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防衛省市谷ツアーに参加したよ(その10) 【ファイルET51】2011.12.10 

【ファイルET51】2011.12.10 防衛省市谷ツアーに参加したよ(その10)

『戦陣訓』の『生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず』という言葉の背景について

 防衛省ツアーの市ヶ谷記念館大講堂の記事の続きです。

 その1から読まれる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52534735.html
 
 市ヶ谷記念館大講堂には、大東亜戦争や東京裁判にまつわる品が展示されています。

 戦陣訓です。





 これは支那事変の長期化で、軍紀が動揺し始めた昭和16年(1941)1月8日、東条英機陸相が「軍人勅諭」の実践を目的に公布した具体的な行動規範を示すために作ったものです。

 メディアはしきりにこの『戦陣訓』を貶(おとし)めます。

 特にここに書かれた

 『第八 名を惜しむ』で『生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず』

 という訓示は、これだけがことさら取り出され、やれ、だから日本兵は捕虜にもならずに命を粗末にし、玉砕するまで戦ったのだの、これがあるから、捕虜に対する残虐行為をしたのだの。

 先日のNHKの番組でも『戦陣訓』のせいで多くの兵士が無駄死にしたという偏向番組を放送していました。

 これは事実と異なること甚だしいのです。

 まず、東条英機氏が東京裁判で俘虜(捕虜)についての考えを述べていますので、これについて見てみましょう。

 【東条英機 歴史の証言 ―東京裁判宣誓供述書を読み解く― 渡辺昇一 祥伝社文庫P418より】

 ※  ※  ※

132、  次に寿府(ジュネーブ)条約に関し一言いたします。日本は寿府条約を批准(ひじゅん)しませんでした。なお又、事実に於て日本人の俘虜に対する観念は欧米人のそれと異なって居ります。

なお衣食住その他風俗習慣を著しく異にする関係と今次戦役に於いて各種民族を含む広大なる地域に多数の俘虜を得たることと各種の物資不足と相待ちまして、寿府条約を其儘(そのまま)適用することは我国としては不可能でありました。

日本に於ける俘虜に関する観念と欧米とのそれとが異なるというのは次のようなことであります。日本に於ては古来俘虜となるということを大なる恥辱(ちじょく)と考え戦闘員は俘虜となるよりは寧(むし)ろ死を択(えら)べと教えられて来たのであります。

これがため寿府条約を批准することは俘虜となることを奨励する如き誤解を生じ上記の伝統と矛盾するがあると考えられました。そうして此の理由は今次戦争の開始に当たっても解消いたして居りません。

寿府条約に関する件は外務省よりの照会に対し、陸軍省は諸条約の遵守を声明し得ざるも俘虜待遇上之に準じ措置することに異存なき旨回答しました。

外務大臣は一九四二年(昭和十七年)一月瑞西(スイス)及【アルゼンチン】公使を通じ我国は之を「準用」する旨を声明したのであります。

此の準用という言葉の意味は帝国政府に於ては自国の国内法規及現実の事態に即応するように寿府条約に定むるところに必要なる修正を加えて適用するという趣旨でありました。

米国政府の抗議に対する一九四四年(昭和一九年)四月二十八日付帝国政府の書類に其(その)旨を明らかにして居ります。陸軍に於いても全く右の趣旨の通りに考え実際上の処理を致しました。

俘虜取扱規則其他の諸規則も此(この)趣旨に違反するものではありません。

※  ※  ※

 日本では俘虜になることは恥で、欧米では恥ではないのですね。

 近代国家の概念と共に国民が軍隊に入り祖国のために徴兵制ができるまで、つまりフランス革命、ナポレオン以前の欧州の軍隊は基本的に王にお金で雇われた傭兵(ようへい)でした。

 祖国防衛のために武器を持って戦う兵隊じゃなくて、お金で雇われた兵隊さんが無益に死ぬようなことはしないので、負けそうになったら直ぐに降伏するわけなのですね。

 その伝統が西洋には残っているんじゃないでしょうか。

その文化の相違は、例えば、『バターン死の行進』の時に顕著に表れました。


 昭和17(1942)年1月2日に日本軍はマニラの無血占領に成功し、日本軍はコレヒドール要塞を攻撃。3月12日、マッカーサーはコレヒドール島を脱出しました。

 東京裁判はこの時のマッカーサーの屈辱の報復として行われたのです。

 4月9日、日本軍はバターン半島を死者130名、負傷者6808名を出して占領したのですが、

降伏したエドワード・P・キング少将率いるバターン半島の米比軍は、約7万6千名もの多数が捕虜となりました。日本側の兵力が2万5千名に過ぎなかったにも拘わらず!


この場合、日本軍の3倍以上の捕虜をどうしろって言うんですか?自分たちの食料さえ十分じゃなかった日本軍が。


 日本軍はそれでも一生懸命米比軍捕虜に気を遣って取り扱いました。

 米兵達は降伏した時点で既に激しく疲弊していた上に、日米ともにコレヒドールではマラリアやその他にもデング熱や赤痢が蔓延しており、米比軍のバターン半島守備隊の食料は降伏時には尽きていたため日本軍も捕虜にまわす食料の余裕はありませんでした。

 その中で、トラックがろくに無い状態での収容所までの移送です。捕虜だけでなく、殆どの日本兵も徒歩だったのです。

 さらに炎天下で行進が行われたために、約60Kmの道のりで多くの捕虜が倒れました。このときの死亡者の多くはマラリア感染者とも言われています。

 戦後のマニラ軍事裁判等において、本間中将や捕虜移送の責任者であった第14軍兵站監河根良賢少将は死の行進の責任者として有罪の判決が下り処刑されました。

?H1>とにかく日本軍は俘虜の取り扱いに関するジュネーブ条約について『寿府条約に関する件は外務省よりの照会に対し、陸軍省は諸条約の遵守を声明し得ざるも俘虜待遇上之に準じ措置することに異存なき旨回答し』ているのです。 
 それから、もう一つ留意すべき事実があります。

 日本軍がいくら降参しても、それを無視して虐殺したアメリカ軍の残虐非道は、リンドバーグの日記の記事でご紹介しましたね。


 このように、アメリカ軍は最初から日本兵を俘虜にする気などはさらさら無く無差別に射殺していたのです。


 それから、前掲書により、日本が俘虜になるなと命令した理由を、前掲書における渡辺昇一氏の解説から引用しましょう。

 【東条英機 歴史の証言 ―東京裁判宣誓供述書を読み解く― 渡辺昇一 祥伝社文庫P417より】

 ※  ※  ※

 陸軍は俘虜の取扱いに関して、虐待や強制労働を課すべからずという命令を出していますし、労働規則についても、取り決めています。帝国軍人の心得を諭した戦陣訓も渡しています。陸軍は監督者として、俘虜の取扱いについてそこまで気をつかっていたのです。

?H1>ここに出てくる戦陣訓ですが、この中には日本の軍人が俘虜になることを禁止している条項があります。日清戦争のときも山縣有朋が、俘虜になるなということを言っています。何故かというと、シナ人の俘虜になった日本人は、実に残虐な殺され方をしていることがわかったからです。ずっと時代が下って支那事変でも、俘虜になった兵士は、あとで発見すると、見るに見かねるほどの残虐な殺され方をしていました。そのため陸軍では戦陣訓で「俘虜になるな」ということを命令したわけです。

?H1>日露戦争のときはお互いに文明国でしたから、俘虜虐待については問題になりませんでした。ロシア側も日本の俘虜をきちんと扱いましたし、日本も同様でした。第一次大戦のときもドイツ人が多数、日本の俘虜となりましたが、一つも問題もなく、その待遇はむしろ世界のお手本となりました。

?H1>日清戦争と支那事変においては、日本の俘虜がきわめて残虐な殺され方をしたので、戦陣訓の中でも「俘虜になるな」ということを強く戒めているわけです。

 ※  ※  ※

 支那人の残虐非道さは、中華人民共和国での、文化大革命、天安門事件、チベット解放運動、東トルキスタン独立運動における虐殺・大弾圧を見るにつけ、現代に至るまで継承されていることが分かります。

 東京裁判における東条英機氏の証言にある

 『なお衣食住その他風俗習慣を著しく異にする関係と今次戦役に於いて各種民族を含む広大なる地域に多数の俘虜を得たることと各種の物資不足と相待ちまして、寿府条約を其儘(そのまま)適用することは我国としては不可能でありました』

というのは、法律の観念が皆無で残虐非道な支那文化のことも念頭にあったのです。

 支那民族の黒を白と言いくるめる恥知らずな外交姿勢は、端なくも尖閣での海上保安庁護衛艦に対する漁船(工作船)体当たりの時の中華人民共和国政府及び船長(工作員)の対応を見ても明白です。

 あのとき中華人民共和国は、日本の売国的民主党政権の卑劣なビデオ隠蔽に勢いづき、あれは日本の妄言だと言い張ってレアアースの禁輸だの、挙げ句の果てにフジタの日本人社員を死刑の可能性があるスパイだと人質にとって日本を脅迫したのです。


 そういった明白な民族性に関する問題を見てもなお、日本軍は善良な支那人に残虐非道な侵略をしたなどとどうして言えるのでしょう?

 私には理解できません。

 次に、『戦陣訓』の全文を御紹介しますね。

 『戦陣訓』の全文はこちら。

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コメント

No title

眼とろん星人スジャータさん、この記事を読ませていただいても、どういうコメントをしたら良いのか全く手がつけられません。
とりあえず、全文を読ませていただくことにいたします。
悪しからず、お許しください。

No title

記事がとても長いので、1日に一つの記事の趣旨をを頭に入れながら読ませて頂きます。

No title

トマトさん、長々とすみません。
戦陣訓全文についてはドキュメントとして掲載する必要があると思ってUPさせていただきました。
これについての解説はあらためて後日書かせて下さいね。
本記事では、『戦陣訓』のせいで日本軍の兵士が多数無駄死にしたというのは事実に反するということを書かせていただきました。
いつも丁寧にお読みいただき、ありがとうとざいます。

No title

何も戦陣訓のせいではないわ。我々日本人は、昔っから
「命を惜しむな、名をこそ惜しめ」と歌にもあるようにそういう気質を持っている民族なのよ・・・侵略なんかではなく、併合だわよねぇ・・・凸

No title

むにゅさん、戦陣訓は、日本軍は捕虜を適正に扱ったという証拠として提出された文書なのに、それにいちゃもんをつけるなんて、何を考えているのか分かりませんね。
名を汚したら、ご先祖様に申し訳がたちませんからね。
韓国併合は、韓国最大の民間団体一進会は、日本に併合してもらうために運動していましたし、李完用首相が調印した併合条約によって実施された合法的なものなんですよね。
ネット環境を持つ人にはすでにこれは常識なんですけれど、マスメディアはこれを隠蔽していますね。
ポチありがとうございます。
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