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大阪府立図書館に行ってきたよ(その2) 【ファイルT175】2012.05.29 

【ファイルT175】2012.05.29 大阪府立図書館に行ってきたよ(その2)

中央ホールの吹き抜けが美しいねえ。

 前回の続きです。


 今回はいよいよ館内に入ります。

 大阪府立図書館の入り口受付で係の女性に、中の写真が撮りたい旨お願いしたらば、簡単な撮影許可の手続きをしてくださいと言われました。

 その前に、入館証(ロッカー・傘立ての鍵つき)を受け取り、持っているカバン類は、図書館所蔵の本を勝手に入れて持ち出せないように、無料ロッカーに預けます。

 蔵書の盗難が多いからねえ。

 それで、館内の個人的な撮影がしたければ、2階の『図書館協力室』で簡単な撮影許可申し入れ書類に記入して、撮影許可のプレートを受け取り、服の目立つ所に付ければ即刻撮影OK。

 報道機関の取材なら、事前に申し入れた方が良かろうねえ。

 くれぐれも利用者の邪魔にならないようにね。って念押しされました。

 あったりマエダのクラッカーだねえ。

 それにしても図書館の人たちの応対がとても親切で、丁寧で気持ちがよかったのです。

 警備の人も、いろいろ説明くださったり、「こちらもご覧ください」って案内していただいたり、大サービスだったよ。

 さすがは大阪府民の誇るべき施設に相応しい対応だねえ。

 中は暗く、三脚も使用できないので手ぶれ補正+高感度撮影を行います。

 内部空間はバロック様式を基本としたデザインです。

 とっても立派な玄関ホール。





 天井のドームのアップ。





 ドームの模様です。













 室内はとても暗いのです。

 今なら外光を取り入れるように設計されているのでしょうが、この時代はそこまで出来なくて、電灯の灯りで照明してあります。と警備の方が教えてくださいました。


 中央ホールギャラリー上部のフリーズ(中間帯)には、本館を新しい八聖殿になぞらえて、階段正面上から右回りに菅原道真、孔子、ソクラテス、アリストテレス、シェイクスピア、カント、ゲーテ、ダーウィンの八哲の名を記した銘板が設置してあります。

 写真の上部に長方形の銘板が二つ見えていますね。





 日本を代表する哲人が天神様の菅原道真公というところが、さすがは学問の神様なのです。


 図書館内部に入って、中央ホール正面には、この図書館の寄付者、住友家15代吉左衛門氏による巨大な銅板『建館寄付記』が掲げてあります。





 正面の壁なので、上部のフリーズに『菅公(菅原道真公)』の銘板が見えていますね。

※   ※   ※

【建館寄付記(大銅板額)】

撰重野安繹 氏
書岡本隆徳 氏
鋳造東京美術学校(現 東京芸術大学)

■ 書き下し文

「我が大阪は関西の雄府にして、人口百万、財豊かに物殷(さか)んにして、諸学競い興る。而かるに図書館の設独り焉(これ)を闕(か)く。

是に於いて、府庁、建館の議有り。某、自から揣(はか)らず、図書館一宇曁び図書財本若干資を献じ、もって微力を効さんことを請う。

議して之を納れ、明治三十三年十一月に起工し、三十七年一月に至って成れり。

夫れ、宇内の交通、五州の貿易経済の術は、商工より急なるは莫し。

而かして大阪は商工の淵藪と称す。斯の館に入る者は、仰いで国家の盛運を思い、俯して我が府の富源を察し、之を培い、之を養い、諸学理に参じ、益功を将来に収めよ。

庶幾くは、府庁建館の議に負かず、某も亦余栄有るに与(あずか)らんことを。従五位住友吉左衛門識す。」

※   ※   ※

 大阪府は人口も多く、色々な物が揃っていて学問も盛んだが、図書館だけが無いから図書館の建物と図書購入の基金を寄付して微力をつくしたいという趣旨ですね。

 第15代住友吉左衛門氏さんは、図書館の重要性をよく分かっていたのですね。

 なんか最近図書館を統廃合して、文化予算を削りまくって、文化とあまり関係ない大衆受けを狙って人気取りをする府知事・市長がいましたね。

※   ※   ※

 また、『建館寄付記』の下には、第15代住友吉左衛門氏による『増築寄付記』も嵌め込まれています。





※   ※   ※

【増築寄付記】


撰永山近彰 氏
書杉山令吉 氏
鋳造東京美術学校(現 東京芸術大学)

■ 書き下し文
「?代(日の下に郷の字:さき)に、某、本館曁(およ)び図書財本を本府に納め、聊(いささ)か効を報ぜり。其の端末は銅に記して上に扁(かか)ぐる如し。事は二十?偬(ねん)前に在り。

今や奎運旺(けいうんさか)んにして、教化行わる。入館の士子咽を填め、設備窄狭を告ぐ。本府の慶為らざるべけんや。

是に於いて、府庁の允許を得、館の左右各おの新館一宇を増築し、規制を恢張す。工は大正十年一月に興し、翌年十月に訖りて竣す。

今よりして後、士子閲覧に便にして、精研洞究、昭代休明の化を黼黻(ふふつ)するは、独り某の素願に?渉(かな)うのみに非ずして、其の本府を?月し、国家を益すること、盖し浅鮮ならざるもの有らん。

夫れ、府庁建館の議の若きは前に記備われり。茲(ここ)に之に及ばずという。従四位勲二等男爵住友吉左衛門識す。」

※   ※   ※

 中央ホールの左右の壁面には、彫刻が2つ立っています。

 どちらも銅製のギリシア風半裸の青年像です。

 むかって左側の『文神像』は広げた書物にを落とし、『知性』を表現しています。





 右側の引き締まった表情で前方を注視しているのが『野神像』で、『野生』を表現しています。
 




 つまりは、「野生なんだぜえ。ワイルドだろお?」のスギちゃん像なのですね。

 人間は、『知性』だけではなく『野生』も必要なんですね。

 この彫刻が設置されたのは、おそらく大正11年の左右両翼の増築の時で、作者は『長崎平和祈念男性裸像』で知られる北村西望氏だということです。


 正面階段の手すりです。





 手すりの照明もお洒落です。





 正面階段が広くてとっても綺麗。





 観る角度によって、不思議な景色が展開していきます。



 

 木材で螺旋状の階段の裏のカーブを表現しているところが匠の技ですね。 





 カタツムリさんみたいだねえ。





 ということで、今回は国の重要文化財指定の大阪府立図書館の美しい内部でした。

 訪れる機会があったらば、是非中も覗いて下さいね。

 ということで次に続きますね。








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平将門の首塚は魔都東京一のパワースポット(中) 【ファイルET64】2012.05.25 

【ファイルET64】2012.05.25 平将門の首塚は魔都東京一のパワースポット(中)

将門さんは江戸の守護神になったんだねえ。

(上)からの続きです。
(上)の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53268939.html

 まず平将門(たいらのまさかど)さんの首塚の写真(再掲)から。





 将門さんの肖像画。





 馬上で戦う獅子奮迅(ししふんじん)の活躍の将門さん。





 鬼の形相だねえ。

 京都で晒(さら)された将門さんの首





 首だけになっても、いたって元気もりもり、意気軒昂(いきけんこう)です。

 こんな首が江戸まで飛んでくるなんて、恐ろしいねえ。

 武芸に優れているばかりでなく、その壮絶な死によって、不遇をかこつ東国の人達の英雄となった将門さんは、その壮絶で悲劇的な死とも相まって、その関東を中心に時代を超えた伝説として後世の人々に語り継がれることになります。

 そりゃそうでしょう。首と胴体が生き別れになっても戦意を喪失しない不死身なのですから。

 その影響の大きさから、平将門の乱をもって、武士が発生したと評価する人もいるそうです。

 嘉元年間(14世紀初頭)に疫病が流行し、これは将門さんの祟(たた)りだという噂が巷間に広がりました。

 それで祟りを鎮めるために、時宗(じしゅう)の遊行僧(ゆぎょうそう)の他阿真教上人(たあしんきょうしょうにん)によって将門さんは神として祀られ、延慶2年(1309年)には神田明神に合祀されることとなりました。

 その後、神田明神は戦国時代に江戸城を築城した太田道灌や北条氏綱(ほうじょううじつな)等の東国武将が武運祈願を行うところとなり、ついには関ヶ原の戦いに際して徳川家康が戦勝祈祷を行うなど、関東武士の大きな崇敬を集めることになります。

 将門さんは関東武士のヒーローだったんだねえ。

このようなことから、ついには江戸時代になって徳川幕府により、平将門さんを祀る神田明神が『江戸総鎮守』として重視されることになりました。


 つまり将門さんは江戸を守護する神様に祀りあげられたのですね。

 この圧倒的な信仰を背景に、朝敵とされていたはずの将門さんは、江戸幕府三代将軍徳川家光の時代に、勅使(ちょくし)として江戸に下向した折に幕府より将門の事績について聞かされた大納言烏丸光広(だいなごんからすまみつひろ)が「将門は朝敵に非ず」との奏上(そうじょう)をしたため名誉回復を果たしました。

 そういう将門さんを祀る神田明神は、幕府の守護のため江戸城の鬼門(東北)にあたる現在地に遷座(せんざ)されました。

 そして、この首塚も江戸城の鬼門に建っていますね。

 江戸城と神田明神、首塚の位置関係。





 ところが明治維新後は、政府により将門さんが朝廷に反逆した朝敵であることが再び蒸し返され、逆賊として扱われます。

 にっくき江戸徳川家が守護神として崇敬する人物ですからね。

 そして明治7年(1874年)に明治天皇が行幸するにあたって、『陛下が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこと』とされて、教部省の指示によって平将門が祭神から外され、代わりに少彦名命が茨城県の大洗磯前神社(おおあらい いそさき じんじゃ)から勧請(かんじょう)されました。

 その時、江戸っ子、特に神田明神の氏子(うじこ)さんたちの怒ったこと!

 神田明神は神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108町会の総氏神(そううじがみ)で、余所者の田舎者が集まった明治政府が勝手に江戸っ子の誇りの将門さんを祭神から外すなんて、それこそ神を恐れぬ不届きなことです。

 その抗議は拡大し、宮司を辞めさせるなどの騒ぎに発展し、困り果てた神社は、将門さんの神霊を境内摂社に別宮の『将門神社』として遷座しました。

 ところが将門さんは大東亜戦争敗戦後に皇室を否定し、廃絶しようとする左翼勢力によって『朝廷に刃向かい、新皇に即位して新たな時代を切り開いた英雄』と祀り上げられ、再評価されることが多くなりました。

 そして、昭和51(1976)年には将門を主人公とした反日・反皇室放送局のNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』が放映されるに及んで、将門の祭神復帰への機運が高まり、ついに昭和59(1984)年になって、将門さんは本社祭神に復帰し、神田明神に合祀されることになったのです。

 反日・反皇室放送局のNHKは、現在も反日が国是の朝鮮人を喜ばすために『韓流ブーム』を捏造(ねつぞう)し、大河ドラマ『平清盛』で清盛のことを執拗に『王家の犬』と呼ばせ、『皇室』を誹謗中傷するという売国行為を行っています。

 聖徳太子以来、日本の天皇家は『皇室』あって、決して『王家』ではありません。

 日本がその支配(柵封:さくほう)から脱した支那の価値観では、秦の始皇帝以来、『皇帝』こそが世界の中心として全世界を統治し、朝鮮の李王朝のような『王家』は辺境の野蛮人の酋長だったのです。

 だから、日本の皇室が『王家』ではなく『皇室』であることが死ぬほど悔しい朝鮮の人達は、日本の天皇陛下のことを『日王』と蔑み、日本を誹謗中傷しているのです。

 こんな連中のために進んで売国をするNHKスタッフは即刻故郷の朝鮮半島へ帰るべきです。

 他方、売国NHKは、史実を全く無視した、荒唐無稽な『ナンチャッテ韓流歴史ドラマ』をタレ流し放映するに当たって、吹き替えで李王朝王宮のことを『朝廷』と呼ばせています。

 『朝廷』とは『天子』の下、官僚組織をともなった政府および政権のことや、『天子』が政治執務を行う場所や建物の事を指します。

 朝鮮半島は『王』はいても『天子』なんていません。

 つまりNHKは、勝手に日本の『天皇=天子』を『王』と格下げし、朝鮮の『王』を『天子』に格上げしているのです。

 この不敬売国『平清盛』は視聴率低迷が続いていて、このままでは“大河史上最低”の人気なんだって。ざまあだねえ。

 そもそも日本を貶めることがアイデンティティーの、こんな異常国家と国交を結んでいるというのは異常なのですけれどね。

 朝鮮半島や支那共産党の手先となって自虐史観で日本人を洗脳しようとしているのが、NHKや朝日新聞を中心としたメディアなのです。

 江戸っ子の働きかけもあったとはいえ、こういう経緯で将門さんの名誉回復がなされたというのは、私としてはちょっと複雑なのですけれど、江戸東京の守護神として平将門さんが祀られているこの首塚や神田明神は、強力なパワースポットとして訪れる値打ちは大だと思います。

 首塚の周辺にはカエルさんが置かれています。





 可愛いねえ。

 これは、将門さんの三女 『五月姫』が父の復讐を果すため祈願し、妖術を得て『滝夜叉』と改名し蝦蟇(ガマガエル)となったという伝承によるものだとか、将門の首が京から飛んで帰ったことから、必ず「帰る(カエル)」にひっかけたものとか言われているそうです。

 蝦蟇といえば、児雷也(じらいや)という古い映画で、どろんどろんと蝦蟇が登場するシーンも出てきますし、四六のガマの油もよく利くそうですから、霊力のあるカエルさんなのかもしれませんね。


 なお『神田明神の氏子(うじこ)は成田山(なりたさん)にお詣りするな』

 と言われているそうです。

 それは、朝廷が叛乱を起し『新皇』を名乗った平将門さんを討伐するため、僧・寛朝を神護寺護摩堂の空海作といわれる不動明王像と供に、現在の成田山【なりたさん:真言宗智山派大本山成田山新勝寺】へ派遣し、乱の鎮圧のため不動護摩の儀式(火渡り荒修行)を行わせ、将門さんを調伏(ちょうぶく:まじないによって人をのろい殺すこと)したからなのです。


 また、将門さんを討伐した藤原秀郷=俵藤太秀郷(たわらとうたひでさと)の子孫である佐野家では、下人までも神田明神に参詣してはならないのは言うまでもなく、社前を通ることさえ禁じているそうです。

 通るとたちまち災いに遭うからです。

 神田祭りの日などはさらに大事(おおごと)で、路上で神輿(みこし)に行き会うといけないので登城することさえ辞し、小川町にあった屋敷前を祭礼の列が通るときには固く両門を閉じ、人の出入りを禁じました。

 見物に出ようものなら必ずケガをするというのです。

 佐野家にはこういう話が伝わっているそうです【「伝説探訪 東京妖怪地図 荒俣宏監修 田中聡著」P34より】。

※  ※  ※

 あるときこの家筋の佐野五右衛門という人が神田織部という旗本の屋敷で酒のもてなしを受けた後、一緒に赤城明神の社地内にある茶屋へ遊びに行くことになった。

 五右衛門が羽織がなくては格好がつかないので貸してほしいと頼むと、それはもっともと、つなぎ馬の紋のついた綿入羽織を貸してくれた。

 つなぎ馬といえば、将門の紋所。じつは神田氏は将門の末裔(まつえい)だったのである。

 茶屋の楼に上がってしばらくは遊女と戯(たわむれ)れていたが、突然五右衛門が全身発熱して滝のような汗をかき真青になって気絶した。医者だ駕籠(かご)だと大騒ぎして、五右衛門の屋敷まで送りとどけた。

 翌朝織部が心配して訪ねると、五右衛門はケロリとしている。前後不覚になるほど辛かったのが、羽織を脱いだらすぐに治ってしまったという。神田明神の祟りを受けたのである。

※  ※  ※

 凄いねえ。

 将門さんの祟りは恐ろしいねえ。

 ということで、(下)に続きますね。

金環日食(日蝕)を観たよ 【ファイルSI 04】 2012.05.21

【ファイルSI 04】2012.05.21金環日食(日蝕)を観たよ

雲があったから心配だったねえ。

 今朝7時台、2012年最大の天文イベント、金環日食(日蝕)を観ることができました。

 金環日食(日蝕)は、月が太陽をかくした『太陽のリング』です。

 金環日食もしくは皆既日食を同じ地点で見られるのは400年に1度といわれ、今回のように金環日食が、京都・大阪・東京を含む日本の広い範囲で見られるのは1080年12月14日以来なんだって。

 白河天皇が天皇位を退いて上皇となり、院政を敷き始めたのが1086年ですから、日本では随分と久しぶりの広域日食なのですね。

 今回の様な金環日食と皆既日食は、どちらも月が太陽を隠す現象です。

 金環日食と皆既日食のどちらになるかは、月と太陽の見かけの大きさによります。

 小さい月から太陽が“はみだす”場合は『金環日食』に,大きい月が太陽を完全に“かくす”場合は『皆既日食』になるのです。

 月と太陽の見かけ上の大きさは,地球との距離によるものです。

 月は地球のまわりを、だ円を描くようにまわっています。

 そのため地球から月までの距離は日によってかわり、私たちが見る月の大きさも約27.6日周期で変化しています。

 今回は地球から遠いので月の見かけの大きさが小さいため,金環日食となったのです。
 

 それで、朝起きたらば、曇っていたので、金環日食が観られるか心配でした。

 今回は日食撮影専用のフィルターも用意したし、日食の時の太陽の高度が低いので、ビルや電線が邪魔しない場所をロケハンしたりしたので、観られなかったら大損です。

 撮影場所に着いて三脚とカメラをセットした時点では空を厚い雲が覆っていて、太陽が見えませんでした。不安が脳裏をよぎります。

 やっと見えた時の写真がこちら。





 あとはひたすら雲がかからないように念じ続けます。

 うへえ、また雲が出てきたよ。





 更に念力を強めるとともに、雲に向かって息をふうふうしました。


 そのお陰で、あと少しで金環日食というところで、雲が切れてくれました。わーい!





 念力が効いたのかな?息ふうふうが効いたのかな?

 もう一息!がんばれ!





 このように、写真右下の光のビーズがつらなったように見える状態を『ベイリー・ビーズ』と呼びます。

 『ベイリー・ビーズ』の拡大写真。





 この『ベイリー・ビーズ』は太陽と月の輪郭が重なる瞬間、月表面の凹凸のすき間から光がもれ、ビーズがつながったように見える現象なのです。

 つまりお月様の山岳地帯の谷間から漏れてきた光なんだねえ。すごいねえ。

 ベイリー・ビーズが現れる時間を厳密に計測することで、正確には分かっていない太陽の直径を知る手がかりになることから、21日は天文学者などが全国22か所で観測プロジェクトを行ったそうです。

?H1>金環日食が完成しました。





 わーい!やったね。

 太陽が完全にかくれない金環日食では,皆既日食で見える『ダイヤモンドリング』(月から太陽が出る瞬間におきる)や『プロミネンス』(太陽から立ちのぼるガス)を見ることはできません。

 それから、皆既日食のように暗くならず、日食メガネやファインダー越しにしか観察することができないので、今ひとつ、日食を体感したという実感には欠けます。


 しかしながら、荘厳な天体ショーであることには変わりありません。

 『ベイリー・ビーズ』も観られたことだし。


 日本は日の本(ひのもと)ですから、お日様の国です。

 天照大神(アマテラスオオミカミ)は太陽神ですし、天照大神は宇宙神である大日如来(だいにちにょらい)と習合していますからね。

 大日如来は別名:毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と呼ばれ、おなじみの奈良の大仏さんも毘盧遮那仏です。

 卑弥呼(ひみこ)様の時代にも日食があったようですし。

 だから日本の信仰の中心=太陽の珍しい現象である金環日食を拝めたのはとても有難いことなのです。

 そういえば、前回大阪ツタンカーメン展で身近に感じたエジプトも、太陽神ラーの信仰があったんだねえ。

 ツタンカーメン王のお父さんの古代エジプト第18王朝アメンホテプ4世(アクエンアテン)さんは、伝統的な太陽神アメンを中心とした多神崇拝を廃止し、古の太陽神アテンの一神崇拝を行ったくらいです。

 お日様は地球上のすべての生命の源ですからね。

 ツタンカーメン展と金環日食を観た以上、きっと御利益があるねえ。

 人間の存在なんて、月と太陽のスケールから観たら本当に小っぽけなものです。


 金環日食が終わって、光の輪っかが途切れます。





 名残惜しいねえ。

 カチューシャみたいな形です。





 この時点で雲の状態はこんな感じでした。





 雲があったのに、金環日食を観ることができてよかったよ!


 それから、

 2012年の天文イベントはこれだけじゃないんだよ!

今回の金環日食の他、今年はさらに6月は金星の日面通過,8月は金星食が観られます。


 6月6日朝7時頃には、太陽の前を金星が通過し、太陽表面を黒い点(金星)が移動するように見える『金星の日面通過』がおきます。

 『金星の日面通過』もとても珍しい現象で、日本どころか全地球上で次に見られるのは2117年。今回を見のがすと100年以上も見られないのです。

 通過のようすを観測すると、地球から金星や太陽までの距離をおおまかに計算できるため、19世紀ごろまで『金星の日面通過』は天文学者の間でも注目の現象だっんだよ。
 
 だから、日食メガネをお持ちの方は、6月6日まで大事にとっておいてね。


 また、8月14日午前3時前後頃には,23年ぶりに金星が月にかくれる『金星食』を観ることができます。
 
  月の縁にかがやく金星が美しい金星食のようすはトルコなどの国旗にもえがかれ(トルコの国旗は三日月と水星の説あり)、これまでも世界中の人々を魅了してきました。


 ということで、今回は神秘的な金環日食でした。









ツタンカーメン展大阪会場に行ってきたよ(下) 【ファイルA17】2012.05.19 

【ファイルA17】2012.05.19 ツタンカーメン展大阪会場に行ってきたよ(下)

金だけでなく、白も青も綺麗だねえ。

 (上)からの続きです。


?H1>有翼スカラベ付き胸飾り。




 ツタンーメン王墓の宝庫で発見された胸飾りのひとつです。

 月の船とそれを支えるスカラベ(聖甲虫)が表されていて船上には月を象徴するホルス神の左眼があり、その両側には日輪を頭上に戴く2匹のコブラが配されています。

 その上には、三日月と満月が乗っており、満月の中には月神トトと王、太陽神ラーが描かれています。

 太陽神を表すスカラベは、ハヤブサの神ホルスの翼と脚を持つ姿で表現され、そのかぎ爪で永遠の象徴「シェンの輪」と上下エジプトを象徴する植物ロータスおよびパピルスを掴んでいます。

 なお、この緑色の美しいスカラベの体は、エジプト西部の砂漠に隕石が落ちて出来た天然ガラス(リビア砂漠ガラス)で作られています。

 スカラベというのは、要はフンコロガシさんです。

 古代エジプトでは、スカラベが動物の糞を丸めて自分の巣に転がす姿を、天空を通って太陽を転がす太陽神ケペリと同一視していました。

 また、ナイル川の氾濫が収まり、肥沃になった土地に、最初に顔を出す習性から、再生、復活の象徴とされています。

 ミイラを作るための墓の中にスカラベを一緒に埋葬することも多かったようです。


?H1>ツタンカーメンの半身像。





 少年王の面影を伝えるこの等身大の彫像は、ツタンカーメンの肖像の中で最も美しいもののひとつとされています。肌は赤茶色、眼と眉は黒く塗られており、体は亜麻布のシャツを表すために淡黄色で彩色されています。

 丈の低い円筒形の冠は金を模した明るい黄色に塗られ、その額には神々や王を守護する聖蛇ウラエウスが付けられています。

 発掘者ハワード・カーターは、この腕のない像を、王の衣装掛けあるいは衣服の仕立て用のマネキンと考えましたが、王が来世で永遠の生命を獲得した魂「アク」であることを示す儀式用の彫像であった可能性もあるそうです。


下エジプト王の冠を被ったツタンカーメン王






 現在のカイロ南部からアスワンあたりまで(南部)が上エジプトで、カイロ以北のナイルデルタ(北)が下エジプトです。

 木造金箔張りの像は王権の象徴である殻竿と杖を手に持ち、サンダルを履いています。

 像にはツタンカーメンの名が刻まれていますが、アマルナ時代風の特徴的な体型から、ツタンカーメンの父アクエンアテンではないか、またはその晩年の共同統治者スメンクカラー王のための彫像だったのではないか、あるいは、これらの像がネフェルティティ王妃のものであった可能性もあると考えられています。

 ツタンカーメン王は上下両エジプトの王を兼ねていたので、上エジプト王の冠を被ったツタンカーメン王の像も並べて展示されていたよ。


ライオン飾りのついた化粧容器。






 たてがみのない雌ライオンさんだねえ。

 普段オスは昼寝ばかりしていて、実際にハンティングをするのは主に雌ライオンさんだから、エジプトの人は雌ライオンさんを神格化しているのかな?

 これは玄室の第1の厨子と第2の厨子の間で発見された方解石製の化粧容器です。

 中には、動物性油脂と樹脂でできた化粧品の痕跡が残っていました。

 壺の両側には円柱があり、「あっかんべー」と舌を出したベス神がロータスの花形の柱頭から顔を出しています。

 ベス神は出産の守り神であると同時に、快楽の神でもあったのです。

 壺の胴部には、犬とライオンが獲物を襲う砂漠の狩りの場面が刻まれ、壺の底にはエジプトの敵である異国の民、ヌビア人とアジア人の顔の形をした脚が付けられています。

 蓋の上には口を開け舌を出したライオンが横たわり、この容器のデザイン全体が、混沌の力を打ち負かす強いライオンとしての王の姿を象徴しているのだそうです。

 この方解石の白がとても綺麗だったのです。
 
 

アンク形祭具です。






 儀式のための『♀』の形の祭具なのですが、その石英などを主原料にし、ナトロンなどの溶剤 を加え青釉をかけた焼き物『ファイアンス』の青の鮮やかさといったら、それはもうびっくりします。

 今回の展示で目をひくのは、キンキラキンの黄金はもちろんなのですが、白や鮮やかな青もとても印象的でした。


 このように主立った展示だけでも見応え充分なのですが、外にも美しい品がたくさんありました。

 ということで、とても楽しゅうございました。人あたりがして少々疲れたねえ。

 観覧を終えて会場を出たらば、入場制限がかかっていて何時に入場して下さいという入場整理券を配布していました。

 大阪の平日一番で行ってこれだから、上野の森美術館での開催時はさぞかし混むだろうねえ。

 大阪会場を利用して正解だったよ。

 出口にあったおみやげ屋さんで、『ツタンカーメンメン』というインスタント袋ラーメンが売っていましたが、315円もしたので買いませんでした。せいぜい200円でしょ?

 他の人も「安けりゃ話のタネに買うのにねえ」って言っていました。


 私は2500円の図録を買ったので、お土産はこれで充分です。この図録、写真が大きくて細かいディテールを見ることができて、解説も豊富なので、なかなかの優れものでした。

 実物の雰囲気を思い出すにはとても良い図録だねえ。

 ということで、大人気のツタンカーメン展でした。

 入場料は高いし、混むし、写真で観たらいいかなと思って、行くのを躊躇していたのですが、実際に行ってみた感想は、「やはり本物を観て良かった」というものです。

 東京会場の会期は、2012年8月4日(土)~12月9日(日)です。

 関東(東日本)の人は、前売り券を買って、楽しみに待っててくださいね。









ツタンカーメン展大阪会場に行ってきたよ(上) 【ファイルA16】2012.05.19 

【ファイルA16】2012.05.19 ツタンカーメン展大阪会場に行ってきたよ(上)

さすがは古代エジプト文明だねえ。

 今回は今話題の『3300年の時を超えよみがえる古代エジプト黄金の秘宝』、
 
 『KINGTUT ツタンカーメン展 ~黄金の秘宝と少年王の真実』の記事です。





 日本人はエジプトが好きだからねえ。そして、私もエジプトがとても好きです。

 それで、エジプト政府は、今後遺物の海外展示を控えるらしいので、今回が日本最後のツタンカーメン展などとマスコミも煽ります。

 それで、私が行ったのは東京開催より一足早い大阪会場です。

 ツタンカーメン展のHPはこちら。混雑状況等も分かります。
http://www.fujitv.co.jp/events/kingtut/top.html

 大阪では海遊館のお隣の大阪天保山特設ギャラリー (旧・サントリーミュージアム)で開催されていました。

 当初、大阪での展示は確か6月3日までということだったのですが、絶賛好評につき7月16日まで会期延長することになったんだって。

 大阪会場新会期:2012年3月17日(土)~7月16日(月・祝)

 関西(西日本)地方の人は、この機会に是非お越しくださいね。

 大阪で一月半も会期延長と言うことは、次の東京会場(上野の森美術館)は、2012年8月4日から開催なので、東京への移動展示の準備期間が1月半縮まったのですね。

 今回のエジプト店は、貴重な展示品を傷めないために、搬入・展示には万全を期し、とてもシビアな配慮が成されているので、こんなに大阪で会期延長して、東京会場の準備は大丈夫かな?

 それで、ゴールデンウイークのほとぼりも醒めた会期後半の大阪会場の平日朝一番なら、まだ混み具合もマシだろうと思って、行きました。

 東京は異常に混みそうだからねえ。

 前売り券は買っておらず、前の日にセブンイレブンで平日入場券を買っておきました。土日祝より平日の方が300円安くて2500円(東京会場の平日の当日チケットは2700円)でした。

 会場には9:10くらいに到着したのですが、すでにロープを張った蛇腹の行列ができています。

 この日は9:30分の開場なのですが、開場前にも拘わらず何故か列は少しずつ進んでいきます。行列が止まるとイライラするから、この配慮は嬉しいねえ。

 どういうわけか、周囲では名古屋弁が目立ちます。大阪のおばちゃんも声が大きいのですが、名古屋のおばちゃんも元気いっぱいなのです。


 列は少しずつ進み、開場時間の9:30をだいぶまわって館内入場すると、数分の短いビデオを見せられて、これで入場者の流れの調整をしているようです。

 とても混んでいますが、身動きが取れないほどではありません。

 ただ、音声ガイダンスを利用している人が、展示品の最前列正面でガイダンスを聞き入ったまま、全く動いてくれません(大部分がおばちゃん)。

 これが、展示に集中して多少立ち止まる分なら理解できるのですが、こういう人は、どちらかといえば、ガイダンスに集中しているようなのです。

 係の人が、ガイドを聞いている人も動くように指示しているのですが、ガイドを聞いている人にその指示が聞こえるはずがありません。中には展示品そっちのけで上の説明板を観て、ガイドを聞いているおばちゃんもいます。

 なんか電車の券売機の前でいざ切符を買う段になってから、ようやく料金表を見て財布を出してお金を捜すのと行動パターンが同じなのです。

 主催側としては、音声ガイダンスは貴重な収入源なのでしょうが、こんなんなら音声ガイダンスやめてよお!


 それで、肝心の展示内容です。

 もちろん、場内は撮影不可で、図録の写真も使用不可なので、パンフレット等の宣材から写真をピックアップしますね。

 ツタンカーメン(紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃)さんは、古代エジプト第18王朝のファラオ(在位:紀元前1333年頃 - 紀元前1324年頃)です。より厳密な表記ではトゥト・アンク・アメン(Tut-ankh-amen)といいます。

 若くして亡くなった少年王ツタンカーメンさんは、これまで、大腿骨の骨折から数日で死亡したことだけが確認されていた事から、他殺説が最も有力な説とされていました。

 ところが、2010年のエジプト考古学研究グループによるCTスキャンを初めとしたDNAや放射線調査により、ツタンカーメンは近親交配で生まれた事による遺伝による先天的な疾患を多数患っていた可能性が非常に高いことが確認され、具体的には変形した背骨、欠損した足の指、臓器疾患の跡等が確認されたため、特に直接の死因は足および大腿骨の骨折と、マラリアの合併症による体調不良の悪化が原因であるという証拠が多数見つかったそうです。

 ツタンカーメンと言えば、例の黄金のマスクですが、
http://homepage1.nifty.com/ramesses/egypt/emuseum3.htm
 今回は黄金のマスクは展示されていません。これで黄金のマスクなんて来た日には、どれだけ混むのか想像がつきません。

それで、今回の展示の一番の目玉がツタンカーメン王の黄金のカノポスです。






 ミイラにした遺体からは内蔵が抜き取られ、抜き取った内蔵は4つの壺に保存します。この壺をカノポスっていうんだねえ。

 カノポスは、結構小さいのです。でも金もピカピカで、彩色も鮮明さをとどめているので、写真以上に実物が美しいのです。これだけで、入場料の値打ちがあろうってものです。

 この棺形カノポス容器は、ツタンカーメン王墓から出土したものの中で最も素晴らしい作品のひとつです。

 厨子の中にあった方解石の箱は4つに仕切られ、中に納められた4個の同じく方解石の壺から半貴石とガラスを嵌めこんだ金製のカノポス型容器が発見されました。

 容器には、防腐処理された王の内臓が納められ、今回展示の容器には肝臓が入れられていました。

 容器に描かれた王は、先から紐が何本か垂れ下っている殻竿(からざお:ネケト)と、『?』の形をした笏杖(しゃくじょう:ヘカ)を持ち、上下エジプトを表わすハゲワシとコブラの付いたネメス頭巾を被る伝統的な姿で表わされています。

 先が丸い付け髭は王の神聖さを示しています。この容器に描かれた王の容貌は、ツタンカーメンのミイラを納めていた人型棺とは目鼻立ちが異なっていて、また容器にツタンカーメンの即位前に短期間統治した王の名が書かれていることから、本来は別人のために作られたものを少年王が使った可能性もあるそうです。


今回のもう一つの目玉が、ツタンカーメン王のひいおばあちゃん(曾祖母)のチュウヤさんの黄金の棺(ひつぎ)。










 チュウヤさんのミイラは二重の入れ子式の人型棺に安置され、夫イウヤの墓に合葬されていました。木材に彫られ、金箔を張ったこの外棺に描かれているのは、三分のかつらを被ったミイラ姿のチュウヤさんです。

 彼女の顔、首、そして手だけが、包布から出ています。色とりどりに象嵌された広い襟飾りが胸の部分を覆い、天の女神ヌウトが交差した腕の下で羽を広げて彼女を守護しています。

 このほかジャッカルの頭を持ったミイラ作りの神アヌビス、書と知恵の神トト、そしてホルスの四人の息子たちが描かれています。そして女神ネフティスが棺の頭の部分を、その姉妹イシスが足の部分を守っています。
 
 本当に大きくてキンキラキンです。


 今回は黄金のマスクが来ない代わりに、ツタンカーメン王の副葬品(襟飾り、黄金の儀式用短剣と鞘)が展示されています。

象嵌細工(ぞうがんざいく)の黄金の襟飾り(えりかざり)とおもりです。






 ウセクと呼ばれるこの幅広い襟飾りは、金と半貴石を模した色ガラスを象嵌した11個の飾り板から作られています。

 両端にはハヤブサの頭があり、襟飾りの一番外側には幾何学模様風の花がデザインされています。

 このような襟飾りを古代エジプトの王や貴族たちは、通常儀式の場で着用していたのですが、この襟飾りはツタンカーメンのミイラの大腿部で発見されました。

 長くなったので、下に続きますね。











八景島シーパラダイスのシロワニさんだよ 【ファイルC244】2012.05.15 

【ファイルC244】2012.05.15 八景島シーパラダイスのシロワニさんだよ

コワモテだけど大人しいんだねえ。

 以前、しながわ水族館のシロワニさんをご紹介しました。

 シロワニさんといっても、アリゲーターやクロコダイルのワニさんじゃなくて、サメさんの方です。

 しながわ水族館のシロワニさんの記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/46000198.html

 今回は八景島のシロワニさんです。

 生態等に関しては、葛西の時に記載したので今回は省きます。

 シロワニさんは体格が良くて強面(こわもて)のお顔なのですが、大人しくて人間を襲うことは滅多にありません。
 

 サメのエラは鰓孔(さいこう)といい、サメはエラによって、呼吸するのですが、水を口からとりこむと、エラで酸素を吸収し、エラから水だけを排出します。

 遊泳性のサメのは、つねに泳いでいないと、このえらエラで酸素を取りこむことはできません。したがって前進を止めてしまえば呼吸困難になって溺(おぼ)れ死んでしまいます。

 タレントの明石家さんまさんが、お喋りを止めてしまうと死んでしまうのと同じです。

 ですから、映画『ジョーズ』に出てくる人食いで有名なホホジロザメさんは、常に遊泳していないと呼吸ができず、かつ、動きが俊敏で神経質なので、水族館の飼育は非常に困難なのです。

 ちなみにホホジロザメ飼育の最長記録は、2008年にアメリカのモントレー水族館が記録した198日間なんだって。これじゃあ、とてもじゃないけど水族館じゃ飼えないねえ。


 ところが、シロワニさんの様な岩陰に隠れて餌を待ち伏せする生態をもったサメは、目と鰓孔(さいこう)の間にもうひとつ噴水孔(ふんすいこう)と呼ばれる穴が発達していているのです。

 しながわ水族館のシロワニさんの噴水孔。

 




 噴水孔は名前とは逆に、より多くの海水をとりこみ、自発的にエラに海水が巡るように動かすことも出来ます。

 それで、ホホジロザメのように動き回らずにすみ、大きくて見応えがあり、しかも大人しくて水族館でも飼いやすいシロワニさんは、大人気なんだって。


 八景島のシロワニさんは、イワシさんの群れの中にお住まいです。

 




 ちょっと肩身が狭いかも。

 とはいえ、イワシイリュージョンの餌やりの混乱の時以外はイワシさんを蹴散らして悠然と泳いでいます。

 巨大水槽だからゆったりしているねえ。

 




 上層階ののぞき窓から見ていると、大サービスでこちらに近づいてきます。

 




 こんにちは。

 




 うへえ。凄い迫力!

 大人しいって分かっていても怖いねえ。

 コバンザメを従えて去ってゆく後ろ姿もカッコイイねえ。

 




 旧ソ連のタイフーン型原子力潜水艦みたいだねえ。

 




 さようなら、元気でね。

 




 ということで、今回はコワモテだけど大人しい、八景島シーパラダイスのシロワニさんでした。









大阪府立図書館に行ってきたよ(その1) 【ファイルT174】2012.05.12

【ファイルT174】2012.05.12大阪府立図書館に行ってきたよ(その1)

住友家が寄附した立派な図書館だねえ。

 大阪の住友関連の建物といえば、大阪は中之島、大阪市役所庁舎裏にある、大阪府立図書館です。





 カッコイイねえ。

 だから、国の重要文化財に指定されているんだよ。

 比べるのもなんだけど、東京の日比谷公会堂より大阪の中之島公会堂が、東京の日比谷図書館より、大阪の府立図書館の方が立派だねえ。どちらも大坂商人の寄附でできているからねえ。

 何度も書きますが、大坂商人はコマネズミのように働き、始末をしてこつこつお金を貯めますが、使うときは綺麗に使うのです。

 それだからこそ豊かな上方文化が花開いたのです。


 この建物は正面に居座っている大阪市役所との間隔が狭く、引きが無いので、大阪市役所の玄関から超広角で撮っても全景が入りきれません。

 撮影に邪魔な大阪市役所。





 任期途中で知事職を放り投げた無責任市長が、中央進出意欲剥き出しにした大阪維新の会なんてやってる場合じゃないねえ。

 月にたった2回だけの勉強会なのに年間受講料が12万円(会員数2025人で年間収入2億4千万円)もして、『単なる政治資金集めの連続講演会』にすぎないものを橋下維新政治『塾』ってもちあげているメディアって一体なに?

 そこで、大阪市庁舎の邪魔にもめげず、用意した魚眼レンズで大阪府立図書館をぱちり。





 中央の建物の両翼にシンメトリーに2棟が建っています。

 この図書館は、明治33年(1900) 2月も第15代住友吉左衛門氏から大阪府に対し、図書館の建物一式並びに図書購入基金寄附の申出があり、建造されたものです。

 そして、明治37(1904)年2月建物竣工、開館式典挙行され、「大阪図書館」が開館したのは同年3月のことでした。

 その時にはこの部分、中央建物だけが建てられたのです。





 中之島図書館の本館(中央部分と1号書庫)設計は、住友家本店社屋建築のために発足した臨時建築部の建築技師長だった野口孫市(のぐち まごいち)氏です。

 外観はルネッサンス様式を、内部空間はバロック様式を基本としながら、優れたデザイン力による格調の高い建築です。コリント式円柱に支えられる正面はギリシア神殿を、ドーム状の中央ホールは教会を思わせる造りとなっています。
 
 
 その後、左右両翼の建物が大正11年(1922) 10月、やはり住友家の寄附により本館建築の際に技師として参加した日高胖氏の設計で建て増しされ、ほぼ現在の形になりました。

 写真左に写っているのが本館正面玄関で、右手前が大正期に増築された左翼部分。





 昭和49(1974)年には、本館及び左右両翼の2棟が国の重要文化財に指定されました。

 ということは、この図書館が移転保存になった場合、中央建物は明治村に、両翼の増築部分は大正村に行くことになるのかな?

 ややこしいねえ。

 明治大正期の近代日本建築の粋を集めた立派な建物です。

 丸いドーム屋根が特徴的です。





 立派な正面玄関。





 現在この正面玄関は使用されておらず、玄関両脇から入館するようになっています。

 看板は創建当時の『大阪図書館』





 建てたのは大阪府じゃなくて、住友さんだからねえ。

 正面玄関の装飾です。





 ペディメントも立派だねえ。









 コリント式円柱の柱頭に施されているアカンサスの葉が見事です。





 こんな装飾も。





 窓はこんなデザイン





 図書館とは直接関係ないのですが、ふと建物向かって左側(北)を向いたら、

『SEKISUI』の看板が!





 ほお!

 って思ったのは、積水化学の大阪本社って、高橋尚子選手がシドニー五輪で金メダルを獲ったときに、小出監督と一緒に所属していた会社だということを思い出したからです。

 このビルは後で調べてみると、この建物は堂島関電ビルなんですね。

 と言うことで、次回は館内を御紹介しますね。

平将門の首塚は魔都東京一のパワースポット(上) 【ファイルET63】2012.05 07 

【ファイルET63】2012.05 07 平将門の首塚は魔都東京一のパワースポット(上)

日本のビジネスの中心に建っているねえ。

 今回の記事については、どちらかというと『魔界の部屋』に分類されるべきものなのですが、魔都東京一の大パワースポットでもあるので、『江戸東京の部屋』として掲載させていただきますね。

 平将門(たいらのまさかど)さんは、朝廷に楯突いて、自ら『新皇(しんのう)を名乗った朝敵です。

 でも、江戸東京の守護神でもあります。このあたりの矛盾が日本の文化を理解する大きな鍵なのです。

 恨みを呑んで亡くなった人の怨霊を神に祀りあげ、守護神にするというのが日本の文化ですからね。

 東京丸の内、日本一の近代的オフィス街のど真ん中に、全く場違いな平将門(たいらのまさかど)さんの首塚(くびづか)があります。
 
 周囲はビルだらけです。




 
 こんな感じで碑が建っています。








 
 碑の裏に首塚が建っています。





 今も参詣する人が絶えず、大切に祀られているのが分かります。

 私がここを撮影していたときも、ぱりっとした身なりのいかにもエリートサラリーマンといった感じの男性が参拝に来ていました。

 一流企業のビルの屋上に神様をお祀りするのが日本の文化ですから、ある意味当然ですね。

 将門さんの首塚は、高層ビルの建ち並ぶ、一等地丸の内のオフィス街のど真ん中で、皇居(旧江戸城)の東北、すなわち鬼門を守護しています。


 平将門(たいら の まさかど、平 將門)さんは、平安時代中期の関東の豪族で、平氏の姓を授けられた高望王の三男・鎮守府将軍平良将の子として生まれました。桓武天皇5世にあたります。

 生誕年は不詳ですが、菅原道真公が亡くなった年【延喜3(903)年】に生まれたとも言われています。

 平将門さんは下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争に巻き込まれ、やがてそれは関東諸国を巻き込む争いへと発展しました。

 それで起きたのが『平将門の乱』。

 将門さんは国衙(こくが)を襲撃して印鑰を奪い、自ら皇位に就いて『新皇(しんのう)』と名乗りました。

 将門さんは、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ:応神霊の本地にして菩薩として成仏修行する神)が将門に皇位を授けたとし、その位記(辞令)を書いたのが冥界の菅原道真公の神霊であると主張したのです。

 天慶2年(939)12月19日。将門さんの前に一人の巫女(みこ)が現れ、八幡大菩薩の使いだと口走ります。

 そして「平将門に皇位を授ける。その位階は菅原道真の霊魂が授ける」と告げたというのです。
 
 この様子は『将門記』に「時に、一昌伎(かんなぎ)ありて云へらく、八幡大菩薩の使ぞとクチバシる。朕が位を蔭子(をんし)平将門に授げ奉る。その位記は、左大臣正二位菅原朝臣の霊魂表すらく、右八幡大菩薩八万の軍を起こして、朕の位を授け奉らん。今すべからく、三二相の音楽をもて早くこれを迎え奉るべし」と記されているそうです。

 その時代は、太宰府に左遷され不遇の死を遂げた菅原道真公の祟りが人々に大きな恐怖を与えていました。

 道真公を追い落とした政敵藤原時平(ふじわら の ときひら)が延喜9年(909年)に39歳の若さで病死するなど関係者があいついで死亡し、天変地異が頻発し、ついには延長8年(930年)朝議中の御所清涼殿に落雷するに及んで、道真公の怨霊を鎮めるため、朝廷は道真公を神様(天神様)に祀りあげ、北野天満宮を建立したほどです。

 ですから、菅原道真公の御託宣(ごたくせん)により『新皇』を名乗ったということは、世上に大きな動揺を与えたのですね。

 戦(いくさ)で将門さんは『右大臣正二位 菅原朝臣霊魂』を振り翳しながら戦ったといいます。

 将門さんは朝敵になり、『新皇』即位後わずか2ヶ月たらずで百足退治(むかでたいじ)で有名な藤原秀郷【ふじわらひでさと:俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)】、平貞盛らにより討伐され(承平天慶の乱)、その首を京都に晒(さら)されてしまいました。

 天慶3年2月14日(940年3月25日)のことです。

 『太平記』には、さらしものになった将門さんの首級(しるし、しゅきゅう)の話が書かれています。

 将門の首は何ヶ月たっても腐らず、生きているかのように目を見開き、夜な夜な「斬られた私の五体はどこにあるのか。ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」と叫び続けたので、恐怖しない者はいませんでした。

 しかし、ある時、歌人の藤六左近がそれを見て、

『将門は こめかみよりぞ 斬られける 俵藤太が はかりごとにて』

 と歌を詠むと、将門はからからと笑い、たちまち朽ち果てたといいます。

また、京都で晒された首は、切り離された身体を求めて関東へ帰ってきたとも言われています。しかしついに力尽き、墜ちたところに塚を築いたと伝えられているのがこの首塚なのです。


 一方、首を失った将門さんの身体の方も戦意を失わず、首を求めて暴れまわりました。

 うへえ!首なし死体が暴れ回るなんて怖いねえ。

 神田明神の社伝によれば、神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称したということです。

 一方で、神田(かんだ)明神の『カンダ』は、『カラダ』の転訛(てんか)したもので、将門の身体が力尽きて倒れたところとだという説もあるそうです。
 将門さんの胴塚(どうづか)がある茨城県坂東市のお寺、延命院の所在地は『神田山(かどやま)』ですからね。

 ということで、(中)に続きますね。





横浜・八景島シーパラダイスのアジア・アロワナさんだよ 【ファイルC243】2012.05.02 

【ファイルC243】2012.05.02 横浜・八景島シーパラダイスのアジア・アロワナさんだよ

美しくってカッコイイねえ。

 以前、アマゾンにお住まいのシルバー・アロワナさんをご紹介しました。

 シルバー・アロワナさんの記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/44338345.html

 今回は横浜・八景島シーパラダイスのアジア・アロワナさんです。

 こんにちは。

 




 立派ですね。

 アロワナさんの仲間は、アマゾンとかアジア、オーストラリア、アフリカといった具合に世界に広く分布しているんだねえ。

 どうしてこんなことになっているかというと、今を遡ること遙か昔の地球。

 中生代の南半球にはゴンドワナという大陸がありました。

 いまの南米、アフリカ、マダガスカル、インド、南極大陸、オーストラリアからなるこの巨大大陸は、その後次々に分裂して現在の姿になったのです。

 分裂の最後は南米大陸とアフリカ大陸で、裂け目がひろがってできたのが大西洋です。

 アロワナ類の祖先はこの巨大なゴンドワナ大陸に広く分布していたらしいのです。

 現在、地球上に遙か離れてとびとびに分布するアロワナ8種は、過去の地球の淡水域で繁栄した祖先たちの生き残り、すなわち遺存種で、その分布は遺伝的分布なのだと考えられているのだそうです。

 つまり、世界中に広がって存在するアロワナさんたちは、ウェーゲナーの大陸移動説の生き証人なのですね。

 ゴンドワナ大陸はこんな感じでばらばらに分かれていきました。



 うまく観られない時はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=N716wYMmVzE

 もともとアロワナさんは同じ大陸に住んでいたはずだったのが、地殻変動で大陸がばらばらに分裂したので、結果的に世界各地に散らばってそれぞれ独自に進化していったのですね。


 アロワナさんは古代魚の風格があって美しく、とても人気で日本でも飼っている人が多いようです。

 だから、アロワナさんの飼育の専門ガイドブックも出版されていたりします。

 




 『~シルバー、ブラック、アジア、バラムンディ~ 世界のアロワナ飼育ガイド』月刊アクアライフ編集部編著 マリン企画 

 この本、無茶苦茶マニアックで、飼育方法から野生下の生態、学術的・博物学的記述等々がふんだんに盛り込まれていて、やたらと詳しいアロワナ百科なのです。

 日本のアロワナファン恐るべし!

 面倒くさがりの私はアロワナさんを飼うつもりはさらさらないけれど、綺麗だし面白いのでこの本を買っちゃったよお。

 そのなかでも、色鮮やかなアジア・アロワナさんはとても人気みたい。

 ただ、大きいので、いざ飼うとなると用意する水槽も大きくならざるを得ず、重たい水の重量で下手をすると床が抜けたりします。

 それから、ジャンプ力があるので、フタをちゃんとしないと、水槽を飛び出して、床をびったんびったんと跳ね回り、おおごとになるし、餌もたまには生き餌をやらないといけないので、コオロギさんミルワームさんや金魚さんなんかを生きたまま食べさせるのが可哀想だったりします。

 とりわけ、希少で美しく、人気のあるアジア・アロワナさんは、高価です。

 野生のアジア・アロワナさんは希少動物で、『ワシントン条約付属書Ⅰ』に記載され、国際的な商取引が規制されています。だから勝手に野生種を獲ってきて飼うことは出来ません。

 それで日本に入ってくるアジア・アロワナさんは、輸出国の指定した養魚場で育てられたものなのです。

 アロワナさんは、オスが口の中で卵を育て、孵化させるいわゆる『マウス・ブルーダー』なのですが、人工飼育の場合はその卵をはき出させて人工的に飼育するんだって。

 希少種のアジア・アロワナさんを日本で飼うに当たっては、下の『国際希少野生動植物種譲受け等届出書』を『財団法人自然環境研究センター CITES管理事業部』に提出しなければならないんだよ。

 




 面倒くさいねえ。

 ですから、アジア・アロワナさんは、よほどのことがないかぎり、家で飼わずに水族館のお友達を眺めた方が無難です。

 広い水槽を悠然と泳いだ姿を見ることができるからねえ。


 ここのアロワナさんはヒレや尻尾が赤いねえ。

 




 紅尾金龍(べにおきんりゅう)さんかな?

 アジア・アロワナさんを飼育している人にとっては、この種より『スーパーレッド』という美しい鮮やかな赤の種類があって、大人気だそうです。

 上の『世界のアロワナ飼育ガイド』表紙写真に載っている一番下のアロワナさんがスーパーレッドさんです。

 でも、スーパーレッドさんは鮮やか過ぎて、みるからに昔の田中角栄邸で飼われていた錦鯉さんみたいなので、水族館で飼育するなら、こういった紅尾金龍さんみたいな人たちが相応しいのかも。

 
 それで、紅尾金龍さんの鱗(うろこ)です。

 




 おひげが欠けているねえ。

 




 水槽にぶつけたのかな?

 悠然と泳いでいる姿がカッコイイのです。

 




 最後にご挨拶
 
 




 さようなら元気でね。

 ということで、美しいアジアアロワナさんでした。






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