2011/10/31
防衛省市谷ツアーに参加したよ(その7) 【ファイルET48】2011.10.31
【ファイルET48】2011.10.31 防衛省市谷ツアーに参加したよ(その7)
東郷茂徳外務大臣が野村吉三郎在米日本大使に宛てた日米交渉・日本側最終提案 甲案・乙案全文。
防衛省ツアーの市ヶ谷記念館大講堂の記事の続きです。 アメリカの最後通牒である『ハル・ノート』で開戦に追い込まれた日本ですが、それまで日本は何とか対米開戦を回避できるように、アメリカとの交渉において、卑屈とさえ言えるほどの妥協をしてきました。
その交渉経緯を一切無視して突然出されたのが『ハル・ノート』だったのです。
いかに日本が対米開戦を回避すべく努力をしていたかを示す証拠を引用しましょう。
東郷茂徳外務大臣が野村吉三郎駐米日本大使に宛てた日米交渉・日本側最終提案 甲案・乙案全文です。
当然この電文は東京裁判でも証拠資料として提出され、東条英機被告もこれを根拠に日本の侵略意図を否定しました。
【東条英機 歴史の証言 ―東京裁判宣誓供述書を読み解く― 渡辺昇一 祥伝社文庫P522より】
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(昭和十六年十一月四日東郷大臣発野村大使宛電報・第七二六号)
本案は九月二十五日我方提案を既往の交渉経過により判明せる米側の希望に出来得るかぎり「ミート」する趣旨を以て修正せる最後的譲歩にして懸案の三問題に付(つき)我方主張を左記の通り緩和せるものなり。
一、通商無差別問題
九月二十五日案にて到底妥結の見込なき際は「日本国政府は無差別原則が全世界に適用せらるるものなるに於ては太平洋全地域即支那に於ても本原則の行わるることを承認す」と修正す
二、三国条約の解釈及履行問題
我方に於て自衛権の解釈を濫(みだ)りに拡大する意図なきことを更に明瞭にすると共に三国条約の解釈及履行に関しては従来屡々(しばしば)説明せる如く帝国政府の自ら決定する所に依りて行動する次第にして此点は既に米国側の了承を得たるものなりと思考する旨を以て応酬す
三、撤兵問題
本件は左記の通り緩和す
A.支那に於ける駐兵及撤兵
本件は左記の通り緩和す
A.支那に於ける駐兵及撤兵
支那事変の為(ため)支那に派遣せられたる日本国軍隊は北京及蒙疆(もうきよう)の一定地域及海南島に関しては日支間平和成立後所用期間駐屯すべく爾余の軍隊は平和成立と同時に日支間に定めらるる所に従い撤兵を開始し治安確立と共に二年以内に之を完了すべし
(註)所要期間に付米側より質問ありたる場合は概(おおむ)ね二十五年を目途とするものなる旨を以て応酬するものとす
B.仏印に於ける駐兵及撤兵
日本国政府は仏領印度支那の領土主権を尊重す現に仏領印度支那に派遣せられ居る日本国軍隊は支那事変にして解決するか又は公正なる極東平和の確立するに於ては直(ただち)に之を撤兵すべし
尚(なお)四原則に付(つい)ては之を日米間の正式妥結事項(了解案たると又は其他の声明たるとを問はず)中に包含せしむることは極力回避するものとす
右説明
一、通商無差別原則に付ては地理的近接の事実に依る緊密関係に関する従来の主張は之を撤回し無差別原則の全世界適用を条件とせるものなるが後者に付ては十月二日附米政府覚書中に「日米何(いず)れかが特定地域に於て一の政策を取るに拘(かかわ)らず他地域に於て之と相反する政策を取るは面白からず」との趣旨の記述あるに徴するも何等反対なかるべく従って本件に付ては之にて合意成立するものと信ず
二、三国条約の問題に付ては屡々貴電に依れば米国は我方提案にて大体満足し居るやの趣なるに付自衛権は解釈を濫りに拡大する意図なきことを一層明確にするに於ては本件も妥結を見るべきものと信ず
三、撤兵問題は或(あるい)は依然難点となるやも知れざるも我方は米側が不確定期間の駐兵に強く反対するに鑑(かんが)み駐兵地域及期間を示し以て其の疑惑を解かんとするものなり、撤兵を建前とし駐兵を例外とする方米側の希望に副(そ)ふべきも右は国内的に不可能なり又駐兵所要期間を明示するに於ては却(かえ)って事態を紛糾せしむる惧(おそれ)あるに付(つき)此の際は飽く迄所要期間なる抽象的字句により折衝せられ無期限永久駐兵に非(あら)ざる旨を印象づくる様御努力相成度(あいなりた)し要之甲案は懸案三題中二問題に関しては全面的に米側主張を受諾せるものにて最後の一点たる駐兵及撤兵問題に付ても最大限の譲歩を為せる次第なり右は四年に亙(わた)る事変に依り帝国の甘受せる甚大なる犠牲に徴し決して過大の要求にあらず寧(むし)ろ甚だ小に過ぎたるものにして此の点は国内政治上も我方としては此の上の譲歩は到底不可能なり依て米側をして右を諒解せしめ本案に依り速(すみや)かに交渉妥結に導く様切望す
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日本はアメリカに対する最終提案として、上記の甲案を用意して交渉に臨みましたが、これでも尚、アメリカとの交渉妥結をみなかった場合に備えて、さらなる妥協案である乙案も用意していました。以下に引用しましょう。
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本案は甲案の代案とも称すべく若(も)し米側に於て甲案に著(いちじる)しき難色を示すときは事態切迫し遷延を許さざる情勢なるに鑑(かんが)み何等かの代案を急速成立せしめ以て事の発するを未然に防止する必要ありとの見地より案出せる第二次案にして内容左の通り
一、日米両国政府は孰(いず)れも仏印以外の南東亜細亜及南太平洋地域に武力的進出を行わざることを確約す
二、日米両国政府は蘭領印度に於て其必要とする物資の獲得が保障せらるる様相互に協力するものとす
三、日米両国政府は相互に通商関係を資産凍結前の状態に復帰すべし米国政府は所要の石油の対日供給を約す
四、米国政府は日支両国の和平に関する努力に支障を与うるが如き行動に出(い)でざるべし
(備考)
一、必要に応じ本取極(とりきめ)成立せば日支間和平成立するか又は太平洋地域に於ける公正なる平和確立する上は日本軍隊を撤退すべき旨を約束し差支(さしつかえ)なし
二、必要に応じては往電第七二六号甲案中に包含せらるる通商無差別待遇に関する規定及三国条約の解釈及履行に関する規定を追加挿入するものとす尚(なお)本案を提出する時期に付ては予(あらかじ)め請訓ありたし
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これだけの妥協をしてまで、日本は日米開戦だけは避けたかったのです。
これについては、当時首相であった東条英機氏も東京裁判における宣誓供述書でこう述べています。
【東条英機 歴史の証言 ―東京裁判宣誓供述書を読み解く― 渡辺昇一 祥伝社文庫P322より】
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一〇〇、 日米交渉は甲案より初められたのでありますが、同時に乙案をも在米大使に送付して居ります。
交渉は意の如く進行せず、その難点は依然として三国同盟関係、国際通商無差別問題、支那駐兵にあることも明かとなり、政府としては両国の国交の破綻を回避するため最善の努力を払うため従来の難点は暫(しばら)く措(お)き須要(しゆよう)且つ緊急なるもののみに限定して交渉を進めるために予(あらかじ)め送ってありました、乙案に依て妥結を図らしめたのであります。
此の間の消息は既に当法廷に於て山本熊一証人の証言せる如くであります。
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このような、日本の妥協を嘲笑うかのように出されたハル・ノートはこれらの交渉経緯を一切無視した、最後通牒だったのです。