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ガチャピンを中心としたそっくりさんたち 【ファイルSO04】2012.01.30 

【ファイルSO04】2012.01.30 ガチャピンを中心としたそっくりさんたち

愛嬌があるキャラクターだねえ。

 最初はこの方から。
 クロサワ映画で大活躍された名バイプレーヤー加藤大介さんの『用心棒』でのシーンです。





 加藤さんは、『七人の侍』では渋いお侍さんの役でしたが、本作では知恵の足りない新田(しんでん)の亥之吉(いのきち)の役を好演しています。表現の幅が広い名優さんですね。

 素の表情では全く似ていないのですが、この写真に限って、なんとなく次長課長の河本準一さんの雰囲気があります。





 河本準一さんは『お前に食わせるタンメンはねぇ!』で人気が出たのですが、私はそれ以降の方が面白くなったと思います。

 それで、丸顔で歯が出ているのが、フジテレビ系の子供番組『ひらけ!ポンキッキ』の着ぐるみキャラクターのガチャピンさん。





 ガチャピンといえば、サッカー日本代表で妙技を披露したJリーグ・ガンバ大阪の天才ミッドフィールダー遠藤 保仁(えんどう やすひと)さん。




 
 二重のお目目が優しく垂れていて、前歯がチャーミングだねえ。

PKの時のゴールキーパーを小馬鹿にしたようなコロコロシュートも凄いねえ。


 実は、私は以前から密かに遠藤選手はガチャピンに似ていると思っていたのですが、遠藤選手が活躍するにつれ、同じ思いを持った人が沢山出てきて、今では遠藤選手=ガチャピンというイメージが定着しています。

 遠藤選手に雰囲気が似ているのが、オリックス・バファローズの岡田 彰布(おかだ あきのぶ)監督。




 
 岡田監督は選手時代、阪神タイガースが球団初の日本一した年の昭和60 (1985)年4月17日甲子園での対巨人戦で、槙原寛己投手からバース選手・掛布選手に続きバックスクリーン本塁打3連発目を放ちました。

 岡田監督といえば、松竹新喜劇の名喜劇役者、藤山寛美さんに似ていることで有名です。




 
 でも、藤山寛美さんの方がお目目ぱっちりだねえ。

 藤山寛美さんは、昭和4(1929)年、関西新派『成美団』の俳優・藤山秋美さんの末の息子として生まれました。いわば生まれつきの芸人さんです。
お母さんは、新町のお茶屋『中糸』の女将・稲垣キミさん。

 松竹新喜劇で人気が出た寛美さんは、『遊ばん芸人は花が無(の)うなる』という母親のキミさんの教えを忠実に守り、豪遊をします。その上に他人の借金を肩代わりしたり、知人に騙されたりして、当時のお金で1億8000万円の借金を抱えて劇団を解雇されます。

 寛美さんの抜けた松竹新喜劇は客足が遠のき、たまりかねた松竹は寛美さんの負債を立て替えて、再び舞台に呼び戻します。

 復帰から20年経った昭和62(1987)年2月、寛美さんは世界の演劇史上例を見ない、244カ月連続無休公演という大記録を打ち立てました。

 こういう破天荒で上手な芸人さんはもう出ないでしょうね。

 ということで、今回はガチャピンを巡るそっくりさんでした。






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防衛省市谷ツアーに参加したよ(その16) 【ファイルET57】2012.01.27 

【ファイルET57】2012.01.27 防衛省市谷ツアーに参加したよ(その16)

三島由紀夫事氏の檄文(全文)。

 防衛省ツアーの市ヶ谷記念館大講堂の記事の続きです。

 その1から読まれる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52534735.html
 
 前回は、三島由紀夫事件のあった現場、旧東部方面総監室の記事でした。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52963429.html
 
 三島由起夫事件については、事件から今に至るまで、いろいろな解釈がなされていますが、結局のところ、氏が事件当日に東部方面総監室前のバルコニーで撒いた檄文が、氏の訴えを余すところ無く伝えているはずなのです。

 檄文を撒く三島由紀夫氏(写真右)。写真左は森田必勝(まさかつ)氏。





 決起した五名の写真(事件直前に、伊達宗克【だてむねかつ:NHK社会部記者】氏が三島氏から受け取ったもの)。【裁判記録「三島由起夫事件」伊達宗克 講談社より】





 上記写真の裏側(筆跡は三島由紀夫氏のもの)





 中央に三島由紀夫氏を囲んで写真左から森田必勝(もりた まさかつ)氏、古賀浩靖(こがひろやす)氏、小川正洋(おがわまさひろ)氏、小賀正義(こがまさよし)氏。

 三島由紀夫氏の『檄文(げきぶん)』の全文及び、『要求書』を、そのままここに掲載します。

※  ※  ※

 檄


                            楯の会隊長   三島由紀夫

 われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同士として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。

 われわれにとつて自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凜烈の気を呼吸できる唯一の場所であつた。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとへ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜(注・【けが・す】「さんずい」の右側は「士」の下に「買」の字)してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた、自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることはなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体があきらかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲がつた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである。

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起つたか。総理訪米前の大詰めともいふべきこのデモは圧倒的な警察力の下に不発に終つた。その状況を新宿で見て、私は「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起つたか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になつた。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本精神に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。

 これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる!政治家にとつてはそれでよからう。しかし自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまつた。

 銘記せよ!実はこの昭和四十五年(注・昭和四十四年の誤り)十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だった。創立以来二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、この日を堺にして、それまで憲法の私生児であった自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。

 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢には我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上がるのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだった。

 われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主主義的軍隊の本姿である、といふ。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。繊維交渉に当つては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。沖縄返還とは何か?本土の防衛責任とは何か?アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう

 われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。

 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは志純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
(原文のまま)


※  ※  ※

(以上全文掲載)

 今回は三島氏の檄文に対して真摯に耳を傾けるということを趣旨とした記事ですので、何も付け加えません。これについての考察は次回以降書きたいと思います。

 ということで、次回に続きます。

横浜・八景島シーパラダイスのシロイルカさんたち  【ファイルC236】2012.01.24 

【ファイルC236】2012.01.24 横浜・八景島シーパラダイスのシロイルカさんたち

人なつっこくて可愛いねえ。

 横浜・八景島シーパラダイスのイルカさんといえば、以前シロイルカさんのショーをご紹介しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52416813.html

 ショーをするイルカさんだけではなく、ここ横浜・八景島シーパラダイスでは、ドルフィンファンタジーという施設にもイルカさんがお住まいです。

 まずは、バンドウイルカさんがお出迎え。

 こんにちは。





 二人で仲良し背泳ぎ。





 わざわざお辞儀をして、挨拶してくれたよ。





 なんか、愛想が良いねえ。

 バンドウイルカさんが、タカベさんというお魚と一緒に泳いでいます。





 これも、仲良しさんなんだねえ。

 と思って説明板を読むと、こう書かれていました。

※  ※  ※

 イルカと魚が同じ海の中に暮らす・・・
 自然の海ではあたりまえの情景も、
 実は水族館の水槽の中ではとても珍しいことです。なぜかというと・・・

① 多くの魚たちにとって、イルカは天敵!!
  イルカの食べ物は主に魚、つまりイルカと魚は「食べる-食べられる」
  の関係にあります。

② イルカたちは、水を汚す・・・
  イルカたちは毎日たくさんのごはんを食べ、便や尿をして水を汚します。
  魚たちはイルカたちよりも水の汚れに敏感で、
  汚れた水の中では生活することができません。
  そこで、この水槽にはいろいろな浄化装置(水をきれいにする仕組み)を設置しています。

 タカベは群れを作って大きな動物であるように見せたりおそわれる確率を低くしたりしています。

 擬サンゴや擬岩(作り物のサンゴや岩)が魚たちが安心して暮らすための隠れ家となります。

 魚たちのほとんどが、岩の周りに集まっています。

※  ※  ※

 だって。うへえ!

 仲良しどころか、下手すると、タカベさんたちは、バンドウイルカさんに食べられる畏れがあるのですね。

 ひょっとして、「美味しそうだねえ」って思いながら見ているのかな?





 まあ、餌は沢山もらっているはずだから、大丈夫なんでしょうね。


 奥の水槽には、シロイルカさんがお住まいです。
 
 こんにちは。





 アザラシさんと仲良く一緒に泳いでいます。





 こうやって見ると細長い体なんですね。




  
まあるい頭が可愛いねえ。




  
 頭をガラスに押しつけて遊んでいます。




  
 頭がへこむんだねえ。

 礼儀正しいねえ。




  
 最後にご挨拶。




  
 笑顔が可愛いねえ。

 さようなら、元気でね。

 ということで、横浜・八景島シーパラダイスのドルフィンファンタジーのイルカさんたちでした。
 
 みなさんも、機会があったら、会いに行ってね。



大阪曾根崎の曾根崎(そねざき)天神は露天神(つゆのてんじん)だよ(下) 【ファイルT166】2012.01.20 

【ファイルT166】2012.01.20 大阪曾根崎の曾根崎(そねざき)天神は露天神(つゆのてんじん)だよ(下)

曽根崎心中のお初さん、徳兵衛さんを偲ぶ人が沢山いるんだねえ。

 前回からの続きです。
(上)はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52945641.html

 露天神社内にある水天宮(すいてんぐう)金比羅宮(こんぴらぐう)です。





 露天神社のHPによると、

 御祭神は、

 天乃御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、安徳天皇(あんとくてんのう)、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)、崇徳天皇(すとくてんのう)、住吉大神(すみよしのおおかみ)、他二柱です。

 安徳天皇は源平の合戦で壇ノ浦に沈み幼くして崩御された方ですね。

 また、崇徳天皇は、保元の乱(ほうげんのらん)で讃岐に流され、五部大乗経を写経して京の寺に収めてほしいと朝廷に差し出したところ、後白河天皇から「呪詛が込められているのではないか」と送り返して来られたことに激しく怒り、舌を噛み切って写本に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」「この経を魔道に回向(えこう)す」と血で書き込み、爪や髪を伸ばし続け夜叉のような姿になり、後に生きながら天狗になったとされている方ですね。

 『菅原道真公』と並ぶ大怨霊ですね。


 御神徳は、

 安産、児童守護、交通安全、水関係職種の守護

 この水天宮(すいてんぐう)さんはもともと寛政9年(1797年)6月に大阪中之島・久留米藩蔵屋敷(くるめはんくらやしき)内に祀られたお社(やしろ)です。

 明治維新に際して、蔵屋敷は朝廷に返上、水天宮の御神霊は丸亀藩蔵屋敷の金刀比羅宮に合祀されました。

 しかし、この丸亀藩蔵屋敷も返上することになったため、高松藩蔵屋敷の金刀比羅宮に遷され、その後、堂島中二丁目に遷座されます。

 さらに明治42年の『北の大火』で社殿が罹災したため当地に遷され、露天神社の境内社として斎祀されるようになったのだそうです。

 明治天皇御誕生の際、孝明天皇が御安産を御祈誓、無事御降誕の後、本水天宮(久留米藩蔵屋敷内)へ鳥の子餅を御奉納されたと伝えられています。

 また、金刀比羅宮は江戸時代、中之島にあった高松藩、丸亀藩両蔵屋敷の中にそれぞれ祀られ、霊験があらたかだということで、毎月縁日には参詣人が群れをなしたと伝えられています。

 当時大阪では毎月十日が金刀比羅巡りの日とされ、土佐堀川常安橋北詰西の高松蔵の金刀比羅様と上町空堀の遥拝所、千日前法善寺の金刀比羅様は特に賑わったといいます。

 明治期以降の変遷は『水天宮』と同じです。

 お宮の歴史が蔵屋敷の歴史というのが、さすがは天下の台所、商都大阪らしいのですね。

 当時の交通は紀伊国屋文左衛門の『蜜柑舟伝説』にもあるように、『板子一枚下は地獄(いたごいちまいしたはじごく)』の海運でしたし、商売、特に米相場なんて運による部分が多かったので、大阪商人にとって、神頼みというのは大切だったのでしょうね。

 いまだに大企業の屋上なんかに神社がお祀りされていますからね。

 玉津稲荷です。





 御祭神
 玉津大神、天信大神、融通大神、磯島大神

 御神徳
 商売繁盛、五穀豊穣、皮膚病治癒

 水天宮さんの説明にもあるように、明治42年『北の大火』によって近在各地に祀られていた四社の稲荷社が烏有(うゆう)に帰します。

 そのため、翌明治43年に本社境内地に四社が合祀され御奉斎されました。

 古くは皮膚病の治癒を願って『鯰』の絵馬が多数掛けられ、お百度を踏む人々で混みあうほどだったと伝えられています。

 現社殿は一部修復工事を施したものの往時のままで、正面左右の扉を開放すると社殿内を一巡することができ、当時のお百度詣り(おひゃくどまいり)の様子をうかがい知ることができます。

 なお、明治42年の「北の大火」で焼け残った御神木でつくられた神號額が、その旨の裏書とともに伝わっているそうです。


 難転石(なんてんいし)です。





 『玉石を回して難を転じます』だって!これを回すと困難が転じて幸運になるんだよ。

 これは、回さないわけにはいかないねえ。

 
 それで、天神さんといえば、牛さんが乗り物ですね。

 神牛舎です。





 これは「神牛さん」「撫で牛さん」と呼ばれ

  『己が身体の病む処と、神牛さんとを交互に撫で摩(さす)り、身代わりになっていただくことができる』、『神牛さんの霊力をもって病を治療して戴く』という信仰が古来より続いているのだそうです。

 また、神牛さんは学問の神様、菅原道真公のお使いですから、学業成就や、合格を祈願する学生さんが多数参詣するそうです。

 ここは、梅田でお買い物ついでにお詣りに来ることができて便利だねえ。

 だから、絵馬もびっしり掛けられています。





 菅原道真公(天神さん)には神牛さんがつきものですが、これは菅原道真公の御生誕が、丑の年にあたる承和十二年六月二十五日の丑の刻で、薨去の後、太宰府にて初めて祭祀を営まれたのも、延喜五年八月十九日という丑の年、丑の日だったからだそうです。

 また、道真公は『御存命中よりこよなく牛を愛(め)で給い、或る夜、自ら牛の姿を描かれて、これを日常親しく祀られた』と伝えられていることに由来するのだそうです。


 露天神社(つゆのてんじんしゃ)は、お初天神と呼ばれるだけあって、『お初さんと徳兵衛さんのコーナー』というべき一角があります。





 「誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え。
 取伝へ貴賤群集の回向の種。 未来成仏疑ひなき恋の。
 手本となりにけり。」
                              近松門左衛門作「曽根崎心中」より


 広く民衆の涙を誘うこの作品はその後も繰返し上演され、今日でも回向とともに、恋の成就を願う多くの人々がこの地を訪れています。

 なお、昭和47年7月、曽根崎中1丁目の有志によって、恋に殉じた二人を慰霊するための「曽根崎心中 お初 徳兵衛 ゆかりの地」という石碑が建立されました。





 また、二人の300回忌の後、氏子さんの一人から「お初さんのために」と100万円の寄付がありました。それをきっかけに、地元の商店街などから寄付金が寄せられ、平成16年4月にブロンズ像が製作されました。

 お初と徳兵衛のブロンズ像





 また、二人をかたどった石碑もありました。





 大阪の人の温かい思いやりと、心意気が感じられます。

 世間では『大阪人=ケチ』といった、誤った偏見が流布されていますが、確かに大阪の人は始末して、こつこつと地道にお金を貯めますが、生きた金は惜しみなく使うのです。

 そうでなければ、豊かな上方文化なんか生まれるはずがありません。

 以前も大阪市中央公会堂(旧中之島公会堂)のことを書きましたね。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/51849966.html
 
 立派な石灯籠です。





 裏参道(北側)





 提灯と千社札が、雰囲気ありますね。





 裏参道はお初天神通り商店街になっています。





 裏参道とはいえ、今ではこちら側が、JR大阪駅、阪急・阪神・大阪市営地下鉄梅田駅からの導線なので、実質的には表参道のような役割を担っています。

 ということで、今回は、曾根崎天神、こと露天神、もしくは初天神でした。

 JR大阪駅から歩いて行ける距離ですから、大阪にお立ち寄りで時間が余ったときなんかはお詣りされては?








帯谷孝史さん=電動ポットの憂鬱 【ファイルSO03】2012.01.16 

【ファイルSO03】2012.01.16 帯谷孝史さん=電動ポットの憂鬱

いくらなんでも物に似ているというのは可哀想だねえ。

 以前“やしきたかじん” さんが、テレビで「誰が帯谷(おびたに)やねん!」と叫んでいるのを見たことがあります。

 やしきたかじんさんは、本人も認めるように吉本新喜劇の帯谷孝史(おびたに たかし)さんに似ているのです。

 若い頃のやしきたかじんさんはこんな感じ。





 こっちが帯谷孝史(おびたに たかし)さんの写真。





 上の写真の通り、帯谷さんはお顔が電動ポットにも似ているので、それをギャグにしています。





 あれえ?お湯が出ないねえ。出るわけないやろ!

 ここでズズっと鼻をすすって、ほら、お湯が出た。

 帯谷孝史(おびたに たかし)さんは吉本新喜劇の劇団員です。

 なんといっても最大の特徴は、大きな鼻。

 帯谷さんは、『吉本のやしきたかじん』とも称され、新喜劇で吉田ヒロさんに「地味なやしきたかじんやのう」と突っ込まれるギャグもあったのだそうです。

 それにしても、帯谷さんが、『吉本のやしきたかじん』って?

 というか、私はてっきり、やしきたかじんさんって、吉本興業に所属するお笑い芸人で、漫談師だとばかり思っていました。

 実は歌手だったなんて、びっくり!

 『やっぱ好きやねん』を聴いて、歌の上手い芸人さんだなって思っていたよ。

 でも、やしきたかじんさんは話が上手いので、コンサートなんかでも、曲と曲との間のお喋りが多いのだそうです。

 まるで“さだまさし”さんのコンサートだねえ。

 本名も『家鋪隆仁』と書いて、『やしきたかじん』と読むそうです。

 漢字のままだと難しくって読めないねえ。

 たかじんさんは風邪をひいて病院に行って待合室で順番が来たとき、看護婦さんに「かしきさん」「いえしきさん」「いえほさん」「やっほーさん」「かほさん」「いえほこさん」などと言い間違われたのですが、面白いので、わざと気づかないふりをしたそうです。

 『隆仁』を『たかひと』と呼ばずに、『たかじん』読むのは、命名したときに、ご家族が『たかひと』ということで届けようとしたら、お父さんの権三郎さんが、「天皇陛下の『仁(ひと)』の字を使うとは何事だ」と激怒し、あわてて不敬のないように『仁』の読みを『ひと』から『じん』に変えたからなのだそうです。


 それはともかく、鼻筋が通ると、ハードボイルドな役が似合います。

 それで帯谷さんはヤクザの役が多かったのです。

 鼻筋が通ったハードボイルドといえば、その典型はひょっこりひょうたん島に出てくるダンディーさん。





 ダンディーさんの職業は、ズバリ『殺し屋』です。

 この傾向のお顔立ちとしては、他に横浜DeNAベイスターズの投手で『ハマの番長』こと三浦大輔(みうらだいすけ)さんがいらっしゃいます。
 




 それにしても、ヤクザ、殺し屋、番長って!

 いずれもバイオレンスがらみといっても、このお顔立ちは単純な武闘派ではなくて、知性があって、冷徹でニヒルな感じがするんですよね。

 にっこり笑って人を斬るといった。
 
 三浦大輔さんに似ていると言えば、俳優の三浦洋一さんですよね。しかも、どちらも三浦さんです。





 三浦洋一さんは、テレビドラマ『池中玄太80キロ』に出演されていました。

 お顔立ちはクールなんだけど、実は温かいといった味を出す良い役者さんでした。

 食道癌のため46歳の若さで亡くなられたのが本当に残念です。




防衛省市谷ツアーに参加したよ(その15) 【ファイルET56】2012.01.13 

【ファイルET56】2012.01.13 防衛省市谷ツアーに参加したよ(その15)

旧陸軍大臣室は三島由紀夫事件のあった現場。

 防衛省ツアーの市ヶ谷記念館大講堂の記事の続きです。

 その1から読まれる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52534735.html
 
 ということで、東京裁判について長々と記述したのですが、まだまだ書きたいことはあって、前に進まないので、東京裁判については、別コーナーで書きますね。

 それで、一旦記念館の玄関に戻り、2階にあがります。

 階段のデザインも美しいねえ。





 2階の旧陸軍大臣室(前陸自東方総監室)です。





 現在は、旧一号館時代の建物の模型が据えられています。

 ここは、士官学校時代、士官学校長室として使われました。

 昭和16年以降は陸軍大臣室でしたが、その後は陸上自衛隊東部方面総監の執務室として使われました。

 陸上自衛隊東部方面総監の執務室時代にここで起きた事件が、三島由紀夫事件なのでした。

 事件があった当時の建物(旧一号館)の写真。





 事件現場の現在の写真(再掲)





 ガイドのお姉さん(聞いたらば、自衛隊員じゃなくて、人材派遣会社から派遣されているお姉さん)は三島由紀夫事件の説明の時、『三島は』と三島由紀夫氏を呼び捨てにしていて、まあ、三島氏は東部総監を人質に取り、もみ合った際に自衛隊員を傷つけたのですから、立場上それは仕方がないのですが、やはり、三島由紀夫事件が起きたこの部屋は東京裁判のあった大講堂と並んで、市ヶ谷ツアーの大きな目玉だと言うことは否定できないのでした。

 昭和45(1970)年11月25日午前11時過ぎ、三島由紀夫事件が発生しました。

 当日の朝日新聞号外【週刊昭和 NO.4 昭和45年 1970大阪万博/三島由紀夫自決/公害列島 朝日新聞出版より】





 昭和45(1970)年11月25日午前11時過ぎ、総監室で三島由紀夫氏他4名(総勢5名)は計画を実行に移します。

 総監の益田兼利陸将と歓談し、自慢の名刀「関の孫六(せきのまごろく)」を益田総監に見せた後、飛び掛って縛り上げ、人質に取って総監室に立て籠もります。

 よく事件の概要を示した文章に『東部方面総監部に三島由紀夫ら楯の会が乱入する事件が発生(三島事件)』などと書かれていますが、これは全くのでたらめです。

 たった5名で自衛隊の東部方面総監部に乱入なんてできるわけがないでしょう。あらかじめ面接の約束があった上での訪問だったのです。


 様子を見にきて事態に気がついた幕僚8名は総監救出をこころみますが、5名は日本刀などで応戦し追い出ます。

 もみあいの際に三島氏等が振りかざした日本刀でついた刀傷が残っています。









 このドアは幕僚室から総監室に入るためのものです。
(昭和四十六年四月二十六日に弁護側の申請により行われた現場検証場所【裁判記録「三島由起夫事件」伊達宗克 講談社 P81より】)

 




 【前掲書P114】によると、

 公判における益田総監の証言によると、櫛淵裁判長の三島氏の刀の振り方についての問いに対し。

 『ときどきは振り上げたりすることもあったが、いざ切るときには、なで斬りでした。(刀の柄の)握りしめはなかったと思う。斬る意思はあっても、重傷を負わせるつもりではなかった。後遺症の残るものもいるが、あれだけで済んだのは斬り方に気をつけたためだろう』

 三島由氏は、自衛官と詰めかけたマスコミ陣に向け30分間演説することを要求してそれを認めさせた後、バルコニーで憲法改正のための自衛隊決起(クーデター)を促す演説をしました。

 三島氏が最期の演説を行った後、正座をして皇居を向いて「天皇陛下万歳」を三唱したバルコニーです。





 事件現場(陸上自衛隊東部方面総監の執務室)と、極東軍事裁判が行われた大講堂跡。皇居と、靖国神社、国会の位置関係はこうなっています。





 拡声器をもちこまず、肉声での演説は、野次や怒号、報道ヘリコプターの音にかき消されます。

 決起の呼びかけに応じる自衛隊がいないことを確認した三島氏は、わずか7分で演説を切り上げました。

 総監室に戻った三島氏は、自身の腹に短刀を突き立て自決しました。

 検察側の冒頭陳述によると【前掲書P79】

※  ※  ※

 午後零時十分ころ三島は総監に対し「こうするより仕方がなかったのです」といって制服を脱ぎ、正座して短刀を両手に持ち、気合いを入れて左脇腹に突き刺し、割腹した。

 このとき、正座したままの三島の左後方に日本刀を持って立った森田が、三島の頸部に斬りつけたが介しゃくを果たさなかったので、被告人小賀、同古賀は、「森田さんもう一太刀」と声をかけ、森田がさらに二大刀、ついで被告人古賀が一太刀切りつけて介しゃくし終わった。

 この結果、即時三島を頸部切断により死亡させた。

 この間、被告人小川は、割腹、介しゃくが自衛隊員らに妨害されないよう正面入り口付近で見張りをしていた。

 次に、森田は、制服を脱ぎ、正座した。森田は、被告人小川が介しゃくする手はずになっていたが、被告人小川は、右のように見張りをしていたところから、「小賀頼む」といった。

 しかし、被告人小賀は、総監を監視していたため、森田の介しゃくを被告人古賀に依頼した。同被告人は、被告人小賀から日本刀を受け取り、森田の左後方に立ち、森田が担当を腹にあてて割腹し、正座したまま「よし」と合図するや、一太刀で介しゃくを遂げた。 

 この結果、即時森田を頸部切断により死亡させた。

 被告人三名は、三島、森田の介しゃくを終えて両死体をあお向けに直して制服をかけ、両名の首を並べて合掌した。

 そのあと、総監を縛ったロープを解き、総監も、両名の首に向かって瞑目合掌した。

 次いで、被告人三名は、総監室前に総監を連れて出て、日本刀を自衛官に渡し、午後零時二十分警察官に逮捕された。

※  ※  ※

 三島由紀夫事件を報じた朝日新聞号外【週刊昭和 NO.4 昭和45年 1970大阪万博/三島由紀夫自決/公害列島 朝日新聞出版より】。





 新聞記事の写真はここを写したものです。





 上の記事の写真左側と文章の間に不自然な空白がありますが、最初この空白部分の写真に三島由紀夫氏と森田必勝氏の首と思われる陰影が写り込んでいて、その後朝日新聞はその部分をカットしたのです。
【前掲書より】





 赤く表示した『写真がカットされた部分』の下側。つまり、先ほどの刀傷のあったドアの前の赤い絨毯の上の部分に切腹し介錯された二人の首と思われるものが並んでいました。

 例えば、前掲書には、事件当日の朝日新聞の紙面が載っていますが。





 事件現場の記事【こっちは『号外』でなく『夕刊』】にはこのように、不自然な空白はなく、丁度二人の思われる陰影が写り込んでいたと思われる部分は別の紙面で隠されています。

 さっきの写真の当該紙面の部分。





 『常軌を逸した行動』という小見出しと写真の間に余白が無いでしょう。

 当日夕刊の早刷りは、写真のカットが施されずに問題の部分がそのまま掲載されていたということです。

 それにしても、メディアって酷いですね。

 江戸時代、一番の極刑は『獄門』でした。遺体を晒し者にするのが一番の重刑だったのです。

 それなのに、朝日新聞は切り落とされた首の写真を紙上に掲載するなんて、この人たちは普段から人権人権と声高に叫ぶくせに、人権を説く以前に、人間として異常です。朝日新聞は今も酷いのですが、自分に逆らう意見の持ち主に対してはどんな酷いことでもするのです。

 ところで、三島由起夫事件の現場は、今なお背筋が寒くなるような雰囲気があるのです。

 三島由紀夫氏の予見した日本の没落は現実となってその姿を現しつつあります。

 もし三島氏が今なお生きていたら、今の日本についてどのような発言をしたのか?私はそれを思わずにいられません。

 ただ、この問いは無益なのですね。仮に、1945年に三島氏が自決しなかったにしても、それ以降、日本のこのていたらくを観るに付け、何回自決しても足りないでしょうから。

 ということで次に続きます。
 次回はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53004853.html





横浜市立金沢動物園のシロテテナガザルさん 【ファイルC235】2012.01.10 

【ファイルC235】2012.01.10 横浜市立金沢動物園のシロテテナガザルさん

沈思黙考のポーズだねえ。

 これもかなり以前の話なのですが、横浜市立金沢動物園にシロテテナガザルさんがいました。

 こんにちは、





 シロテテナガザルさんは、名前の通り、手が白くて長いお猿さんです。

 長い手を利用して、枝から枝へ身軽に移動するのがシロテテナガザルさんなのですが、

 この日のシロテテナガザルさんはとってもアンニュイなのでした。

 木の上で日射しの強い夏の日を物憂げにまったりと過ごしているのでした。





 まあるいお目目が可愛いねえ。

 なんか日射しが首筋に当たってヒリヒリするねえ。





 シロテテナガザルさんは、サル目真猿亜目狭鼻下目ヒト上科テナガザル科テナガザル属シロテテナガザルです。

 学名はHylobates lar、英名White-handed Gibbon, Lar Gibbon。

 シロテテナガザルさんのお住まいは、タイ、ミャンマーからマレー半島、スマトラ北部など、南アジア、東南アジアのジャングルの木の上です。

 体 長50~60cm 前後で、体 重5~6kg 程度。
 
 特徴として、尾はなく、痕跡程度で前足が著しく長いということがあげられます。





 手が長い分、シッポを木に巻き付ける必要がないからかな?

 シロテテナガザルさんはヒト上科ということからも分かるように、類人猿の仲間なのですが、ゴリラやチンパンジーなどの仲間に比べて、体はかなり小ぶりです。

 手のひらは平たく、前足の親指は短くて、ほかの四本は長くなっていて、木の枝につかまったりするのに大変役立っています。

 シロテテナガザルさんは、ほかのテナガザルと同様、ほとんど樹上生活をしています。

 毛色は黒色、黒褐色、黄褐色、茶色などで生息域や固体によって様々なカラーヴァリュエーションがありますが、いずれも顔のまわりと手足の先が白いという特徴が共通しています。

 熱帯林の樹冠部から中層辺りで、雌雄とその子どもたちの家族単位で生活しています。夫一婦のつがいを形成し、このペア関係は生涯持続します。

 ご夫婦仲良しさんなんだねえ。

 シロテテナガザルさんは樹上生活をしているので、ヒョウやウンピョウなどの肉食動物に襲われることは滅多にありません。

 朝夕にはかなり大きな声で鳴きますが、これは示威行動のひとつで、群れのテリトリーを主張していると考えられているそうです。

 シロテテナガザルさんの喉のところには袋があって、これを使って大変大きな鳴き声をだすことができるそうです。

 家族集団は固定した縄張りを持ち、鳴き声で威嚇することで他のテナガザルを自分達の縄張りに寄せ付けません。

 縄張り意識が強いのですね。

 他のテナガザルと同様、妊娠期間は7ヶ月で、通常は1仔産。子どもは約2年間授乳され、およそ8年で性成熟する。野生下での平均寿命は25年といわれているそうです。
 ところが、飼育下では最高44歳まで生きた個体が知られているそうです。

 やはり野生環境の方が厳しいのですね。

 活動は昼間に行い、果実や若葉、昆虫などを主に食べます。

 樹上では、長い腕を使い樹から樹へ腕わたり(ブラキエーション)をします。





 鈎(かぎ)型の手で振り子のようにはずみをつけ、勢いよく枝から枝へ移動することができるんだよ。

 跳躍力にもすぐれていて、ひと跳びで10m程も跳ぶことができます。

 地上に降りることはほとんどありませんが、地上では両腕を広げてバランスをとるようにして歩き、後ろ足だけで起立し四足で歩くことはありません。
 
 また、歩く時にはかなりの速度を出すこともあります。

 元来、テナガザルの仲間は水を嫌うのですが、シロテテナガザルもその例に漏れず、水の中に入るようなことはありません。

 
 幼獣のうちはおとなしいのですが、成獣になるにつれて神経質になるので危険であるとされています。

 神経質と言うことは、沈思黙考する知能があるんだねえ。





 噛まれたら、鋭い犬歯で大きな傷を受ける場合があるから気をつけてね。





 この牙で噛まれたら、さぞかし痛かろうねえ。

 現在、シロテテナガザルさんは種々の脅威にさらされていて、ワシントン条約附属書Iに記載されています。

 例えば、食肉のために狩られたり、子どもをペットとして捕らえるために親が殺されたりしています。

 しかしながら、最大の脅威は、何といっても居住地の喪失なのです。

 生活環境自体が破壊されると、いくら個体を保護しても、生き延びる術がありませんからね。

 プランテーションや畑、人間の居住地創設のために、東南アジアでは森林伐採が猛スピードで進んでいるのです。

 そのため、国立公園や自然保護区も存在しているのですが、監視が行き届いていないのが現状なんだって。


 なんか、以前ご紹介したオランウータンさんと状況が似ていますね。

「【ファイルC215】2011.02.11 多摩動物公園のオランウータンさんは、消防ホースを伝わるよ」はこちら。  
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/51796937.html

 ここの子はのんびりと平和に暮らしています。





 青い空を見上げます。





 最後にご挨拶。





 さようなら元気でね。




大阪曾根崎の曾根崎(そねざき)天神は露天神(つゆのてんじん)だよ(上) 【ファイルT165】2012.01.07 

【ファイルT165】2012.01.07 大阪曾根崎の曾根崎(そねざき)天神は露天神(つゆのてんじん)だよ(上)

近松門左衛門の代表作『曾根崎心中』の舞台だから『お初(はつ)天神』とも呼ばれているねえ。

 大阪市東洋陶磁美術館のご紹介をしましたが、そこから北上して歩いて行くと、さほど遠くない場所に曾根崎天神があります。

 大阪市東洋陶磁美術館の記事はこちら。
 近松門左衛門の代表作『曾根崎心中(そねざきしんじゅう)』の舞台だねえ。





 天神様の南側の表参道(おもてさんどう)です。『露天神(つゆのてんじん)』と表示されていますね。





 これは、菅原道真公が筑紫の太宰府へ流されて行く途中、太融寺(たいゆうじ)に参詣しようとして、ここを通りかかり、このあたり、露が深かったので

 「露と散る涙の袖に朽(く)ちにけり 都のことを思ひいづれば」

 と、「都のことを想うと涙が露のように落ちる」という歌を詠み、それに因んで露天神と名づけられたということです。


 それから、梅雨のころに神社の前の井戸から水が湧き出たためとだという説もあります。

 浪速七名水(なにわしちめいすい) 神泉 露之井





  この解説板を参考に説明すると。

御井社(みいしゃ)・祓戸社(はらえどしゃ)

 御祭神
 
  御井神(みいのかみ)
    古くより露ノ井と称され、人々の暮らしを支え信仰の対象でもありしこの御井に坐す神

  祓戸四柱ノ大神(はらえどよつはしらのおおかみ)
 
    瀬織津比売(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す

    速開都比売(はやあきつひめ) -- 海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む

    気吹戸主(いぶきどぬし) -- 速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・
                     底の国に息吹を放つ

    速佐須良比売(はやさすらひめ) -- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れを
                         さすらって失う

 社殿直下の御井は、往時四天王寺の亀の井・清水寺の井・二つ井戸等と共に「浪速七名水」の一つなりと称され、梅雨時期には清水が井戸縁より湧出せし、という。

 名井「露ノ井」として当社社名の由来の一つともいわれ、周辺地域を始め、社地前旧池田街道を行き通う人々の貴重な清水であった。

 現在では、地下鉄各線や高層ビル群の建設等により、地下水脈が分断され水位が著しく低下している。
 
 ということです。


 また、この神社は曾根崎(そねざき)にあるので、曾根崎天神(そねざきてんじん)ともいいます。

 ギャル曽根ちゃんが行ったら、ギャル曽根崎天神になっちゃうねえ。


 さらに、近松門左衛門が、元禄16年(1703年)4月7日に実際にあった、内本町((うちほんまち)の醤油問屋(しょうゆどんや)平野屋の手代(てだい)徳兵衛(とくびょうえ)と堂島新地天満屋(どうじましんちてんまや)の遊女お初(はつ)の心中事件に材をとって作った『曾根崎(そねざきしんじゅう)』の心中場所だったので、その女主人公の名をとって『お初(はつ)天神』ともいいます。

 一般的には、『徳兵衛(とくびょうえ)』というより、『お初(はつ)・徳兵衛(とくべえ)』って言われますよね。

 この話は、浄瑠璃語りの竹本義太夫(たけもとぎだゆう)演じる舞台で大当たりを取ると、庶民に熱狂的に受け入れられ、心中事件も増加の一途をたどりました。

 この事態を重くみた幕府は、享保7(1722)年に心中禁止令を出して心中物の出版と上演を禁止、心中を「相対死(あいたいじに)」と呼ぶように定めるなどの対策を講じました。

 
 祭神は大己貴大神(おほなむちのおおかみ)、少彦名大神(すくなびこのおおかみ)、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、豊受姫大神(とようけびめのおおかみ)、菅原道真の五柱です。

 社伝によれば

 当社は上古、大阪湾に浮かぶ小島の一つであった現在の地に、「住吉須牟地曽根ノ神(すみよしすむちそねのかみ)」を祀り御鎮座されたと伝えられており、「難波八十島祭(なにわのやそしままつり)」旧跡の一社である。曽根崎(古くは曽根洲と呼ばれた)の地名は、この御神名によるとされている。

 創建年代は定かではないが、「難波八十島祭」が文徳天皇の嘉祥3年(850年)にまで遡ることができ、6世紀の欽明天皇の頃には形が整っていたとされることから、当社の起源もその頃と推察できる。なお、承徳元年(1097年)に描かれた「浪華の古図」には、当社の所在が記されている。

 南北朝期には「曽根洲」も漸次拡大し、地続きの「曽根崎」となった。この頃、北渡辺国分寺の住人・渡辺十郎源契(河原左大臣源融公十一世渡辺二郎源省の末)や渡辺二郎左衛門源薫ら一族が当地に移住し、田畑を拓き農事を始め、当社を鎮守の神とし曽根崎村を起こした。

 以後、明治7年(1894年)の初代大阪駅、明治38年の阪急電鉄梅田駅の開業などとともに地域の発展に拍車がかかり、当社も大阪「キタ」の中心、梅田・曽根崎の総鎮守として崇敬を集めるに至っている。


 ということです。

 天照皇大神を祭神として祀ることから、かつては難波神明社とも呼ばれ、日本七神明(東京芝神明宮、京都松原神明宮、京都東山神明宮、大阪難波神明宮、加賀金沢神明宮、信濃安曇神明宮、出羽湯殿山神明宮)の一つにも挙げられました。
 
 とても由緒のある神社なのですね。

 猿田彦大神((さるたひこのおおかみ)の像がありました。





 立派なお鼻だねえ。

 曾根崎天神は大阪梅田のオフィス街の中にこじんまりと立っています。





 周囲の環境は、札幌時計台に似ています。

 引退した、島田紳助さんが、『大阪といっても大阪キタ、特に梅田は東京資本の植民地だから大阪ではない』と言っていましたが、梅田は確かにそんなところがありますね。

 梅田は商都の中心船場から外れた場所に大阪駅が出来てから新しく作られたオフィス街なので、『大阪』という雰囲気とはちょっと違います。

 明治時代ですら、梅田駅(JR大阪駅)や曽根崎はこんな感じだったのです。





 【彩色絵はがき・古地図から眺める 大阪今昔散歩 原島広至 中経出版P86より】

 『梅田ステンシヨウ』の右下にピンク色で着彩されているのが、露天神。

 そもそも、駅なんて、へんぴなところに建てられたのです。

 大阪駅は当初、堂島に建設される予定だったのですが、住民から火の車が町中を走ると火事になると反対され、周囲に何もない梅田(埋田)に建設されました。

 江戸時代の曾根崎はどんなだったのでしょう?

 上方風俗 『大阪の名所図会(めいしょずえ)を読む 宗政五十緒 編/東京堂出版』P24より、図と解説文を引用しますね。

 ※  ※  ※





 画賛の和歌「露とてもあだにやはみる長月(ながつき)の 菊の千(ち)とせを過ぐと思へば」は、露だといってもいいかげんに考えてはいけませんよ、ということでこの歌を掲げているのです。

 境内地はもと五百七十坪ありました。拝殿は南面しています。その北側に本殿(本社)があります。

 絵では本殿の左手に観音堂があります。

 社殿の後ろの林は梅林。西側と北側に小川が流れています。西側、絵では下(しも)手は曽根崎村で、その北側は北野村。お初・徳兵衛は、堂島新地からこの天神の森に辿り着き、七(なな)つ(午前四時頃)の鐘になごりを惜しみながら心中したのです。

 『曽根崎心中』のこの部分は、道行文(みちゆきぶん)として有名です。

 露天神は曽根崎村の産土神(うぶすながみ)です。例祭(れいさい)日は、当時は九月二十日。近くには、堂島新地(どうじましんち)や北の新地(曽根崎新地)がありました。

 ※  ※  ※

  江戸時代の曾根崎天神は田んぼの真ん中にぽつんと立っていたのですね。

 こんな広い境内で寂しい場所だったから落ち着いて心中でもしようかという気になるのでしょうが、繁華街になった今の曾根崎で心中は、とてもじゃないけれど無理です。

 4月中旬だったので、八重桜(?)が咲いていました。





 本社前の写真向かって左側の緑のかたまりが右近の橘(うこんのたちばな)です。





 写真向かって左側の細い木が、左近の桜(さこんのさくら)です。





 本社にお詣りしました。





 ということで、(下)に続きますね。
 (下)はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52983981.html






スティーブン・タイラーさんを巡るそっくりさんたち 【ファイルSO02】2012.01.03 

【ファイルSO02】2012.01.03 スティーブン・タイラーさんを巡るそっくりさんたち

偉大なアーティストなのに、気さくな人だったねえ。

 お正月はゆっくりテレビでお笑い番組を見ます。

 「笑う門には福来たる」といいますが、年を改めるという垂直で聖なる時間には非日常の芸能を神様に奉納するのは常識なのです。

 『中心と周縁』という著作が有名な文化人類学者の山口昌男さんがそう言っていました。

 だから三河万歳なんかが、門付(かどづ)けに回っていたのですね。

 寄席はお正月が一番のかき入れ時で、吉本興業の社長だった故林正之助(はやししょうのすけ)氏は、「正月は、舞台に蟻を出しても客は入るんや!」と豪語していたそうです。

 ということで、明石家さんまさんと木村拓哉さんのお正月特番『さんタク』(フジテレビ系)のゲストにエアロスミスのスティーブン・タイラーさんが出ていました。

 スティーブン・タイラーさん。





 スティーブン・タイラーさんは、木村拓哉さんが主演した映画の『Space Battleship ヤマト』の 主題歌『LOVE LIVES』を歌っていたので、木村拓哉さんが映画で着ていた古代進服にサインを入れてタイラーさんにプレゼントして大歓迎。

 スティーブン・タイラーさんの『LOVE LIVES』



 うまく観られないときはこちら。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=jHBQedfY7Cw

 映画の『Space Battleship ヤマト』は、大ヒットしたアニメーションの『宇宙戦艦ヤマト』【ただし、初回テレビ放映は視聴率が取れなかったのですぐに打ち切りになり、急いで地球に帰って来ちゃいました】の実写版なのですが、『宇宙戦艦ヤマト』のファンでいろいろ思い入れがある人には、不評だったようです。

 でも、そんなものの無い私は、この映画をとても楽しく見ることができました。

 演出に首をかしげる部分も無くはなかったのですが、VFXも含め、とても良い作品だと思いました。

 『木村拓哉は何をやっても木村拓哉だ。演技が上手くない』と貶す人もいますが、

 それを言うなら、『ジョン・ウェインは何をやってもジョン・ウェインだ』し、『アラン・ドロンは何をやってもアラン・ドロンだ』し『三船敏郎は何をやっても三船敏郎だ』から、大スターとして、それは勲章なのです。

 スターは格好良くて、存在が輝けばいいのです。

 以前、料理番組の『ビストロ・スマップ』に来日したアラン・ドロン氏がゲストに出演していましたが、永遠の二枚目俳優アラン・ドロン氏は木村拓哉さんにこう語っていました。

 「君はアクターだね。そう私もアクターだ。

 例えば、私の友人のリノ・ヴァンチェラはコメディアンなんだ。彼は抜群の演技力で人を魅了する。私はそういうタイプではない。自分の個性で人を惹きつけるのが仕事だ」

 つまり、リノ・ヴァンチェラのような演技派俳優は、フランスではコメディアンと呼ばれ【日本のような『お笑い芸人』を意味せず】アラン・ドロンはそういう所では勝負していないのですね。

 木村拓哉さんは、その言葉に大きく頷いていました。

 頭が良いねえ。

 大体、日本のフランス映画ファンはスノッブ(知的俗物)な人間が多いので、訳知り顔で、「フランスではアラン・ドロンよりもリノ・ヴァンチェラの方が人気がある」って言いますけどね。そもそも俳優の種類が違うんですよ。

 黒澤明監督の映画でも、志村喬さんや加藤大介さんのような演技派だけでなく、三船敏郎さんというスターがいるから面白いのです。

 黒澤明監督が師と仰ぐ、ジョン・フォード監督の不朽の傑作『駅馬車』でも、飲んだくれ医者を演じたトーマス・ミッチェルの演技の巧さは息を呑むほどだったのですけれど(この演技でトーマス・ミッチェルはアカデミー助演男優賞を受賞)、ジョン・ウェインのまばゆいばかりの存在感があってこそ、この演技が映(は)えるのです。


 それにしても、『宇宙戦艦ヤマト』以降、ハリウッドでも自己犠牲をテーマにしたSF映画が増えてきているように思えます。
 
 というより、露骨に『宇宙戦艦ヤマト』の影響を受けているはずです。

 彼等は、アメリカ人に刃向かった勇敢なインディアンの戦士や、日本兵の特攻に恐怖を覚え、『狂気がそうさせている』と切り捨てたのですが、アメリカ白人自身の自己犠牲に対しては、彼等は敬意を払うのでした。二枚舌だねえ。

 当たり前です。

 古今東西に亘って、私心を捨て、公のために自分の命を犠牲にする行為は、一番英雄的な行為だからです。

 こういうことを言うと、『軍国主義』だとか『軍靴の足音が聞こえてくる』とか言い出す左翼だって、ドイツの革命で犠牲になったローザ・ルクセンブルグ女史や、60年安保で犠牲(デモ隊の将棋倒しによる圧死)になった東大の女子大生、樺 美智子(かんばみちこ)さんは英雄だったでしょ?

 70年安保を控えた69年に大ヒットした新谷のり子さんの『フランシーヌの場合』は、3月30日の日曜日の朝、ベトナム戦争やナイジェリア内戦に抗議してパリで焼身自殺を図ったフランシーヌ・ルコント女史を英雄扱いした歌でしょ?



 うまく観られないときはこちら。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=6xiywg7pmqc


 意味もなく挟まるフランス人おじさんのフランス語のナレーションと、歌が、「いかにも!」って感じで恥ずかしいし。

 それにしても、こんな覆面ヘルメットの過激派学生が配るプロパンダ用のアジビラみたいな歌が大ヒットするなんて、この頃がいかに異常な時代だったかって分かりますね。

 この連中、ゲバ学生に殺されたおまわりさんには、ひとかけらの同情もないんだ。

 1971年(昭和46年)12月18日、お歳暮に擬装された爆弾で虐殺された土田國保警務部長夫人や、重傷を負った当時13歳だった四男さんは見殺しなんだね。

 オウム事件と当時のゲバ学生の遣り口の類似については、多くの識者が指摘するところです。

 私もオウムは全共闘世代のエピゴーネンだと思っています。

 実際に、オウム事件で狙撃された國松孝次警察庁長官は、東大紛争の最前線の警視庁本富士警察署長時代、危うくゲバ学生に爆殺されかけたんですよ。

 団塊の世代は、ちゃんと『総括』しなよ!

 当時の極左暴力学生だった東大の仙谷由人や東京工業大学の菅直人は、「神田をカルチェ・ラタンに!」とか言っていたのですね。

 だったら、昨年、チベット大弾圧に抗議して焼身自殺した若い尼僧をモデルにした曲を書いて、AKB48に歌わせなよ!

 そういう歌なら私も応援するよ。

 この人たちにとっては、中華人民共和国共産党の人民虐殺は正義のための綺麗な虐殺。旧ソ連や中華人民共和国共産党が日本に向けた核兵器は正義のための綺麗な核なんですよ。

 それで、左翼の宣伝用の犠牲者はことごとく女性なんですよね。

 左翼は、女子供が権力によって殺さたということを言い立てて、大宣伝するのですね。


 それで、スティーブン・タイラーさんの映画の主題歌と言えば、『アルマゲドン』ですよね。

 

 うまく観られないときはこちら。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=X__gY58i8f4

 崇高な自己犠牲を歌い上げたこの映画のスティーブン・タイラーさんを『Space Battleship ヤマト』に起用した制作者の意図が良く理解できます。


 お正月の番組では、スティーブン・タイラーさんも大喜びで、木村拓哉さんと、『太鼓の達人』のゲームをやっていました。

 フォークダンスの『オクラホマ・ミキサー』の音楽にあわせて明石家さんまさんが踊り出し、ご機嫌で太鼓を叩くスティーブン・タイラーさんを見て、木村拓哉さんが『スティーブン・タイラーさんのこんな姿は見たくなかった』と嘆いていました。

 明石家さんまさんは、娘さんのIMALU(イマル)さんとロックバンド175R(イナゴライダー)のボーカルSHOGOさんとの熱愛発覚報道について、「娘がミュージシャンと結婚するかも知れないのですが、どう思いますか?」とスティーブン・タイラーさんに相談して、

 あっさりと「それはやっかいだね」って答えられて、落ち込んでいました。うへえ!


 それはともかく、陽気にはしゃぐスティーブン・タイラーさんを見て、私は「宜保愛子さんに似ているなあ!」と思いました。





 スティーブン・タイラーさんも、宜保愛子さんも、異界の妖気が漂っています。

 それで、宜保愛子さんを見て連想するのが、吉本新喜劇の看板役者だった岡八郎さん。





 『奥目(オクメ:目が窪んだ)のはっちゃん』と呼ばれた偉大な喜劇役者です。

 弟子には、オール巨人さんや岡けんた・ゆうたさんがいます。

 『奥目』と言えば、もう一人、女流漫才の海原お浜・小浜のお浜師匠。

 写真向かって右の背の高い方がお浜師匠です。





 このコンビの掛け合いの間の取り方は、名人の域に達していますね。



 うまく観られないときはこちら。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=i0w2wAwuZDw


 お二人は姉妹ではなく、お浜さんが叔母で小浜さんが姪の関係です。

 向かって左の小太りの小浜師匠の実の孫に、

 漫才師の海原やすよ・ともこ(姉妹)さんがいます。





 写真向かって左の海原やすよさん(妹)はツッコミ担当ですが、おばあちゃんにそっくりですね。

 海原やすよ・ともこさんは今の時点でさえ、とても上手な漫才をしますが、まだまだおばあちゃんたちの域まで伸びシロがあるはずです。

海原やすよさんに似ているのが、女優の川上麻衣子さん





 ということで、スティーブン・タイラーさんから川上麻衣子さんまで流れ着いてきました。


新年明けましておめでとうございます。【ファイルG79】 2012.01.01 

【ファイルG79】 2012.01.01 新年明けましておめでとうございます。

今年は辰年だね

 新年明けましておめでとうございます。

 お本年もよろしくお願いいたします。

 今年は辰年。

 ということでタツノオトシゴさんがご挨拶。




  
 沖縄美ら海水族館のタツノオトシゴ(再掲)

 昇り龍の様に、皆さんもますますご多幸でお暮らしいただきますよう、心から祈念いたします。

 それにしても、沖縄は暖かかろうねえ。

 昨年は、大変な年でした。東日本大震災や和歌山の水害をはじめ、各地で災害が起きました。

 また、福島の原発事故もこれからの日本のエネルギー政策や、自然環境についての再考を促す大きな事件でした。


 しかし、今年はもっと大変な年になりそうです。

 2012年は各国の指導者が交代します。

 本来なら今年権力の委譲が行われるはずだった朝鮮民主主義人民共和国の指導者、金正日氏が昨年末に死去しました。

 この北朝鮮の予期せぬフライングは現在の不安定な世界情勢を不吉に象徴しています。

 今年は、このことも含め、台湾の総選挙を皮切りに韓国大統領選、そして中華人民共和国は胡錦濤(こきんとう)体制から習金平(しゅうきんぺい)体制に移行します。

 日本でも迷走を続ける民主党政権が続くわけが無く、6月の解散総選挙が噂されています。

 欧米に目を転じてみても、アメリカの大統領選、フランス大統領選、ロシアではすんなりプーチンが復帰するかどうか、雲行きが怪しくなっています。
 

 経済も大変なことになりそうです。

 まず大きいのが、昨年不動産価格が下落しはじめ、すでにその兆候がみられている中華人民共和国で、今年は本格的なバブル崩壊が始まりそうなことです。

 物価、それも食料品のそれが急騰し、共産党は金融引き締めで対応していますが、新幹線事故や工場からの有害物質タレ流しによる公害の発生等等で党に対する国民の不満が鬱積し、暴動・デモが多発しています。

 中華人民共和国の驚異的な経済成長は、基本的に日本から部品を輸入し、環境対策を度外視して公害をまき散らし、国民の超低賃金奴隷労働で低廉な製品を作り、それを住宅バブルで沸き立つアメリカに売りつけることで成り立っていました。

 アメリカが深刻な不況である以上、バブルは早晩崩壊します。

 バブルが崩壊すれば、中華人民共和国は国家崩壊・分裂の道を進んでいくでしょう。

 国民(マルクス史観によると、将来的に地球上から国家が消滅することになっているので人民と呼びますが)が低所得の中華人民共和国では、内需の延びは見込めず、仮に国民の所得を上げることができたとしても(どうやって?)、価格の上昇した中華人民共和国の製品は国際競争力を失いますし、所得の上がった国民には強烈な自由への渇望と権利意識が芽生えます。

 そうなっても今のような思想統制がきかなくなって、やはり国家は解体してしまいます。

 つまり中華人民共和国はどっちに転んでも崩壊から免れる術がないのです。
 
 それで現在、彼の地のエリートは、続々海外に移住しているのです。

 現在、中華人民共和国が継承している歴代支那政権は、統治権力が倒れる度に数千万人規模の死者を出してきた国です。

 近くは蒋介石の国民党中華民国が打倒された1949年の共産党国家の誕生時。
 
 毛沢東のもと行われた文化大革命、大躍進で数千万人の命が失われました。

 これは人類史上最大の殺戮としてギネスブックに掲載されています。

 来るべき国家崩壊により、大混乱が起き、それによる騒擾だけでも多くの人命が失われるでしょう。

 日本国政府は在留邦人保護のため、早急に本国に呼び戻さなければならないのですが、いまだに、中華人民共和国への日本企業進出を後押ししているのですから、どうしようもありません。

 先日もテレビ東京(日経新聞系列)制作の番組をみていたら、「中国経済の成長は鈍るが崩壊せずに軟着陸する」と、根拠のない楽観論を主張し日本企業の中華人民共和国進出を推奨していました。

 卑劣と馬鹿につける薬はありません。

 アメリカの経済もリーマンショックの後遺症が酷く、昨年のウォール街の格差抗議デモに象徴されるように失業者があふれ、さらにニューヨークウォール街どころではない地方では銀行が多数倒産し、危機的な状態にあります。

 アメリカ経済は今年二番底を迎えるでしょう。

 今のアメリカは金融サービスで儲けているだけで、産業は完全に空洞化しています。

 例えば、アメリカのホームドラマ『奥さまは魔女』に出てきたサマンサさんちは、広告代理店にお勤めのダーリンの稼ぎで家電があふれていて、戦後日本人の羨望を誘いましたが、あの家電はGE(ゼネラルエレクトリック社)の製品でした。

 GEの家電は日本進出に失敗したどころか(日本人にかろうじて知られているのはゼネラルエアコンぐらいか?)、逆にアメリカで日本のソニー、パナソニック等に駆逐され、重電部門でも、福島第1原発のGE社製「マークI型」原子炉が事故を起こしてさらに信用を失いました。

 昨年アップル社のスティーブ・ジョブズ氏の死去が、『英雄の死』として報じられましたが、実質的に海外で製品を作っているアップル社がいくら儲けようが、アメリカでの雇用には結びつきません。

 現在のアメリカは崩壊したソ連のようにいくつかの国に分裂するのではないかという人さえいるのです。
 

 ヨーロッパでもP I I G S(ピッグス)といってアイルランドにつづいてギリシャ、イタリア危機が起き、さらにポルトガル、スペインといった経済危機の大物が控えています。

 フランスもイギリスも安閑と出来ませんし、ユーロを支えると言われている経済の優等生ドイツですら、昨年発行した国債が売れ残るといういわゆる『札割れ』を起こしています。

 ドイツはユーロから離脱しマルクに戻らない限り、景気回復は不可能だと思います。

 お隣の韓国は外貨準備が底をつき、黒字倒産寸前で、日本と中華人民共和国から通貨スワップの支援を受けることで生き延びている状態です。

 現在の韓国で景気の良いのは、現代、LG、サムソンといった独占企業の一部エリートだけで、勤労者の平均賃金は、その時給でビッグマック一個も買えない状態なのです。

 韓国はインフレ+失業の悪性スタグフレーションに陥っているのです。


 私はインカの予言のように2012年に地球が滅亡するとは思いませんが、世界が大変なことになるであろうことは、ほぼ間違いなさそうです。

 
 日本の経済もとても厳しい状態ですが、このように世界をざっとみわたせば、日本が世界で一番マシな国なのです。

 こうみえて、今にしてなお日本は世界で一番恵まれた国なのです。

 東日本大震災の時の罹災地の皆さんの我慢強い理性的な姿を見れば困難に立ち向かう時にこそ、日本人が真価を表すということがよく分かります。

 中華人民共和国の四川大地震や、アメリカの台風カトリーヌの混乱と全く違いましたよね。

 日本人がこのような国民性を持つ限り、私は悲観的になっても、絶望はしません。

 日本経済新聞をはじめとした日本のメディアは外国の良いところをパッチワークよろしく切り貼りして「日本は○○を見習え」と説教を垂れますが、あれを鵜呑みにしてはいけません。

 日本のメディアは日本を破滅に誘い込むためのハーメルンの笛吹き男なのです、


 今の日本政府、メディアは、やれTPPだグローバル化だと狂気の勘違いをしていますが、世界的な大不況になると、出てくるのは保護主義です。

 1929年の世界大不況は、結局第二次世界大戦を招来することで、やっと解決しました。

 最後にやってくるのは戦争なのです。
 
 しかしながら、核抑止力によって、戦時国際法による秩序ある総力戦が禁じられている以上、銃口が国民に向くような、全面戦争以上に酷い混乱が、世界的に生じるのではないかと私は危惧しています。

 
 私はこのアトモス部屋を開設するにあたり、政治経済の話題は極力避けようと思っていました。

 現在は、それが許される状況では無いと思っています。

 スジャータちゃんの出番は当分来そうもありません。

 こうなった大きなきっかけは、北京オリンピック前夜の中華人民共和国共産党によるチベット大弾圧です。

 私は全世界が北京オリンピックをボイコットすべきだったと思っています。

 ベルリンオリンピックがナチズムを正当化したというなら、

 ソ連のアフガニスタン侵攻でモスクワオリンピックを西側諸国がボイコットしたのなら、

 中華人民共和国のチベット弾圧は、ボイコットに足る残虐非道さだったのは明白で、今に至っても僧侶による抗議の焼身自殺は続いているというのに。

 僧侶が自らの命を殺生するのは、仏教の戒律を破るということですよ。

 そこまでして中華人民共和国の非道さを訴えざるをえないという事実を私たちは重く受け止めるべきです。

 結局北京オリンピックは開催され、この時私は個人的に北京オリンピックをボイコットして一切オリンピックのテレビ視聴をしませんでした。

 今年は世界が北京オリンピック開催のつけを払わされる年になりそうです。

 また、今年はロンドンオリンピックが開催される(されるとしたら?)ので、私にとっては8年ぶりの夏季オリンピックです。


 年頭のご挨拶としては、とても悲観的なものになりましたが、それが杞憂となるように私は心から願っています。




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