FC2ブログ

改修前の春の姫路城だよ(その3) 【ファイルT124】2010.06.17 

【ファイルT124】2010.06.17 改修前の春の姫路城だよ(その3)

西の丸長局(ながつぼね)は千姫(せんひめ)ゆかりの建物。

 姫路城の記事を最初から見られる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50754429.html


 天守閣に向かう前に、西の丸を見学しました。

 西の丸の枝垂れ桜越しに見た天守閣。

 




 西の丸の長局(ながつぼね)は、本丸、二の丸の西方、鷺山(さぎやま)の上に立ち並んでいます。

 




 こんな風に櫓(やぐら)の白壁が原生林に覆われた石垣の上にそそり立っています。
 
 石垣の中ほどに段差がありますが、これは『犬走り(いぬばしり)』と呼ばれています。

 西の丸内側から見た長局。

 




 西の丸は、池田氏のあとに移封(いほう)された本田忠政(ほんだただまさ)が、嫡子忠刻(ただとき)・千姫夫妻のために新たに造営された曲輪(くるわ)といわれていました。

 しかしながら、昭和の大修理の際、解体した「ル」の櫓付近の地下から、秀吉時代のものとみられる礎石列や池田藩の揚羽蝶(あげはちょう)の紋瓦などが出土しました。

 このことは本田忠政の造営以前に城郭の縄張(なわばり)が行われていた可能性を示唆します。


 長局(ながつぼね)は城の西側を守護する櫓(やぐら)なのですが、千姫(せんひめ)や侍女たちの居館として利用されていました。

 お局様(おつぼねさま)の世界だねえ。

 でも、戦闘時の備えは十分です。

 分厚い二重扉です。

 




 隅櫓(すみやぐら)には石落とし(いしおとし)別名、武者落とし(むしゃおとし)もあります。

 




 ここから、石垣を上って来る敵兵に石を落としたり、熱湯をかけたり、槍で突いたり鉄砲で撃ったりできるようになっています。

 兵庫県立歴史博物館に展示してあった、イラスト(再掲)です。

 




 左端のでっぱりが石落としで、内側から見るとこんな感じなのですね。

 雨水抜きの穴が開いています。

 




 これで、横殴りの雨で敷居に雨がたまっても排水できるようになっています。


 出入り口はこんな感じです。

 




 百間廊下(ひゃっけんろうか)と呼ばれる西の丸長局の廊下

 




 屋根裏の曲線も優美です。
 
 




 『女の館』と書かれています。

 




当時の様子を描いた絵

 




 ということで、この前ご紹介したように、現在の姫路城を建てたのは家康の次女督姫(とくひめ)と再婚した池田輝正(いけだてるまさ)でした。

 その輝政が亡くなったとき、督姫の息子たちが幼かったので、池田家を相続したのは先妻・絲の息子の利隆(としたか)です。

 その後池田家に立て続けに不幸が襲います。

 夫輝正の死から2年後の慶長20(1615)年、督姫は京都の二条城に滞在時に天然痘で亡くなり、その19日後に督姫の最初の子で将来を期待されていた忠継(ただつぐ)も天然痘で死去。さらに家督を相続した藩主利隆まで病没したのです。

 弱体化した池田家では西の外様大名への押さえにはならないと幕府は判断し、姫路城主を交代させます。


 新しく姫路城の主になったのは伊勢桑名(くわな)城主の本多忠政(ほんだただまさ)です。

 元和(げんな)3(1617)年7月本多忠政は嫡男(ちゃんくなん)忠刻(ただとき)・千姫(せんひめ)夫妻を伴って姫路城に入りました。


 姫路城と言えば、千姫のエピソードを外すわけにはいきません。


 なにせ、千姫(せんひめ)は2代将軍秀忠(ひでただ)の娘で、徳川家康の孫娘なのです。

 それが彼女の波瀾万丈の運命を招きました。

 千姫は豊臣家と徳川家の絆を深めるために7歳で豊臣秀頼(ひでより)の妻になりました。

 つまりは政略結婚です。

 豊臣秀頼(ひでより)は、豊臣秀吉の次男で、母は側室の茶々(淀殿:よどどの)です。

 この豊臣秀頼が有能な人で、徳川家康は、秀頼による豊臣家再興を余程恐れていたようで、大坂夏の陣で秀頼を亡ぼしたのを見届けた後、翌年、安心したかのように没するのです。

 祖父の家康が引き起こした大坂夏の陣で千姫は夫の豊臣秀頼と命運をともにしようと死を覚悟します。

 しかしながら、千姫は大野治長(おおの はるなが)の提案で夫秀頼と姑の淀殿(よどどの)の助命の使者にされ、落城寸前の大坂城から脱出。心ならずも命を長らえます。

 結局、大野治長自身の切腹を条件とした助命の嘆願は家康にいれられず、千姫の夫、豊臣秀頼は淀殿や大野治長らとともに自害しました。享年23歳。

 可愛い孫娘の生還に徳川家康は大喜びしますが、父の徳川秀忠(ひでただ:2代将軍)は「なぜ死ななかった」と千姫を責め立てます。

 徳川秀忠の『秀』の字がそもそも豊臣秀吉の名前からもらった字だったのですから、事情は複雑です。

 千姫を溺愛していた祖父の徳川家康は、大坂夏の陣の際に『千姫を助けた者は、千姫の婿にしてやる』と約束をしていました。

 それで、千姫を徳川本陣に案内した50歳を過ぎた坂崎出羽守(さかざきでわのかみ)が、千姫の夫になるはずだったのですが、千姫は大坂から江戸へ向かう帰途、伊勢国桑名(くわな)城で休養した際、桑名城の当主本多忠刻(ほんだただとき)を見そめます。

 そんな千姫の気持ちを察した本多忠刻の母、能姫(のうひめ)が後押しし、千姫と本多忠刻の婚儀が整います。

 能姫もまた、千姫同様家康の孫娘だったので、千姫の気持ちが良く分かったのでしょう。

 その後、千姫の夫になる約束を反故にされた坂崎出羽守が、千姫婚礼の輿(こし)を奪おうとしたが果たせず、切腹する事件が起きるのですが、結局、千姫は無事忠刻の妻になりました。

 この婚儀が弱体化した池田家に替わり、本多家が姫路城主に栄転するきっかけになります。

 徳川家は千姫に十万石という莫大な化粧料(けしょうりょう)を持参させました。


 本多忠刻はこの化粧料で、姫路城の西の丸に忠刻館として中書丸、千姫館として下屋敷の武蔵野御殿を建てます。

 武蔵野御殿は、豊臣秀吉が伏見城に贅をこらしてつくった御殿を移築したものです。

 また、西の丸の防御が手薄だったこともあり、小部屋が連なる長さ300mに及ぶ百間廊下を石垣に沿って築きました。そこは男子禁制の侍女たちの控えの間であり、その先端に化粧櫓が建てられました。


 西の丸長局(にしのまるながつぼね)の北の端の化粧櫓(けしょうやぐら)


 




 千姫(せんひめ)が身繕いをしたとされる化粧櫓(けしょうやぐら)の内部。

 




 千姫が長女の勝姫(かつひめ)と貝あわせの遊びをしているねえ。

 三毛猫さんがいて、煙草盆(たばこぼん)がおかれています。千姫様は喫煙者だったんだねえ。


 千姫は待望の嫡男、幸千代(こうちよ)を生みますが、幸千代はわずか3歳で亡くなってしまいました。


 幸千代を失った傷心の千姫は、長局から西へ500m先の男山(おとこやま)に小さな天満宮を建てました。

 そして、比叡山の阿闍梨(あじゃり)が彫った菅原道真の木造を安置し、金泥法華経(こんでいほけきょう)、唐鏡や身の回り品、秀頼との思い出深い遺品でもある羽子板を奉納したのです。


 千姫が奉納した羽子板(はごいた)。

 




『源氏物語』を主題にした豪華な蒔絵(まきえ)造りです。

『この紋所(もんどころ)が目に入らぬか』の、葵(あおい)のご紋が入っています。

 千姫は毎朝、化粧櫓で身繕いをしたのち、百間廊下に出て、男山(おとこやま)の天満宮を遙拝(ようはい)しました。

 その後、千姫には男の子に恵まれず、寛永3(1626)年4月、夫の忠刻(ただとき)が31歳の若さで帰らぬ人となりました。

 千姫は10年足らずの姫路城での思い出を胸に江戸に帰り、落飾(らくしょく)して天樹院(てんじゅいん)と号し70歳で亡くなるまで、長い余生を過ごしました。

 
 千姫を記念した石碑が建っていました。

 




  『千姫の 春やむかしの 夢の跡         子節』

 
 美しい姫路城の歴史を彩るお姫様の物語は哀しいですね。

  次に続きますね。




【注意!】

姫路城は現在、天守閣工事中です。

姫路城大天守保存修理工事は平成21年10月から始まり、概ね5年間工事が続くそうです。

現在の状況はこちらで確認してください。

スポンサーサイト



コメント

No title

自分の大事な人は若くしてなくなったのに、
自分だけ70歳まで生きるとは辛い物ですね...。

No title

千姫という方の名前はよく聞きますが、こんな一生を送った方だとは、思いもよりませんでした。
70才まで生きられたのですね。夫たる人を二度までも早くに亡くし、落飾して70才まで生きるなんて、なんとまあ、辛い一生だったことでしょうね。
姫路城にはもともと、余り順調に行かない運命みたいなものが憑いていたのでしょうか。
見た目には美しいお城なのにねぇ・・・
風水的に良くない造り方だったのかな、と思ったりします。

No title

みゆりんさん、そうですよね。
政略結婚とはいえ、秀頼はそれだけのカリスマを持った人物だったし、本多忠刻は自分が選んだ人でしたから、どちらも大切な人だったのでしょうね。
人生50年だった頃の70歳ですから、ずっと2人の菩提を弔いながら暮らしていたのでしょう。

No title

トマトさん、お姫様というのも大変な仕事ですが、千姫は日本の変革の中心にいた人なのでしょうね。
死というのも悲劇ですが、後に残されるというのも本当に辛いものだと思います。
霊山というのは、富士山を初め女人禁制といわれますが、姫山とお姫様というのも、相性が悪いのかな?とも思ってしまいます。
ここは、余程風水的に強いパワースポットなのでしょう。
姫路城は、いろんな歴史を見てきたのでしょうね。
千姫の例だけ考えても、運命的なお城ですね。

No title

ひ~~何度も行ってるくせに
ちっとも、そこまで深く知ろうとはしなかったわ・・・・
さすが!おかげで、ちょっとわかったわ。今は姫路からまた離れてしまってるから銀行の通帳記帳にしか姫路には行かないけど、逆に普段、入れなかったとこがエレベーターで行って見られるみたいだから行ってみるわ!凸

No title

むにゅさん、姫路城は眺めるだけでも素晴らしいのに、それに相応しい歴史があるのが、また良いですね。
姫路城はしっかり修理して後世に残して欲しい遺産ですね。
普段、みることができない姿を観るチャンスがあるのも良いですね。
記事、楽しみにしています。ポチありがとうございます。
非公開コメント

プロフィール

眼とろん星人

Author:眼とろん星人
FC2ブログへようこそ!

年別アーカイブ一覧

訪問者カウンダ―

ブロとも一覧

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR