画の国家基幹技術の一つとして5年がかりで開発され、2月末にビーム運転を開始していた。今回、発振に成功したX線レーザーは、波長が1.2オングストローム(1オングストロームは1億分の1センチ)。X線自由電子レーザー施設の完成は米国のXFEL施設に先を越されたが、2009年4月に同施設が発生させた1.5オングストロームの最短波長記録を追い抜いた。

 X線自由電子レーザーは、1000万分の1センチより小さな世界をフェムト(千兆分の1)秒で観察可能なことから、膜タンパク質の構造解析や、触媒が化学反応でどのような働きをしているかなど、従来のX線解析では困難あるいは不可能だった原子や分子の世界の「機能」を直接観察する新しい強力な道具になると期待されている。

 理化学研究所と高輝度光科学研究センターでは、今後、調整運転を行い、今年度内に国内外に開かれた施設として供用運転を開始するとしている。
 
※※  ※

手っ取り早く言えば、超高解像度・超高速度連続撮影顕微鏡なのです。


 皆さんはレントゲン撮影をご存じでしょう。

 レントゲンに使われるX線という光は、物質の中をすり抜けて内部まで届く力を持っています。だから、レントゲン写真で身体の内部を見ることによって、患部を観察できるのですね。

 一方、レーザーという言葉も聞いたことがおありでしょう。
 光の波がきれいに揃っているという特徴を持った光のことを指し、身近なところでは、CDやDVD,光ファイバーなどで使われています。歯医者さんでは普通にレーザー治療が行われていますよね。

 つまり、物質の中を透過するというX線の波を、綺麗に揃えようというのがX線レーザーなのです。

 波が綺麗に揃うということは、それだけ細かいものを観ることができるということです、

 X線自由電子レーザー(XFEL)が作り出す光は、下図で示すように放射光(強力なX線)とレーザー(波の揃った高品質な光)の両方の特長をもった光です。

 



 しかしながら、X線領域のレーザーは、原理的な問題からこれまで実現不可能と考えられていました。

 ところが1990年代、新たな発想と技術的な進歩も相まってXFELの実現性が急速に高まり、現在、日米欧が争う国際的な開発競争になっているのです

 

X線自由電子レーザー(XFEL)の発生原理はこのようになっています。


 


 

 X線自由電子レーザー(XFEL)を生み出す源は、ほぼ光速まで加速された電子の集まりです。 XFELを発生させるための重要な装置として、電子銃・加速管・アンジュレータという3つの装置があります。

(1) 電子銃
 電子を発生させる装置です。XFELには指向性の強い(バラバラでなく同じ方向に進む)電子ビームが必要なため、新たに特別な電子銃を開発しました。

 真空中で約1500℃まで加熱すると合金の結晶から電子が飛び出します。 ちなみに最近は液晶テレビ等に押され気味ですが、従来タイプのテレビのブラウン管にも電子銃が使われています。

(2) 加速管
 電子をほぼ光速(光速の99.9999%)まで加速する装置です。 加速管には、短い距離で効率的に電子を加速することが求められます。 なぜなら電子を効率よく加速することができれば、加速管の数から建物の長さに至るまで、コストを大幅に節約することができるからです。

 XFELでは従来の2倍の加速性能を持つ加速管の開発に成功したおかげで、加速器部分の長さが半分で済み、コスト削減に大きく貢献しています。

(3) アンジュレータ
 磁石を多数並べ電子を蛇行させて光を放出させる装置です。

 電子は蛇行するたびに放射光を発生し、光と相互作用します。 すると徐々に光の波(山と山、谷と谷)が整列し、増幅され、レーザー発振に至ります。 SPring-8で開発されてきた真空封止アンジュレータにより、低いエネルギーでもX線領域のレーザー発振を可能にし、大幅なコストダウンに貢献しています。 電子はレーザー光が得られた後は不要になるので、磁石で方向を変えて停止させます。

 しかしながら、X線自由電子レーザー(XFEL)は、ただ単に細かくものが見える(原子レベルで物を見る)だけではありません。

X線自由電子レーザー(XFEL)はフェムト秒(1000兆分の1秒)単位という短い時間の変化を観察することが出来るのです。


 たとえて言えば、1000兆分の1秒の超高速ストロボの連続写真でものの変化を観察ですることができるのです。


じゃあ、物を細かく超高速で見えれば、どのような良いことがあるの?


① 治す
 X線自由電子レーザー(XFEL)を使うと、人をかたちづくっているタンパク質がそのまま観察でき、細胞の中でおこる動きまでがわかるようになります。
 
 そもそも、タンパク質の変化はとても反応速度が速いので、超高速で観察できなければ、詳細な仕組みが分からなかったのです。

 また、今日市販されている薬の60%以上が膜タンパク質に作用する物質であることから、膜タンパク質の解析が新薬開発の成否を握っています。

 タンパク質の構造を調べる代表的な方法として、タンパク質を結晶化しSPring-8などの放射光(強力なX線)が使われています。 しかし膜タンパク質は結晶化が極めて難しく、構造を解明し機能を理解するまでに数年から10年以上かかったり、結晶化ができないために解析そのものが不可能であったりするために、新薬開発が遅々として進まないというのが現状です。

 ところがXFELは、光の波が揃っている上にSPring-8の10億倍も明るいため、結晶化が不要でタンパク質1分子があれば構造が解析できると考えられています。

 アルツハイマー病やエイズのような難病はもちろん、脳がかかわる心の病気の解明にも役立ち、早期診断治療が可能になるかもしれません。
 
 また、副作用の少ない、人に優しい新薬の開発に役立つことも期待されています。

② 創る
 温度やpH(酸性⇔アルカリ性を表す)の変化は、物質の性質(=物性)も変化させます。 紫外線などに代表される光も、温度やpHと同様に物性を変化させます。

 SPring-8とXFELが同一キャンパスに存在するメリットを活かせば、非常に強いXFELの光を様々な材料に照射して、その物性が変化する様子を、SPring-8からの放射光を使って観察するという実験が考えられます。 これにより現在知られていない、全く新しい性質をもった材料の研究が進むでしょう。

③ 守る
 X線自由電子レーザー(XFEL)でナノの世界を詳細に観察することにより、快適な生活に役立つ機能を持った素材が生み出されるかもしれません。

 また、空気中にある悪いものだけを吸収するしくみを観察し、そのナゾが解明できれば、有害物質のない安全でいきいきとした社会が実現するでしょう。

 XFELは非常に短い時間で起こる現象を観察できます。 そのため、現在の科学では「反応前」と「反応後」しか観察できない反応も、「反応中」の物質を直接観察できると考えられています。

 例えば、現在地球上には6億台以上の自動車が存在しますが、そこから排出される排気ガスは膨大な量になり、大気汚染の要因になっています。

 自動車には廃棄ガスを浄化するために触媒がついていますが、XFELを用いて触媒がどのように排気ガスを浄化しているのかを直接観察できれば、まったく新しいアプローチから触媒の開発が可能になると考えられます。 その結果、環境問題にも貢献できることでしょう。

 ④ 知る
 これまでにない強力なプラズマを作ることで、太陽など星の内部で起こっているナゾが解明できるかもしれません。XFELは、宇宙のナゾにも迫ります。

 ⑤ 変える
 もっとも効率的に太陽エネルギーを活用している植物。
X線自由電子レーザー(XFEL)によって植物の光合成の様子をくわしく観察し、さらにその太陽のエネルギーを利用する機能をまねることができれば、高効率な太陽光エネルギーの利用が達成できるかも知れません。

 XFELは実験の検証を繰り返し、今年度中(来年春3月まで)に運用研究課題を公募し、実験開始する予定です。


 いままで、世界にはこのような装置は存在しなかったので、人類が今まで知り得なかった知見が続々発見されるでしょう。

 今後、日本発のノーベル賞ラッシュが始まることは間違いありません。

 




マオリ族のハカの踊りは戦いの踊りだよ。 【ファイルG78】 2011.09.14 

【ファイルG78】 2011.09.14 マオリ族のハカの踊りは戦いの踊りだよ。

ラグビーニュージーランド代表オールブラックスが踊るんだねえ

 ラグビーワールドカップ2011ニュージーランド大会が始まって9日の日本代表は強豪フランス代表に負けはしましたが、一時は4点差に迫るという大善戦でした。

 来る9月16日(金)日本時間17:00から、予選プールA 日本×ニュージーランド
がキックオフされます。

 でもテレビ地上波生中継は無く、フジテレビ系列で25:03 から録画放送をします。

 平日だから、生放送は無いんだねえ。なんかがっかり・・・。


 それはそうと、ラグビー世界ランキング堂々1位のニュージーランド代表、オールブラックスといえば、選手がキック・オフ前に踊るハカですね。

 ニュージーランド代表(オールブラックス)のハカ
 
 
 うまく見られないときは、こちら。
http://www.youtube.com/watch?v=8_KJyKiyE1I&feature=related

 それにしても、目の前でこれをやられると怖いねえ。

 さすがのオーストラリア代表ワラビーズの選手達も、こころ穏やかではないようです。

 オールブラックスの使っているハカである『カマテ』の歌詞は大体こうです。

《リード》カ マテ! カ マテ!
《コーラス》カ オラ、カ オラ!
《リード》カ マテ! カ マテ!
《コーラス》カ オラ、カ オラ!テネイ テ タンガタ プッフル=フル ナア ネ イ ティキ
マイ ファカ=フィティ テ ラ!ア ウパネ! ア フパネ!ア ウパネ! カ=ウパネ!
フィティ テ ラ!ヒ!

【意味】

私は死ぬ! 私は死ぬ!
私は生きる! 私は生きる!
(以上を2回繰り返し)
見よ、この勇気ある者を。
ここにいる毛深い男が再び太陽を輝かせる!
一歩はしごを上へ! さらに一歩上へ!
一歩はしごを上へ! そして最後の一歩!
そして外へ一歩!
太陽の光の中へ!

 私は、ニュージーランドのラグビー・クラブチームが来日して日本の大学チームと戦ったとき、何の予備知識もないまま、この踊りを見て、びっくりしました。

 インデアンの踊りかな?って思いました。

 これはインデアンの踊りではなく、ネイティブ・ニュージーランド人マオリ族の踊りなのでした。

 ハカはマオリ族の戦士が戦いの前に、手を叩き足を踏み鳴らし自らの力を誇示し、相手を威嚇する踊りなのです。

 ムエタイ(キックボクシング)でタイの選手が踊る舞の『ワイクルー』ようなものかな?

 英語で『ウォークライ(War Cry、闘いを叫ぶ)』とも呼びます。

 ニュージーランドマオリ(ネイティブ・ニュージーランド人によるラグビーの代表チーム)が行ったことが起源で、ラグビーニュージーランド代表へと受け継がれました。

 パシフィック・アイランドのチームにもそれぞれのハカ(ウォークライ)があって、トンガのものは『シピタウ』、サモアのものは『シヴァタウ』、フィジーのものは『シンビ』と呼ばれるそうです。

 2003年のラグビーW杯、ニュージーランド対トンガ戦では、ニュージーランド代表の『ハカ』の最中に、興奮したトンガ代表が対抗して『シピタウ』を行い、『ハカ・バトル』として話題となりました。

 戦前の取り決めではお互いを尊重して、ニュージーランドのハカが終わってからトンガが『シピタウ』を行うことになっていたのですが、試合前の異様な盛り上がりと相手チームのハカにトンガ代表が、がまんできなかったんだねえ。

 ハカはニュージーランドでは一般的な民族舞踊で、相手に対し尊敬や感謝の念を表す舞としても披露されることから、結婚式、葬式、卒業式、開会式、歓迎式典など、あらゆる場面で、現在に至るまで使われています。

 また、死者の御霊を供養し哀悼の意を表す形として葬式でハカを舞うこともあるそうです。

 ニュージーランドでは伝統教育の一環として小学校でハカの講習会が行われるため、ニュージーランドの小学生は男女共あたりまえにハカを舞うことができます。通常、女子は闘いに参加しないためハカを舞うことはありませんが、マオリ文化の教育として女子にもハカを教えているのだそうです。

 マオリの伝説によると太陽神タマ=ヌイ=ト=ラには2人の妻、夏の女神のヒネ=ラウマティと冬の女神のヒネ=タクルアがいたのですが、ヒネ=ラウマティの産んだ息子、タネ=ロレが踊りを創作したとされています。

 伝承によるとオールブラックスのハカ、『カマテ』は1810年にンガティトア部族のテ・ラウパラハ族長が踊ったもとされています。

 ある戦闘の時、テ・ラウパラハは敵に追われて、地下の食料庫に逃げ込み隠れていました。

 這い出してみると目の前に人がおり、もはやこれまでと死を覚悟しますが、それは幸運なことに敵ではなくテ・ラウパラハと親しい部族の長でした。

 その時に九死に一生を得て救出された喜びと感謝の気持ちを込めて踊ったものが『カマテ』です。

 

 1905年のイギリス遠征の際にオールブラックスが戦いの踊りの要素を取り入れたものを初めて踊り、以後代表チームに受け継がれることとなります。

 試合前にハカを舞う意味は、ニュージーランドチームはこの対戦を喜んで受け入れ、対戦を望んでくれたチームに対し敬意を表する意が込められているそうです。

 本当かねえ?戦意を高揚して相手を威嚇しているようにしか見えないけれど。

 これを踊られると、相手チームは確実にビビるのです。

 伝統的にハカを先導するリーダーはマオリ族の血を引く選手が行っていましたが、元オールブラックスのタナ・ウマガはマオリ族と近縁のサモア系移民の子孫で、偉大なオールブラックスキャプテンとして迎えられたため特例としてリードを行なっていました。

 その慣例も現在ではなくなりつつあり、近年では代表チームのキャプテンがリーダーを務めることが多いそうです。


 日本代表チームも、相手をビビらせるために、なんか踊れば良いのにねえ。
 
 織田信長が今川義元と戦った桶狭間の戦いに臨んで、出陣前に舞ったという、謡曲『敦盛』の「人生50年・・・」に合わせて幸若舞を舞っても、迫力無いねえ。

 槍を持って、黒田節を舞うとか、お相撲さんのように四股を踏むとか。

 というか、日本の戦国武将って言うのは、普段は茶の湯をたしなんでいたから、こういう勇壮な踊りというのは似合わないのでした。

逆に、安来節を踊ったりすると、相手は別の意味で恐怖を覚えるかも。

 そんなわけないか?う~む。

 今回の日本代表チームも、試合前からハカの迫力に圧倒されないように、例えば、試合前の整列時に本来は着ないウインドブレーカーを着用して、最高潮に渦巻く会場の気合をまともに受けないよう上着を脱ぐ時間で「間」を作ったり、ハカのビデオを宿舎やロッカールームで何度もみてから練習することも検討しているようです。

 そういえば、上の画像でも、対戦相手のオーストラリア代表のワラビーズの選手は、どうしてウインドブレーカーを着ているんだろう?って疑問だったのですが、そういうことだったのですね。

 それなら、御幣(ごへい=神道の祭祀で用いられる幣帛《へいはく》の一種で、2本の紙垂を竹または木の幣串に挟んだもの)を手に持って結界を張るとか、伊勢神宮のお札を額に貼り付けてハカの力を跳ね返すのも方法ですね。

 サッカーでは、アフリカのチームが敵チームに呪いをかけたことが大問題になったりしました。

 カーワン日本代表ヘッドコーチも、自分がオールブラックスの選手だったときはさんざんハカで相手チームをビビらせていたんだねえ。


 それから、こういう記事を見かけました。
 
※  ※  ※

 日本―NZ戦前に黙とう=両国の震災犠牲者に―ラグビーW杯
時事通信 9月11日(日)16時35分配信
 
 【オークランド(ニュージーランド)時事】日本ラグビー協会は11日、ワールドカップ(W杯)ニュージーランド大会1次リーグA組の日本―ニュージーランド戦(16日、ハミルトン)の試合前に、東日本大震災とクライストチャーチ大地震の犠牲者の冥福を祈って哀悼の辞を読み上げ、黙とうすると発表した。ニュージーランドのキー首相と森喜朗日本協会会長も選手の列に加わる。 

※  ※  ※

 森喜朗日本協会会長(元首相)って、しきりに自分は早稲田大学のラガーマンだったってアピールするんだけど、ラグビーで推薦入学したのに、4ヵ月で退部しているからねえ。
 これって一種の、う○口入学じゃないの?

 こんなところにしゃしゃり出てきて欲しくないねえ。

 それはそうと、同じ痛みを持った国が一緒に黙祷をするというのは、良いことですね。

 ニュージーランドの震災の時は、日本が支援に駆けつけ、逆に、日本の震災を聞いたニュージーランドはお返しに支援に着てくれましたからね。

※  ※  ※

【クライストチャーチ時事2011/03/12-05:36】
ニュージーランドのキー首相は12日、
声明を出し、大地震と津波の被害を受けた日本に対し「深い同情の意」を
示すとともに、ニュージーランドのクライストチャーチを襲った先月の
大地震で日本は多大な支援を行ってくれたとし、

「今度はわれわれが日本にできる限りの支援を行う番だ」と表明した。

※  ※  ※

 こうやって、日本とニュージーランドの友好が深まればいいですね。

 ニュージーランド戦、本当に楽しみです。







よこはま動物園ズーラシアのベニジュケイさんは綺麗だねえ 【ファイルC226】2011.09.13 

【ファイルC226】2011.09.13 よこはま動物園ズーラシアのベニジュケイさんは綺麗だねえ

求愛行動のディスプレイが有名ですね。

 
 よこはまズーラシアには、人がバードケージに入る展示もあります。

 バードケージの外から観察すると檻というか、金網が邪魔で見にくいのですが、この方式だと、自然に近い状態で観察できて良かったねえ。

 ベニジュケイさんの雄がいましたよ。

 


 

 こんにちは。綺麗な羽根だねえ。

 


 

 羽づくろいも丹念に。

 




 
 ベニジュケイさんは、チベット南部、中華人民共和国南部にお住まいで、キジ目キジ科ジュケイ属ベニジュケイ種の鳥です。

 体長は雄が60cm、雌が50cm程で、雄が鮮やかな色をしています。

 雄の顔裸出部は鮮青紫色、喉の肉垂(にくすい)と肉角質は青地紫地に青斑、翼色は赤地に白い数珠(じゅず)模様です。

 本当にいかにもキジ科の美しさですね。


 一方、雌は地味で目立たず、顔裸出部は白、首は茶色、翼は茶色地に白です。

 日常生活は単独かつがいで、樹上で過ごし、果物や木の葉・種子、草、昆虫を採食します。

 ということで樹にとまっているねえ。

 


 

 丸くて大きなお目目だねえ。

 


 

 繁殖期は春で、雄が派手なディスプレイを行ない雌に対して猛烈なアピールをします。

 ディスプレイの時、雄は青地に左右7~8対の赤い横帯のついた大きくて派手派手な肉垂を広げ、青い角状の冠毛を伸ばします。

 大変だねえ。

 繁殖期は4~6月で、雌は樹上で産卵し、一度に4~6個の卵を産みます。

 抱卵日数は26~28日です。

 正面から見たベニジュケイさんです。

 


 

 繁殖期の春には、のどの辺りから、胸に大きく広げた肉垂のディスプレイがみられるはずですが、繁殖期ではないので、肉垂は全く羽の下に隠れているようです。

 つまらないねえ。

 ディスプレイを見たければ、春に会いに行かないとだめなのですね。

 でも、充分綺麗ですね。

 さようなら、元気でね。









ラグビーワールドカップ2011ニュージーランド大会が始まったよ。 【ファイルG77】 2011.09.10 

【ファイルG77】 2011.09.10 ラグビーワールドカップ2011ニュージーランド大会が始まったよ。

日本対フランス戦だねえ

 ラグビーワールドカップ2011(RUGBY WORLD CUP 2011)が始まっているのにメディアの扱いはとても地味です。

 ラグビーは紳士のスポーツで、フーリガンが問題になっている労働者のスポーツであるサッカーとは違うので、お客さんのマナーが良くて、見ていてとても気持ちが良いスポーツなのです。

 サッカーは点が中々入らなくて、いらいらする上に、ちょっとよそ見をしている時に限って点が入るし・・・。

 ラグビーは格闘技であり、またパス回しの美しい球技でもあります。見ていて楽しいのです。

 だから、Jリーグが始まるまでは、日本ではサッカーよりラグビーの方が人気があったのに・・・。
 
 日本代表チームを率いるのは、元ニュージーランド代表=オールブラックスの歴史的名ウイングのジョン・カーワンヘッドコーチ。

 ラグビー最強国の英雄のカーワンさんは、サッカーで言えば、元ブラジル代表のジーコさんのような存在です。現役の時は凄い選手だったねえ。格好良かったねえ。

 ラグビーはユニオンが中心に運営しているので、国代表選手の資格がオリンピックやサッカーとは異なっていて、国籍要件ではなく、その国に3年以上居住し、かつ、これまでに他国の代表選手になっていなければ、その国の代表選手になることが出来ます。

 それで、カーワンさんは、代表に多くの外国人を選び、日本チームの強化に努めました。


 日本代表はワールドカップの常連です。だけど、一時リーグ突破どころか、なかなか勝てません。1987年の第一回大会から4年ごとに行われる大会に毎回出場しているのに、やっと通算で一勝と一分けしただけで後は負けなのです。

 日本代表は世界ランキング13位だけれど、上位ランカーが強すぎてなかなか差が埋まりません。

 日本の属する一次リーグ・プールAの顔ぶれはこうです。
ニュージーランド(世界1位)
フランス(世界4位)
  トンガ(世界12位)
日本(世界13位)
カナダ(世界14位)

 日本は今大会も一次リーグ突破は厳しいねえ。開催国ニュージーランド(世界1位)、フランス(世界4位)という上位2チームが強すぎて、反則だよお!

 初戦はフランス戦です。強豪だねえ。フランスという強豪の一角を崩さないと。

09/10(土) 現地時間18:00開始 日本対フランス ノースハーバースタジアム(オークランド)をテレビ観戦しました。

 ニュージーランドは時差が3時間だから良いねえ。でも南半球なので、季節は冬です。
 
 フランスは世界ランキング4位。世界最強と言われるスクラムと華麗なパス回しのシャンパンラグビーが持ち味の強豪です。強すぎるよお!

 大体、ラグビーはボディーコンタクトが多い競技なので、金星とか番狂わせというのが出にくいスポーツなのです。う~む。

 しかも、フランスは日本が力をつけてきたと見て、ベストメンバーをぶつけてきました。

 それでいよいよキック・オフ!


<前半5分>フランスのピエールが先制トライ。なんかグラウンディングできていないようにも見えたけど・・・。コンバージョン成功。

0-7


<前半10分>日本、ウイング遠藤のカウンターアタックからの連続攻撃でフランスが反則。日本のアレジがペナルティーゴールを試みるも失敗。

<前半12分>フランスが日本のパスをフランスのロックのデュックがインターセプトし、50メートルを独走してトライ。コンバージョン成功。

0-14


いきなり、2トライ2ゴールだねえ。がっかり。頑張れ日本!

<前半18分>日本の連続攻撃でフランスは、たまらずオフサイドの反則。日本のスタンド・オフ、アレジのペナルティーゴール成功。

3-14


<前半22分>フランス、“世界最強”と呼ばれるスクラムで日本の反則を奪い、スクラム・ハーフのヤシュヴィリがペナルティーゴール成功。

3-17


<前半29分>フランス、またもスクラムで反則を奪い、ペナルティーゴール成功。

3-20


 日本はフランススクラムの圧倒的強さに、まともなスクラムが組めません。

<前半31分>日本、敵陣ゴール前からアレジがキック。相手ディフェンスに当たったところをアレジが拾ってトライ。コンバージョンは失敗。

8-20


 日本初トライで。元気になります。

<前半34分>フランス華麗なパス回しでトライ。『シャンパンラグビー』の面目躍如です。コンバージョン失敗。

8-25

 
 日本はここでトライを取られたらだめだねえ。

<前半35分>日本、No.8ホラニはヒザを痛め、谷口が入る。

<前半40分>小野澤が華麗なステップでライン際を駆け抜け、連続攻撃でフランスは反則。ペナルティーゴール成功。

11-25


前半終了。


14点差だから、2トライ2ゴール差。後半にまず1トライして欲しいねえ。

後半開始。


 日本は相手のトライチャンスに、体をいれてグラウンディング許しません。ビデオ判定で2回もノートライ判定を勝ち取ります。強烈な攻撃を何とか凌ぎました。この時の日本の防御は偉かったねえ。

 何とかやれそう!
<後半9分>日本、ハーフライン付近からフランスのお株を奪う華麗なパス回しでボールをつなぎ連続攻撃。最後はラックからスクラム・ハーフ田中が持ち出してスタンド・オフのアレジがトライ。コンバージョン成功

?H1>18-25

 とにかく日本ウイングの小野澤のうなぎステップは凄いのです。世界に通用するねえ。
 日本の気迫が凄いねえ。日本のモール・ラックはカーワン仕込みのニュージーランド型で結構強いねえ。

 <後半18分>勢いづいた日本の猛烈な連続攻撃でフランスは堪らずノット・リリース・ザ・ボールの反則。ペナルティーゴール成功。

?H1>21-25

?H1>日本、ワントライで逆転だ!わ~い、頑張れ!

 世界一目が肥えた地元ニュージーランドの観客も大健闘の日本を応援しています。

 『ニッポンコール』がわき起こります。

 フランスって、結構ニュージーランドに強い、目の上のたんこぶだし・・・。
 
 押されていた日本のスクラムも徐々に安定、疲労の陰りの見え始めたフランスのミス誘います。

 日本が敵陣に攻め込む時間帯が多くなります。

 <後半27分>せっかく敵陣に攻め込んでいたのに、一つのミスで簡単に自陣に攻め込まれ、日本ノット・リリース・ザ・ボールの反則。フランスペナルティーゴール成功。

21-28


 フランスが盛り返し日本の反則が増えます。勝負所での力の差はやっぱりあります。ここがフランスの強豪たる由縁なのでしょう。

<後半31分>フランス、連続攻撃からグラウンドを広く使って攻め、最後はロックのナレが小野澤をはじき飛ばしてトライ。コンバージョン成功。

21-35


 <後半37分>ずっと日本が攻めていたのに、またもやミスにつけ込まれ、日本のラインの穴を破ったフランスがボールを回し、最後は途中出場のパぺがトライ。コンバージョン成功。

21-42


 うへえ、ダブルスコアになったよお!

<後半40分>日本の攻撃中にフランスにパスミスを取られて途中出場のパラがトライ。コンバージョン失敗。

21-47


 日本はずっと攻め込んでいたのに、ボールを奪われると簡単にトライを許してしまいます。残念だねえ。

ノーサイドで結局、21-47。


 日本は強豪フランスに大健闘だったけれど、勝てなかった試合ではありませんでした。

 後半開始早々のフランスの猛攻をしのぎ、27分で失点するまで、寧ろ押していたのは日本でした。残念!

 カーワンヘッドコーチの戦評。
『前半の失点14点は日本のミス。4点差まで迫ったビッグチャンスはの時は3点止まりなのが残念。10点獲れた、でも日本のポジディブプレーは素晴らしかった』

 本当にその通りだと思います。

 カーワンさんは、大の親日家で、インタビューも日本語で答えます。
 
 次は世界1の優勝候補ニュージーランド戦。世界一強いチームです。

 日本にとって、ニュージーランド戦と言えば思い出すのが、
 1995年 17-145という歴史的敗退(W杯失点記録)の悪夢。

 うへえ!強すぎるよお!

 ニュージーランドはラグビーが国技だからねえ。

 日本の運動能力が高い子供は野球にいって、サッカーも相撲も柔道もアメリカン・フットボールもあるし・・・。

 以前元ラグビー日本代表の怪物ロック、大八木淳史(おおやぎ あつし)さんが日本代表の天才ウイングだった大畑大介氏に「おい大畑、東海大学付属仰星高等学校にいたとき、上原(現在テキサス・レンジャーズに所属するメジャーリーガーの上原浩治選手)って同級生やったんやろ?なんでラグビーに誘わんかった?」と言っていました。

 ラグビー日本代表は、その中で良くやっていると思います。

 でも、今回のフランス戦でこれだけ頑張ったのだから、良い試合になると思いますよ。

 せいぜい思い切って胸を借りるが良いねえ。日本チームに必要なのは強豪チームとの対戦経験なのですから。

 8年後の2019 ラグビーワールドカップは日本開催です。だから、良い経験を積んで欲しいねえ。

 頑張れ日本!



横浜港の散策だよ(その17) 【ファイルT163】2011.09.09 

【ファイルT163】2011.09.09 横浜港の散策だよ(その17)

旧フランス領事館界隈だねえ

 その1からご覧になられる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/51882527.html
 
 堀川に架かる橋で一番海側の山下橋です。





 高速道路の下の歩道橋のような橋がフランス橋です。


 山下橋から、谷戸橋(やとばし)を望みます。





 昭和2(1927)年に谷戸橋は完成しました。

 中華街と元町をつなぐ橋なので往来が多いのです。

 この谷戸橋は現在横浜市歴史的建造物に認定されています。

 雰囲気のあるトラス橋なのですが、首都高速横羽線・狩場線の高架橋が堀川の上を通っているので圧迫感があります。

 橋の下を流れる堀川は1860年に開削された運河で、現在の「谷戸橋」が架かるあたりから東側は横浜村という陸続きの半島となっていました。

 山下町などが居留地であった時代にはこの川によって区画されていました。

 横浜人形の家から港の見える丘公園のフランス山地区入口に架かるフランス橋のたもとです。





 現在の谷戸坂(やとざか)です。





 写真左側の場所にフランス領事館がありました。

 明治29(1896)年3月に山手居留地185番に完成したフランス領事館は、建築家のポーール・サルダ(山手のゲーテ座や、指路協会の設計者)による設計で、フランスの威信を象徴するような堂々とした建物だったそうです。

 しかし、残念ながらその領事館は大正12(1923)年の関東大震災により倒壊してしまいました。

 フランス橋の下の壁には、旧フランス領事館のメダリオンが埋め込まれています。





 これは旧フランス領事館の跡地で公園の再整備の工事が行われた際に、領事館の遺構や、建設に使用されたジェラール瓦や煉瓦とともに出土したものです。

 メダリオンは円形の装飾で、領事館建物の両翼部外壁に嵌めこまれていたそうです。

 RFは、R'epublique Francaise(フランス共和国)のイニシャルを著しています。

 領事館には数個のメダリオンが飾られていたのですが、辛うじてこの一点が破損をまぬがれたのだそうです。

 ありし日のフランス領事館です。





 矢印の部分にメダリオンが飾られていました。

 こんな赤レンガの建物が建っていたら素敵だったでしょうね。

 港の見える丘公園一帯は、かつて仏軍が駐在していたので、フランス山と呼ばれています。

 再び谷戸橋です。





 橋の四方に配置された親柱が、この橋の特徴です。親柱はアールデコ様式のディティールが施されています。

 この界隈は、山下公園から、元町に向かうちょっと不思議な感じの空間です。

 それにしてもフランス領事館って海の見える河口で、丘の端にあったのですね。

 外人さんは山の手に住むのが好きですからね。

 それにしても、高速道路がなければ、もっと良い雰囲気なのにねえ。

 次に続きますね。











防衛省市谷ツアーに参加したよ(その1) 【ファイルET42】2011.09.05 

【ファイルET42】2011.09.05 防衛省市谷ツアーに参加したよ(その1)

日本の国家防衛の中枢だね。

 東京の市ヶ谷(いちがや)に防衛省があります。

 防衛庁本庁舎が、ここ市ヶ谷地区に移転してきたのは、平成12(2000年)年5月のことでした。

 それ以前の防衛庁は檜町駐屯地(東京都港区六本木)にありました。

 檜町駐屯地(ひのきちょうちゅうとんち)の旧防衛庁跡地は、現在『東京ミッドタウン』になっています。

 東京ミッドタウンといえば、檜町公園でスマップの草剛(くさなぎつよし)さんが酔っ払って裸で歌っていたところだねえ。

 草剛さんの記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/47936746.html

 ということで、市ヶ谷地区は日本の防衛の中枢でいわば、日本のペンタゴンです。

 ここには、防衛省本省(内部部局)だけではなく、統合・陸上・海上・航空幕僚監部があって、駐屯地司令は陸上自衛隊中央業務支援隊長が、基地司令は航空自衛隊航空中央業務隊司令が兼務しています。

 航空幕僚監部といえば、『田母上論文』を発表して辞任に追い込まれた田母上航空幕僚長(たもがみこうくうばくりょうちょう)もここにお勤めだったのですね。


 ということで国家機密が多い施設なのですが、一般の人でも、事前申し込みをすれば、見学させてくれるのです。

 申し込み詳細は防衛省・自衛隊のHPをごらんください。

 市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)のご案内のページはこちら。
http://www.mod.go.jp/j/publication/events/ichigaya/tour/index.html

 防衛省というと、なんか厳めしくて堅苦しいイメージがあるのですが、多分日本の役所の中でも有数の親切でサービス精神旺盛な役所なんじゃないかと思います。

 自衛隊があれだけマスコミに叩かれ続けているので、その分、一生懸命イメージアップに努めていらっしゃるのでしょう。

 東日本大震災における自衛隊の方々の活躍が記憶に新しいのですが、やはりいざというときに頼りになるのは自衛隊ですから、ここの見学はとても有意義なのです。

 正門には『防衛省』の新しい看板が掛かっています。





 220mある通信電波塔が立派だねえ。

 防衛庁が防衛省になったのは、やっと平成19(2007)年のことです。

 平成19(2007)年1月9日 、 防衛庁設置法等の一部を改正する法律(平成18年法律第118号)施行により、防衛庁設置法が防衛省設置法に改題され、防衛庁は防衛省 (Ministry of Defense) に改められました。

 それにしても、国の重要な仕事といったら、国防と外交なのです。

 それが、国防を司る役所が長い間、大臣を置く省ではなく、庁だったと言うことは信じられません。もっとも、いまだに日本国は国軍を持たず、憲法違反の自衛隊というのも信じられないのですが・・・。

 自衛隊の総指揮官は内閣総理大臣で、総理大臣がいわば今の日本国の元帥なのでした。

 そのことを首相に就任しても知らなかった菅直人前首相の官房長官は自衛隊のことを『暴力装置』と言っていた仙谷由人氏だったのが、これまた信じられません。


 ということで、指定時間に防衛省に到着し、受付を済ませて、見学者用の立入証を首にかけて見学を開始します。

 ガイドのお姉さんに案内されてついていくと、すぐに急な坂道になっていて、エスカレーターで登ります。





 坂を登ったら、ピカピカの大きなビルと、広い広場があります。





 防衛省庁舎A棟の前に広がるこの儀仗広場(ぎじょうひろば)は国賓が来たときに、閲兵を行う広場です。

 防衛省庁舎A棟の場所に、もともと何があったかというと、こういうビルが建っていました。

 市ヶ谷旧一号庁舎ビルの模型





 このビルおそらくご記憶の方も多いのではないかと思います。

 1970年(昭和45年)11月25日に三島由起夫事件があった建物です。

 三島氏はこの広場に自衛隊員を集めるよう要求し、バルコニーから最期の演説をしたのでした。

 さらに進んでいくと、市ケ谷記念館が建っています。





 先ほどの市ヶ谷の旧庁舎を小さくしたようなデザインになっています。

 ここは、市ヶ谷の旧庁舎から、歴史的な遺構である大講堂・車寄せ・バルコニー・旧陸軍大臣室(前陸自東方総監室)・旧便殿の間(前陸自幹部学校長室)が移築復元された記念館なのです。

 記念館に入ると、さっそく大講堂に案内されます。





 ここは、昭和9年に陸軍士官学校の大講堂として作られました。

 何といっても敗戦後、昭和21年5月から23年11月までの間、極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使われた歴史的建造物なのです。

 椅子に腰掛け、市ケ谷台の歩みを、明治、大正、昭和、平成の各時代の貴重なスチール写真や新聞記事などを織り交ぜながら説明するビデオ映像を見せてもらいました。


 市ケ谷台の沿革は以下の通りです。

 市ヶ谷地区=市ケ谷台は、そもそも尾張徳川家上屋敷だった場所で、

 明治7年(1874)年12月:市ヶ谷台に陸軍士官学校が開校される。

 昭和12年(1937)年:陸軍士官学校が座間に移転するまで士官候補生の教育機関が置かれた。戦時中は参謀本部が置かれる。

 大東亜戦争後は極東国際軍事裁判にも利用された。

 昭和35年(1960)年:東部方面総監部が置かれる。

 平成6年(1994)年11月:防衛庁(当時)移転計画に伴い、東部方面総監部は朝霞駐屯地に、統合幕僚学校及び陸海空幹部学校は目黒駐屯地へ移駐。

 平成11年(1999)年11月:第32普通科連隊が大宮駐屯地へ移駐。

 平成12年(2000)年5月:檜町駐屯地(東京都港区六本木)にあった防衛庁本庁舎が市ヶ谷地区に移転(跡地は東京ミッドタウン)。

 平成19年(2007)年9月1日:防衛施設庁の解体及び防衛監察本部を新編、装備本部を装備施設本部へ改組。

 ということで、次に続きますね。

プロフィール

眼とろん星人

Author:眼とろん星人
FC2ブログへようこそ!

年別アーカイブ一覧

訪問者カウンダ―

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR