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四谷から溜池山王までお散歩したよ。(その1) 【ファイルET84】2013.08.21 

【ファイルET84】2013.08.21 四谷から溜池山王までお散歩したよ。(その1)

四谷見附の情景。

 以前、市ヶ谷の防衛省ツアーの記事を書きましたが、そこから溜池山王まで行ったときの写真が放置されたままなので、それについて記事を書きます。

 防衛省市谷ツアーに参加したよ(その1)はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52534735.html

 市ヶ谷から外堀通りを南下すると、四谷です。

 四谷の地名の由来は諸説有って、ここから内藤新宿までの惣名で四方に谷があるため、民家が4軒しか無かったため、一番目の谷である市ヶ谷がから数えて4番目の谷であったため、と様々な言われ方がされています。

四谷見附橋です。






江戸時代には、この橋の北側に四谷見附(よつやみつけ)がありました。


在りし日の四谷門の写真(東京都立中央図書館東京誌料文庫蔵)






見附(みつけ)というのは枡(ます)の形をした城門で外側に面する部分のことをいいます。


四谷見附は甲府へ至る甲州街道にあって、江戸城の西の玄関口として江戸城防衛の要所でした。


 そのため堅牢な門を築いて見張りの番兵を置いて城の守りを固めたのですね。

 四谷見附は外麹町口、四谷口門、四谷御門とも呼ばれ、寛永13年(1639)長州藩主毛利秀就によって石垣の工事が始められ、櫓門は寛永16 (1639) 年四谷口普請奉行室賀原七郎と大岡左衛門正清によって建築されました。

 江戸城は俗に三十六見附といわれますが、四谷見附・赤坂見附・牛込見附などが、今なお呼称として残っています。

枡形門は近代の城に特有の様式で、敵の進入を防ぎ易い構造の門であるとされていました。つまり外敵が侵入したときに桝の中に入って直角に曲がらなければ城内には入れず、そこを容易に攻撃できるのですね。


 暮れ六ツ(午後6時)に閉門し、夜間は通行出来ませんでした。

新宿に延びる甲州街道は、江戸城の防御のためコの字型に造られていたので、明治時代になるとこれが交通の障害になりました。


そこで東京市は、明治44年、外堀に架橋して街道を直進させる工事に着工。大正2(1913)年9月に竣工。10月5日に開橋式が行われました。これが『四谷見附橋』です。


四谷見附橋がなければこんな感じでした。(緑の枠が四谷見附の位置)






 青い矢印の通り、甲州街道(新宿通り)を一旦折れて北の四谷見附を通り、現在の新四谷見附橋の位置にあった四谷門を通って、また南に折れて甲州街道に戻っていたのです。

 四谷見附橋は、明治42(1909)年に完成した赤坂離宮(あかさかりきゅう)や付近の風景との調和をはかるよう、フランス風クラシック調のデザインに設計されネオ・バロックの装飾が高欄(こうらん)や橋灯(きょうとう)、橋名板(きょうめいばん)に施され、当時はモダンな橋として名所になりました。

なお、四谷見附橋は、平成3(1991)年10月に架け替えられています。


明治・大正時代の風格を漂わせる立派な橋灯(きょうとう)。






橋のたもとには明治・大正時代を偲ばせるレンガ造りの壁面が残っています。






新しい平成の四谷見附橋の橋名板(きょうめいばん)






 なお、旧四谷見附橋は、その文化的価値から、多摩ニュータウンに移設され、平成5(1993)年の10月5日に開通式が行われています。

 名前は長池見附橋(ながいけみつけばし)に変更されましたが、橋名板は大正時代の『四谷見附橋』のままになっています。

四谷見附橋から南を向いて見た四谷駅です。






左が中央線・総武線各駅停車のホーム。右が中央線快速のホーム。

 

右の中央線快速のホームの方が低くなっています。それは何故かというと。


大正時代の手彩色絵はがき、『四谷見附より士官学校を望む』をご覧下さい。






 先程の写真と逆で北を向いています。

明治22(1889)年、私鉄甲武鉄道(こうぶてつどう:現在のJR中央線)が立川・新宿間に開通。四ッ谷駅付近では 外濠の土手の斜面が削られて線路が敷かれました(現在の中央線・総武線各駅停車の線路)。


 外濠の向こうに見えている白い建物は陸軍士官学校で、その後の変遷を経て現在は防衛省がある場所です。

 その後、外濠は関東大震災の復興時に、処分した瓦礫(がれき)で埋め立てられてしまいました。

つまり、埋め立てられた外濠の上に、中央線快速のホームや線路、野球場などの運動施設、土木学会施設が建てられたため、低くなっているのですね。それにしても、関東大震災というのは、様々な形で爪痕を残しているのですね。



ということで外濠の土手を切り崩して作った各駅停車線路側は切り立った斜面になっているので、平成16(2004)年10月8日~10日に首都圏を直撃した巨大台風22号によってJR四ツ谷駅-市ヶ谷駅間で18時ごろ、線路脇の斜面の土砂が崩れ、線路を10m近くにわたってふさぐという被害があったことは、まだ記憶に新しいところですね。


 幸い、この土砂崩れでは怪我人等の人的被害はありませんでしたが、東京発高尾行きのJR中央線快速下り電車が一時運休となりました。

 この台風による人的被害は死者7人、行方不明者2人、負傷者166人。住家被害は全壊135棟、半壊287棟、一部破損4509棟と大きな爪痕を残しました。

 何度でも言いますが、このように東京ですら、東日本大震災で死傷者を出し、こういう風水害の被害があるのに、TPPで安易に外国のゼネコンを入れて日本の土建屋さんを潰しても良いのでしょうか?

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コメント

No title

あの年の台風22号は確か西日本もかなり被害がでてなかったでしたっけ?四ッ谷は、昔、勤務してた会社があったので馴染み深い土地です。アタシは市ヶ谷の防衛省から飯田橋方面に歩いたのですが、反対方面に散策されたんですね。さっき、天知茂さんの明智小五郎のDVDを見ていてちょうど赤坂離宮が写ってました。凸

No title

以前、四谷から新宿の甲州街道口である新宿駅南口まで、何度か歩いたことがあります。
あの道は、以前はまっすぐではなくて、直角に曲がっていたのですね。
地図を見ながら、そんな時代があったことを感慨深く思いました。

ありし日の四谷門の写真、立派な貫禄の在る門ですね。

No title

むにゅさん、静岡から関東南部に抜けた台風だったようですが、かなり大型だったので、被害地域は広かったのですね。
ここも、むにゅさんのホームグラウンドでしたか。
飯田橋は逆ですよね。このコースは初めて歩いたので、新鮮でした。
天知茂さんの明智小五郎は観たことがないのですが、かなり面白いそうですね。一度観なければ。
ミステリーに赤坂離宮というのはゴージャスで良い舞台設定ですね。
ポチありがとうございます。

No title

トマトさん、四谷から新宿南口というのはかなりの距離ですね。
東京は結構起伏が多い土地なので、距離以上に疲れますよね。
江戸時代は、天下太平だったとは言え、武士の時代でしたから、城の守りにかなりの工夫がされていたのですね。
要害の地とはいえ、外濠の門がこんなに堅牢に出来ていたのが驚きです。
更に道まで曲げてあったのですからね。
明治維新の時、幕府が維新軍と本気で戦っていたら、大激戦になっていたはずなのですが、そうしなかったのは共倒れになって、外国に侵略されるからだったのですね。

それぞれの時代の要請によって、街の形を工夫して変えていった先人を尊敬します。
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