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八景島シーパラダイスのホンソメワケベラさんはお掃除屋さんだよ  【ファイルC247】2012.06.28 

【ファイルC247】2012.06.28 八景島シーパラダイスのホンソメワケベラさんはお掃除屋さんだよ

つんつくゴミや寄生虫をお掃除しています。

八景島シーパラダイスのホンソメワケベラさんに会いに行きました。

 




 こんにちは。

 そうしたらば、大きなお魚さんに追っかけられていました。

 




 うへえ、食べられちゃうよお!

 と思ったら、ホンソメワケベラさんは大きなお魚さんの体をつんつく。

 




 寄生虫をお掃除してあげているんだね。

 食べるために追っかけてるんじゃなくて、『ちょっとちょっと、お掃除してよお』ってお願いしていたんですね。

 頼まれたらお掃除しないわけにはいきません。

 こっちも頼んだよ。はいは~い。

 




 つんつくつんつく。

 




 よっぽど気持ちが良いのか、お魚さんヒレを開いて喜んでいるねえ。

 




 お魚さんも身体をお掃除してもらって、ホンソメワケベラさんもご馳走にありつけるから、どちらもお得なんだね。

 ところで、『ホンソメワケベラ(ほんそめわけべら)』さんって変な名前だねえ。

 私は上方落語の天才、故4代目 林家 小染(はやしや こそめ)師匠が好きだったけれど、コンソメスープにも似ているねえ。妖艶な姿は妖怪人間ベラさんを連想させるし…。

 実はこの名前、書き間違えから出来た名前です。

 ホンソメワケベラさんに似たお魚に、体の前部と後部が黒褐色と黄色の2色に『染め分け』られている『ソメワケベラ(英名Bicolor cleaner wrasse』という近縁種がいるのです。

 それで、この『ソメワケベラ(染め分けベラ=染分倍良)』さんより、体が『細い』ので、当初は『細染め分けベラ=細染分倍良=ホソソメワケベラ=ほそそめわけべら』と名付けられたのです。

 ところがそそっかしい人がいて、『ホソ(ほそ)』というカタカナを『ホン(ほん)』という字と間違って、それがいつのまにか定着して『ホンソメワケベラ(本染分倍良)』となってしまったんだって。

 迷惑な話だねえ。

 ホンソメワケベラ(本染分倍良、学名:Labroides dimidiatus)さんは、硬骨魚綱、スズキ目、ベラ科、ソメワケベラ属に属する魚です。

 体長は12cmほどで、雄のほうが雌より大きいのです。

 背と腹は白いのですが、体側面には目を通って尾鰭(おびれ)まで黒の一本線が走り、後方ほど黒色部が太くなります。

 尾鰭はほぼ黒いのですが上下の縁が青白い色をしています。また、臀鰭(しりびれ)と背鰭(せびれ)にも黒色のラインが入っています。

 お住まいは、太平洋とインド洋の熱帯・亜熱帯の海です。

 日本でも房総半島以南の南日本に分布していますが、夏には暖流に乗って北上した個体が東北地方や北陸地方の海岸でも見られます。ただしこれらの個体は、冬には低温のため大部分が死んでしまう"死滅回遊魚"と考えられているそうです。

 サンゴ礁や岩礁の周辺に生息し、頭を斜めに下げ、波打つような軌道の独特な泳ぎ方をします。

 この特徴的な泳ぎと体色で、自分のお掃除屋さんとしての存在を他の魚に誇示していると考えられています。

 ニセクロスジギンポやクロスジギンポも本種によく似ているのですが、泳ぎ方が違うため見分けるのは容易なのだそうです。

 先ほどの写真のように、他の魚はホンソメワケベラを発見すると近寄っていきます。

 ホンソメワケベラさんはその魚の回りを泳ぎながら、ウミクワガタを主体に体表に食いついている寄生虫を捕食します。

 時にはえらの中や口の中にも入りこみ、食べかすなどを食べてまわりますが、魚たちは掃除がしやすいように、口や鰓蓋を大きく開けて協力します。

 掃除してもらう魚は、チョウチョウウオ、ヒメジ類などの小型魚からギンガメアジなどのアジ類、クエ、マハタ、ユカタハタなどの大型ハタ類まで、サンゴ礁にすむ魚のほとんどを占めます。

 この中には魚食性の強い魚も数多く含まれるのですが、この魚たちは自分の体をきれいに掃除してくれるホンソメワケベラを捕食することはまずありません。

 ホンソメワケベラの他にも近縁種のソメワケベラ、エビの仲間のアカシマシラヒゲエビ(アカスジモエビ)、オトヒメエビなどがこのような掃除行動をする動物として知られています。

 産卵期は夏で、オスとメスが並んで水面近くまで泳いでいき、すばやく身を翻す瞬間に産卵・放精をおこなって海底に戻ります。卵は分離浮性卵で、一粒ずつ離れて海中を漂いながら発生します。


 それで、ホンソメワケベラさんは、お掃除してくれるので、他の肉食魚から食べられないということですが、逆にホンソメワケベラさんにそっくり変装すれば、自分の身を守れることができるんだねえ。

 そう考えたお魚に、スズキ目イソギンポ科のニセクロスジギンポさんがいます。

 あったま良い!

 この人はホンソメワケベラとは全く別の仲間に分類される魚なのですが、ホンソメワケベラとよく似た体色をもち、泳ぎ方も似せているのです。

 一種の擬態ですね。

 ですから、他の魚はホンソメワケベラさんと間違って『お掃除してちょうだいよお!』って近寄るのですが、この魚は寄生虫どころか、皮膚や鰓を鋭い歯で食いちぎってすばやく逃げてしまうのです。

 うへえ!

 ただ、自分の身を守るために、ちゃっかり人のマネっこするだけならまだしも、人の体を食い逃げするなんて酷いねえ。

 それで、ニセクロスジギンポさんは、英語では"False cleanerfish (ニセ掃除魚)"と呼ばれているのです。

 ひょっとしたら、この『ホンソメワケベラ(本染分倍良)』さんという名前は、『ニセソメワケベラ(偽染分倍良)』さんであるところの『ニセクロスジギンポ』さんじゃなくて、本物だから、元々は『ホソソメワケベラ(細染分倍良)』だけど、「『ホンソメワケベラ(本染分倍良)』で良いや」ってことになったのかもしれませんね。


 そうとは知らず、本物のホンソメワケベラさんは、いろんな人からお掃除を頼まれて大忙しの大繁盛です。

 つんつくつんつく

 




 よかったねえ。素敵なエステティシャンだねえ。

 やっぱり正直がなによりです。商売は信用だからねえ。

 さようなら、元気でね。

 ということで、今回はみんなから感謝されているお掃除屋さんのホンソメワケベラさんでした。









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大阪府立図書館に行ってきたよ(その4) 【ファイルT176】2012.06.25

【ファイルT176】2012.06.25大阪府立図書館に行ってきたよ(その4)

大阪府立図書館の変遷。

  (その1)から見られる方はこちら。
 http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53280603.html
 
 大阪府立図書館図書館内には写真・資料が展示してあって、歴史が分かるようになっています。

 まず地下資料室にあった明治37(1904)年2月建物竣工、開館式典挙行の創建当時の模型。





 明治37(1904)年の図書館全景写真です。





 当時の大阪市役所庁舎は、今のように大阪府立図書館の正面ぎりぎりまで出っ張っておらず、図書館正面(西方)が公園になっていて、ゆったりしていました。

 明治37年の図書館2階平面図。





 図書館断面図。





 ドームの内法(うちのり)も分かりますね。

 明治38(1905)年、『日露戦争日本海海戦勝利の祝捷会』の写真。





 「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」【連合艦隊参謀・秋山真之の草案】の言葉通り、日露戦争は日本の命運がかかっていましたから、戦勝は余程うれしかったのでしょうね。

 大正9(1920)年、『左に大砲 右に豊太閤(ほうたいこう=豊臣秀吉の敬称)』の写真。





 明治36(1903)年建立の豊太閤の銅像は、大阪城天守閣を睨(にら)むように東向きに据えられていました。

 大砲は日露戦争後、戦利品として展示されましたが、大砲も太閤像も昭和18(1943)年に金属供出されました。

 平成19(2007)年、大阪城公園内の豊國神社に再建された太閤像は、大阪城天守閣を睨むため、今度は北を向いています。


 大正11年(1922) 10月、同じく住友家の寄附により、左右両翼の建物が増築されます。





 創建当時公園だった場所に鳥居が写っていますが、これは現在中央公会堂がある場所から移転してきた豊国神社(ほうこくじんじゃ)です。

 豊国神社のHPによると、この神社は明治元年、明治天皇が大阪に行幸になった砌(みぎり)、国家の為に大勲労のあった豊太閤(ほうたいこう)を、この大阪の清浄な地に奉祀する様にと仰せ出されたので、種々熟議の結果、明治六年に京都の阿弥院峯墓前を本社として社殿を造営、大阪には別格官幣社豊國神社の別社として中之島字山崎の鼻(現在の中央公会堂の地点)に、明治12(1879)年11月に創立されました。

 大正元(1912)年、中央公会堂建設の為、府立図書館の前(西方)の公園内に移転し、大正10(1921)年に別社から独立して府社に列せられました。

 昭和20(1945)年終戦と共に社格が廃止されたので、現在宗教法人となって神社本庁所属の神社となりました。
 
 昭和10年頃より大阪市の発展に伴い市庁舎増築に必要のため、隣接する当神社の移転の議が起こりましたが、太平洋戦争に突入した為、移転の件は一時沙汰止みとなりました。
 
 その後昭和31(1956)年大阪市より神社移転の要望が再開されたので、祭神に縁のある大阪城内を移転地と決定し、昭和36(1961)年1月中之島より奉遷したのが現在の大阪城内の神域です。引っ越しが多くて大変だったのですね。

 この写真にも豊国神社が写っています。





 大正時代の図書館2階平面図





 両翼増築後の中之島俯瞰写真。





 左(東側)から中之島公会堂、図書館、豊国神社、大阪市役所、日銀大阪支店です。


 こちらは、豊国神社移転後の写真【昭和36(1961)年1月以降と思われる】です。

 




 真上(西側)から日銀大阪支店、大阪市役所と大阪市役所の増築ビル(豊国神社跡地)、大阪府立中之島図書館、中之島公会堂が並んでいます。

 現在の写真。
 
 




 このうち、日銀大阪支店、大阪府立図書館、中之島公会堂に辰野金吾(たつのきんご)博士が関わっているというのが凄いのです。

 それにしても、昔の大阪市役所(3代目)のデザインはカッコイイねえ。

 今の庁舎【4代目:第一期 昭和57(1982)年、第2期昭和60(1985)年完成】はただの巨大な箱みたいなんですけど。

 大阪の中之島ってこうやってみると軍艦みたいです。大阪を代表する景観なのですね。

 ということで大阪府立図書館でした。


 この図書館を廃止すると大阪府知事と大阪市長が馬鹿なことを言っています。

 次回はそれについての記事です。こちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53421455.html







神田明神は江戸の総鎮守(1) 【ファイルET66】2012.06.21 

【ファイルET66】2012.06.21 神田明神は江戸の総鎮守(1)

随身門が立派だねえ。

 前回までは、平将門の首塚の記事を書きました。


 平将門公(たいらのまさかどこう)の記事を書いたからには、今回は平将門公をお祀りしている神田明神(かんだみょうじん)です。

 青い大鳥居の神田明神です。





 思わず、見上げてしまいます。





 鳥居の裾には波の模様が施されています。





 正面の随身門(ずいしんもん)です。





 関東大震災で焼失したままだったのですが、昭和50(1975)年に昭和天皇御即位50年の記念として再建されました。総檜・入母屋造です。

 立派な門だねえ。





 『神田神社』の額です。





 神田明神の現在の正式名称は『神田神社(かんだじんじゃ)』なのです。横に『宮司 大鳥居吾朗謹書』と書かれています。

 『神田神社』は江戸幕府三代将軍徳川家光の時代に、勅使(ちょくし)として江戸に下向した折に幕府より将門の事績について聞かされた大納言烏丸光広(だいなごんからすまみつひろ)の「将門は朝敵に非ず」との奏上(そうじょう)により、国家鎮護の社として勅免の沙汰が下り、『神田大明神』の勅額を賜ったのですが、

 明治初期の神仏分離により『権現』『八幡大菩薩』などの称とともに『明神』の公用が禁止されたため、『神田神社』に改められました。

 まあ、明治政府としては、打倒した幕府の創始者徳川家康が『東照大権現(とうしょうだいごんげん)』として神格化されていたわけですから、こういう称号は廃止したかったのでしょうね。

 でも、江戸っ子にしてみれば、『神田明神』は『神田明神』なのです。

 随神門は朱雀(すざく)・白虎(びゃっこ)・青龍(せいりゅう)・玄武(げんぶ)の四神が外回りを固めています。邪悪なものを神の社に近づけないように守護する門ですからね。

 朱雀さん。





 玄武さん。





 お馬さんと獅子があしらわれています。





 六角形の模様は、左から、白虎、玄武、蝶、花、青龍、朱雀のパターンで並んでいます。

 随神門の外側正面には隨神像を配し、右は豊磐間戸神、左は櫛磐間戸神を安置しています。

 右の豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)さん。





 左の櫛磐間戸神(くしいわまどのかみ)さん。





 隨神像はガラス張りの中に安置されているので、写り込みがあって見にくいのですが、ご容赦ください。

 これらの像は熊本城域内の樹齢500年の楠で、加藤清正公お手植えと伝えられているものを使用しているそうです。

 長崎平和祈念像制作者として有名な北村西望(きたむら・せいぼう)氏の監修によるもので、一木造。松下幸之助氏が奉納しました。

 本社祭神一之宮の大国主尊【おおくにぬしのみこと=大黒様(だいこくさま)】と因幡の白兔(いなばのしろうさぎ)さんの彫刻も配されています。





 大黒様と鼠(ねずみ)さん。





 大黒様が『根の堅洲国(ねのかたすくに)』で『須勢理毘売命(すせりびめのみこと)』と結婚しようとした時に、ひめの父親の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が大黒様に試練を与え、ついには野に火を放って焼き殺そうとしました。

 その時に鼠さんが「内はほらほら外(と)はすぶすぶ」と言って洞穴があることを教え、大黒様がそこをとんと踏んだところ、ぽっかり穴が開いて落ち込み、その上を火が焼け過ぎて助かったのです。

 鼠さんは大黒様の命を助けて偉いねえ。


 獅子も門の角を守護しています。





 随神門の内側はこんな感じです。





 随神門の内側には、神馬一対を配しています。









 これらは、氏子総代・遠藤達藏氏により奉献されました。

 ということで、次回に続きますね。

チーターさんと、ヒョウさんと、ジャガーさんの見分け方と、神戸市王子動物園の子ゾウのオウジくんの死亡について 【ファイルC246】2012.06.17 

【ファイルC246】2012.06.17 チーターさんと、ヒョウさんと、ジャガーさんの見分け方と、神戸市王子動物園の子ゾウのオウジくんの死亡について

オウジくん、やすらかにお眠りください。


 前回はジャガーの故アントニオさんの記事を御紹介しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53337121.html

 これで当アトモス部屋ではチーターさんと、ヒョウさんと、ジャガーさんを御紹介したわけですが、そこでそれぞれの模様の見分け方をご紹介します。


 まずはチーターさん。

 多摩動物公園のチーターさんの母子(再掲)。

 





 チーターさんの柄は、ただ単なるドットです。

 




 お次は神戸市立王子動物園のアムールヒョウさん。シベリアにお住まいです(再掲)。

 





 ヒョウさんの毛皮の模様は、大阪のおばちゃんが非常に好む『ロゼット』と呼ばれるバラの花びらの形に似た独特な黒い斑点模様です

 




 それから前回御紹介したジャガーの故アントニオさん(再掲)。
 




 ジャガーさんの場合は、『ロゼット』の花びら柄の中心に、更に黒い点が入ります。

 




 身体が大きくなるにつれ、模様が複雑になってくるのですね。

 ということなのですが、野生ではまったく暮らしている場所が違うので、この3種が一緒に現れることはありません。

 動物園でチーターさん、ヒョウさん、ジャガーさんを見たときの豆知識として覚えておけば、いいねえ。

 


それからご報告が遅くなりましたが、以前御紹介した神戸市王子動物園の子ゾウのオウジくんが、去る4月7日に亡くなったそうです。


 ジャガーのアントニオさんは、21歳の長寿を全うされたのですが、オウジ君は享年4歳。本当に残念です。


 神戸市立王子動物園HPより引用。
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/leisure/ojizoo/news20120407.html

※  ※  ※

子ゾウの「オウジ」が死亡しました。
最終更新日2012年4月7日
平成19年10月21日に誕生したインドゾウ「オウジ」(オス、4歳)が、4月7日9時30分に死亡しました。死亡原因は現在、調査中です。
 
「オウジ」は日本で生まれた3頭目のインドゾウで、オスとしては初めての赤ちゃんでした。母ゾウが子育てをできなかったため、誕生当初は飼育員が24時間体制で泊り込み、ミルクを与えて育ててきました。
 
平成19年12月15日に一般公募で「オウジ」と名付けられ、公開を始たころは、見学者の列ができ、ご覧いただくまでに1時間以上並んでいただくこともあったほどの人気です。
 
しかし、1歳の誕生日を迎える直前の平成20年9月中頃から足を擦って歩くようになりました。その後、様子を見ていましたが、生後1年1ヶ月を過ぎた11月25日の朝に立つことができなくなってしまいました。
レントゲン検査の結果、起立不能の原因は「骨軟化症」(なんらかの原因で骨が弱くなっている。)と思われ、右前肢に圧迫骨折が見られました。
 
寝たきりになった「オウジ」は床ずれを防ぎ、健康を維持するために1日1回寝返りをさせ、ミルクや野菜ジュースなどを飲んだり、バナナやリンゴなども食べ元気にしていました。オスらしく牙も伸び、体重も生まれたときから約4倍以上になっていました。
 
昨年7月にはタイ国へ職員を派遣し、ゾウのリハビリ専門家に相談するなど情報収集し、また10月からは市内の大学教授の協力でリハビリに取り組んできました。
 
立てなくなってからの3年6か月の間、飼育員と獣医師が懸命に治療とリハビリをしてきましたが、4月5日から食欲がなくなり、付きっ切りで治療してきましたが、今朝病状が急変し、残念な結果となってしまいました。

「オウジ」が亡くなったことで、当園のインドゾウは「オウジ」の両親である「マック」(オス、19歳)と「ズゼ」(メス、22歳)の2頭となりました。
 
なお、王子動物園では4月14日(土曜)に「オウジのお別れ会」を行います。

インドゾウの「オウジ」

年齢
4歳5ヶ月
体重
生まれたとき  154kg(2007年10月21日)
最後の測定時 630kg(2011年6月3日)

「オウジ」君の生涯

・2007年10月21日
  神戸市立王子動物園で父「マック」、母「ズゼ」との間に生まれる。
  日本で生まれた3頭目のインドゾウで、オスの誕生は国内初。
  母親の「ズゼ」が育てることができなかったので人工哺育を行った。

・2007年12月15日
  一般公募で「オウジ」と命名され、寝室内での公開が始まる。

・2008年3月20日
  屋外運動場での公開を始めた。

・2008年10月19日
  立つことができなくなり、寝たきりの生活となる。
  この日より非公開となった。

・2012年4月7日
  午前9時30分に死亡。

※  ※  ※

 当アトモス部屋におけるオウジくんの記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/39014733.html


 元気だった頃のオウジくん(再掲)。

 




 思えば、今回のジャガーさんの写真を撮ったときは、まだオウジくんは元気に遊んでいたのです。

 飼育員のお兄さんにとっても甘えていたねえ(再掲)。

 




 体重の重いゾウさんが立てなくなるというのは、生きていく上で重大な致命傷なので、とても心配だったのですが、とても残念です。


 元気な頃より療養で寝たきりの期間の方がずっと長かったのが可哀想でなりません。

 でも、よく頑張りましたね。お疲れ様でした。

 天国で思いっきりかけっこしたらいいね。

 ずっと王子君の世話をし、看護に当たっておられた飼育員の皆さん達はさぞかし無念でしょう。

 オウジくんのご冥福をお祈りいたします。









大阪府立図書館に行ってきたよ(その3) 【ファイルT175】2012.06.14

【ファイルT175】2012.06.14大阪府立図書館に行ってきたよ(その3)

図書館建設に当たっては、多くの人たちの力があったんだねえ。

  (その1)から見られる方はこちら。
 http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53280603.html

 館内にはこの図書館の設立に当たって尽力された方々をパネル展示して顕彰してあります。

 第十五代 住友吉左衛門友純(すみともきちざえもんともいと)氏
 【元治(がんじ)元(1864)年~大正15(1926)年】





右大臣徳大寺公純(うだいじんとくだいじきんいと)氏の第六男として生まれる。
幼名は隆麿(たかまろ)。
西園寺公望(さいおんじきんもち)氏は実兄である。
明治25年住友家の養子となり
明治26年住友家第15代を相続、
名を吉左衛門と改め、諱(いみな)を友純と称した、
住友本店に臨時建築部を設け、近代日本の本格的な様式建築である大阪図書館を完成させた。


 初代館長 今井貫一(いまいかんいち)氏
 【明治3(1870)年~昭和15(1940)年】





徳島県生まれ。大阪に出て勉学、
大阪高等中学校(後の三高:京都大学教養部)に入学。
東京帝国大学を卒業後、29歳で愛知県立第三中学校長に就任。
三年後の明治36年大阪図書館長として着任。
開館式で「図書館の事業たるや学校教育と相駢(あいならべ)て個人の知徳を啓発し、
社会の進運(しんうん)を促(うなが)し、以(もっ)て国利民福(こくりみんぷく)を増進するにあり」
と述べ、熱意と誠意を以って事に当たり、図書館の基礎を築いた。
昭和8年まで奉職。


 野口孫市(まごいち)氏
 【明治2(1869)年~大正4(1915)年】





姫路生まれ。
明治27年に東京帝国大学工科大学造科学科(だいがくぞうかがっか)を卒業。
大学院で耐震構造を学び、明治29年逓信省(ていしんしょう)に勤務、
明治32年に住友家に招かれ、
明治33年住友臨時建築部の技師長となる。
第一作が府立図書館であり、設計、監理にあたる。
野口氏の設計には府立図書館のほか、住友須磨別邸、住友銀行各地支店、大阪明治生命保険会社、大阪心斎橋、大阪倶楽部(旧館)、大阪中央電気倶楽部などがある。


 日高胖(ひだかゆたか)氏
 【明治8(1875)年~昭和28(1953)年】





東京府生まれ。
明治33年に東京帝国大学工科建築学科卒業と同時に住友本店に入り、臨時建築部に
勤務した。野口氏を援けて府立図書館建築工事に従事。
大正の左右両翼棟増築の際には、技師長として故野口氏に代わって設計を担当し野口氏の意匠を忠実に踏襲して完成させた。
日高氏は大正9年発行の『野口博士建築図集(のぐちはくしけんちくずしゅう)』に
「故工学博士野口孫市君小伝(ここうがくはくしのぐちまごいちくんしょうでん)を書いている。


 華族出身で学習院法律選科を5年生で退学した、施主の第十五代 住友吉左衛門友純氏以外は、全員東京帝国大学出身の蒼々たる経歴です。

 そもそも東京帝国大学自体が、国を背負って立つ優秀な官僚を育成リクルートするための機関で、当時はその機能を充分果たしていたと言えるでしょう。

 当時は東京帝国大学卒業という以前に、旧制高校出身と言うだけで、今の東大卒とは比較にならないほどのエリートだったのです。

 一高寮歌『嗚呼玉杯(ああぎょくはい)』の歌詞「栄華(えいが)の巷(ちまた)低く見て」というプライドの高さにそれは表れていますね。


 さらに、地下の資料室の展示を観てみましょう。


 『棟札(むなふだ)』です。





 平成10年に発見され、平成11年5月13日付けで国重要文化財に指定されました。

 この棟札は、明治37年2月、住友家第15代家長住友吉左衛門が建設し、大阪府へ寄附した図書館「本館」の建築時に当時の建築関係者によって行われた上棟式(明治36年8月5日に挙行)において奉じられたものです。

 棟札とは、建物の棟上(むねあ)げの時、工事の由緒、建築の年月日、施工者(せこうしゃ)や工匠(こうしょう)の名を記(しる)した木の札のことをいいます。

 形状(けいじょう) 

形 尖頭形五角形(せんとうけいごかっけい)、材質 檜(ひのき)、
大きさ 総高(そうだか)48.87寸(148.1㎝)、
肩幅 11.94寸(36.2㎝)、厚さ1.12寸(3.4㎝)


 表面中央に記載されている「奏上棟 大元尊神守護所(だいげんそんしんしゅごしょ)」は主文(しゅぶん)といい、「大元尊神(だいげんそんしん)」は国常立尊(くにのとこたちのみこと)または天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)のことをいいます。





 「罔象女神(みずはのめのかみ)」は水の神を、「五帝龍神(ごていりゅうじん)」は古代支那の伝説上の五聖君(ごせいくん)で、火難除(かなんよ)けと聖君(せいくん)にあやかり博識たらんことを祈願したものと考えられるそうです。

 施主(せしゅ)住友吉左衛門(すみともきちざえもん)の名に加えて、工事顧問として辰野金吾博士(たつのきんごはくし)、設計・監督者の野口孫市(のぐちまごいち)・日高胖(ひだかゆたか)の両工学士、現場主任久保田小三郎(くぼたこさぶろう)などの体制ですすめられたことがうかがえます。現場掛員や常雇大工の名も書かれています。













 工事顧問には、日本建築界の大御所、辰野金吾博士が携わっていたのですね。

 また、裏面には「明治36年8月吉祥(きっしょう)」と記載され、明治33年9月以来3年で上棟式を迎えたことがうかがえます。





 石工職(いしくしょく)、煉化職(れんがしょく)、大工職(だいくしょく)、手傳職(てつだいしょく)、ペンキ職、鉄工職、錺職(かざりしょく)、左官職、木挽職(こびきしょく)硝子職(がらすしょく)

 各職人さんの15名の名前が並んでいます。





 この『棟札(むなふだ)』が発見されたことで、これらの人たちが再び陽の目を観ることができたのですね。ですから、私も全員の名前が写るように写真を撮り、こうやって御紹介しているのです。

 『棟札』がこのような形で発見されるというのは、とても珍しく貴重なので、国の重要文化財に指定されることになったということです。

 こうやってみると、明治維新からそんなに経っていないのに、日本の職人さんがこんな立派な建物を建てたということが分かります。

 偉いねえ。

 辰野金吾博士(たつのきんごはくし)は、ジョサイア・コンドルさんの弟子で、そういう先生が弟子に技を継承していきました。

 ところがそれだけではなく、現場で汗を流した、もともとは日本建築しかやったことがなかった大工さん職人さんも西洋建築の技を習得継承していき、優秀な人材が増えていったのですね。

 私はこの棟札の裏に記された職人さんの名前を観て、とても感心したと共に、多くの無名の人夫さん達のことも思いをいたしました。

 本当に文化というのは、人なのですね。

 現在、公共工事やゼネコン、土建屋さんが悪の権化のように指弾されていて、今回のTPPやグローバル化という名の売国行為によって、日本に質の低い外国のゼネコンを導入しようとする人達が政財界、教育機関・マスコミを跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しています。一体何を考えているのでしょうか?

 本当に日本の土建屋さんの技術の継承というのは、こんなことでうまくいくのでしょうか?私はこんなことからも日本の将来を危惧しています。


 次に続きます。

平将門の首塚は魔都東京一のパワースポット(下) 【ファイルET65】2012.06.10 

【ファイルET65】2012.06.10 平将門の首塚は魔都東京一のパワースポット(下)

今なお存在し続ける将門さんの祟り。

(上)から読まれる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53268939.html

 ということで、前回は中世に将門さんの祟(たた)りが恐れられたという話を御紹介しました。

 前回の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53314297.html

 今回はそれ以降、現在に至るまで、将門さんの祟りだと言われている事象を御紹介しましょう。
 
 朝日新聞 昭和45年(1970)7月19日 東京版の記事 『たたりと近代ビル 手つかずの一等地』と『伝説探訪 東京妖怪地図 荒俣宏監修 田中聡著』を中心に参照し、まとめると。

 江戸時代、首塚は酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)の屋敷内にありました。

 その屋敷では伊達騒動の結果、伊達安芸(あき)、原田甲斐(はらだかい)が殺されたといいます。

 前回お話ししたように、明治維新で、江戸城が皇居(宮城)となって天皇陛下が江戸城に入ると、再度朝敵だとみなされた神田明神の将門さんは、祭神から格下げされ、首塚は明治5年に首洗い池とも呼ばれる蓮(はす)の浮かぶ御手洗(みたらし)池とともに大蔵省の中庭に薄暗く残されました。

 しかしながら、大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災で、大蔵省の庁舎は失われ、首塚も破損しました、

 そこで首塚を発掘調査したところ、塚の下から長方形の石室が現れましたが、その墓の主ははっきりしませんでした。

 調査後、石室は壊され、御手洗池も埋められてその上に大蔵省の仮庁舎が建てられました。

 ところが、間もなく大蔵官僚の中に病人が続出します。そして、一年ほどの間に早見整爾(はやみせいじ)大蔵大臣をはじめとして十四人があいついで命を落としていったのでした。

 『これは将門公の塚を粗略にした祟り』ということで塚の上の庁舎を取りこわし、大蔵省内の不安を取除くことになりました。
 

 大蔵省の悲劇はそれだけでは終わりません。

 昭和15年6月20日。突然、落雷が発生し大蔵省本庁舎が炎上します。

 省内に再び『慰霊祭をおろそかにしていた罰なのでは』という声があがり、庁舎は直ちに移転し、大蔵省は将門公没後千年とあわせ一千年祭を挙行した上に、河田烈大蔵大臣がみずから筆をとり古跡保存碑を建立しました。
 
 平将門の首塚の碑(再掲)





 また、大東亜戦争敗戦後の昭和二十年暮れ。進駐してきたマッカーサーの連合軍総司令部(GHQ)が、コンクリートと雑草で荒れる塚周辺をモータープールにしようと着工。首塚は徹底的に破壊されました。

 ところが、その工事中に整地作業をしていたブルドーザーが突然、横転。日本人運転手と作業員の二人がブルドーザーの下敷きになり一名が即死し一名が大けがをします。

 古くからの言い伝えを知る近くの材木商、遠藤政蔵さんが司令部に出頭し「あの塚は日本の昔の大酋長(だいしゅうちょう)の墓。ぜひ、つぶさず残してほしい」と陳情した結果、さすがのGHQもこれを了承し、塚は残されました。

 アメリカもインディアンの聖地や遺跡を多く破壊した歴史がありますから、いろいろと祟りにあって懲りていたのでしょうね。

 しかし、もうその時には石塔婆の行方さえ知れぬ有様でした。

 行方不明の石塔婆はその後三つに折れた姿で見つかり、今は茨城県の神田山(かどやま)延命院の胴塚の脇に復元されて立っているそうです。


 昭和36年。モータープール撤収後の跡地であった首塚の東側土地が日本長期信用銀行と三井生命保険相互に払いさげられビル建設が着工されます。

 このとき長銀(日本長期信用銀行)の建った場所は塚の旧参道の上でした。

 昭和38年ごろ、塚に面した各階の部屋の行員がつぎつぎに発病します。

 長銀は「たたりなんて、ちょっと本気になれないが」と半信半疑ながらも、塚の管理者神田明神の神官を呼び盛大な慰霊祭を挙行しました。

 その後、長銀の塚に面した部屋で仕事をする行員の机などは「塚にシリを向けては……」という配慮から、窓側を向くか、横向きにされたと言われます。
 

 さらに昭和39年、塚の西北部の土地を入手した三井物産が、昭和44(1969)年ごろから新社屋建設を計画します。

 地下鉄大手町駅との連絡地下道建設工事や、社屋横に作る労働省方面への通路建設などから塚の土地も入手できれば好都合と考えたのです。

 そこで、管理する神田明神、同塚保存会に意向を打診したところ「建物ならともかく塚を動かしたら古跡の意味がなくなる。また、昔からこういう怨霊伝説もある」との返事が返ってきます。

 地主の東京都も「払下げてもかまわないが」といいながらも、尻込みしたため既に新社屋建設室までつくっていた三井物産も、諦めざるをえませんでした。

 当時の新社屋建設室 城田一雄参事は「塚の土地はなくてもかまわないんです。科学の時代に、たたりなんて本気にはしませんが、そんな話を聞くとどうしてもという気にならないのはたしか」と言ったそうです。
 
 当時、一平方メートルあたり約65万円。287平方メートルある塚周辺の土地を手放せば都には1億8000万円見当の金が得られると言われていました。

 当時の東京都磯村光男財務局長は「土地利用から見たら払下げるべきでしょうねえ。ま、保存会側や買手など八方まるくおさまりゃ、売ってもいい。祟りはあたしが受けてもいいですがねえ。ハ ハ ハ」と言っていたそうです。
 
 更に、『伝説探訪 東京妖怪地図 荒俣宏監修 田中聡著』によると、昭和48年のビル工事のときも、祟りがささやかれたということです。

 首塚の向かいと横とで二つのビルの工事が行われたましが、横手のビルは首塚供養を篤(あつ)く行ってから着工しました。

 ところが、向かいのビルでは無関心で粗末な扱いをしたため、祟りはたちまち前のビルにくだり、首塚側の地下室で工事中の2名が死亡、同じ場所でケガ人も続出。しかも死者二人は同じ苗字で、ケガ人にも頭文字の共通する人が多かったといいます。


 ただ、上記の主な情報源が、平将門さんを祀り上げることで天皇の権威を否定し、皇室を廃絶したくてしょうがない『朝日新聞』というのが、少々ひっかかるのですが・・・。


 このように現在もなお、将門の首塚は数多くの時代の波を乗り越え、高層ビルの建ち並ぶ、一等地丸の内のオフィス街のど真ん中で東京を守護しています。

 現在の将門さんの首塚の周囲の様子(再掲)。





 Google マップではこうなっています。









西:三井物産ビル
北:三井物産別館
北東:三井生命ビル
東:大手町パルビル(旧長銀ビル)

 東にあった長銀(日本長期信用銀行)は既に今はありません。

 平成10(1998)年10月23日、形式的には長銀自身の破綻申請は即日その認定がなされ、日本政府により特別公的管理銀行として一時国有化されました。

 また、三井物産のIJPC(イランジャパン石油株式会社)が昭和54(1979)年2月に起こったホメイニ氏のイラン革命で頓挫したのも新社屋を将門さんの首塚の上に建てようとした祟りだと言われたりしました。

 つまり、将門さんの祟りは現在にも生きているのです。

 ということで、将門さんのように例えかつては逆賊であったとされていた人でも戦で亡くなった人の霊を疎略に扱うと、その祟りは何倍にもなって返ってくるのです。


 現在、日本には反日左翼を中心として靖國神社の替わりに国家の慰霊施設を作れというようなとんでもないことを言う人がいますが、逆賊でも無いどころか『靖国で会おう』と誓って国のために命を捧げた人達にこんな侮辱を与えるならば、その祟りはちょっと想像も付きません。

 こういう人達は日本の文化や歴史を舐めているとしか思えないのですが。
 
 ということで、平将門さんの首塚のお話でした。

 本当に『祟り』って怖いですね。

 次回は平将門公をお祀りしている神田明神です。

金星のトランジット(太陽面通過・日面通過)を観たよ 【ファイルSI 05】2012.06.05 

【ファイルSI 05】2012.06.05金星のトランジット(太陽面通過・日面通過)を観たよ

次は2117年だよ。

 前回は金環日食の記事を御紹介しました。

 金環日食の記事はこちら。
https://metoronjr7.fc2.net/blog-entry-925.html

 本日、6月6日朝7時頃には、太陽の前を金星が通過し、太陽表面を黒い点(金星)が移動するように見える『金星のトランジット(Transit of Venus, 2012=金星の太陽面通過・日面通過)』がおきます。

【Transit of Venus across sun observed over areas in Japan】

 『金星のトランジット』もとても珍しい現象で、日本どころか全地球上で次に見られるのは2117年。今回を見のがすと100年以上も見られないのです。

 
 トランジットは、惑星が地球と太陽の間を通過する時に発生する現象です。


 トランジットを見ることができる可能性があるのは、地球よりも太陽に近い軌道を描く水星と金星だけです。

 比較的公転軌道が小さい水星は、公転周期も短いため、13年ないし14年おきにトランジットが発生します。
水星の次のトランジットは、最近では2003年と2006年に起こり、次は2016年と2019年に起こりますが、実際に次に日本で見られるのは2032年です。

 ただし、水星の場合、見かけの大きさが太陽の1/150以下と小さすぎるため金星の日面通過の場合のように特別な眼鏡やフィルター、金星のトランジットのように日食眼鏡などを使って肉眼で観測することは難しいのです。


 しかしながら見かけの大きさが太陽の1/30で日食眼鏡などを使って肉眼で観測できる金星のトランジットは、公転軌道が黄道面に対し傾いているため、非常に稀となります。

 この時だけは、普段は奥ゆかしい金星さんが「へいへい、ちょっくらごめんなさいよ」ってお天道様の前を横切るのです。

 ですから、今回見逃すと、次回は2117年まで待たなくてはならないのです。

 つまり、今回が今世紀最後の金星のトランジットなのですね。

 それで、この前金環日食の時に使った撮影場所に行ったらば、うへえ、曇ってたよお!

 トランジット開始時間(外蝕の始め7時10分)になっても全く見えません。

 それで前回同様、念を込めて雲に向かって息をふうふうしたらば、ああら不思議。

 雲が切れました。





 いきなりお日様が現れたから、ピントも露光も甘いねえ。

 内蝕の始め(7時28分頃)の写真。




 
 上の写真を拡大します。





 太陽の縁に接している部分が離れずに引き伸ばされ、水のしずくのような形に変形して見えていますが、この現象はブラック・ドロップ効果と呼ばれています。

 カリフォルニア州オークランドにあるチャボット宇宙科学センターの天文学者ベン・バレス(Ben Burress)氏は「これは主に、地球の大気によるぶれが原因だと考えられている。さらに、地球から見た太陽の縁の部分が比較的暗く見えることも、この現象の発生に一役買っている」と説明しています。

 金星の大気と言っても地球とは違って、二酸化炭素を主成分とし、わずかに窒素が含まれる程度です。

 大気圧は非常に高く、地表で約90気圧もあり、これは地球での水深900mの水圧に相当します。

 膨大な量の二酸化炭素によって温室効果が生じ、地表温度の平均で400℃、上限が 500℃に達する灼熱地獄です。とてもじゃないけど人が住めたもんじゃないねえ。

 このような温室効果のため金星の地表は、太陽により近い水星の表面温度よりも高くなっているのです。

 雲の最上部では風速が時速350kmにも達するのですが、地表では時速数kmの風が吹く程度です。

 二酸化硫黄の雲から降る硫酸の雨が金星全体を覆っていますが、この雨が地表に届くことはありません。

 いくら地表の風速が遅くて硫酸の雨が届かないといっても、金星の大気圧が非常に高いため、地表の構造物に対して強力な風化作用が働きます。


 なお、2011年にヨーロッパ宇宙機関(ESA)の探査機「ビーナス・エクスプレス」が大気の上層からオゾン層を発見しました。


 さらに内蝕が進み、完全に太陽の光球の中にくっきりと金星が写っています。





 地球からの金星の見かけ上の直径は太陽の1/30しかありません。

 望遠レンズだと見えますが、日蝕眼鏡だと小さすぎて見にくいねえ。

 金星の方が太陽より遙かに地球に近いのに、こんなに大きさが違って見えるんだねえ。

 この光景を見ると、本当に金星が地球より太陽に近い軌道で公転していることがリアルに実感できます。知識として知っていることでも、いざこうやって自分の目で見ると、世界観が変わりますね。

 やっぱり、金星も地球も太陽の周りをまわっているんだねえ。本当に御苦労様だねえ。

 それから、私たちの住んでいる地球も、公転軌道より外側からみたら、こんな感じに見えるのですね。2001年宇宙の旅だねえ。

 金環日食も感動的でしたが、太陽は恒星で月は地球の衛星です。

 この金星トランジットは地球と同じ惑星の出来事ですから、特別ですね。


 本日のトランジットは、金星が約6時間をかけて太陽の正面を横切ります。

 今回、トランジットを最初から最後まで見ることができたのは、日本の外では、アメリカのハワイ州、アラスカ州、ニュージーランド、フィリピン、そしてオーストラリアのほぼ全土、東アジアの国々の一部でした。

 北米地域では、午後遅くに金星が太陽の正面を横切り始める姿は確認できますがが、トランジットの最中に太陽が沈んでしまいます。

 また、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリア西部では、6日の日の出時には既に太陽の間を金星が通過し始めているのです。

 日本は今回、好条件に恵まれていたんだねえ。日本はアマチュアも含めて天文学のレベルが高いから、データが沢山採れますね。

 今回のトランジットを利用して集めた金星の大気のデータを、欧州宇宙機関(ESA)の金星探査衛星ビーナス・エクスプレスが集めた計測データと比較しようとする動きもあるそうです。

 ビーナス・エクスプレスは金星の密度の高い大気における興味深い気象パターンに関する情報を地球に送信しているのですが、金星に近い位置にいるため、一度に集められるデータは金星の一部地域に限られているのです。

 ところが、今回のトランジットでは、金星の上層大気における気象に関してより大局的な視点からの観察が可能で、各地域の相互関係も把握できるのです。


 他方、NASA/ESAのハッブル宇宙望遠鏡においては、このトランジットの機会を活用し、太陽以外の恒星の周囲を回る太陽系外惑星を発見し、その性質を特定する手法の精度を向上させようとしているのだそうです。

 今回のハッブル望遠鏡による観測は、NASAの宇宙望遠鏡ケプラーが現在実施している観測にとって、格好の比較対象になるはずなのです。

 宇宙望遠鏡ケプラーは、恒星の周りを回る惑星のトランジットにより地球から見た恒星の光量が下がる現象を手がかりに、太陽系外惑星の探査を進めており、これまでにケプラーが惑星と確認した天体は61、惑星候補の数は2300以上にのぼります。

 ところが、ウィリアムズ大学のパサコフ教授によれば、「これらの恒星は非常に遠くにあり、詳しいところまでは観測できないため、こうした太陽系外惑星のトランジットは、対象となる恒星の全体的な光量の変化でしか検知できない」ということなのです。

 そのため、現在ケプラーが集めたデータの分析では、多くの推定を加えた上で、太陽系外惑星の大きさや大気の組成をはじきだしているのです。

 その点、今回の金星のトランジットにおける太陽光の変化を記録すれば、近隣の惑星である金星の組成と、これまでの計算が合致しているかを確かめることができます。

 このデータ結果がさらに遠くにある太陽系外惑星に関するモデルの改良にも役立つのではないかと期待されているのです。

 「我々の太陽系におけるトランジットの詳細を理解することが、はるか彼方の恒星系におけるトランジットの仕組みを解き明かすことにもつながる」のだそうです。

 他の星に地球のような知的生命体が住んでいるとしたら、やはり地球のような条件の整った惑星でしょうから、他の恒星系の惑星の研究というのは、我々の想像力を大きく刺激しますね。


 今回のトランジットはこの前の金環日食より現象としては地味ですが、科学的には貴重なデータの蓄積が期待できるのです。

【参考:ナショナルジオグラフィック ニュース『金星の日面通過、21世紀最後』
Andrew Fazekas  for National Geographic News June 5, 2012より】
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20120605002&expand#title


 最後にトランジット中の金星が最小角距離になった時間帯の写真です。





 この時、金星は一番太陽の真ん中に位置しています。

 ゴミのように見えている太陽黒点は、地球よりずっと大きいんだねえ。

 上の写真を拡大します。





 本当に地球生命の源であるお天道様はでっかいんだねえ。

 金星は太陽、月についで明るく見える星であることから、明け方に見えるのが「明けの明星」、夕方に見えるのが「宵の明星」と呼ばれていますが、近い星なのに太陽と較べたらこんなに小さく見えるのですね。

 ということで、今回は金星のトランジット(太陽面通過・日面通過)でした。







神戸市立王子動物園のジャガーさんだよ 【ファイルC245】2012.06.03 

【ファイルC245】2012.06.03 神戸市立王子動物園のジャガーさんだよ

お元気だった頃のアントニオさんだねえ。

 今回はジャガーのアントニオ(オス)さんのご紹介です。これも随分と以前に撮りました。

 




 こんにちは。

 




 実は、かなり以前に撮った写真のため申し訳ないのですが、ネットで調べたらこのオスのアントニオさんは、2010年6月10日に老衰でお亡くなりになったそうです。享年21歳。

 ですから、今回は思い出の写真ということになります。

 動物のお写真はすぐにUPしないとだめだねえ。


 分類はネコ科、ヒョウ亜科、ヒョウ属 、ジャガー。
 
 体長:頭胴長約120-185cm、尾70-91 cm。体重45-158 kg。

 これは、ネコ科の動物としてはトラ・ライオンに次ぐ大きさで、南北アメリカ大陸では最大です。

 それで南アメリカの森林では食物連鎖の頂点にあり、最強の捕食者と言えるのです。

 だから、ジャガー横田さんも強いんだねえ。


 立派な体格です。

 また、体格に比べ頭骨が大きく、噛む力が非常に強いのが特徴なんだって。


 本当に大きなあごだねえ。

 




 これでひと噛みされたら、首の骨が簡単に折れちゃうねえ。
 

 もともとジャガーさんは南アメリカ大陸の南端からアメリカとメキシコとの国境周辺一体にお住まいだったのですが、現在は中南米の人里離れた地域、特にアマゾン川流域のみで細々と暮らしています。

 ジャガーさんは標高1,200m以下の森林の水辺や沼沢地に好んで住みます。サバンナや荒地の他、砂漠にも現れます。

 
 ジャガーさんは、中南米メソアメリカの人々にとって、最も畏怖すべき生物でした。

 マヤ文明圏におけるジャガー神は、地下世界の王にして夜の太陽の化身とされていました。
 マヤの人々は、昼間は天にいる太陽神が、日没と共に地下に潜ると考えていて、この地下に潜っている姿がジャガー神です。

 マヤ文明の遺跡からは、ジャガー神の石像やレリーフなどが数多く発見されていますが、そのいずれもが「への字」型の独特の口元をしています。

 マヤ文明圏の西、メキシコ湾沿い低湿地帯で繁栄したオルメカ文明では「ジャガー人間」と呼ばれる彫像が見られます。これもメソアメリカ共通の「ジャガー信仰」の表れと考えられていて、このジャガー人間が、のちにメソアメリカ全体に広まった「雨神」チャクや、トラロックの原型だという説もあるそうです。

 雨と稲妻をつかさどる「雨神」チャクは、マヤ地域において重要な神様です。

 人間の生命を支える農作物を育てるには、安定した水源が欠かせませんが、マヤ地域には大きな川がありません。

 とくに、雨水がたまってできる泉「セノーテ」に頼るしかなかったマヤ低地北部の人々にとっては、雨こそが命の源ですから、とても重要な神様のチャクに捧げた神殿も建てられたほどです。

 それほど大切な神様の原型がジャガーさんだという説があるんだから、ジャガーさんは偉いねえ。


 また、ジャガーという名前の由来は、アマゾンの南アメリカインディアンの言葉『ヤガー(突きで殺す者)』から来ているそうです。
 

 ジャガーさんは、『夜の太陽の化身』ですから基本的に夜行性なのですが、お腹が空くと日中も夜中も関係なく狩りに出かけます。狩りは、ほとんど地上で行われ、相手に気づかれないように忍び寄って襲撃します。

 シカやアルマジロやカピバラ等の齧歯類、ペッカリー、バク、ナマケモノ、ホエザル等の霊長類を狩ります。

 同じ王子動物園にいたカピバラさん御一家(再掲)。

 




 うへえ、食べちゃダメだよお。

 でもカピバラさんも子沢山だから、増えるに任せたら、生態系が崩れるんですね。

 大型の獲物を倒した時などは、食べきれないものを茂みの中に隠したりして、次の日に食べに来る習性があるのですが、これはヒョウやピューマなど、他のネコ科の動物にも見られる習性だそうです。

 ジャガーさんはヒョウのように木登りが得意で、時には待ち伏せのために木に登り、その後、強烈なひとかみで獲物を仕留めます。

 また、ほかのネコ科の動物と違い、ジャガーさんは水を嫌がらないどころか、泳ぎを得意にしています。

 そのおかげで、魚やカメ、カイマンなど小型のワニなどもエサにすることができるのです。

 
 ほとんどのジャガーの体色は黄褐色かオレンジ色で、ヒョウのような『ロゼット』と呼ばれるバラの花びらの形に似た独特な黒い斑点で覆われています。

 中には、無地のようにも見える真っ黒なジャガーもいるのですが、よく観察するとちゃんと斑点があることが分かります。
 
 ジャガーさんは繁殖期以外は単独で暮らし、数平方キロメートルに渡る広大な行動圏を持ちます。

 行動圏の中に昼寝などする休息場をいくつかもっています。

 1頭のオスの行動圏に数頭のメスの行動圏が重複するので、オスとメスはお互い平和共存しています。

 オス同士、メス同士はお互いに避け合います。オス同士の行動圏の端は若干重複するのですが、尿や糞によりマーキングすることにより直接会うのを避けるようにしています。

 ジャガーは決まった繁殖期はありません。オスは交尾期になるとメスの気を引くために「ミャーミャー」と鳴きます。

 出産は2年に1回行われ、メスは100日前後の妊娠期間後に、1~4頭(通常1~2頭)の子どもを出産します。

 生まれたての子どもの体重は700~900gで、目は閉じており見えていません。

 13日経つと目が開き、見え始め、1歳半~2歳まで母親と共に過ごし、狩りの方法などを教わりながら育てられます。

 2歳を過ぎると母親の元から離れ、独立します。ジャガーの性成熟は2歳半から3歳です。


 ジャガーさんは、レッドリストに準絶滅危惧種(NT)として指定され、国際的に保護されている現在に至ってもその美しい毛皮のために乱獲されています。

 また、牧場主らが家畜を守るためジャガーを殺すこともあります。

 こんなに礼儀正しいのに、可哀想だねえ。

 




 何を考えてるのかな?

 




 オフィシャル・スポンサーはジャガーミシンさんです。

 




 プロのスポーツ選手みたいですね。


 ジャガーさんの飼育下での寿命は20年という例があるということです。

 ところが、このアントニオさんは、2010年6月10日に老衰でお亡くなりになった時は21歳だったんだって。

 今回の写真を撮ったときは既にご高齢だったはずなのですが、毛並みの色つやが良かったから、てっきり若いのだと思っていました。

 のんびり余生を送っていたのですね。





 健康で長寿をまっとうしたんですね。





 さようなら、ご冥福をお祈りします。


 現在、王子動物園のジャガー舎には、カナダからやってきた黒いジャガーのローラさん(メス)がお住まいだそうです。

 黒いジャガーは珍しいので、機会があったらローラさんにも会いたいねえ。








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