FC2ブログ

『生について』 【ファイルC8】 2007.02.23




【ファイルC8】 2007.02.23『生について』

 上は『生きていくピコリン』の絵だよ!

 この前、風邪をひいて、自分が寝てる間に免疫系が戦ってるのに、意識だけが偉いと思っているのは、傲慢ではないかというような趣旨のことを書きました。

 先日、お友達のうたかげさんから、バトンをいただきました。

http://blogs.yahoo.co.jp/ephemeral06/45128464.html

 でも、それぞれのテーマが重いので、とりあえず、『生について』なら、この前の記事の続きを書いて、お茶を濁せるのかな?って思ったこともあり、それで、この前の続きで、少し書かせてください。

 命というのは、当たり前のことですけど、人間だけが持っているのではありません。


 ウイルスを生物と呼ぶかどうかという判断はここで下さないにしても、大腸菌なんかのバクテリアになると、もうこれは生物ですよね。彼等も生きています。

 単細胞生物は分裂して増えるだけなので、全滅しない限りどれかは生きているわけですから、ある意味で不死といえます。

 癌ウィルスなんかも不死なのかな?アメリカで1951年に31歳のヘレン・ヒーラという女性が子宮癌で亡くなりましたが、その癌細胞はそのまま培養されて研究用に今も生き続けています。

 一方、人間のような複雑な構造をもった生物は、個体の死があります。

 何故個体の死があるかというと、進化するためで、進化するには雌雄の別があって、遺伝子をシャッフルしないといけないので、シヤッフルし終えた個体は不要なので、死んでいくわけですね。人間や多くの哺乳動物はその後、育児という役目があるので、その後も寿命がありますけど。

 いわば、我々は、ある意味で男女の性と進化の代償に、個体の死というものを甘受しているわけです。それで極端な話、生物というのは、所詮遺伝子のための乗り物に過ぎないという学者もいるわけです。

 そうだとして、生きることに意味があるかということになるわけですよね。

 ここで、意味とか無意味とかいうことを言い出すのは、言葉・文字といった象徴的なコミュニケーション手段を手に入れた人間だけなのであって、それで、バクテリアまで含めた生物のもつ広範な生命の意味を問うこと自体が矛盾を孕んでいるわけです。

 そういうと話がそこでストップするので、それを不問に付すという留保をつけた上で、敢えて生命とは?っていうことを考えてみます。

 バクテリアまで行かなくても、植物なんかも生きているわけです。植物には神経も脳もありません。
 動物に脳があるのは、捕食したり、敵から逃れることによって、生命を維持するという戦略をとり、そのためのセンサーが末端に集まってできたアナラーザー(分析)やカリュキュレーター(演算)やコントローラー(統御)等の役目をするのが脳なわけです。

 それで、一切の出力は筋肉を介して行うわけです。

 昔、『ジョニーは戦場に行った』という映画があって、主人公は戦争で両手足、眼・鼻・口・耳を失って、チューブだらけになって生きているわけですけど、子供の頃ボーイスカウトで覚えたモールス信号を思い出して、しきりに首を揺すって、意思の伝達をしようとします。これで、首の筋肉も動かなければ、他人からみれば植物人間と区別がまったくつかないわけです。脳波を取れば多少は分かるでしょうけど。

 それから、脳死問題云々という話がありますが、心臓停止の後も脳細胞が全滅するまで時間がかかりますし、体の全細胞が全部死に絶える前に大抵は火葬にふすわけです。
 細胞の全滅という定義で死というものを考えると、ヒーラさんはまだ生きているわけです。

 そこまで極端なことは、普通は考えないので、心停止により医師が死亡を宣告してから、一定の時間が経てば、埋火葬許可がおりるわけです。

 逆に、私たちの体を構成する細胞は常に入れ替わっていて、子供の頃の自分と今の自分は細胞が入れ替わっているのに、脳、特に意識は同じ自分だと思っています。
 考えてみれば不思議なことです。

 免疫系なんか、私たちが意識しなくても、勝手に外から異物が入ると自己と他者を判別して、他者を攻撃します。
 ですから、臓器移植なんかは、薬で拒絶反応を徹底的に抑えるわけです。

 子供がおなかの中にいるお母さんにとってすら、胎児というのは異物なのであって、免疫系が攻撃しようとするのですが、胎児はその攻撃をかわす仕組みができているので、無事に育っていくわけです。そういった意味で胎児というのは、癌細胞みたいなものです。
 普通、そんなことを考えているお母さんはいないわけで、体が勝手にやっているわけですね。第一、そんなこと考えると胎教に良くありませんから。

 人間は大脳新皮質、即ち意識をつかさどる器官が他の動物とくらべると、異様なほど肥大しています。それでもって、人間は自分たちが偉いと思っているわけです。
 私とすれば、それは大いなる勘違いだと思うのですが。
 そして、文明というのは、その勘違いが極限まで進んでいる状態なのだと思うのですね。

 宗教なんかは、無意識というものに着目して、瞑想とか、座禅とかやるわけですけど、ある意味で、これは無意識をコントロールしようとしているわけです。

 ただ、無意識というのは、意識で知覚できないから無意識なわけですから、非常な困難を伴うわけです。近代でも、フロイトの精神分析以降、無意識という概念が出てきて、芸術でもシュールリアリズムというものが出てきたわけです。これらは、それなりに面白いわけです。
 それから、怨霊・物の怪とかブームですけど、これらも、人間の幻想世界とか無意識のありようを探る意味でとても興味深いものがあるわけです。

 ただ、やはり、それらを分析して、結局は無意識をコントロールするというのは少し無理があるのではないかという気がしてなりません。

 私は思うのですけど、現代は意識によるこうしてこうなったらこうなるっていう因果律による制約っていうか、マニュアル化っていうのが、きつすぎやしないかと思うことが多いのです。

 学問というのはある意味で、そういう方法論でなりたっているというのは百も承知なのですが。

 そういうと、昔に回帰しろっていうふうになりがちなんですけど、例えば昔の呪術なんかで雨乞いの祈祷なんか、あれはあれで『こうやれば雨が降る』っていう結構単純な因果律なわけです。

 最近はやりの心理テストや占いでも、これこれの人はこれこれで、こういう人生を送るっていうパターンが多いのですが、やっぱりあれはマニュアルなわけですね。ある意味で、大学入試のセンター試験より単純で、どうして今の人たちは受験制度を批判しながら、あんなのが面白いのかな?って首を傾げることが多いのです。

 今の人の絶望というのは、こうしてこうすればこうなるはずなのに、こうならないっていうのが多いのではないかということを感じてならないのです。

 例えば、生きがい論とか、恋愛論とか、世の中に氾濫していて、トーク番組で若手芸人ごとき(失礼!)が人生を語り、ブログで私もこういった文章を書いているわけですけど、なんか、そのへんをどうにかならないか思うことがよくあります。

 自分の人生がこうなるって分かってしまったら、つまんないと思うのですけどね。

 だって、こうなるって分かってしまったら、その後生きるというのは、分かったことの確認作業になってしまうので、意味がないのではないですか。

 例えば仏教みたいに悟りを開けば、後は生きてる必要がないから、輪廻から解き放たれて、彼岸に行くんでしょうけどね。

 捕食したり、敵から逃れるために、動物が出てきて、そのために脳が出来て、そこから意識が出てきたとして、生命にとって意識っていうのは、衣食住が足りて、外敵からの安全が確保されれば、さして必要ではないのですね。

 人間がものを考えるっていうのは、肥大した脳の新皮質を維持していくために、普段から活動させないと退化するってことのためだけかも知れません。

 だとしたら、生物としての人間にとって、ぼーっとしているのが、ベーシックな状態ではないのではないでしょうか。

 例えば、瞑想じゃなくて、ただぼーっとしているのはダメなのかとか、夢判断なんかしないで、ただ眠るのが気持ち良いとかいうのはどうなのかと思ってしまうのです。

 もちろんそんなことばかりしていたら、食べていけませんけど、人間以外の動物・植物は普段はただぼーっとしているわけです。そこに意味なんか全く無くて、それでも生きているわけです。

『へたな考え休むに似たり』っていいますが、『へたな考え』を一日中考えているのは、人間でも、ごく一部の先進国って呼ばれている国の人達だけでしょう。

 生き物すべてのベーシックな状態はぼーっとしているということですから、ひょっとしてこれが『生きる』ってこういうことで、このために生きているような気がしてならないのです。

 ここでは、『無為自然』というなんだかご利益のありそうな言葉も不要です。

 私は、仕事も一生懸命やりますけど、本を読んだり、文章を書いたり、好きな事をしたりすると、ぼーっとしたり眠ったりするのが気持ち良くなるので、そのために生きているような気がしてなりません。

 それを、経済成長とか効率とか、これは1960年代にさんざんやってきて、矛盾が出てきて反省したはずなのですけどね。

 わけの分からないビルがにょきにょき建ってるのに、それで不景気だって言われて、貧しかった時代よりこき使われて、更に労働者を守り、国民の健康を維持することが仕事であるはずの厚生労働省が、『ワーキングプア問題』や『過労自殺問題』を放置して、『ホワイトカラー・エクゼンプション』っていう、実質的には『過労死促進法案』を財界に味方して立案するんですから、狂気の沙汰です。

 眠る時間を削っても働けっていうわけです。これって、『生の否定』ですよ。

 だから、自殺者が増えて当然です。鉄道なんか『人身事故』でしょっちゅう停まっています。

 どうせ、財界からしこたま金なり、天下り先なり、政治家から議員のポストなりを斡旋してもらったんでしょうね。こんな税金泥棒は即刻全員クビですよ。

 彼らは結局、エコロジーとか福祉とかって、結局エコ産業や福祉産業の利権を生むだけで、そういう利権がらみ金がらみのことには熱心なのですけど、ベーシックな生命の営みなんてどうでもいいのですね。

 世の中の役に立つことって、往々にして、時代が変化すると役に立たなくなります。今の人は、役に立つことが好きですね。

 生命っていうのは、役に立つために存在しているわけではありません。生命はただ存在しているのです。それ以上の理由が必要なのでしょうか?

 私のブログは役に立たないことばかり書いています。

 でも、そういうことの方が、余程生命の有りように近いと思うので、今後とも、どうぞお付き合いくださいね。


スポンサーサイト



コメント

No title

生きることと、「生」って同じようで、何かが違うような気がします。このままいくと、人間って種としてどうなっていくんだろう・・・?と考えたこともあります。人間が、遺伝子交換を出来なくなる時がくるのでは?というコンセプトで、実は何年か前から考えている物語があるのですが、いま書いている話が完結したら、次はそれを書いてみようと思っています。私事で申し訳ありません。

No title

ミントグリーンさん、ありがとうございます。ミントグリーンさんがデザインされている美しい石は、地球の太古の歴史の中で育まれ、徐々に結晶になっていったものですね。これを美しいと思う感覚というのは、どうやって生じるのか全くの謎です。ただ、ある条件化でいろんな成分が一定の規則で並んだるだけです。鉱物には生命はありませんから、目的なんかないはずです。美しいということはどういうことなのか?それを見つめるということはどういうことか、それを意識し続けることは貴重なことだと思います。

No title

ミントグリーンさん、コメントをUPした時間がかさなってしまいましたね☆私が記事のUPで手間取っている間に、早々に読んでいただき、ありがとうございました。

No title

かずしさん、細胞の生命、体の各臓器の生命、個体としての生命。それぞれの曹で、生命というのがあって、これが、システムとして機能しているというのは脅威です。がん細胞は、体の一部として突然変異を起こし、個体の生命を脅かしていくわけですね。はっきりとした境界はないのですが、なんとなく構造として完結していて、さらに環境と相互作用を及ぼしあっている、このへんの感覚は、実感として昔の人のほうがあったような気がしてなりません。

No title

みゆりんさん、ピコリンも厳しい自然の中で生き抜いてきたんでしょうけどね。ただ、お腹がすいた時や冬眠前の栄養が必要な時に食べ物を探すんですね。真剣に獲っているはずですが、気持ちいいと思いますよ。狩りとか農業とかは、基本的に気持ちがいいはずなんですよ。そのために動物は進化してきたはずですから。人は森から平原に降りてきたサルですから、歩くのと視覚が発達しているんですね。だから、ハイキングをして絵を描くのはいいと思いますよ。ご安心ください。

No title

かおるさん、よく、自己○○セミナーとかで、素晴らしい本当の自分とか、やっていますが、意識というのは、社会の中で認められる部分で、無意識というのは基本的に外に出したら、危ない妄想とか、衝動が潜り込んだものなのですね。ですから、いつもドライブが必要だというお話はとても納得できます。

No title

それで、意識で無意識を無理やり押さえつけると無意識もふくめた身体が反発するんですね。そのために、いろいろな障害が出ているのが現代だと思います。拒食症なんか、体は当然栄養を要求するはずなのに、意識のブレーキが利かなくなって発生するわけですね。私はかおるさんのような境地に達したことがないのでよくわかりませんが、潜在意識にちゃんと栄養を与えるようなケアが必要だというのは間違いないと思います。それだけ、客観的に見えているのですね。自分の中に「犬」か「猫」でも飼ってる気分っていう話はとても興味深いなあ!

No title

うたかげさん、ありがとうございます。私の場合、本当にぼーっとしている時間と、ほうっておいても気になって考えてしまうことっていうのがあって、結局、これらは、実生活に全く役に立っていないわけですね。そんなことしている時間があったら、人付き合いとかに時間を割いた方が役に立つわけです。身近な人間の相関図を頭に入れたほうが身過ぎ世過ぎには役立つんでしょうけど、私は全く興味がないんですよ。

No title

それで、象のお葬式の話ですけど、象ぐらいの知性になると、生=本能というものと、意識といったものが、ずれてくるんでしょうね。死というものを仲間いる世界の欠落というふうに感じて、その違和感を埋めるために、儀式めいたものをするのでしょう。

No title

人間はそのズレがもっと酷くなることによって、知性・文化を発達させたわけですから、文化の継承が怪しくなると、子育ても殆どが本能でなく学習で習得する以上、どうしていいか分からなくなるのですね。動物園の動物も、育児を放棄したりすることがあるそうですから、動物園以上に人口的な環境の人間社会では、問題が深刻なのですね。

No title

むにゅさん、そのへんの判断基準が分からないのですよ。『登録できない文字列が含まれています』って出るだけで、その文字列が赤色にでもなれば分かるんですけど・・・。だから、取り合えず、最初の数段落だけ投稿して、修正で、『数段落加え決定』、を繰り返して、どうやら、このへんが不味いらしいって分かったので、削除したのです。機械的に『この字が出たら、投稿不可』っていう単語が登録してあるらしいのですが、これについて、ヤフーは公開していないらしいのです。

No title

EYESさん、確かに『生きる』ことと『生き延びること』は違いますよね。そこに『生きがい』っていうのが入ってきますから。それで、ターミナルケアの問題とかでてくるわけです。ただ、確実にいえるのは、人間は基本的には生物なのであって、そのへんを忘れている人が多すぎるのではないかって思えてなりません。今の日本人が抱えているストレスは、人類史上かつて存在しないストレスのはずです。

No title

テクノストレスといわれますが、電算化で、一人の抱えている責任と、時間的な余裕の無さというのは、人間の生物としての容量を超えているということが、さして問題になっていないことが信じられません。社会に全く余裕がなくなっています。EYESさんのお話、とても楽しみですよ☆

No title

メトロンさん、沢山の考えをこのように、文字に表現して、本当に脱帽です。私はわかっていてもなかなか言葉に表現できないタイプですよ。。こんなに丁寧に返事をいただけて、生きていて良かったな~と♪

No title

ミントグリーンさん、言葉で表現できることって、本当に限りがありますね。ですから、いろんな表現があって、一人一人得て不得手があって、それでいいんですよね。でも、ミントグリーンさんはブログの文章でいろいろ工夫して考えを表現されていて、私も、とても勉強になっています。

No title

「生命はただ存在しているのです。それ以上の理由が必要なのでしょうか?」効いたな~!すっごいパンチです。でも、ボクたちヒトは、理由が必要なのでしょうか?と問いただす脳の力を持っているのも事実なのですよね。アダムとイブの禁断の実は「善悪が分かる」となっているけれど、それはきっと眼とろんさんと同じことを言いたかったのでしょう。ヒトの持つ知能が原罪の全てだということは、仏教の悟りとも通じていますね。そして動物の気持ちになって動物と付き合っていると、ボクたちにも見えてきます。それで、ピコリンの絵なんだ~!

No title

カンチョ先生、ありがとうございます。人間は、『自分は今考えていない』って意識した瞬間、『考えていない自分について考えている』のですね。自分の影から逃げるようなもので、きりがありません。アダムとイブの『智恵の実』の話は、智恵の罪深さを昔の人はとっくに気がついていたということが分かって面白いのですが、だから全能の神を信仰しなさいって脅迫になっているのが少し引っかかります。

No title

動物は食べたり食べられたりで、皆懸命に生きていますが、潔くて上品です。人間は浅智恵をつけていつの間にか生命そのものから、はぐれたんですね。昔、『カブトムシをデパートで売るようになった』って世の大人が嘆いたことがありました。当時の大人は、カブトムシを自分で獲ることがどれだけ尊いことか知ってたわけです。今はもう誰も嘆きません。その頃の子供が大人になったからです。明らかに異常です。

No title

うんうん!アダムとイブ、ボクも日本人的にとっても違和感がある。その罪で労働をしなくてはいけなくなったとか。日本じゃ高天原の神さまたちがみんな農作業してたわい!ヘビが悪魔の使いだったとか。日本じゃヘビは神の遣いじゃい!とりあえず「全能」ってのが、けっこう胡散臭いな~w。

No title

カンチョ先生、イブが食いしん坊で蛇に騙されて林檎を食べて、自分だけじゃ嫌だから、アダムもそそのかして道連れにしたというのは、信憑性があるのですけど、おっしゃるとおり、後が腰砕けですね。彼等は神が『全能』だったら、どうして悪が存在する不完全な世界を作ったのか、理屈を捏ねるのにかなり苦労したみたいですね。
非公開コメント

プロフィール

眼とろん星人

Author:眼とろん星人
FC2ブログへようこそ!

年別アーカイブ一覧

訪問者カウンダ―

ブロとも一覧

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR