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神田明神は江戸の総鎮守(5) 【ファイルET70】2012.08.28 

【ファイルET70】2012.08.28 神田明神は江戸の総鎮守(5)

御神殿の御祭神のほかにも沢山神様がいらっしゃいます。


 御神殿の裏には、摂末社が並んで建っています。また、史跡もあります。御神殿に比べて地味で素通りしそうですが、それぞれに立派な由来があります。

 デジカメは、メモ代わりに説明板を撮れるので便利ですが、あとで読んでみると江戸の歴史エピソードが分かってなかなか面白いので、書き起こし、HPで調べたものと合わせて残しておきますね。

 まず、三天王(いずれも祭神は建速須佐之男命)の神社から。

【三天王 三の宮 小舟町八雲神社(こぶなちょうやくもじんじゃ)】






 御祭神 建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)
 祭礼日 6月6日

 この神社は江戸城内吹上御苑より神田神社と共にこの地に遷座された。小舟町〔貞享年間(1684~)までは小伝馬町〕お仮屋を有し神輿が渡御されたことから小舟町の天王と称された。

 明治以前は公命により、江戸全町域の疫病退散の為、江戸城内・北奉行所・日本橋々上に神輿を奉安し祈祷が行われた。

 東都歳時記によれば、当時の天王祭は一丁目にお仮屋ができ大提灯・大注連縄(しめなわ)が張られ。二丁目には七、八間の絹張りの神門が造られその左右に随神が置かれ長さ五丈の杉の木を植込み、鰹節の樽積みが高々と重ねられた。三丁目には須佐之男命と稲田姫の造り物、八岐大蛇の行灯、天王祭の大幟をたて神輿の神幸を待った。

 神輿は六月十日に明神境内を発輿して氏子百八十か所を巡り還輿するのは十三日か十四日その間の里程は十三里に及んだといわれる。このことから十三里天王ともいわれた。

 近年では出雲祭と改められ小舟町街中に壮大なお仮屋がたてられ、華麗にして勇壮な大神輿の神幸祭が不定期に斎行されている。


 ※  ※  ※

 建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)さんも、御神殿の御祭神の三柱である大己貴命(おおむなちのみこと=だいこく様)、少彦名命(すくなひことみこと=えびす様)・平将門命(たいらのまさかどのみこと=まさかど様)同様どちらかというとアウトサイダー的な神様です。

 建速須佐之男命と言えば、京都祇園祭の御祭神として有名ですね。

 『お仮屋』って、お祭りの時にお神輿に乗って渡御(とぎょ)された神様を仮に奉安する、京都祇園祭でいうところの『御旅所(おたびしょ)』のことですね。

 建速須佐之男命は強力なパワーをお持ちなので、各地で崇敬されています。鰹節の樽積みがお供えされていたなんて、良いですね。私も鰹節が大好きです。

 

【魚河岸水神社(うおがし すいじんじゃ)】






 祭神 : 弥都波能売命(ミツハノメノミコト)
 祭礼日 五月五日

 日本橋魚河岸水神社は、徳川家の武運長久と併せて大漁安全を祈願する為、魚河岸の先人により武蔵国豊島群柴崎村神田明神境内(今の千代田区大手町)に鎮座された。

 元和年間(1615~)神田神社と共に此の地に遷り、大市場交易神と称されその後、水神社と改称し更に明治二十四年(1891)魚河岸水神社と社名を変更し、日本橋魚市場の守護神として崇敬されている。なお、日本橋より築地に移った築地中央卸売市場内には、当社の遙拝所が建てられ、市場に関わる人々の篤い信仰により支えられている。

 当神社の崇敬体「魚河岸会」の所有する加茂能人形山車は、江戸城内に参内し徳川歴代将軍の上覧に浴し、再三褒賞を賜った江戸の代表的山車であったが惜しくも関東大震災により烏有に帰した。

 その後、昭和三十年江戸文化の一端を永く後世に遺す為、文久二年(1862)当時そのままの山車を再現した。隔年に行われる神田祭には、その絢爛豪華な山車の全容を拝観することができる。


※  ※  ※

 それにしても、一心太助(いっしんたすけ)さんに象徴されるように魚河岸と徳川将軍家ってつながりが深いのですね。

 以前記事にした大阪の鰻の老舗柴藤さんも、創業者の初代治兵衛さんが将軍家に魚を献上する川魚商を営んでいて、八代将軍 吉宗さんからの勧めで料理屋『柴藤』を大阪城付近で開業したのが始まりなのでした。

 柴藤さんの記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53155928.html
 
 恵比寿さま同様、豊漁を祈願する神様は海洋国家日本にとってとても重要です。

 威勢の良い魚河岸の神社があるなんて、さすがは江戸っ子だねえ。

 江戸時代はずっとマルクス主義的進歩主義の講座派の学者達によってずっと封建主義の暗い時代だとさげすまれてきました。

 遠藤周作さんのエッセイでも、当時の全共闘世代の若者がなにかあると『封建的(ほうけんてき)』のことを「ふうけんてきだ!」と漢字を読み間違えて大人を指弾していた世相が書かれていたりします。

 しかしながら、昨今江戸の見直しが行われています。

 当時の封建的支配者であった将軍家の方が、現代よりむしろいろいろと庶民の生活に気を配っていた面が多かったことが分かります。


?H1>【小唄塚、小唄作詞塚】





 当神社の神田祭は、江戸っ子の「粋」と「いなせ」と「勢い肌(いきおいはだ)」の象徴でありました。

 江戸小唄の中には神田祭は随所に取り入れられています。

 この憧憬もあって、大正・昭和の小唄作曲に大きな足跡を残された吉田草紙庵(本名吉田金太郎)を、縁りあるこの地に顕彰し、三十一年三月に小唄作詞家の市川三升・英十三・宮川曼魚の三長老(小唄作詞家グループ火星会の前身閑吟会を結成し後輩の指導に当った)により小唄塚は建立された。

 その後昭和六十二年六月に、小唄火星会をはじめ小唄作詞家教会の人々の発起により、小唄塚三十数年を記念して、作詞家を讃え、顕彰すべく小唄作詞塚が建立された。

 茲に、小唄の両輪である、作詞・作曲双方の塚を揃え顕彰する事ができました。

※  ※  ※

 江戸小唄というのは江戸情緒を表した文化ですよね。

 小唄『神田祭り(勢い肌)』の動画がありました。



 うまく観られない時はこちら。
  http://www.youtube.com/watch?v=lp23Hyh65Co


 勢い肌(いきおいははだ)だよ 神田で育ちゃ 
 わけて祭りの派手好み 
 派手なようでもすっきりと 
 足並みそろえて練(ね)り出す花山車(はなだし) 
 オーンヤレ 引け引け
 良い声かけて そよが締めかけ 中綱(なかづな)よいよい 
 オーエンヤリョー 伊達(だて)も喧嘩も江戸の華(はな)♪

 ※  ※  ※

 江戸っ子気質を良く言い表した唄ですね。

 つまり江戸っ子、即ち神田祭なんだねえ。

 『勢い肌』いうのは、威勢が良くて弱きを助け強きをくじく『にんきよう(漢字は文字化け)』の気風、江戸っ子気質のことだそうです。

 江戸っ子が、べらんめえ口調でテンポ良く啖呵を切るのはカッコいいねえ。

 『勢い肌』は『勇み肌(いさみはだ)』とも言います。

 『勇み肌』とは時として『勇み足』になって、ややこしいことになりがちです。

 『顔見知り』と『人見知り』って間違う人を良く見かけますけどね。

 ということで、小唄の『神田祭り』をご紹介したところで、次に続きますね。

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八景島シーパラダイスのエンゼルフィッシュさんだよ 【ファイルC250】2012.08.23 

【ファイルC250】2012.08.23 八景島シーパラダイスのエンゼルフィッシュさんだよ

熱帯魚の代名詞だねえ。

 八景島シーパラダイスにエンゼルフィシュがお住まいでした。

 




 こんにちは。

 




 正面からみると平べったくて変なの。

 エンゼルフィッシュさんは全長12 - 15cmほどで、体は木の葉のように平べったいのです。

 背びれと腹びれ、尻びれが長く発達していて、品種改良されたっものは様々なカラーヴァバリュエーションに富んでいるのですが、野生個体は銀白色で、体側に褐色の3本の横縞があります。

 それにしても、エンゼルフィッシュさんって『熱帯魚』の代名詞だねえ。

 かつては大人気で、水族館でも特別な存在だったのに。それでもってお金がかかって手間もかかって、お金持ちが飼っているお魚というイメージがあったのに。

 ところが、最近は『熱帯魚』も『エンゼルフィッシュ』もあんまり聞きません。

 わんちゃんで言えば、『コリー犬』や『スピッツ』みたいに影が薄いのです。だから、八景島でお目にかかれて懐かしかったのです。

 エンゼルフィッシュさんはスズキ目ベラ亜目クリッド科エンゼルフィッシュ属 のお魚です。英名はFreshwater angelfishで、ただのエンゼルフィッシュじゃないのですね。

 それにしても、『フレッシュウォーター』って何だろう?綺麗な水にしか住まないのかな?

 「水清ければ大魚無し」とか「清水に魚棲まず」とか言われるけれど、どうなっているのでしょう。

 実はこれは、英語で『エンゼルフィッシュ』といえばエンゼルフィッシュの他にもチョウチョウウオに似た海水魚・キンチャクダイ類を意味することがあるので、エンゼルフィッシュを"Freshwater angelfish"、キンチャクダイを"Marine angelfish"として区別しているためなのです。

 だから、『フレッシュウォーター』ってただ単に『淡水』ってことなんだねえ。

 私は色が綺麗な模様で形も綺麗なので、エンゼルフィッシュはてっきり海水魚だと思い込んでいました。


 『エンゼルフィッシュ』という名前は、観てのとおり、大きなひれで悠然と優雅に泳ぐさまが天使のようだからです。

 最近は"Angel"を『エンジェル』と読むのが一般的ですが、この魚は現在に至るまで『エンジェルフィッシュ』じゃなくて『エンゼルフィッシュ』なのです。

 そういえば、森永製菓のエンゼルパイも、『エンジェルパイ』じゃなくて『エンゼルパイ』なんだねえ。

 つまり『エンゼル』のほうが伝統と由緒があるのです。

 エンゼルフィッシュさんは、アマゾン川流域を中心とした南アメリカ北部に分布し、水の流れがあまりない水域に生息する淡水魚です。

 アマゾンだから熱帯魚なのですね。

 水中では水草や樹木の陰で暮らしていることが多いのだそうです。

 食性は肉食性で、昆虫、貝類、甲殻類、イトミミズ、魚卵、小魚などを餌とします。

 だから、口の中に入るような小さなお魚と一緒に飼ったらだめなんだって。うへえ、人見かけによらないねえ。


 野生種は、アルタム・エンゼル、デュメリリィ・エンゼル、レオポルディ・エンゼル、スカラレ・エンゼルの四種類ですが、人間の手で多くの改良品種が作られました。

 特にスカラレ種は多くのバリエーションがあって改良品種の基となったそうです。

 日本にエンゼルフィッシュが初めて輸入されたのは1930年頃といわれていて、案外と日本人との付き合いが長いのですね。

 産卵は岩、水草、水中に垂れ下がった木の葉などでおこなわれ、1ヶ所に1000個ほどの小さな卵を円状に並べて産卵します。

 オスとメスは産卵後も残り、卵と稚魚の世話をする子煩悩お父さんです。ただし、親が稚魚を食べてしまうこともあるんだって。


 エンゼルフィッシュさんは、どちらかというと温和な種ではあるのですが、縄張り意識がやや強く、自分の縄張りを主張して他の魚を攻撃してしまうことがあるので、飼育する際は注意する必要があるそうです。

 でも八景島ではこうやって仲良く固まってお暮らしです。

 




 きっと飼育員さんがプロだから上手に飼われているのですね。


 一人を撮っていると、別の子が写りに来ます。

 




 うしろには人影も写りこんでいます。

 ここのエンゼルフィッシュ水槽は、外にあって円柱形でだからどの方向からも観察できて、明るくて良いのですが、その分、水槽の向こう側にいる人が写ってしまうのです。


 ちょっと気取ってお洒落なポーズ。

 




 とういうことで、最後にご挨拶。

 




 さようなら、元気でね。

 それにしても、こんなにエンゼルフィッシュさんをじっくり観察したのは初めてだったのです。水族館にいくと新しい発見があるのですね。








まだまだあるよ。プロ野球選手のそっくりさんたち 【ファイルSO09】2012.08.19 

【ファイルSO09】2012.08.19 まだまだあるよ。プロ野球選手のそっくりさんたち

今度は実写版だねえ。

 前回は、アニメキャラクターのそっくりさんでしたが、↓
 まず、かなり以前にテレビのバラエティー番組を見ていたらば、このたび引退を表明した田口壮(たぐちそう)選手【オリックス・ブルーウェーブ-セントルイス・カージナルス-フィラデルフィア・フィリーズ-シカゴ・カブス-オリックス・バファローズ】が出ていました。





 ・・・とてっきり田口選手だとばかり思って見ていたら、なんか様子が変です。

 ダウンタウンの二人にばんばん突っ込まれています。スター選手なのに、ずいぶん雑な扱いだなあとぼんやりと見ていました。

 結局だいぶん経ってからこの人が田口選手じゃなくて、『ほんこん』さんと『130R』というコンビを組んでいる板尾創路(いたおいつじ)さんという人だったのです。





 今では、さすがに区別がつきますけれど、この時は本当に間違えてしまいました。


 堀内恒夫(ほりうち つねお)さんは言わずと知れた巨人V9時代の大エースです。後に監督にも就任されました。





 堀内さんは巨人のエースナンバー『18』をつけていました。鼻っ柱が強くて、選手時代は『悪太郎』とか『甲府(甲斐)の小天狗』と呼ばれたりしていました。

 それで、堀内さんが参議院議員通常選挙に自民党から立候補したときは、びっくりしました。

 谷垣禎一(たにがき さだかず)自由民主党総裁と紛らわしいのです。





 このお二人が、一緒に握手なんかされた日にゃあ。





 堀内さんは惜しくも落選されましたが。

 谷垣さんって、加藤の乱の時、「加藤先生、あなたは大将なんだから! 独りで突撃なんてダメですよ!」って涙ながらの慰留をしたくらいしか記憶に無く、首相になれず全く旨味のない自民党の総裁を押し付けられるのですから、とても良い人らしいのです。

 でも、そのせいか民主党があれだけチョンボしまくっても、政権を奪還できません。なんだかねえ。

 
 お次はフルスイングで有名な中村紀洋(なかむら のりひろ)選手【近鉄バファローズ-大阪近鉄バファローズ-オリックス・バファローズ-ロサンゼルス・ドジャース-オリックス・バファローズ-中日ドラゴンズ-東北楽天ゴールデンイーグルス-横浜ベイスターズ-横浜DeNAベイスターズ】。





 中村紀洋の近鉄バファローズ時代のお弁当のフタ。その名も『紀洋弁当フルスイング』。





 紀洋弁当の『なかむらのり弁』だから、てっきりノリ弁当だと思ったら、ハンバーグやトンカツやご飯や山菜が入った普通のお弁当だったので少しがっかり。

 なんとなく似ているのが、東京ディズニーランドに偽造パスポートでやってきて、つかまった金正男さん。





 金正男さんといえば、関西の漫才コンビ『おかけんたゆうた』のおかけんたさん【写真左】にも似ています。





 この人は大病を患われたようで、痩せられましたが、健康の時はもっと似ていました。


 最後に、現在読売ジャイアンツに所属する強打者の小笠原道大(おがさわらみちひろ)内野手【日本ハムファイターズ-北海道日本ハムファイターズ -読売ジャイアンツ】。

 この人が日本ハムファイターズ時代にお髭を生やしていて、そのお顔立ちがなんか神々しかったのです。





 先ほどの『紀洋弁当フルスイング』を買った時の試合が、近鉄対日ハム戦だったのですが、試合前の練習のとき、先ほどの金正男さんじゃなくて、中村紀洋選手と、小笠原道大選手のお二人が並んで仲良く歓談していました。

 小笠原選手を見ていると、どうしてこんなに有り難い気持ちが沸き起こるのだろうかと長い間疑問だったのですが、その理由が分かりました。

 小笠原選手のお顔が、この御方の肖像画に似ているのです。





 勿体(もったい)なくも畏(かしこ)くも、人代の初代天皇であらせられる神武天皇【じんむてんのう=『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)、『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される】です。

 バッターボックスの小笠原道大選手。





 こちらが、バッターボックスの神武天皇。





 同じ左打者でバッティングフォームも似ているねえ。

 ・・・じゃなくて、これは神武天皇の東征の場面を描いた絵です。





 この絵は、神武天皇の東征の際に、バットじゃなくて弓の弭(ゆはず)にとまった黄金色の鵄(とび)が光り輝き、長髄彦(ながすねひこ)の軍を眩ませたという日本神話の伝説を描いたものです。

 この弓の弭(ゆはず)にとまった黄金色の鵄(とび)に由来するのが、上部に金の鵄をあしらった金鵄勲章(きんしくんしょう)です。
 
 富嶽隊長 西尾常三郎大佐に授与された功二級金鶏勲章(再掲)






 西尾常三郎大佐の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52438750.html

 金鶏勲章の図案(再掲)。





 金鵄勲章(きんしくんしょう)は、かつて制定されていた日本の勲章の一つで授与対象は大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍の軍人軍属でした。


 ということで機会が有れば、また続きますね。










天王寺公園内の住友さんが寄贈した大阪市立美術館敷地と、住友家茶臼山本邸庭園だった慶沢園(その2) 【ファイルT178】2012.08.15 

【ファイルT178】2012.08.15 天王寺公園内の住友さんが寄贈した大阪市立美術館敷地と、住友家茶臼山本邸庭園だった慶沢園(その2)

かつて、大阪には名市長がいた

 住友さんについての記事の続きです。
 住友家についての記事を最初から読まれる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53064436.html

 前回の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53462787.html

 前回は『元祖竹本義太夫誕生地』の碑に寄り道しましたが、やっとこさ、天王寺公園に入ります。

 天王寺公園には、池上四郎 (第6代大阪市長)さんの銅像が建っていました。
 




 横には顕彰碑が設置されていました。一部文字が掠れかかっていたので、記録として読めるうちに全部を書き起こしてUPしておきますね。

 ※  ※  ※

 池上市長顕彰碑

 池上四君は安政四年四月十八日会津若松に生れ大志を抱いて才を警史に起し累進して大阪府警察部長の職にあること十四年 大正二年十月与望に応えて第六代大阪市長に就任し寛厚沈着にして清廉果敢大いに市政刷新向上の実を挙げ本市政史上初めて市長三選の栄を得られた。

 ことにこの間市財界の宿望であった大阪電燈株式会社の買収を初め財政の整理 都市計画事業の確立 築港の完成 水道の拡張 市庁舎の新築 学区の負担均整 実業中校の増設 社会教育の振興 社会事業の創設 諸病院の拡張など近代都市大阪建設一の緒を開かれた大きな業績は今日その輝かしい成果を見その恩恵を思うにつけ深く感銘にたえないところである。
 
 昭和三年二月には選ばれて朝鮮総督府政務総監の要職につかれまた大いに箔績を挙げられつつあったが翌四年四月四日東京出張中病を得にわかに長逝された
 
 昭和十年四月その遺徳遺業を敬慕する知友相謀り天王寺公園中央部の一角に銅像を建立されたが同十七年十二月金属回収の戦時国策に従って供出されたので本年市制施行七十周年に際し彫塑原型によって復元しこの地に再建して長くその功労を後世に伝えるものである

 昭和三十四年六月

                 大阪市長 中居光次

 ※  ※  ※


 WIKIPEDIAの記事を参考に補足すると、池上四【いけがみ しろう、安政4年4月18日(1857年5月11日) - 昭和4年(1929年)4月4日】さんは、日本の警察官僚、政治家。第6代大阪市長、第6代朝鮮総督府政務総監です。

 兄に検事・池上三郎、娘婿に内務省官吏石川銀蔵。また文仁親王妃紀子殿下は曾孫に当たります。

 会津若松生まれの池上四郎さんは11歳のときに戊辰戦争を経験しています。

 兄の友次郎さんは、鳥羽・伏見の戦いの正月五日の戦で戦死。父・武輔は井深宅右衛門の第二遊撃隊の組頭として越後小千谷で新政府軍と戦い、負傷(北越戦争)している典型的な会津藩士の家庭に生まれ育ったのです。

 四郎さんは、兄の三郎さんと共に白虎隊少年隊員として会津若松城に篭城しました。

 白虎隊本隊への入隊も希望ましたたが、15歳以上という規約のため除外されます。
 
 つまり四郎さんは、白虎隊のなり損ねだったのですね。

 もし、この時に白虎隊本体への入隊が許されていたら、池上四郎さんは悲劇的な最後を遂げていたに違いありません。

 敵に城を取り囲まれて、一日に約二千五百発の砲弾が撃ち込まれる中で、四郎さんは少年隊の仲間と共に唐人凧をあげて仲間の士気を鼓舞したというエピソードが残っているそうです(会津戦争)。

 鶴が城の開城後は、再興を許された斗南藩へ父母に連れられ一家六人で移住し、開拓農民として辛苦に満ちた生活を送ります。

 その厳しい生活において父・武輔さんは息子の三郎さんと四郎さんに「お前達は日新館で安倍井帽山先生や、高津し【さんずいに右は巛の下が田】山先生に教わったことを基礎として、勉強するのだ。武士の道は刻苦、忍耐と魂の練磨である」と説いたといいます。

 その後、四郎さんは兄の三郎さんを頼って上京。

 横浜正金銀行の柳谷卯三郎氏の書生となり、苦しい生活の中で勉学に励みました。

 1877年、池上さんは警視局一等巡査として採用され、間もなく警部として石川県に赴任しました。その後、富山県などの警察署長、京都府警部などを歴任し、1898年からは千葉県警察部長、兵庫県警察部長を歴任します。

 1900年には大阪府警察部長となり、その後13年間に渡って大阪の治安維持に尽力します。

 その清廉で、自ら現場に立ち責任を果たす精勤ぶりと冷静な判断力は、多くの市民から信頼を集めました。

 明治新政府から賊軍として冷や飯を食わされていた会津藩出身なのに、ここまでの出世栄達を果たしたというのは、余程実力があったのでしょうね。

 つまり、池上さんは剛胆な文武両道の英傑だったのです。

 1913年、池上さんはその実績を買われ、嘱望されて大阪市長に就任しました。

 市の財政再建を進める一方、都市計画事業や電気・水道事業、さらには大阪港の建設などの都市基盤を整備し、近代都市への脱皮を図りました。

 御堂筋を拡張し大阪のメインストリートとする計画は池上さんの市長時代に立案され、続く関一(せきはじめ)市長時代に実現を見ました。

 関一市長もまた大阪の歴史に残る名市長です。

 また、市庁舎の新築、博物館や図書館などの教育施設や病院の整備など、社会福祉の充実にも尽力します。

 池上さんは1915年に天王寺動物園を開園させ、1919年に全国初の児童相談所・公共託児所を開設しました。


 ですから、没後有志によって池上さんゆかりの地、天王寺公園内に銅像が建立されたのですね。


 池上市長は1923年には大阪電燈株式会社を買収し、電力事業を市営化しました。また1923年9月に発生した関東大震災では、いち早く大阪港から支援物資を東京に送り、被災者の救済を行いました。

 そして池上さんは3期10年の市長職を退任後の1927年、朝鮮総督府政務総監として、当時日本と合邦されていた朝鮮半島へ赴任します。

 そして、大土地所有制によって貧困化していた朝鮮小作農民を救済するため、小作法を制定するなどの救済政策を進めました。

 今の朝鮮人は、頻りに日本が朝鮮を植民地支配し搾取したと言いがかりを付け、金をせびりつづけますが、日本が合法的に合邦する前の李氏朝鮮時代には、朝鮮の人たちは両班(やんばん)というごく一握りの貴族階級から酷い搾取・圧迫を受けていました。

 ところが、現在朝鮮半島の人々や日本にお住まいの在日の方々は、全員口を揃えて「うちの祖先は両班だ」と言うのだから笑止千万です。両班の大安売りです。

 そもそも農業も禄に発達しておらず、朝鮮半島の庶民は春窮(しゅんきゅう)と言って、秋に収穫した農作物を春には食べ尽くしてしまい、飢餓状態に陥っていたという有様だったのです。

 そんな支那の属国として、支配者階級が威張り倒していた未開の貧困国家に対して日本政府は日本人の税金をつぎ込み暖かい援助の手を差し伸べました。

 農地を開墾し、灌漑し、学校を建て教育を授け、当時貴族は漢文で文章を書き、殆ど文盲だった朝鮮の庶民に、女子供用の文字ですっかり忘れ去られていた諺文(おんもん=現在韓国ではハングル、北朝鮮ではチョソングルと呼び世界一合理的な文字という誇大妄想にかられている文字)を提供し、朝鮮の人たちに人間らしい生活を与えたのです。

 池上さんもまた、日本政府が施した朝鮮の近代化に大きな足跡を残したのですね。


 口だけ達者(?マスコミ的にはそういうことになっているらしいのですが、私には言ってることも滅茶苦茶だとしか思えないのですが)の某市長とえらい違いです。

 というより、この池上市長の遺産をぶち壊そうと血眼になっているのが現橋下大阪市長なのです。

 迷惑を被るのは大阪府民・大阪市民だけにしてほしいものです。はた迷惑ですから。


 次回に続きますね。













神田明神は江戸の総鎮守(4) 【ファイルET69】2012.08.08 

【ファイルET69】2012.08.08 神田明神は江戸の総鎮守(4)

御神殿の御祭神は、大己貴命、少彦名命、平将門命の三柱だよ。

 最初から見られる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53382446.html

 神田明神御神殿の御祭神は三柱いらっしゃいます。

一之宮 大己貴命(おおむなちのみこと=だいこく様)。


 縁結びの神様です。天平2年(730)ご鎮座されました。

 国土開発、殖産、医薬・医療に大きな力を発揮され、国土経営、夫婦和合、縁結びの神様として崇敬されています。また祖霊のいらっしゃる世界・幽冥(かくりよ)を守護する神とも言われています。

 大国主命(おおくにぬしのみこと)という別名もお持ちで、島根県の古社・出雲大社(いずもおおやしろ、いずもたいしゃ)のご祭神でもあります。

 神田明神にある一之宮 大己貴命(大黒様)の大きな石像です。




 
 福々しいお顔です。開運招福でお目出度いねえ。


二之宮 少彦名命(すくなひことみこと=えびす様)。


 商売繁昌の神様。
 商売繁昌、医薬健康、開運招福の神様です。

 日本に最初にお生まれになった神様のお一人・『古事記』では神皇産霊神(かみむすびのかみ)の子とされ、『日本書紀』では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされ、大海の彼方・常世(とこよ)の国よりいらっしゃり、手のひらに乗るほどの小さなお姿ながら知恵に優れ、だいこく様とともに日本の国づくりをなされました。

 少彦名命(すくなひこのみこと=えびす様)のご尊像です。





 神田神社の二の宮であるこの像は鳳凰殿竣成記念として、平成17年に建立されました。

 少彦名命は小さくて可愛い手のひらサイズです。





 造形は、少彦名命が大海原の彼方より、イルカさん、ウミガメさん、マグロさん、フグさんといった、海のお友達に守られ、木の実の船に乗って波間に来臨する可憐な姿を描いています。金工家で東京芸術大学学長の宮田亮平教授により制作されました。


三之宮 平将門命(たいらのまさかどのみこと=まさかど様)。

 除災厄除の神様。延慶2年(1309)にご奉祀。

 神田明神HPによると『平将門公は、承平・天慶年間、武士の先駆け「兵(つわもの)」として、関東の政治改革をはかり、命をかけて民衆たちを守ったお方です』ということになります。

 明治7年(1874)に一時、摂社・将門神社に遷座されましたが、昭和59年に再びご本殿に奉祀され今日にいたっています。また、東京都千代田区大手町・将門塚(東京都指定文化財)には将門公の御首がお祀りしてあります。

 将門公の摂社・将門神社への遷座や、戦後本社祭神に復帰したすったもんだの顛末も含め、平将門公については東京都千代田区大手町・平将門首塚の記事で詳しく御紹介しましたので、ご覧下さい。
 
 平将門首塚の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53268939.html

 奮戦する平将門公(再掲)。





 それにしても、

①出雲系の神様である大国主命(大黒様)と、


②一寸法師の元型とされる小人神の少彦名命で、倉野憲司校注の岩波文庫では『水蛭子【ひるこ:ひるのような骨無し子の意か。】。この子は葦船【あしぶね】にて流し去(う)てき。』という神様が由来であるという説もある恵比寿様と、


③朝廷に謀反を起こした関東武士の守護神である平将門公という、どちらかというとアウトローの三柱の神様が本社御祭神の神田明神が、『総鎮守』である江戸の街というのは、京の都(みやこ)を擁する上方から見ると、つくづく特殊な辺境の地だったのですね。


 それこそ魑魅魍魎の霊気が渦巻く魔界だったのだと思います。

というより、朝廷の力が江戸に及ばないように、徳川家康と天海上人が故意にこのようなアウトローの三柱の神様を本社御祭神に定め、魔力のバリアとして結界を張ったのかも知れません。


 そもそも、源頼朝が都(みやこ)の京から遠く離れた鎌倉に幕府を開いたのは、朝廷のいる京に住んで公家化した平家が骨抜きになったのを教訓にしたからなのですね。

 同様に、公家化や朝廷の霊的パワーを嫌った徳川家は、系図上は清和源氏新田氏の支流得川氏の末裔ということになっていますし。

 もっとも鎌倉幕府が、天皇親政の建武の中興で瓦解したように、260年続いた江戸の幕府も結局、『尊皇攘夷』の運動で倒れたのですから、家康の心配も杞憂ではなかったのですが。

 なお、江戸の『魔界の祭り』である神田祭では、大江山(おおえやま)の酒呑童子(しゅてんどうじ)の首も引き回されていました。

 須田町一丁目の附祭は、鬼の切り首(「大江凱陣の学び」)です。





 【神田明神祭礼図巻:東京国立博物館蔵】

 これは、平将門公の首も晒された京都から胴体を求めて江戸まで飛んできたのですが、まさか、神田祭で御祭神の将門公の首を引き回すわけにはいきませんので、その霊力や伝承を酒呑童子に託したのでしょうね。

 将門公も鬼神となられ、その強大なパワーで世界的なスーパーシティーの東京を今なお守護しているのです。世界最先端のテクノシティーが霊力のバリアで守護されているところが、不思議ですね。


 なお、大江山の酒呑童子は、女流歌人和泉式部(いずみしきぶ)の夫、平井保昌(ひらいやすまさ=藤原保昌)さんを筆頭に、源頼光(よりみつ=通称らいこう)を大番頭として配下の四天王【渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(さかたのきんとき=足柄山の金太郎さん)、卜部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいのさだみつ)】合計6人で退治されました。

 以前、祇園祭の記事でこのことは紹介しましたね。
 
 記事はこちら。
: http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/41077517.html

 酒呑童子を退治する源頼光さんと四天王(再掲)。





 鬼の姿に変身した酒呑童子の首を頼光(左端)が切り捨てた図で、鬼の首が頼光の頭を咬もうとしていますが、星甲(ほしかぶと)が防いでいます。

 平井保昌(ひらいやすまさ=藤原保昌)さんをモチーフにした、京都祇園祭の保昌山(ほしょうやま(再掲)。





 外国人観光客は東京見物でまず浅草訪れますが、これも東京というテクノロジー都市と神社や寺や巨大な提灯といった呪術的風景のギャップが興味深いのでしょうね。

 例えば、西洋人にとってイギリスのウェストミンスター大聖堂を観光しても、イギリスの産業革命とのギャップはこれほどまでに感じられないはずです。キリスト教と近代文明は地続きだからです。更にいうと、科学と西洋占星術、錬金術、魔術も地続きなのですね。
 
 本当は日本のアニミズム的な神道や仏教も近代文明とは地続きのはずなのですが、そのあたり日本人の幻想領域のことを考えていこうというのも、当アトモス部屋の目的の一つであるのです。

 あと、神田明神には滝のほとばしる峨々(がが)たる岩山の上で下界を睥睨する『石獅子 夫婦二頭』がいらっしゃいます。





 代田区指定有形民俗文化財

 【本石獅子は、区内に残る数少ない江戸期の石造物のひとつであり、当時の庶民の信仰を知る上で貴重な資料である。
 『武江年表』には「文久2年(1862)11月両替屋仲間より神田社前へ、岩石を積み、石にて刻み獅子氏の子落としの作り物を納む」とあり、江戸時代でも幕末期に製作されたと考えられる。
 神社境内の獅子山に据え付けられていたが、大正12年(1923)の関東大震災により獅子山自体は崩壊した。その際、子獅子は、紛失したものの、親獅子2頭は、保存され、再建された獅子山に据えられた。 平成3年12月 千代田区教育委員会】

 親子獅子だったのに、子獅子が迷子になったんだねえ。見つかると良いねえ。


 ということで、次回に続きます。














よこはま動物園ズーラシアのテングザルさんだよ 【ファイルC249】2012.08.04 

【ファイルC249】2012.08.04 よこはま動物園ズーラシアのテングザルさんだよ

お鼻が高いねえ。

 よこはま動物園ズーラシアには2009年からテングザルさんがお住まいです。

 




 のんびりと寛いでいるねえ。

 




 こっちの人は、なんか黄昏(たそがれ)ています。

 




 汚れたガラス越しなので、霧がかかったように写っています。

 こんにちは。

 




 そもそも名前の由来からして、天狗(てんぐ)さんのような長い鼻をもつテングザルなのです。テングザルさん、特に大人のオスは大きな鼻が特徴で、食事の時には邪魔になるときもあり、時々片手で鼻を押し上げながら食べ物を口に運ぶこともある程です。

 何のために大きいのかは正確には不明ですが、メスに対するセックスアピール、または大きな声を出すための共鳴器とも言われています。

 でも、ここの人たちはテレビで観た野生の人たちほど鼻は大きくありません。

 大人のオスがいないのかな?それとも、オランウータンさんの大人のオスのフランジ(頬だこ)のように、屈強なボスしか鼻が大きくならないのかな?

 テングザルさんは、サル目オナガザル科コロブス亜科ングザル属のお猿さんです。

 体長オス73-76cm、メス61-64cm。尾長オス66-67cm、メス55-62cm。
体重オス14-24kg、メス8-12kg。

  インドネシア、マレーシアに属するボルネオ島のみに生息します。

 主な生息地は海沿いのマングローブ林や川沿いの湿地林で、一部は川沿いにかなりの上流部(標高245m)にも生息します。1匹のオスと複数のメス、そして子どもたちが十数匹の群れを作って暮らしています。

 指趾の間には水かきがあります。そのため、泳ぎはとても上手です。カエルさんみたいだねえ。

 樹上から水に跳びこみ(地上15mの樹上から水面に飛びこんだ例もあるそうです)泳いだり、水深の浅い場所なら直立して歩行し対岸に渡ることもあります。

 群れの結びつきは弱く、雌雄ともに群れから群れへ行き来します。また若いオスのみで群れを形成することもあります。

 日中は強い陽射しからの避難や食物消化のため休み、薄明薄暮時に活動します。妊娠期間は約166日。1回に1頭の幼獣を産み、授乳期間は約7か月です。

 テングザルさんは生存競争の激しいジャングルを、独特の戦略で何十万年も生き抜いてきました。

 一般的なサルは熟れた果物が主食ですが、テングザルは森のどこでも手に入る木の葉を大量に食べます。特に若葉を好むのですが、(木の葉44%、種子20%、果実17%、花3%、小動物1%)葉には消化しにくい繊維や毒が含まれます。

 そこで、他のコロブス亜科と同様、大きくくびれた胃を持ち、そこで微生物による消化をおこなっています。
 
 大きな鼻の外に、太鼓腹(たいこばら)もテングザルさんの特徴ですが、この大きなお腹の中でゆっくりと消化をするのですね。

 




 太鼓腹太鼓腹って言わないでよお!
 うへえ、怒られたねえ。

 NHKの『ダーウィンが来た!』159回「負けるが勝ち!テングザル」生きもの新伝説の公式サイトには、あります。
http://cgi2.nhk.or.jp/darwin/broadcasting/detail.cgi?p=p159
※    ※    ※

 テングザルは生存競争の激しいジャングルを、独特の戦略で何十万年も生き抜いてきました。一般的なサルは熟れた果物が主食ですが、テングザルは森のどこでも手に入る木の葉を大量に食べます。

 葉には消化しにくい繊維や毒が含まれますが、胃を特殊化させたので分解できるんです。そのためテングザルは、食べものをめぐる他のサルとの競争から解放されました。

 さらに、命がおびやかされる事でも無い限り「争い事を徹底的に避ける」という不思議な性質を持ちます。その典型的な例がテングザルよりもずっと小柄なカニクイザルとの寝場所争い。
テングザルの群れの方が先に寝場所を陣取っていても、カニクイザルが近づいただけで、全員が抵抗もせず場所を譲ってしまいます。

 たとえ損をしても穏やかに暮らす方を選ぶのが、テングザル流の生き方なんです。

※    ※    ※

 と日本を武装解除させたい中国電視台日本支部NHKが嬉しそうに上から目線で報告しています。本当に歯の浮くような褒めちぎり様です。

 『他のサルとの競争から解放』って、さすが他民族や自国民を大量虐殺する人民解放軍の味方NHKだけのことはあります。

 だから日本人もテングザルさんを見習って『たとえ損をしても穏やかに暮らす方を選』んで尖閣を支那に渡せって?

 その台詞、あんた達の母国の中華人民共和国に言いなよ。核実験で東トルキスタンの人を虐殺し、武装警察でチベット人を虐殺しているくせに。

 『人間動物園』で日本が台湾のパイワン族を見世物にしたというでっちあげ番組を作ってまで日本が台湾と争い、中華人民共和国が喜ぶような種をわざわざ撒くNHKに偉そうに説教されたくないよ。だったら、NHKはパイワン族の訴訟提起に一切争わないんだよね?

 それにしても、他者と争わないというためには、自分の消化器官を大改造するという大きな代償が必要なのですね。


 一方、昨年京都大学が、日本モンキーセンターのテングザルさんが「反芻(はんすう)」に類似した行動を発見したと発表しました。
 
 京都大学HPより
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news6/2011/110413_1.htm

※    ※    ※

 テングザルの反芻行動の発見(2011年4月13日)

 松田一希 霊長類研究所・日本学術振興会特別研究員(PD)の研究成果が、3月30日(英国時間)に英国科学誌「バイオロジー・レターズ」に掲載されました。

 日本語タイトル「テングザルの反芻行動」

 大型動物における、新しい行動の発見というのは、近年では非常に稀である。

 我々の研究チームは、テングザルというボルネオ島に固有のサルにおいて、牛などが食べ物を飲み込んだり、吐き戻したりするという「反芻(はんすう)」に類似した行動を発見した。

 霊長類において、このような行動が観察されたのは、世界で初めてである。(以下略)

※    ※    ※

 さすがはお猿さんの研究で世界のトップクラスの京都大学だけはあります。

 微生物による消化を行う上に、「反芻(はんすう)」に類似した行動がとれるなんて、鬼に金棒だねえ。

 NHKの『ダーウィンが来た!』『負けるが勝ち!テングザル』公式サイトには、更にこう続けてあります。
http://cgi2.nhk.or.jp/darwin/broadcasting/detail.cgi?p=p159

※    ※    ※

 しかし、そんな気弱で消極的なテングザルが一時的に大胆になることがあります。高さ20メートルもの樹上から天敵のワニのすむ川に飛び込み、対岸まで泳ぐんです。

なぜ危険を冒してまで川を渡るんでしょうか?その謎が最近の研究で明らかになりました。実はテングザルたちの目当ては、 他のサルが決して見向きもしない「熟れていない」果物。

 熟れたものに比べると堅くてまずい代わりに、葉よりも栄養が高く、見つけさえすれば独占できます。競争を避けるテングザルにとって都合の良いご馳走だったんです。

 徹底的に争わない生き方で、独自路線を切り開いてきたテングザル。

※    ※    ※

 って、『そんな気弱で消極的な』とか、『競争を避けるテングザルにとって都合の良いご馳走だ』とか、『徹底的に争わない生き方で、独自路線を切り開いてきた』とか勝手に飾り立てて本当に胡散臭くて五月蠅いねえ。

 NHKの手にかかればほらこの通り、無心に懸命に生きているテングザルさんの珍しい生態も中共のプロパガンダ(政治宣伝)の道具に成り下がります。

 テングザルさんにはテングザルさんの事情があって、生きるために仕方なくやっていることなのでしょに。本当に薄気味が悪いったらありゃしない。

 第一、食物連鎖の関係で言えば、生物界では争わずにただ肉食生物ひたすら食べられるだけの生物の方が圧倒的に多いのです。イワシさんなんて、いろんな魚から食べられ続け、人間も大量に食べます。

 それはともかく、こういう生態をもっているにもかかわらずテングザルさんはいま、絶滅の危機に直面しています。それは、その生息地で人間が住宅を建てたり、農地や鉱山を開発しているためで、現在8000頭を下回ったとみられ希少度(レッドリスト)絶滅危惧種(EN)希少度(CITES)附属書Iに記載されています。

 
 日本では、前述の京都大学日本モンキーセンターが1974年-2005年飼育(日本初の長期飼育記録)に成功し、1977年には日本初繁殖の実績があります。この長期飼育記録により、以後どこの動物園でも飼育できる道が切り開かました。ここ横浜でテングザルさんと会えるのもこの研究成果のおかげなのですね。

 なお、日本モンキーセンターは繁殖した個体のうち、2頭をジャカルタの動物園経由で現地へ帰しています。こういった形で野生種の保護に日本が貢献しているのだと思うと、応援したくなりますね。

 元気いっぱい跳ね回っています。

 








 長い尻尾だねえ。

 




 この二人は兄弟かな?親子かな?仲良くいつも一緒にいます。

 




 




 さようなら、元気でね。

 




 ということで、横浜のテングザルさんでした。






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