FC2ブログ

京都祇園祭に行ってきたよ。その12 【ファイルT22】2007.10.30

【ファイルT22】2007.10.30 京都祇園祭に行ってきたよ。その12


橋弁慶山はかっこいい!

 
 祇園祭について最初から読まれる方はこちら。


 大の男の弁慶は

 長い薙刀(なぎなた)ふりあげて

 牛若めがけて切りかかる♪


 って、まあ弁慶さんが出ないことには京都は話が始まりません。


 都では、夜な夜な、怪僧弁慶(かいそうべんけい)さんが通行人の刀を奪い取り、これを一千本集める祈願(きがん)をたてているという噂でもちきりでした。

 そんな手前勝手な願をかけてもらっちゃあ、はた迷惑だねえ。

 そして後一本で一千本目という満願成就の日の夜、場所は五条大橋。

 橋の袂には花束を持ったミニスカートの女の子が待ち構えています。

 どこからともなく聞こえてくる、澄んだ笛の音。

 笛の主は、鞍馬山で天狗さんに剣術を教わったので、すこし天狗になっていた牛若丸さんでした。

「お子ちゃまには用はないねえ。がっかりだあ!」と、やりすごそうとした弁慶さんでしたが、牛若丸さんの腰の太刀を見たとたん、「うへえ、みごとな太刀だねえ。この太刀なら、一千本目にふさわしいから、その太刀はもらったよ!」と、長刀(なぎなた)を振りかざし、牛若丸の前に立ちはだかりました。

 弁慶さんは、長刀を振り回して牛若丸さんに打ちかかりますが、牛若丸さんったら、こことか思えばまたあちらという具合にひらりひらりと切っ先をかわします。

 最後に、高くジャンプしてえびぞりながら、侍ジャイアンツの番場蛮みたく手にした扇を投げつけました。

『牛若ちゃんのえびぞりハイジャンプ魔扇を受けてみよ!どうりゃあああああああ!』

 ばびゅーん。ばしっ!

 扇は弁慶の額にあたり、弁慶はひっくりかえってしまいました。

「うへえ!痛い痛い。まいったよお!」さしもの弁慶さんも、頭を抱えてうんうん唸りながらガックリひざをついてあやまりました。

 弁慶さんの額がぱっくり割れて赤い血がたらたら。これをずっと根にもった弁慶さんは、後に本能寺の変を起こし・・・・。というのはうそです。

 でもねえ、明智光秀の本能寺の変の原因だとされている『森蘭丸に命じて鉄扇で光秀の額を打たせた恨みから』っていう説の根拠って、ここからパクったんじゃないかねえ?森蘭丸も美少年だったらしいし…。

 弁慶さんは、このときから牛若丸さんの家来となって、いつまでも牛若丸さんにつかえましたとさ。

 めでたしめでたし。



 それにしても、それまで弁慶さんが集めた999本の刀はどうなったんだろうねえ。

 無責任な話だねえ。きっと古物商に回して儲けたんだろうねえ。挙兵の軍資金にしたのかな?

 ところが、謡曲の『橋弁慶』は話が違っています。

 比叡山西塔に住む武蔵坊弁慶は、宿願祈願のために、京都へ宮参りを志しましたが、五条大橋の近くに、少年の辻斬りが出ると聞いて、その少年を懲らしめてやろうと思い立ち、辻斬りが出そうな夜になってから出掛けました。

 実はその少年こそ、何を隠そう平家の討伐(とうばつ)と源氏再興の為に夜毎に五条の橋の上で、辻斬りを装い、腕の立つ家来を見出してスカウトしようとしていた牛若丸その人だったのです。

 牛若丸さんったら、渋谷で女の子をスカウトしようとするタレント事務所の人みたいだったんだねえ。

 それにしても『辻斬りを装い』って言っても、実際に人を斬らなきゃあ、『辻斬り』って呼ばれないよね?斬られた人はかわいそうだねえ。ひどい話だねえ。

 運命の勝負が五条の橋の上でくりひろげられます。

『あれえ?弁慶さんは強いねえ。こんだけ強ければ、家来になってもらったら、とっても役に立つねえ。ちょっと弁慶さん。うちの事務所に入らない?ギャラは弾むよお☆』

 切り結ぶうちに、美少年牛若丸の大望が分かってきたので、弁慶さんは適当な所で負けて、牛若丸の家来となりましたとさ…。

 どちらの話もフィクションで、五条橋での勝負というのも後年付け加わった設定みたいです。


『義経記』では、二人が出会ったのは、『五条天神』とされているそうです。

 仮に、五条橋の勝負が本当だとしても、当時の『五条橋』は、今の五条大橋より一つ上流に架かる松原橋の位置にあって、橋を渡ると六原を経て清水寺に至るから『清水橋』ともいい、また、橋の修理は清水寺が勧進(募金)しておこなったから、『勧進橋(かんじんばし)』とも呼ばれたそうです。

 歌舞伎の『勧進帳』と符合するのは偶然かな?

 今の『五条大橋』は秀吉が天正年間に豊臣秀吉が架けた橋の位置だそうです。

 いずれにせよ。牛若丸と弁慶の話って楽しいね☆

 それでもって、橋弁慶山は、謡曲の『橋弁慶』を題材としています。


 橋弁慶山は、古来よりくじ取らずで、後祭の先頭を巡行してましたが、明治5年以降は北観音山が復興されたため、編成上の理由で次の二番目に巡行することになっています。

 舁山(かきやま)では唯一のくじ取らずの山で、また、巡行時のくじ改めの時、奉行の前で山をまわさず特別扱いになっています。

 やっぱり牛若丸さんは特別だったんだねえ。

 いわゆる判官贔屓(ほうがんびいき)なんですねえ。

 牛若丸さん=元服して源義経さんのことを 『 源九郎判官義経 (くろうほうがんよしつね)』っていうからねえ。


 町屋に展示してあった五条の橋。黒漆塗りに鍍金(ときん)の擬宝珠(ぎぼし)が美しいのです。





 擬宝珠のアップです。





 町屋の2階に展示してあった牛若丸さん。





 身長約120cm、眉は、室町末期に公家男子元服以前の子供に施されていた『八文字眉(はちもんじまゆ)です。頭部には『永禄6年(1563)6月吉日、七条大仏師 康運之作造』と書かれています。

 こっちが弁慶さん。





 白木綿の鉢巻を締めています。手首と足首に太い縄を巻きつけて、長刀は関兼明(せきのかねあき)の黒漆塗長刀でしたが、現在はレプリカ(模造品)が使われています。


 巡行のときの橋弁慶山。





 弁慶は鎧姿に大長刀を斜めにかまえ、牛若丸は橋の欄干の擬宝珠の上に足駄で立ち片足を曲げ右手に太刀を持っています。

 牛若丸さん、『ひらり』ってかっこいい!


 前掛は18世紀清朝時代の官服を切り継ぎした真向龍(まむきりゅう)刺繍が懸かっていましたが、現在のものは富岡鉄斎筆『椿石図』綴錦です。





 胴掛けは、円山応挙下絵と伝わる葵祭(あおいまつり)を絵巻風に描写した『賀茂祭礼行列図』綴檻で、牛車(ぎっしゃ)や近衛使(このえつかい)、検非違使(けびいし)などがあしらわれています。





 後掛は昔の前掛に応じた大小の龍3頭と瑞雲岩波刺繍です。見送りがないので、他の山鉾では隠れている後掛が見えるのが特徴です。
 




 それにしても、昔のラグビー日本代表の平尾 誠二(ひらお せいじ)選手と大八木 淳史(おおやぎ あつし)選手って、牛若丸さんと弁慶さんみたいでかっこ良かったねえ。

 ということで、今回はかっこいい橋弁慶山でした。



 次回に続きます

 次回はこちら。

スポンサーサイト



コメント

No title

凄いレポートですね。牛若丸と弁慶の絡み方も二通りあるなんて知りませんでしたが、なるほどと思いました。牛若丸が辻切りだった、という設定も面白い!徹底して、そういうふうに、ひっくり返すドラマを作ってみたいですね。
また写真が、いつものことながらとてもよく撮れていて、現場の様子がよく分かります。
又明日訪問して、別の記事をゆっくり読ませていただきます。

No title

afuro_tomatoさん、早々のご訪問、コメントありがとうございます。私も童話に出てくる最初の話しか知りませんでした。日本人はあれこれ解釈するのが本当に好きですね。スポーツ新聞なんか完全にそうですから。橋の漆黒って本当に綺麗でした。これだけの大きさのものに何度も重ね塗りしたんでしょうけど、凄い技術だと思いました。

No title

牛若丸が辻斬りで家来のスカウト…って(笑)でも画期的だなぁって思います。999本の刀は売って二人の当面の活動費になっていたかも。な~んて考えると色々楽しいですね。

No title

昔の人のが右脳の発達は著しかったから、いろんな意味を含んだ解釈だとか、その話に潜む裏解釈とかいっぱいあったんだろうね~漆黒っていう言葉がこの橋を見れば理解できますね~ぽち!

No title

みゆりんさん、普通思いつきませんよね。弁慶さんが集めるからには、余程の名刀でしょうから、使いでがあるでしょうね。ぱーっと使ったほうが豪快で弁慶さんらしいかな?

No title

むにゅさん、昔は本なんか、なかなかつくらないでしょうから、それこそ膨大な話のうちのひとつなんでしょうね。話が上手な人がいたんでしょうしね。これを見て、漆器がヨーロッパで人気があったのは当然だと思いました。光沢があるのに深い黒ですから、初めて見たらびっくりしますよね。ぽちありがとうございます。
非公開コメント

プロフィール

眼とろん星人

Author:眼とろん星人
FC2ブログへようこそ!

年別アーカイブ一覧

訪問者カウンダ―

ブロとも一覧

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR